15
状況は一変したと言っても過言ではないだろう。
ようやくアシリアが帰ってきたと思ったら、その姿は蒼白としたものだった。泣きじゃくる彼女を宥め、何があったのかを問いただした。
そして、レイクが襲われた事を知った一同は騒然とした。
その一同の中に、もちろんベルセルクも入っている。
あのレイクが、自分をあんなにも追い詰めた男が負傷するなど、正直考えられなかったのだ。実際、彼が屋敷に運ばれてくるまで、ベルセルクは信じていなかった。
まさかウールが? そう疑問に思ったベルセルクだったが、アリシアの話からしてどうやらレイクをやったのは男であり、治療をしたのもまたその男だという。
何だその意味不明な展開は、と思ったが事実レイクの傷口は中途半端に閉じきっていた。まるで、命は奪わずに戦闘ができないように。
ウールがやったことではない。しかし、彼女が関わっているのは確実だ。
レイクという駒を失ってしまった今、こちら戦力は大幅に下がった。それが目的とするのならば、敵の作戦は成功したと言えよう。
いよいよ後には引けなくなった。
しかし、だからどうしたというのだ。
元々、レイクがいようがいまいが、ベルセルクにとってはどうでも良い話だ。彼のやることは変わらない。
ウール・ヴヘジンと戦い、そして殺す。
それだけだ。
*
「一人で十分って……どういうことですか、師匠」
静かに尋ねるシナン。
今、ベルセルク達は客間にいた。隣の部屋では負傷し意識不明のレイクが眠っており、その傍でアリシアとシャロンが看病している。
ギルバートはというと、一人で執務室に篭っている。狙われている人間を一人にするのはどうかと思うかもしれないが、ここから執務室はとても近いため、何かあればすぐに分かる。
シナンの一言にベルセルクは面倒くさそうに答えた。
「そのままの意味だ。恐らくヤツは正面から堂々とやってくるはずだ。それを迎撃するのは、俺一人で十分だ。お前はここでギルバートを護衛してろ」
「でも、それじゃあ師匠が危険な目に遭うじゃないですか」
「テメェと違って俺は経験豊富なんだよ、馬鹿弟子。っというか、今この場にいる連中の中であの殺人鬼とやりあえるのは俺一人だと思うが?」
言われてシナンは黙った。
「……リッドウェイ」
「へい」
「お前は一応、裏の方を見とけ。あの執事をやった奴がウールでない以上、今回はヤツの単独犯じゃねぇ可能性もある」
「あの人が、集団攻撃をしかけてくる、と?」
「分からん。少なくとも、俺の知っているあいつならそんなことはしない。だが、事実執事は別の奴にやられている。しかも、かなり強い。恐らく玄人だな。可能性がある以上、用心に越したことはない」
「了解しやした」
と了承するリッドウェイだったが。
「ちょっと待ってください」
シナンが待ったを掛ける。
「どうして僕じゃなくてリッドウェイさんなんですか? それこそ、僕の方が……」
「今回はお前よりリッドウェイの方が適任だからだ。それ以上の理由はない」
「……つまり、師匠は僕が足手まといだと言いたい訳ですか」
ベルセルクの言葉に、シナンは彼を睨み付けながら反論する。
それはいつもの彼女らしくなかった。どことなく、変だと感じたのはベルセルクの気のせいだろうか。
しかし、それでもベルセルクの返答は変わらない。
「そういうことになるな」
冷たく言い放つベルセルクに、シナンは怒ったように返す。
「確かに僕は師匠よりは強くないかもしれません。でも、僕だってそれなりに強くはなりました。魔人だって倒したこともあります。それは師匠も言ってたじゃないですか」
「ああ、確かにそうだな。だが、それはお前一人の功績じゃないってことも理解しているよな」
「分かってます。けど、一人よりも大勢の方がいいってことは師匠も知っているはずです。なのにどうして一人で戦うなんて言うんですか?」
「そんなもん知ったことか。俺の気分だ」
何とも身勝手かつ強引な言葉だった。
いつもならここでシナンは呆れて何も言わずに黙りこんでしまう。この人には何を言っても無駄だということを再認識するのだ。
しかし、それはあくまでいつもの話。
「……本当にそんな理由ですか?」
ふと、顔を俯かせながらシナンは呟く。
「……何?」
シナンの言葉に眉を顰めるベルセルク。今日の彼女は何だか妙な気がする。やけに食い下がってきていると感じるのは気のせいではないはずだ。
「僕が足手まといだから? 気分の問題? 本当は違うんじゃないんですか」
「……何が言いたい」
低い声で、ベルセルクは問いを投げかける。
今の彼から放たれているのは、敵意だ。いつもは敵に向けられるそのピリピリした空気が、今シナンの体に集中する。
その威圧にシナンは一瞬体を震わせたが、しかしその口は止まらない。ここまできたのだ、ならば最後まで言うのが筋というものだ。
「し……師匠は、本当はあの人と戦いたいだけなんじゃないんですか? だから、僕が邪魔なんじゃないんですか?」
言った。言ってしまった。
その瞬間、そこにいた誰もがそう思っただろう。リッドウェイに至っては「あっちゃ……」と思わず声を漏らしていた。
ベルセルクは何も言わずに、シナンを見ていた。
真っ直ぐな瞳をシナンは向けてきている。そこには迷いや恐れといったものも含まれてはいるが、はっきりとした強い意志を感じる。
その質問が悪ふざけや冗談ではないことをベルセルクは理解した。
「……勝手に解釈しろ」
それだけだった。
ベルセルクは怒るでも叱るでも反論するでもなく、ただそれだけの言葉をシナンに返した。
ベルセルクの返答を聞いたシナンは無言でその場を立ち去った。
バタンッ!! と閉められたドアを見つめながらリッドウェイはベルセルクに尋ねる。
「いいんですかい、ダンナ」
「何のことだ」
「それ、言わなきゃいけませんかね?」
「……、」
珍しく強気なリッドウェイにベルセルクは無言だった。
「シナンちゃん、ここのところ何か様子がおかしいの分かってました?」
「様子が、おかしい?」
「へい。何というか、落ち着きがないというか、冷静じゃないっていうか……よくため息を吐いてるんですよ」
そうだったのか、とベルセルクは心の中で呟く。ウールとの戦いのことで頭がいっぱいだったためか、シナンの変化に気づかなかった。
「恐らく原因は、ウルでしょうね。ダンナが昔、あの人と組んでいたと知った時から様子がおかしくなってやしたから」
「ちょっと待て。そこでどうしてウルが出てくるんだ?」
「自分の師匠が殺人鬼と組んでいた……それが彼女にはショックだったんじゃないでしょうかねぇ」
それは……十分にありえる話だった。
シナンは正義感が人一倍強い奴だ。そんな奴ならベルセルクが……自分が師匠と言っている人物が昔は殺人鬼と組んでいたと聞かされれば、ショックを受けても仕方のないことなのかもしれない。
「まぁ……実際はそれだけじゃないとは思いやすけど」
「? 何か言ったか?」
「いえ、別に何も。それより、これからどうするんです?」
「さっきも言ったはずだ。俺が正面、お前は裏で迎え撃つ」
「……ダンナ、まさかとは思いやすが、本当にウルとの戦いを楽しみにしているじゃないですよね?」
「楽しみじゃない、と言えば嘘になるな」
ベルセルクの言葉に、リッドウェイはええ~といった顔つきになる。
「だが……今回のあいつは何か変だ」
「変、といいますと、レイクさんのことですか?」
「恐らくレイクを襲ったのは奴が邪魔だからだろう。だが、奴自身が手を出さないってのがどうにも腑に落ちない。誰かに何かを任す。あいつはそんな奴じゃあない。やるなら自分の手でやる。そういう考えの持ち主だ」
「確かにそうですねぇ……」
腕を組みながらリッドウェイは呟く。
ウールは誰かに何かを頼むなんてことはあまりしない。それはリッドウェイも知っていることだ。実際彼女はしなくてもいいことまでしてしまう性格の持ち主。厄介ごとや余計なことまでしてしまうため、その後片付けをしていたリッドウェイにとっては迷惑この上ないことだった。そして、それは全て彼女自身がやらかしていた。
だが、今回は違う。金髪碧眼の青年。それが彼女の代役としてレイクを襲った。その事実が、今回の彼女の行動がベルセルクにどこか変だと感じさせたのだろう。
「用心ってほどじゃないが、何かあると考えた方がいいだろう。それが何かが分からん以上、こちらの戦力を全てあいつに投入するのは得策じゃあない。それに、下手にシナンをあいつと戦わせたら何が起こるかわからんからな」
なるほど~、と首を何度も縦に振るリッドウェイ。意外にも今回のベルセルクは考えているのだと理解したような顔つきだった。
しかし、そこでん? とリッドウェイの心の中で一つの疑問が浮上した。
「ダンナ……もしかしてシナンちゃんが心配で、あんなことを……?」
「くだらないこと言ってないで、お前も持ち場にさっさと行け」
言いながら、ベルセルクはリッドウェイに足蹴りを食らわせる。「ぎゃふん!」と声を漏らしたリッドウェイはそのまま尻を抑えながら自分の持ち場へと向かった。
何を言い出すかと思えば……ベルセルクは呆れた。
自分が人の心配? ありえない。自分はそういう人間ではないということをベルセルクは一番良く理解している。
ベルセルクは事実を言ったまでだ。本当に今、ウールとの戦いにシナンを巻き込んでしまえば、取り返しのつかないことになってしまう。そういう相手なのだ。
それに、シナンにあんな風なことを言ったのはそれだけではない。
『し……師匠は、本当はあの人と戦いたいだけなんじゃないんですか?』
シナンに言われた一言が、ベルセルクの脳裏に蘇る。
「……ったく、くだらねぇ」
そう吐き捨てながら、ベルセルク自身も自分の持ち場へと向かった。
*
すでに日は落ち、辺りは闇が支配する夜になっていた。
正面の門の手前の所でベルセルクは上を見上げる。空には雲が一つもなかった。そのため、月や星がこれぞと言わんばかりに光を放ってる。月に至ってはまん丸な満月である。暗殺には不向きな状況。こんな夜に、こんな状況で、人を暗殺しにくる暗殺者などいないだろう。
それでもベルセルクは確信していた。ウールは必ず来る、と。
ベルセルクは自分は愚か者だという自覚はある。それに対してウールは狂っているのだ。
彼女に普通や常識は通用しない。そういったものを一つ残らず壊し、潰し、突き進む。故に彼女の行動は予測ができない。
人質がいるのにもかかわらず攻撃の手を止めない。交渉なども一切通用しない。まさしく歩く殺人鬼。
自分の目的のためなら躊躇などしらない。
例えそれが大貴族と言われている奴であっても、一国の王であったとしてもそれは変わらない。
もう一度言う。ベルセルクの知っている彼女なら、ウール・ヴヘジンという人間ならば何があったとしてもこの正面からやってくる。そう信じきっていた。
故にだろうか。
明らかに彼女のではない気配を無数に感じながら違和感を覚えたのは。
「……、」
ベルセルクは周りを見渡す。視界には何も入ってこない。ただし、気配は感じる。確実に誰かがいる気配だ。それも一つや二つ程度ではなく、最低でも十以上。どいつもこいつもそれ相応な殺気と威圧を醸し出しながらベルセルクを威嚇している。
だがしかし、その気配の中にベルセルクがよく知る人物のものはなかった。
顔をしかめっ面にしながらもベルセルクが周りを警戒していると、ふと彼の前に数人の人物が現れる。
それは“影”だった。
黒マントで全身を覆いかぶさっており、顔もフードをしていてよく見えない。しかし、ベルセルクが気になったのは彼らが同じような気配を持っており、それがどことなく陰気臭いのだ。
目の前にいるようでいない、故に“影”。
「……一度だけ訊く……誰だお前ら」
「貴様が知る必要はない」
ベルセルクの問いに、“影”達は一言でばっさりと切った。
ベルセルクは「そうか……」と呟きながら、剣を抜く。
「なら、潰すまでだ」
こいつらに語ることなど何もない。何が起こっているのか。ウールはどうしたのか。そんなことを訊いたところで大した答えが返ってくるわけがないとわかりきっていたからだ。
ならばどうするか?
答えは簡単。ただ、ここにいる全員を斬って、潰して、殺すだけだ。
「いくぞ」
一言。
そのたった一言によって、ベルセルクと“影”達の戦闘は始まった。