6
そこは、広場と呼ばれるにはふさわし過ぎるところであった。
だだっ広い地面に、敷き詰められたタイル。
中央には噴水があり、その噴水の真ん中にはいくつもの像がある。
そんな場所に、ベルセルク達はやってきた。
すでに二人は剣を抜いている。二人の距離は十メートル前後。ベルセルクにとって一瞬の内に、間合いに入れる距離だった。しかし、それはあちらも同じだろう。気を抜けば、逆に間合いに入られてしまう距離でもあるのだから。
ベルセルクは周りを見る。どうやら、少しばかりだが、ギャラリーもいるようだ。正直、こういった見せ物はあまり好きではないのだが、致仕方ない。
「さて、準備はできたか?」
最初に問うたのは、アーヴィンであった。
「こっちはいつでもできる」
とベルセルクは答える。
が、それに納得しない者がいた。
「ちょ、師匠、本当にやるんですか?」
シナンは、戸惑うようにベルセルクに訊く。それもそのはず、自分たちは王女を守るのが仕事であり、何も城の人間と戦いに来たのではない。
しかも、相手は騎士団長。もし、何かあったら、大変なことになってしまう。
しかしながら、ベルセルクの答えはいつも通りな感じであった。
「これは俺の戦いだ。お前が口出しする理由はねぇ」
「そ、それはそうですけどね、相手は……」
「相手は騎士団長。だったら、尚更戦う必要がある」
「? それはどういうことですか……?」
ベルセルクの言葉に理解できないシナン。
それに対して、ベルセルクはため息を吐きながも、ちゃんと説明する。
「お前のような、馬鹿でも理解できるように、言ってやれば、騎士団長っていうのは、まぁ、兵士の頭、つまりは一番強い奴を言う。ってことは、だ。騎士団長がどれくらいの強さを持っているのか、それを把握することができれば、ここの兵士の強さも把握できるのと同じことなんだよ」
「なるほど~。流石師匠ですね……って、誰が馬鹿ですか!」
「あー、もう、うっせぇ。お前はさっさとあっち行ってろ」
そう言って、ベルセルクはシナンを離れさせる。
相変わらずの自分の弟子の鬱陶しさに少々頭を悩ませるベルセルクであったが、今はそんなことを気にしている時ではない。
ベルセルクはアーヴィンの前に立つ。
「すまねぇな。待たした」
「いや、別に気にしてない」
アーヴィンは微笑しながら言った。
「……んじゃ、早速やるか」
あっさりとした一言。
その一言で、場は変わる。
別に本当に何かが変わったわけではない。二人とも、剣を構え、睨み会っている。そして、そのままの状態を保ち続けていた。
だが、たったそれだけのことをしているのに、シナンには、二人の殺気が恐いほど伝わってきた。
気を緩ませる間がない、一瞬でも油断すれば、即座に叩き斬られてしまう圧倒的な気迫と威圧。見ているだけでも、体が震えそうになる。
もし、自分があの場に立ったら、どうなるのだろうか?
シナンはベルセルクといつも剣を交えている。が、それはただ単に、自分が打ち込んでいくのを、ベルセルクが避けるか払い飛ばすかのどちらか。言ってしまえば、打ち込みである。
ベルセルクが殺気を放った本気の勝負は、最初のあの時しかやったことがない。こういった『真剣勝負』は、未だにしたことすらないのだ。
そんなベルセルクの殺気を感じながら、アーヴィンは全く動じていなかった。
アーヴィンの持っていた剣はロングソードであった。どこにでもある、特に変わった所もない物だ。しかし、彼が持つと何故だかその剣が、名剣に見えて仕方がない。
アーヴィンの気迫は、どっしりとしたものだった。まるで、来る者すべてを跳ね返す盾のような雰囲気だ。隙がまるでない。
両者とも動かずに数分が経過する。
たった数分だというのに、物凄く長く感じられてしまう。
そして、何の前触れもなく、ベルセルクは動いた。
ベルセルクが、アーヴィンの前に到達するのに、一秒もかからなかった。すでにその腕は振り上げられ、剣には力を入れられている。
そしてベルセルクは、『裂破』を放つ。
初撃でいきなりの『裂破』。それは、ベルセルクが早く勝負を決めたいと思ったからではない。それしかなかったのである。
威圧をかけても、殺気を放っても、何も動じないこの堂々とした態度。それと同時に感じる、気迫と雰囲気。はっきり言って、何をどうすれば良いのかなど、分かりうるはずがなかった。
故に、ベルセルクは『裂破』を放ったのだ。
並の攻撃では恐らく返り討ちに会ってしまう。ならば、最初から全力でやるのが手っ取り早い。それに、ベルセルクは、元々そういった探り合いが苦手であり、好きではないのだ。
放たれる『裂破』は、そのままアーヴィン目掛けて一直線。
しかし、それが直撃することはなかった。
ガギィィィイイインッ!! と、大きな金属音が広場に鳴り響く。
見ると、アーヴィンが、自らのロングソードでベルセルクの一撃を止めていたのだ。
たった一撃、放っただけ。
たった一撃、受けただけ。
それだけなのに、見ている者にとっては、壮大な戦闘が繰り広げられているように思える。
アーヴィンは剣を薙ぎ払いながら、ベルセルクを吹き飛ばす。何と言う剛力なのだろうか、とシナンは素直に感服した。
ベルセルクは、吹き飛ばされながらも、片手を使い、上手い具合に着地し、その場で構える。
シナンは思う。あの『裂破』を受けて何故平気でいられるのだろうか。まさか、『裂破』が不発してしまったのか、と一瞬考えたが、それは違うと理解した。
よく見ると、アーヴィンの足元が変化している。陥没していたのだ。それは、ベルセルクの一撃がいかに強力なものだったのかを物語っている。
そして、同時にそれほどまでの一撃を、あの男は受け切れたという事も。
「ほう……中々やるな。流石は噂に聞く男だ」
ニヤリ、と笑いながらアーヴィンは言う。
「これほどまでの一撃は久しぶりだ。手が痺れて、思うように動かないな」
「はん。嘘つくなよ。今の一撃を食らって、立ってるやつが言うことじゃねぇよ」
そう、先ほどのベルセルクの一撃は、普通の人間が受け止めて、立っていられるものではない。いや、むしろ死んでいても、おかしくないものだ。魔物相手なら、一撃で仕留められる。それだけの威力はあったはずだ。
にも関わらず、目の前にいる男は、立っているどころか、笑ってすらいる。
なるほど。騎士団長と呼ばれる実力はあるらしい。昨日の女騎士など、比べようもない。
いや、はっきり言うと、そんなレベルの問題ではないかもしれない。
過去、ベルセルクが戦った剣士は山ほどいる。話にならない者から、ベルセルクが到底及ばない力を持った者まで、数えきれないほどいる。その中で言うと、彼は上位に来る。
勝てない、とは思わない。
負ける、などとは考えない。
ただ、ベルセルクは、面白い、と感じている。
いつ以来だろうか。そう、あれは魔人フェンリルと戦った時だ。あの時も、同じような感覚に研ぎ澄まされていたのだ。
フェンリルの時は、連続的な剣劇だったが、この男とはまだ一撃を放っただけなのに、だ。
「では、こちらもお返しと行くか、なっ!!」
言い終わる前に、アーヴィンはベルセルクに突撃する。
それに対して、ベルセルクは防御の体制を取らない。逆に剣を振り上げ、一撃を放つ構えを取る。
防御など不要。
要るのはただ、攻撃のみ。
次の瞬間、二人の一撃が、ぶつかり合う。再び、轟音が響き渡り、見ている者を圧倒させる。
ベルセルクの放った一撃は『裂破』ではなかった。しかし、それでもかなりの威力のものだったのは違いない。
しかし、突撃した分、攻撃力が勝ったのか、アーヴィンの一撃の方が、若干、ベルセルクのものより強かった。そのせいで、アーヴィンに押し切られる形になり、ベルセルクは再び、後ろへと下がるはめになった。
「くっ!?」
苦い顔になるベルセルク。当然だ。二度も自分が押し負けることなど、滅多にない。ベルセルクの手には、先ほどの一撃がしっかりと伝わってきた。
そして、それがまた、更なる興奮をベルセルクに与える。
ああ、こいつとならやれる、と。
三度構える二人。
そして今度は……。
同時に駆け出す。
もはや半瞬と言っていい速さで互いに懐に入り込むと、激しい剣劇が始まった。
「ッアアア!!」
「ぬぉぉぉおおおッ!!」
それぞれに声を張り上げながら、打ち合っていく。いや、斬り合っている、と言った方が正しい。
互いに放つのは、強力な一撃。それを、とんでもない速さで放ち続けているのだ。その速さはもちろんのこと、よくあそこまで腕力が出るものだ、とシナンは思う。
シナンは速さで言うなら、かなりの自信がある。しかし、腕力には全くと言っていいほど自身がない。
それは、元々シナンが小柄だから、という理由もあるが、それだけではない。速さを追及するにつれて、腕力がそれについてこられなくなったのだ。
しかし、それはシナンに限ったことではない。通常なら、速さに沿って自分の剣を磨くもの、力に沿って自分の剣を磨くもの、それ以外にも様々な剣士がいるが、速さを力を同時にハイレベルな状態で使い切れるものなど、そうはいない。
目の前の二人は、それを可能にしている。
可能にしていて、尚、彼らは斬り合っている。
正直、化物だ、と思った兵士は一人二人ではないだろう。
兵士達は常日頃、騎士団長の事を人間離れしているな、と思ってはいた。
だが、それを間近に見ることは、滅多になかった。っというよりも、そんな機会など、ないに等しかったのだ。
この国はすでに衰退している。そんな中、騎士団長と張り合える者など、この城にはいなかったのだから。
そして、初めてその騎士団長と渡り合える人間がやってきたのだ。
その姿は、まさに剣。
兵士には、立派な剣術というものが存在する。皆、それに従って稽古し、練習し、鍛錬する。ベルセルクと戦っている騎士団長もまた、それに従って剣を交えている。
しかし、ベルセルクには、そういった『剣術の型』がないのだ。
確実にあれは、我流だ。
しかし、彼の剣は、そんなものは関係ないと言わんばかりな迫力を持っていた。
キィィイインッ!! と甲高い音が鳴り、二人は剣を競り合いの状態で止める。
「ハハハッ!! 最高だ、楽しいな、全く!!」
「そうかよっ!!」
楽しくて仕方ないのか、アーヴィンは盛大に笑っていた。
対するベルセルクも、アーヴィンほど楽しげには見えないが、口元を緩ませ、笑みを見せている。
そして、また斬り合いを始める。
笑いながら、斬り合うその光景は、正直かなりシュールなものであった。
白熱する剣劇の中、ベルセルクは気づく。
何かがおかしい、と。
その『何か』と言うのが、具体的には分からない。しかし、その『何か』がベルセルクの勘を揺さぶるのだ。
だが、ここは考えても仕方がない。
ベルセルクは、アーヴィンに仕掛ける。
剣戟の中で、ベルセルクは『裂破』を放つ。
連続的な攻撃の最中に放ったため、最初に打ったものよりは幾分か威力は落ちてしまっている。が、それでも、アーヴィンの手元を狂わすには十分な一撃であった。
「ぬおっ!?」
アーヴィンの剣が、握っている手とともに、上がる。
今までにない、隙ができた。
いける。
ベルセルクは確信した。
このまま一気に、一撃を放てば、確実にベルセルクの勝ちとなる。
ベルセルクは、隙を見逃さず、すぐさま剣を振り下すアーヴィンの首目掛けて放つ。もはや、絶対に防御することも、避ける事さえも不可能な一撃。
確定された勝利を信じて疑わないベルセルク。
しかし、世界と言うものは、それほど甘くなかった。
ベルセルクが一撃を放とうとした瞬間、突然にアーヴィンの動きが速くなった。
「な、にっ!?」
これには流石のベルセルクも驚愕する。
ベルセルクとアーヴィンはギリギリの所で戦っていた。力も速さも、互いに全力を出し切っていたはずだ。故に、隙ができた際、ベルセルクは、自らの勝利を確信したのだ。
にも拘らず、アーヴィンの動きは、ベルセルクの予想を遥かに超えるものとなっていた。
結果的に言えば、アーヴィンはベルセルクの一撃を防ぐことができた。そして尚且つ、ベルセルクの剣を弾き、自ら後ろへと下がる。
周りの者は、あまりの凄まじい状況に「おお……」と感嘆している。しかし、ベルセルクは先ほどの現象に疑問を浮かべる。
今のは、一体なんだ?
先ほどまでの剣劇の中では全く見せなかった速さ。あれほどの剣劇の中、まだ力を温存していたのだろうか?
それはそれとして凄いことだが、ベルセルクはどうもそう思えない。
何というか、隠し持っていた、と言うよりは、突然と人が変わったような、そんな感じだった。
ベルセルクは剣を構える。
妙な気分にはなった。しかしながら、だからと言って、ここでやめるわけにはいかない。むしろ、ますますやりたくなったというのが、ベルセルクの本音だった。久々の大物に、胸が高鳴っているのだ。自分がここまでなるのは、あまりないのだから。
さて、次はどうしようか、と考えていたベルセルクだったが。
「……合格、と言ったところだな」
ふと、アーヴィンが突然とそんなことを言い出す。
かと思うと、次は剣の構えを解き、そのまま収める。
「……何の真似だ?」
ベルセルクは不機嫌な物言いをする。
これからさらに楽しくなっていくところで、何故止める必要があるのか。
「言っただろ? これは、お前さんがどれくらいの強さなのかを、俺が見極めるためのものだ。んでもって、十分にその強さを知ることができた」
「……それで? 結果はどうなんだ」
「合格。いや、それ以上だ。ものは相談だが、うちの騎士団に正式に入らないか? お前さんの腕なら、兵士たちも納得するだろうし」
と、アーヴィンは勧誘を仰々しくも行う。
それに対して、シナンはぎょっとした。
しかし、それは杞憂に終わる。
「生憎だが、そこまで酔狂な人間じゃないんでな。断らせてもらう」
「そうか……う~ん、残念だな」
と、ちょっと本気で無念そうな顔をするアーヴィン。
すると、ようやくレンが呆れ果てた顔で、アーヴィンに話しかける。
「アーヴィン殿。もう十分楽しまれたでしょう? 僕は彼らに王宮を案内しなくてはいけないので、さっさと貴方は自分の仕事に戻ってください」
「む? 王宮案内か。なら、俺も一緒に行こう。良い昼寝場があるのだ」
「へぇ~そうなんですか~……って、っだから、貴方は仕事に戻ってくださいと言ってるでしょう!? っというか、昼寝場って何ですか!?」
「そのままの意味だ。俺がいつも使っているサボり兼昼寝専用の場所だ」
「また貴方はそんなところで……!?」
がみがみとレンに小言を言われるアーヴィン。しかしながら、彼とレンとの背の差はかなりのものであり、アーヴィンと並んでしまうと、レンは子供にしか見えない。アーヴィン自身もそう思っているのか、レンを子供のようにあしらっている。
「あー、もう分かった分かった。そう煩く言うな。今からちゃんと仕事してきてやるから」
「それが普通なんです」
全くもう……というレンの言葉に、シナンは「何だか、大変そうだなぁ」とベルセルクに手を焼いている者として、同感するところがあった。
「それじゃあ、俺はこれで失礼する」
そう言って、アーヴィンは立ち去っていく。
最後まで態度を変えなかった彼の大きな後姿は、あっという間に消え去って行ったのだった。