10
ベルセルク一行がギルバートの護衛を初めて早一週間が経とうとしていた。
初日の騒動に比べ、この一週間は何の音沙汰もなく過ごすことができた。っというより、アレほどの出来事があった後だというのに、全くと言っていいほど誰も襲ってこないというのは逆に不気味だった。
一度失敗したから様子を見る、という判断を下したのだろうとは思うものの、それももう長くは続かないだろう。
リッドウェイの調べによれば、ギルバートを襲う勢力は二つ。彼が所属している改革派と対立している保守派の貴族達。そして、もう一つが連続殺人鬼であるウールである。
正直な話、保守派の貴族達についてはそれ程警戒はしていない。あの程度の連中を送ってくる奴らだ。もし次があるとするのなら、どうせそいつらもそれ程実力がない者と考えていいだろう。
それよりも危険視するべきは、ウールの方である。
あの殺人鬼がこの一週間何もしてこないというのは、ベルセルクにとって予想外の事だった。あのまま次の日にでも押しかけてきて、決闘の続きをすると思っていたのだが、予想外れというより、期待外れだった。
こういう場合、ウルが何かを企んでいるのは間違いない。だが、その『何か』が全く理解できないのだ。最も、彼女が何を思い、何を考え、そしてどういった思考で行動しているのか。それを完全に理解したことなど、ベルセルクはなかった。
だが、たった一つ。たった一つだけ、彼女が何よりも第一に動く事がある。殺人衝動だ。
人を殺して殺して殺しまくる事で彼女は生きているという事を実感しているらしい。異常だ、という意見は正しいし、正論であるのだろう。まぁ、戦いを求めているベルセルクが言えることではないが。
戦いを求める戦闘狂のベルセルク。
殺しを求める殺人鬼のウール。
彼らにとっては求めるモノはなくてはならないモノと等しい。普通の人間が空気を吸うの同じくらいに。
そして、殺人を求め続けてきたウールが、殺しにこないということに対して、おかしいと思うことは当然だ。殺人よりも大事な事でもあるのだろうか? もし、そんなモノが存在するのなら、それは一体何なのか。
気にならない、と言えばそれは確実に嘘だ。気になって気になって仕方がない。
それ故に考えるベルセルクなのだが……やはりというべきか、当然というべきか、その答えを出すことはできない。それはそうだ。何せ、ベルセルクはウール自身ではないのだから。
ああだこうだと考えていても仕方がない。ここは取り敢えず外に出て気分転換でもしようとするベルセルク。護衛はシナンにでも任せておけばいい。
長々しい前書きになってしまったが、結論を言おう。
ベルセルクは居酒屋に酒を飲みに来ていた。
*
ベルセルクはカウンターで一人、酒を飲んでいた。
周りには喧しい程の声で騒ぎながら飲む男集が大勢いる。恐らく殆どが下町で働く者達だろう。服装はどれもこれもあまり綺麗とは言い難いほど汚れきっていた。
煩い、とベルセルクは思っていたが、それを注意する気はなかった。何せ、時間が時間だ。夕日もとっくに落ちて、今は夜の時間となっている。仕事を終えた野郎共が来る時間帯でもあるのだ。
来る時間を間違えた、と内心で少々反省しながらもベルセルクは仕方なく喧騒が飛び交う中で酒を飲み続ける。
寂しい、とは思わない。酒を飲む時は大抵こうだ。誰かと喧しく酒を飲むことなどベルセルクはあまりしない。そういうのが嫌い、というのもあるが一人でゆっくりと飲む事が好きだからという方が大きい。
だが、そんなベルセルクでも昔は一緒に酒を飲む人間がいた。
ただし、そいつの場合は酒ではなく……。
「店長、牛乳をくれ」
酒場だというのに、牛乳を頼むのだ。
「……、」
突然と隣から聞き覚えがある声した。それも女の声だ。
ベルセルクは 無言のまま声がした方を向く。そして、驚きもせず、何のリアクションもないまま、ただこう呟いた。
「何やってる、ウル」
そこにいたのは、この一週間いつ襲ってくるのか分からなかった殺人鬼であり、ベルセルクの元仕事仲間であったウール・ヴヘジンだった。
ウールはベルセルクの質問に対し、おいおいと言わんばかりな表情になる。
「何って、居酒屋に来てんだ。だったらやる事なんて決まってんだろうが。一々そんな当たり前な事を聞くなよ」
居酒屋に来て牛乳を頼む事が当たり前の事か? と問いただしたいベルセルクだったが、今はそれよりも聞かなくてはならないコトがある。
「テメェは俺と敵対してんだぞ? 俺は護衛で、テメェはその護衛対象の抹殺。そんな奴の前に現れるとは、どうかしてるぞ」
「ハッ、それこそ今更だろうが。オレが狂った殺人鬼なのはオマエも知ってるだろうが。それに昔から決めてるだろ? 酒と牛乳を飲んでいる時は」
「戦わないし殺さない、だったな」
「そういう事さ」
言いながら、ウールはシニカルな笑みを浮かべていた。その笑みは相変わらず腹立たしいモノだった。
ウールは昔から居酒屋に来ては牛乳を頼む。それは、彼女が酒を飲まないという理由もあるが、牛乳が好きだという理由の方が大きいだろう。故に、居酒屋の亭主にはいつも必ず変な目で見られていた。そして、それは今回も同様だ。
ドンッ、と大きな音を出しながら出されたのは、その音に似合う大きなジョッキだった。その中には今にも溢れんばかりの牛乳が大量に入っている。
亭主はムッとした表情をしながらウールを見ていたが、彼女にとってはそんなモノ関係ない。
「おっ、きたきた」
牛乳が目の前に来た途端、ウールは舌なめずりをしていた。それだけ牛乳が恋しかったのだろう。
呆れたものだ。
などと思っているベルセルクを他所にウールは大きなジョッキを片手で持ち、牛乳を飲んでいく。
飲んで飲んで飲んで……そしてついに何リットルも入っている大量の牛乳を一気飲みで飲み干してしまった。
「っぷはぁ。やっぱ仕事終わりの牛乳は最高だな」
「その歳でその台詞はどうかと思うぞ」
「うっせぇ。人の好みに口出しすんな」
そうかい、とベルセルクは軽く返事をしながら自分の酒を口に入れていく。
と、そこでウールの言葉に違和感を感じた。
仕事を終わり?
「……おい、仕事終わりってどういうこった?」
「そのままの意味だよ。今しがた、貴族をぶっ殺してきた所なんだよ」
「なっ……」
驚くベルセルクにウールはフォローを入れる。
「勘違いすんなよ。オマエんとこじゃねぇ。この前、オマエんとこの貴族襲った連中がいただろ? 今度またああいった事がないように、暗殺者を雇った貴族を殺して回ってたんだよ。そのおかげで一週間も掛かっちまったがな」
言いながら、ウールは牛乳のおかわりを注文していた。その隣で、ベルセルクは驚きと納得をしていた。
この一週間、ウールが殺しにこなかったのは、他の貴族を殺していたからだ。確かにそうすれば、もう邪魔は入ることはないだろう。だが、だからといって貴族を殺し回るなんて事をするとは、やはりコイツもそうとうイカれいている。まぁ、ベルセルクが言えた義理ではないのだが。
「まぁ、そんなわけで近いうちに殺しにいくからよろしく」
「……その緊張感が全くない殺人予告はお前らしいな」
「こそこそしながら殺すなんて事はオレの趣味じゃねぇ。正面から堂々と殺しをする。それがオレの流儀だ」
「暗殺者として今の発言は間違ってねぇか?」
「おいおい、オレがいつ自分を暗殺者だって言った? 俺はただの殺人鬼だよ」
「そうだったな」
確かに、彼女は自分を殺人鬼と自称してはいるものの、暗殺者だとは言っていない。彼女の性格からしても、こそこそ殺すのではなくド派手に暴れまわって殺す方が似合っている。
などと思っていると、今度はウールの方から質問が飛んできた。
「ちょっと聞きたい事があるんだが……あのガキは本当にオマエの弟子なわけ?」
「シナンの事か? まぁ一応。不本意ではあるがな」
「不本意ならやるなよ。オマエにそんなの似合わないっての」
「こっちにも色々と事情があるんだよ。それに……」
「それに?」
「……あいつを強くすると決めてんだ。そう宣言したんだ。馬鹿だろうが阿呆だろうが愚かだろうが、何だろうが、絶対にそれをやり通す。一度言っちまった事を捻じ曲げる程、俺は腐っちゃいないんでな」
「んな事言って。本当はあのガキが女だから引き受けたんじゃねぇのかぁ?」
からかうように、ではなくウールは確実にベルセルクをからかっていた。
しかし、ベルセルクはそんな言葉を気にしない。
「気づいていたのか」
「まぁな。あの程度の変装で見破れないのは、普通の人間くらいだろうよ。オレ達のような異常で異状な場所で育った奴らには意味がねぇよ」
確かに、普通の暮らしをしている連中には全く気付かれることがないが、特定の人間にはよく正体がすぐにバレている。ウールの言っていることは、的を射ていた。
それを聞いた瞬間、ベルセルクはフーン、と納得をした反応を示す。
しかし、ウール次に飛んでもないモノをぶち込んできた。
「で? あのガキとは寝たのかよ」
「……テメェ、余程俺にその首を刈られたいらしいな」
その言葉を言い終わる前に、ベルセルクはすでに剣を半分程抜いていた。しかし、ウールは驚くことも戸惑うこともせず、ただ冷静にこう言った。
「おいおい、この程度の質問で熱くなるなよ。んな事ねぇとは分かってるがよ、一応念の為に聞いときたかったんだよ。オマエがロリコンとやらに目覚めたかどうかをな」
「んなモンに目覚めるか。大体、あんなのと寝ると思うか? 普通」
「いやいや、世の中にはそういった性癖の連中はたくさんいるからな。あのガキ、アレはアレで結構いい顔してるからな。まぁ、胸の方は残念だが……逆にそこが良いって奴もいるからな」
何だその世界を見てきたかのような台詞は。
偉そうに言うウールに対してベルセルクはそんな事を思っていた。しかし、確かにシナンは胸の方が残念な形になっている。ない……と言っても過言ではない。しかも、ウールに言われてしまったらもうどうすることもできない。何せ、ウールはシナンとは真逆で豊富なのだから。
「まぁ、何はともあれあのガキも中々いいぞ? 抱いてみたらそれなりに楽しめるんじゃないか?」
「いい加減にしないと、マジで潰すぞ」
「おお、怖。んじゃ今日はここまでって事で」
そう言って、ウールは席を立つ。どうやらもうお帰りらしい。
「それじゃ、また今度」
「次は殺し合いだがな」
皮肉な言葉に、ベルセルクもまた皮肉気味た言葉で返した。
そうして、ウールは居酒屋から立ち去ろうとしていたが、ふと何かを思い出したかのようにベルセルクに最後の質問をする。
「そういや、あのガキの名前、シナンだったな?」
「あん? そうだが?」
「下は?」
「バールだ。シナン・バール」
「シナン・バール、ね。……そう言う事か」
「何だよ」
「いんや、何でもねぇ。こっちの話。んじゃな」
ベルセルクに背を向けながらウールは手を振り、そして今度こそ居酒屋を出ていく。
ウールが残した言葉に違和感を感じながらもベルセルクは酒を飲み続けていった。
*
わいわいと騒ぐ下町。
しかし、そんな下町でも一度路地裏に入ってしまえば、煩い音も消え、人気もなくなる。
そんな人気が全くと言って良いほどない路地裏をウールは歩いていた。
ウールは連続殺人鬼として、今やこの国では有名であり、懸賞金までかけられている始末だ。そんな人間が堂々と道を歩くのは正直捕まりに行くようなモノである。まぁ、彼女の場合、襲われてても逆に襲い返す実力も自信もあるので関係ないが、やはり余計なゴタゴタを引き起こすのは面倒だと考えているため、こういった路地裏を使っているのだ。
というのは建前で。
本当は別の理由があった。
「……そろそろ出てきてくんねぇか? こっちはストーカーされ続ける趣味はねぇんだよ」
ジャラリ、と手首の鎖を鳴らしながらウールは振り返えり、そして誰もいないはずの場所で呟く。
すると、突然四方八方から人影が出現する。
その人物達は、それぞれ黒いフードを被り、顔を見えないようにしている。そして、同じような黒いマントを羽織っており、まさしく全身真っ黒だった。正直な話、見た目からでは男か女かすら判断できない。
はっきり言って、怪しさの塊だった。
だが、ウールはそんな怪しい集団に対して問いただす。
「何? オマエら、新手の賞金稼ぎ? オレの首でも取りにきたのか?」
「貴様の首など、我々には必要ない」
ウールの目の前にいた人物が喋りだす。男の声だ。恐らくリーダー的存在なのだろう。
「我々はただ話をしに来ただけだ」
「話?」
「貴様の殺しを手伝おうと言っているのだ」
その言葉が出た瞬間、ウールの顔がしかめっ面になる。
「……悪いが、オレは殺しに手を貸してもらうほど落ちぶれちゃいねぇよ」
「そうではない。貴様の腕は承知している『鉄拳』ウール・ヴヘジン。その類まれなる常識はずれの強さには我々一同驚いている。故に手を組もうと言っているのだ。我々の標的もあの屋敷にいるのでな」
「標的?」
「シナン・バール」
その名はウールも知っている。当然だ。何せ、先程ベルセルクからその名前を聞いたばかりなのだから。
「そいつがオマエらの標的か?」
「そうだ。我々は奴を殺すためにはるばるこの国にやってきた」
はるばるこの国にやってきたという言葉から分かる通り、この黒フード達はこの国の人間ではないようだ。はるばる、という言葉を使うことから隣国というわけでもないらしい。
そして、そんな所からあの少女を襲いにくるとはどういうことだ?
しかし、どうやらウールにはその理由がわかったらしい。
次の瞬間、彼女は「なるほど」と呟きシニカルな笑みを浮かべる。
「オマエら……『あの国』の連中だな?」
「……なんの事だ」
「しらばっくれんなよ。こちとら全部知ってんだよ。そう、全部だ。あのシナン・バールっていうのが九十九人目の勇者であり、オマエらがどこから来たのか、そしてオマエらがシナン・バールを殺す理由も全部知ってるって言ってんだよ」
「戯言を……」
「聖剣『エクスカリバーン』」
「っ!?」
瞬間だった。
ザザッ!! と周りの黒フード達が一斉に動く。恐らく臨戦態勢に入ったのだろう。殺気もビンビンと伝わってくる。
そして、彼らは無言のままこう言っている。
それ以上言うな、と。
忠告、いや警告ともとれるその行為にウールをやれやれと言った具合で首を左右に振る。
「やめとけよ。オマエらだって余計な犠牲を出したくないだろう?」
「……その名前をどこで聞いた?」
「それを教えると思うか?」
つまり、答えるつもりはないらしい。
黒フードはじっとウールを見ていた。恐らく殺すかどうか迷っているのだろう。ウールにとってはどちらでも良かった。こいつらが襲ってくるのなら殺し、そうでないのなら放っておく。彼らがシナン・バールという勇者を殺そうとしている事など、ウールには関係のないことなのだから。
「……いや、よそう。今、ここで貴様を敵に回してもこちらにメリットは何もない。全滅するのがオチだ」
「ほう。実力が分かってるようだな」
「自分を過大評価する人間は、我々の中にはいない」
それは良いことだとウールは素直に思った。
自分をあまりに強い、大きい存在だと思う人間に、ロクな奴はいない。それを口にしている奴など論外だ。強い奴は口にしなくても強いし、器のでかい人間も自らがそう思っている奴は少ないはずだ。過小評価しろ、とは言わない。ただ、自分の評価は正しくするべきだと思う。
「なるほどね……いいだろう」
「何?」
「だから、オマエらの案に乗ってやろうっていってんだよ」
「我々と協力すると言うことか?」
「ああ。ただし、条件があるがな」
その言葉を言った瞬間、ウールは笑みを浮かべる。
それはまるで悪魔の笑みのように恐ろしく、そして不気味だ。
彼女が何を考えているのか、それを知るのは彼女自身だけだった。