この広い宇宙の、どこかの星のことを…
何だかこんなところにいた気がする
柔らかな緑の丘陵地
点在する白い家々
穏やかな毎日…
校舎の廊下はいつも騒がしい。
そんな中、僕は「求厶!」と書かれたポスターを見ていた
ほとんど誰も足を止めない、掲示板の前で
時刻はちょうどお昼。皆、そんなことよりも食堂へと急いでいる。
「ねぇ、どう思う?」
しばらくして僕は、食堂でトレーを机に置きながら聞いた
聞かれた友達は、口に運んでいたスプーンを中空で止めて、何が? と僕を見上げた
「掲示板にポスターがさ、あれ何回目だろうね?」
「あぁ…」
友達は興味がなさそうに、スプーンを口に含んだ
「僕さぁ」とお皿の中身を掻き回しながら口にする「ちょっと応募してみようかと思うんだ」
友達は、時が止まったかのように僕を見た
そりゃ、そうだろう。
この何の不満もない生活を手放して行くなんて、多分正気の沙汰じゃない
「何で?」
ようやくそう言った友達に、僕はへらりと笑う
「何かね、行かなきゃいけないような気がするんだよね」
変わらずに、お皿の中身を掻き混ぜながら
「………」
友達は何も言わずに俯いた
ほんとは、ほんとは少し迷っている
この果てのなさそうな豊かな緑と、いつでも過ごしやすい気候と、何の不足もない生活
対し、わざわざ荒波に漕ぎだすような、何の保証もされていない、ここに戻って来られるかも分からない選択
黙ったままの僕たちに、予鈴が降り注ぐ
友達は、手早く残りを掻き込んで立ち上がる
僕は午後、受けたい授業もないから、散歩をしようと思っていた
じゃあね、と精一杯笑って手を振る
そしてゆっくりと食事をして、ガランとした食堂を眺めた
白い壁に白い床、柱、そして白いテーブルと椅子
食器を下げると、チラホラと残っていた生徒がすぐに洗ってくれる
ほんとは先生も生徒も、線引きはないのだけれど…
ここでは、教えたい人が教えるし、学びたい人は学ぶし、授業料もない
料理の得意な人は代わりに食堂で働くし、農業に従事する人もいれば、建物の修繕や増改築を行う人、もちろん教えることで貢献する人もいる
何らかの役割を果たして、その代わりに衣食住も学びも保証されていた
外へ出ると、誰かが管理してくれているのだろう下生えが、美しく青々と続いている
この安定した気候のもとでは、食物の心配もなく、皆のんびりと好きなことをして生きている
僕は下生えに腰をおろして、ポスターのことを考えた
あのポスターに書かれていた青い星のこと
とても荒くれた星だとは聞いている
風も空も、こんなに穏やかではなくて、身体を吹き飛ばすほどに強く吹くことがあると
どこにも命の危険が埋もれている星だと
ただ、それでも何故か、行かないといけないような気がした
また、ここに戻って来られたら嬉しいけど、どうなんだろう?
僕は下生えを軽く撫でて寝転がる
このまま寝ちゃいそうだ、と思いながら…
しばらくうとうととして、鳴り響く鐘の音で我に帰る
いつの間にか日が傾いている
おそらくあれは最後の鐘だろうと、僕は起き上がった
ぼんやりと待っていると、少しずつ校舎から人が吐き出されてくる
僕は立ち上がって軽く身体をはたくと、校舎の中へと入った
暗さに少しだけ立ち止まって、いつも箒を隠している階段の下を探った
失くなっていたら作らないといけないが、今日はちゃんとある
階段を登って、一番高いところから掃除を始める
これが僕の、唯一の仕事
ここでは、ただ種を撒けば食物はすくすく育つ
山から採れる柔らかい石を砕いて水と混ぜれば家の壁や屋根になる
目に痛くないほどの優しい白色の壁で、ここの建物は作られている
そして緑、緑、緑…
柔らかな下生えが延々と続く
ひときわ高い校舎の中から、白く点在する家々を眺める
夕暮れどきの、ここの景色が僕は一番好きだ
校舎は気候のせいか、廊下から外からに面して扉はない
だからいつでも誰かが、ここにはいる気がした
夜には星の好きな人たちが、朝には朝焼けの好きな人たちが、そして夕暮れには夕暮れの好きな人たちが…
この平穏な世界を、確かに僕は愛していた
けど、どこかそれだけじゃいけない気もしていた
これまでは、そんなこと無かったのに…
何度も、あの求厶!のポスターは貼られては剥がされていて
いつもなら、まるで怖いものがあるような気がして見ないふりをしていた
そそくさと掲示板を行き過ぎて食堂へ入る
そして、ただぼんやりと次の授業のことを考える
明日も、明後日も。そして夕暮れどきには校舎を掃除する。
ここで夕暮れの景色を堪能する
校舎の片隅で眠る
自分で家を建てる人もいたし、料理を振る舞うなどして誰かに建ててもらう人もいたけど、僕はここで充分だと思っていた
ときどき、山からチョーク代わりの柔らかい石を拾ってきて補充したり
落ちた枝を拾って箒にしたり
糸のたなびくつる草で布を編んだり…
誰もいない時間に、ただただ校舎の中をうろついて、お昼間に受けたい授業のないときは下生えに寝転んでお昼寝をする
この平穏な毎日を、確かに僕は愛していた
旅立ちの日、友達は泣きそうな顔で、僕を送ってくれた
チラホラとしか咲いていない花を数輪、束ねて渡してくれた
僕は緑と白い建物だらけの世界を見渡して「ありがとう」と呟くと、銀色の躯体に乗り込んだ
友達は僕が乗り込むのもあまり見ずに、校舎の方角へと駆け戻っていった
一緒に連れて行かれるかもしれない恐怖に、わざわざここまで来てくれる人はそういない
大多数の人が、校舎の出口や家の戸口でお別れをしていた
僕は花を見遣りながら、一番最後まで見送ってくれた彼に強い感謝を覚えた
船の中で、僕たちは“地球”という、あの青い星で知り合うだろう人たちとチームを組んだ
少しでも仲良くなるために、そして“地球”で役立てるために旅行のように視察のようにたくさんの星を見て回るのだと言う
僕とチームになった一人は僕より背が高く、もう一人は同じくらい
背の高い方はにこやかで穏やかで、誰にも好かれそうな雰囲気を湛えている
一方、僕と同じくらいの人は、仏頂面で一言も喋ることがなかった
そしてどこか、背の高い人を嫌っていそうな気がした
でも僕はあまり気にすることなく、無邪気に目に映るものを楽しんでいた
毎日、星々の素晴らしいと思ったところや、活かしたいと思ったところなど、レポートを書く
フィルムに景色をどんどん入れていると、あっという間にフォルダはいっぱいになる
部屋に戻ってデータベースに移せばいいのだけど、その時間ももったいない
少し迷っていると、背の高い方が自分のを使っていいと渡してくれた
高い人ももう一人も、ほとんどフィルムを使わずに、ただ自分の目でじっと景色を観察していた
僕はどんどん遠くへ行って、どんどん色んな景色を見たいと思うのだけど、彼らは保守的で、船の近くに立てたパラソルやテントから余り動こうとしない
背の高い人は、それでも付き合ってくれようとするけれど、もう一人は「いい」といつも一人で待っていた
そしていつも肌をマントで全部覆っている
「どうせ全部忘れるんだから」と、彼は良く言っていた
それは僕も聞いていたけれど、例えそれでもせっかくなんだから、と思った
どこでも水や緑はとても綺麗だし、外から見た“地球”の青や緑も綺麗で
それだけで、少しいいかも、と思ってしまう
降り立てば同じような緑や水や空だったとしても、船で遠くから見遣ればどれもとても個性的で、その不思議さに僕は魅了されていた
そして、降り立てば同じような景色に安心してもいた
船の中には遊戯室のようなところもあって、僕は色んな人とボードゲームやカードゲームなんかで仲良くなった
いつ地球に行くんだろうね、なんて言い合いながら、彼らともまた会えたらいいと思っていた