5
夕日が沈み、外から見える街は、夜の姿を現していた。
「……、」
「……、」
「……、」
部屋には、どんよりとした重苦しい空気が流れていた。誰一人口を開かず、まるで時間だけが過ぎていくようだった。
それもそのはず。何せシナン・バールの正体が、まさか女だったとは思いもしなかったのだ。それがベルセルクがシナンの胸を触ったと言う、何とも気まずい状況下で分かったというのも原因の一つだろう。
そして、何よりも、ベルセルクの右頬が、シナンの拳のせいでパンパンに腫れていると言う事だ。
「……おい、リッドウェイ」
「へ、へい!!」
突然呼ばれて、リッドウェイは立ち上がる。
見ると、相当不機嫌なベルセルクの顔が、そこにはあった。
「何か喋れ。そして、この空気を何とかしろ」
「なんという無茶振り!? そんな難易度高い事あっしにはでき」
「早くしろ」
鋭い目つきが、リッドウェイの体を震わせる。
やばい、逆らえば確実にやられる……そう思ったリッドウェイは仕方なく、シナンに話を聞いてみることにした。
「あ、あの~、シナンちゃん? どうして、君は、男の振りなんかしてたのかな~?」
超片言だった。感情のかの字も入っていない。
椅子に座っていたシナンは、目線を下に向けて、リッドウェイの質問に答えようとしなかった。
沈黙がまた続く。
まずい、とリッドウェイは直感した。顔を殴られて、怒っているベルセルクにこれ以上不愉快な思いをさせれば、火山が噴火するのは見えている。
どうにかしなければ、と思考をめぐっていると。
「……僕は、快く選ばれた勇者じゃないんです」
ようやくシナンが口を開いた。
「快く、選ばれた勇者じゃない……? それってどういう事?」
首を傾げるリッドウェイ。ベルセルクは不機嫌な顔をしたまま、その話を聞いた。
「通常、前の勇者が死んだら、次の勇者は勇者の証である『聖剣』に選ばれるんです」
勇者が死んだというのはどうやって分かるのか、と聞くとどうやら王宮にある聖剣が光り続けていると勇者はまだ生きているらしい。そして、その光がなくなった時、勇者は死んだ、という事になるらしい。
「で、普通は人選された人達が、聖剣に選ばれるはずだったんです。聖剣は強い人間を選ぶらしくて、毎回それで決まってたんです。でも、今回は何故か人選された人達の誰一人として聖剣に選ばれなかったんです。困った上の人達は、何とかして勇者を決めようと、国中のあらゆる剣士に片っ端から聖剣を握らせていったんです」
「それは……なんとも難儀な話ですな」
リッドウェイは苦笑した。
国中の剣士を片っ端から調べるとは、それはどれだけ気の遠くなる話だろうか。
「実際、勇者探しは難航したそうです。何せ、『アスタトラル』には、何万という剣士がいますから」
勇者国、『アスタトラル』。勇者を毎回輩出している国だ。
勇者を輩出するためには、それなりに整った環境がいる。故に、かの国は剣士が大勢いる、とシナンは言う。
より優れた剣士は王宮へと呼ばれ、聖剣に選ばれるため、さらなる訓練を受けるらしい。これが先程言った、人選された人達だ。
「なるほどな。お前はその勇者探しに引っかかったって訳か」
ここで、今まで黙っていたベルセルクが、話に介入してきた。
「いえ。僕が勇者だって分かったのは、本当に偶然です。何せ、僕、その時は剣士じゃありませんでしたから。というか、勇者になるまで、剣なんて握った事ありませんでした」
なっ、とベルセルクは言葉を詰まらせた。
勇者になるまで、剣なんて握った事ありませんでした
荒削りとはいえ、あれだけの速さがある剣裁きを持っている人間が、勇者になるまで剣を握った事がないとは、少し驚いた。
「そもそも、僕はただの花売りの街娘でして」
「花売り?」
「姉が作ってるんです。結構評判も良くて、繁盛してました」
「その花売りのお前と聖剣がどうやったら繋がるんだ?」
「そこはですね……」
とシナンは淡々と説明していった。
それは、一年ほど前の話だったらしい。
いつものように、花を売っていたシナンは、目の前にあるギルドの館に止まった馬車に惹かれてしまったのだ。それは豪華でいかにも貴族様が乗ってますよと言わんばかりの代物で、シナンに興味を持たせた。一般人のシナンにしてみれば、こんなものを目にする事が少なかった。
思わず、近づいて中を見ると、そこには一本の剣が放置されていた。放置、といってもちゃんと綺麗に置かれてある状態だった。
剣には全く詳しくないシナンであってもその剣がただの剣ではないことくらいは理解できた。まぁ、自分には関係のないものだ、と思ってその場を立ち去ろうとした時。
いきなり、剣が光ったのだ。
突然の事に驚いて、腰を抜かしたシナン。一体、何が起こったのかと思っていたら、館からぞろぞろと兵士が出てきた。ああ、これはヤバイとすぐさま理解し、その場から離れようとしたのだが、生憎とその時には今のような力はなく、あっという間に兵士達に拘束されてしまったのだ。
うわぁ、どうなるんだろう、とシナンが呻いている中、お偉い方達が何やらヒソヒソと話し合っていた。
そして、そのまま王宮へ連れて行かれ、訳も分からず勇者に選ばれたのだ。
後の説明で分かった事だが、その時光った剣こそが、聖剣だったらしく、シナンはその聖剣に選ばれたらしかった。
「それで、王様と対面したり、勇者の説明をされたり、魔王を退治してくれって頼まれたりしたんです」
「それで、お前は了承したって訳だな?」
「流石に王様の頼みは断れませんよ。それに、あれは了承しないといろいろと厄介な事になってたと思いますし」
なるほど、確かにそうだろう。ようやく見つけた勇者に「行きません」と断られたら、探していたほうの身としては、たまったもんじゃないはずだ。断ったら脅迫したり、金をちらつかせたりして、強引な行動に出ていたかもしれない。どこの国でもそれは変わらない。
「お前が勇者になった経緯は大体分かった。だが、リッドウェイの質問はこうだったはずだ。どうしてお前は男装なんかしてたってな」
ベルセルクが言うと、シナンはまたもや顔を曇らせた。
どうやらあまり言いたくない事らしい。
最初の空気に近い沈黙が、数拍流れた。
「……貴方は、勇者はどんな人だと思いますか・」
突然の問いに、ベルセルクは眉を顰めた。
「どんなって……普通は、二十そこそこの男じゃねぇのか?」
「そう。男です。皆が勇者と聞けば、大体は男だと想像します。事実、今まで勇者をしてきた人たちはみんな男で、選ばれた人達だって全員男でした。でも、今回に限って僕が選ばれた。男ではなく、女である僕が」
「……、」
ベルセルクが何も言わないので、シナンは続ける。
「女は剣を持ってはいけない。そんな決まり事はありません。けれど、みんなどこかで思ってるんです。男より弱い女が剣を持つなんて、非常識だって。そういった思考の持ち主が、王宮には山ほどいました」
そんな中で、彼女は選ばれた。
国から人選された奴らを抜いて、男でもなく、ましてや大人でもない彼女が。
それは、周囲の者達にすれば、面白くないかもしれない。いや、人選された奴らにしてみれば、恨みの対象になるだろう。今まで努力してきたのにも関わらず、自分達でなく、あんな小娘が選ばれるなんて、と。
女剣士など世界中を探せば、どこにだっている。その中には男よりも遥かに上の実力を持つ者だっている。
だが、どんなに強い女剣士がいてもこの言葉は付き纏ってくるだろう。
女のくせに。
いつの時代でも、女性が男を抜こうとする度に吐き出される言葉。世界に貧富の差が無くならないのと同じで、男女差別もいつまでたっても無くならないのだ。
「僕は剣をまともに持った事無くて、いつも周りを失望させてました。こんな奴に任せて良いのかって声は、毎日のように聞こえてましたよ……そのせいで、僕は髪を切って、男装するはめになりました」
失望する。それは、一体どういう事だ? とベルセルクは疑問に思う。
勇者になるまで剣を握った事もない奴がそうそう強くなれるはずがない。どれだけ強い奴でも最初は弱かったはずだ。弱いからこそ強くなろうとし、毎日の鍛錬が積み重なって初めて人は強くなれる。ベルセルクだってそうだった。筋が良いとは言われていたが、今のような破壊力は持ってなかったし、剣捌きだってロクに出来なかった。
このシナンにしたってそうだ。彼女は一年前に初めて剣を持ったと言った。それにしてはあの剣捌きは中々のものだった。恐らく素質があるのだろう。だからと言って、それを勇者という基準で、他人が勝手に測定して、勝手に失望する。
呆れた話だ。
「多分、僕は誰からも信用されてないと思います。王様からも、王宮にいる人達からも、そして、世界中の人達からも」
シナンはか細い声で苦笑しながら言う。
確かに、世界中の人間はもはや勇者という存在を信じてはいないだろう。いや、もしかしたら忘れているのかもしれない。
ならば、このシナンという少女が勇者をやる意味はあるのだろうか?
人々からも必要とされていない勇者をどうして、この少女がやらなければならないのか?
聖剣に選ばれたから?
たったそれだけの理由で、この少女は苦しまなければならないのだろうか。
「……だから、決めたんです」
ふと、シナンは明るい顔になった。
それは、まるで人形の笑顔だった。無理矢理作った笑顔。そう例えるのが一番だった。
「僕は強くなるって。強くなって強くなって、魔王を本当に倒せば、みんな認めてくれるはずだって……」
それが、どんなに困難な道のりか、この少女が一番分かっているのだろう。
魔王を倒す。それは、今までの勇者が誰一人として成し遂げられなかった事である。ましてや、彼女は剣を持ってまだ日が浅い。素質があるからと言って、魔王に勝てるほどの強さを持ってはいない。
それでも、彼女はその道を行くのだろう。
誰からも期待されていない勇者。これほど滑稽なものがあるだろうか。
ベルセルクは滑稽を通り越して、怒りすら覚えるほどだった。
「強くなる、か……だから、ダンナの所に弟子入りをしようとしたわけですね?」
コクン、とうつむきながら、首を縦に振る。
「そうですか……いやぁ、そんな事があったとは知りませんでしたわ。まぁ何はともあれ、無事『弟子入り』が出来たんだから、良かったじゃないですか」
…………。
…………。
…………は?
その言葉を聞いて、シナンはおろか、ベルセルクまできょとんとしていた。
先ほどまでのシリアスな空気がいきなり壊れた。
「おい、リッドウェイ。そりゃどういう事だ?」
「え? いや、だってさっきの勝負、シナンちゃんの勝ちでしょ?」
「どこがだ!? どう見ても、俺の勝ちに決まってんだろ」
「だって、ダンナ言ったじゃないですか。『お前が俺に一撃でも決めればお前の勝ち』って」
「だからどうした。俺は一度もこいつの一撃を受けてねぇぞ」
「何言ってんですか。決めたじゃないですか。最後に飛びっきりの拳」
ベルセルクはうっと唸る。
「……あれは、拳だ。剣じゃない」
「何であろうと一撃は一撃です。それにダンナ、剣以外の攻撃は一撃にいれない、だなんて一言も言ってないでしょう?」
あっとベルセルクは思い出す。
確かに、言っていない。
「だ、だがな……」
「それとも何ですか? 『狂剣』ベルセルクともあろう者が、自分の言った事すら守れないんですか? それはそれで、評判が下がるな~。ああ、どうしよ?」
どうしよ? とわざげに困った振りをするリッドウェイ。いつもなら、ここで鉄拳制裁が下されるわけなのだが、今日ばかりはそうもいかなかった。
確かに、自分の言った事を曲げるというのは、どうかと思う。ベルセルクは出来の良い人間とはほど遠いが、言った事を守らないほど、野暮な性格でもない。
「……あの」
すると、シナンが困ったような顔でこちらを向いていた。
「騙した後にこんな事を言うのは筋違いだって言うのは分かってます。けど、僕はどうしてもつよくなりたいんです。強くなって、誰もが認めてくれるような勇者になりたいんです。だから……お願いします。僕を弟子にしてください!!」
深々と頭を下げる、シナン。
それを見て、ベルセルクはいかにも面倒臭そうなため息を吐いた。
「……勝手にしろ」
短い答え。
しかし、それは肯定という意味のものだった
「はい!!」
シナンはこれまでにない満面の笑みをあらわした。それは、ただの普通の女の子が、ただ無償に喜んでいるような姿に見えた。
肘を突き、不機嫌そうな顔をしているベルセルクの隣には、ニヤニヤと笑い面白がっているリッドウェイがいた。
それを見て、何だかイラついやベルセルクは。
とりあえず、一発殴る事にした。