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結論を言えば、ベルセルクは勝利した。
自らに襲いかかってくる刃を全てはねのけ、尚且つお返しと言わんばかりに敵に向かって己の剣を突き立てた。その過程で死んだ連中も何人かいる。そして、およそ半分以上の敵が負傷、または死亡した時にそれは起こった。
撤退。奴らは自分達に部が悪いと分かったためか、あるいは別の理由か。それはベルセルクの知るところではないが、とにかく奴らは死体や負傷者を抱えながら逃げていったのだった。それが証拠隠滅だということは言うまでもない。残ったのは戦いの跡と血痕だけだった。
「それで? 要約するとこういうことか? 人が表で斬り合ってる最中にあの野郎はこっそり入ってあんたを殺そうとしたが、紆余曲折あって結局は殺さず、替わりにウチの馬鹿弟子を攫っていった。そして返して欲しかったら東の森に来いと言われた、と」
その質問にギルバートが「ああ」と答えると、ベルセルクは思わずため息を吐きだした。
黒づくめを大方片付けたと思えば、屋敷の中ではドンパチをやらかした跡が残っており、そしてシナンが攫われたと聞かされた。はっきり言って最初は理解しがたい状況であった。そして今もベルセルクにはウールの行動の意味が分からない。
ウール・ヴヘジンという女はとにかく殺すことを自らの生き様のように思っている、根っからの殺人鬼だ。しかし、それはあくまで堂々と殺す、という意味であり人を攫って痛めつけて、最終的には残虐的に殺す、という手口は絶対にありえない。
ならば、何故彼女はシナンを攫ったのだろうか。
答えは簡単。ベルセルクと戦うためだ。
シナンを取り戻したいのならば、東の森に来い……こんな見え透いた誘いではあるが、しかしだからこそ彼女らしい。
「ダンナ……」
ベルセルクの耳に掠れた声が聞こえてくる。ふと横を見ると、ボロボロな状態で横たわっているリッドウェイの姿が彼の視界に入ってくる。
ベルセルクが表で戦っている時、裏でもまたリッドウェイが正体不明の男『ジャック』と戦っていたのだ。そして激しい戦闘の末、リッドウェイはジャックに敗北。命まで取られなかったものの、数日の間は絶対安静の状態にまで追い込まれた。
「行くん……ですか?」
リッドウェイはベルセルクに問うた。
その言葉に、その疑問に、ベルセルクは思考する。
ベルセルクにとってシナンという存在は何なのか。口煩い存在。やかまし馬鹿。何かと因縁をつけては自分から酒を取り上げる迷惑な少女。
そして、自分の最初の弟子。
別に弟子が欲しかったわけではない。逆に言えば、今でも迷惑だと思ってはいる。そのせいで自分もまた魔王退治という現代ではありえない旅に付き合わされているのだから。
ここでシナンを放っておけば、ベルセルクはそんな迷惑な旅から開放される。そしてまた、自分の中に足りない何かを探すためにひたすら答えが分からない戦場へと駆り出すのだろう。
ならば、どちらを選ぶのか。
そんなもの、決まっている。
「当たり前だろうが」
ベルセルクは、言葉通りそれが当然であるかのように答えた。
その言葉にリッドウェイはそれ以上何も言うことはなかった。ただ、口元が笑っていたように思えたのはベルセルクの気のせいだろう。
「おい」
つっけんどんのように声を掛けてくるアリシアにベルセルクは「ん?」と視線を移す。
「絶対アイツを連れて帰ってこい。いいな、絶対だからな!」
小さな少女の命令口調にいつもなら容赦なく一撃を食らわすベルセルクだが、今回ばかりは不敵な笑みを浮かべた。
「言われるまでもない」
*
つん、とした臭いによってシナンは目を覚ました。
目を開くとそこは闇。一瞬、未だ夢の中かと思ったが、だんだんと目が慣れてきたことによってそこがどこかの小屋だということを理解する。
そして、
「おっ、ようやく目が覚めたか?」
まるで昔馴染みに会うような気さくな言葉を交わしてくる女性の存在に気がつく。
そして、その女性というのが殺人鬼・ウールヴヘジンだということは、確認するまでもない。
瞬間、シナンは体を動かそうとするがしかし思うようにはいかなかった。それどころか、全くもって動かなかった、いや動けなかった。
今更ながらだが、シナンは自分の現状に気づく。彼女は今、小屋の柱に縄で縛られている状態だった。これでは動くことなどできはしない。
自分の状況は理解した。それでもシナンは諦めずミシミシと音を立てながらも体を動かし、どうにか縄から抜け出そうとする。
そんなシナンの姿に見かねたのか、ウールがシナンに向かって呆れたように呟く。
「暴れるだけ無駄だぞ、それ。無理に抜け出そうとするともっと絡みつくようにしてあるから」
ウールの言葉を耳で聞きながらもそれを無視するシナン。だが、彼女の言う通り、抜け出そうとするシナンに対して縄はさらに食い込んできた。そして、ようやくその行為が無駄だと理解したシナンはウールに対して睨みつける。
「おっ、いいねその目つき。敵意が篭ってて最高だ」
「これはどういうことですか!! 一体、何が目的でこんなことを……っというか、ギルバートさんはどうしんたんですか!!」
「おいおい落ち着け。よく言うだろ? そんな一気に質問されても困るって。オマエさんが事情を飲み込めるようになるために順序よく説明してやっから」
そうしてウールは近くにあった椅子をシナンの前に持ってきて、自分の腰を下ろした。背丈が小さいシナンと座ったウールの視線は同じ高さになった。が、それはシナンに対してみればどうにも腑に落ちない事柄であるのだが、しかし今ここでそれを論じても仕方ない。
「まずは、ギルバートとかいうあの貴族のことな。あれは無事だ。殺しちゃいない」
「殺してないって……」
「ちょっとした気まぐれだよ。アレに仕えてる執事やらメイドやらが煩くてな。面倒になって殺すのをやめたってわけ。まぁ、よくよく考えてみればあの貴族に関して言えばオレの勘に触るようなことはしてねぇから別に殺さなくてもよかったらからな。だから見逃した。ついでにオマエを攫ってきたのはオマエに聞きたいことがあるだけだ。それが終わればすぐにでも解放してやるよ」
「……、」
「んだよ、その疑い深い目は。信用してないな?」
「いや、信用って……」
この状況で、それは無理だろう。
そもそも気まぐれという時点でどうかしている。だが、最も気を付けるべき点は、目の前にいる女性にとってそれが当然だということだ。
きっと彼女はそういう人間なのだろう、とシナンは思う。殺すのも、生かすのもその時の気まぐれ。その後にどうなるのかとか、一切考えていない。敢えて言うならさっぱりした性格だが、しかしそれは危ういものだ。
危険を感じたシナンは自らの剣を探す。が、そこで思い出す。自分の剣は木端微塵に折られたのだ、と。
そして再認識する。
今の自分はどう見ても丸腰であり、武器を持っていないことを。
「ん? どうしたよ。今更自分がどういう状況に陥っているのか、怖くなったのか?」
「そんなわけないじゃないですか……」
「ふ~ん……ま、別にいいけど。それより、オマエにはちょっと聞きたいことがあるんだが……オマエ本当にベルセルクの弟子なわけ?」
「それは……どういう意味ですか?」
ウールの質問にシナンは顔を顰める。その言葉の意味が分からなかった。
すると、ウールは紫色の長髪を掻き毟りながら言う。
「いやな。アイツはオマエみたいな奴を弟子にするとは到底思えなくてな。だってそうだろ? オマエ、どっちかっていうとあの野郎の敵に回る性格のはずだ。確かに剣の実力はある。それは認めよう。だが自己中且つ気分屋、その上人を平気で傷つけるような最低な男だぞ? まぁ、人を平気で殺すオレが言えた義理じゃないが……そんな男をどうして師匠に選んだ?」
「……それが、貴方の聞きたいことだと?」
「その一つ、だと思ってもらえばいい。んで? 実際どうなんだよ」
「……成り行き、みたいなものです」
そう答える以外なかった。
シナンがベルセルクを師匠に選んだのは本当に成り行きだ。危ないところを助けてもらったこと、そして幼い頃にも一度助けてもらい憧れたこと。剣の実力もあり、そして自分を女扱いせず、ちゃんと一人の剣士として認めてもらったこと……理由なんて色々あるし、どれが本当なのかなど決められるわけがなかった。
しかし、ウールはシナンの言葉が気に食わなかったらしい。
「おいおい、成り行きって、オマエ……自分の剣の師匠だぞ? そんなんで決めていいのかよ」
「い、いいじゃないですか。そんなの僕の自由じゃないですか。貴方には関係ありません」
「関係ないって……あっ、さてはオマエ……」
「な、何ですか……」
ウールの目がまるで蛇のように細くなり、口元は嫌な笑みを浮かべる。何かよからぬことを考えていそうだな、とシナンが考えていると、ウールはとんでもないことを言い出した。
「オマエ、アイツのことが好きなんだろう?」
「……………………………はい?」
唐突過ぎるその言葉に、シナンは思わず疑問形で答えてしまった。あまりのことで何を質問されたのかを理解できていなかった。
冷静になり、そしてもう一度何を言われたのかを考える。
オマエ、アイツのことが好きなんだろう?
その言葉が頭の中で鳴り響いた瞬間、シナンは顔を真っ赤にし、「ち、違います!!」と大声で叫んだ。
「僕と師匠は、そんな、ふ、不埒な中ではなくて、その、あなたが考えるようなことは全く……」
「と、建前はそこまでにして、本当のところは?」
「だから、違いますって!!」
全力で抗議するシナン。しかし殺人鬼は不敵に笑うだけだった。からかっている、というのはわかっているが、しかし今のシナンにはそれを覆すだけの手段がない。
「まぁ、これは以前アイツと組んでいた人間としてのアドバイスだが……アレはやめとけ。オマエのような真面目な奴とは釣り合わねぇよ。そもそもにして、アイツは恋愛感情とかそういうのは持ち合わせちゃいねぇんだ。あいつの中にあるのは戦いのことだけ。それ以外は全部余興程度にしか感じてないわけだ。アイツを本気で好きになった奴は捨てられるか、見限るかのどっちかだ。まぁ、抱かれるのなら話は別だが……その胸じゃなぁ」
「ちょと待ってください。最後のソレはなんですか。アレですか、僕に対してのあてつけですか!! というか、何で貴方にそこまで胸のことを指摘されなきゃいけないんですか!! そりゃあ、負けてますけど、そりゃあ小さいですけど!!」
「あ、自覚はあるんだな」
言われてシナンは自分の発言の愚かしさに気づく。顔はすでに沸騰していた。
「大体ですね……って、アレ……」
瞬間、奇妙な匂いがすることに気がついた。
いつからだろうか。この悍ましく、しかしついこの前も嗅いだこのある匂い……いや、臭いは?
その時、小屋の小さな窓から月の光が入り、今まで暗かった部屋の中を明るく照らす。
そして見る。
小屋の床に散りばめられた大量の血とその上にかぶさるように倒れている無数の死体を。
「っ……!?」
声の替わりに何かが喉の奥から湧き上がってきた。両手が使えないシナンは必死にそれを吐かないようにふみとどまった。ここで吐いてしまえば、自分は負けてしまう。咄嗟にそんなことを思っていた。
何とか踏みとどまったシナンはもう一度その悲惨な状況を視覚に入れる。首をもぎ取られたようなもの、体が頭から真っ二つに分かれているもの、五体が全てバラバラにされているもの……その殺され方様々であったが、どれもこれもすでに死んでいるという点は同じであった。
シナンは奥歯を噛み締める。それはこの現状を作ったウールに対してか、それともそんな彼女に捕まっている自分に対してか。
「なんで、こんな……」
「おいおい、今更気づいたのかよ」
ウールはいつも通りの不敵な笑みで答える。
「いや~面倒臭かったぜ、こいつら殺すの。何か『もうお前は用済みだ』とか何とか言ってきて、オレの背後から襲いかかってきてよ。どうやら後ろを取ればオレをやれると思ってたらしくてな。それを返り討ちにしたら、このザマだ」
両手を広げ、肩を竦めながら、彼女は苦笑する。
「まぁ、こいつらが襲い掛かってこなくても、いずれは殺すつもりだったがな」
「……どうして、ですか?」
「どうして、ね。まぁ、色々理由はあるが、一番の理由はコイツらの目的がオレにとって気に食わないことだからだな」
あまりに抽象的な言葉であったが、ようは彼女にとって彼らは敵だから殺した。そういう話というわけだ。
それは自然なことであり、当然の行為。自分の邪魔者を排除するのは人間のさがと言っても過言ではない。
しかし、けれど、だけれども。
シナンは、そんな彼女に嫌悪の眼差しを向けていた。
「……おいおい、そんな目するなよ。これはオマエのためでもあったんだぜ? 何せ、こいつらの目的はオマエを殺すことだったんだからな」
「……え?」
その言葉に耳を疑った。彼らの目的がシナンを殺すこと? それは一体全体どういう意味なのだろうか。
呆けるシナンにウールは「やっぱりな」と呟きながら続ける。
「思ってた通りだな。オマエは何も知らないらしい。自分の身の上のことも、コイツらが何故オマエを殺しに来たのかも、そして勇者っていう存在がどういう意味を持つのかも」
「……貴方は知っているというんですか?」
「一応は。恐らくオマエ以上は勇者のことは知ってるとい思うぜ? でもまぁ、教えてやる義理はないがな」
やはりというか、当然というべきか。ウールはまともな返答をする気はないようだ。
「にしてもオマエ、やっぱアイツの弟子には向いてねぇよ。こいつはアイツと組んでいた先人としてのアドバイスだ。さっさと別の奴に乗り換えろ。人を殺すことを嫌悪している奴に、アイツの弟子は無理だ」
「……どうして、そんなこと分かるんですか」
「目を見りゃ分かる。オマエ、コイツらを殺したオレが許せないんだろう? それにさっきの戦い。敵意はあったが、殺気が全くなかった。相手を倒そうという気はあっても殺す気が全くなかったからな。あんな戦い方をするのはふざけているか、相手を殺すことを恐れているのかのどちらかだ」
ウールのいう通りだった。シナンは先ほどの戦いでウールを倒そうと必死になっていた。だが、殺そうというつもりは一切なく、そしてそれは戦いにも影響を及ぼした。シナンが放った『裂破』。本当ならあんな程度じゃ済まないはず。
つまり、シナンの「人を殺したくない」という心が力を抑え込んでいたのだ。
「別にそれが悪いとは思わねぇさ。偽善だとは思うがな。人が一番何と多く戦うか知ってるか? 同じ人だ。同類に剣を向け、同族を傷つけ、同士を殺す。そういうロクでもないのが人間だ。そしてオマエもまたその一人であり、戦場に立つ剣士。それが人を殺すことに躊躇いを感じているとあっちゃ、笑い話にもならねぇよ」
「人が人を殺すなんてことは、許されることじゃありません」
「本来なら、な。だが、オマエは今、普通じゃねぇ領域に入ってる。人が人を殺す世界に足を突っ込んでんのさ。それを理解しろよ。でねぇとオマエ、いつか同じ人間にあっさり殺されるぜ?」
「……、」
ウールの言っていることは倫理的に間違ってはいるが、正しくもあった。
剣士は斬る者。そして斬る対象はモノでり、魔物でり、そして人間も入る。シナンは今まで人を斬り殺すことが無かった。故にそれを嫌悪し、否定してきた。だが、もし相手を殺さなければならない状況になれば、どうするだろうか。人を殺したくないから自分の命を捨てる。いくら馬鹿なシナンでもそこまではしない。
しかし、それでも。
「……貴方の言ってることは分かります。もしかしたら、いつか僕も人を殺めてしまう時がくるかもしれません」
シナンは目の前いる自分と対極の存在に向かって言う。
「でも、それでも、僕は、貴方は間違ってると思います。人が人を殺すのが当たり前。それを当然だと割り切りたくない。普通だと思いたくないんです」
その言葉には確かな意思があった。
ウールは表情を変えない。その、冷酷にして冷徹な目つきをシナンに向けていた。
そして微笑とも嘲笑とも取れる笑みを浮かべる。
「はっ、言うじゃねぇか。だが、ベルセルクならそれを甘えと一刀両断すると思うぜ?」
「でしょうね。師匠はそういう人です」
「それを理解した上で、アイツの弟子でいるってわけか……面白いじゃねぇか」
瞬間、ウールはシナンに背中を向ける。
その瞳はこことは違うどこかを眺めているように見えた。
そして、何かを確信したのか。今まで以上に目を見開き、そして口元を上げる。
「……どうやらお喋りはここまでのようだ」
そしてウールは一人、小屋の出口へと足を運ばせた。
「ちょ、どこへ!?」
「何、ようやく目当ての客人が来たんでな。おもてなしをしねぇと、示しがつかねぇだろ?」
「客人って、まさか……!?」
言わずもがな、シナンにはその客人とやらが誰なのかを理解する。
そんなシナンに、ウールは最後に告げた。
「んじゃ、ここらでさよならだ。今度会う時があれば、勇者のことを色々と教えてやるよ……まぁ、もう二度と会うことはないだろうが」
「ま……」
シナンの言葉をしかしウールは最後まで聞かず、そのまま文字通り小屋から飛び出していく。
残されたシナンは、それをただ呆然と見ていることしかできなかった。




