20
大変遅くなって申し訳ありませんでした。
「ずいぶんと騒がしいわね……」
寝そべっているレイクの横に座っているシャロンが小さく呟いた。
ここはレイクの部屋。小さな部屋ではあるが、かなり整頓されており、本棚にはぎっしりと本が詰まっている。また、彼が今寝ているベットや机、椅子なども彼独特の趣向を感じさせるものだった。
シャロンの言葉はアリシアにも聞こえていた。そして、この音が一体何の音なのかも彼女には理解できた。
やってきたのだ、あの殺人鬼が。
あの異様なまでに美しく、しかし異常なまでの雰囲気を漂わす死神。アリシアはまったくの素人ではあるが、あの女性がとんでもなく強いことは分かっていた。
そして、その死神が狙っているのはあの男。
アリシアから家族を奪い、地位を奪い、権力や財産など全てを奪った挙句に人間以下の烙印を押されることになった原因。
そして、この世におけるたった一人の肉親。
「……、」
アリシアはシャロンの隣に座っている。
アリシアが全てを知っても、シャロンは変わらず、いつものように接してくれた。
シャロンにとって前当主は恩人のような人だと聞いたことがある。その恩人に対して、アリシアの両親が何をしたのかを知っていながら、アリシアに対して優しくしてくれた。
そんな彼女がこの世で一番信頼しており、そして恐らく信頼以上の感情を抱いている存在。
それがギルバートだ。
アリシアの心の中は混乱していた。
ギルバートは憎む敵。それが当然。それが正解。そのはずなのに、しかしどこかでそれを否定しようとする自分がいる。
隣で心配そうな顔をしているシャロン。そして目の前で横たわっているレイク。
彼らのような者達に信じられるギルバートは、そんなにも偉大な人間なのだろうか。
そんなことを考えていると、ドォォンッ!! という今までにない激しい音が聞こえてきた。
「っ、何!?」
突然の轟音にシャロンだけでなくアリシアも驚く。音がしてきたのは外だはなく中だ。しかも、方向からするに、おそらくは……。
「っ……!!」
「え、ちょ、アリシアっ!?」
立ち上がり、そして全速力で部屋から飛び出すアリシアを止めるためにシャロンは声を上げる。
しかし、それは無駄に終わり、アリシアはそのまま廊下を走っていった。
*
「はぁ、はぁ……」
息を切らしながらアリシアはギルバートの執務室に到着した。執務室からレイクが寝ている部屋までの距離はそれほどないはずなのだが、それは今はどうでもいい。
ゆっくりとドアに手をあて、そっと中を覗く。
見えてきたのは、すでに勝敗が決まった光景。
床に倒れているシナンとその横で平然と立っているウール。その光景だけでどちらが勝ったかなど言うまでもない。
(シナンッ……!!)
助けなければ。そう思い、ドアノブを引こうとするもしかしそれに体が応じてくれない。
どうしたのか、とアリシアは自分の手を見て、そして気づく。
自分が今、震えていることに。
「えっ……」
呆然とそして唖然として呟く。まるでどうしてそうなっているのか理解しきれないまま。
しかし、考えてみればどうということはない。彼女の目の前にいるのは世間を騒がす大量殺人鬼。脳裏に蘇るのは先日のあの惨劇。
あんなものの前にたち塞がれるほど、彼女は強くはない。
そう、彼女は強くないのだ。
腕力という力も権力という力も持ち合わせていない彼女はまさしく非力。どうしようもなく弱くて惨めな存在だ。
それは彼女自身も心の奥底では薄々気付いている。だから体は動かず、震えが止まらないのだ。
「くっ……!!」
アリシアの顔が歪む。
それは己に対しての不甲斐なさか。あるいは、ドアの向こう側にいる殺人鬼からの恐怖か。何にせよ、彼女が怯えていることには変わりない。
このままではまずい。何か行動を起こさなければ。
けれども、ここでアリシアは思う。
このまま見過ごしていれば、あの殺人鬼がギルバートを殺してくれるのでは? と。
自分から全てを奪った男。殺したいと本気で思った敵。それが今、殺されそうになっている。そんな奴を助ける道理はあるのだろうか。
救う理由などあるのだろうか。
そう思ったアリシアの耳に入ってきたのはウールとギルバートの声だった。
「いいぜ、気に入った。オマエは他の連中とはちょっと違うみたいだ。最後に言いたいことぐらいは言わせてやるよ」
「そうか……なら、一つだけ頼みがある」
一つだけの頼み。そんなものアリシアでもすぐに理解できた。
自分の命が危機的状況にさらされれば、誰だって思うことは一つであり、願うことは決まっている。
そう、それは自分の命を……。
「ここにいる俺以外の奴にはもう手を出すな。もちろんそこの奴もだ」
思考が一瞬止まった。
あまりの予想外な言動に思わずアリシアは「えっ……?」と呆けてしまう。ありえないと言わんばかりの表情を浮かべ、ギルバートの方を凝視していた。
何を言っているのだ?
一体全体、何を考えているんだ、あの男は。
自分の命を狙われているというのに。自分が今にも殺されそうになっているという状況なのに。
それでも、どうして他人の心配などするんだ。
「部下想いの貴族様なこって。自分の命はどうでもいいから他の連中の命は助けてくれってか。これはたまげた善人の鑑だな」
皮肉をこめた一言。
しかし、その一言にギルバートは苦笑しながら答える。
「善人? 俺が善人だと? それは貴様の勘違いであり思い込みだ。俺はどこからどう見てもクソッタレでどうしようもない、それこそ殺されるべきクズだ」
ギルバートの表情は真剣だった。つまり、それは本心を言っているということ。
彼は自分で自分のことを善人ではないと、クズだと自嘲したのだ。
「復讐をするために多くの人の人生を狂わせてきた。表に出せば罪になるだろうこともたくさんやってきた。力を得て血の繋がった自らの両親を追い詰めていった。苦しめて追い込んで、挙げ句の果てには病にかかりその命を奪った。そして奴らの家も、地位も、財産も、全て奪い尽くし復讐を遂げた……自分の妹が奴隷の身に成り下がってしまったことも知らずにな」
「……、」
アリシアはその言葉の一つ一つを脳裏に刻んでいく。と同時に彼の顔を見ていた。変わらず真剣ではあるが、しかしどこかやりようのない怒りが混じっていることに気がつくのにさほど時間はかからなかった。
「最初は自分に妹がいるなど知るよしもなかった。だが、それを知った時にはそんなものどうでもいいと思っていた。それは奴らの娘なのだから罰を受けて当然だと割り切っていた……だが、それは間違いだと気づいたのは奴隷市場であれを見つけた時だった」
瞬間思い出す。ギルバートと最初にあった時のことを。
鎖に繋がれ、檻に入れられ、まるで家畜同然の扱いをされながら店頭にならんでいたアリシアの前にギルバートは現れた。その毅然とした態度で貴族だと一発で分かった。
偉そうだな。それがアリシアがギルバートから感じ取ったものだった。実際、彼は偉そうな態度で自分を買い、そしてこき使った。
「もう何もかもが遅かったことは分かっている。だが、それでも俺はあれを見捨てることができなかった。これからどこぞの奴に買われ、絶望的な人生を送る……それなら俺の傍に置いていた方がいい。真実を告げず、ただ使用人と雇用主の関係性を続ける。その方があれの幸せになる。そうやって自分に言い聞かせた……だが、全ては俺の独りよがりだった」
そうだ。そのとおりだ。そんなことでお前を許すはずがないだろうが。
全てを奪っておきながらそんな都合が通るほど世の中は甘くない。
心の中で真っ黒な何かが呟いていた。何か、という抽象的な言葉ではなく、もっとはっきり言うと、アリシアの本音だ。彼女がギルバートに抱く憎しみと恨み。それは彼がどれほどの償いを行おうと、どれほどの許しを乞おうとかなうことはないだろう。
「真実を知った時、あれは俺に許さないと言った。当然だ。自分の家族を殺し、自分を奴隷にまでしたてあげた男を許す奴などどこにいる。俺はその一言に返す言葉が無かった」
確かに言った。アリシアはギルバートに対して「許さない」と言った。それはいつもの強がりなどではなく、心の底からの声だった。それは訂正するつもりもないし、これからもするつもりはない。
だが、何だろうか。今の彼を見ていると心のどこかが揺れ動く。動揺、とはまさしくこのような時に使う言葉なのだとアリシアは自覚した。
「妹を泣かせる俺は、兄失格なのだろう。元からあれには兄だと思われたことも無かっただろうが、それでもあの時、あの瞬間、俺はあれの兄では無くなった」
「んじゃ、兄じゃ無くなったオマエがどうしてあの娘の命を心配する?」
「そんなもの、決まっている」
瞬間、ギルバートは笑った。
今にも殺されそうな状況下で、まるで何かを誇るような表情で、そしてそんなものは愚問だと言わんばかりな口調で。
「俺があれの兄でなくなったとしても、あれが俺の妹だということは変わらない。これは誰が何と言おうと変わらない事実だ。例えあれが嫌がったとしても、否定したとしても、決して変えてやらない。故に俺はあれの命を守ってみせる」
断言した。
言い切った。
自分がどんなことをしても許されないと分かっていながらも、自分が兄である資格がないと言っておきながらも、彼は、あの男は、ギルバートという男はアリシアのことを自分の妹だと言った。その命を守ってみせると言い切った。
何という言い分。何という暴論。
こんな身勝手な言い分など、通用するはずがない。誰にも理解されるはずがない。だというのに、アリシアの心の中はさらなる動揺に掻き立てられていた。
「……分かった」
その言葉は死刑宣告だった。
このまま行けばギルバートは確実に殺されるだろう。ウールという女性がどういう思考をしているのかは、この前のことから考えられる。彼女は必ず殺すはずだ。何の躊躇もなく、何のためらいもなく、ギルバートの首を切り落とす。頭を潰すかもしれない。心臓をえぐり出すかもしれない。五体をバラバラにして出血死させるかもしれない。
しかし、例えどのような行為であろうと、ギルバートの死は免れられない。
アリシアは再度考える。ここで自分が出て行ったところで、何ができる? 何もできはしない。ただ、あの殺人鬼に無惨に殺されるだけだ。自分には何の力もないのだから。
それよりも、出て行かなければどうなるだろうか。ギルバートが死ぬ。そして自分は生き残る。それでいいではないか。そうすれば、復讐するべき相手は殺される。何も間違ったことではない。そのはずだ。
けれど……本当にそれでいいのだろうか。
目の前にいる人間を見殺しにする。それはどんな言い訳をしようと最低な行為だ。例えそれが憎むべき相手であったとしても同じのはず。綺麗事? そうかもしれない。これは甘く、優しい綺麗事だ。本当の世間というのは苦く、厳しく、汚いことばかり。それを体験してきたアリシアが言うのだ。間違いがない。
けれど、と彼女は思う。そんなものを目の辺りにしたからこそ、綺麗事を目指してしまうのではないか、と。
ふと、アリシアは床に倒れているシナンを見た。彼女とは一週間程度の付き合いであった。だが、そんな短い間でも彼女が正義感に溢れる正直ものだということをアリシアは理解していた。そして思う。きっと彼女が自分の立場なら……と。
(人を階級で判断しない、か……やっぱりお前は馬鹿な奴だよ、シナン)
そして
「私もどうやらその馬鹿の一人らしい」
呟くアリシア。その表情には少しだけ笑みが浮かんでいることに、彼女自身は気づいているのだろうか。
そして、ウールが殺意と敬意のこもった一撃を放とうとした瞬間、彼女は言う。
「待てっ……!!」
大きな声ではっきりと。意思のある一言で。
そうして少女は前へと進む。
*
「よう……久しぶりだな、嬢ちゃん。元気にしてたか?」
そう呼びかけるウールの視線の先にいたのは、紛れもなくあの少女だった。
元貴族でありながら全てを奪われ、奴隷という身分まで落とされた少女。そしてウールが殺そうとしている男の妹。
そんな彼女はウールを前にして立っている。
そのヒシヒシと伝わってくる視線には確かな敵意があった。まぁ、殺意がないのは子ども故か、それとも殺したくないのか。そんなことはウールの知るところではない。
ただ、一つ言える事がある。
この少女は今、ウールの前に立ちはだかっているということだ。
「何をしにきた、部屋に戻っていろ!!」
「うるさい、黙れ!! お前のいうことなんぞ、聞くわけないだろう!!」
「なっ、貴様今がどういう状況なのか分かっているのか!!」
「分かっている!! こんな状況誰がどう見たって理解できる!! っというより、人の心配をする前に自分の心配をしろ、この馬鹿!!」
何という言い分。仮にもギルバートは彼女の主人だというのに、その主人に向かってこの反抗態度。それだけ彼女のプライドが高いということか。
しかしどうしてだろうか。そんな彼女たちの会話を見ていると何故だか笑いがこみ上げてくる。
「大体、何なんだお前は。人の家族を滅茶苦茶にして、全部奪って、挙句に奴隷にまでさせて……なのに自分の傍に置いておくとか、意味が分からない。冷酷非道な人間かと思っていたら、自分の命よりも部下の方を取るお人良し。全くもって意味が分からない。挙句に何だ? 私の兄ではなくなったが、妹には変わりないって矛盾にも程があるだろうが!!」
その言葉でウールは理解する。
この少女は先ほどの会話を聞いていたのだ、と。
自分の家も、地位も、財産も、全て奪い尽くし、あげく人権すらも踏みにじった男の後悔の話。それを彼女はその耳で聞いたのだ。
一体、彼女は今、どんな気持ちなのだろうか。
今まで恨むべき対象だった人間の後悔。それを知ってしまったがための混乱。恐らくは彼女の心は今までにない混沌の渦と化しているだろう。
そして、そんな状態で彼女はウールの前へと姿を現した。
多くの人間の命を奪ってきた、通りすがりの殺人鬼。その前に姿を出すという行為がいかに勇気があることなのか。ウールには分からない。分からないが、それでも生半可な気持ちではできないということは理解できる。
だからこそ、理解できないこともある。
「おい、嬢ちゃん」
「っ!?」
声をかけた瞬間にアリシアの体がビクッと震える。やはり、勇気はあっても恐怖は消えていないらしい。
「オマエさん、どうして今出てきた? オレに殺されるかもしれないってのは、分かってんだろうな?」
そうだ。例えウールが女や子どもを殺すことがあまり好きではないとしても、絶対に殺さないということはない。現に今まで多くの人間を殺してきた中で女や子どももその中に入っている。
そして、それは言わなくても彼女には理解できているはずなのだ。
ウールはギルバートを指差し、続けて言う。
「確か、オマエさんの両親はコイツに潰されたんだったよな? んでもってオマエさんが奴隷になっちまった理由もコイツのせいだったとか。だったら、別にコイツがどうなっても構わない……いや、むしろ殺されてほしいと思ってんじゃねぇのか?」
それが当然。それが自然。そのはずなのだ。
アリシアにとってギルバートは親の仇であり、自分を奴隷にした原因だ。そんな人間を許すことなど到底できはしない。殺すだけでも飽き足らないはずなのだ。
あのまま放っておけば、ウールはギルバートを確実に殺していた。にも拘わらず、彼女は待てと声を上げた。そこには明確にウールの邪魔をする意思があったことは間違いない。
恨むべき存在を彼女は助けたのだ。
それが、ウールにはどうしても分からない。
「……らない」
「あぁ?」
「そんなこと、分からない」
そう、言ったのだ。
憎い相手が殺されそうになっている。自分の命が危うくなるかもしれない。だというのに、彼女は止めた。けれどもその理由は分からないというのだ。
絶好の機会だったはずだ。これ以上無いチャンスのはずだ。
それでも……それでも彼女は分からない気持ちを抱えたまま、答えがでないままに行動したのだ。
「そいつは……確かに両親を死に追い込んだ張本人だ。殺したと言ってもいい。そして私から全てを奪った存在だ。ああ、そうさ、私はそいつが憎い。殺してやりたいほど憎い。恐らく一生許すことなどないだろう。それだけのことをそいつはしたんだ」
けれど、
「私の憎しみが増すほど、私は理解した。ああ、そいつも私と同様だったんだ、と。私の両親がそいつの父親にした時、そいつは私の両親を憎んだ。今の私と同じように。それを私は理解してしまったんだ……」
同じ境遇に立たされたからこそ、気づくこともある。
誰の言葉だったか、あるいは誰も言っていないかもしれないが、しかしその言葉は正しいのだろう。
その証拠に目の前にいる少女は、憎むべき相手の心をこのように理解することができたのだから。
「許したわけじゃない。憎んでないわけでもない。だけど……そいつが死んだところで何も変わらないことは事実だ。いや、そうじゃないな……そいつが死ねば確実にシャロンやレイクが悲しむ。そんなもの、私は見たくない」
「だから、オレの邪魔をする、と? 何というか、大雑把な理由だな」
「ふん、何を今更。それに私がそいつを助ける大前提がもう一つある」
「何?」
ウールは首を傾げる。
目の前にいる少女がギルバートを助ける理由。それも大前提となるものがあるというのだ。けれどもウールにはそれが全く分からない。
恨み、そして憎むべき相手を助ける理由。それは一体……。
「そいつは私の兄だ。妹が兄を助ける理由なんて、必要あるのか?」
はっきりと、アリシアという少女は言い放った。
何の迷いもなく、何の躊躇もなく、彼女は断言したのだ。
自分を不幸にした原因である男を、自分の兄であると。
その突拍子もない言動にウールは動揺していた。
故にだろうか。
「よくぞ言いました」
その声がするまで、ウールは自分の後ろに第三者がいることに気づくことができなかった。
「っ!?」
振り返ると同時に視界へと入ってきたのは何の変哲もない杖。しかし、その杖の先端はウールの顔面目掛けて突き出され、まるで凶器のように襲ってきた。
ウールは首を曲げ、紙一重でそれを避け、そして後ろへとバックステップを踏む。
誰だ? そう疑問に思ったウールは顔を上げ自分の後ろを取った人間を確認する。
「やぁ~、おしかったですねぇ。あともうちょっとだったのに」
飄々とした態度、銀色の髪、右は青みがかった色の瞳ともう一方は眼帯をしている左目の執事。
「……オマエがレイクってやつか」
「おやおや、ワタシをご存知でしたか」
「ああ、一応な。だが妙だな。オマエは確かジャックにやられて数日はベットの上だって話だったが?」
「ええまぁ、確かにワタシは彼に胸を貫かれたおかげで怪我を負いましたが、生憎と他の人とは体のつくりが違うので。それに……自分の主人が危険な目にあっているというのに、ベットの上で眠っていられるとでも?」
キザに決めているワリには体はボロボロなのは服の上からでも分かる。悠々としている表情にもどこか影が見えるのがその証拠だ。
「ギルバート様!!」
声を荒げながらシャロンが部屋に入ってきた。そしてギルバートの元へと一気に駆け寄る。
「シャロン、お前まで……」
「すみません。けれど、私も貴方に仕える者の一人。黙ってみているわけにはいきません」
言うとシャロンと呼ばれるメイドはウールの方へと顔を向ける。それと同時にウールはまるで知り合いにでも話しかけるようなトーンで言う。
「また、オマエさんか。全く、懲りない奴だな」
「そちらこそ。貴方が何度来ようと私は貴方の前に立ちます。この方の盾にだってなります。私には力がない。ベルセルクさんやシナンさんのような剣術もレイクのような身体能力もない。けれど、貴方の邪魔くらいならできる」
力強い一言だった。
その一言には確かな覚悟と想いがあった。故にそれがただのパフォーマンスでないことも理解できる。
「……ソイツがどんな人間なのか、知っての行動か?」
「ええ。知っています」
「知った上で、オレに立ちはだかるってわけか」
「その通りです」
即答だった。つまりそれは迷いがないということの表れである。
これは参った状況だ。こんなにも馬鹿が揃っているとは予想外であり、想定外だ。全くもって馬鹿らしい。
けれど、ウールは気づいていない。そんな状況になっているというにも拘わらず、自分の表情がニヤけていることに。
「ずいぶんと主人思いな奴らが揃ってんな。羨ましい限りだぜ」
言うとウールは動き出す。一同は攻撃をしかけてくると思ったのだろうが、それはハズレだ。
ウールは背を向けながら床に倒れているシナンを担ぎ上げた。その瞬間、アリシアが大声でそれを止めようとする。
「なっ、何をしている!?」
「何って戦利品の持ち帰りだよ。そこの貴族を殺し損ねたんだ。持ち帰りぐらい見逃してもらっても構わねぇだろ?」
「殺し損ねたって……え?」
きょとん、としたのはアリシアだけではない。ギルバートもシャロンも、あのレイクですら驚きを隠せていない。目を見開き、信じられないといわんばかりの表情を浮かべている。
そんな彼らに追い討ちをかけるように、ウールは断言する。
「そのままの意味だ。オレはそこの貴族にオマエ以外の奴は殺さないと言った。だが、オマエらはそこの主を守るといった。これじゃあオレが約束を破ることになる。それは駄目だ。オレは望みを聞いてやると言った相手の言葉は必ず実行すると決めてるんでな。それをこんなところで曲げるつもりはねぇよ」
面倒くさそうにウールは言う。
だが、やはりというべきか、ギルバート達は未だに信じられないらしい。まぁ、無理もないか。これから戦う気満々だったのだ。それをこうもあっさり解決されてしまえば、その反応も理解できないことはない。
ウールは呆けているギルバートに向かって言う。
「幸運だったなギルバート・ヴィ・ディスカビル。他人は大事にしろ、とよく言うがまぁこれからも部下は大切にするこった。そうすりゃ、オレにまた目をつけられる心配もないだろうからな」
だが、とウールは続ける。
「オマエがもし貴族としてオレの癇に障るようなことをすればオレは再びオマエの前に現れて今度こそオマエの命を貰う。それだけは覚えておけ」
「……、」
ギルバートは何も言わない。何も応えない。
だが、目を見れば分かる。そんなことはしないと、彼は語っていた。
それを見て、ウールは不敵な笑みを浮かべた。
「さて、オレはこれで帰る。ベルセルクにはコイツの命が欲しけりゃ東の森に来いと伝えてくれ」
それじゃあな、とウールは言うとそのまま彼女は走り去っていく。
待て、という言葉を一応出すアリシアだったが、当然のことながらウールは待たずそのまま行ってしまう。
後には静寂が全てを支配していた。
こうして、嵐のようにやってきた殺し屋は突風の如く消え去ったのだった。