2
名門ディスカビル家。
この国の貴族の中でも、それなりに名の知れた家系であり、その祖先はこの国の創立にも携わっていたらしい。
数十年前まで、没落貴族と呼ばれていたが、今の当主になってから息を吹き返したように財政難を乗り越え、再び名門と呼ばれるまでに成り上がった。
だがしかし、光あるところに影がある。ディスカビル家の当主は何でも変わった趣味の持ち主のようで、下町の者からは相当嫌われている。
その趣味というのが、奴隷だ。
当主は何人もの奴隷を買っているようで、彼の館で働いている者のほとんどは奴隷だという噂すらある。しかも、これまた美男美女揃いらしく、確実にいやらしいことを考えてのことだろうと推測されていた。
そんな風潮の貴族だ。下町の連中が嫌うのも無理はない話ではない。ベルセルクの経験上も、そういった奴はロクでもない者たちばかりだった。
先日、起こった貴族の皆殺し事件。その場所にその当主の所にも招待状が来ていたらしいのだが、何故だか当主は断り、その結果難を逃れたらしい。そして、それこそが次に狙われているという理由だった。
しかし、そんな奴だからこそ、下町のギルドやら傭兵は誰もその当主を護ろうとはしないらしい。
そして、その事実はベルセルクのような部外者の傭兵にはぴったりな仕事である。
そんなこんなで、ベルセルク一行はディスカビル家の屋敷前に来ていた。
「ここですね……」
と一人確認するリッドウェイ。その隣にベルセルクとシナンは一列に並ぶように立っていた。
貴族の屋敷、と聞いていたのでまた豪勢で無駄に金をかけているのだろう、というベルセルクは予想していたが、その考えは見事に外れた。
ディスカビル家の屋敷は、ベルセルクが見てきた貴族達のものとはまた違っていた。確かに、普通の家よりは大きい。広さもそこらの貴族とは違い、かなりものだった。しかし、その装飾やら造りがどことなく質素である。門の外から見える庭園やら噴水は手入れはされているものの、それほど評価できるものではなかった。見方によってはこれも風情があるといえばそうなるのだろうが、金をかけているかどうか、と言われれば、確実にノーだ。これは、前のシファールでのリリア王女を思い立たせるものだった。彼女もまた自分の周りのものにあまり金を使っていなかったのだ。
ここの当主もそういった類の人間なのだろうか、と疑問に思いながらも、ベルセルクは首を振った。そんなことはどうでもいい。ここで大切なのは、ここの当主がベルセルクが満足するだけの金を払えるかどうか、ということである。もしこの質素な造りの原因が金がないから、と言うのならば今回の件はおじゃんだ。
などと、考えているとベルセルクは少し妙だと感じ取った。
「……少しおかしいな、ここ」
「え? そうですか?」
「門に門番がいねぇ。貴族の家なら、そういった輩の一人や二人、いるはずなんだが……」
「確かにそうですよね。今の僕達みたいに、来客が来るかも知れないのに……ましてや、急な貴族の来客が来たとなったら失礼に当たりますよね」
そうなれば、評判は落ちてしまう、というのもあるが、ベルセルクが気になっているのはそこではない。
噂程度ではあるが、今の当主は命が狙われているのだ。そんな時に、門番がいないとなると、少々無用心過ぎではないだろうか。まぁ、堂々と真正面から狙ってくる馬鹿はいないだろうが、それでもこれは異常なことだ。
どういうことだこれは、と表情をムッとさせるベルセルク。
するとその時。
「……ンーッ! フンーッ!!」
ガサゴソという妙な音とともに、門の隣の草木からこれまた妙な声が聞こえてきた。
ん? と同時に顔を見合わせる一同。人の声だというのは分かった。取り合えず、ベルセルク達は声がしてくる方向を見た。
するとそこには、一人の少女がいた。可愛らしい少女で、長い朱色の髪に、メイド服らしきものを着ている。恐らくはこの屋敷のメイドか何かなのだろう。
しかしまぁ、その光景は異様だった。何が異様かと言うと、その少女の姿は上半身しか見えていないのだ。屋敷の周りに張り巡らされている大きな柵。その柵の一部が壊れているように見える。そして、それは小さな子供が一人抜けるかどうかの抜け穴のようなもので、彼女は今、その穴にすっぽりと詰まっているのだ。
少女は何とかその穴から脱出を試みているが、その奮闘も虚しく、彼女の体はうんともすんともせず、その穴にはまったままである。
顔を赤くしているところをみると、全力は出しているようだ。いやはや、何というか、こういう場面を見てしまうと何と反応していいものは分からない。
しかしふとシナンの方を見ると、何故かうっとりとしていた。「か、可愛い~……」と呟いていたが、それは聞かなかったことにした。
「お、おい、そこにいる奴ら、ちょっと手を貸せ!!」
突然と話しかけられたと思ったら、いきなり命令口調。はっきり言ってベルセルクはこういった種類の人間はあまり好きではない。それも、自分より年下の人間に言われるのは特に、だ。
故にベルセルクは少女を無視することにした。
「さて、お前らさっさと中に入るぞ。門番がいないようだが、まぁそれはあっちの責任だ。入っても文句はないだろ」
とベルセルクは門を開けてさっさと中に入ろうとした。
「ちょ、お前!! 人が困ってるってのに見捨てていくのか!! 助けようと言う気はないのか!! それでも人間か!! この悪魔、外道、人でなし!!」
などと罵倒が聞こえてくるが、ベルセルクは聞こえない振りをし続ける。
が、ここでベルセルクは自分には一人見捨てると言う行為ができない弟子がいることを思い出す。
「師匠、助けてあげましょうよ」
「そうですよ、ダンナ」
「俺はああいう奴が好かん。故に助ける義理もない」
「それはそうですけど……困ってるみたいだし……」
「初めてあった人間に対して命令口調で、しかもあれだけぎゃあぎゃあと騒ぐだけの体力があるんだ。別に助けはいらないだろ」
「……師匠が嫌いなタイプの子みたいなのは分かりました。けど、師匠もそんな子供っぽいこと言わないで、ほら早く助けてあげましょう」
「あん? 俺のどこが子供っぽいだと?」
「ちょっと上から目線で言われたくらいでムキになってるところが、です」
「……、」
言われて、ベルセルクは無性に腹が立ったが、すぐさま我に返った。こんなことで怒ってしまってはまさしくシナンの言うとおりではないか。
全く、と思いながらもベルセルクはため息を吐き、少女の前まで行き、彼女を見下ろす形になりながらしゃがみこむ。瞬間、少女の目線があった。攻撃的な目だ。こういうのを釣り目というのだったか。見た目どおり気性が荒いように思える。
「おいガキ」
「な、何だ」
突如として声を掛けられたせいか、少女は少々動揺していた。
「助けて欲しいか」
「あ、ああ。そうだ」
「なら『助けてくださいお願いします』と言え」
「なっ、お前……」
「言わないのか? なら別に構わないが……」
と言って立ち上がるベルセルク。
「ま、待って!! 待ってくれ!! 分かった言う、言うから!!」
今度こそ本当に見捨てられるのだと思ったのだろう。かなり焦りながらベルセルクを引き止める。
別にベルセルクは面白半分でこんなことをしているわけではない。自分の立場を弁えない少女に対して『教育』しているに過ぎないのだ。
それから少女は数拍の沈黙の後、ボソリと呟いた。
「……ください……します……」
「あん? 何か言ったか?」
「助けてくださいお願いします!!」
今度こそ大きな声ではっきりと言った。
それはちゃんとベルセルクの耳に入ってきた。
その後、ベルセルクは約束通り、少女を助けることにした。
少女の首根っこを片手で掴み、思いっきり引っ張る。その時、ビリリッと何かが破ける音がした。メイド服のどこかが破けたのだろう。しかしベルセルクは気にしない。
そうしてベルセルクは少女を片手で持ち上げていた。その背丈はかなり小さかった。これはシナンといい勝負……いや、それ以下か。先ほどの音はやはり破けた音だったようで、メイド服の裾は少し破けており、太ももが露になっている。
宙ぶらりんになった少女はその格好が嫌なためか、いきなり暴れだす。
「放せっ、放せと言っている!! 私は玩具じゃないんだぞ!!」
瞬間、ベルセルクはその手をパッと放した。
「うわっ!?」
ドンッと何とも間抜けな音を立てながら少女は地面に尻をぶつけた。
「な、何をする!!」
「お前が放せと言ったから放した。それだけだ」
「いきなり放す奴があるか!! もっとゆっくり降ろせ馬鹿!!」
「うるせぇガキだな。潰すぞ」
言いながら、ベルセルクは剣を半分抜く。それを瞬時にシナンはとめに入る。
「ちょ、師匠!! 何やってるんですか子供相手に!! っていうか、そうやってすぐ剣を抜こうとするのやめてくださいって!!」
「こういう口の利き方がわからねぇ奴には指導がいる」
「だからって何で剣を抜くんですか!! ほら、もう怖くて怯えてるじゃないですか!!」
シナンに言われて、ベルセルクは少女を見る。彼女の言うとおり、体をブルブルと震わせながら小さくなっていた。先ほどまであれだけ攻撃的だってのにも関わらず、今ではまるで小動物のようだった。
反省……というより、恐怖しているのだろう。まぁ、どちらにしても、これだけやったのだ。もう脅す理由はないため、ベルセルクは一応剣を抜くのをやめた。
と、その時。
「おやおや。こんなところで何をやっているんですか、アリシア?」
またしても見知らぬ声がしてきた。
振り返ると、そこにいたのは飄々とした態度の青年だった。銀色の髪に青みがかった色の瞳。特徴的なのは、執事の格好をしているということと、左目に眼帯をしていることだった。
青年の声がした瞬間、少女……アリシアがビクッと体を震わせたのをベルセルクは見逃さなかった。どうやら、彼女にとってこの場では会いたくなかった存在のようだ。
青年に対して顔を向けないまま無言を貫き通すアリシア。代わって青年が言葉を続ける。
「ま~た抜け出そうとしてたんですね? 全く、あれだけ失敗しているというのに懲りてないとは。学習能力がないというのはまさにこの事ですね~」
「う、うるさい!! お前に言われたくないわ、この変態執事!!」
「おやおや、変態とは心外ですねぇ。ワタシの性格がそんな生ぬるい言葉で収まるとお思いとは」
今の発言で発覚したことが三つある。
一つ、青年はやはり執事であるということ。
二つ、アリシアは何度もこの屋敷を抜け出そうとしていたこと。
三つ、青年は確実にヤバイ性格の持ち主であること。しかも、言動からして変態では収まりきれないほど。
ああ、何かマズイ場面に遭遇したな、とベルセルクはここに来たことを今更ながら後悔していた。
「おんや、アナタその服どうしたんですか?」
「あ? 服がどうしたって……っ!?」
言われてアリシアは自らの服の状態に気づいた。いや、遅いだろ、というツッコミは入らなかったが、ベルセルク一行は同じことを考えていたに違いない。
そして、アリシアは迫るようにベルセルクに詰め寄った。
「お前!! よくも私の服を台無しにしてくれたな!! 弁償しろ!!」
「あん? んなこと俺の知ったことじゃねぇ。テメェがあんな所で詰まってたのが元々の原因だろうが」
ベルセルクは親指で先程の抜け穴を指す。
それに対し、アリシアは顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「それならもっと丁重に出せ!! さっき何か変な音がしたな~と思ってはいたが、まさか服が破けた音だったとは……!?」
いや、だから遅いって。何で気づかなかった? とまたもや三人の思考はシンクロする。
そんな三人に、正確に言えばベルセルクに向かって猛烈に怒号を浴びせるアリシアだったが、次の瞬間、その頭に拳骨が入ったことにより、罵声は止まった。
「いたっ……!?」
「人のせいにするとは何事ですか。アナタはそれでも、ディスカビル家にお仕えするメイドですか」
「誰がメイドだ!! 私はここのメイドになった覚えはない!! お前らが勝手にそうしただけだろう!!」
「ええそうですとも。ちゃんとした手続きをとり、きちんとした契約をし、そして何の不備もない形でワタシ達はアナタを買ったんです」
「……っ」
買った、という言葉が出た瞬間、アリシアの表情が変化する。それは憤怒のような形相であり、今にも飛びかかりそうな勢いだった。
だが、執事青年はそれを全く気にしていなかった。むしろ不敵な笑を浮かべているように見える。
文句があるのなら、かかってこいと言わんばかりに。
明らかに挑発している。それはすなわち、アリシアが襲ってきたとしてもそれを難なく過ごせる自信があるのだろう。
それを理解しているのか、はたまたやる気が失せたのか、アリシアはため息をついて執事青年から視線を逸した。
「……いい判断です。この場で私に襲いかかってもアナタには何の利益もありませんからね。そういうことはちゃんと学習しているようだ」
ニコニコと笑う青年執事。だが、その笑みの裏にはとんでもないモノがありそう……いや、確実にあるに違いないとベルセルクは確信した。
こういうのには関わらない方がいいのだが、どうやらそうもいかないのが現実らしい。
「とまぁ身内の話はそこまでにして……そちらの方々はどうやらお客人のようですね。我が主の屋敷に何か御用でしょうか?」
「ええっと……ここってディスカビル家のお屋敷で間違いありません……よね?」
「もちろん。ここは正真正銘、我が主ギルフォード・ヴィ・ディスカビル様のお屋敷です。ちなみにワタシはここの執事長をやっておりますレイク・ブライサスといいます。そっちはアリシア。メイド見習いです」
シナンの問いに、青年、レイクは懇切丁寧に答える。
「……その格好からして、もしやお三方は傭兵か何かですか?」
「ああ。一応な」
「そうですかそうですか……なるほど、ということはアナタ方はワタクシ共に雇われにやってきた、ということですかね?」
「そういうことだ」
ふむふむ……と頷きながらレイクはベルセルク達を見る。その視線は品定めをする商人のようだった。ベルセルク達をじっくりと観察しているのだろうが、こういうことに対してベルセルクはあまり好印象が持てない。
そして、ようやく見定まったのか、レイクは三人に向かって笑顔でこう言った。
「見たところかなり腕はたつようですが……生憎とそういった事を決めるのはワタシ一人の判断ではしかねます。と、いうわけで、どうぞ中に入ってください。話は我が主に直接会ってから、ということで」
そういってレイクは招くように、右手で館を指し示す。
その顔は未だに笑みのままだった。しかし、ベルセルクは見逃さない。表情は笑っていても尚、彼の目が笑っていないということに。
この時、ベルセルクは確信してこう思った。
また面倒な仕事になりそうだ、と。