12
コツコツと歩いてくるその音は、何故だかとてつもない程の威圧感を感じた。
ギルバートは、いつもと変わった所はない。いつも通りの黒服、黒帽子。見た目は何一つとして変わってはいないのだ。
にも関わらず、今の彼は、普段の、ベルセルク一同がここにきてから見てきたギルバートではなかった。
「全く、ここには入るなと言っておいたはずなんだが……そもそも、何故鍵を持たない貴様らがここに入ることができたんだ?」
ギルバートはチラリ、とリッドウェイを見る。リッドウェイ本人はというと、あさっての方向を見ながら口笛をふいていた。あれで誤魔化せると本気で思っているのだろうか?
はぁ、というため息が聞こえた。言うまでもなく、それはギルバートのため息だった。
「いろいろ言いたいことはあるがそれは後にしよう、どうやら、何か言いたそうな奴がいるようだしな」
それが誰かなど、言うまでもなかった。
アリシアは、とてつもなく険しい顔で怒声を放つ。
「どういうことだ!! 何故母の肖像画がこんな所にある!? 貴様、母とはどういう関係だ!! 答えろ!!」
アリシアの叫びに近い言葉。
それに対して、しかしてギルバートは冷静に答える。
「何、そんなに複雑な話ではないさ。この女は、貴様の母親でもあるが俺の母親でもある。そういうことだ」
「な……に……?」
信じられないと言わんばかりの表情をするアリシア。
しかし、そんな彼女にギルバートは死の宣告を言い渡すように次々と話を続ける。
「まだ分からないか? 俺と貴様は兄妹だと言っている」
「ぁ……」
追い討ちを掛ける一言に、アリシアはまともに返事をすることはおろか、言葉を発するのもできない状態になっていた。
そんな彼女の代わりにシナンが質問をする。
「貴方と彼女が兄妹って……でも、彼女は……」
「別の貴族の娘、と言いたいのだろう? まぁ、不思議に思うのも無理はない。なにせ、そこに描かれている女のせいで色々と複雑な話になってしまったからな」
ギルバートはゆっくり歩きながらシナン達を横切る。そして、肖像画の前へと立ち、見上げていた。
その視線は、母親を見るようなそんな目ではなかった。
憎むべき相手……復讐をするべき者へ向けるようなものである。
「この女……ルヴィア・レモナードは俺の父、アルモンド・ヴィ・ディスカビルに嫁いできた女だった。所謂政略結婚とやらでな。貴族社会じゃあ珍しくも何ともない話だ。だが、父はルヴィアを愛していた。例え他人に決められた縁談でも、例えその女に愛されなくても、例え……女に利用されていると分かっていても」
ぐいっとギルバートは握りこぶしを作る。それは、怒りの象徴のようにシナンには見えた。
「ルヴィアには他に好きな男がいた。俺の父よりも上の位に位置しており、この国の中枢にいた男だ。当時、ディスカビル家は、貴族の中でも民衆寄りな意見を出していた。故に、貴族中心のこの国、とくに中枢の人間にしてみれば、邪魔者以外の何者でもなかった。そんな中、ルヴィアとその男は恋仲になり、ルヴィアはその男のために俺の父の弱みを提供した。そのせいで父は失脚、権力や財力を失った」
民衆寄りだったから消される。悲しい事実ではあるが、貴族の中ではよくあることだ。こんな事は偏見と言われるかもしれないが、貴族というのは、金の亡者であり、庶民の事など考えてなどいない。ただ、自分達が楽をするための道具程度にしか認識していないだろう。
しかし、その妻が内通しているとは、いやはや、そのルヴィアという女はよほどその高官を好いていたのか。
「それからというもの、父は病に倒れた。俺や屋敷の者が父の看病をしていたが、父は一向によくならなく、最後にはベットから出ることすらできなくなった状態になった。そんな中で、あの女は何をしてたと思う? 自分の好きな男の所に出入りし、父はそっちのけ。挙句、残った財産を根こそぎ奪うような事をやっていった。俺にはもう、あんなのはただの悪魔にしか見えなかった」
「……、」
アリシアは何かを言いたい。言い返したい。自分の母が罵られ、汚されている。故に、そんな事はない、嘘だと言い放ちたい。
しかし、それはできない。
ギルバートの意気込みは、それだけ凄まじかったのだ。
「父の死期が迫った時、あいつはこの家を出ようとした。もうその時は俺はあの女に何の希望も持っていなかった。出て行くのなら、さっさと出て行け。それだけの感情しか出てこなかった……だが、あの女は俺を連れ出そうとした。そして、俺にこう言った。『貴方の本当の父親は別にいる。だから一緒に来なさい』とな」
その言葉に、え? と首を傾げたシナン。それは……それは、つまり一体どういうことだ?
疑問を抱いていたのはシナンだけではない。リッドウェイもしかめっ面な顔になっており、シナンと同じ疑問を抱いていたのが分かる。
しかし、当の本人であるギルバートは平然とした顔付きで話ていく。
「あの女に言われる前から薄々は気づいていた。父は黄金のような金髪、生みの親であるあの女は朱色の髪。そんな二人の間に、どうして黒髪の俺が生まれることができたのか。答えは簡単。どちらかが本当の親ではないということだ。故に、俺はその事実を押し付けれた時もそれ程衝撃はなかった」
だが、とギルバートは続ける。
「俺は耳を疑った。そんな事実を突きつけられるという事以前に、この女は自分の夫を本気で見捨てようとしていたのだということにな。いくら政略結婚とは言え、夫婦の仲になったんだぞ? にも関わらず、あいつは……あの女は自分の幸せのために、父を裏切った……」
ギルバートの声音がどんどんと低くなっていく。それは、彼の怒りがどんどんと膨れ上がっている証拠でもあるのだろう。
「女はよく言う。自分だって人間だ。だから、自分の幸せを望んで何が悪い、と……。ああ、確かにその通りだ。女だって人間だし、幸せを望むことだって当然の権利だ。だが……だからと言って誰かを裏切っていいという理由にも言い訳にもならない。特に、自分を信じている者を裏切る事など、死に値する行為だ。その一線をあの女は超えたしまった。あの瞬間から、俺は母親は死んだものと考えてきた」
「……、」
「しかし……父はあの女のしたことを知って、俺に言った。すまない、と。怒るでも憎むでも憤慨するでもなく、あの人は俺に向かってすまないと言った。自分のせいでお前にも辛い目に合わせてしまったと」
拳を握るギルバート。それは怒りを意味していた。
シナンはふとアリシアを見た。すると、彼女の体が震えていることに気がついた。当然だ。自分の母親がやってきた所業を聞かされて、何の反応も示さない奴などいない。
「父は厳しい人だった。あまり笑顔を見せない人だった。不器用で、愛情の表現の仕方が分からなかった人だった。だが、俺のことを本当に心から大切にしていた。例え、俺が本当の息子じゃないと知っていてもくても!! それでも、俺を愛してくれた!! 俺からしてみれば、本当の父親などどうでもいい。アルモンド・ヴィ・ディスカビルこそが、俺の父だ」
そんな父親を裏切り、見捨てたあの女が許せない。
それが、ギルバートの言い分……いや、本心だった。
アリシアには悪いが、確かにそんな事をされてしまってはギルバートがそこまで憎むのも仕方のないことなのだろう。ギルバートがここまで信頼し、そして愛していた父親を裏切り、追い詰めた張本人ともなれば尚更だ。
「ここで質問だ。アリシア」
「……何だ」
「貴様を買ったのが単なる偶然だと思うか?」
「……?」
その言葉に、シナンは悪い予感を感じた。
何か……何かよからぬことをギルバートは口にしそうだ。
けれど、シナンには何もできない。彼の口を封じる事も、やめさせることもできない。赤の他人で、当事者ではないシナンには、何も言う資格がない。
「貴様を買ったのは偶然でもなんでもない。何せ、貴様を奴隷にしたのは、この俺なのだからな」
「……そ、れは……どういう……」
「何、簡単な話だ。貴様の家を潰したのは俺だという意味だ」
何度目かの衝撃が走る。
先程から色々と衝撃的な事を言われているが、今の言葉はそれ以上のものだった。
「この家を継いだとき時から、俺は復讐を誓った。貴様の家を……父をこんな風に殺したあの貴族を完膚無きまでに潰すと。そのために俺は長い間、貴族との関係を作り、奴らに近づいた。そして、父にしたように俺は奴らの弱みを握り、それを利用し、奴らを潰した。貴族として生きていけいないように、徹底的にな。そのおかげで、奴らの権利、財産、土地、名誉、その全てを潰す事ができた。まぁ……父と同じ様に病死するのは計算外だったが、それはそれでざまぁみ……」
ドガッ、という鈍い音がする。
それは、アリシアがギルバートに殴りかかったものだった。
ギルバートはそのまま倒れ、その上にアリシアが馬乗りをした状態に乗りかかった。
そして、ギルバートの顔目掛けて拳を振るう。
「貴様が……貴様が、貴様が、貴様が、貴様がぁぁぁああああ!!」
アリシアにはもはやシナン達は見えていない。
今の彼女は、目の前にいる敵にただ咆哮するだけの復讐者だった。
殴りかかるアリシア。しかし、所詮は小さな少女の拳。ギルバートは楽々とその拳を自分の手で止めた。
暴れる彼女に、ギルバートは問う。
「……俺が憎いか? 貴様の両親を、家を、幸せな暮らしを、人間としての権利を奪い、踏みにじり、潰したこの俺が」
「くっ、ぅぅううう!!」
「……いいだろう。だが、貴様の胸に刻み込め。同じような事を、貴様らの両親は俺達にやったのだということな」
言われて、アリシアは動きを止める。
それを機に、ギルバートはアリシアに言い放つ。
「憎むなら、俺を憎め。怒るのなら、俺に怒れ。呪うのなら、俺を呪え。俺はそれだけの事をしたのだということは理解している。故に、貴様に何をされようがそれを受け入れよう。だが、これも覚えておけ。俺は自分がやったことを何一つ後悔していない。例えそれが、自分の両親を死に追いやったということでもな」
何も言えなかった。
シナンやリッドウェイにはもう何も言えなかった。
当事者とか、関係ないからとか、そういうものではない。ギルバートは本気で後悔していないのだ。復讐をしたことを、自分の両親を死に追いやったことを。彼は何一つとして悔やんでいない。
そんな人間に、何を言えばいいのだろうか。
ギルバートのした事はいい事とは言えない。はっきり言ってしまえば、犯罪だ。だが、彼がしたことに共感できないこともない。いや、正面切って否定することができない。シナンだって、同じような事になれば、それこそギルバートと同じ事をしていたのかもしれない。
そして、それはアリシアも同じなのだろう。
アリシアは何も言わない。言えない。
彼女はギルバートの手を払い除け、ゆっくりと彼の上から自分の体をどける。そして、ギルバートはすぐさま立ち上がった。
「……許さない」
アリシアは小さく呟く。しかし、それはこの場にいる全員に聞こえた。
そして……。
「絶対に……許さない……」
彼女が涙を流しているということも。
それだけ言うと、アリシアはどこかへと走り去っていった。
「まっ……」
待って、とシナンは言おうとしたが、言えなかった。
自分にそれを言う資格があるのか……その疑問が彼女の頭を過ぎったためである。今の彼女はとても辛く、そして大変な事実を突きつけられたのだ。
アリシアの姿は、とても哀しく、そして悲しいものだった。そんな彼女に、シナンは待ってという一言が言えなかった。
リッドウェイも同じ様に難しい顔をしながら、その場に立っていた。
そして、アリシアをあんな状態にさせたギルバートは大きなため息を吐いた。
「……いるのだろう? レイク」
「ええ、ここにいますよ」
いつからいたのか、レイクは出口から姿を現した。
「呼び戻しに行ってやれ」
「それは、アナタの役目では……?」
「……俺が行ったとしても、アレは戻ってこない。貴様の方が適任だ」
「適任だとしても、今回の場合はアナタがやるべきことなのではないでしょうかねぇ?」
「……主の言うことが聞けないのか?」
言われて、レイクははいはい、と呆れた口調で返した。
「全く……やっぱりアナタはあの方の息子ですね。親子揃って世話が焼ける」
「……すまない」
「いいですよ。これも仕事ですからねー……シナンさん」
「は、はい」
「ワタシが留守の間、我が主をよろしくお願いします。ワタシはあの娘を呼び戻してきますので」
そう言ってレイクは早速アリシアを呼び戻しに行こうとしたとき。
「あの、レイクさん」
「? はい」
「アリシアちゃんは……戻ってきますよね?」
不安げなシナンの言葉に、レイクはいつもどおりの笑顔で答える。
「当然です。あの娘はなんだかんだ言って、ここが好きですからね。それに、いい加減あの娘にも現実からは逃げられない事を知ってもらわなければ」
「……、」
それがどういう意味なのかは聞かない。
ただ、シナン達は彼を見送る事しかできなかった。
「それでは、行ってまいります、我が主」
全てが終わったその時、シナンは思っていた。
この時、彼を止めていれば、あんな事にはならなかったのかもしれない、と。