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「……どう思います? ダンナ」
帰り道、すでに夕日が沈みそうになっていた頃、リッドウェイが隣にいるベルセルクにそんな事を訊いていた。
「どうもこうも……ありゃあ怪しいと自分で言ってるようなモンだ」
「やっぱりそう思いますか」
確かに、あの雰囲気といい周りの気配といい、なにやら妙な感じがしたのは事実だ。
「で? あの依頼どうするんですか?」
「決まってんだろ。受けちまったモンはやるしかねぇ」
「そりゃあそうですけどね、あの男の依頼を受けて帰ってきた勇者はいないんですよ? ってことはかなり危険な依頼だって事でしょう?」
今まで帰ってきた者がいないという事は、全員死んだと見て間違いない。どうして死んだかのは分からないが、それだけ危険だと言う事は誰にでも分かることだ。
「どんだけ危険だとか今更言っても仕方ねぇだろ。どの道、俺が決めた事じゃねぇし」
ベルセルクはシナンの方を指差した。
「文句なら、コイツに言え」
「あ、そうやってシナンちゃんに全部押し付けようとする。ひどい人だなぁ」
「安心しろ、自覚してる」
自覚してる方がよっぽど性質が悪いです、とリッドウェイは心の中でツッコミを入れた。
「さて、そろそろ飯にでもするか」
さっそく飯の話をしだしたベルセルクに、シナンが反論する。
「ええっ。ちょっと待ってくださいよ、僕の修行はどうなるんですか」
「昨日あれだけやっただろうが」
「修行って言うのは、毎日の積み重ねが大事なんですっ」
妙にまともな事を言われて、ベルセルクは押し黙ってしまった。
しかし、ここで了承すればまたつき合わされてしまう。
どうしたものかと考えていると、ベルセルクはある事を思いついた。
「……よし。なら、今日はトレーニングだ」
「トレーニング?」
「ああ。トレーニングは体作りの基本中の基本。今から強くなろうっていうんなら、まずは基礎体力をつけるのは道理だ」
「そうですけど……。具体的に何をすればいいんですか?」
「腕立て百回百セット。腹筋百回百セット。背筋百回百セット。素振り百回百セット。あと、街をまるまる三十周……と、これくらいか」
ベルセルクの口から出てくる内容に、リッドウェイは目をまん丸にしていた。
いくら強くなるためとはいえ、その内容はやり過ぎだ。ましてや、相手は女の子。男でもかなりハードなそのトレーニングをやりこなせるはずがない。
流石に言いすぎだ、とリッドウェイは言おうとすると。
「分かりました、やってきます!」
シナンはやる気のこもった声で、答えた。
そして、そのままそそくさとどこかへ走り去っていく。おそらく、昨日の夜にベルセルクと共に稽古した場所だろう。
シナンの姿が見えなくなった所で、リッドウェイがようやく口を開く。
「ダンナ……さっきのは言いすぎです」
「ん? そうか? アレくらい、訳ないと思うが?」
「そりゃ、ダンナだったらそうかもしれませんけどね、相手は子供。ましてや女の子ですよ? いくら何でも無理があります」
「ふーん……やっぱそうか」
その何気ない態度に、リッドウェイはツッコミを入れる。
「や、やっぱって、ダンナ……」
「いや、俺弟子なんて初めて取るからよ、いまいちどうやっていいかわからねぇんだよ。どういう風に育てればいいのか、まったく検討がつかん」
前にも言ったが、ベルセルクには師匠がいた。
しかし、ベルセルクが覚えている限りで特別変わったような修行はしていない。というか、アレを修行と言えるかどうかが怪しいものだ。
昨日、ベルセルクがシナンにしたように、ただ自分は打ち込んでいき、相手はそれを受けるか流すかのどちからかだった。
ただ、ベルセルク自身はそれだけでは何も変わらないのではないか、と思いトレーニングを毎日していた。まぁ、数なんて正確には覚えていないので、自分がどれだけやったのかなど頭には残っていない。
打ち込みとトレーニング。ベルセルクは毎日、ただそれだけをやっていた。故にそれ以外の修行方法など思いつかないのだ。
「まぁ、今のあいつには体力が必要なのは事実だ。別に間違っちゃいねぇだろ? それに、本人は自分が女である事を嫌っている。女だからって理由で軽くすると、逆に怒りかねないからな、あのガキ」
ああ確かに、とリッドウェイはつぶやいた。前に話をしていた時も、自分が女である事をひどく気にしていたようだった。そのせいで周りからいろいろ言われていたのも事実だろう。
さっきもベルセルクからメニューを言われた時だって困惑する所か、逆に喜んでいるように見えた。恐らく自分が女であることなど気にしていないのが、少し嬉しかったのかもしれない。
女の子が自分を女だと思わないことで喜ぶなど、何だかやるせない、とリッドウェイは思った。
と、その時、空から小さな水玉が頭に当たったのを、リッドウェイは感じ取った。
「雨?」
リッドウェイが呟くと、ポツポツ小雨が降り注いでくる。
今はまだ小さいが、このままでは風邪をひいてしまう。
とりあえす、二人は宿に戻ることにしたが。
「こりゃ大雨になるますねぇ……シナンちゃん、大丈夫ですかね?」
「別に心配することでもねぇよ。その内無理だと分かれば、自分から帰ってくる」
「そう……ですよね」
そう言って、二人は宿に戻り夕飯を食べた。
*
時間はすでに夜中に入っていたが、シナンは未だに帰ってこなかった。
あれから雨は一向にやまず、ますます激しくなっていた。朝までには止だろうが、明日は例のコンパス探しに行く日だ。この分だと足元がぐちゃぐちゃになるのは必須だろう。まぁ、ベルセルクにとってはどうでもいいのだが。
「ったく、あのガキ何やってんだか……」
この雨だ。どこかで雨宿りでもしているのだろうが、それにしたって遅い。まさかこの雨が止むまで待っているのだろうか? もし、そうならとんだ考えなしである。
「まぁ、流石にそこまで馬鹿じゃないだろ」
ベルセルクは呟くと、隣のベッドを見た。そこには「シナンちゃんが帰ってくるまで起きているっ!」と断言した数秒後に爆睡し始めたリッドウェイがいる。
いつも思うが、こいつは口ばっかりだ。しかし、仕事はちゃんとやるので、使えると言えば使えるのだ。
雨はさらに勢いを増していた。おそらくここらがピークであろう。もう少しすれば雨が弱まり、その隙にシナンは帰ってくるはずだ。
ふとベルセルクは思う。どうして自分は起きているのだろうか。
眠れない、わけではない。ベルセルクは寝ようと思えばすぐに寝れるタイプの人間だ。そんなベルセルクが無理に起きようとしているのは、何故だろうか。
シナンが心配? まさか、とベルセルクは思う。自分がそんな人間らしい感情を持っているとは到底思えない。自分はただ斬って、殺して、潰す。そういう人間なのだ。そういう人間なはずだ。今までもそうして来たし、恐らくこれからもそういう生き方しか出来ないだろう。
だが、最近、特にシナンが来てからはなにやらそれが崩れ始めているような気がする。
同じ人間を二度も助けたり、その人間を弟子にしたり、さらにはその旅に付き合ったり。自分でもらしくないとは自覚している。
どうしてだ、と今更ながら自問自答する。しかし、自問は出来ても答えは出てこなかった。どうしてこんな事をしているのか、その理由が見つからないのだ。
そして、その答えを見つける事は出来なかった。
何故なら、びしょ濡れのシナンが息を荒げながら帰ってきたのだ。
「っ!? おま、何だその体は」
「えっ? 何って僕の体がどうかしましたか?」
「どうしたもこうしたも、何でそんな濡れてんだって聞いてんだよ」
「ああ、そういう事ですか。いや、雨の中でトレーニングしてたらこうなっちゃって……」
…………今、なんと言った?
ベルセルクは眉をひそた。
「……まさかお前、この雨の中、あのメニューをやってたのか?」
「はい。いやぁ、流石にきつかったですよ、あれは。特に走りこみは僕の一番苦手分野だったんで、結構時間がかかっちゃって……気づいたらこんな時間に」
苦笑するシナン。
に対してベルセルクは無言のまま詰め寄った。
後数センチと言う所までいくと、シナンが顔を引いて訊く。
「……えっと……何でしょうか?」
恐る恐ると言わんばかりなその声に、ベルセルクが返した言葉は。
「お前、やっぱ馬鹿だな」
という一言だった。
「……へ?」
「こんな雨の中であのメニューをやるとは、ホンットに考えなしだな。その頭はおかざりか、ボケ」
「え? え?」
「時と場合で判断の区別がつかない。戦場においては致命的な欠点だ。そんなんだからロックビーストに喰われたりするんだよ」
そんなベルセルクの言葉にシナンは首を傾げていた。
自分が何故悪口を言われているのか理解できないシナンに対して、ベルセルクははぁ、とため息をつく。
「まぁいい。今日はもう寝ろ。明日は例のコンパス探しだ。どうせよからぬ事が起きるに決まってんだからな。しっかり体を休ませとけ」
「え……あ、はい」
ったく、と言ってベルセルクは自分のベッドに寝転ぶ。
そして、シナンの方を向かないまま、
「……ちゃんと体はふいとけよ」
一言言うと、そのまま眠りに入った。
シナンは、ん? と不思議そうな顔をしながら、体を拭くために別の部屋へと出て行った。
その一部始終を見ていたかのように、リドウェイの口元がにやけていたのは、ベルセルクでも分からなかった。
*
次の日。
雨は上がっていたが、未だに雲が空を覆っていて、またいつ降ってもおかしくない状況であった。しかし、だからといって動かないわけにもいかない。
ベルセルクとシナンはリッドウェイを街へと残し、二人で森に向かった。
何故リッドウェイを残してきたかというと、それは邪魔になるから……という理由もあるのだが、本命は情報収集である。あのベリアルという男は何か裏があるに違いないとふみ、ベルセルクはリッドウェイに調べてみるようにと頼んだのだ。他の事ならともかく、情報収集に関しては一流なのである。
そんなこんなで二人は東の森へと入っていった。
そこは、二人が戦った森にとてもよく似た感じをかもし出していた。
つまりは魔物の気配がするという事。
現代において、魔物がいない森など存在しない。確かにそれほど危険ではない魔物ばかりが住む森もあるが、この森に関しては違うと断言できる。
なにせ、すでに魔物の強襲にあっているのだから。
「はぁっ!」
声を上げながら、シナンは魔物を真っ二つに切り裂く。その後ろから別の魔物が襲い掛かってくるが、シナンはそれすらも斬り殺す。
相変わらず、良い剣捌きだが、荒い。一振り一振りに必要以上の力がこもってしまっている。たとえて言うなら、一本の大根切るのに包丁を思いっきり振り上げて二つに分けるといった具合だ。何かを斬るという事は、それに見合った力でやらなければならない。大根を切るのに力はほとんどいらない。それと同じで弱い魔物にはそれなりの力で斬りつければいいのだ。
現にベルセルクなど、全く汗一つかかずにもう二十以上の魔物を斬り伏せていた。
今、二人を囲んでいるのは、ゴブリンという小鬼の魔物の集団だった。ゴブリンの外的特徴は人間と似ている所がある。骨格から物を扱うと言う所までそっくりだ。ただ、かなりの凶暴性で、肉食だ。まぁ中には雑食の種類もいるらしいが、ほとんどは肉を好んでいるという。戦闘能力は前のラプトールより上であるが、頭はかなり悪い。集団戦だというのに、数を使ってこないのが、何よりの証拠だ。
「グオオオオッ!」
「ったく、しつこい奴らだ」
次々とやってくるゴブリンにベルセルクはすでに呆れ果てていた。前のラプトールは己の危険を感じ、退散していったが、このゴブリン達にはそういった思考回路がないらしい。
目の前にいるゴブリンを斬り、横から攻めてきた二体の首を胴体から切り離し、そして後ろから襲ってくる一体は振り向かないまま、剣を後ろに突き立ててその顔を潰す。
周りを見る。もうすでにその数は知れていた。シナンの方に二体、こちらに五体。あとわずかだ。
もう面倒なのだ、と思ったベルセルクはさっさと終わらせるために、右手に力を入れた。
そして、駆ける。
目にも止まらない、とは言い過ぎだが、それでもありえないほどの速さでベルセルクはゴブリン達と間合いを詰める。
そして、まずは一番近い奴を切り捨てる。そして、相手が次の行動に出る前に、もう一体を片付けた。そして、同時に攻撃を仕掛けていきた三体の腹を真横に一閃し、胴体を二つに分けた。
剣を振るい、シナンの方を見る。
どうやら、あちらも終わったらしい。
シナンは剣を鞘へと納めると、ベルセルクの方へと向かってきた。
「こっちは……片付きました」
「ああ。ごくろう」
「それにしても……多かったですね。ゴブリンって……これくらいの数で行動するんですか?」
シナンは少し息切れしていた。
「いや、そういう訳じゃないが……ゴブリンに関しては別段数が決まってるわけでもないし、おかしいとは断言できないがな」
「そうですか……」
ベルセルクが説明すると、シナンはどこかしら疲れた顔で頷く。よほど疲れたのであろう。
ベルセルクは空を見上げた。
見たところ、どうやら先程よりも雲行きが怪しくなっているようだった。
「こりゃあ、また降るかもな」
「そう、ですね……。また降られる前に、早くコンパスを、さが、しに……いか……」
途切れ途切れの言葉が聞こえたと思うと、次の瞬間、ドサッとシナンが地面に倒れ伏せた。
「お、おいっ」
突然の事でベルセルクは動揺した。何が起こった? シナンの顔を見ると少し頬が赤く染まっていた。
ふと、額に手を当てると、かなりの高温だった。
どうやら熱が出たらしい。
「おいおい……ここで熱が出るか、普通」
などとベルセルクは愚痴を零してみた。
はぁ、とため息をつきながらも、ベルセルクはシナンを片手で担いだ。普通、女の子を持つならお姫様抱っこかおんぶかのどちらかがベターなのだが、それはベルセルクの常識範囲外の事だった。
どこか雨宿りができる場所はないかと思っているとポツポツとまた昨日のように雨が降ってきた。
「急ぐか……」
自分は平気だが、担いでいるシナンは病人だ。病人を雨に濡らすのは悪化の元になるので、あまり良くない。
仕方ないと思いながらも、ベルセルクは雨宿りができる場所を探すため、駆け出した。