12
街へ戻ると、予期せぬ出迎えが待っていた。
「お疲れ様です、御ふた方」
街の入り口の所でベリアルの執事であるフェンリルが待っていたのだ。
その意外な人物に、ベルセルクは眉間に皺を寄せた。
「……何でアンタがここにいる?」
「主人に言われまして。そろそろ帰ってくるだろうから、迎えに行きなさいと」
フェンリルは丁寧口調のままそう言った。
それはまた、奇妙な事だ。
ベルセルク達がどうして帰ってくる事を、ベリアルが知ることが出来たのだろうか?
やはり、あの男は何か企んでいるのだろうか。
ベルセルクはシナンを見た。どうやらシナンもおかしいとは思っているらしい。だが、それを今ここで考えていても仕方がない。
ベルセルクはフェンリルの方を向いて、シニカルな笑みを作った。
「……そうか。なら、早速行くとするか」
「そうですね」
ベルセルクの言葉にシナンが答え、そして一同はベリアルの屋敷へと向かった。
*
「おお、よくぞ戻られましたな」
会った瞬間にベリアルはそんな事を言い出した。
「俺達が戻ってこないとでも思ったのか?」
ベルセルクは、皮肉げな一言を言う。
それに対してベリアルは苦笑した。
「……正直な所を言いますと、確かにそう思っておりました。何せ、今までの勇者の人々は皆、帰ってこなかったものですから」
それは知っている。何せ全員あの騎士もどきに殺されているのを、ベルセルクとシナンはこの目で確かめているのだから。
「それで……例のコンパスは?」
「はい、こちらに……」
「その前に、幾つか質問があるが、いいか?」
シナンの言葉を遮り、ベルセルクは質問する。それに対し「何でしょう?」とベリアルは訊き返す。
「まず、アンタはどうやって俺達が帰ってくる事を知ったんだ? 俺達が街の入り口に到着すると同時に、アンタの執事が俺達を待っていた。これは、どうみても出来すぎてるとは思わないか?」
実にストレートな質問だった。回りくどい言い方を一切せず、ただ訊きたい事だけを訊く。ベルセルクらしいといえば、らしい。
しかし、ベリアルはそれをまともに取り合わない。
「はっはっはっ。ただの偶然ですぞ、赤髪の方。私がただ、そろそろ帰ってくるのではと思ったまでの事で何かしらの根拠があったわけではありませんぞ」
「ほう。根拠がないのに、わざわざ執事を迎えに来させるのか。大した勘だな」
「しかし、おかげで時間が短縮できた。結果的にはよいのではありませんかな?」
揚げ足を取ろうとするベルセルクに対し、ベリアルは真っ向から返してくる。
どうやら、この話では墓穴を掘らないようだ。
ベルセルクは「そうだな」と言って別の質問をする。
「んじゃ、次の質問だ……あのコンパスは何だ?」
「何だ、と言われましてもな……ただのコンパスとしか言えません」
「ただの、ねぇ……本気で言ってるのか?」
ベルセルクは冷笑しながら、ベリアルに問う。
「俺はあんな洞窟の中にあるのがただのコンパスとは思えない。あんたは自分で言っただろうが。かなりの高価な物だってな。だが、あれはどう見ても高価とは縁遠いモンだ」
「専門的分野からすれば、高価なものですよ」
「まぁ、確かにそうかもしれない……だが、俺は気にしているのはそこじゃない。あんたは知っていたかはしらないが、あれはとある騎士によって守られていた。ただのコンパスを守る馬鹿がどこにいる? そして、最も気になったのは守っていた騎士の言葉だ」
ベルセルクはあの騎士の言葉を思い出していた。
「『我はコンパスの番人。真の勇者にそのコンパスを授ける者なり』と。ということは、あのコンパスは、勇者が持つべきものなんじゃないのか?」
「……、」
ベリアルは無表情のまま、何も言わずに黙っていた。
それに対してベルセルクは静かに言う。
「もう一度訊く。あのコンパスは、何だ?」
今度は目を細めながら訊く。
その迫力に、隣にいたシナンは少しビクついてしまった。
ベリアルは、小さい息を吐いた。
「……そのコンパスは、北を指していないでしょう?」
「え……あ、はい。そうなんです。これ、何だか壊れちゃってて……」
「壊れてはおらん。それが指し示すのは、北や南ではないのですから」
言われて、二人は顔を見合わせた。北や南を指し示さないコンパスが存在するのだろうか。ましてや、それが一体何の役に立つのだろうか。
もしや、と思いベルセルクはベリアルに尋ねる。
「……これは、別のものを指し示している?」
その言葉にベリアルは微笑する。
「察しがいいですな、赤髪の方。そう、それはとあるものを指し示した特殊なコンパス。この世に一つしか存在しない、幻のコンパスなのだ」
この世に一つしかない幻のコンパス。
確かにその通りなら、かなり高価なものだ。世界でたった一つしかないものなど、どんなものでも高く売れる。
しかし、ベルセルクは新たなる疑問を抱いた。
「そんじゃあよ、それが指し示すのは一体何だって言うんだ?」
北を指さないコンパス。ならば、それが指し示すのは、一体なんなのか。それが気になるのは当然の話だ。
ベリアルは微笑を浮かべたまま、静かに言う。
「魔王、ですよ」
瞬間、二人は目を見開いた。
魔王。それは、シナン達が探している存在。しかし、その居場所が分からないため、シナン達はここに来たのだ。
それを指し示すコンパスが今、シナンの手の中にある。
ベルセルクは、最後の質問をする。
「……魔王の居場所を示すコンパス、か。なるほど、確かに珍しいもんだ。だが、俺達はそれを知るためにここに来た。だったら、これは俺達が貰っていくってのが筋じゃないか?」
「それは困りますな。私にもそれはとても必要なものですから」
「必要? コンパスが? 何のために?」
「それはお教えできませんな。なぜなら……」
その時、シナンは確かに見た。
ベリアルの顔が微笑から不敵な笑みに変わる、その瞬間を。
「なぜなら、あなた方はここで死ぬのですから」
パチン、とベリアルは指を鳴らす。と同時に、部屋の外で隠れていた男達が次々と入ってくる。それぞれに剣やら槍やらを手にし、ベルセルク達を殺す体勢に入っていた。しかし、どうも様子がおかしい。殺す気配はするのだが、その目からは意識が感じられなかった。まるで、誰かに操られているような、そんな感じであった。
ベリアルは、小さく呟く。
「やれ」
言うが早いか、男達はその号令とともに一気に殺しにかかってきた。
シナンはくっ、と苦虫を噛むような顔になりながら剣の柄に手を置く。しかし、ベルセルクは何もしなかった。全くといっていいほどに、剣に手をかけず、その場に立っているだけだった。
あと数メートル。もう斬るしかないとシナンは剣を抜こうとするが、ベルセルクがそれを制止する。何をするんですか、と言おうとしたが、ベルセルクの瞳が何か変だった。まるで、動くなと目で言っているような気がした。
そして、一番近くにいた男の剣が振り下ろされそうになった時、事は起こる。
シュウゥゥゥゥウウン。
何か奇妙な音が聞こえたと思ったと同時、振り下ろされるはずだった剣が、空中で突然と止まった。しかも、それは目の前の男だけではない。他の男達も同様だった。まるで、蜘蛛の巣に引っ掛かった昆虫のように、動きたくても動けない状態になっていた。
何が起こったんだ? シナンがその疑問を口にする前に答えはやってきた。
「いやぁ、間一髪って所でしたねぇ」
飄々とした声が聞こえてくる。
シナンはその声の持ち主を知っていた。
振り向くとそこにいたのは、
「リッドウェイさんっ!?」
にっこりと笑っていたリッドウェイの姿だった。
「遅いぞ、リッドウェイ」
「いやいや、これでも急いだ方ですよ? ダンナ達が帰って来たの知った後、慌ててここに来たんですから」
「嘘つけ。そこで隠れてタイミングを見計らっていたのは分かってんだよ」
「あ、あれぇ? 何の事ですかななぁ?」
「よし、後で殴るから遺書用意しとけよ」
「嘘ですゴメンなさいすいませんでした」
脅されて、リッドウェイはすぐさま謝った。
一人、状況が飲み込めないシナンは、疑うような声音でリッドウェイに訊く。
「あの、これってリッドウェイさんが……?」
「ん? ああ、そうだよシナンちゃん」
「でも、どうやって……」
「それはね、これだよ」
と見せられる、リッドウェイの両手。正確に言うのなら、その指先だった。シナンは初めそこには何もないと思っていたが、よくよく目を凝らして見るとそこには、見えないほど細い糸があった。そしてその先をたどると、この部屋のありとあらゆるところに張り巡らされていたのが、分かった。
糸使い。シナンはその言葉を聞いた事があった。糸を自由自在に操り、相手の動きを封じたり、殺したりするものだ。それを扱うには相当の訓練が必要だと言う事もまた知っていた
そんなものを、リッドウェイが持っていたとは驚いた。
「意外、って面してるな」
「え? そ、そうですか?」
「ああ。まぁ、分からなくもないがな。普段のアイツだけを見てるとそう思うのも仕方がないが、よくよく考えてみろ。俺が、ただの臆病な情報屋を相棒にすると思うか?」
それは、まるで子供が自分のおもちゃを自慢しているような顔だった。
それほどまでに、ベルセルクはリッドウェイを信用しているのか。
それが、ほんの少し羨ましいシナンであった。
「だがまぁ、アホなのは変わりないがな」
「ひ、ひどいですよ、ダンナッ! さっきまで褒めてたのにぃ」
「そういう所がアホだって言ってんだよ、クズが」
「クズっ!? 何かさっきより下になっているような気が!?」
「安心しろ、お前にそれ以上落ちるところはない」
「つまり、最悪って事ですか?」
「そういう事だ」
「それはあんまりですよぉ~」
……。
何だかちょっと訂正したくなってきたシナンである。
一方、リッドウェイが張り巡らさせた糸にはベリアルも捕まっていた。どうにか動こうとしているも、他の男達と同じで、動けずにいた。
「どうやら、形勢逆転のようだな」
「くっ……」
ベリアルはベルセルクを恨むようにして睨む。
しかし、その言葉にリッドウェイは反論する。
「ダンナ、ちょっと言いにくいんですけど……黒幕はこの人じゃありやせんよ」
「何?」
何度目になるだろうか。ベルセルクは眉を寄せた。
「そうでしょう? フェンリルさん」
リッドウェイが言うと、ベリアルの隣にいたフェンリルが戸惑った様子で答えた。
「な、何を言っているんですか、私がそんな、黒幕だなんて……」
「ダンナ達が森に行っている間にいろいろと調べさせてもらいやしたよ。ベリアルが今までしてきた黒い噂の数々をね。さらには、ベリアルがこの街に住んでからの記録も全て。誰をどこでいつ雇ったとかも含めて。ただ、その雇った人の中に、あんたの情報だけが欠けていた。どこから来たのか、どうやって雇ったのか、いくら聞き出しても誰も知らなかった」
「そ、それはただ、私の存在が薄いという事で……」
「それはない。街中の人があんたの存在を知っていた。気弱な執事。誰もがあんたの事をそう呼んでいた。だけど、あんたがどういう性格で、どんな人間なのかは誰も知らない。まるで、存在だけしているかのように」
言われてフェンリルは言葉を失ったような顔になり、下に俯く。
「さらに言うと、ベリアルは黒い噂が流れる前は本当に心優しい人間だったといってましたよ。だからここの領主になれたんだと。でも、噂が流れ始めてからはまるで人が変わったようになったとも言っていましたね。それも、あんたがベリアルの執事になってからだと」
「……、」
リッドウェイは珍しく勝ち誇ったような顔になった。いや、本当に珍しいとシナンはおろか、ベルセルクすらも思ってしまった。
「何か、言うことはありますかな?」
あ、ちょっと調子に乗ったな、と二人はすぐに勘付いた。
「……くく」
「?」
「くくく、くははは、はははははっ!!」
顔を上げたフェンリルは突然と声高々に笑い始めた。
なんだ? 気でも狂ったのか? と三人は同じ感想を抱いた。
十秒程笑っていたフェンリルは、笑いを止めると、三人に向かって言う。
「いやはや、流石というか。今まで来た勇者の中でも、お前たちは一番優秀だよ」
口調が先程とは全く違う。まるで、突然と別人になったかのようだった。
「こんなにも小さい勇者が、まさかここまでやってくれるとは。人は見かけによらないものだ」
「お前は、何者だ?」
ベルセルクが問う。
「何者、か。その言葉を聞くのも久方ぶりだ。人間にとっては、私は見たこともない存在だったが、それもここ最近は隠していたからな」
ムッとベルセルクの苛立ちが募る。
「誰だって聞いてんだよ、さっさと答えろ」
「ふ、そう急かすな。すぐに見せてやる」
瞬間、変化が起こった。
フェンリルの周りにまるで見えないオーラのようなものが集まっているのを、ベルセルクは感じ取った。そして、それが力となり、フェンリルの中へと入っていく。
筋肉が少しずつ膨れ上がり、少しだった白髪が全ての髪を飲み込む。目は充血したように赤くなり、額からは、角のようなものが生えてきた。
フェンリルの体を縛っていた糸がブチブチッ、と千切れていく。
馬鹿な、とリッドウェイは呟いた。あれは、特殊な糸であり、鋼鉄をも引き裂くような代物である。それをいとも簡単に引きちぎるなど、ありえない。
そうして変化は少しづつおさまって行く。
そこにいたのは、先程まで気弱そうな姿をしていたとは全く思えないフェンリルだった。
「この姿になるのは、本当に久し振りだ」
まるでご満悦のような声だった。
「先程、私が何者かと訊いたな。良かろう、教えてやる。私はフェンリル。魔王に使える魔人の一人である」
「ま、魔人? って、まさかあの、魔人!?」
リッドウェイは驚きの声を上げる。
魔人。それは人の形をした魔物だ。その力は、魔物程度など遥かにしのぎ、人間など相手にもならない存在だ。人がなくした魔法を人よりも巧み操ることができる。そして、それは魔王に仕えており、今も魔王の下にいると言われている。
だが、それは空想上の話だ。魔王ですら、いるかどうかも分からないこのご時世だ。魔人がいるなどと信じる人間がどれだけいようか。
そして、その空想上の存在だと思われてきた魔人が今、目の前にいる。
「……で? その魔人が、何でこんな事してんだ?」
ベルセルクはいつもの変わらない口調で挑発する。
「ほう……私の存在を知ってもあまり驚かないのだな」
「別に。まぁ確かにお前が黒幕だって事は驚きだったが、それが魔人だって事はさほどな。何せお前が何者でも、俺はお前を潰すからな」
不敵に笑うベルセルク。
それに対して、フェンリルもまた同じように笑った。
「くくく……面白い男だ。なら、私もお前を殺しにかかろう」
言うと、フェンリルは右手を上げる。
攻撃か、と予感したベルセルクだがそれはハズレだった。
男達の体から、異様なオーラが流れ出し、それがフェンリルの右手に集まっていく。その男達の中に、ベリアルも入っていた。
「こいつらは、私の魔法を使っていたからな。その分の魔力を元に戻した。これで、私は元の強さを手に入れた」
どうやら、この男達はベリアルも含め、フェンリルに操られていたようだ。その術を解き、その分の力をフェンリルは取り戻したらしい。
これは本気でくるらしい。
「これは余興だ。念願のコンパスを手に入れるな。だから、簡単には殺されないでくれよ?」
フェンリルは戦う前から余裕の言葉を並べる。
「ったく、面倒くせぇやつだなこれは」
ベルセルクは、ようやくその腰にある剣を抜いた。
続いてシナンも剣を構えようとするが、ベルセルクが止める。
「あれは俺の敵だ。お前は手を出すな」
「何言ってるんですか、相手は魔人ですよ? いくら師匠でも一人で勝てるわけ……」
「いいから、黙ってそこで見てろ」
「でもっ……」
とシナンが続けて何かを言おうとすると、リッドウェイがポンッとシナンの肩に手を置き、制止した。
「リッドウェイさん……」
「ダンナがしたいって言ってるんです。好きにやらせてあげましょう。何、どうせこの人の事だからすぐに勝ってきますよ」
ニコやかに笑うリッドウェイに、シナンは不安ながらも小さく頷いた。
それを確認したベルセルクは、剣をいつものように担ぎ、目が獲物を狩る目に変わる。
「さぁ、殺し合いの時間だ」
次の瞬間、ベルセルクはフェンリルへ斬りかかった。