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勇者の師匠  作者: 新嶋紀陽
第三章
54/74

14

 溢れ出す大量の血を目の前にして、アリシアは呆然としている。

 何だ、これは。

 アリシアは目の前の現状が信じられずにいた。

 レイクの胸から出ている血。その原因を作っているのは、一本の“腕”だ。そう、腕が槍や剣のようにレイクの胸を背中から貫いているのだ。

 そんな状態だというのに、レイクはゆっくりと後ろに首を曲げる。それは、自分を貫いている人間を見るためだったのだろう。

 そしてその正体を見た瞬間、レイクは驚愕する。

 あのレイクが、だ。


「アナタは……ジャック……ッ!?」

「やぁ、レイク。久しぶりだね。こうして会うのは何年ぶりだろう? 最後にあったのは……そう、騎士団が壊滅した時以来だね。いやぁ、ホントに久しぶりだ」


 短い金髪、翡翠色の瞳でメガネを掛けているその青年――ジャックは、笑顔でそんなことを言う。レイクの胸を貫いたままで、だ。

 異常で異状なその事態。

 体が震える。言葉が出ない。

 ありえない状況に、アリシアはただただその状況を見ることしかできなくなっていた。


「どう、して……?」

「それは、ボクがここにいることかな? それとも、この状況のことかな? まぁ、その状態だと喋るのが辛そうだからボクが勝手に答えるよ」


 ジャックは悠々とした態度で答えていく。


「ボクがここにいる理由は知人がこの国に来ていてね。仕事を頼んだんだけど、いつまで経っても帰ってこないから様子を見に来たんだ。そして、この状況のことだけどその知人に頼まれてね。キミを戦闘不能状態にしてくれって。全く、人使いの荒い人だよ、彼女は」


 彼女、という言葉から連想される人物は、アリシアにとって一人しか思い浮かばない。

 ウール・ヴヘジン。あの殺人鬼だ。

 彼女が何が目的でジャックにレイクを襲わせたのか。ジャックとはどのような関係なのか。いろいろな疑問はあるが、アリシアは衝撃的な光景を見ているためか、口が動かない。


「それにしても、本当に甘くなったね。以前のキミならボクの気配なんかすぐに察知していたはずだけど……さっきのキミ、滅茶苦茶隙だらけだったよ? いや、別に甘くなったことを悪く言ってるわけじゃない。何せ、昔のキミは誰も寄せ付けない一匹狼だったからね。友達ができないのでは、という疑惑がボクの悩みの一つになっていたんだが、どうやらその心配はないようだ。こんな小さなお嬢さんがいるんだしね。いやはや丸くなって何よりだよ」

「ジャ……ッ、ク……」

「ん……? ああ、悪い悪い。ついつい昔を思い出していて、忘れていたよ。そうだね、この状況だと喋りづらいのは当然だ」


 言いながら、ジャックはレイクの体から、自分の腕を引き抜く。


「ぶっ、はぁ……!」


 引き抜かれたショックによって、レイクは口から血反吐を出しながら地面へと倒れる。レイクのこんな姿は初めてだった。

 倒れ伏せる彼の傍にジャックは膝を折り曲げる。そして出血している場所に手をかざした。何かをする気だ。

 止めなくては、と思ったアリシアがそこでようやく声を出すことができた。


「や、やめろ!!」


 アリシアの言葉に、ピクッとジャックの手が反応する。

 澄ました顔でジャックはアリシアの方を向く。

 レイクを背後から一撃で瀕死の状態に追いやった男。怖くないわけがない。

 だが、それでもここで引くわけにはいかなかった。


「そ、その男から離れろ!! 離れないと、その……ひどいぞ!!」


 支離滅裂、そして意味不明な言動。

 だがしかし、そこには確かに彼女の意思があり、決意があった。

 その男に何もするな。そう彼女は言いたかったのだ。

 アリシアの意図が通じたかどうかは分からない。だが、ジャックはアシリアの顔を、目を見ながらニコリと笑いながら言う。


「安心したまえ。これ以上彼に傷を負わせるつもりはない。ボクがするのは、ただの治療だよ」

「ち、りょう……?」


 治療……それは傷を治すという意味で使われる言葉である。

 目の前にいる男はレイクの胸を貫いたというのに、それの治療を行うというのだ。

 何なんだ、その矛盾な行為は。

 アリシアが頭で色々と考えている内に、ジャックはレイクの傷口に手をかざした。すると、妙な光が彼の手から発せらる。それのおかげかどうかは定かではないが、見てみるとレイクの傷が徐々にではあるが、治っていっているのだ。


「急所は外しておいた。まぁ、数日はまともに動けないだろうが……死にはしないよ。この程度で死んでしまうんだったら、彼はとっくの昔にあの世に行っているからね」

「よく、言いますね……人にこんなことをしておきながら……」

「それについては謝罪しよう。けれどもこちらにも色々と事情があってね。キミがいると彼女の目的の支障になってしまうからね。戦力は一つでも多く割いていた方がより効率的だろう?」


 尤もな正論だ。

 ジャックはそのままレイクの治療をし続けた。不思議で不可解な現象にアリシアは口出しをしない。何はどうあれ、今目の前にいる男はレイクの傷を癒しているのは事実。邪魔をすれば、レイクの傷口が開きっぱなしになるのは明白だった。それ故に邪魔をせず、じっと見ていた。

 そして数分後、ふぅ、と息を吐きながらジャックはレイクから手をどけた。どうやら彼の治療とやらは終わったらしい。

 しかし、未だにレイクの顔から苦痛は消えない。恐らく傷口を閉じただけであり、痛みそのものは取り除いてはいないらしい。

 殺しはしないが、戦闘不能の状態にする。それがジャックの目論見なのだろう。


「さて、お嬢さん」


 突然とジャックはアリシアに話かける。

 アリシアは警戒心を働かせながらジャックの言葉に耳を貸した。


「キミは今、混乱している中、こんな疑問を抱いている。いきなり現れて知ったか風に喋っているお前は誰なんだ、と。それは至極当然で真っ当な疑問だ。この状況でその疑問を抱かない人間などいないだろう……けれど、残念なことにボクの正体は明かすことはできない。ボクがどこの誰なのか、それを知ってしまえばキミは確実に不幸になってしまうからね。ボクはキミのような可憐で健気な少女を不幸な道へと導きたくはないんだ。故に、レイクに色々と詮索はしないように」


 分かったね? と念を押すジャック。その言葉にアリシアは黙って頷き了承した。

 彼の正体が気にならないのか。その問いにアリシアは否と答えるだろう。いきなり現れて、知り合いに血反吐を吐かせたと思ったら、次は治療をし始める。そんな無茶苦茶な人間が何者なのか、それを知る権利がアリシアにはあった。

 けれど、彼女の本能が詮索はするな、と訴えている。

 ここから先は、自分が踏み入れてはいけない領域だ。一歩でも入れば、二度と戻ってこれれない。彼女は今、境界線の手前にいるのだ。この光景は、その場所から見える一時の幻のようなものだ。

 目の前にいる人間は、自分のような者が関われるような存在ではないということをアリシアは直感で見抜いた。


「ああ、そうだ。可愛いお嬢さん、伝言頼めるかな?」

「でん、ごん……?」

「今日、ウルがキミの主とやらを殺しに行くらしい。とは言っても、本来の目的はキミの主ではなく、キミの主を護るあの『狂剣』に変わってしまっていると思うのだけれど……まぁ、そんなことは置いといて、とにかくそれを伝えておいてくれ」

「……どうしてだ?」

「うん?」

「どうして、そんな事をわざわざ言い残すんだ? 殺しが目的ならこっそり来るのが当たり前だろう?」


 自然な疑問。当然の発言。

 アリシアのいかにもな言葉に、しかしてジャックは不敵に笑いながら答える。


「彼女は殺し屋ではあるが、暗殺者ではない。陰から闇夜に紛れて殺すのではなく、真正面から堂々と敵をなぎ払う。どうしようもなく馬鹿げていて、けれども誰にもそれを止めることはできない。故に彼女は忍ばないし、隠れもしない。相手に殺しにいくことを伝えるのが、彼女の流儀のようなものなのさ。ま、ボクには理解できないけどね」


 呆れた顔でジャックは語る。しかし、その表情には呆れているだけでなく、どことなく誇らしそうに感じるのはどうしてだろうか。


「それじゃあ、ボクはこの辺で失礼するとしよう。さようなら、可愛いお嬢さん。恐らくキミとはもう二度と会うことはないだろうけどね」


 立ち上がり、そしてスタスタとどこかへと歩いていくジャック。その後ろ姿をみながら、アリシアは何もしない。何もできない。

 ただ、その後ろ姿を見ることしかできなかった。

 まるで風のように現れた男は、そのまま風のようにいなくなった。


 *


「よう、二枚目。ごくろうさんだったな」


 人通りの少ない下町の路地裏。

 昼間だというのに、どことなく暗闇がそこら中を支配しているそんな場所でジャックは声を掛けられる。


「ごうろうさん、じゃないよウル。全く、人使いが荒い荒いとは思っていたが、まさかここまでとは思っていなかったよ」

「おうおう、オマエにしては珍しくご機嫌斜めだな」

「昔の知り合いの胸を貫いて、気分の良いわけがないだろう。キミじゃあるまいし」

「ハハッ、違ぇねぇ」


 ジャックの皮肉をウルは全く取り合わない。まぁ、彼女とはそれなりに付き合いはあるので、この程度でどうにもならないことは知っていた。


「それにしても、こんな事をキミが頼むとはまた珍しいこともあったものだ」

「あん? そりゃあ、どういう意味だ?」

「別にボクでなくとも、キミならこれくらいのことやってのけるだろう?」

「確かにな……だが、オレは手加減とかが苦手なんだよ。ちみちみしたことが大好きなオマエと違って、オレがやっちまうと間違えてホントに殺しちまうかもしれないからな」


 ああ確かに、とジャックは心の内で納得してしまう自分がいることに気づく。手加減なんて言葉、彼女には似つかわしくないものだ。


「……それで? これからどうするつもりなんだい?」

「どうするも何も、そんなもん決まってんじゃねぇか。いつも通りだよ、いつも通り」

「いつも通り、ね。それじゃあ訊くけど、どうして単独行動大好きなキミが、『あの国』の連中と手を組んだのかな? そこの所の理由を是非訊きたいんだけど?」


 言われて、ウールは首を傾げる。その後、何かを思い出したかのように、「ああー……」と呟いた。どうやら、完全に忘れていたようだ。 


「アイツらのことか。別にそんなに大きな意味はない。ただ、確かめたいことがあるからヤツラの手を借りる。それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。たったそれだけの理由だ」


 それだけの理由。

 それがなんなのか、ジャックは知らない。ただ分かっているのは、面倒な事が嫌いな彼女が、その理由とやらのためにこんな回りくどいことをしているということだ。

 いつも通り、と彼女は言った。そんなわけない。こんなこと、いつもの彼女なら絶対にしないことだ。

 相手は貴族。それは変わらない。もし、違った所があるとしたら、それはたった一つ。

 あの『狂剣』ベルセルクだ。


「……キミがそこまで固執するとはね。それだけ、彼はキミにとって特別な人間なのかな?」

「特別、ね。確かにある意味ではその言葉は的を射ているよ。オレより強い人間なんて、そこら中にいる。だが、オレを満足させられるのは、あの男しかいない。何故かと問われても、そんなもの知ったことか。ただ、オレの本能がそうだと言っている。それだけの理由があれば十分だ」


 本能のままに動く。それはまるで獣のような思考ではあるが、しかし彼女らしい意見でもあった。何とも馬鹿げた理由で、それでも彼女はそんな理由で今までの困難を乗り越え、数多の敵を殺し尽くしてここにいる。

 ならば、それに反論することなどできるはずがないではないか。


「はぁ……仕方ないね。全くもって仕方のない、どうしようもない、ダメな人だよ、キミは」

「うるせぇ。っつか、“人間じゃねぇ”オマエに言われても説得力の欠片もねぇぞ」


 それはそうか、とジャックは苦笑しながら心の中で肯定する。


「さて……そろそろ準備に取り掛かるか」

「準備? キミの殺しに準備なんて必要なのかな?」

「スタミナ回復だよ」

「……つまりは、食事がしたい、と。今夜にも人を殺そうとしている人間の台詞じゃないね」

「知るかよ。今夜は恐らくとんでもないパーティになるんだ。腹ごしらえするのは当然だろうが」


 不敵に笑うウールに、ジャックは苦笑しながら了承した。

 そうして二人は腹ごしらえのために歩き出し、路地裏からいなくなっていった。

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