9
王女に連れられてきたのは、古びた塔であった。
そこは、前に王女が住んでいた場所なのだという。
王女が現在住んでいる塔と比べると、かなり小さかった。しかしながら、人が住んでいくには十分な広さと解放感があった。
だが、やはり一国の王女が住んでいた場所とは到底思えないのだが。
ベルセルクは外を見る。今の所、雨は大荒れ状態で止む気配はない。もう少しでピークだろうから、それほど時間はかからずに、止むと思うのだが。
「あの、ベルセルクさん。お茶を淹れたんですけど飲みませんか?」
ふと声がした方を向く。
そこには、所謂ティーセットとやらを運んでいる王女の姿が。
毎回思うのだが、やはりこの王女は王族らしからぬものを感じる。
「王女様自ら淹れたお茶か。それはまた光栄だな。だが、俺はどちらかというと、酒が飲みたい」
「すみません、流石にお酒までは……」
「フン。冗談だ」
などと澄ました顔で言うベルセルク。
この時、王女がどう思ったかは分からないが、ベルセルクが他人に対して冗談を言うことはあまりないことなのである。
とは言うものの、正直ベルセルクにお茶は似合わなさすぎる。ベルセルク自身もそう思っているし、シナンやリッドウェイも同じ思いだろう。
「だが、よくこんな所でお茶が淹れれたな」
「それなんですが、誰かが手入れをしていたようです。お茶の葉も新しい物に変えられていましたので、大丈夫だとは思うんですけど……一体誰がこんなことを」
不思議そうに言う王女に対して、ベルセルクは何も言わない。
しかし、よく見てみると所々綺麗に整頓されている。掃除も行き届いているようで、汚い箇所など一つもなかった。
見てわかるとおり、誰かがここにきていたのは確かである。
「っというか、あんたって不用心だよな」
「はい?」
王女はきょとんとした顔で首を傾げる。
「こういう状況なら、普通もっと警戒するべきだろうが」
「そう、なんですか?」
何故疑問形で返すのか、ベルセルクは呆れてため息を吐く。
男と女が二人っきりでこんな場所にいる。万が一にもありえないことだが、そういった『間違い』が起こらないとも限らないのだから、普通は警戒するべきだろう。
だが、目の前にいる王女はそれを全くしようとしない。
それは鈍感ゆえか、あるいはベルセルクがそうしないと信じきっているのか……どちらにせよ、ベルセルクはそんな『間違い』を起こすつもりは毛頭ないのだが。
「あの、ベルセルクさん」
「ん?」
「あなたはどうして、シナンさんと旅を?」
唐突に王女はベルセルクに対して、そんなことを訊いてきた。
「あの馬鹿が師匠になってくれって煩くてな。最初は受けるつもりは全くなかったが、結局引き受けた方が面倒が少なくなると思っていたんだが……どうもそうでもなかったらしい」
「ふふ。そうですか。シナンさんは、一度決めたことは絶対に曲げない人ですものね」
「それが長所になる時はいいが、あいつの場合短所にもなるからな」
良く言えば、自分の芯を曲げない人間。悪く言えば、単なる頑固者だ。
しかし、そんな性格でなければ、ベルセルクはシナンを弟子にすることはなかっただろう。
王女はふと自分の茶器を見つめる。
「けれど、自分に正直に生きられるというのは、良いものでしょうね。……わたくしは生まれてこの方、自分に正直に生きたことなど一度もありませんから、そういうのはちょっと憧れます」
そう言う王女の目は、どことなく切なかった。
それは、自分に自由がないということを嘆いているのか、それとも自分の言葉に誰も耳を貸してくれないことを悲しんでいるのか、はたまた別の理由か、ベルセルクには全く検討もつかなかった。
もし、ベルセルクならば、そんなものは力でどうにかするだろう。自分に反抗するものは己の力で分からせる。それでも陰口をたたかれるようになるとするのならば、そんなものは放って置く。そういう性格なのだ。
だが、この王女は違う。本当に民のことを思っている。誰も傷つかないように、自分が傷つく。そういう考えはベルセルクには全くないものだった。
つまりは、そこがベルセルクと王女の決定的な違いだろう。
だからこそ、ベルセルクは訊きたいことがある。
今なら王女と自分以外、誰もいない。シナンもあの召使いもいない状態など、この先もう二度とないのかもしれない。
ならば、今がその時なのだろう。
「……さて、と」
突然とベルセルクは呟く。
そして、ついに今まで溜まってきた言葉を口にする。
「そろそろ話して貰おうか」
「話す? 何をでしょうか」
「今回の一件について、洗いざらいすべてだ」
その瞬間、ピクリッと王よの体が動く。
「……何を仰っているのか、分かりません」
「あくまで白を切るつもりなら、別に構わないが、こっちはもういろいろと調べがついてんだよ」
ベルセルクは王女を見る。
外ではガタガタと窓が揺れるほどの激しい風が吹いていた。
「城下の街では今、国に反旗を翻そうと躍起になってる革命軍がいる。リーダーの名前をカイン・アルベールという」
「……、」
「そいつは元貴族でな。そのおかげで革命軍の情報集めやら武器を集めることに何ら困らなかったらしい。ただ……妙なことがあってな。そいつは城下街の修道院や孤児院、病院なんかに多額の寄付をしているらしい」
「それが……どう、おかしいんでしょうか」
王女は編全を装っているつもりなのだろうが、ベルセルクの目は誤魔化されない。
今の彼女は明らかに動揺している。
ベルセルクはそれを確認した上で続ける。
「その多額の寄付ってのがあまりにも多すぎんだよ。元貴族とはいえ、金の収入が良かったのは昔の話だ。調べてみたところ、今の奴自信はさほど金回りは良くないらしい。にも拘らず、革命軍の資金を出し、尚且つ多額の寄付をあいつはしている。俺が言いたいことが分かるか?」
「……、」
王女は何も言わない。
しかし、ベルセルクはそれでも続ける。
「俺のもう一人のツレにいろいろと調べさせたところ、あいつにはバックがいることが分かった。所謂スポンサーってやつだな。いろんな所に手を回して、金の出所を分からないようにしていたらしいが……生憎と俺のツレは一筋縄では折れない阿呆でな。この前ようやくそれを掴むことができた。そして、その出所っていうのが……アンタだった」
ベルセルクは静かに言う。
ベルセルクがリッドウェイに頼んだことは、別に金の出所を探ることではなかった。
王女に関して何か妙な点がないか探ってみてくれ。それが、ベルセルクがリッドウェイに頼んだ本当の目的である。
そして、リッドウェイはカインを調べていくとともに、その金の出所が怪しいと思いはじめ、そして調べ上げた。
リッドウェイはまさか、と思ったに違いない。ベルセルクすら、何かの間違いではないかと思ったくらいだ。
何せ、この結果が指し示すことはつまりこういうことだ。
「あんたなんだろう? この馬鹿げた計画の黒幕は」
ベルセルクは断言する。
いつから確実に怪しいと思っていたのか。その問いに正しく答えるのならば、リッドウェイの報告を聞いた時、というべきなのだろう。
ただ、何となく妙だと思ったのは初めて王女と会った時だ。その原因は分からなかったが、今なら理解できる。あの部屋だ。
一国の王女の部屋だというのにその装飾はあまりにも素っ気なさすぎた。最初はただ単に趣味なのかと思っていたが、実際は違う。あれは、革命軍のリーダーに資金を与えていたためだったのだ。
「……あなたには敵いませんね」
王女は観念したかのように言う。
「認めるんだな」
「事実ですから。認めるしかありません」
王女の言葉に、ベルセルクは再び呆れる。
「あんた、馬鹿だろ? なんでこんなことしでかした」
「何故、ですか……しいて言うなら、国のためですかね」
「国のため?」
ベルセルクはその言葉で眉を顰める。
「……あなたももうお分かりでしょう? 今のままではシファールはいずれ滅びます。先ほどの人が申していた通り、金は採れない、作物は育たない、挙句災害の被害は未だに影響している。にも拘らず、貴族達のやることと言えば、政務を放りだし残り少ない金を互いに取り合うだけ。今、この国が滅びていないこと自体が奇跡に近いのです。民達が怒り狂うのも無理ありません。そして何より……」
「あんたの存在、か」
ベルセルクの言葉に王女は苦笑しながら頷く。
「すべての原因はわたくしにあります。わたくしが生まれたせいで、この国は滅びの道を辿ろうとしているのです」
それはいくらなんでも、自分を貶し過ぎだ、とベルセルクは思ったが口にすることはなかった。
王女がそう思うのも無理はない。何せ、事実そういった出来事が相次いで起こっているのだ。そして、それが自分のせいだと言われ続けたのなら、自分が悪いと思い込んでしまうだろう。
「仮にもし、今の状態が改良されたとしても、先導者がわたくしのような、誰にも信頼されず、邪魔者扱いされているものではまた滅びに向かうだけです。だから、新しい先導者が必要だったんです」
「そのための革命。そのためのカイン・アルベール、か」
なるほど、とベルセルクは一応納得はした。
確かに、あの男、カインは民にも受けがよく、元貴族だけあって政治にも有能だとリッドウェイが言っていたような気がする。
彼が新しい国の先導者ならば、きっと国民も彼についていくだろう。
だが、だ。
それでも、ベルセルクには理解不能な点が一つある。
「あんた、分かってるのか? 革命軍に国を取られ、あんた自身が捕まれば、あんたは……」
「ええ。処刑されるでしょうね」
さらり、と。
王女は自分が死ぬだろうと、あっさりと言ったのだ。
それはあまりにいつも通りの口調だったため、正直ベルセルクも絶句してしまい、どんな反応をしていいのか分からなかった。
「でも、それは仕方のないことです。この国が新しく始まるには、どうしてもわたくしの存在が邪魔なんですから。恐らく、幽閉するという手段も、国民には通用しないでしょう。わたくしは、幽閉される価値もないのですから」
淡々と王女は言葉を並べる。
自分の死に対して、それは仕方のないことだという彼女の気持ちをベルセルクは全く理解できなかった。
できるはずがなかった。
ベルセルクは今まで生きるために戦ってきたのだ。確かに、戦いに身を投じ、死ぬかもしれないことに恐怖ではなく、興奮する時だってあった。
しかし、彼女の場合は全く違う。
「……それでいいのか、あんたは」
ベルセルクの質問に、王女はふと微笑する。
「貴方は、カインさんと同じことを言うのですね」
「だろうな。あいつは、あんたを殺したいとは思ってないだろうからな。いや、むしろ殺したくないと思っているだろうよ」
「そうかもしれません。あの方には、本当にひどい事をわたくしはしています」
あの男を選んだ、王女のその判断は正しいものだろう。
あの男は食わせ者だ。けれども、悪党では決してない。悪党ならば、ベルセルクが王女を処刑するかと訊いた時、あんな反応をするわけがない。
しかし、それ故にあの男を苦しめることにもなっている。
「……けれど、わたくしはどうしてもこの計画を実行したかった。わたくしの人生最後の我儘ですから」
「我儘?」
ベルセルクは不思議そうに言う。
「わたくしは今まで他人に迷惑しかかけてきませんでした。わたくしの思いとは関係なく、そこにわたくしという存在がいるだで困らし、苦しめ、悲しませてしまいます」
「……、」
「以前、わたくしはある潰れかけた施設に寄付をしようとしました……しかし、その寄付は結局受け取っては貰えませんでした。彼らはわたくしの知らないところでこう言うのです。呪われた王女の金など貰えるか、と。そして、その施設はそのまま潰れてしまいました」
なんと馬鹿げた話だろうか。
王女の善意を受け取らず、自分たちの破滅を選ぶとは。どれだけこの王女の事を嫌っているのだろうか。
「先ほど、カインさんが寄付をしていると言っていましたね。あれはわたくしが頼んだことなんです。革命軍の資金を提供する代わりに、その一部を貧しい民達のために使ってほしいと」
「そうでもしないと受け取ってもらえないからか」
「ええ……」
王女はベルセルクの言葉を肯定する。
もう一度言おう。なんと馬鹿げた話だ。
王女は本気で国民を心配しているというのに、その国民は彼女の善意を受け取ろうとはしないどころか、自滅している。
しかし、カインからならば、快く受け取る。
どちらも同じことだというのに、どうしてこうも反応が違うのだろうか。
「わたくし、思ったんです。どうすれば人々のためになるのか。自分ができることとは何なのかを……そうしたら自然と答えは出てきました」
その答えとは、つまりは自分がこの世から消えるということ。
そうすれば、人々からは不安が取り除かれ、新たな国に対して希望が持てるようになる。
そう彼女は思っているのだろう。
それに対して、ベルセルクはくだらないと思う。
自分の命までかけて、他人の幸せを望む。それも、自分を迫害し、嘲笑し、いらない存在だと言い続けてきた奴のだ。正直、ベルセルクならばそんなことはしない。できるわけがない。
だからだろうか。
ベルセルクは、自分ができないことをやろうとしている王女に対して、くだらないと思うことはできても、それを口にすることができなかった。
「すみません……こんなくだらないわたくしの我儘に、あなた方まで付き合せてしまって」
「全くだ。俺はそういった面倒事は嫌いなんだよ。俺はあんたに同情もしねぇし、助けてやりたいとも思わないがな」
「そう、でしょうね……初めて会ったあの時から、貴方はそういう人だと思っていました」
けど、と王女は続ける。
「だからこそ、わたくしは貴方を選んだんです。このことを知っても、貴方なら同情せず、助けようともせず、ただ他人のように見過ごしてくれる。そう思えたからこそ、わたくしは貴方を選んだんです」
それが、ベルセルクを選んだ理由。
例え自分の正体がバレたとしても、ベルセルクなら余計な事をしないと彼女は思ったのだろう。
事実、ベルセルクは真実を知った今、彼女を助けてやりたいとは思わなかった。
これは彼女がやりたいと望んだことだ。それを他人がとやかく言うのは筋違いというやつだろう。
もし、ここにシナンがいれば、全力で彼女を助けようとすると言い始めると、断言できる。だが、生憎とシナンはここにはいない。そして、彼女に真実を言うつもりは殊更ない。
「……あ。雨、止んだようですね」
王女はふと窓の外を見て言う。
窓から見える空は先ほどまでの雨など嘘だと言わんばかりな、快晴だった。
その光景を普通の人が見れば、美しいだの綺麗だのと述べるだろう。現に、目の前にいる王女もまたその空に釘付けである。
だが、ベルセルクの心にはそれとは逆にとても大きな靄が広がっていたのだった。