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昼間だというのに、その森はやけに静かだった。
それもそのはず、ここは魔物が出る事で有名な森だ。普通の人間はもちろんの事、腕の立つ剣士や傭兵でも、滅多に近づかないのだ。人気がないのは、当然の事である。
だが、ベルセルクは違う。幼少の頃から腕を磨くためと称して毎日のようにこの森に通っていたベルセルクには、何時、何処にいけば、どんな魔物と遭遇するか分かっている。そして、逆に魔物が全く出ない時間や場所もまた然り。
(にしても、久しぶりだな、ここに来るのは……)
ベルセルクは、ざわざわという森の音を聞いていた。
幼少の頃は、ただ強くなるためにここに来ていた。
『あの男』を一日でも早く追い抜くために、そして認めてもらうために。必死になって剣を振るっていた。
そういえば、いつからここに来なくなったのだろか?
(……、そうか、『あの日』以来か)
あの日。そう、あの日から、ベルセルクはここに来なくなった。
強さを求めるのをやめ、目標を失い、ただ無意味に剣を振るうようになったあの日から。
ベルセルクは首を横に振る。
何を考えているんだ、と自分に言い聞かせる。今日は、そんな事を思い出すためにここに来たわけではない。
一息吐くと、ベルセルクは後ろを振り向いた。
「準備は出来たか?」
そこには、鞘に収めている剣の柄を握るシナンの姿があった。
「いつでもいけます」
「そうか……なら、もう一度確認しとく」
ベルセルクは左手を腰にあて、右手をぶら下げた状態になる。
「勝負はこの一度きり。勝敗はお前が俺に一撃でも決めればお前の勝ち。逆にお前がへばるまで俺に一撃も決められなければ、俺の勝ち。お前が勝った場合は俺はお前の師匠になってやる。だが、俺が勝った場合は……」
「さっさとあそこから出て行け、ですか? 分かってますよ」
確認が鬱陶しかったのか、シナンはベルセルクが言い終わる前に自らの口で言った。
その挑発的な態度には、しかして奢りの様なものは感じられなかった。
余裕を気取っている訳でもなければ、緊張して力んでいる訳でもない。
ただ、その目には相手を倒そうという気迫が感じられた。
どうやら、ただの子供ではないというのは確かなようだ。
「リッドウェイ。立ち合い人、頼むぞ」
「それは良いんですけど……ホントに良いンすか? あんな子供の相手をしても」
「俺がどうこう言うより、あっちはその気なんだ。放っとけば、鬱陶しい事になりそうだし。それなら、今潰しとくのが都合が良い」
「潰すって……そりゃまた物騒な。相手は」
「相手は子供、ってか? ハッ、こいつは仮にも勇者だぞ? ここで本当に潰されるような奴なら、鼻から魔王を倒せるわけねぇ」
そうっすけど……とリッドウェイは何か言いたげだったが、それ以上は何も言わなかった。
ベルセルクは自らの剣に手をかけそして。
その場に落とした。
「……何の真似ですか?」
「別に。逃げる俺が剣を持ってたって仕方ねぇだろ?」
今回は、戦うのが目的ではない。故にベルセルクが剣を持っていなくてもいいというのは筋の通った話だ。しかし、相手に剣を捨てられる、という行為はどことなくシナンの勘に触った。
ムッと眉を顰めるシナンに対し、ベルセルクはシニカルな顔で。
「んじゃ、始めるか」
ヒューッと、二人の間を風が横切る。
そうして、風が吹き終わると同時に。
「行きます」
言うが早いか、シナンは一瞬にして、ベルセルクとの間合いを詰めた。
速い。
単純な感想。そして、正確な感想だった。誰しも、彼の動きを見ればそう思うのは当然だろう。実際、歴戦を潜り抜けてきたベルセルクにだってそう思えるのだから。
こんな子供が風のような速さで突っ込んでくるとは、思いもしなかった。
ヒュン、と風を斬る音がした。シナンの一撃をベルセルクが避け、剣が空を斬ったのだ。だが、シナンは避けられた事に驚きもせず、斬り返しを放つ。ヒュン、とまた空を斬る音が。
ベルセルクは地面を蹴って、間合いを取る……かと思いきや、いきなり距離をとった場所から突っ込んできた。
突然の事で動揺してしまったシナン。その隙をベルセルクは見逃さない。
ドンッ、とベルセルクの右拳がシナンの腹を捉えた音がした。シナンはそのまま数メートル吹っ飛びながらも体勢を崩さなかった。
「逃げるとは言ったが、誰も反撃しないとは言ってないぞ」
言いながら、ベルセルクは拳を開いたり閉じたりして、手の感覚を確かめる。少し浅かったか。
だが、それでもかなりのダメージは食らったはずだ。
その証拠に、シナンは体勢は崩していないものの、痛みが顔に染み出ている。それをグッと我慢して、次の攻撃のためにまた一瞬で間合いを詰める。
今度は連撃だった。さっきの二撃とは比べ物にならないくらい、五、七、十、十五……普通の剣士なら、もうすでに斬り刻まれているはずだった。
それを、ベルセルクは紙一重で全部かわしていく。
この光景を一般の人間が見れば、圧倒的にシナンが有利に見えるかもしれない。しかし、それは過ちだ。この状況はベルセルクが断然有利だった。
ベルセルクには、シナンの斬撃が見えていた。いや、分かっていたと言った方が正確だろう。どこから来るのか分かる斬撃など、避ける事は容易い。
だが、何故それらを紙一重で避けていくか。その答えはすぐにやってきた。
突然とシナンの剣撃が鈍った。鈍った、というよりも遅くなったと言った方がいいかもしれない。
それもそのはず。あれだけの速さの剣撃を何度も繰り返していれば、スタミナ切れが来るのは必須。しかも一撃一撃に隙がないのはいいが、逆に休みがないので長期戦には不向きなやり方だ。
それに対してベルセルクは最小限の動きだけで避けていたため、スタミナをあまり使っていなかった。それどころか、汗一つもかいていない。
先程と比べ、減速した剣撃は隙が大きく見られる。
その隙を、ベルセルクは突く。
「がっ……」
ベルセルクの回し蹴りが、シナンの首元にクリーンヒットする。
まともな声を出せないまま、シナンはまたもや吹っ飛ぶ。
十数メートル程飛ばされたシナンは、地面にひれ伏す状態になっていた。
よろよろとた立ち上がりながら、落とした剣を掴み、また構える。
「おい、もう止めとけ。今のをくらって立っているのは見事だが、もうまともには動けないだろ」
今のは先程の攻撃より、手応えも威力もあったはずだ。普通の人間が食らってまともに動くどころか立つことすら難しいはずだ。
「そんな、事……ない、です……」
搾り出したその声には未だに諦めの兆候はなかった。
その態度にベルセルクは舌打ちする。こういう相手は苦手なのだ。
無駄だと分かっていても、絶対に勝てないと知っていても、自分の心は曲げない。どこまでも真っ直ぐで、愚かしい奴がたまにいるのだ。
嫌いではない。だが、扱いが面倒なのは確かだった。
ダッ! とシナンが駆け出す。あの回し蹴りを食らってまだそれだけの速さをだせるのか。
先程と比べると、少々遅い。しかし、その瞳は死んではいなかった。むしろ、気合が増しているように感じ取れた。
シュン、と愚直なまでに真っ直ぐな一閃。やはり遅いが、嫌と言うほどシナンの気がビンビンと伝わってきた。
気迫もいい。剣の使い方もまぁまぁ。
だが……経験が足りない。
彼は気づいているかどうか知らないが、一つ一つの動きが単純だ。いくら凄い一撃でも、速い一閃でも、読まれてしまっては意味がない。世間では、分かっているのに防ぎようがない技があると聞くが、シナンはその部類ではない。
さらに言えば、攻撃に集中しすぎて、防御の方が全くできていない。先程の無茶な連撃(といっても今やっているのも同じようなものだが)からしてみても、どうも守りの姿勢が見えない。捨て身の技、というものは確かに存在するが、彼の場合は違う。ただ単に防御をしていないだけだ。していない、といよりは出来ていないと言った方が正しいだろう。故に、隙が出来るのだ。
隙だらけの敵など、ベルセルクの相手ではない。
ガンッ! と剣が上から振り下ろされ、地面を斬った。
どれだけの時間が経っただろうか。はぁ、はぁ、と息を荒げるシナンに対して、ベルセルクは全くもって普段通りだった。
自分がこれだけやっているというのに、相手は全然疲れていない。それが、どれだけの差があるかを物語っている。
自らの現実を叩きつけられたシナン。
しかし、それでも彼は剣を構えた。
「ったく、しつこい奴だな。まだやるつもりか」
「当然……です。これでも……諦めの、悪さは……人一倍、ありますから……」
「そんなやつれた声で言われてもな……」
というベルセルクだが、シナンの気迫が未だに衰えていないことは重々承知していた。彼自身が言っているように、本当に諦めが悪いらしい。
「僕は……僕は、強くならなくちゃ……いけないんです。……何が何でも……どんな事をしてでも……強く、なるんです……」
全く大したものだ、とベルセルクは思う。一体何が彼をそんなにまでして突き動かしているのかが分からなかった。
勇者としての使命感というやつなのだろうか。もしそうなら、ベルセルクには一生分からないだろう。
そもそも、自分が強くなりたいというのに、他人を頼るのはどうなのか。
……いや、今のは間違いか。ベルセルク自身、それは言えた義理ではない。ベルセルクがこの強さを得たのはそもそもがあの男からの教えが始まりだった。たった少しとは言え、他人から強さを学んだベルセルクに、シナンをとやかく言える道理はないのだ。
まぁ、何はともあれ関係ない。これ以上は付き合う気は、ベルセルクにはなかった。
次の一撃で確実に落とす。
ベルセルクは姿勢を低く取る。腰の下に重心をおき、脚を集中させ、右手に力を入れる。
それだけで、周りに多大なる威圧を感じさせる。
シナンだけでなく、見ているだけのリッドウェイにも嫌と言うほど伝わってきた。
本気だ、とリッドウェイは感じ取った。本気でやるつもりだ。
それはもちろん、目の前にいるシナンも理解していた。
だが、シナンは剣を構え、ベルセルクに立ち向かう体勢に入った。
かたかたと剣先が少し震えているのは、ベルセルクにも見えた。恐らく逃げたい逃げたいという気持ちでいっぱいなのだろう。
それでも、シナン・バールという剣士は逃げる事はしなかった。
ベルセルクはそれを見て、シニカルに笑う。
上等だ、ならば手加減はしない。
この時、ベルセルクはシナンを少し認めていたのかもしれない。恐怖に負けず立ち向かうその姿勢が勇者に選ばれた理由ではないか、と。
べルセルクはさらに右手に力を入れる。これ以上ない、一撃を放つために。
もしかしたら、これを食らえばシナンは重傷になるかもしれない。だが、ベルセルクはこのシナンという剣士に対して、手を抜くという行為はしたくなかった。
ベルセルクは少々驚いていた。こんな自分にも、まだそういうものが残っていたとは。
自分を嘲笑しながらも、ベルセルクはついに攻撃に入る。
――――はずだった。
突然と、森の中から魔物達が現れた。
「「っ!?」」
二人はとっさにその場を蹴って距離を取った。偶然にも、背中合わせのような格好になったが。
「ラプトールッ!?」
「これはまた、厄介なのが出てきたもんだ」
ラプトール。小型竜の一つとして有名な魔物だ。全長およそ二メートル弱。竜なのに翼がないが、その代わりに、より鋭利になった爪や牙で襲ってくるのが特徴。一体一体はさほど強くないのだが、このラプトール、有名になのにはもう一つの理由がある。集団行動だ。必ず十を超える数で行動を共にしており、故に討伐する側も一人や二人でなく、集団で向かうべきなのだが……生憎と、ベルセルク達は今現在、三人しか居ない。
「ったく、いつもならこの時間帯に魔物は出ないはずなんだが……」
ベルセルクが愚痴っていると、シナンがあれっ? という声を出す。
「そういえば、リッドウェイさんはどうしたんですか? まさか、もうやられたとか……」
「そうだったなら、ありがたかったんだが……」
ほれ、とベルセルクの指差す方向をシナンが見ると、木のてっぺんで「がんばれ~」とこちらに手を振るリッドウェイの姿が。
「あいつを心配するのはやめとけ。あいつほど生存能力が高い奴はいないからな。ゴキブリ以上だ」
「ゴキブリって……それはまた可哀想じゃないですか?」
「実際そうなんだから、しゃーねぇだろ。それより……」
と、ベルセルクは辺り全体を見回す。
「お前は、自分の心配をしろ。こんなの俺一人でどうにでもできるが、お前に構ってやれるほど、手は空いちゃいない」
ベルセルクは基本、一人で戦うことを得意とする。それは、周りを気にせず戦える、というのが一番の理由だ。
しかし、今はシナンが傍にいる。誰かを庇いながら戦うのはベルセルクにとって苦手分野なのである。
しかし、シナンは首を横に振って、微笑した。
「心配無用です。自分の身は自分でなんとかします。今までだって、そうしてきたんですから」
「はっ、ロックビーストに食われた奴が、よく言ったもんだ」
「そ、それは、そうですけど……」
ムッとふくれるシナン。に対してベルセルクはシニカルな笑みを見せていた。
「まぁ、それだけ言うんだ。なら、何とかしてみせろ、よ!!」
言い終わる前に、ベルセルクは駆け出した。
まずは前方の敵を殴り飛ばす。生憎と、剣は先程落としたままなので、使えないのだ。
殴られたラプトールの左右にいた二体が、襲い掛かってきた。それに対し、ベルセルクは右の一体の腕を掴み、足をかけ、相手の動きを利用しながら、もう一体の方へと投げ飛ばす。そのまま二体はその場に倒れこむ。
やはり、剣がないと不便だ。先程の一体目にしても、今の二体にしても、未だに生きている。別に、素手で倒せない事はない。しかし、この数を相手にするには、やはり確実に殺していくのがベストな判断だ。というか、こんなやつらに時間を掛けるという事が、ベルセルクにしては、腹立たしい事なのだ。
面倒な事は早く終わらせるに限る。そう判断したベルセルクは自分の剣の下へと駆け出す。それを阻もうとする一体のラプトールが、前方に現れた。
とっさにベルセルクはラプトールの頭部を両手でがっしりと掴んだ。
ゴキリッ。
鈍く、気味の悪い音と共に、ラプトールの頭が一八〇度回転した。
断末魔を上げる暇もなく、その場に崩れ落ちる。
さて、とベルセルクは周りを見る。ざっと見て、負けることはない数だった。素手ならまだしも、剣でならこんな数など余裕だった。
ベルセルクは、襲い掛かってくるラプトール達をまるで子供を相手にしているような剣さばきで倒していきながら、シナンの戦いぶりを見ていた。
先ほどと同じで、荒くて雑で単純な、しかしどこか真っ直ぐな剣さばきは、ラプトール達を次々と倒していく。それこそまるで、手馴れた剣士のようだった。ベルセルク相手ではかなり苦戦していたように見えたが、魔物相手だとこうも違うのかとベルセルクは思った。
三体のラプトールが、シナンの前に立ちはだかる。シナンはそれに焦りを全く感じず、冷静に対処する。まずは真ん中の一体を一刀両断し、続いて両側の二体を横一閃で、首と体を真っ二つにした。その次に、自分の後ろにいた二体を斬り伏せようと、シナンは振り返ったのだが。
ガクン、と膝から力が抜けた。
(えっ……?)
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ここにきて、先程の戦いの疲労がきたのだ。
それを理解したのと、斬ろうとしていたラプトール達が襲い掛かってきたのは、ほぼ同時だった。
(や、ば……っ!?)
剣を構えようとするも、立てっているのが精一杯で、そんな余裕はなかった。
剣を構えられず、逃げることすら出来ない。まさにピンチだった。
「ちっ!」
一部始終を見ていたベルセルクは、周りのラプトールをなぎ払い、駆け出した。
ベルセルクは、力が尽きて倒れかけていたシナンの上半身を左手でわし掴みしながら、ラプトールの牙を止めた。
「世話のかかる奴だな!」
言いながら、剣に力を入れ、牙ごとラプトールを斬る。そして、そのすぐ後ろにいたもう一体の首も切り落とした。
バサリ、と首が地面に落ちる。ベルセルクの剣はすでに真っ赤な血に染まりきっていた。
剣を振るい、肩に担ぐ。
「さぁ、次はどいつだ?」
挑発。誰もがわかるものだった。恐らく、それはラプトール達にも伝わったはずだった。
しかし、ラプトール達は挑発にはのらなかった。
低い独特の泣き声をあげながら、彼らは森の奥へと走り去っていく。
ラプトールの特徴は集団行動と頭の良さだ。恐らく、ベルセルクに対して『勝てない』と悟ったのだろう。それは賢明な判断だ。このまま続けていれば、シナンというお荷物を抱えていても、ベルセルクは負けなかっただろう。
全てのラプトールが森の中へと逃げると、辺りは静かさを取り戻していた。
「終わった、か……。ったく、面倒な事は嫌いだってのに……」
と愚痴を零す。しかし、それも今に始まったことではないか、と思い返しながら、ベルセルクはシナンの体を揺さぶる。
「おい、終わったぞ。いつまで寝てんだ、さっさとおき……」
むにゅ。
何か、とても小さな、やわらかいものの感触がした。
弾力も少ししかなく、しかし、どこか感触の良いもの。
何やらいやな予感がし、ベルセルクが冷や汗をかいていると。
「いっ……いっ……」
涙をこらえたシナンの顔が目に入った。
ここで、状況を整理してみる。今、ベルセルクは右手に剣を、左手にシナンを持っている。そして、その左手はシナンの上半身。もっと詳しく言えば、胸のあたり。
もう一度確認のため、顔を見る。こうしてみると、どことなく、女々しい感じがしていた。
まさか、こいつは……。
「おまえ、おん……」
「いやぁぁぁあああああああああ!」
ベルセルクが質問する前に、黄色い悲鳴と、これまでにない『一撃』がベルセルクの顔面に直撃した。