15
カツンカツン、という足音を立てながら、カイン・アルベールは地下牢獄へと向かっていた。
暗くて薄気味悪いその場所は、囚人を捕えておくのにはもってこいの場所である。
ただし、今から彼が会いに行く『彼』には、とても不釣り合いな場所だった。
「お疲れ様です」
牢番をしている者が、カインに挨拶してくる。
「お疲れ様。王女はどうだい?」
「はい。依然、大人しくしています。暴れる気配もありませんから、恐らく公開処刑には何の支障も出ないと思います」
「そう……。ちょっと王女と話がしたいんだけど、席を外してくれるかな?」
「王女と、ですか? それは……」
「大丈夫。これでも僕は剣を扱えるから、自分の身は自分で守れる。それに相手は女の子だよ? 例え暴れたとしても、何ら問題はないよ」
「……、」
何も言い返せなくなった牢番は低い声で「分かりました」といって、牢屋の鍵を開けた。そして、カインが礼を言うとともに、外へ去っていく。
その姿を完全に見終えた後、カインは牢屋の中へと入る。
そこにいたのは、一人の少女だった。
少女にしか、見えなかった。
短く整えられている金髪。美しいさの中に、未だに幼げなものを感じさせる顔。そして、女服を見事に着こなしている。
カインは、苦笑した。
「ここまで似てると、本当に双子みたいだな」
「……その声は、カインさんですか?」
ムクリ、と顔を上げる王女。その頬には痣ができていた。
それを見たカインは顔をムッとさせる。
「それは……誰にやられたんだい?」
「それ……ああ。これですか? ここに来る途中、いろんな人に石をぶつけられましてね。その中の一つが見事クリーンヒットしまして……」
と、自らの頬を撫でながら言う王女。
「全く……王女には傷一つつけるなと言っておいただろうに……すまない。こちらの不手際で、君を傷つけてしまった」
「あははは。何言ってるんですか。これくらい何でもないですよ。それに、これをあの人が受けなくてほっとしてるんです」
言葉通り、目の前にいる王女は本当にほっとしたような顔付きだった。
「それで……何か僕に用事でも?」
「うん、まぁ、その……一応、最後の確認にね」
そういって、カインは王女に真剣な目線を送る。
「逃げるつもりはないかい?」
「ありません」
「……即答だね」
「もう覚悟は決めましたから。それに、これは何度も話あったことでしょう? リリア様をお守りすると決めた時から」
「それは……そう、なんだけど……」
いつにも増して歯切りの悪いカイン。
当たり前だ。何故ならカインは未だにこの作戦に対して反対の意見を持っているのだから。
レンが王女を救うために、カインは協力すると言った。それは、今まで何もしてあげられなかった王女へのせめてもの罪滅ぼしであり、自分の義務だと思ったからだ。
だが、そのために目の前にいる少年を犠牲にしなければならない。
これでは、王女を犠牲にしようとしていたのと、何ら変わりがないではないか。
そう考えるだけで、嫌気がさしてきた。
「……本当に、僕って奴はダメな人間だ。王女様を救うために君の命を奪おうとしている」
「僕が望んだことです。貴方のせいじゃありません」
「それでも……!! それでも、僕は君たち二人を救いたかった。誰もかれもが笑顔で終われる、そんなハッピーエンドを望んでいたんだ。ああ、分かってる。そんなの、ただの幻想だ。現実に叶うはずのない妄想だよ。けど、真実を知っている僕だからこそ、それを望んでしまうんだ……」
誰もが知らない事を、カインは知っていた。
だからこそ、彼は二人の幸せを願ってしまう。
けれど、現実はそんなに甘くはない。
助けられるのは、どちらか一人のみ。
そして、彼はリリアを救うことを選らんだのだ。
いつものような毅然な態度はどこへいったのやら。カインは自分の思いを熱く語る。いや、これは思いを語るというよりは、罪の告白とも言えるだろう。
しかし、レンは彼の言葉を聞いて、微笑した。
「ありがとうございます、カインさん。こんな僕のために、そこまで真剣に考えてくださって……でも、いいんです。これは、僕の罰なんですから」
「レン君……」
「前にも言いましたよね? 僕は王女様が……リリアがとても憎かった。そして、彼女を消しかけようとした。それが、どれだけ愚かな行為であるかも知らずに。そして、真実を知った僕は後悔しました。そして、今ようやくその罪を償える時が来たんです。だから、貴方が自分を責める必要なんて、どこにもないんですよ」
そこまで言われてしまっては、カインに返す言葉はなかった。
彼の決心は固い。それは、ここに来る前までとっくに知っていた。知っていた上でカインは彼を助けようとしたのだ。
けれど、やはりそれも失敗に終わる。
もはや、彼には何もできなかった。
どうすることも、できなくなってしまった。
「ほら、もうすぐ処刑の時間です。これから国の代表になる人が、こんな所にいつまでもいるもんじゃありませんよ」
「……全く、君と言う奴は」
言うと、カインはそのまま牢屋の外へと出た。
そして、レンに背を向けながらも、最後の一言を言う。
「……じゃあ、さようなら、レン君」
「はい。さようなら、カインさん」
それが、カインとレンが処刑前に話した最後の会話だった。
そして、カインは思う。
彼は、最後の最後まで、笑顔だったな、と。
そうして、処刑の時刻はやってきた。
*
広場には多くの民が集まっていた。
シファール王国の呪いの王女。不幸の象徴にして、全ての原因。そんな彼女に人々は次々と罵倒やら怒声やらを浴びせていた。中には、モノを投げつけてくるものもいたが、彼女はそれに反応しない。
革命軍によって捕えられている王女は抵抗もなにもしなかった。その姿を見せるため、後ろ手に縛られたまま街を練り歩き、広場へたどり着く。
そして、王女はそれを見る。
断頭台だ。
王女は罪を重ねたの罪人がそうされるように、断頭台の露になろうとしていた。
立ち止まった彼女を急かすように、縄を持っている女性は王女の背中を押す。そして、彼女は処刑台へと上っていった。
王女は上る途中、空を見上げた。そこにあったのは、どこまでも青い空だった。まるで、これからのこの国に訪れようとしている平和そのものだと言わんばかりに。
王女が死ぬことで、革命軍はこの国を手に入れることができ、そして人々は新しいスタートを切り出せるようになる。いかにも滑稽で、どこにでも転がっていそうな話だった。
王女は青い髪の男をちらと見る。彼は王女をまっすぐ見ている。複雑そうな顔である。
やはり、彼は最後まで彼だった。
彼とはさほど個人的に話したことはない。しかし、それでも彼と言う人間がどのようなものかは十分に理解できたつもりだ。だから、彼が今、どんな思いなのかも少しは分かる気がする。
しかし、王女は思う。そんな顔をしないでくれ、と。
彼には、何の罪もない。いや、むしろ、『彼女』を自由にする手助けをしてもらった恩義がある。それだけでも、彼には大きな借りがある。だから、そんな悲しい顔はしないでほしい。
ふと横目で、少し離れたところにいる赤い髪の少女を確認する。こちらを見て、とてつもなく怒っている。怒り覚めやらぬといった風体だ。どうやら、彼女は自分の正体について知らないらしい。そして、尚且つ気づいてもいない。
処刑が終わった後、正体がばれているのかどうかは分からない。けれど、それは大丈夫なはずだ。彼が何とかしてくれる。そう約束したのだから。
そして、とうとうこの時がやってきた。
王女は処刑台の頂上に立った。
目の前にあるのは、先ほども確認した断頭台。
階段を昇ってきている時と、今とでは全然迫力が違う。その刃から感じる死の予感。今からこれで、自分は殺される。そう思うと、とてもじゃないが冷静にいられなくなってくる。
しかし、それでも、今ここで正体をばらすわけにはいかない。
王女は恐怖を押さえつけながらも平然とした態度を取る。
何も知らない国民達は、早く殺せと叫んでいる。
王女は膝をおろし、処刑人二人に強く体を押さえられながら、断頭台に首を差し出す。
その瞬間、国民の罵声と怒声がまた一段と大きなものへと変化する。
処刑の時間まで残りわずか。この処刑を見届けてから以後、この国は平和となるのだ、とここにいる全員が思っていることだろう。
残念だが、ここにいるのは偽物である。もし、このまま自分が死んでも、この国は平和にならないかもしれない。だが、そうなれば、誰もが気づくはずだ。やっぱり王女を殺しても何にもならなかったんだと。
本当は分かっているのだ。王女が呪いだの不幸だのを国民にばらまいているなんてことは、ただのまやかしでしかない。みんながそうであって欲しいと思っているだけなんだ、と。けれども、今の状況では誰もその事実に気づこうとはしないのだ。分かっているのに、分からないふりをしているだけなのだ。
そんなことのために、彼女を殺させるわけにはいかない。
僕が人生で一番愛した人。
最初はただ復讐のつもりで近づいただけなのに、それを愛してしまうとは、笑いを通り過ぎて、呆れてくる。
けれども、そうしたことに、愛したことに悔いはない。
せめて、最後の願いが叶うとするのなら、どうかこれからの彼女の人生を明るいものにしてほしい。もう、これ以上彼女が傷つく必要などないはずだ。
などと、考えていた時だった。
ふと、王女の視界に、とある人物の影が見えた。
ボロボロの服に、黒いフード。小柄な体でフードからはみ出して見えるのは、金色の髪の毛。
見間違うはずがない。
そこにいたのは彼女だった。
*
遥か先まで続いている人の波をかきわけて、リリアは処刑台へと近づこうとしている。
幸い、国民達は処刑台にいる王女に釘付けで、彼女のことは気にしていない。ぶつかっても彼女の存在すら分かっていないようだった。どの国民もその顔には怒りや喜びといったものを露わにしている。
だが、今の彼女にそんなことはどうでも良かった。国民のために自分が起こしたことなのに、それがどうでもいいと思う理由。それは、処刑台の彼だった。
「通してください!! そこを通してください!!」
リリアは今までの人生の中で、一番大きな声を張り上げながら、少しづつ彼に近づいていく。しかし、それは本当に少しづつであり、このままでは間に合わない。
それでも、彼女は懸命に前へと進んでいく。
あそこに本来、いるべきなのは、自分だ。決して彼ではない。そんなわけがない。そんなこと、許されるはずがない。
彼は言ってくれた。自分を愛していると。そんなことは生まれて初めて言われた言葉だった。
父にも母にも、そしてあらゆる人全てから嫌われ、罵られ、挙句邪魔者扱いされてきたリリアにとって、それがどれだけありがたく、そして言葉に表せれないほど嬉しいものか、恐らく誰にも分からないだろう。
そして、そんな言葉を掛けてくれた少年が、今自分の代わりに殺されようとしている。
リリアは自分よりも大きな人の波に懸命に挑み続ける。例え、この人ごみを抜けたところで、何か策があるわけではない。むしろ、自分もろとも殺されかねない。
だが、彼女はここで諦めるわけにはいかない。
自分が愛し、そして愛してくれていた相手を死なせていいはずがない。
こんな感情は、初めてだった。自分は嫌われ者、それ故に自分なんてどうでもいいと思っていたリリアが、他人のためにこうも懸命になっているとは。それだけ、彼女は彼を救いと思っているのだ。
だが、現実というのは、どこまでも彼女を奈落の底へと突き落す。
ゴーン、ゴーンと。
死の宣告を意味する、鐘の音が鳴り響きだしたのだ。
ハッ、としたのもつかの間。
断頭台を見ると、処刑執行人が準備を始めている。
それを見たリリアは、もはや冷静ではいられなかった。
「いや……いや、いや、いやぁぁぁぁぁぁああああああっ!!」
絶叫を上げるリリア。
しかし、それすらも国民の熱狂な声と協会の鐘によって、遮られる。
まるで、彼女の願いなど、誰も聞き入れないと言わんばかりに。
人も、神も、世界も、誰であろうと、彼女の望みを拒むかのように。
リリアは思う。どうして、と。
どうして、最後の願いすらも、叶わないんですか、と
悲痛なる彼女の思いを、しかして誰も受け止めようとはしない。
リリアは今までにない孤独と恐怖を感じていた。
世界がこれほどまでにも冷たく、そして希望もなにもないのだと思い知らされる。
けれども、それでも彼女は思いを口にする。
「……お願い……やめて……!!」
もはやそれが誰にも届かないと知りつつも、彼女は呟いた。
リリアはその場にしゃがみこんでしまう。
その瞳からは、ボロボロと涙が次々と溢れ出していく。
涙に秘められているのは、悲哀か屈辱か、それとも悔しさか。
しかし、その涙すらも、誰にも届かない。
悲哀、絶望を体現したようなその様を、その場にいる人々は誰も気に留めない。そして、彼女もまたそんなことを気にする余裕はなかった。
彼女が味わっいる絶望は、どう見積もっても、普通の少女が許容可能なレベルを超えている。
いや、これは過ちだ。こんな絶望、そうそう許容できるものがいるだろうか。
自分を好きだと言ってくれた人物が今まさに、自分の代わりに死のうとしている。こんなものを耐えられるものがいるわけがない。
今彼女が何を叫んでももうどうもならない。そんなことは彼女自身も分かっている。分かっていても何もそれでも叫ぼうとしているのは、至極当然な反応といえるだろう。
認めたくないと、リリアは嘆く。
それが決して、誰にも聞き入れられないと分かっていたとしても。
そんな時だった。
ふと、処刑台にいる彼と目があった。
彼はこちらを見て、少し悲しげな顔になりながらも、笑顔で何かを言っている。ようく見てみると、彼が何を言っているのか、理解できた。
ごめんね、と。
そう、言ったのだ。
何故彼が謝るのか、何故今この瞬間にその言葉が出てくるのか、リリアには分からなかった。分かりたくもなかった。
リリアは声にもならない絶叫を上げる。
それでも、人は、神は、世界は彼女の願いを聞き入れない。まるで、お前の望みなど叶えるわけがないだろうと告げているように。
国民の熱はここでピークに達した。
そして、協会の鐘が鳴り止んだ直後、無情にも断頭台の刃が彼の首目掛けて放たれ――。
ドッパァァァッ!! と。
凄まじい轟音と共に、飛んできた衝撃が断頭台を襲う。
そして、その衝撃は、彼の首に落とされるはずだった刃を粉々に砕き、さらには断頭台まで破壊した。
その瞬間、そこにいる全ての者の時間が止まる。
何が起こったのか。その答えを誰しもすぐには理解できなかった。
そして、気付く。誰かによって、刃ごと断頭台を破壊されたことに。
一体誰が?
どうやって?
何のために?
その答えを求めるかのように、斬撃が飛んできた方向を全ての者が振り返る。
もちろん、リリアも同様だ。
未だに瞳に涙を浮かべている彼女には、その姿がはっきりとは見えない。それでも、目を擦りながらも、再度確認しようとする。
そこにいたのは、男だ。
黒のコートに身を包んでいる、長身の男性。歴戦を潜り抜けたかのような銀色の剣を悠々とした雰囲気で肩に担いでいる。トレードマークのような赤い髪は広場に吹く風によって揺れている。
その姿は、あまりにも屈強であり、そして尚且つ堂々としていた。
この独特な雰囲気を持つ人物をリリアは知っていた。
その男を知っていた。
けれども、彼なはずはなかった。
事態を信じられないリリアに対して、しかして男は決定的な一言を言い放つ。
「よう、王女様。依頼を受けにきてやったぞ」
王族に対して全くの礼儀を知らないこの態度。相手を見下すような、上から目線。そして何より、自分を王女と知っている人物。
もうこれだけの判断材料があれば十分だった。
十分すぎて、涙が再びわっと吹き出る。
そう、民衆の目線が集まるその場にいたのは……。
「ベル、セルク……さん……っ!」
声がまともに得ない状態で、しかして彼女は力の限り振り絞って目の前にいる救世主の名を告げる。
嬉しい、なんて言葉じゃ表せられない感情で一杯になってしまう。
もうこれ以上ないと言わんばかりな量の涙が次々と流れていく。
届いた。最後の最後で、ようやく届いた。
人も、神も、世界も、誰であろうと、彼女の望みを拒んだというのに、彼には届いた。
まるで、そんなもの関係ないと言わんばかりに。全ての常識を破壊するかのように、彼はやってきた。
それが、もうたまらなかった。
リリアは何も言えない。何もできない。
ただただ、彼女は今までにないほど溢れ出るその感情を、涙で表すことしかできなかった。