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王女の護衛を始めて数日。
騎士団長との一件のおかげか、随分とベルセルクを見る兵士達の目が変わった。
ベルセルクの剣を見てその強さを認めたのか、はたまた恐怖し敵に回さない方がいいと考えたのか、それは定かではないが、余計な厄介ごとにならないのだから、良しとするべきだろう。
王女の警護について、一言でいうなら暇だ。
いつ襲われてもおかしくないため、かなり警戒していたベルセルクだったのだが、襲われるどころか、王女の元へ訪れる客人すらほとんどいなかった。
本当に王女の命を狙う者などいあるのだろうか、と考えしまうほど、全く襲われる気配がなく、暇で暇で仕方がなかったのだが、王宮をぶらぶらしている間に、いろいろと王女の噂を耳にすることができ、周りの反応を知ることができた。
例えば兵士はこうである。最近、革命軍の動きが活発化しており、それを恐れた貴族たちが、様々な地区から兵士を集め、王女に至っては部外者であるベルセルク達を呼び、自分の身を守らせている、など。
例えば女官はこうである。王女は自分の美貌に酔っていて、そのため自分の顔にとてもよく似ているレンを召使いにしており、実は二人は恋仲なのでは? など。
例えば官吏はこうである。最近の王女は何やら裏から手を回し、何かの悪巧みのために金という金を使い込んでいる、など。
様々な噂があり、その数は計り知れなかった。しかも、どれもこれも、王女が「悪」だと言っているようなものばかり。王宮内での王女の評価は、どうやら最悪らしい。
確かに、これだけの悪意にまみれた場所ならば、命を狙われている、と思ってしまってもおかしくはない。事実、噂の中には、王女の暴挙を許さんという声が多かった。正義感のある誰かが、そういった行動を起こしても、おかしくはない。一応、用心はしておこう。
と、ここまでは表の仕事の話。
「王女を監視する」という裏の仕事に関しては、それなりの進展があった。とは言うものの、本当にそれなりに、だけなのだが。
王女は基本、あの塔から動くことはない。自分が嫌われ者だということを理解しているのか、外を出歩くなどこの数日一度もなかった。
一方で、その召使いであるレンは、毎日城の外へと出かけている。王女の召使いだけあって、そのほとんどは王女のそばにいるらしいのだが、昼になると一度だけ街へと出る。本人は王宮の所用で、と言っている。怪しいと言えば怪しいのだが、本当に所用なのかもしれないので、何ともいえない。
と、そんなこんなで、王女の護衛は続いて行った。
*
とある酒場。
そこでベルセルクはある人物を待ちながら、カウンターで酒を飲んでいた。
夕暮れ近くだというのに、店内はあまり人はいない。夕暮れ近くと言えば、仕事を終えて一杯飲もうと、多くの客が来る時間帯である。それが、この有様だ。
いかにこの国が苦しい状態なのかがわかる。
「やぁ、待たせてすまいね」
青年の声が、後ろからした。
ベルセルクに声を掛けたのは、革命軍のリーダー、カインだった。
「別にそれほど待ってない」
「そうか。なら良かった」
安心したような顔でカインはベルセルクの隣に座った。
そして、店主に対して酒を一つ注文する。
「……今日は一人か?」
「ん? ああ。ジャンヌのことかい? 彼女なら、今特訓中だ」
「特訓?」
革命をしようとしているというのに、特訓とはあきれた話だ。
「彼女はこの前、君に一瞬で剣を折られて自信を失ってしまってね。剣の鍛錬が必要だって呟いていたよ。あと、正直君と会うのが気まずい……というか、怖いんだろう」
「怖い、ね。たったあれだけのことで怖がるとは、よく剣士が務まるもんだ」
「あははは。全くその通りだ。でも、彼女自身が言っていたけど、ああ見えてジャンヌはこの国では少し有名な剣士なんだよ?」
「この国では、だろ。あの程度で有名になるんじゃ、この国の実力も知れてるな」
「これはまた手厳しいね」
「事実を言ったまでだ」
ベルセルクが言い捨てると同時に、カインの酒が運ばれてくる。
カインは「どうも」と笑顔で言いながら、酒を受け取る。
「……とまぁ、与太話はここまでにして、本題に入ろうか」
その一言で、カインの雰囲気が変わる。
「王女に変わった動きは?」
「これと言って、特にない。ただし、召使いの方が毎日どこかへ出掛けている。怪しいと言えば、そっちだな。とは言っても、王宮の仕事で出かけてるかもしれねぇから、何とも言えないがな」
「召使いの行先までは、やはり分からないか」
「生憎、俺は『王女の監視』の依頼は受けたが、それ以外の仕事は受けてねぇからな」
ベルセルクの仕事は二つ。王女の護衛と監視だ。そこに、召使いのことまで付け加えるつもりはなかった。
「その通りだね。だとすれば、こちらで召使いの方を探ってみるとするよ。あっ、そうだ。王女自身の危険はどうだい?」
「今の所全く問題ない。暗殺者の一人や二人、来ると踏んでいたんだが……どうやら期待外れだったみたいだ。今はツレに護衛させてる」
「そうか……なら、安心だ」
カインは酒に手を掛け、一口だけ飲んだ。
「そっちの聞きたいことは、それだけか?」
「ああ。そうだが?」
「なら、今度はこっちの質問に答えてもらおうか」
「いいよ。答えられる範囲なら、ね」
カインの顔は笑みだった。
その余裕ぶっている顔がベルセルクはどうも気に入らないが、それは置いておこう。
「まず一つ目。お前らが王女と呼んでる奴の事だが……そもそも何で『王女』なんだ? 仮にも国の頂点に立っているんなら、『女王』と呼ぶべきじゃないのか?」
今、この国にリリア以外の王族はいない。ならば、彼女は王女ではなく女王と呼ばれるのが筋というものだろう。
「それはね、いろいろと政治が絡んでるんだけど……簡単に言えば、貴族たちの策謀だよ」
「策謀?」
「そ。女王には様々な権利が与えられる。国の主だからね。けれど、それは貴族達にとって、あまりよろしくないことだ。自分たちが遊び呆けるための、邪魔になるからね。それに、王女は国一番の嫌われ者だ。そんな者を王にすれば、国民に批判を買うかもしれない。と言っても、今でも十分買ってはいるのだけれど」
呆れた風に話すカイン。よほど貴族に恨みでもあるのだろうか?
しかし、今はそこを詳しく聞くつもりはなかった。
ベルセルクはカインの話の続きを聞く。
「そこで思いついたのが、王女を王女のままでいさせることさ。王女の位は高いものだが、女王程ではない。しかも、王女はまだ二十歳も過ぎていないことを利用して、あいつらは自分たちを王女の代わりとしているんだ。『王女が立派になるまで自分たちがそれを支える』と大義名分を言っているが、そんなものは嘘だというのは、子どもでも分かるよ」
つまりはこういうことだ。
貴族たちは、王女がまだ二十歳を過ぎていないことを利用して、王女が女王になるのは無理だと主張している。そして、王女を王女のままでいさせ、代わりに自分たちが実権を握ることに成功した、と。
何とも不愉快で、どこにでもありそうな話だ。
正直、ベルセルクはこういう手の話は苦手だ。同情はしない。けれども、哀れだと感じる心くらいは持っているのだ。
しかし、それは今はどうでもいい。
ベルセルクが聞きたいのは、次の質問だ。
「んじゃ、もう一つ聞くが……お前はそれを分かってて、革命を起こすんだな?」
「……どういう、意味かな?」
カインの表情は変わらない。
しかし、その瞳と声はどこか真剣なものになっていた。
「今のこの国の状況を作ったのは、まぎれもない貴族だ。その貴族を討とうとするのは筋が通ってる。誰が見ても正当な判断だ。だが……王女はどうだ?」
「……、」
「あいつは、生まれた年が悪かっただけで、結構な言われようをされてる。王宮の中でも外でもな。今も城の隅の塔で一人寂しく生きてるよ。いや……あれを生きていると言えればの話だがな」
一人寂しく生きていく。そのことには、別段どうこう言うつもりはない。実際、ベルセルクだって長年は一人で生きてきた身だ。
それでもベルセルクには戦場があった。戦いという生きがいが存在した。それが、ベルセルクが今日まで命を繋ぎ止めてこれた理由だろう。
だが、あの王女はどうだろう。ここ数日見てきたが、彼女には生きがいのようなものはまるでなかった。確かに食事は取れる、睡眠はできる、人間としては生きていける環境にいる。しかし、人としては生きているようには思えなかった。
人間として生きられても、人として生きられないのなら、それは果たして生きているといえるのだろうか?
「……どうしてそんなことを聞くんだい?」
「別に。理由なんてものはない。ただ……」
「ただ?」
「お前は『同情』とやらを持っていそうだったから、聞いてみただけだ」
それは、ベルセルクの直感だった。
目の前にいる男は、食えない男だ。正直、何を考えているのかベルセルクには全く分からない。
しかし、革命を起こす男が情け容赦もない奴ならば、そもそも革命を起こすとは思えない。もちろん、私利私欲で革命を起こす輩もいる。だが、ベルセルクにはどうしてもこの男がそういった類の人間ではないように思えたのだ。
「……確かに。王女様は可哀そうだと思うよ。本当に」
ベルセルクの質問に、苦笑いしながら答えるカイン。
その表情は、呆れた、と言うよりもどうしていいか分からないとでもいいたげなものだった。
「この国が廃れていったのは彼女のせいじゃない。そんなの僕にだって分かってる。けどね、そう思えるのは、内部事情を知っている僕くらいだ。国民はそうじゃない。みんな本当に彼女が原因だと思ってる。かくいうジャンヌもその一人。彼女は元騎士志望者でね。父親が災害のせいで亡くなり、それを王女のせいだと思い、騎士になる夢を捨て、革命軍に加わったんだ」
淡々と話すカイン。
ベルセルクはその言葉を酒を飲みながら聞いていた。
「正直、もう何を言っても王女様が悪いという誤解が晴れることはないよ。人っていうのはね、不安になると、何かに理由を押し付けたいんだ。そして、今回は運悪く王女様が標的になった。そうなってしまえば、人はとことんその不安を罵倒する。そうしなければ、心が持たないからね。そして、その不安を消す方法はただ一つ。それは……」
「王女を殺すこと、か?」
ベルセルクの一言に、カインは目を大きくする。
「……知ってたんだ」
「知っていた、と言うより想像できた。悪の根源である王女を国民の前で殺すことによって、この国は新しいスタートを切りだす……大方そういう所だろ?」
つまりは、不安要素をなくすということだ。
革命を起こし、新しい国を作ることに成功したとしよう。しかし、王女という不安要素を放っておけば、また国は滅びの道を歩んでしまう。国民はそう思うだろう。
実際は王女には何も非はない。しかし、国民は悪だと思っている。それが問題なのだ。事実よりも周りがどう思っているのかが大事、というやつだ。
「君は……僕を卑怯者だと思うかい?」
「別に。俺はどうとも思わないが……お前は違うって顔してるな」
言われてカインは顔を曇らせる。
王女は悪くないと思っていても、王女を殺すしか方法はないその状況に心を痛めているのか、それとも王女を殺すしかない自分に罪悪感を抱いているのか、はたまた別の理由か、それはベルセルクには分からない。
ただ、一つ言えるのは、目の前にいる男は、王女を殺すことに戸惑いを感じているということだ。
「……どうやら、世間話が過ぎたね。もう僕は帰るとしよう」
そういうと、カインは席を立つ。まるで、ベルセルクの質問から逃げるように。
ベルセルクもそれを止めようとはしない。追及すれば、厄介な空気になるのは目に見えていた。
「最期に一つ、聞かせてくれないかな?」
「何だ」
「君は……王女様に同情するかい?」
「ハッ、愚問だな」
その問いは、まさにベルセルクにとっては愚かしい問いだった。
「俺は生憎と、そんな大そうなものは持ってないんでな。同情なんてしねぇよ」
「そうかい……なら、良かったよ」
何が、とベルセルクが言う前に、カインは続ける。
「君を見た時、そういう人間だと思った。だから選んだ。この仕事は、同情なんてものを持っていれば、いろいろと厄介なことになりかねないからね」
何やら意味深なことを言うカインだったが、ベルセルクには全く理解できなかった。
カインは勘定を払い、「それじゃ」と言いながら、店を出て行った。
*
「……今の話、どう思う? リッドウェイ」
カインがいなくなったのを確認し、ベルセルクは問う。
すると、すぐ傍で話を聞いていたリッドウェイがベルセルクの隣に来る。
「どうもこうも、な~んかやばそうな匂いがプンプンしやすよ。これは、間違いなく厄介事ですね、ダンナ」
「お前もそう思うか」
珍しく、リッドウェイと気が合ったベルセルク。
この仕事は、確かにやばそうだ。
「だけど、ここで降りるつもりはないんでしょう?」
「聞くまでもないことを、いちいち言うな」
鬱陶しげにリッドウェイを邪険にするベルセルク。いや、事実鬱陶しい存在ではあるが。
しかし、そんなことはどうでもいい。
「例の件、ちゃんと調べはついたか?」
「はい、もちろん。まぁ、ちょっと手間がかかりやしたが、それなりの情報は手に入りやしたよ」
自信満々なリッドウェイは、早速方向に入る。
「まず、革命軍の情報についてですが、どうやら、かなりの人数が集まってるようですね。そのほとんどがこの国で職を失った人や、王宮に恨みがある者ばかり。中には元騎士という人間もかなりの数でいますから、戦闘になっても王宮側の騎士と互角かそれ以上ってとこですね」
なるほど、とベルセルクは頷く。
これで、カインの自信も納得がいった。
「で、次は革命軍の人材についてです。副リーダーのジャンヌ・レウスは元騎士志願者であり、父親は騎士団に所属していたそうですが、五年ほど前に起きた災害で死んでしまい、彼女は騎士になるのをやめ、革命軍に入ったそうです」
「それは、さっきも聞いた……だが、よくあんななりで、副リーダーが務まるな」
「どんななりかは、実際会ってないんで分からないんですけど、革命軍内での統括には厳しく、信頼もそれなりにあるようです」
確かに、あれはそういうタイプだったように思える。
が、ベルセルクにとっては正直どうでもいい存在ではあるが。
「んで? リーダーの方は?」
「それが、こっちはかなりの曲者ですよ。カイン・アルベール。現在は革命軍のリーダーをやってますが、こいつは元貴族です」
「元貴族?」
これはまた、妙なことになってきた。
元貴族が革命軍のリーダーとは、驚きというより、嫌な予感しかしない。
「アルベール家は、王女が国の主になった年、つまりは貴族がこの国の実権を握った年に、王宮から追放されてやす。どうもこのアルベール家は国民を第一に考える貴族だったらしいのですが、他の貴族たちからは相当嫌がられていまして、当時の当主が病死したために、権力を失い、家もつぶれてしまいやした。当主の病死についてですが、これも他殺だったという線が濃いようですよ」
国民を第一に考える貴族。
そんなものが、本当に存在していたとは、少し驚きだった。
ベルセルクにとって、貴族というのは、己の至福のために多くの国民を犠牲にする、というイメージが強かったせいである。
「しかし、家は潰れてもその影響力は未だに健在で、いろいろな面に顔がきくそうで。実権をなくしたというのも、政治に関してであって、王宮の下級貴族や兵士にもいろいろと繋がってやす。しかも、孤児院や病院、また職を失った者への支給金など、いろいろと出資していて、国民にも受けが良いそうです」
なるほど、とベルセルクは再び納得する。
彼が元貴族でありながら、革命軍のリーダーになれたのは、そういったコネや国民の支持があったからか。それならば、先頭に立つものとしてはこれ以上ない人材だ。
「いろいろ分かった……だが俺がお前に頼んだのは、『別の件』だよな?」
そう。ベルセルクがリッドウェイに頼んだのは革命軍の情報ではない。確かに、それも欲しいとは思っていたが、本当に欲しかったのは、そちらではない。
「それのことなんですがね……ちょっとややこしい話になってまして……」
「何だ?」
「いや、まぁ、順を追って説明します」
そう言って、リッドウェイは語りだす。
ベルセルクはその話を不満げな顔で聞いていた。
しかし、それは話の途中で、驚愕というものに変わってしまう。
話終わったリッドウェイに対し、ベルセルクは眉を顰めて問いただす。
「……それは、本当か?」
「はい。結構時間が掛かりましたが、これは確実な情報です」
「……、」
「自分で言うまで、考えないようにしてたんですが……ダンナ、これってやっぱり『そういう事』なんでしょうか?」
リッドウェイは不安げにベルセルクに尋ねる。
しかし、ベルセルクは答えない。
答えれない、と言うべきか。
もし、いや、ほぼ確実なのだが、リッドウェイが言っていることが本当だとしたら、自分たちはとんでもない奴に騙されていた。
しかも、その理由が全く分からない。
一つだけ思い当たる節があるのだが……それにしても「こんなやり方」を実行しようとは、とんでもない者もいたものだ。
「リッドウェイ」
「へい」
「このことは、俺が何とかする。どうにか決着をつけてやる。お前はまた情報取集をしろ」
「と、言いますと?」
「ある人物の情報が知りたい。それもとことん詳しくな」
と言って、ベルセルクは紙切れを渡す。
「そこに、調べて貰いたい奴の名前が書いてある」
「分かりました。すぐに調べます」
「よろしく頼む。んじゃ、俺はそろそろ王宮に戻る。シナンの奴が怒り出しそうだからな」
最後はからかうように言いながら、店内から出ていくベルセルクであったが、その内心は疑問に埋め尽くされていた。
リッドウェイの情報に間違いはない。ならば、『あいつ』が今回の黒幕であることもまた、間違いはないということだ。
しかし、それならば、疑問が残る。
何故、『あいつ』がこんなことを?
一体、どんなメリットがあるというのだ?
こんなことをしても、それは……。
その後、ずっと考え込んだベルセルクは、結局その答えを見いだせないまま城に着くこととなった。