21
戦いは終わり、悪者はいなくなった。
普通なら、物語はここで幕を閉じる。
しかし、悲しいかな、この物語はここではまだ幕を閉じない。
何故なら、まだとてつもなく厄介で、そして愚かな奴らが残っているからだ。
「ば、化物はいなくなったのか……?」
「よ、良かった……一時はどうなることかと……」
散り散りになっていた民衆が戻ってきた。
そのほとんどが、アーヴィンがいなくなった今の状況にホッとしていた。
化物がいなくなったので、はい終わり、となれば誰も苦労はしないのだが、しかしてこの民衆はその程度では終わらない。それならば、アーヴィンが復讐を企むことも、この革命も起きることなどなかったはずだ。
「けれども、どうしてあんなものがこの国に……?」
「やっぱり、王女だ。絶対にそうだ。自分が殺されそうになったから、王女が自分で呼び出したんだ。俺たちを殺して、自分が生き残るために」
「ああ、何という恐ろしい娘だ」
「やはり、あの王女は呪われている。不幸の象徴だ。即刻殺すべきだ」
「ぐずぐずしてると、またあんなのが来るかもしれない」
「早く、早く王女を殺してくれ!!」
そうだそうだ!! さっさと殺せぇ!! と、あいも変わらず何とも愚かしい発言をする人々。いやはや、ここまで来ると、アーヴィンを倒してしまったことに対し、少しばかり悔いが残る。
別にベルセルクは、こんな奴らのためにアーヴィンを倒したわけではない。自分が倒したいと思ったからこそ、戦ったのだ。そのことに対し、何の未練もない。
だが、結果として、こんなクソみたいな奴らを助けるハメになった。
ベルセルクはアーヴィンという男を認めていた。男として、戦士として、そして一人の敵として。そんな奴の死が、こんな程度の低すぎる奴らの得になっていると思うだけで、苛立ってしまう。
ベルセルクは完全に怒りを感じている。そして、それはベルセルクだけではなかった。隣にいるシナンもリッドウェイも同じような思いなのだろう。顔を見れば、一発で分かる。
さて……そろそろ我慢が限界に到達する。
傲慢不敵、自分勝手な人間であるベルセルクが、我慢をするということがとてつもなく珍しいことではあるが、それももうここまでだ。
こんな奴らを生かしておく理由も、殺してはいけない理由もない。そんなもの、初めからなかったが、ここに来てベルセルクの数少ない理性が飛びそうになる。
限界だ。
そう思い、ベルセルクは剣を握り、そして担ぐ。
ここで暴れまわって、なぎ払って、そして殺しまくっても何の解決にもならない。事態は最悪の方向に向かうだろう。
そんなことは分かっているし、理解もしている。
けれども、それがどうした。
そんなもの、ベルセルクには関係がない。この国がどれだけ悪化しようと、どれだけ廃れようと、どれだけ滅びようともうどうでもいい。むしろ、そっちの方が気分がいい。
こんな国など滅んでしまった方が、世界のためだ。そう言ったアーヴィンの気持ちが少しばかりか理解できる。
誰がとめようとも、無駄だ。例えシナンやリッドウェイが体を張って止めたとしても、俺は止まらない。止まるつもりなど毛頭ない。
最初からこうすれば良かった。シナンを止めたのは自分だが、しかし今になって彼女の選択が正しかったと思い始める。
そうして、ベルセルクは自らの剣に力を入れ、飛び込もうとした時。
「いい加減にしろ!!」
突如と、いきなり、何の前触れもなく。
カイン・アルベールが叫んだ。
その、あまりの覇気に民衆は驚き、黙り込む。
ベルセルクやシナンたちは、その姿をじっと見ていた。
そこにいたのは、いつものカインではない。人を観察するような曲者じみた性格をした男ではない。
一人の人間、そして全てを知っている人間として、そこに立っていた。
「まだ分からないのか!? 自分たちの誤りに気づかず、自分可愛さに他人を傷つけ蔑み、手を差し伸べなかった僕たちが、この災厄を呼んだ何よりもの原因だというのが!!」
カインは叫ぶ。心の底から叫び続ける。
それは、何も知ろうとせず、そして知った上で未だに他人に全てを押し付けようとする民衆に対しての怒り。さらには何もできなかった自分への激しいやるせなさ。そんなものが混じっているのだろう。
ベルセルクにはカインの気持ちなど、分かるわけがない。何故なら、ベルセルクはカインではないのだから。いや、この世に他人の気持ちを全て理解できものなど、いるはずがない。人というのは、それぞれ違った思考をもって生きているのだ。
だが、この時、この瞬間のカインの思いは、少しだけだがベルセルクにも伝わってきた。
「僕たちは間違っていた……僕たちは罪を犯してきた!! それをどうして分かろうとしないんだ!! どうして理解しようとしないんだ!! 誰かが少しでも自分たちの過ちに気づき、そして手を差し伸べていたのなら、こんなことにはならなかったんだ!!」
カインの言葉に、誰も反論しない。
できるわけがない。
カインの言っていることは、全て事実だ。そして、正論だ。それを否定するということは、自分たちが間違っていると言っているようなものである。
だから、誰もが彼の言葉に耳を傾けるしかなかった。
自分たちが間違っていたと。過ちを犯し続けていたと。
それが真実で、現実だとうことを叩きつけられても。
それでも、彼らは聞くしかなかった。
「今からでも遅くはないとは言わない。もう遅すぎた。僕たちは多くの犠牲を出してきた。自分たちのため、他人を犠牲に生きてきた。それを覆すことはできないし、贖うこともできない……恐らく、もうやり直すこともできないだろう。……けれど!! それでも僕たちは生きていくしかない。もう二度と同じ様なことを繰り返さず、そして今度は、今度こそは、僕たちは新しく生まれ変わるんだ!!」
饒舌、とでも言うのだろうか。カインの言葉はベルセルクの何かを震わしていた。
しかし、それはただ単に話が得意だとか、相手を説得する才能があるだけではないだろう。今の彼は心の底から、思ったことを思ったように言っているに過ぎない。
見かけによらず、熱い男だ。
もはや、彼の言葉を聞いてしまったベルセルクに、剣を振るう気も失せてしまった。
これでもまだ、王女を殺す、などという奴がいれば、それこそ本当の愚か者だ。
「……カイン様の言うとおりです」
突然と、ベルセルク達の背後から声がした。
ふと、振り返ってみると、そこにいたのは、ボロボロになったジャンヌだった。
「ジャンヌ……」
「私たちは間違っていた……過ちを犯し続けてきた。それを理解するのが怖くて、王女という人間に全てを押し付けてしまった。それが、全ての原因。私たちが行ってしまった罪だ」
ジャンヌはゆっくりと、しかし確実に一歩一歩前へと進む。
その姿は、前に見た高飛車な性格の彼女ではない。自分の考えを他人に押し付け、尚且つそれを正しいと信じてきた愚者ではない。
そこにいたのは、全てを知り、そして理解し、分かった一人の女である。
そうして、ジャンヌはカインの隣に立つ。
まさしく、リーダーを支える副長の姿で。
「……みんな聞け。もう、王女を……リリア様を処刑しようとは思うな。それは、ただの罪の擦りつけだ。そんなことをしても、誰も幸せにならないし、この国から不幸がなくなるわけでもない。私たちが
自分の罪を、過ちを認めない限り、同じようなことは何度もでも起こるだろう。だから……」
もうやめよう。
その声は、ここにいる全ての人間の心の底に伝わっただろう。その証拠に普通の人間とはズレているベルセルクにさえ、何かを感じることができた。
見違えた。あのジャンヌがここまで変わるとは、はっきり言って思わなかった。予想外だ。
先程まで気絶していたかと思われたが、もしかしたら、ジャンヌはことの一部始終を見ていたのかもしれない。そして、アーヴィンという男がどうしてああなってしまったのか、そして自分が信じてきたのが、偽りのものだったというのを理解したのかもしれない。
これはただの予想であり、推論だ。
ベルセルクが思っているだけで、本当かどうかは分からないし、恐らくは知ることはできないだろう。けれども、何かが変わったのは間違いがない。
カインの熱い叫びと、ジャンヌの悟ったような言葉。
それらに対し、誰も反論しない。反対しない。否定しない。
誰も彼もが、彼らの言葉に耳を傾け、そして聞いていた。その表情は何とも言えないものだった。当然、と言ってしまえばそうなのかもしれない。自分が今までこうだと信じてきたものが間違いだと認めなければならないのだ。困惑するのが普通だろう。
それでも、彼らは受け入れるしかない。
そうしなければ、本当にこの国は終わってしまう。
自信過剰になれとは思わない。ただ、他人任せにしすぎたのだ。そして、責任までもをたった一人の少女に押し付ける。そういった思想を捨てない限り、この国に、明日はない。
ほとんどの者が、それに気づいているのだろう。けれど、中にはまだ怒りを隠しきれない者がちらほらを見受けられる。
仕方ない、とベルセルクはこころの中でため息を吐く。
「……俺は別にこの国に何の恩も義理もない。だから、この国に対して何かしらしようとは思わない。面倒なのは、もうゴメンだからな……ただ」
と言いながら、担いでいた剣をそのまま民衆に向ける。
「これ以上、馬鹿なことを抜かす奴がいるのなら、そいつを徹底的に潰すくらい、わけないぞ」
ゾッとした口調。
たった一言で、その場の空気を一気に凍らせる。もはや、その言葉の前に人々の怒りは消え、逆に恐怖が刻まれたことに違いない。
こうすることによって、本当にこれ以上無駄なことを言う奴はいないだろう。
言葉通り、ベルセルクにとってはこの国には何の執着もない。
ただ、もうこれ以上の面倒事が起こるのも嫌なのだ。
ベルセルクの一言に、人々は完全に口を閉ざし、そして考えることだろう。
これからの、国について。
そうして、今度こそ全てが終わりを告げた。
*
結論から言うと、シファール王国はカイン・アルベールという男を筆頭に新しく生まれ変わった。
国の王、というわけではないが、実質上それと同等の立場にカインは立ち、そしてジャンヌは副リーダーとしてそれを支えることとなった。
王女リリアとその執事レンは、どうなったかというと、これは人によっては納得がいかないかもしれない。
彼らは国から追放されることとなった。いくら、人々があの場で自分の罪を認めたからといって、あの場にいなかった者にはそんなもの通用しない。この国には、まだまだ愚かな奴らが大勢いるのだ。
しかし、王女は処刑、という愚かどもの言葉を一気に押しのけ、追放という形にしたカインの手腕は素晴らしいものなのだろう。だが、実際の所、彼は新しい国のリーダーには、リリア王女について欲しかったと呟いていたという噂もある。まぁ、見かけがアレで日常的な場面では飄々とした男ではあるが、やはり未だに罪悪感を感じているに違いない。王女自身は、気にするな、と言っていたにも関わらず、だ。
あの男はあの男で、やはりかなり面倒な性格をしているのだな、と改めて実感したベルセルクであった。
アーヴィンの亡骸についてだが、リリアとレン、カイン、そしてベルセルク一行によって手厚く埋められた。ベルセルクもその場にいたが、何やら不思議な気分であった。
自分が殺した男の墓を自分が作ることなど、人生で二度目だ。
一度目はそう、自信の師匠である『あの男』だ。
『あの男』の時もそうだったが、ベルセルクもいつか自分もこうなるのでは、と思ってしまう。
人間はいつか死ぬものだ。そうなっても不思議ではない。こういう死に方をしても、おかしくはない。
ただ、それがいつになるのかは、今は分からない。故に、そう深くは考えないことにした。
そうして、全ての事柄を終え、ベルセルク一行はレンとリリアと共に、首都入口付近にて歩いていた。
*
「さて……王女様。ここで一つ話がある」
ベルセルクは突然とそんなことを言い出した。
「話……ですか? それは構いませんが、王女はやめてください。私はもう王族の人間じゃないのですから」
王族ではない。確かにその通りだ。だが、それだけではないのだろう。自分を呼ぶときに、『わたくし』から『私』に変わってるところから見て、間違いない。
「……そうしたいのは山々だが、どこかの馬鹿がまた怒り出すからな」
ふと、ベルセルクはシナンを見る。今のは確実にシナンのことであるが、しかし当の本人は「ん?」と首を傾げるだけであった。
こいつ……本当に馬鹿だな。
いくら何でもここまでとは、と呆れるベルセルク。そして、そのことに気づいたリッドウェイは隣でクスクスと笑っていた。
「……で、話とは?」
「お前ら、これからどこに行く気だ。あてでもあるのか?」
「えっと……ありません」
あっさりとした反応。
しかし、彼女の目には何の不安や迷いはなかった。
「……けれど、恐らく大丈夫です。私には愛すべき人がいますから」
満面の笑みで答えるリリア。
その視線の先にいるのは、彼女を愛し、そして愛されている少年、レンだ。
言われて、レンは顔を赤くする。
「ちょ、王女様、いきなり何てこと……」
「あら、貴方まで私を王女扱い? もう、やめてって言ったのに」
「で、ですが……」
「ほら、また敬語」
「……、」
レンは言いくるめられていた。いやはや、流石は一国の王女だっただけの少女といったところか。
レンは、はぁ、とため息をつきながら、顔をリリアに向ける。
「分かったよ、リリア」
困ったような顔、しかしてその表情は確かに嬉しそうだった。
やれやれ、と言わんばかりな顔になるベルセルク。
「……いい雰囲気の所悪いが、仕事の話をさせてもらうぞ」
本当に、いい雰囲気の所に割って入るベルセルク。隣にいたシナンがムッとなったのは、彼には顔を見ずともお見通しだ。
しかし、今はそんなこと、どうでもいい。
「王女様。俺は引き受けた仕事にはきっちり支払いをしてもらうのを信条にしている。その代わり、仕事はしっかりするがな。そして、俺は今回、そこの元召使を助けた。さて、アンタは何を支払うんだ?」
そう、ベルセルクは結果的にリリアの依頼を完遂させたのだ。
依頼を果たしたからには、それ相応の報酬というものを貰わなければ、一流の傭兵とは言えない。別に一流だとか、三流とかそんなものはベルセルクにとって別にどうだっていいことであるが、金が絡んでくるとなると話は別だ。
ベルセルクの言葉に、リリアは困った顔になった。それはそうだろう。今のリリアに依頼料を払えるだけの支払い能力はないのだから。
「ちょ、師匠!! 何てこと言うんですか!! いいじゃないですか、それくら……ふぎゃっ!!」
毎度お馴染みと言った方が良いか、それともやはりといった方がいいか。シナンが割り込んできたので、ベルセルクはその頭に一発鉄拳を入れ、「黙ってろ」と言った。
そうして、何かを見据えたような顔つきで、リリアをもう一度見た。
「……で? どうする?」
「……すみません、今の私には貴方が満足するような額は持ち合わせてなくて……」
「だろうな」
予想していたとおり、と言わんばかりな口調だった。
「金がないなら、体で払うしかないな」
「か、体って……!?」
ベルセルクの言葉に、シナンは顔を真っ赤にする。
ああ、確実にこいつは変な方向に思考を持っていったな、と確信するベルセルク。一々否定するのも面倒なので、あえてそこでは何も言わない。
彼はただ、懐から一枚の紙を出す。
それは、手紙だった。
「ガリアクルーズのリドリアーナって街にいるマーテル・レヴァナントって奴に俺は少々ツケが溜まっていてな。そいつを支払うために、アンタらにはそこで働いてもらう。そうすれば、今回の件は全部チャラにしてやるよ」
それはつまり、自分の代わりに借金を支払え、と言っているようなものだった。
うわぁ、ホント悪趣味な人だなぁ、とシナンが思っている隣で、リッドウェイは何やら首をかしげていた。まるで、何かを思い出すかのように。
そして、ハッとした顔になったかと思うと、すぐさまニヤニヤ顔に変化する。
するとベルセルクの耳元で、こんなことを囁いた。
「……でも~確か、ダンナってあの店にはいつもちゃ~んと金は払っていたような気が……ごほぉっ!?」
本日二度目の鉄拳。
あの王女処刑の日、あんなにも格好良かったリッドウェイだが、余計なことを言う人間はやはり、こうなる運命なのだ。
どうしたのか、と言わんばかりな他一同に対し、「な、何でもないです……」とリッドウェイは殴られた腹を押さえながら答えた。
全くもって腹立たしい存在だ。
「やるか?」
「……はい。それで、今回の依頼料が払えるのでしたら。レンもそれで良い?」
「ええ。王女……ごっほん。リリアがそうしたいと言うのなら、僕はどこにでもついていきますよ」
リリアとレンはベルセルクの話に、承諾する。
商談成立。
話がまとまった所で、道が二手に分かれていた。
一つはガリアクルーズがある方向、そしてもう一つはその逆。
リリアとレンとは、どうやらここでお別れのようだ。
「私たちはここで失礼します」
「本当に……いろいろとありがとうございました」
二人は深く深くお辞儀をする。
「……シナンさん」
「え、あ、はい!」
「貴方はこれからとても過酷で辛い運命が待ち構えているのかもしれません。勇者とは、昔からそういう体験をすると聞いたことがあります。けれど、どうかその時が来ても自分を見失わず、そして思い出してください。貴方が助けた人間が、確かにいたことを」
「王女様……」
「こんなこと、何度も言うようなことではありませんが……本当に、ありがとうございました」
もう一度、リリアはお礼を言う。
そして、今度はベルセルクに視線を移す。
「ベルセルクさん。私は以前、自分は死んだ方がみんなのためだと思っていました。そうすれば、この国の人々が幸せになれると。本当に、そう信じてきました」
「……、」
「けれど、今は違う。もう私に国はありません。私はこれから、自分のために生きていきたいと思います。自分と、愛すべき人のために。だから、二度と自分が死ねば良いとは考えません」
「……それは結構なことだ。だが、何故それを俺に言う?」
「さぁ……どうしてでしょう。でも……何故か貴方に言いたかったんです。どうしても」
それはどういう意味なのか、ベルセルクにはさっぱりわからない。
分からないが……今はそれで良いと思う。
では、と言って二人はリドリアーナに向けて歩き出す。
同じような顔、同じような背丈、同じような体つき。
何もかもが似ていそうで、彼らは互いに愛し合っている。
ベルセルクは、その後ろ姿を消えるまで見ていた。
*
「いや~それにしても、今回も散々な目に会いましたね~」
お気楽げに言うリッドウェイの言葉に、ベルセルクは同意する。
「全くだ。これもどっかの馬鹿が来てからだな」
「なっ、それは僕のことを言ってるんですか、師匠!!」
「ほぉ? ようやく自覚が出てきたか。馬鹿でも成長するんだな。一応」
「一応って何です!! っていうか、僕は馬鹿じゃありません!!」
いつも通りの会話をしながら、ベルセルク一行はコンパスの指し示す方向へと歩いている。
散々な目、とは言っても、今回は規模が違う。本当に、一国を巻き込んだ騒動に巻き込まれたのだ。これから先も、こんなことが続くのか、と少々考えるベルセルク。
それもこれも、全部誰のせいか、というと隣にいる馬鹿のせいだ。
あの日、あの時、ゴロツキに絡まれているレンを助けなければこんなことにはならなかった。全くもって本当に厄介事の種である。
まぁ、確かにベルセルクもアーヴィンという強敵と戦えたことに一応は満足している。
しかし、だ。
これからもこんなことが続くのなら、ベルセルクがいかに強靭な体を持っていると言っても、いつまで持つか分からない。
本当に、困ったものだ。
「……どうしました、師匠?」
「いや……別に。それはそうと、シナン」
「はい?」
「お前、シファールに入ってから俺と本気で戦いたいとか言って、勝ったら何でも言うことを聞けって言ってたよな。お前、もし自分が勝ってたら、俺に何をさせたかったんだ?」
「っ!?」
ベルセルクの言葉に、赤面するシナン。
これは、前にも尋ねたことがある。しかし、結局のところはぐらかされて訊けずじまいだった。
咄嗟に思いついた質問だったが、シナンの反応からしてこれまた気になると思い始めたベルセルク。
シナンはそのまま数秒間、沈黙を続けたまま、下を俯いていたが、ようやく顔を上げた。
しかし、それでもベルセルクの顔を見ようとはしなかった。
「…………笑わない、ですか」
「ああ」
「…………絶対に、笑わないですか」
「ああ」
「…………絶対の、絶対に笑わないですか」
「ああ」
「…………絶対の絶対の絶対、笑わないですか」
「くどい」
いい加減我慢の限界に到達してしまう。
こうも何度も確認されてしまっては、くどいと思っても仕方のないことだと思う。
そうして、覚悟を決めたのか、シナンはついに告げた。
「……褒めて……欲しかったんです……」
……。
…………。
…………は?
一瞬、呆気に取られるベルセルク。
言われた内容は理解できる。理解できるが……その内容が、あまりにも想定外過ぎて、どう対処すれば良いのか分からなかった。
そんなベルセルクに、シナンは続けて言う。
「いや、その……僕、師匠の弟子になってから、まともにって言うか一度も褒められたことがなかったから……一度くらいはって……」
恥じらう女の子のように……いや、まさにそうなのだが、シナンは真実を語る。
そう言えばベルセルクは、シナンのことをまともに褒めた記憶がない。もしからしたら、所々で言っているかもしれないが、少なくとも本人の前では一度もないはずだ。
「そうか」
気になっていたことが解消され、納得したベルセルクはただそれだけをシナンに言う。
本当に笑わないベルセルクにシナンは驚きの顔つきになる。恐らく、絶対に笑われると思っていたのだろう。まぁ、普段のベルセルクからしてみれば、確かにそう思われても仕方がない。
だが、ベルセルクはそうはしなかった。
「おい、シナン」
ベルセルクは、再びシナンを呼ぶ。
今度は何を言われるのだろうか。やはり、文句や嫌味の一つや二つ、言われるのだろか。今の彼女はそんな表情をしており、容易にその心を読み取れる。
だが、しかしベルセルクが言おうとしているのは、そんなものではない。
「よくやったな」
ただ。
ただ、彼はそれだけを言った。
嫌味でも、文句でもない。ただ、彼はシナンを褒めたのだ。
今度はシナンが呆気に取られていた。それどころか、会話を聞いていたリッドウェイでさえ、驚きの表情をしている。
「アーヴィンに隙を与えたのは俺だ。そして、止めをさしたのは、あのカインって奴だ。だが、アーヴィンを戦闘不能まで追い込んだのは、他の誰でもない、お前だ。お前がいなければ、恐らく俺はここに立っていない。それだけは覚えておけ」
言うと、ベルセルクはもう何も言わなくなった。
ただ、こんなにも恥ずかしい台詞を言うなど、本当に自分は変わってしまったんだな、と心の中で囁いていた。
昔の自分なら、まず他人を、それも本人の前で褒めるなど、するはずがない。
ただ……自分も昔、一時だけ『あの男』に褒めてほしかった時期があったことを思い出していた。そのために剣を振るい、そして強くなる。そんな日々を送っていたことを、シナンによって思い出されたのだ。
慣れないことなど、したくはなかった。
けれども。
「……はいっ!!」
満面の笑みで答えるシナンの姿を見て、何故か別段こういうのも悪くないとまたもや自分らしからぬことを思うベルセルクだった。
そんなベルセルクの姿を見て、またもやニヤニヤ状態のリッドウェイ。そんな彼の顔面に、ベルセルクは蹴りをかます。
そうして九十九番目の勇者御一行の旅は、続くのであった。