10
パチパチ、と火種が飛ぶ音でシナンは目覚めた。
「……、」
最初はぼんやりとしか風景が見えず、どこだか分からなかった。
「ここは……?」
「気がついたか」
ふと、隣から妙に不機嫌そうな低い声が聞こえてきた。見るとそこには焚き火の前で胡坐をかいているベルセルクの姿があった。
「師匠……」
「ここは例の洞窟だ。雨宿りができる場所を探してたら、偶然ここを見つけた。奥の方にまだ空洞があるらしい。多分、そこにコンパスがあんだろうよ」
「そうですか……なら、早くいかないと……」
そう言って立ち上がろうとするシナンだったが、 上手く体を起こせずにいた。
その光景にベルセルクははぁ、とため息をついた。
「お前な、その体でいくつもりか? まともに動ける状態じゃねぇのは、お前も分かってんだろ」
「でも……すぐ、そこにあるんですよ?」
「すぐそこにあるんなら、いつでも取りに行ける。違うか」
「…………、」
言われて、シナンはしばらく黙った後、小さく息を吐いた。どうやら大人なしくする事を了承したらしく、そのまま横になる。
その顔があまりにも暗そうだったので、ベルセルクはムッとなった。
「どうした、何か急がなくちゃいけない用事でもあんのか?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、また迷惑をかけたなって……」
「あん? んな事気にしてたのか?」
「……だって、僕いつも師匠に助けられてばかりだから……」
確かにベルセルクはシナンをもう三度も助けていた。ロックビーストの腹から助け、ラプトールの群れから救い、そして今日は倒れた所をここまで運んだ。自分でも何をやっているのか、と苦笑が出るほどベルセルクには似合わない行動だ。
その事に対し、シナンは感謝もしていれば、迷惑をかけているという思いがあったのだろう。師であるベルセルクに助けられてばかりで、自分は良い所がまるでない。負い目を感じるのも仕方のない事だろう。
「……僕ってホント、ダメですね。強くなるとか言って、魔物に食べられたり、戦っている途中に倒れそうになったり、挙句修行の疲れで熱を出したり……空回りしすぎですよね」
「全くだ」
話すシナンにベルセルクは肯定の言葉を並べる。ここはあえて違うと言ったり、無言すべき所なのだろうが、ベルセルクにそんな気配りなど出来るはずもなかった。
そもそも、そんなものをベルセルクに求めるのは間違いだ。ベルセルクという男は人の気持ちを重んじたり、配慮したり出来る器用な人間ではないのだ。
ただ潰し、破壊する。そういった人間だ。ろくでなしと言われようが否定しないような奴だ。
だが、シナンはそういううベルセルクの言葉を聞いても全く嫌な顔をしなかった。
どちらかというと苦い顔、と言った方が正しい。
「師匠はホントに正直な人ですね」
「皮肉のつもりか?」
「いいえ。褒めてるんです。普通、そこまで自分の感情を偽らない人なんてそういませんから」
言い方を変えているようだが、ベルセルクには皮肉にしか聞こえない。ただ、その皮肉すら、ベルセルクには何の意味もないが。
シナンはパチパチと火種を飛ばす炎を見ていた。
そんなシナンに、ベルセルクはふとこんな事を聞いた。
「……お前は、何で俺の弟子になりたがってたんだ?」
急な質問にシナンはえっ? と声を漏らす。驚いているようだったが、それはベルセルク自身も同じであった。何を言っているんだ自分はと思いながらも、口からは次の言葉が出てくる。
「前にも言ったが、俺より強いな奴なんてごろごろいる。そいつらだって、まともな奴らだとは断言できないが、俺よりはマシなはずだ。リッドウェイも言っていたが、俺はすぐ手が出るし、人よりどっかおかしい部分がある。そんな俺に、何で師匠になってほしいと思ったんだ?」
馬鹿な質問だとは自分でも思っていた。そんな事を聞いてどうする、という心の声に耳を傾けながらベルセルクはシナンの答えを待っていた。
すると、シナンは微笑して答える。
「師匠は良い人ですよ」
意外な答えだった。
意外すぎて、ベルセルクは笑ってしまった。
「ハッ、俺が良い人? 『狂剣』とまで言われている俺が、良い人だと? 冗談もほどほどにしろよ」
本当に何の冗談かと思う。
「冗談なんかじゃありません。だって師匠は僕を何度も助けてくれました」
「それはただの気まぐれだ。最初の時だってそうだし、二度目も今回もそうだ」
そう、ただの気まぐれだ。ベルセルク自身もなぜ自分がこんな似合わない事をしたのか、皆目検討がつかない。
「でも、そんな気まぐれは本当にひどい人にはおこしません。師匠が良い人でないと……」
まだ反論しようとするシナンに対して、ベルセルクは不適に笑って言う。
「自分の師匠を、殺した男でも、か?」
えっ? とシナンは疑問の言葉を口にする。その反応からして、あまりにも予想外の言葉だったのだろう。
自分の師匠を殺した。
その意味を理解するのには、そう時間はいらなかった。
だが、それを受け入れるのには、少々時間がかかった。
「それは……一体、どういう……?」
「そのままの意味だ。俺は、自分の師匠を殺したのさ。この手でな」
ベルセルクの表情はまるで変わっていなかった。いつも通りの顔だった。それが逆にシナンの驚きをさらなるものへと変えていった。
戸惑うシナンに、ベルセルクは語っていく。
「俺にも師匠がいた。たった一人の親とも呼べる奴だった。育て親だ。そいつは強く、名も知れた庸兵で、俺もそいつに習ってこの仕事に就いたと言っても過言じゃないな。小さい頃からかなり仕込まれて、傷だらけになる毎日。だが、それは悪くない日々だったよ」
少し長々と話すベルセルクに、シナンは恐る恐る質問する。
「……その人の事、嫌いだったんですか?」
「別に。俺にとって、そいつはたった一人の親とも呼べるって言ったが、血はつながってないのは結構前から知っていた。俺とあいつとでは性格が全く違うし、顔形も全く似ていなかったからな。だが、俺にはそんな事はどうでも良かった。別に大した事でもないし、それを追求することはなかった。まぁ、嫌いでもなければ好きでもないって感じだったな」
「じゃあ何で……」
その質問は、予想できた。
なぜなら、ベルセルク自身もその時同じ疑問を持ったからだ。
「……ある日の事だ。突然、あいつが俺と決闘しろとか言い出してな。何の冗談かと俺は相手にしなかったが、あいつは本気で俺を殺しにかかってきた。今までにないような、本気の剣だった」
その記憶は、今でも鮮明に覚えている。
いつものような、他愛もない稽古ではない、本当の殺し合いの剣。
相手を確実に殺すために振るうその剣に、ベルセルクもまた同じように剣を振るった。
「正直言って、俺は今でも勝った気がしねぇよ。あの気迫を俺は超えられた気がしなかった。俺はただ、恐怖に押さえつけられて、ただ相手を殺す事だけに集中していた」
そのおかげか、死に物狂いで戦ったベルセルクは何とかその男を後一歩の所まで追い詰めた。
だが、どうしても後一歩で手を止めてしまったのだ。
「俺は、あいつを殺せずにいた。それがどうしてだかは、今でも分からんが、何かが俺の手を止めたんだ。こいつを殺すなという、何かがな」
そんなベルセルクに、業を煮やした男は、最後の力を振り絞り、ベルセルクに斬りかかった。それに対してベルセルクは反射的に対処し、男に止めをさした。
それは、ベルセルクにとって、人を殺した最初の瞬間だった。
「魔物を殺すのとそう大差なかった。なかったはずなんだが……何だかな、魔物を斬る時とは違う何かを感じたのは、事実だ」
それが後悔という感情だと理解するのには、かなりの時間がかかってしまった。
ベルセルクはシニカルな笑みで、シナンに尋ねる。
「こんな男でも、お前は良い奴だと思うのか?」
感情が一部欠落し、人間としてはあまりにも出来ていない、自らの師を殺した男。
そんな男を、世辞でも優しいと表現する人はまずいないだろう。
だが、その予想は外れる。
「……それでも、師匠は良い人ですよ」
シナンは迷いもせず、そう告げた。
その言葉に、ベルセルクは顔をしかめる。
「……どうしてそう言いきれる?」
「だって、師匠はその人を殺したくて殺したわけではないんでしょう? 殺しにかかってきたから、師匠も仕方なくそれに応じた。それだけです」
「ハッ、どんな事情があろうが、俺があいつを殺した事には変わりない」
「そうです。それは変えようのない事実です。でも、したくてするのとそうでないのとでは、明らかに違ってきます。それに、師匠自分で言ってたじゃないですか、傷だらけになっていたけど悪くない日々だったって」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
あまりにも素直すぎる表情だった。
その言葉と表情に、ベルセルクはまたはぁっとため息をついた。
「お前な、何でそこまで言うんだ?」
ベウセルクのさりげない一言に、今度はシナンがため息をついた。
「……やっぱり覚えてないんですね、師匠」
「……?」
覚えていない? それはどういう事だろうか。
もしかして、と思いつつベルセルクはシナンに尋ねる。
「……まさか、俺とお前って前に一度どこかで会ってんのか?」
「会ったどころの話じゃありませんよ、僕は師匠に命を助けてもらったんです」
「俺が、お前を……助けた?」
ここ最近、ベルセルクはシナンを助けてばかりいる。が、それ以前に一度、ベルセルクはシナンを助けたと言っているのか。
ベルセルクは首を傾けていると、シナンが話し出した。
「二年前の話です。当時、僕は姉に頼まれて、近くの小さな村に植物の種を買いに行っていたんです。まぁ、種自体はそんなに時間がかからずに買えたんですけど、その時僕は運悪く、盗賊が村を襲う時に出くわしてしまったんです」
盗賊達は次々と村人達を殺していった。それは、外から来た人間も例外はなかった。女以外は全員皆殺しという何とも非道な盗賊達で、しかし村にいた男衆では対処できないほどの強さだった。
シナンはその時、普通の少女だった。故に殺しの対象にはならなかったが、盗賊達に捕まってしまったらしい。
このままではどこかへ売り飛ばされるか、男達の玩具にされるか。そんな思考がシナンの脳裏に過ぎっていた。
まだ自分はやりたいことがあったのに。
姉に届けなければならないものがあるのに。
こんな所で、人生を終わらせたくないのに。
そして、彼女が絶望に付していた時。
一人の男が現れたのだ。
彼はたった一人で盗賊達と戦い始める。数はおよそ五十もいた盗賊達に対して一人で、だ。もちろん勝ち目はないと捕まっていた誰もが思っていた。
しかし、その予想を彼は打ち破ってしまう。
血という血が辺り一面に流れる中、彼は剣を振るう。全くの無傷で、その身を血で汚しながらも彼は敵をなぎ倒す。
その姿があまりにも恐ろしく、捕まっている人々も見ていられないといわんばかりな表情をしていた。シナンもその姿を恐ろしいと思っていたが、その姿を最後まで見ていた。
今まで見たことがない圧倒的な強さ。どこか狂気のようなものを醸し出すその雰囲気。まるで戦いを楽しんでいるかのような表情。その一部始終を。
シナンが気づいた時にはすでに盗賊達は皆、その凶刃に倒れていた。
その時の彼が、ベルセルクの事だとシナンが知ったのはそれから後の事だ。
と、語られたベルセルクだったが、全く記憶にはなかった。何せ二年も前の、しかも小さな村の盗賊退治だ。そんな覚えることでもない事を、ベルセルクが覚えているわけがない。
「正直言って、僕はあの時、この人は悪い人なんだなぁって思ってました。何せ、あんまりにも正義の味方って感じがしませんでしたから」
苦笑するシナンにベルセルクは何も言わなかったが、それはそうだと心の中で肯定する。自分がそんなものになる気もないし、なることないだろう。
「でも……あの言葉で師匠の印象はがらりと変わりました」
「あの言葉?」
はて、何を言ったのだろうか? と顔をしかめているとシナンがその言葉を告げる。
「『大丈夫かガキ』って……まるで小馬鹿にしたような、心配なんてかけらも感じられない一言で……でも、それが何か親近感があって、張り詰めていた僕の心が一気に解けてくような、そんな気がしました」
ベルセルクは首をかしげながら、言う。
「それが、俺が良い奴だという根拠か?」
「はい」
シナンは微笑して答える。
たった一言。しかも、それもロクなもんじゃない。そんな言葉に彼女は助けられたのだという。ベルセルクが全くそんな気がないのを知っていても。
それが、ベルセルクが良い人間だという根拠にはならない。だが、彼女はそう信じている。
とんだ馬鹿げた話だとベルセルクは内心でつぶやいた。そんな言った本人すら覚えていないような言葉を今でも覚えているとは。
本当に馬鹿な奴だとベルセルクは思う。
「……まぁ、お前が俺をどう思おうが別に構いやしないがな」
それはもうどうでもいいと言わんばかりな口調だった。
「だが、俺も一応男だということは、覚えとけよ」
「?」
何を言い出すんだ、とシナンは思う。今の話とベルセルクが男である話がどう繋がるのだろうか?
シナンが疑問を抱きながら、首を傾げると。
「……自分の今の姿をわからないようじゃあ、まだまだだな」
瞬間、シナンは自分の姿を見た。そして、上半身がさらし一枚の状態になっている事を初めて知った。
「っ!?」
シナンはとっさに胸に腕を交差させ、背を向けた。
まぁ、今更遅い行動ではあるが。
「い、いつの間にっ!?」
「いや、いつの間にって俺が脱がしたんだから最初からに決まってんだろ」
「ぬ、脱がしたぁっ!?」
間の抜けた素っ頓狂な物言いだった。
シナンは顔を真っ赤にし、何でと言いたげな表情になる。それを察したのか、ベルセルクが説明を加える。
「お前が倒れた後、また雨が降ってよ。んで、俺もお前もびしょ濡れになったわけ。まぁ、俺は問題なかったんだが、お前は熱でてるし、そのままにしとくと悪化しかねないと思ったから服を脱がしていって……お前、服の中まで汗で濡れてたからよ、結局そういう格好になったわけ」
確かに、病人を濡らしたままにしておくというのは悪い。そう考えればベルセルクの行動は正しいものなのだろう。
しかし、一般的女子の感覚ではどうも有り得ない状況であった。
「ホントはさらしものけた方が良かったんだが……まぁ、その反応からしてみて、のけなくて正解だったみたいだな」
「何納得してるんですかっ! っていうか、さらしまでのけたら、僕、僕……」
「裸になってた、か? 別にいいじゃねぇか。また悪化するよりはマシだろうが」
「マシじゃありませんっ! それだったら悪化した方がマシですっ!」
う~っと唸るシナンは、まだまだ言いたげな雰囲気を醸し出していた。
それに対して、ベルセルクは。
「ってか、巻く意味あんのか? ソレ」
などと言うものだから、シナンは思いっきり反論する。
「ありますっ! 大いにありますっ! これがなかったら、普通にバレちゃうんですからねっ!?」
「そうか? それほど大きくなかったような気がするが……さっきの感触からして」
「何さりげなく変態発言してるんですかっ! っていうか、また触ったんですか!?」
「脱がせる時にたまたまだ。誰がお前のような、実りのない胸触りたがるか」
「っ!?」
ここは普通男子が動揺して、女子にボコボコにされる場面であるはずなのだが、いやはやどうもベルセルクにはそのフラグは当てはまらなかったらしい。
全く悪びれもしないベルセルクに対して、シナンはいろいろと罵詈雑言を浴びせるが、これまた全く聞いていなかった。
我慢ならなかったシナンはそこらにあった石を投げつけるが、相手はベルセルク。さらにはシナンは病人である事もふくめ、石は全く当たらない。
結局一個も命中しないまま、シナンの体力切れという形で、その場はおさまった。
最後にシナンは「やっぱり師匠は最低だっ!」と怒鳴り散らし、そのまま眠りに入った
ベルセルクは見回りのため、洞窟の入り口に向かう。寝ている時に魔物が襲ってくる場合は多いのだ。
空を見ると、もう空には月が上がっていた。
近くには全く魔物の気配がなかった。どうやらすでに魔物ですら寝ている時間になったらしい。
自分ももう寝るか。そう思いながら、ベルセルク自身も眠りに入っていった。