ショッピング・パニック③
☆☆☆
時間の流れが乱れているのではないかと思うほど、今日という一日は快速に過ぎていった。いや本当に乱れていたらそれこそ緊急事態で招集されてしまうのだけれど。
「疲れたわ」
何とか小学生を迷子センターまで連れて行き、安堵の息を吐く。
気づけば日も傾いていた。これから本格的に皆でモールを回るには時間が足りず、不本意ではあるが今日のところは一端解散する運びとなってしまった。
今はその補填、とでも捉えれば良いのだろうか。
とりあえず各自が自分の買いたい小物等を買うための自由タイムだ。
「そう寂しそうな顔すんなって」
「……内美さん?」
「よっす」
ショッピングモールの一階部分に設置されたベンチ座っていると、両手に大きな紙袋を携えた内美さんも私の隣へと腰掛けた。
「随分と買ったのね」
「まあな。この夏を全力で楽しむためへの必要投資ってやつさ」
「……広沢さんは?」
「あいつはまだかかりそうだなー」
「そう。なら私ももう少しお店を回って来ようかしら」
腰を上げ、軽く髪を払っていると急にバランスを崩した。
どうやら服の裾を摑まれ後ろに引っ張られたらしいと気づく頃には、私の体は再びベンチの上に沈んでいた。
怪訝な目を隣に向けると、元凶は意地の悪そうな笑顔で核心を突く。
「あたしだと不満か?」
響き自体は軽いのに、呑み込んだ時には重く心にわだかまる言葉だった。
ぐぐい、とその顔が迫る。
毛先を鳥の尾のように小さく縛った広沢さんの親友からは、果物のような匂いがした。柑橘系というには甘みが強い。その口には蜜でもあるのか、甘い香りと共に流れる声から、何故だか意識を逸らせなかった。
「何を言って」
「あんたが広沢にご執心なことくらい傍から見てればすぐ分かるよ。今だって店内回るついでに広沢を捜そうとか考えてたんだろ?」
「……別にそんなことはないわ」
「そう誤魔化す必要はないけど、まあ良いか。互いに色々と本音を話すのは恥ずかしいお年頃だからな」
「結局、アナタは私を引き留めて何がしたいのかしら?」
「ん? ガールズトーク」
すっとその顔が離れた。
それだけで場の雰囲気がまたしても顔を変える。緊張が解けたというか、空気に形があればたぶん抱き枕くらいには柔らかくなった。
内美さんは紙袋の中から取りだした小さな円筒を私の方へと軽く放り投げる。
「冷たい」
「飲んで良いぞ」
それは缶ジュースのようだった。
表面を見れば独特なフォントでオレンジと書いてある。近くの自販機か何かで買ってきたのだろうか。
「……それで、生憎と私はガールズトークに疎くて何をどうすれば良いのか分からないのだけれど?」
「そんな難しく考える必要はないって。淑女が互いに好きなことについて語り合えばガールズトークは成り立つのさ」
「好きなことって?」
「そりゃ広沢についてだよ」
「っ!?」
息を呑むだけの変な音が喉から漏れた。
「随分とあいつの事を気にかけているようで何より。まあアイツは人に好かれるのが上手いからなー」
「ちょっと待って。好きっていうのはつまりその、恋愛的な話なのかしら???」
「いや普通に友達としてだけど。当たり前だろ」
「そ、そう」
ホッと胸をなで下ろすも、何でここで安心しているのかは自分でも分からなかった。
ひとしきり私の反応を楽しんだのか、しばらくして内美さんは前方へと視線を向けたまま静かに本題に入る。
「相花から見て、あいつはどう見える?」
「どう答えてもむず痒くなる質問ね。一体何を期待しているのかしら?」
「だから、そう難しく構えなくても良いんだって」
カシュッ、という空気の抜ける音がした。
内美さんも自分の手に持っていた缶コーヒーを開けたらしい。
仄かに苦い匂いが鼻腔をくすぐる。
「これは私の所感なんだけどさ。広沢って、いつもは凄く馴れ馴れしいんだけど、たまにすごく遠い存在に感じることがあるんだよ」
「遠い存在?」
「何ていうかな。ここじゃない場所を見ているというか、向こうから近づいてきたくせに、ある一定以上になると急に距離を取り始めるっていうか。とにかく、あたしには見えない場所で、あいつは線を引いてる気がするんだよ」
「……距離」
広沢さんとは決して長い付き合いとは言えない。
遊びに行くのだってこれが初めてだし、そもそも出会ってからまだ一ヶ月も経っていない。知らないことの方が多いはずなのに、内美さんの口から発せられる彼女の印象はすんなりと受け入れることができた。
もしかしたら共感もあったのかもしれない。
私はこの時代の人間ではなく、この時代での関係に意味を感じていない。それは未来人が過去に干渉するのは禁止されているとか社内規定とか、そんなお堅い理由だけではなく、もっと単純な話。転勤族の子供が学校で友達を作ることを諦めていくように、いずれ必ず切れると分かっていて、それでも繋がりを求めることに必要性を感じられないのだ。
いずれ別れる時に、少しでも辛くないように。
必ず訪れる悲しい別れなんて、誰が好き好んで欲するものか。
だから。
私もきっと線を引いていた。
それで良いと今でも思っている。
ただ、その線を軽々と飛び越えてくる少女が現れたのは予想外ではあったが。
「なんかさ、いつか唐突にあたしの前から消えて居なくなるんじゃないかって、意味もなく思っちまうんだよ。今の楽しい時間はただのボーナスタイム。ここが頂点で、後は転げ落ちていくだけなんじゃないかって」
「考えすぎではないかしら?」
「そうだと良いんだがなー。だからこそ聞きたいんだ、お前から見た広沢はどんな印象だ?」
「急に言われても困るわね」
広沢さんにとって、私はどんな立ち位置にいるのだろう。
出会って数回、絆は薄弱。共に過ごした時間は刹那。
そんな細い繋がりでも、敢えて一方的に定義しても良いのなら。
彼女は明るく、朗らかで、太陽のようなイメージだと言える。
人のプライベートゾーンに容赦もなく踏み込んで、理不尽に人の心を温めていく。悲しいといった感情とは無縁のように感じるくらい、人の善性を詰め込んだような笑顔を浮かべて私の顔を真っ直ぐに見てくる。
それ以上のことは知らないし、それ以外のことは予想もできない。
だから総括して、結論だけを述べることにした。
「もっと色んな表情を見てみたいとは思うわね」
「へー、なにそれ曇らせたいってことか?」
「そんな酷いことは言ってないわ。ただ、私まだ彼女の笑っているところしか見たことがないから」
その言葉を聞き内美さんの肩がピクリと動く。
そして僅かに口元を歪めると、ただただ哀しそうに笑いながら、ポツリと呟いた。
「はは、そりゃあたしもだ」
「え?」
「あたしも、あいつの笑っているところ以外を見たことがないんだよなー。恥ずかしがっていたり不満そうな表情はするけど、怒っているところも泣いているところも、不安そうにしているところも見たことがない。だからこそ、分からないんだ、あいつは自分の事をとにかく話そうとしないから」
一拍の間があった。
ゴクリと喉を鳴らしながらコーヒーを流し込んだ内美さんは、投げ捨てるように質問を口にした。あるいはそれこそが、この会話を始めた理由だったのかもしれない。
「なあ相花。お前から見て、あいつはあたしをどう思っているように見えた?」
難しい表現などなかった。
だけどそんな本音を打ち明けるのは、きっと簡単ではなかったはずだ。
勇気には真摯で応じるくらいの器量はある。
だから私も暈かすことなく、明瞭に答えることにした。
「心配しなくても、とても大切に想っているように見えたわよ」
「……ん。あんがと」
部外者の言葉にどれだけの力があったのかは知らないが、それでも内美さんの笑顔の質を変えられるくらいには役だったようだ。隣に座る同級生の親友は、表情の明度を上げると甘い香りと共に最後の話へとシフトした。
「まあそうは言っても、最近は少しだけ違う顔も見せてくれるようになってきたんだ。特に相花、お前のことについて話す時とかな」
「……私のこと?」
「出会いも経緯も私は知ったこっちゃないんだけど、あいつはお前のことを凄く気に入っているみたいだぜ?」
「それは……ありがたい話ね」
「そう照れんなって」
軽く背中を叩かれ、気づけばそんな行為も受け入れていた。
ここ最近どうも、心のセキュリティが甘くなっている気がする。
「まあそんな訳で、何が言いたかったのかと言えば、これからも広沢と仲良くしてやってくれという事を言いたかった訳だ」
「これからも……」
「おう。あたし達にとって一生忘れられない夏にしようぜ」
「まあ、気が向いたらね」
そこまで言葉を交わしたところで、会話の中心人物が手を振って走ってきた。
「ごめん待たせちゃったー?」
「いやいや、広沢のことについて話してたとこさ」
「えぇっ!? か、陰口とかじゃないよね……?」
「まあ似たようなもんだから気にすんな」
「似たようなものなら気にするけど!?」
「冗談冗談」
軽くじゃれ合う内美さんの動きに合わせて私も腰を上げる。結局手に入れたのは貰ったオレンジジュースのみ。割に合わないし計画通りにもいかない、総合的に見て決して上手な休日の過ごし方ではなかったかもしれない。
だけど。
「じゃ、帰ろうか相花さん」
「ええ」
その笑顔を向けられると全てチャラに思えてしまうから、つくづく彼女は不思議な存在だ。
☆☆☆
最後に少しだけ、蛇足があった。
「ではここで」
「うん! ばいばいみんな」
「またいつか会おうぜお前らー」
駅前広場の大きな銅像の前で、各々の別れを告げる。
高層建築の間を縫うように夕陽が落ち、街並みは暖かな光で包まれていた。
ちょっとだけ軽い足取りで帰路に着く。
スイスにあるような草原でもない限り、人の姿はすぐに物陰に消えてなくなる。名残惜しさを感じたからと言って振り返ったとしても、そこには誰も居なくなった雑踏が広がっているだけだろう。
だから前だけを向いて歩いた。
後ろにはもう冷たい世界しかないから。
温かいものはもう自分の中にあるから。
そう。
そのはずだった。
「待って相花さん!」
またしても私の予想は裏切られる。
反射的に振り返れば、そこには肩で息をしている少女が一人。
手には何か、小さな包みが握られていた。
「広沢、さん?」
「ごめん、ちょっと渡したい物があって」
渡したい物、とはつまりその手の中に握られた小包なのだろう。
まるでラブレターでも渡すかのように、目の前の同級生は俯きながら両手を前に突き出した。
その手に収まった小包を、確かに受け取る。
「どうしたのこれ?」
「プ、プレゼント! 友達の証、みたいな?」
「友達……?」
困惑する私を見て、広沢さんは慌てて両手を前で振った。
「い、いや! まあ内美の前で渡すのも恥ずかしかったから今渡したわけなんだけど、ほんと、いらないなら捨てて貰っても構わないから! いや本当に!!」
「そんなことはないわ」
私が目を見開いていた理由は、そんな所にはない。
もっと凡俗で、もっと浅はかで、もっと純粋。
だって私が驚いていたのは。
『友達』と、彼女の方からそう言ってくれたことなのだから。
そこにわざわざ口を挟むほど野暮ではない。
素直に受け取ろうと、そう思い、私はその場で小包を開けた。
「花のキーホルダー」
細い鎖の先端に、金属で出来た五色の花びらが咲いていた。
単純なデザインに見えて細部まで模様が凝っている。
「相花さんだから花ってのは、やっぱり単純だったかな?」
「いえ。とても素敵だと思うわ」
ホッと胸をなで下ろし、広沢さんは安堵の息を洩らす。
さっきはもっと彼女の色々な表情を見たいとそう言った。
それは決して嘘ではない。
だけど。やっぱり。
彼女は笑っている時が一番輝いている。
「これからもよろしくね」
「ええ、友達として」
挙げられた右手に応じるように、私も右手を挙げる。
パチンと、手のひらが合わさった小気味良い音が夏の街に響いた。
『友達』と口に出して、思わず私の顔は熱くなる。
これはきっと真夏の夕陽のせいだ。
だって彼女の顔も、同じくらいに赤いのだから。
ちょっと更新が不定期になります!
三日に一話くらいを目途にします!