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勇者の師匠  作者: 新嶋紀陽
第三章
63/74

23

 正直な話をしよう。

 シナンが縄から抜け出られたのは偶然以外の何者でもなかった。

 しかしそれはシナンがウールの言葉を聞かずに縄から抜け出ようとジタバタし続けた結果生じた事柄であることも事実。彼女の諦めの悪さにはやはり光るものがある。そして、その根性とも言える性格が導き出したのが今の現状。

 武器も持たず、彼女は狂った殺人鬼と自称する女の眼前にいた。

 死神はいつものようにシニカルな笑みを浮かべる。


「全くよぉ。どうしてこうもいいタイミングで現れんだよ。止めさそうとする瞬間って都合良すぎだろ。スゲェなオイ。奇跡だぜ奇跡。こりゃあカミサマって奴がいるって証拠なのかねぇ」

「……師匠から離れてください」


 軽口を叩くウールに対してのシナンの言葉はいつになく辛辣な口調でありながら、真剣だった。理由は簡単であり、明快。彼女自身が見たくもない光景を目に焼き付けられているからだ。

 その光景とはつまり、自分の師匠が地面に倒れ伏せ、血を流しているという事実。

 自分の師匠が負けている。そしてそれを行った人物があの殺人鬼であること。

 別段、幻滅しているわけではない。師匠であるベルセルクが負けているということは確かに彼女にとって受け入れ難いのは事実であるが、しかしだからどうした。そんな程度で彼を慕う気持ちは何ら薄まることはない。

 不愛想ですぐに手が出るし、口を開けば皮肉や悪口ばかり。自分がどれだけ酒の飲みすぎはやめろと言っても聞きやしない。剣に関しては一流だが人間としてダメダメだ。はっきり言って戦いがない世界に生まれていれば確実に行き場を失っていただろう。

 シナンから見たベルセルクはそういう人物像だ。それを知った上で彼と共に行動してきた。故に負けていたからと言う程度で彼女が彼から離れることなど決してない。

 だからこそ、シナンは……


「ああ……なるほど。オマエ、怒ってるな?」


 精神を逆なでする声音。そこに悪意は感じられないが、しかし明らかに面白がっている。

 シナンは何も言わない。ただ、いつもとは違う睨みの効いた視線をウールに送っていた。

 意味もない行為。そう一蹴されればそれまでだが、しかしウールにとってそれは何よりも心躍ることだった。


「……いいぜ。さっきもよかったが、今はより鋭利になってやがる。未だ『敵意』止まりなのは残念だが、まぁいい。そこまで来て『殺意』に入り込まないのはオマエさん特有のものなんだろうからな」


 ここまで来て『殺意』を持たず、『敵意』の領域に踏みとどまっている。それを甘さを断言することは簡単だ。しかしこの少女の恐るべきところは今までその甘さを貫き通しながら今の強さまでに至ったこと。いや、違うか。甘さを貫き通せる程の実力と状況を手にしていたというべきか。何故ベルセルクの弟子がこうも『異常』な精神を持っているのか甚だ疑問である。普通なら即刻『殺意』に早変わりしているはずだ。先天的なものか、それともベルセルクの反面教師か。疑問はしかしてどうでもいい。結論を言うとだ。ウールはシナンを認めているのだ。強者として。敵として。

 だからこそ、気乗りがしない。


「でもよぉ。今のオマエに何ができる? 自慢の剣はポッキリ折れちまってここにはねぇ。得物がない状態でオレに勝てるとでも?」

「……舐めないでください」


 言うとシナンは腰をかがめ、臨戦態勢に入る。握られた小さな拳は目の前にいる敵を今にも捉えて殴りかかろうとしていた。シナンは剣士だ。剣士は剣あっての存在。故に本物の格闘家に及ぶわけがない。現にシナンの構えは覇気は感じるが、所々違和感を感じられる。

 それでも。


「剣が無くても戦うことはできます。うちの師匠は無茶苦茶でして。時折剣なしでの取っ組み合いとかも普通にしてくるんですよ」


 その度に自分はボコボコにされていたけれど、とは口が裂けても言えない。

 ああ、今思い出しても頭が痛い。体格差など関係なしに攻撃してくるベルセルクのそれはもはや虐待や暴力と同等。シナンは毎回半泣き状態になっていたのが彼女の脳裏に浮かばれる。

 ああ、そうだ。この人はいつも厳しかった。情け容赦なくけれどそのおかげでシナンはここまでこれた。強い相手にも動じず立ち向かえる勇気と気概を手に入れることができた。

 シナンは色々な人にとあることを言われる。

 なぜベルセルクなのか、と。

 師匠と言うべき人間は人格者であり教育者でなければならない。そうでなければ他人に何かを教えるなどできるはずもなく、またその資格はない。そしてベルセルクにはそれがない。人格者と呼べるほどの性格はしておらず、教育者としての才能もない。ただの荒れ暮者。暴れて斬って潰す。そんなどうしようもない男だ。それは尤もな言い分だし、シナンにも理解できる。だが、同時にけれどと思う。

 彼はどうしようもない人間ではあるが、剣士としての道は違えない。

 剣士は人斬りだ。魔物も無論斬るが、人を斬らずに剣士を名乗ることなどできない。ああ、確かにベルセルクはまもとでもなく、立派な剣士とは言えないだろう。それでも、彼は彼なりの矜持を持っている。自分の意思を曲げず、あるがままの己を貫き通す。そして時には他人のために行動することができる。何だかんだと言ってシナンを助けたり、目の前で不幸になりそうな人間も最終的には救ったのがその証拠だ。

 そんな彼にシナンはこの旅の中で惹かれていったのだ。

 こんな剣士になりたい。自分の道を違えず、真っ直ぐ進めるようになりたい。

 だからシナンはここから逃げない。

 だからシナンは戦うことを選択する。


「始めましょうか、ウールさん。人の師匠おとこに手を出したんです。それなりの覚悟はして下さい」


 覚悟は決まり、怒りは溜まり、最早何もいう事はない。

 一方ウールは何も言わない。というか、言葉が詰まっていた。その表情は唖然。目を見開き、心底驚いていた。

 そして。


「カッ、ハッ、ハハハハハハハッ!!」


 盛大に。顔に手を当て天を仰ぎながら笑った。

 しかし不思議とそこには侮蔑はない。感じ取れるのは面白い、よくぞ言ったという好意のみ。これはウール自身にも予測の範疇外の出来事。だが、だからこそ彼女は嬉しい。その予想外が自分好みであることが彼女にとって何よりなのだ。


「ったく、本当によぉ。オマエ、マジでいいぜ。こういう言い方は誤解を招くかもしんねぇが、あれだ。そそるぜ、その気概。その覇気。ああそうだな。オマエはこの場でまだ諦めていない。自分が何とかすると本気で信じてやがる。そういう顔してるぜ?」


 シナンは数時間前、ウールに敗北している。剣を折られる、という致命的な決着によって。そこから考えてもシナンがウールの実力を見誤っているということはまずない。二人の力の差は歴然。しかも、今のシナンには自慢の剣がない。

 勝てる確証などどこにもない状況下。

 しかし、それでもシナン・バールという少女の闘志は未だメラメラと燃えていた。

 その事実にウールはにやけることをやめられない。

 矛盾している? 無駄な行為だ? 馬鹿馬鹿しい。その考えこそがもはやすでにダメだ。それは即ちここで諦めることの肯定でしかない。生きること、その術を見つけることに疲たために、安息で簡単な死に寄り付こうとする。ああ、全くもって正当な考えで自然な論理。そして何よりも反吐がでる。

 生物は生きることを目的としている。それは人間も同じだ。当然、死はいずれやってくるし、逃れることなど不可能。だから世の中には人間は死ぬために生まれてきたなどとほざく者さえいる始末だ。

 だが、そこを間違えてはいけない。人間は生きるために存在しているのだ。生きるために行動し、策を練り、決断する。そうやってきたことにより人間は歴史を紡ぎ、進化してきた。故に生きることから逃げる者などもはや人間ではない。

 その実、この少女は未だその意思を失ってはない。

 この状況を見た第三者ならば別のことを思うかもしれない。そもそも、生きることを第一として考えたのならシナンはベルセルクを見捨てて逃げるべきだったのでは? と。そんな無粋な考えはしかして一般論だ。わざわざ自分よりも力のある者の前に姿を晒す必要性などどこにもない。その行為は馬鹿だと一蹴できるものだろう。

 だが、それはつまり。


「訂正してやるぜ、シナン・バール。やっぱオマエはベルセルクの弟子に相応しい、とんでもねぇ大馬鹿だよ!!」


 瞬間、目に見えない何かがウールの体から弾けた。鋭く尖ったような空気がシナンの全身を襲う。一瞬目を見開き驚くも、しかして一歩も退かないそれどころか、逆に腰を落として呼吸を整える。

 いいぞ、いいぞ。そうだよ、そうでなくては。ベルセルクの弟子なら、覇気一つで動じてもらっては困る。

 ウールの目的はすでに変更された。それが狙いであることも無論承知。それだけ目の前の彼女えものは喰いがいがある。殺し屋である自分が正々堂々戦い、奪うだけのモノを持っている。

 ウールの中にもはやシナンを殺さないという選択肢は存在しない。この手で殺さなければこの興奮を抑えることができないのは自明の理。そしてそれはシナンも了解していることだろう。それでもウールの前から逃げ出さないその度胸は一級品だ。

 そして。


「行きますっ」

「来い!! 徹底的にぶちのめしてやるよ!!」


 純粋な『殺意』。

 純真な『敵意』。

 似て非なるそれらがぶつかり合ったと同時に戦いは始まった。


 *


 何故、こうなってしまったのか。

 純白の死神と馬鹿な弟子が拳を交える光景を見ながら、ベルセルクはそんなことを考えていた。そしてその答えはすぐに出る。

 どうしてかだと? そんなものは決まっている。自分が負けたからだ。

 一瞬の油断。できないと勝手に決めつけた己の判断がすべての誤りだった。何故ウールは以前と変わっていないと考えた? 数年の間に彼女が成長していないとなぜ言える? 殺し屋で戦いを好むあの『鉄拳』が強くなっていないとどうして思える?

 今思えば単純明快なものだった。それに気づかないとはやはり自分は愚か者なのだろうと自嘲する。しかし全ては終わったこと。ベルセルクはその腹に一撃を入れられ血反吐を吐き、地面に倒れた。これを敗北と言わず、何という。

 傷の具合を再確認するが、やはり肋骨が一部完全にやられている。このままでは命に関わるのは明白。しかし、治療など現状不可能だった。

 

「くそが……」


 ベルセルクは今までに感じたことが無い程腹立たしかった。自分に勝ったウールに対して。彼女に負けた自分自身に対して。

 そして、今目の前で戦っている馬鹿な弟子に対して。

 何故あの少女は、あの弟子ばかはウールの相手をしているのだ? しかも武器なしで。剣が折れて使えないくせにどうして無謀にも戦いを挑むのか。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたベルセルクだったが、今のシナンはその予想を遥かに上回っている。

 そもそもにして彼女がここで戦う道理が見当たらない。いや、予想はつくがそれはあまりにも非合理的すぎる。

 自分の師匠が殺されそうになっているから。そんな当たり前でどうでもいい理由。ああ、確かにそれは人道的で普通の人間にとっては常識とでもいうべきものなのだろう。だが、いくら馬鹿な彼女も分かっているはずだ。ウール・ヴヘジンという殺人鬼がどれだけ強く恐ろしいのかを。彼女は歩く凶器。触れただけでも木端微塵にされてしまう。そんな化け物を前にすれば誰だって逃げ出すものだ。例外なのはベルセルクのように普遍の道から外れた同じクズくらいだ。しかし、シナンは違う。あれは未だに無垢であり何も知らない。甘く優しくそれ故に道を未だ外れてはいない。そんな『まとも』な彼女がどうしてあの女の前に立ちはだかっているのか。ベルセルクには信じられなかった。

 自らが信じた道を貫き通す。出会った頃から何も変わっていない。剣術や身体能力は確かに向上した。けれども、そのどうしようもない頑固さだけは変化するどころかますます強固になっている。そしてその頑固さが今の状況を生んでいる。

 シナンはどこまでも正しくあろうとしている。誰に何を言われようと悪いことは悪いことだと言い張るその心はベルセルクにとって鬱陶しく面倒であり、けれども……彼が決して持ちえないものでもあった。それが尊いものであることはベルセルクにも理解できる。だからこそ、人間としてみればシナンはベルセルクよりも上なのだろう。

 そんな彼女が今、ベルセルクのせいで死にそうになっている。


(自分が勝てないことすら……分からねぇのか)


 愚痴を心で零しながらもそれはないと断言する。

 シナンはああ見えても剣士の端くれ。そしてベルセルクの弟子だ。実力の差くらい当の昔に理解しているはずだ。どんなに言い繕っても剣を持たない今のシナンではウールには勝てない。それどころか傷一つつけられるかどうか怪しいものだ。

 それを理解しながら。

 それを分かっていながら。

 彼女は、シナン・バールという少女は拳を握り、小さな体を張ってまでベルセルクを守ろうとしている。

 滑稽だ。情けなさすぎて涙すら出てこない。師匠である自分が馬鹿弟子に守られるなんてことは、みっともなさすぎて笑い話にもならないではないか。

 故にベルセルクはシナンに言いたいことがあった。


「俺が、いつ……助けてくれなんて、言った……」


 勝手に手を出すな。これは俺の勝負、殺し合いだ。そして俺はその戦いに負けた。

 負けた者が死ぬのは戦場の常識。だから俺は死ななければならない。

 そう。自分が師であった男を殺したように。

 それが世の理だ。反することなどできはしないし、してはいけない。

 なのに、お前は一体何をやっている?

 横槍を入れ、自分の命を張って、俺を守っているつもりか? それで俺が良かった助かったとでも思っているのか?

 ふざけるな。

 俺がそんな殊勝な人間だと誰が言った? 俺は狂剣だ。狂った剣士だ。常識という道から外れた生き物だ。どうしようもないクズであり、愚か者。それはお前も分かっているはずだ。理解しているからこそ、ここまで来たはずだ。

 なのに何故、そんな奴をお前は救おうとしているんだ。

 ベルセルクには分からない。分かりたくもない。

 けれどそんな彼の思惑とは裏腹にシナンは無謀な戦いを続ける。


「そらそらどうした!! 避けてばっかじゃ終わらねぇぞ!!」

「くっ!?」


 ウールの猛攻撃にシナンは苦悶の表情を浮かべながら避け続ける。背丈が小さいことが今回は役立っている。さらに素早さが加わり、ウールはシナンを中々捉えることができない。だが、それはシナンが現状避けることだけを考えているからだ。一撃一撃の破壊力が凄まじいウールに対して攻撃する余裕など皆無。隙など容易く生まれるわけがなく、もしできたとしても今のシナンでは有効打を与えることは不可能だ。

 回避に関しても時間の問題。今はウールがシナンの身長差や素早さに感覚が慣れていないだけ、ある程度時間が経てばそれもなくなり、一撃を食らわされるのは目に見えていた。

 頭か腹か。それとも心臓目掛けてか。何にしろその一撃は必殺。当たれば確実に死ぬし、ウールならばその一撃を外すことなく必ず命中させるはずだ。

 結論を言えば、このままではシナンの死は決定事項だ。奇跡が起こったところでどうしようもならない。例え、万が一の可能性の話だが、シナンに眠っていた特殊な力が目覚めたり、いきなり神様とやらから奇妙な力を与えられたりしても無駄だ。そんなくだらないものでどうにかなる状況ではない。殺すことを前にしたウールに木っ端微塵に破壊され、潰されるのがオチだ。

 ならばどうすればいいのか。

 簡単だ。諦めればいい。

 戦うことを、動くことを、そして生きるということを。

 そうすれば楽になる。何もかもを無くした先にある『死』という安寧を手に入れることができる。傷つくことも疲れることも苦しむこともない。ある意味で幸せなモノ。人はいつか死に、それを手に入れる。ここで死んだとしても遅いか早いかの違いにすぎない。

 けれどシナンはそれを拒んでいる。

 今も尚、逃げることも、諦めることもせず、ただがむしゃらに立ち向かっていた。

 それもそのはず。アレを一言で表すなら『頑固』。一度決めたことを曲げない。故に諦めるという選択肢など最初から用意すらしていないはず。

 何度も何度も言うが……やはり彼女は馬鹿だ。

 そしてそんなどうしようもない弟子が目の前で殺されそうになっている。


「……はっ」


 口の中に充満する鉄の味。それを噛み締めながらベルセルクは不敵に笑った。

 何を自分は考えているのだろう。そんなことを考えたところで現実は何もからわず、結果も変化しない。考える? 何だそれは。そんな無駄なことを今の今まで続けていた自分が馬鹿馬鹿しくて仕方がないと言わんばかな表情を浮かべる。

 ベルセルク・バサークという男は愚か者だ。ならば、まともな人間がやりそうなことなどしてどうする?

 そしてそれ故に。

 彼がこの場で取るべき行動はすでに決まっているようなものだった。


 *


 甘く見ているつもりはなかった。

 過小評価などできるはずがなかった。

 しかし、目の前の殺人鬼はシナンの予想を十も二十も超えていた。

 突き出される拳。

 切り裂くような横一閃の手刀。

 下方から襲いかかる蹴りにその直後に降りかかる踵。

 それら全てが危険だとシナンの防衛本能が訴えていた。掠るな、当たるな、触れるな。どれか一つでも見落とせば確実にあの世行き。現にシナンを外した一撃は地面を砕き、木々を粉砕している。あれが人間だとしたら想像するまでもない。

 そしてウールはシナンに攻撃の機会を与えない。絶え間無い連続攻撃をしているにも拘らず自分のペースを落とさない。どころか、徐々に速度が上がってきている。もう化物と呼んだところで何の違和感も湧いてこない。

 そして何より異常なのは。


「ハハハハハハッ!! おいおい、さっきから動きが緩慢になってるぞ!! んなんじゃ、すぐに胴体が吹っ飛んじまうぜ!!」


 こんな状況下でウールはシナンに笑いながら語りかけてくる。シナンに言葉を返す余裕がないと分かった上での行動だろうが、逆に言えば彼女には未だ余裕があることを示していた。

 一方のシナンはすでに限界状態にあった。呼吸は乱りに乱れて顔には大量の汗。体中の筋肉が悲鳴をあげており、いつ動かなくなってもおかしくはない。幸いなことはここまで全ての攻撃に対処ができており、重傷といえる傷はない。

 だが、それは向こうも同じ。ウールは傷どころか呼吸すら乱れていない。敢えて言うなら戦闘に高揚しているせいか、口がよく回っている。


「やっぱ動きはいいな。んじゃ、これはどうだ!!」

「っ!?」


 後ろに傾いたのは単なる勘だった。しかしそれは命中し、次の瞬間先程までシナンがいた場所が粉塵と共に吹き飛ぶ。その余波である衝撃によって小さな体は吹き飛ばされ、後方にあった木に激突。

 短い戦闘から相手のことを理解し始めたのは何もウールだけではない。追撃がやってくるのを察知したシナンはすぐさま立ち上がろうとした瞬間、それは起こった。

 話は変わるが、シナンの剣について少し語ろう。

 シナンは速さを重視した剣士だ。動きの一つ一つにキレがあり、尚且つ無駄が少ない。速度を上げるには最小限の動きでなくてはならない。だが、この動きには速さ以外にもう一つ理由があった。それは体力の温存。無駄な動きを無くし、余計な体力を使わない。それは剣士として当たり前であるが、シナンは女だ。背丈も小さい。そんな彼女がまともに剣を振るって戦うとなれば体力をどう温存していくかは重大な問題だ。それ故にベルセルクとの修行や鍛錬によって今まで以上のスタミナをつけることに成功した。

 しかし、だ。今回の戦いはあまりにも異常で異状なもの。自分より格上の相手の本気を受け、それでも尚互角に動けていることは賞賛に値するものだ。

 だが、どんなものにも限界というものが存在する。それを超えてしまえばある種の超人的な存在になれるかもしれないが、今のシナンにそれは不可能だ。

 何故なら彼女はすでに限界を当の昔に超えてしまっていたのだから。

 考えればわかるはずだ。実力が格上の相手の動きについていける。その事実だけを見てもありえないと気づくべきだった。

 そして、限界突破には必ずリスクが伴う。

 今回のシナンの場合は、全身の筋肉が一斉に止まる、というものだった。


(なっ、ここに来て……!?)

 

 自分の体だというのに動かないという焦りが、シナンの心をかき乱す。そして驚愕と動揺。その二つが重なり合うことで隙というものは生まれる。

 それがどんなに小さなものだったとしても。例え目に見えない程の領域の隙間だったとしても。

 絶好の機会であるそれを目の前の殺人鬼が見逃すはずがない。


「もらった!!」


 一括と共に貫き破壊することに特化した拳が飛来する。その一撃を前にシナンは何もすることができない。

 避ける? 無理だ。この距離でしかもこの速さ。今更体を捻ったところでどうにもならないし、今から跳んだとしても避け切れるわけがない。

 防ぐ? 尚更不可能だ。今の今までだって全ての攻撃を避けてきた。それで精一杯だったのだ。例え完全防備の鎧や楯を所持していたとしてもそれは無意味。それら全てを破壊しながらウールの拳はシナンを捉え、砕く。

 故に結果は明らか。

 シナン・バールの死だ。


(そ、んな……)


 力の差は歴然。そんなことは分かっていた。

 経験の差は明瞭。言われてなくても理解していた。

 けれど、しかし、だけれども。

 それでもシナンはウールと戦わなかればならなかった。

 ベルセルクを助け、守るため。それも大きな要因の一つであるが、理由は他にもある。

 ベルセルクの元相棒。共に戦ってきた人物。彼女を倒さなければシナンの中にあるモヤを晴らすことができないと心のどこかで分かっていたのだ。ここ数日、ずっと悩まされたこと。シナンはそれをウールを倒すことで解消すると思っていた。

 何故なら彼女くらい強くなければ、あの人の隣に立つことなどできないのだから。

 この思いは不純なのかもしれない。そう考えながら挑んだ彼女の無謀な戦いはこうして幕を下ろすことになる。

 そう。


 ガギンッ!?


 必殺の拳が破壊の一撃によって止められるという展開によって。


「……え?」


 キョトンとした声を出しながらシナンは呆けていた。

 まず感じたのは温もり。肌から伝わるそれは他人に抱かれているような感触。それが自分の見知った人間のものだと理解するには少し時間がかかった。

 そして目の前の光景。地面や巨木すら粉砕してしまうその拳を一本の剣で受け止めていた。いや、正確には同じような威力を持った一撃で相殺した。無論、それを放ったのはシナンではない。この場に置いてそんな芸当ができる人間は一人しかいない。

 つまり。


「師匠!?」

「……、」


 シナンの声にベルセルクは何も言わない。替わりに、と言うべきか口から垂れながられる血が彼の状態が危険であることを示していた。肋骨が折れた状態で立っているのだ。それが当然であり自然な反応だろう。

 しかし、それでもベルセルクは立っている。

 剣を持ち、弟子を守るように抱き寄せ、刃の先にいる敵に向かって叫ぶ。


「俺の弟子モンを勝手に壊そうとしてんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ、このクソアマが!!」


 憤怒と激昂。火と炎が混ざり合い火炎となったようなそのどの怒号は夜の森中に響き渡る。

 そうして、殺人鬼と狂剣士の戦いは終幕へと走り出した。

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