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勇者の師匠  作者: 新嶋紀陽
第三章
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 質素な果物などを描いた絵が飾られている大きな廊下。

 ディスカビル家のメイドであるアリシアは、その大きな廊下の床を雑巾で拭いていた。


「あ~……全く、何で私がこんなことを……」

「こら、そこ。ぼやかない」


 とアリシアを嗜めるのは、同じメイド服を着た一人の女性。歳は二十代前半と言ったところか。アリシアと比べると、身長が高く見えるが、成人男性よりは低く、普通の女性の身長の持ち主と言えよう。

 焦げ茶色のセミロングの髪。イキイキとした目つきに、スラリとした体型。薄緑の瞳は、見るものを虜にしそうなぐらいの魅力がある。

 彼女の名は、シャロン。アリシアと同じ、ここで働いているメイドだ。

 ただし、アリシアとは違って、もう何年も前から働いているため、アリシアにとっては大先輩と言える存在なのだが……。


「これがぼやかずにはいられるか!! あともう少しで脱走できたかもしれないというのに……あの変態執事のせいで、また逆戻り、そして今は口煩いメイドと一緒に床掃除……ぼやきたくもなるわ」


 と、先輩に向かって敬語の一つもないこの状況から見てわかるとおり、アリシアはシャロンの事を全くと言っていいほど見下している。

 しかしながら、シャロンはそんなことを一々気にするほど、度量の狭い女ではなかった。


「はいはい、口煩い女で悪かったわね。それよりも手を動かしましょうね、手を」

「そういう所が煩いと言っているんだ。言われなくても分かっている」

「あら、そう。ならいいけど。ちなみに、手を抜いたら、ご飯抜きだからね」

「鬼かお前は!! というか、そんな権限、お前にはないだろう!!」

「残念でした。今日の夕食当番は私なの」

「くっ……忘れていた……」

「とまぁ、愚痴はここまでにして、さっさと終わらせないと、またレイク様に怒られるわよ」

「ふん、あんな奴に怒られることなど、怖くもなんとも……」

「そう? ならいいけど、そろそろ、あの人もお説教じゃなくて、お仕置きするかもよ?」

「お仕置き……?」

「そう。それはもう、見るに耐えないお仕置き……折檻よ。今度はどんなのが待ってるのかしら。前にいた娘は、全裸にされて、鎖に繋がれ、ムチを打たれて、水責めにあって、それから……」

「よーし、頑張るぞーシャロン!! さっさと終わらせて、飯にしよう!!」


 レイクの恐ろしい折檻の内容の一部を聞いたアリシアは突然とやる気を出しながら、床掃除を始めた。それを見て、シャロンはふふふっ、と不敵な笑みを浮かべていた。本当に扱いやすい子だ。

 アリシアがこの屋敷に来てから、もう二ヶ月が経つ。たった二ヶ月、されど二ヶ月。この二ヶ月間で、アリシアはシャロンには心を開いてくれるようになった。

 だがしかし、それ以外、つまりはレイクとギルバートには心を開こうとはしない。特にギルバートには憎しみの篭った目付きで睨むこともしばしばある。ちなみに、レイクにはしない。そんなことをすれば、後で恐ろしい事をされると分かっているからだ。

 先程言っていたレイクの折檻。そんなのウッソだ~、と思うのが普通の人の反応だが、それを真実と思わせてしまうほど、レイクは危ない人間なのだ。

 まぁ、レイクは危ない人間なので、それほど心を開く必要もないかもしれないと思うシャロンであるが、一番の問題となっているのは、自分たちのご主人様であるギルバートをアリシアが敵視していることである。

 アリシアは奴隷としてギルバートに買われた。理由は簡単。人手不足だからだ。

 元々、財産難にあったディスカビル家は使用人が少なかった。特に、ギルバートが当主となってからは、次々と辞めていくものが続出し、その時残ったのはシャロンとレイクだけだった。何とかやりくりし、今では昔のような名声も地位も手に入れたギルバートは流石に使用人が少なすぎるということで、新たにメイドとして来たのがアリシアというわけだ。

 ただ、何故彼女だったのか。それが、アリシアには疑問であり、ギルバートを敵視する原因だろう。

 メイドを雇うために、わざわざ奴隷を買う必要はない。そもそも、メイドなんてものをやっている者の中に、奴隷なんてものはそうそういないのだ。多くのメイドになれる女性がいる中、それでもギルバートは奴隷であるアリシアを買い、自分のメイドとした。

 ギルバート自身は、それを「奴隷の方が安くて済む」と言っていたが、そんなもの方便だ。何故なら、アリシアに掛かった金額は、普通のメイドを買う金額よりも遥かに多かったのだ。


「……そう言えば、さっき客が来てたな」

「あら、お客様? 珍しいわね」

「客……といっても、何だか傭兵みたいな奴らだった」

「傭兵……まさか、あの事で来たのかしら?」

「多分。でも、何だか滅茶苦茶腹の立つ奴がいてな。あんまり好きにはなれそうにない。あっ、でも一人だけ何だか雰囲気が違った奴がいたな。何というか、優しそう、っていうか……」

「へぇ~」

「な、何だ?」

「いえね。貴方が他人を『優しそう』なんていうとは思っていなかったから」


 ウフフ、と笑うシャロンに恥ずかしそうに顔を背けるアリシア。その姿はとても初々しく、食べてしま……ゴッホン、見ていて飽きない。

 それはそうと、シャロンはその傭兵の事が少々気になりだした。

 このタイミングで傭兵が来た。つまりは、彼らはこちらの事情を知っていることになる。

 あの事は、屋敷の人間以外は誰も知らないはず。いるとしても、片手で数える程度だろう。何せ、あの一件で生き残った貴族は誰一人としていないという。知っているとするならば、あの一件に間接的に関わった者だけだ。

 屋敷の者がばらすはずがない。けれども、彼らは知っている。それは、かなりの情報通が協力者にいるか、またはその傭兵の中にいるということになる。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。大事なのは、頼りになるかということだ。

 この屋敷にはレイクがいる。彼は手練だ。それも相当の。彼にかかれば、そこらの兵士百人でも相手にならない。言いすぎだ、と言われるかもしれないが、そう思えるほどの実力を持っているのだ。

 しかし、そんな彼でも一人しかいないのは事実。例えどんなに強い人間でも、たった一人だと不意をつかれてやられてしまうことなどよくあることだ。故に、ギルバートを守れる存在が増えることは、シャロンにとってもありがたいことなのだ。


(ギルバート様、か……)


 自分の主の名前を心の中で呟きながら、シャロンはアリシアに質問する。


「……ねぇ、アリシア」

「ん? 何だ?」

「もうそろそろ、ギルバート様を信じても良いんじゃない?」

「嫌だ」


 即答だった。

 答えが返ってくるのがあまりに早く、シャロンは苦笑いする。


「嫌って……アシリア、貴方、何か勘違いしてるわ」

「勘違い? 何を? アイツが私を買った理由をか?」

「……アリシア。自分のご主人様に向かってアイツ呼ばわりはいくらなんでもひどすぎよ。撤回しなさい」

「そんなの……」

「アリシア」


 いつもと違って真剣に、そして真っ直ぐと見つめるシャロンの目は怖かった。

 それはつまり、シャロンが真面目になっていることを意味していたからだ。


「……ご主人様が私を買った理由なんて、分かりきってる……」


 アリシアはふてくされた子供のように呟いた。いや、実際に子供で、ふてくされているので、ようにという表現は間違っているのだろう。


「メイドとして雇うなんてものは建前だ。本当の理由は、自分の慰めモノにする。それ以外にわざわざ高値の金を出してまで、奴隷を買う理由があるか?」

「……、」


 シャロンは何も答えない。

 アリシアはそのまま続けて言う。


「奴隷を買う貴族なんてモノは、みんなそうだ。誰もかれも、奴隷を家畜かそれ以下のモノとしてしか見ていない。羞恥をさらさせて、喘ぎ苦しむ声を聞いて楽しむような人種なんだ。そんな奴をどうやって信じろっていうんだ」


 彼女の言うことは尤もだった。

 この国の貴族は奴隷買いをする者が多く存在する。そして、それらは皆、彼女がいったような事を目的として奴隷を買っているのだ。奴隷という人間を、人間とは思わず、ただの道具としか思っていない。そういう連中がいるのは認めるし、事実だ。

 だがしかし、シャロンはアリシアに反論する。


「貴方の言うとおり、貴族にはそういった連中が多いわ。貴方が何を見て、何をされ、そして何を思ったのか。私には分からない。でもね、アリシア。貴方も分かってるはずよ。あの人に限ってはそういうことは絶対にありえないって」

「それは……」


 と一瞬口がごもるアリシア。

 しかし、すぐに続けていう。


「……万が一ということもあるし……」

「確かにそうね。でも、万が一なんてことは起こらないわ。だって、あの人は……」


 瞬間だった。

 シャロンは突然と背後から何者かによって、口を抑えられた。


「―――ッ!?」

「シャロ―――ッ!?」


 シャロンの名前を叫ぼうとしたアリシアもまた同様に何者かによって、口を抑えたれた。

 しかし、口は抑えられても目はまだ隠されていない。

 シャロンは自分の口を抑えてる人物を見た。

 黒ずくめの格好をした、いかにも怪しい奴である。

 顔は仮面で覆われており、分からない。男か女かすらも、正直判断しかねる。ただ、同じような人間が五、六人いることは何とか把握することが出来た。


「騒ぐな。無駄な事は嫌いな質なんだ」

「……、」


 言われて、シャロンはムッとした目つきで背後の人物を睨みつける。恐らく、声から察するに男だろう。シャロンの口を抑えている手もかなり大きい。

 怪しいといわんばかりな格好の奴らだ。

 おそらくは、ギルバートの命を狙いに来たのだろうが……。

 仮面の男は、シャロンを見て「ほぉ」と感嘆の声を出す。


「この状況でその目つき……いい度胸しているな、アンタ」

「……、」

「おっと、この状況だと喋ることができなかったか。騒がない、と約束するなら離してやってもいい」


 そう言う仮面の男に、シャロンはコクリと頷いた。

 すると、「良し」という言葉と同時に、シャロンの口から男の手が離れた。

 その瞬間。


「きゃあああああっ!?」


 黒ずくめ達はその声に驚いた。

 と同時に、シャロンを捕まえていた男が、彼女に一発殴る。ゴンッという鈍い音は、彼女の頬から響き、シャロンは口から血を垂らしていた。


「……どういうつもりだ」

「これで、屋敷の者が駆けつけてくるわ。貴方達を捕まえるためにね」

「このアマ……舐めた真似しやがって……!」


 不意に取り出されたのは、一本の短剣。

 鋭い切っ先を男はシャロンに向ける。


「おい、よせって。傷物にしてどうする」

「うっせぇ。どうせ、お目当てはそっちのガキだ。この女がどうなろうと別に構いやしねぇだろ」

「馬鹿、後で犯す時に傷物なんて嫌だろうが。女は顔が大事なんだからよ」

「……チッ、そうだったな」


 黒ずくめの一人に言われて、短剣をしまう男。

 だが、男の怒りはどうやら収まっていなかったようで。

 短剣をしまった瞬間、今度はシャロンの腹部に拳を入れた。


「がっ、は……っ!?」

「要は見えないところを傷つけりゃいいんだろ? つっても、傷というよりは、痣になりそうだが」


 シャロンはそのまま床に倒れた。すると、男は次々と彼女の腹に対して蹴りを入れていく。ドゴッ、ドゴッという鈍い音は、その蹴りがいかに痛いのかを物語っている。


「――――ッ!!」


 アリシアはやめろと叫ぼうとする。だが、それを背後の仮面が邪魔をする。とは言っても、彼女が叫べた所で、何かが変わるわけでもない。しかし、それでも、自分の知り合いが蹴られているということに、黙っていられなかった。

 そして、十回程蹴り終わると、男は一息をついた。


「ふぅ……こんな所か?」

「もういいか? さっさとズラかるぞ。でないと、本当に屋敷の奴が来るかもしれないからな」

「ビビリすぎなんだよ、お前は。とは言っても、厄介な事になる可能性はあるからな。続きは後にしてやるよ」


 男はまるでモノのようにシャロンの髪を引っ張り上げる。

 そして、男と目が合った時、彼女の目つきは未だに変わっていなかった。 


「ほう、まだそんな目つきができるか。まぁいい。そっちの方が落としがいがあって面白いからな。楽しみにしとけよ。俺がいなきゃいけない体にしてやるからよ」


 言われて、シャロンは歯を食いしばる。

 こんな奴に、そんな事をされてたまるか。

 自分がもし、そういう事をされるとして、許せるのはたった一人だけ。

 あの人だけだ。

 反撃したい。けれども、先程蹴られまくったせいか、体が言う事をきいてくれない。シャロンは男のなすがままに引きずられていく。

 このままではまずい。本当にまずい。


(誰か……誰か来て……っ!!)


 シャロンが心の中で叫んだその時。

 突然と、シャロンを捕まえていた男が吹き飛んだ。


「え……?」


 呆気に取られるシャロン。彼女だけではない。アリシアやその他の仮面の黒ずくめ達もまた、彼女と同じくして、何が起こったのか把握しきれていない。

 シャロンが何かをやったわけではない。本当に、突然と男が吹っ飛んだのだ。

 まるで、誰かに殴り飛ばされたように。


「おいおい、女はもうちょい丁寧に扱えよ」


 そして、気づくとシャロンの目の前には、一人の女性がいた。

 綺麗な女性だ。長い紫のポニーテールに純白といっていい程の真っ白な服を身に纏っている。歳はおよそ二十歳前後だろうか。

 声がするまで、シャロンはその存在に気づかなかった。こんなにも存在感があるというのに、いつからそこにいたのか、どこから現れたのか、全く理解できない。

 それは、他の者も同じ考えだろう。

 女性は、右手を回しながらぶつぶつと何かを呟いていた。


「誰だ、お前は!!」

「またその質問か、最近多いんだよなぁ、そういうの……まいっか、尋ねられてんだから、応えるのが礼儀って奴だよな」


 女性はまるで余裕だった。

 そして、その余裕な態度のまま質問に答える。


「殺人鬼だよ」


 そうして、彼女は名乗る。

 毅然とした態度で、そして堂々を胸を張ってシニカルな笑みを浮かべながらこう言った。

 まるで、それはいつもやっているように。


「狂った愚かな、通りすがりの殺人鬼だよ」


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