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勇者の師匠  作者: 新嶋紀陽
第三章
64/74

24

 気分が悪い。視界が歪む。身体が重い。

 自分の状態がいかに絶不調なのかを理解していた。ウールの一撃である『轟拳撃』をまともに食らったのだ。あばらの何本かは砕けいるし、口の中は鉄の味で満ちている。先程から感じる寒気は恐怖からのものではなく、恐らくは血の気が足りないせい。

 このまま何もしなくても自分は死ぬ。それは理解しているし、自覚している。その上、ウールの前に立つということがいかな自殺行為かということも十二分にわかっていた。

 しかし、それでもベルセルクはこの場で黙っているわけにはいかなかった。


「し、師匠、何してるんですか!! だめです!! そんな無茶したら出血が悪化して……!!」

「るせぇ、黙ってろ」


 腕の中で何やら抗議してくる自らの弟子に静かな怒声を浴びせ、沈黙させる。

 そう。ベルセルクはこれ以上なく激怒していた。

 ベルセルクを助けるために勝手に戦いに加わったシナンに。そのシナンの申し出を受け入れ彼女を殺そうとしているウールに。

 そして何より。

 その状況を作り出してしまった自分自身に。

 体の中に渦巻く熱いモノが止まらない。イライラは解消されず溜まっていく一方。今すぐにでも暴れたいという欲求が抑えられない。

 ならば一体どうするのか。

 答えは簡単。その感情に従えばいい。

 目の前の女を。かつての相棒を。自分と似通った狂った殺人鬼を。

 徹底的に殺して、壊して、潰してしまうしか方法はない。


「……へぇ」


 ウールはこちらを観察しながら微笑する。その瞳には驚きがあるが、それ以上に待ちくたびれたといわんばかりのものが混じっていた。


「さすが、というべきか。オレの一撃を食らって立てるとは。その上未だに戦う気でいやがる。ったく、肋骨の一本か二本、確実に折ったはずなんだが。っつか、どこぞの詩人の歌じゃねぇんだぞ? 普通は骨が折れた時点で死ぬもんだろうが」

「生憎だな……俺は普通じゃねぇんだよ」

「しかも未だ憎まれ口を叩けるときたもんだ」


 不敵に笑う彼女は、しかし隙を一切見せていなかった。

 こうして喋っている間にもベルセルクはいつでも斬りかかれる状態にしている。だが、それはウールも同じだ。無駄に突っ込めば再び彼女の拳がベルセルクの体を破壊するだろう。今度まともに喰らえば否応がなく即死してしまう。そうならないためにも、慎重かつ冷静な判断を取らなければ。

 しかし、それはあちらも承知の上だ。

 ウールは呆れたような口ぶりだが、その表情は違う。


「だが……ああ、そうだ。そうだよな。そうでなくっちゃオマエじゃねぇ。ベルセルク・バサークがこんな簡単に死ぬわけがない。オレが認めた、数少ない『敵』ならこの程度で終わるはずがない」


 静かな殺気がベルセルクの周りを取り囲む。

 ひしひしと伝わってくるそれに、ベルセルクは動じない。だからどうしたと言わんばかりな表情のまま、ウールに対して睨みを効かせる。そしてウールもまた上等だ、と笑みを浮かべながら拳をパキポキと鳴らし始めた。

 この瞬間、シナンはまずいと悟る。

 このままいけば、確実にベルセルクとウールは戦いを始めてしまう。それはダメだ。今のベルセルクは口から血を吐くほどの怪我を負っている。いつもの状態ならともかく、満身創痍というべき今の彼ではあの超人的な殺人鬼を相手にして勝てるとは到底思えない。勝つとか負けるとか、そういう以前に彼の体が持つわけがない。


「師匠、ダメです! 今、戦ったら師匠は……っ!!」

「黙れっつったはずだぞ」


 低い声が返ってくる。

 それは先程とほぼ同じ言葉。しかし、その言葉に混じっている感情は先程とはまた別物であった。静かな、けれども確固たる意思がこもった一言。それは誰にも曲げられず、それ故に硬い。今の彼を止められるものなどこの場に存在しない。例えシナンがどれだけ泣こうが喚こうが、聞き入れられることはないだろう。

 それを理解してしまったから。

 それを容認してしまったから。

 シナンはゆっくりとベルセルクの腕の中から退いた。ゴツゴツした、けれども確かな人の温もりが無くなった瞬間、彼女の体に寒気が襲う。

 自分から離れるシナンに一方のベルセルクは何も言わない。目も配らせない。ただ黙って剣を担ぎ、彼女の前に立つ。

 そんな彼に、シナンは言う。


「師匠」


 呼びかける少女に、しかして狂った剣は答えない。

 だが、それでも彼女は言う。


「死なないで……ください」


 それだけだった。

 勝ってください。負けないでください。必ず倒してください。

 そのどれでもなく、彼女はベルセルクに対し「死なないでください」と言った。それは今までベルセルクが言われたことのない言葉。一生かけられるはずがなかったモノ。「狂剣」の異名を持つ彼には縁遠い代物だった。

 勝つことならいつもしてきた。負けた回数も恐らくではあるが、勝った回数よりははるかに少ない。そして倒すべき敵は必ず倒してきた。

 だが、死なない、というのを目標とするのは恐らく未だかつてないことだろう。

 ベルセルクはいつも命をかけていた。勝つために、負けないために、倒すために。故に彼は死なない、ということをあまり重要視してはいなかった。

 それを今、ベルセルクは突きつけられている。

 何度も言うようだが、ベルセルクは今、まともに戦える状態じゃない。そして相手はあの殺人鬼。この場合において死なないという事自体が無理難題というものだろう。

 だが。

 それでも。


「当たり前だ。馬鹿弟子」


 赤髪の青年はいつもと同じく、シニカルな笑みを浮かべながら答えた。

 その視線の先にあるのは自分を殺そうとする殺人鬼。その両腕の一撃は剣の一撃であり、両足の一発は斧の一発と同じ。異常なまでに頑丈な体付きに人並み外れた運動能力。そして必殺の一撃は強力であり、凶悪。

 そんな彼女もまた、不敵な笑みを浮かべて口を開く。


「最期の話し合いは済んだか?」

「ああ。だが、訂正部分がある……最期じゃねぇよ、クソアマ」

「そうかい、そりゃ悪かった。なら……」

「ああ……」


 ベルセルクは剣に力を入れ、ウールは拳を握りしめる。


「「始めるとするか!!」」


 そうして、二人の剣と拳は再び交じり合った。


 *


 人間というのは、普段自分の力を十分に発揮することはないとされている。

 それは脳という部分が体に負担をかけないようにセーブをしているためだ。それを無くしてしまえば、人間の体は耐え切れなくなり、すぐに死んでしまう。だから人間は「痛み」や「眠け」などが存在する。痛みはそれ以上やれば体が危ないという知らせであり、眠けは体を休めるための命令。故に脳は普段から眠っているとまで言われている。

 だが、もしもそれを目覚めさせることができたとしたら、どうなるだろうか。

 それはつまり、体を十分に発揮できるということであり、今まで以上の力を手に入れるのと同義である。そして、それは決して不可能というわけではない。

 例えばの話をする。死地に趣いた平の兵が戦いの中で今まで発揮できなかった才能を開花させるという事例は少ないことではあるが、確かに存在する。それは自らを死という概念の傍に置くことで自分の脳がセーブしている力を無理やり使っているということだ。

 火事場のクソ力、という言葉もあるように、人の中には追い詰められれば追い詰められるほど今までには無かった力を発揮することができる者も存在する。

 つまり、今のベルセルクは正しくその状態に陥っていた。


「ァァァアアアッ!!」


 獣が雄叫びを上げる。

 それと同時に放たれる連続の一撃は、先程の戦いのソレとは遥かに違っていた。一撃に加わる重さ、ポイントを的確に狙ってくる正確さ、そして一撃を放つ速さ。それら全てが先程の彼とは段違いである。凄まじいことである一方、有り得ない光景でもあった。ベルセルクは骨を折っているはず。普通の人間なら立ち上がるだけでも不可能なのに、彼は剣を振りかざし強敵と殺し合いを演じている。窮地に立たされ、尚且つ深手を負ったことによるハイテンションな状態によるものだったとしても、ベルセルクという人間がいかに狂っているのかが垣間見えるものだった。

 だが、狂気を纏っているのは何もベルセルクだけではない。

 彼の宿敵にしてかつての相棒。殺人鬼、ウール・ヴヘジンもその一人であった。


「アハハハハハハハハッ!!」


 咆哮に対するは歓喜。

 彼女の顔にあるのは今までと同じ笑み。場違いなまでのそれはしかして余裕から来るものではなかった。むしろ、今の彼女の状況は先程とは違い部が悪い。少し前の戦いでは拳には全く切り傷が入っていなかったにも拘らず、今はベルセルクの一撃を受ける度に少しではあるが血が流れ出していた。鉄をも砕き、城壁さえ破る彼女の攻撃を真正面から対応し、さらに傷まで負わせている。それだけベルセルクの剣が尋常なものではないことを意味していた。窮地、というには些か早いかもしれないが、しかし有利でないのも確かだ。

 しかし、いやだからこそ、というべきか。

 有利でも窮地でもない。つまるところ競り合っているということであり、同じ実力の者同士がぶつかり合い、やり合っている証拠。そしてそれはベルセルク・バサークという男が自分が見込んだ通りの強さを持っていたことの証明にもなった。

 それがウールにとってたまらなく嬉しかったのだ。

 自分の目は間違ってなどいなかった。それが正しかったと分かった時点で、彼女の興奮は既に最高潮を迎えている。

 狂剣の一撃を自らの拳で跳ね返しながら、ウールは言う。


「ったくよぉ、ったくよぉ!! どうしてだかなぁ、笑いが止まらねぇ。オレは今まで強敵って奴らと戦ってきた。それでもまぁ、満足はしてたさ。本当だぜ? 面白い奴もいたし、クズみてぇな奴もいた。楽しい奴も、へそ曲がりな奴も、腹ん中がドス黒い奴も全員オレは覚えている。だが……ここまでオレをマジにさせたのはオマエが初めてだぜ!!」


 ドンッ、と鈍い一撃がベルセルクの体に剣を伝って入る。重い一撃だ。しかしベルセルクは倒れない。すぐさま攻撃の姿勢に入る。それはベルセルクが持つ数少ない技であり、強力な一撃。即ち『裂破』だ。

 お返しとばかりの『裂破』にウールはすかさず己の技『轟衝拳』を繰り出す。

 破壊と粉砕。二つの技がぶつかり合う。


「ああ、そうさ……これだよ、オレが求めてたのは!! こういうのがやりたかった!! オレの全力をぶつけられる相手。しかもそれがオレが認めた相手。これ以上のシチュエーションなんてないだろう!!」


 互いの一撃。その衝撃によって、二人は数メートル後ろにまで吹き飛ぶ。互いに見事着地したかと思えば、その後すぐさま何事もなかったかのようにたった一歩で距離をつめ、自分の間合いに入る。だが、それは同時。どちらも自らの間合いに入ったかと思えば、今度は拳と剣のラッシュ。ウールの両腕にベルセルクの剣が応戦していく。


「強い相手と戦いたい……それは本当だし、真実だ。だが、勘違いしてもらっちゃ困るがな、それはあくまで自分の力で強くなったモンのことだ。ああ、別に他人と強力して強くなった奴とか周りの絆で成長した奴を馬鹿にしてるわけじゃねぇぜ? つーか、むしろそう言う奴らはオレの好みだし、な!!」


 最期の言葉と同時に前へ突き出される拳。狙いはベルセルクの顔面。それに対し、彼は首を最大限に曲げ、何とか事なきを得る。

 そして、二人の攻防は続く。

 ウールの一人の呟くもまた、続く。


「つまり、オレが言いたいのは、強い人間と戦いたいってことだよ」


 強い人間と戦いたい。それは理解できるし、ベルセルクにも分かる。

 だが、何故だろう。まるで人間以外と戦ったことがあるような風に聞こえるのは、気のせいなのだろうか。


「神様から与えられた特別な力。ご都合主義。チート。それらを振りかざして自分を強い強いだのほざく奴。そしてそういうのを見て凄い素敵格好良いと褒め称える周りの連中。ああ、どいつもこいつも腐ってやがる!! そんなモンのどこがいいってんだよ!! 自分の力で喧嘩もできねぇのかよ、クソが!!」


 何故か怒りを発散するかのようなウール。

 ベルセルクにとって意味不明な単語がいくつか出てきた。何だ、それは? とベルセルクが質問する暇など与えてくれない。

 ウールは猛攻をしながら話を再び続ける。


「まぁ確かに強いさ。何せ天からの贈り物。よく分からないが自分にとって好都合に動く力。威力はあるだろうし、便利だろう。だってそうだろ? 振り回せば何とかなるんだからな。けどな……人間ってのはそういうモンじゃねぇだろ?」

「……、」


 言われて、ベルセルクは何も言い返さない。

 ベルセルクは狂人だ。自分が真っ当な人間じゃないことは理解しているし、納得もしている。はっきり言ってクズと呼べる部類になるのだろう。

 それ故に、ウールが言おうとしていることは彼にも分かる。

 人間そこから一番遠い存在だからこそ、人間そこのことに一番詳しいのだ。


「嫌な現実。死にたくなるような現状。理不尽な出来事。鬱陶しくてしかたのない社会。それでも、そんな世界でも一生懸命歯ぁ食いしばって生きていくのが人生だろうが!! 自分の力で、時には周りの力を借りて、んでもって最後には自分の足で立ち上がる。そういうのが、それこそが、人間だろうが!! それは断じて神様に願って縋って頼って得た力なんかじゃねぇ!! そんなもんに頼った奴は人間じゃねぇし、オレは絶対認めねぇ!」


 ベルセルクはウールの話の半分も理解できてはいなかった。

 しかし、分かったこともある。

 彼女もこの数年間で何かがあった。自分を変える何かが。それは彼女をここまで熱く怒らせるもの。憤怒の矛先は検討がつかないが、しかし彼女が本気だということは真実だ。

 人間……その概念に大きく関わるような、そんな出来事が。


「自分は弱いから? 社会に適合できないから? だから別の世界で別の人生を送る? ふざけんじゃねぇぞ、ボケ!! 自分の世界でまともに生きようとしなかった奴が何で他の世界で成功すんだよ!! そんな奴はなぁ、どこ行っても永遠に負けっぱなしなんだよ!!」


 だから……だから、ベルセルクはウールの話を今まで妨げなかった。彼女の怒り。それが『なんとなく』ではあるが、理解できたから。

 しかし、それもここまでだ。


「て、めぇ……さっきから訳分からねぇことばっか言ってんじゃねぇぞ!! 意味不明だし、支離滅裂じゃねぇか!! 結局お前は何が言いたんだよ!!」

「ああ、悪りぃ悪りぃ。ついヒートアップしてな……まっ、つまりはだ」


 ガギンッ、と剣の芯に右拳が投げつけられる。


「オレは確信して言えるぜ、ベルセルク。オマエはチート能力なんか持ってないし、神様から与えられたご都合主義もない。ここでオマエが立ってるのはオマエの実力だ。オマエの力だ。よく分からねぇ影響なんざ受けちゃいねぇ。ここに特別な力なんてもんは一切ない!! だから誇れよ!! お前は滅茶苦茶強い人間なんだってな!!」


 続けてやってくる左拳。ベルセルクは剣に力を入れ、右拳ごと押し返す。

 ウールの言葉は別に言葉にするまでのことでもない。当たり前のことだ。よく分からない言葉が混じってはいるが、それでも彼女が口にするのだからきっと何か大きな意味があるのだろう。

 しかし、一つ訂正をさせてもらうのなら、彼女の言う人間とやらにベルセルクは入っていないのではないだろうか。

 自分の人生を一生懸命生きる……そんな真っ当な枠組みに自分が入るとは到底思えない。

 しかし、それはどうでもいい。

 今やるべきことはただ一つ。

 目の前にいる敵を、自分が認め、自分を認めた相手を倒すことだ。


「「うぉおおおおおおお!!」」


 そこから先は正しく『死合』だった。

 拳と剣。打撃と斬撃。殺人鬼と狂剣士。二つの獣が交差する。

 突き出される一撃、なぎ払う一閃。もはやそこには作戦なんてものは存在しない。策略などで覆る状況は彼らの中には存在しなかった。相手の行動の先読み? そんなものに意味はない。例え先読みをしたところでだからどうしたと言わんばかりの一撃を繰り出すだけだ。

 力と力。ただそのぶつかり合い。これはもはや騎士などの決闘では決して拝めないものになっていた。それはそれだけ汚く、荒々しく、けれども凄まじいという意味。

 それからというもの、ウールは殴り、ベルセルクは斬りの攻防だった。彼らの体はすでに限界寸前。先程の戦いでもそれなりに傷を負ったというのに、追加の痛みが彼らを襲う。

 しかし、だからどうした。

 痛みが襲う。骨が折れた。それで、それだけで止まることはもうない。その段階を彼らはすでに通り越している。やられたらやり返す。相手が立っているのなら自分も倒れるわけにはいかない。言い換えるならば、意地の領域。そんな気力だけで戦っているのだ。

 そして、数分、数時間……いくら経ったか分からない。もしかすれば永遠に続くと思えた死闘はしかして、その決着の時がきた。

 互いの力の入った一撃を放ち、共に間合いを取る。


「はぁ……はぁ……が、ぁ」

「おいおい……息が上がってんぞ。大丈夫かよ、オマエ」

「ハッ、人の心配する前に自分の心配したらどうだ?」

「そりゃそうだな……」


 間合いを取りながら話す二人。だが、それもただの強がりだ。互いに限界が来ているのがすでに分かっていたのだろう。だがら間合いを取った。自分の最高の一撃を放つために。

 ふと、ウールは夜空を見上げて呟く。


「全くよぉ……オマエとの勝負は本当に楽しかった。ああ、これ以上がないってくらいにな。だが……永遠なんてもんは存在しない」


 それは決着を付けると言っているようなものだった。

 自らの拳に力を入れ、脇の下で構える。間違いなく必殺の一撃『轟衝拳』を入れてくるつもりだろう。


「次で最後だ……全力で来い!!」

「言われるまでもねぇよ」


 そう言って、ベルセルクはいつものように剣を担ぐ。

 あちらが『轟衝拳』で来るのならこちらも『裂破』で行くしかない。だが、『裂破』と『轟衝拳』はほぼ互角ではあるが、あちらは連続的に『轟衝拳』を出せるのに対し、『裂破』に連続性はない。ならば『裂風』で目くらましをかけてそのスキにウールの懐に入り、『轟衝拳』を打つ前にケリを付ける? 馬鹿ばかしい。それが可能なら苦労はしない。そんなことをしても今のウールには意味はない。彼女ならば視覚など使わず本能的なものでベルセルクの居場所を特定するはずだ。目くらましなど通用しない。

 しかし、無闇に突っ込めば先程の二の前だ。

 ならば……ならば、どうする?

 頭を巡らすベルセルク。その時。


「師匠!!」


 ふと、後ろから声がした。

 それはよく知っている馬鹿のものであり、どうしようもない己の弟子。

 そう、シナンのものだった。

 そして、不意にベルセルクは思い出す。彼女に最初、何を言われたのかを。

 死なないで……そう、彼女は言った。

 その言葉を思いだし、ベルセルクは不敵な笑みを零した。

 死なない。無理難題な課題ではあるが、しかしそれは当然のことだ。戦いで死ななければ勝つし、負けることはないし、つまりそれは相手を倒すことと同義。ならば死なないためにどうするかを考えるのはごく自然な話であるわけで。

 結局のところ、いつも通りにすればいいだけの話だ。

 策を巡らせる? 馬鹿な。それこそベルセルクが最も苦手とする分野ではないか。彼は愚か者だ。馬鹿な弟子にお似合いな愚かなことしか実行しないそんなクズだ。ならば、難しい考える必要性などどこにもない。やることなど単純明快ではないか。

 そしてベルセルクは剣を握る。

 自らの『両手』で。


「―――行くぞっ!!」


 同時。ベルセルクは前へと直進する。

 迷うことなく、ただ真っ直ぐに獲物方へと、ウール・ヴヘジンの元へと突っ込んでいく。

 それはある意味自殺行為。『轟衝拳』を持つ彼女に真正面から向かうなど正気の沙汰ではない。

 その行動を馬鹿だと罵るものもいるだろう。

 阿呆だと呆れるものもいるだろう。

 愚か者だと吐き捨ている者もいるだろう。

 けれど、ウール・ヴヘジンは違う。

 彼女はそれを待っていたかのように、目を見開いて言う。


「上等だぁ!!」


 それは当然の話で、自然な流れ。

 何故なら彼女もまた、どうしようもなく馬鹿で阿呆で愚か者なのだから。

 飛び込んでくるベルセルクにその場で立ち向かうウール。間合いに入った時点で互いに己の技を放つ。そしてウールの『轟衝拳』は連続二回の攻撃ができる。一回目の『裂破』を跳ね返せればウールの勝ちは確定する。

 だが、彼女はこの時気づくことができなかった。

 ベルセルクが柄を両手で握ったその意味を。

 このご時勢、剣を片手で使う者はそれほど少なくない。その利点としてはもう片一方の手で楯を扱えたりするためだ。無論、流儀や我流による片手使いもおり、ベルセルクもそれに当たる。中には『格好いいから』などという若者の理由もあるが、それは今はどうでもいい。

 大事なのは片手で剣を扱うリスクだ。剣は見た目以上に重量がある。それ故剣士はまずその重量に慣れる必要があるわけであり、真剣での素振りはそれを一段と早くするための鍛え方でもある。それが片腕ともなればその倍の修練が必要だろう。

 ならば、と問いたい。

 もしも片手で剣を扱える一流の剣士が両手を使ってしかも自らが編み出した強力な技を出したらどうなるのか。

 その答えは……。


「ァァァアアアアっ!!」

「らぁぁあああああ!!」


 互いの間合いに入った瞬間、雄叫びと共に互いの一撃が炸裂した。

 と同時に。

 バキボキバキッ!! とウールの右拳が吹き飛んだ。


「な、にっ!!」


 痛みよりも疑問を口にしたウール。それだけ彼女には今の現象が信じられなかった。

 しかし、よくよく考えればこれは正しい結果である。ベルセルクは『両手』で『裂破』を放った。それはつまり、今まで以上の一撃だという意味だ。片手から両手に変えただけ。たったそれだけのことではあるが、しかしそれは剣士にとって重要な違いである。両手であれば片手よりも力は入るし、それ故に威力も増す。単純ではあるが、だからこその力。『裂破』は片手で放つ技であったため、今までは使わなかったが、この土壇場で増強するにはこれ以外の方法はなかった。

 そう。威力を上げなかればならない理由。それは、『轟衝拳』の連続性を潰すため。

 確かに『轟衝拳』などという威力のある一撃を連続して出されるのは厄介この上ない。しかし、それは一発目が弾かれればの話だ。最初の一発に押し勝つ一撃を与えれば、何の問題もない。

 だが、それは容易いことではない。相手は城壁すらも破る拳。そんなものに太刀打ちできるものなど、そうそうない。

 しかしベルセルクはこの戦いで何度も『轟衝拳』と同等な『裂破』を放ってきた。ならば、その『裂破』を強化したものを放てば勝てるのは道理。


「ま、だ、だぁあああっ!!」


 拳を剣によって完全に砕かれたウール。右手から大量の血が流れている。

 けれども、彼女はそこで倒れない。右手を失ったからといって止まる程、彼女はまともではない。

 左に溜められた力。それが一気に爆発するように、ベルセルク目掛けて放たれる。

 だが、遅い。

 この場、この状況が先程と違うのは二つ。ウールの右拳が砕けたこと。そしてそのことにウール自身が動揺したこと。これらは一瞬の出来事であるが、確かに彼女は気を取られてしまった。

 そして、殺し会いの中で一瞬の迷いは致命傷と同じ意味を表す。

 故に、彼女は遅い。


「終わりだ……っ!!」


 ウールの左拳が入る直前、ベルセルクの上からの一撃が彼女の体に命中する。

 必殺の一撃などではない。けれども、確かな意思の篭ったソレは鋼のようなウールの体を切り裂いた。

 そうして激しい戦いを繰り広げた殺人鬼は、悔しく、そして楽しげな笑みを浮かべながらその場に倒れ伏せたのだった。

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