20
全てが終わった。
全身を徒労に追われながらも、ベルセルクはそう思っていた。
傷だらけの体に、さらに負傷したのだ。普通なら、倒れている。それだけの怪我をベルセルクはしているのだ。
けれども、まだ倒れるわけにはいかない。
やるべきことが残っている。
目の前にいるのは、倒れているアーヴィン。体中から血という血が流れ出しており、いくら魔人でもこれでは助からないだろう。
そして、アーヴィンをここまでにしたのは、シナンだ。
「おい、シナン」
ふと、ベルセルクがシナンに対して言う。
「お前、よくここまで動けたな」
アーヴィンの傷の数からして、シナンがどれだけ斬ったのかは明白だ。その数はもはや数えられない。っというか、数える気にもなれない。
「これでも師匠の弟子ですから。これくらいなら、何とか」
などというが、彼女の速さは相当なものだった。もはや、ベルセルクのスピードを抜くのもそう遠くないはずだ。シナンの成長ぶりにはベルセルクでさえ驚かされる。
などと思いつつも、ベルセルクは苦い顔をしながら、アーヴィンを見る。
正直な話、こんな結果にはしたくはなかった。
アーヴィンはあくまでも一人だった。強大な力を持っていようが、強力な一撃を放つことができようが、それでも彼は一人だった。それは、彼なりのやり方であり、誠意なのだと思う。けれども、ベルセルクは一人ではなく、自分の弟子に最後を任せた。世間からすれば、二人で力を合わせた、という奴もいるかもしれないが、結局のところ、二対一なのだ。卑怯、とは言わないが何か釈然としないというか、勝った気がまるでしないのだ。
「……なんつー顔してんだよ、お前」
ベルセルクの視線に気づいたのか、アーヴィンは呆れたような口ぶりで言う。そんなことを言われるくらい、今のベルセルクの顔はひどいのだろう。
「まさか……自分が勝ったことに不満でもあるってのか?」
「……アンタは最後まで一人だった。力がどれだけ強かろうが、一人だってことにはかわりなかった。だが、俺は違う。俺は最後の最後で、他人に頼った」
ベルセルクは負けることを嫌う。そのため、あの状況で自分が負けないようにするにはどうすればいいのか、それを考え導き出した結果がこれだ。
確かに、この方法ならベルセルクは負けたことにはならない。事実、倒れているのはアーヴィンで、立っているのはベルセルクだ。
だが、負けなかったからと言って、勝ったことにはならない。
ベルセルクの言葉に、アーヴィンは、馬鹿馬鹿しそうにハッと鼻を鳴らす。
「そんなどうでもいいことを気にするな。お前は立っている。そして俺は倒れている。これが結果だ」
「……、」
アーヴィンはもしかすると、ベルセルクに気にするな、と言いたかったのかもしれないが、それでもベルセルクの気持ちは晴れない。
あの戦いは、ベルセルクにとっても何か感じるところがあった。それ故に、自分自身で決着をつけたかった。
「まぁ、何はともあれやるべきことは分かってんだろ?」
その通りである。
もはや戦いの結果は変えられない。そして、勝負が終わった後に何をするかなど、決まっている。
ベルセルクは自らの剣を握り締める。
今、彼の周りにはシナンとカインがいる。別に彼がやる必要はない。けれども、戦った者としてけじめはちゃんとしておきたい。
そして、アーヴィンに止めを指すために、剣を振り上げたその時。
「待ってください!!」
ベルセルクの前に、邪魔が入る。
それは、王女の姿をしたレンであった。
「レンさん!?」
「レン君、何を……」
「お願いです、この人を殺さないでください」
「……、」
レンの言葉に、ベルセルクの顔はムッとなる。
何を言っているのだ、と思ったのはベルセルクだけではないだろう。王女をあんな目にあった原因であり、そして何より先程まで自分達を殺そうとした者を庇おうなどと、普通ならありえない。
故に、ベルセルクは言う。
「お前、自分の言っている意味が分かってんのか?」
「馬鹿なことをしている自覚はあります。けど、それでもお願いします」
ベルセルクを前にしても、レンは真摯に彼を見ていた。すなわちそれは、ふざけているわけではない、という証拠だ。まぁ、こんな状況でふざけてないのは重々承知だが、それでもベルセルクにとってはこの行動は信じられないものだった。
「……何で、そいつを庇う? そいつはこの国をめちゃくちゃにした張本人だぞ? 別にこの国のことなんぞ知ったことじゃあねぇが、お前にとっては別なはずだ。そいつのせいで、王女の人生は台無しになったんだからな」
そう、王女の話やレンの行動からして、レンにとって王女は大事な存在というやつなのだ。ベルセルクにはそれがどんなものかいまいち理解しがたいものだが、それでも一度守ると決めた者の人生を狂わせた男を助けようとするのが、いかに愚かしいことかくらいは分かっているつもりだ。
そして、レンはそれを承知の上で、アーヴィンを見逃してくれと頼んできた。
「……この人は、僕と同じなんです」
「同じ?」
「そうです。僕は、復讐のために王宮に入り、王女様に……リリア様に近づきました。復讐を果たすため、ただそれだけのために僕はいろんな人を騙してきた。憎んで憎んで憎んで……そんな毎日を送っていました。復讐を誓った人間はそうしないと、生きていけなかったからです」
「……、」
「けれど、違った。実際は憎まなくても、恨まなくても生きていけるんです。僕はそれをリリア様から教えられました。僕はあの人を愛することで、人生が変わった。生きていて、楽しいと思えたんです」
復讐しかなかった少年に、リリアは愛という素晴らしいものを教えた。それが意識的か無意識的かはベルセルクには判断しかねない。けれど、それがあったからこそ、レンは復讐をせずに生きてこられ、今ここにいるのだ。
「僕はアーヴィンさんの気持ちがよくわかります。大事な人を殺されて、誰かを憎む気持ちが痛いほど理解できます。けど、だからこそ知ってほしいんです。大事なものを無くしたからといって、復讐しか残されているわけじゃないんだって。もっと素晴らしいこともあるんだってことを!」
ベルセルクに対して、レンは叫ぶように言った。
詭弁だ。レンが言っていることは、ベルセルクにとってはどうでもいい事だ。復讐以外の素晴らしいことを知ってほしい? そんなもの、この男が受け付けるわけがない。こいつはベルセルクと同じ種類の奴だ。戦いに生き、そして戦いに死ぬ。そんな男が、生ぬるい生活に満足するとは思えない。
だが、どうしてだろうか。ベルセルクはそれを口に出して反論する気になれない。レンの言葉が正しい、とは思わないがしかしてそれに近いものを感じている。
そんなベルセルクに追い討ちをかけるような一言が飛ぶ。
「わたくしからも、お願いします」
ふと、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。
振り向くとそこには、リリア王女が立っていた。
「王女様っ!?」
「……アンタまでそんなことを言うのか」
いかにも不機嫌そうな顔で、ベルセルクは聞く。
「話は全部聞かせてもらいました。その人は、大切な人を失ってしまった悲しみに耐え切れなくなり、このような行動を起こしてしまった……。確かに、今回のことは許されることじゃありません。けれども、その原因を作ったのはこの国です」
言いながら、リリアはレンの隣に立つ。
まるで、アーヴィンを庇う盾になるかのように。
「……だから見逃せってのか?」
「そうではありません。彼に罪があるとするのなら、革命を考えたわたくしにも責任があります。だからに一緒にやり直すためのチャンスを与えてくださいと言っているのです」
これまた美談のような言葉が発せられる。確かに、アーヴィンがこんな行動に出たのは元はといえばこの国のせいだ。故に、この国にも責任がないとは言い切れない。しかし、それはもう昔の話だ。今の王女やレンには関係なく、ベルセルクにとっては本当の意味での無関係だ。
それがどうした、俺には関係のない話だ。そう思っていないながらも、やはりベルセルクは反論しない。できない。それは彼らの言動があまりにも馬鹿馬鹿しすぎなためか、はたまた彼らの目があまりにも真っ直ぐ過ぎて、反対する気になれないのか定かではない。
ただ、そんな彼らにアーヴィンは微笑した。
「ったく、お前らって本当にお人好しだな。全く」
突然と、アーヴィンはそんなことを言い出す。
ベルセルクはその時、何か異変を感じ取った。
これは前にも感じたことのあるものだ。そう、あれは確か、ずっと前、ベルセルクが自分の師匠と戦い、そして最後の一撃を与えるかどうか、迷っていた時のものだ。
アーヴィンの口ぶりは、あの時のベルセルクの師匠と似ている。
はっと思ったベルセルク。だが、もう遅い。
そして、折れた剣を握り締める。
「……そういうところが、甘いっていうだよ!!」
瞬間だった。
折れた剣を振りかざし、アーヴィンは二人に襲いかかる。
何を無駄なことを、と思う奴がいるかもしれないが、例え折れた剣であっても、アーヴィン程の腕のある剣士ならば、武器を持っていない人間を二人殺すことなど、他愛ないことだ。
ましてや、それが十五、六の子供ならば尚更。
アーヴィンの行動に、ベルセルクとシナンは出遅れた。
いくらベルセルクの威力が強かろうが、いくらシナンのスピードが速かろうが、この場面では意味がない。もうすでに、アーヴィンの刃は、二人の眼前に迫っている。
間に合わない、そう誰もが思ったことだろう。
ブシュッ!! という血飛沫が吹き出す。
溢れでれる血の量は、半端ではなかった。もはや、確実に致命傷ものである。
シナンとリッドウェイは驚愕していた。
そして、レンとリリアも。
そんな中、ベルセルクはただ、その状況を冷たい目で見つめている。
カインが、アーヴィンを自らの剣で突き刺しているという状況を。
「……へっ、やらりゃあ、できんじゃねぇか……」
「……、」
カインは何も言わない。
ただ、無言で剣を引き抜き、そして収める。もうこの場で剣は必要ないと判断したのだろう。
溢れ出る血の量に、アーヴィンは微笑する。
あれほど血が流れていたというのに、さらにそこへ止めをさすかのような、この一撃。もはや助かる見込みは数パーセントから、ゼロになった。
けれども、それでも。
アーヴィン・マクスエルという男は、自分の死に笑っていた。
「あー……こうりゃあ、もうダメだな……」
「……アンタ、まさか……」
わざと自分から死ぬように差し向けたのか。
そう、口には言わなかったが、目で訴えるベルセルク。そして、その事実は恐らく、この場にいる者全てが理解していることだろう。
そして、全員に告げるように、アーヴィンは言う。
「ハッ、ここまできて生かされようとは思ってないんでな。それに……新しい国に、俺みたいな奴は不要だ。きっちり、ケジメは……つけないと……示し、が、つかねぇ……だろ?」
後半部分になると、言葉が途切れ途切れになってきている。
それはつまり、彼に最後の時が近づいている証拠だった。
「「アーヴィンさん!?」」
重なる二人の声。
それに対して、アーヴィン自身はフッと笑う。
「王女様……レン……俺の復讐なんかのせいで、辛い目にあわせちまったなぁ……許してくれ、なんて図々しいことは言うつもりはねぇ……だが、これだけは、言わせてくれ……すまなかった」
「アーヴィンさん……」
「レン……お前さんに初めて会ったとき、俺は気づいてたぜ? お前が、復讐をしたがってるってな。お前の目は……俺の目にそっくりだったからなぁ……。だから、嬉しんだよ。お前が……復讐を、しなかった、こと、に……もしかすると、俺は……お前と同じように……なりたかったのかも……しれないなぁ」
復讐の中で、死を選んだアーヴィン。
しかし、そんな彼でも、別の道があったのではないだろうか。そして、もしあったとするのなら、彼はもすかすれば、違った道を歩んでいたのかもしれない。
こんな結果に、ならなかったのかもしれない。
「……カイン・アルベール」
「はい……」
「後は……任せたぞ」
「貴方に言われなくても、そのつもりです」
悠々とした態度で、カインは答える。
「貴方のやったことは、決して許されるものではありません。僕は一生、貴方を許すつもりはありません。ただ……これだけは言っておきます……すみませんでした」
何故、彼が謝るのか、それはこの場の全員が思ったことだろう。
「貴方を……アーヴィン・マクスエルという人物を復讐の鬼に変えてしまったのは、僕らです。何も知らなかった、昔のことだ、なんて言い訳をするつもりもありません。僕らは僕らで、自分達の罪を償っていきます」
全く物好きな男だ、とベルセルクは思う。
アーヴィンを復讐鬼に変えたのは、二十年程前の貴族達、そしてこの国の大人たちだ。彼は、それに一切関わっていない、いわば無関係者だ。にもかかわらず、自分たちが背負っていくとは、お人好しというか、なんというか。
けれども、ベルセルクは否定はしなかった。
それがカイン・アルベールという男が決めた道なのなら、それにちょっかいを出すのは筋違いというやつだ。
アーヴィンはまたもや笑う。それは見方によっては嘲笑とも受け取れるかもしれないが、ベルセルクからしてみれば、まるで満足げな顔だった。
「さぁて……そろそろお迎えの時間だ……おい、ベルセルク・バサーク」
「何だ」
もうすぐ死ぬという人間、いや魔人に対して、しかしベルセルクは態度を崩さない。
「……もし、輪廻転生とやらがあるとするなら……またやろうぜ」
「気が向いたら、な」
皮肉っぽいベルセルクの言葉に、アーヴィンもまた皮肉げな笑顔を浮かべた。
「……、」
朦朧とする意識の中で、彼はおもむろに天空を見上げる。
そこにあったのは、いつも以上に真っ青な空だった。
瞳からは零れ落ちたのは、一筋の涙。
震える声、最後の力を振り絞り、アーヴィンは言う。
「……やっと、お前の場所に逝ける……リリー……」
それは、かつての恋人の名なのだろう。
その名を告げると同時に、アーヴィン・マクスエルという男の生涯は幕を閉じた。
そして、ベルセルクはその死を最後まで、しっかりとその瞳に焼き付けた。
自分と、いや、自分の師匠と似た存在。その死にベルセルクは言葉にならない思いになっていた。悲しいのか、それとも哀しいのか。どちらでもないのかもしれない。
ただ、複雑な思いが、彼の心で溢れている。
そうして、一国を巻き込んだ大騒動は、ここで終焉と遂げたのだった。