19
ぐったりとなったシナンを床に置くとウールはふぅ、と息を吐いた。
正直な所、本当に驚いた。ベルセルクの弟子とは聞いていたとは言え、まさか『裂破』や『裂風』を使ってくるとは想定外だった。ベルセルクが教えたのか、はたまた独学なのかは定かではないが、完成度はそれ程高くはない。
しかし、ウールを驚かせ、隙を作る絶好のモノだった。実際に一撃を喰らう寸前まで追い詰められたのは確かだ。もしももう少し完成度が高ければまともに食らっていたかもしれない。
「全く……油断したぜ」
ウールはシナン・バールという人間を確実に下と見ていた。自分よりも弱いと勝手に決め付けていた。事実、シナンはウールより弱かった。しかし、それはウールを基準としたものであり、普通の人間にしたら大したものであろう。
こんな小さな存在に一瞬でも危機を感じ取った。
それはウールが油断しすぎていたせいか、それともシナンという人間の実力か……いや、今回はその両方というべきだろう。
(ベルセルクの奴もまた変な奴を見つけたもんだなぁ……)
気絶するシナンの横顔を見ながら、そんな事をウールは思っていた。
何はともあれ『目的』の一つは達成したわけだ。
ならば、やるべきことは決まっている。
残った目的をさっさと終わらせることだ。
「……おい」
唐突にウールを呼びかける声がした。誰だ、などとは思わない。ここにいるのはウールとシナン、それからもう一人だけなのだから。
「そいつを殺したのか?」
淡々とそう訊いてくるのはウールの標的、ギルバートだった。
ウールはギルバートの問いに面倒臭そうに答える。
「見て分からないか? 気絶させただけだっつーの。こいつには色々と訊きたいことがあるからな。まっ、その後どうするかは決めてねぇが」
それは生かすも殺すも自分だということだが、しかしギルバートという人間は。
「そうか……」
そう呟くだけだった。
しかし、ウールはその声音にはどこか安堵したようなものを感じ取れる。
とはいえ、ギルバートが安堵したところで、シナンの事を気に掛けた程度でやることが変わることはない。
「んじゃ、さっさと用事を済ませるとしますか」
ウールは体をギルバートの方へと向いた。そして、ムッとした表情になる。
ウールは自分が殺人鬼だという自覚がある。そして、そんな奴を目の前にした貴族はみんな怯え、震え、恐怖することも知っている。
だが、目の前の男はどうだ?
毅然とした態度で堂々とウールを見ている。逃げるでもなく、助けを呼ぶでもなく、はたまた命乞いをするでもなく、彼はただそこに立っていた。まるで全てを受け入れるかのように。
解せない、とウールは思う。
「……何のつもりだ?」
不意にウールはそんなことを質問した。
「何のつもり、とは?」
「オマエはどうしてそんな落ち着いてんだって訊いてんだよ。こういう時は普通、逃げるか助けを呼ぶもんだろ?」
「おいおい、大量殺人鬼を前にして逃げられる程、俺の運動神経は良くなし、助けを呼ぼうにもその助けとやらは貴様が今、叩き伏せてしまった。ならば俺に選択肢は残されていない」
「だから自分が死ぬことを受け入れるってか。貴族の中にもこんなに諦めの良い奴がいるとはな」
ウールが殺してきた貴族は、みんなクソな連中だった。
金をやるから命だけは助けてくれ、私に手を出せばどうなるのか分かっているのか。そんなことしか言えない本当にくだらない者達ばかりだった。
それ故か。このように潔く死を待ち受ける目の前の男に対して、ウールは新鮮さと面白さを感じた。
「いいぜ、気に入った。オマエは他の連中とはちょっと違うみたいだ。最後に言いたいことぐらいは言わせてやるよ」
「そうか……なら、一つだけ頼みがある」
「命乞い以外なら」
釘を刺すようなウールの言葉にギルバートは首を左右に振る。まるで、そんなことなど端から望んでいないと言わんばかりに。
「ここにいる俺以外の奴にはもう手を出すな。もちろんそこの奴もだ」
真剣な表情のギルバートの言葉にウールはほぉ、と感心した声をあげる。
「部下想いの貴族様なこって。自分の命はどうでもいいから他の連中の命は助けてくれってか。これはたまげた善人の鑑だな」
皮肉の篭ったウールの言葉にしかしギルバートは苦笑する。
「善人? 俺が善人だと? それは貴様の勘違いであり思い込みだ。俺はどこからどう見てもクソッタレでどうしようもない、それこそ殺されるべきクズだ」
ギルバートは依然と変わらない態度でウールに言う。
「復讐をするために多くの人の人生を狂わせてきた。表に出せば罪になるだろうこともたくさんやってきた。力を得て血の繋がった自らの両親を追い詰めていった。苦しめて追い込んで、挙げ句の果てには病にかかりその命を奪った。そして奴らの家も、地位も、財産も、全て奪い尽くし復讐を遂げた……自分の妹が奴隷の身に成り下がってしまったことも知らずにな」
「……、」
ウールは何も言わない。
正直、ウールはギルバートとアリシアのことを事細かくは知らない。ギルバートが奴隷であるアリシアを買った。それだけのことくらいだ。けれども、こうやって彼女に語りかけるギルバートの姿は、誰かに自らの懺悔を聞いて欲しいもののように視える。
ウールにしてみれば話の半分も理解できるか分からない。もしかしたらどうでもいいことなのかもしれない。
けれども彼女は何も言わない。
黙って自分の話を聞くウールにに、ギルバートは話を続ける。
「最初は自分に妹がいるなど知るよしもなかった。だが、それを知った時にはそんなものどうでもいいと思っていた。それは奴らの娘なのだから罰を受けて当然だと割り切っていた……だが、それは間違いだと気づいたのは奴隷市場であれを見つけた時だった」
そこにいたのは、まるで全てに絶望しきったたった一人の少女の成れの果てだった。
何の理由も知らず、そして何の罪もないにもかかわらず、彼女は檻に入れられ鎖につながれていた少女。
それを見た瞬間、ギルバートは己がやってしまったことにようやく理解することができた。
自分はこんなことがしたかったわけではない。
自分はこんなことなど望んではない。
自らの罪に苛まれた彼は、自由を失われた少女を多額の金額で買った。それは彼にとって自分の罪を買った瞬間でもある。
「もう何もかもが遅かったことは分かっている。だが、それでも俺はあれを見捨てることができなかった。これからどこぞの奴に買われ、絶望的な人生を送る……それなら俺の傍に置いていた方がいい。真実を告げず、ただ使用人と雇用主の関係性を続ける。その方があれの幸せになる。そうやって自分に言い聞かせた……だが、全ては俺の独りよがりだった」
ギルバートの表情、そして声音からウールは思う。
結局の所、ギルバートは許されたかったのかもしれない。
自分がしでかしたことに対して、どうにか逃げ出したかったのかもしれない。
だからアリシアには真実を告げず、尚且つ赤の他人のフリをし続けた。そうすることで、自分の罪が無かったことにしようと。
だが、ウールは知っていた。
世界というのはそんなに優しくも甘くもない。残酷で厳しいものだということを。
「真実を知った時、あれは俺に許さないと言った。当然だ。自分の家族を殺し、自分を奴隷にまでしたてあげた男を許す奴などどこにいる。俺はその一言に返す言葉が無かった」
厳しく、そして痛い一言。彼の顔を見る限り、その言葉がギルバートの心をどれだけ揺さぶったのかが見受けられる。
「妹を泣かせる俺は、兄失格なのだろう。元からあれには兄だと思われたことも無かっただろうが、それでもあの時、あの瞬間、俺はあれの兄では無くなった」
「んじゃ、兄じゃ無くなったオマエがどうしてあの娘の命を心配する?」
「そんなもの、決まっている」
そう言って、ギルバートは微笑しながら告げる。
まるで、そんなものは愚問だと言わんばかりに。
「俺があれの兄でなくなったとしても、あれが俺の妹だということは変わらない。これは誰が何と言おうと変わらない事実だ。例えあれが嫌がったとしても、否定したとしても、決して変えてやらない。故に俺はあれの命を守ってみせる」
断言した。
何の迷いもなく、何の躊躇もなく、何の不安もなく彼は言い放った。
そこにいたのはたった一人の貴族であり男。
けれども、紛れもなく『兄』という存在でもあった。
「……分かった」
ウールは了承した。
そして、思考を改める。
目の前にいる男は、腐った金持ち貴族などではない。
殺人鬼・ウールヴヘジンと対等に並べられる存在だと。
ウールは自らの拳に力を入れた。
この男を半端な一撃で殺すことは彼女の信条が許さない。自分と対等の位置に立つものにはそれ相応の殺し方がある。
苦しめたりなどしない。
その死を無残なものになどさせはしない。
ただ一撃。その一回で全てを終わらす。
異常なことだというのはウール自身も理解している。けれども、殺すことしかやってこなかった彼女にしれみればこれ以上ない敬いの示し方なのだ。
そして、ウールが殺意と敬意のこもった一撃を放とうとした瞬間、
「待てっ……!!」
その一言がウールの拳をギルバートの顔面直前の位置で急停止させた。
この声をウールは知っていた。知っていたがために拳を止めたのだ。
ウールはゆっくりと後ろを振り返る。そして、そこにいたのは……。
「よう……久しぶりだな、嬢ちゃん。元気にしてたか?」
ウールに敵意ある目つきで睨むアリシアの姿があった。