ショッピング・パニック②
☆☆☆
子供は風の子と始めに言ったのはどこの誰だったか。
ともかく今はそんな言葉を作った人間に拍手を送りたい気分だ。いや想定していたのは本当にこんな情景だったのかは知らないが、それは確かに風と呼ぶのに相応しい荒々しさを秘めていた。
いや、もう台風ねこれは。
「ほらほらこっちですよお姉さん! 今度こそ間違いなく母親の気配がします! ビンビン信号が来てます!! ってうわこれ新発売のアイスじゃないですかスイカソフトクリームだなんて夏って感じがしてぜひとも食べてみたいというかー、チラチラ。ん? あっちに見えるのはゲームセンター、か。ふむ。親がおらず高校生と二人きりの今ならば侵入しても余裕で怒られないのでは??? 私の冴え渡る頭脳が言っていますあのクレーンゲームがしてみたいと! というかあんなデッカいお菓子の袋とか本当にくれるんですかね見えていながら絶対に手が届かない蜃気楼的なものじゃないですよね???」
「ええ、うん。早く迷子センターに行くわよ?」
ブレーキの切れたスポーツカーだった。
制御不能。予測困難。そもそも見えている景色は本当に同じものなのかと疑いたくなるくらいの好奇心。取扱説明書を求めたい。もう緊急脱出マニュアルくらいの荒技でも良いから、せめてこの子の行動を望む方向に向ける何かを!
手を繋げば子供が着いてくるというのは幻想だ。
というか、そもそも彼女の意に反した行動をすると彼女は即座に目元に涙を浮かべるのだ。
では問題。
見知らぬ女性が幼気な少女を泣かせながら手を引っ張っていたとしたら、世間からどんな目を向けられるだろうか。それも「嫌だ連れて行かないで変質者―!!」という悲鳴もセットで、だ。
この少女はあの年齢で既に『女の涙』の使い方をマスターしているらしい。。実際に嘘を吐いているのは向こうにも拘わらず、子供というのはそれだけで無条件に容疑者から外される。結果は火を見るよりも明らか。冤罪という人質を取られ、上下関係など完全に入れ替わっていた。
「あ、お姉さん! ちょっとプリクラ撮りませんか?」
「……ならそれ撮ったら今度こそ迷子センターに行くわよ」
「はーい!!」
返事だけは素直で真っ直ぐなものだった。
ゲームセンターの中に設置された箱のような個室に入り、小銭を入れてからおぼつかない操作で入力を進めていく。
「もしかしてプリクラ初めてですか?」
「うるさいわね、良いでしょ別に」
というか私の生まれた時代にある投影機とは根幹からして作りが違うのだから全てが初めてに決まっている。江戸時代の人形技師に「土偶作りやったことないの?」と聞くようなものだ。
「もしかして、お姉さんって友達が居ない人なの?」
「いちいち人の心を逆撫でるわねアナタ。というか友達くらい……」
と、そこで思わず言葉を句切ってしまった。
友達など、元の時代に居たのだろうか。ずっと仕事続きでそれほどの余裕もなかったように思える。あるいはこの時代には? 広沢さんは果たして私のことを友達だと認めてくれているのだろうか。友達に条件はいらないとは聞くけれど、私からの一方的な好意を『友達』という枠に収めてしまうのは何かが違う気がする。
沈黙を重いと感じるくらいの感性はあったのか、名前も知らない迷子は唐突に私の背中を軽く叩いた。
「ならこれが初めての友達とのプリクラですね!!」
「アナタは確実に友達ではないのだけれど」
「はっはっは、固いことは言いっこなしですよ!」
いや本当に友達ではないはずなのだ。
あっちは迷子で、こっちは親切。そこから始まった関係が何故こうもねじれてしまったのか。
考えている時間もなく、気づけばシャッターが降りるまでのカウントダウンが始まっていた。
「ほらお姉さん! 変顔ですよ変顔!」
「初めてのプリクラにしては荷が重くないかしら!?」
ツッコム余裕もなかった。
目を開けるのも辛いくらいの眩い閃光と共に時間が焼き付けられる。
「ほら次のシャッター来ますよ!」
「ええい間髪なしなのね!」
流れがまったく読めず、言われるがままカメラの位置に目を向ける。全てが終わって何やら迷子少女は裏の方で写真に加工をしているらしかった。もう疲れたので放置だ。しばらくして楽しそうにツインテールを揺らしながら近づいて来た少女は小さな写真を私に渡してきた。
「これで私達はベストフレンドですね!」
「絶対に違うと思うわ。っていうか写真に書いてあるこの『Time is Money』ってどういう意味よ?」
「英語あると格好いいかなと思いまして!」
そこはまあ、なんとも子供らしかった。
けれどTimeという単語を未来人の私に向けるとはなかなかに皮肉が利いているではないか。まあ、単なる偶然だろうけれど。
「では行くわよ」
「え、どこに??」
「迷子センター!!!!」
本当に何でこの子は泣いていたんだ。
親に会いたいというわけでは、ないのか? まさか最初の最初、出会った所から嘘泣きだったとは、さすがに信じたくない。もう子供不信に陥ってしまいそうだ。
手を引きながら歩くと、今度こそきちんと着いて来てくれた。
良い加減に興味を尽きたのか、あるいは疲れたのか? 何にしても良いことだ、迷子センターまで連れて行けば後の責任は押し付けられるのだから。
「あっ、あれは!!」
ダメだった。甘かった。
とっさに私の指の関節を攻撃して握力を弱めさせた迷子少女は素早い動きでどこかに駆け出してしまった。というか何だ今の技!? 子供ならではの野生の本能から繰り出された暗殺術か何かか!?
ともかくあんな獣、放っておいたら大惨事だ。
スニーカーの側面を淡く光らせ、力加減を調節して床を蹴る。幸いにも彼女が入り込んだのはすぐ近くの店舗だったため、見失うということはなかった。
「というか、ここって……」
水着売り場だった。
知らぬ間に一周して来てしまっていたらしい。広沢さんと内美さんの姿は……よし、なさそうだ。これならば多少派手に声を出しても絆創膏水着を押し付けられる心配はいはず。
「はぁ、良い加減にしなさいアナタ」
「ちょっとくらい良いじゃないですか。下見ですよ下見! せっかくの夏休みなんですから目立つ水着の一つくらい見てみたいってものです」
「そもそも水着を見せたい相手なんているの?」
「そりゃあもう」
言いながら迷子ツインテールが持って来たのはツーピースタイプの水色水着だった。確かに他と比べて布地面積は小さいが、ついさっき見せられたゲテモノ水着のおかげでもはや無難にさえ見えた。
「どうでしょう?」
「アナタくらいならスクール水着でも十分に通用すると思うけれど」
「ええー、そんなありきたりな水着楽しくない!」
「むしろ学生の間しか着られない超レア水着とも言えるけれどね。あまり背伸びをせずに素材のままを活かした方が意中の相手も振り向いてくれるはずよ」
「素材って……なんか変態くさいですね」
「へんっ!?」
「ともかくこれ気に入ったので着てみまーす」
なら何故私に聞いた。というか着るのか。
こうしている間にもせっかくの広沢さんとのショッピングの時間がゴリゴリ削られていく。そろそろお昼ご飯の時間だし、良い加減にこの迷子問題を片付けて元の道に戻りたいのだが、全ての元凶はもう試着室のカーテンに手を掛けていた。
いや待て。
試着室のカーテンって、人がいない時は基本的に開いているものではなかったか? それが完全に閉じているということは、つまり。試着室の前に奇麗に揃えられたスニーカーは、つまり!?
「ちょ、そこ他の人が使って!」
慌てて駆け付けるも、ツインテールの台風少女は既に勢い良くカーテンを開いてしまっていた。
「あ」
「うぇ」
白と肌色だった。
そして知った顔でもあった。
「相花、さん……?」
現実への認識がようやく追い着く。実際にはコンマ数秒の時間が、とにかく長く感じた。
ま、まずい。このままでは店舗の中から広沢さんの肌も下着も見られてしまう。そしてこの状況でどうして中に入ろうとしている迷子小学生!!
もうとにかく必死だった。
必死ながらも状況を打開しようと頭を捻らせた結果、普通ではありえない選択肢を取ってしまったとして誰が私を責められようか。
つまり迷子少女を追って自分も試着室の中に。
後ろ手でカーテンを閉め、吐息がこちらまで伝わってきそうなほどの至近で広沢さんと目を合わせる。
「……」
「……」
声を出すことが出来なかったのは、この状況を夢だとでも思いたかったのか。一言でも発せば現実感が押し寄せる。より正確には人の試着室に駆け込んできた挙げ句、肩で息をして赤面している変態ハァハァ同級生という現実が。
よって。
その場にもう一人いたのは果たして幸いだったのか。
「うーん、意外とサイズ合わないな。お姉さん的にはどうですこれ? さすがにこのキツキツさは犯罪的ですかね」
完全なる自由空間だった。
しかしおかげで止まっていた時が少しずつだが動き始める。
「状況整理をしましょう広沢さん」
「は、ひゃい」
「どうしてそこで目を瞑るのかしら? 別にこちらにやましい気持ちはないの。ただそこの迷子の児童が暴走していたから止めようとしただけで、この状況に私の意思はまったく関与していないのよ」
「う、うわ、ちょ、そんなに近づかれると」
「分かっているのかしら?」
冷静に努めているで、やはり焦りもあったのだろう。気づけば広沢さんを壁際に追い詰めるような形になってしまっていた。全身真っ赤で涙目の広沢さんが弱々しく私の顔を見上げる。
「お、おぉ、お手柔らかにお願いします」
「何をかしら!?」
「ちょっと違う水着持って来ようと思うのでそこどいてくれませんか?」
「アナタはまず下着姿なのをどうにかしてから出直しなさい!」
ギャアギャア揉めている間に異変に気づかれたのか、試着室の外から誰かに声を掛けられてしまった。店員でなかったのはせめてもの救いだっただろう。
「おい広沢まだかー? 私はもう自分の買ったぞ」
「あ、内美? う、うん。もうちょっとだけ待ってね」
この状況を知られるのは相当にマズいことなのだが、さらにマズい状況を加速させる要因がすぐ近くにいるのは本当にもうマズいのだ。つまりは制御不能でブレーキの切れたスポーツカー。
「よーし服着たから出ますよお姉ちゃーん?」
「ちょっと待ちなさい!」
思わず叫んでから口を塞ぐが、出た言葉はもう戻せない。なんなら自分に意識を向けたことで暴走小学生の手綱は完全に離されてしまった。
ザザッ! といとも容易く。
乙女の肌を隠す秘密のヴェールは剥ぎ取られた。
下着姿の女子高生と小学生と、それらに掴みかかる黒髪ポニーテール。たぶん混沌とかを実体化させたらこんな感じになる。
「……お前ら」
手のひらを額に当て、大きく深い息を吐く。
うん。これはもう、未来的超パワーで記憶封印措置しかない。
「全部説明するから黙って背中を向けるのはやめて頂戴?」
もちろんそんなパワーは使えないので過去最高に無意味で非効率な言い訳タイムが幕を開けた。
そもそも水着の試着ってあるか?と思ったけれど調べてみれば無くは無さそうだったので、下着の上から試着するスタイルを採用してみました。