ショッピング・パニック①
★★★
待ち合わせというのは意外と難しい。
いつでも連絡の取り合えるこの情報社会であっても、互いに共通認識のある場所でないと出会うことは困難を極める。駅前と言ったって広すぎるし、学校と言えば多すぎる。あるいは『いつもの』と呼べるような場所があれば別なのかもしれないが。
よってほぼ遊んだことのない相手と待ち合わせをするならば、やはりランドマークというものに頼る必要が出てくる。それも個人的に特別な場所などではなく、誰もが平等に見つけやすいような存在感を放つものが好ましい。
自然とここになる。
駅前広場にあるバスの停留所。
そこに寄り添うように立っている大きな男の銅像。
「あら、待たせてしまったかしら?」
一閃。
夏の陽射しに照らされた軽やかな声が思考を断ち切る。
意図せず瞳孔が開いた私は、同時に喉が干上がるのを感じた。
「あ、相花さん! ご、ご無沙汰してます」
「……一体どこまで畏まっているのかしら? アナタはもっと馴れ馴れしいイメージがあったのだけれど」
「えっ、うそ、そんなイメージだった???」
危ない危ない。思わず取り乱してしまった。
相花さんと会う約束をしていたのだから彼女の顔が急に迫ってきたのまでは我慢できた。しかし予想外だったのは彼女がいつもの制服ではなく、お出かけ用の私服を着ていたことだ。いやそりゃあ当たり前なんだけど、服装一つでこうもイメージが変わるものか? こんなのは反則だろう。というか彼女の奇麗さはどれだけ伸びしろを残しているというのだ。
コホン、と咳払いをして気持ちを切り替える。
「その服めっちゃ良いね! カジュアルって感じで」
「そう? ただの無地シャツにロングスカートを組み合わせただけよ?」
「それはそうなんだけどさー」
もう相花さんの私服というだけで付加価値が爆上がりだという事実は黙っておこう。そもそも素材が良いのだから、あまり凝った服はかえって魅力を落とすのかもしれない。
「広沢さんこそ、その服似合っているわよ?」
「ありがと。これこそ、ただのデニムシャツだけどね」
「でもそれ結構お金がかかっていない? ほら肌触りとかとても安物とは思えないのだけれど」
「うあっ、ちょ、そうかなー???」
急に触られてびっくりした。
そして今日のためにちょっと高めのお店で新調したとは言いにくい。色々と口に出来ないことが多いが、そういう年頃なのだから目を瞑って欲しい思春期です。
一通り触って満足したのか、改めて相花さんは私の隣に立って顔を向けてきた。
この肩と肩が触れそうな立ち位置は、初めて出会った時を思い出す。いや、あの時は座っていたか。
ともかく、改めて。
今度は名前を知り合った二人が挨拶を交わす。
「ひさしぶり、広沢さん」
「うん、会いたかったよ相花さん」
いくつかの会話を挟むことで少しずつ緊張がほぐれてきた。
気づけば自然と言葉が出るようになっている。
「今日は何を買うの? あと一人来るという話は聞いているけれど」
「うーん。それこそ誘ってきた内美に聞いてみるのが良いんじゃない?」
集合時間をわずかに過ぎた頃、軽快な足音が聞こえてきた。
もはや小学生でも通じるのではないかと思える半袖短パンで走ってきたのは我らが待ち人、すなわち内美その人であった。
「いやー、待たせた? 何か今日はやけに信号にひっかかってさー、というかそっちが相花さんって人かー。どうも私は内美という者です。ってか、うひゃー、めっちゃ美人! あ、でも不良なんだっけ? おいおいうちの広沢に悪い影響与えちゃデコピンだかんなー。はい、じゃあ改めて今日の予定を組み立てていきたいわけですが、そうそう、実は買いたいものがあってさー」
こちらが一言も発さなくても自己紹介が終わり本題へとシフトした。というか完全に会話の主導権を盗まれていた。怪盗ウツミ3世は今日行くショッピングモールのパンフレットをパラパラとめくりながら、三階にある一店を指差す。
「ここだ!」
「えーっと、ってこれ水着売り場だよ?」
「やっぱ夏を楽しむにはまず形からだと思ってなー。新しい水着を買って気合いを入れ直すんだよ」
「……私は別に新しい水着が欲しいわけでもないんだけど」
ガバッ、と内美が私の首に手を回し、耳元で小さく囁いた。
「(状況次第では相花さんの水着姿拝めるかもしれないぞー?)」
「なっ」
こいつ、どこまで私の心を掌握してる!?
ともあれそれは甘美な誘惑だった。いや決して下心とかはないのだが、あの相花さんの水着姿は、何と言うか、あまり想像がつかない。というより下手に想像してしまうと自分の願望やら深層心理やらで脚色してしまいそうなので、そんな陳腐な妄想で彼女を汚してしまいたくない。であれば……見ない選択肢などないのでは? 運が良ければ私のオススメした水着とか着てくれるのだろうか。え、着てくれるの? あの相花さんが???
「あ、相花さんはどう?」
「そうね。丁度水着に持ち合わせがなかったから構わないわよ」
グッ、と内美と固い握手を交わす。
本日の方針は定まった。
☆☆☆
そして。
気軽に許可など出すのではなかったと痛感する。
あまり友達と買い物に行くというイベントに慣れていない私も悪かったのかもしれないが、それにしても、たぶんこれは普通ではない。それだけは分かった。ああ、これなら同じ階にあるカフェにでも行きたいと言っておけば良かったと数時間前の自分を恨む。
猛暑とは無縁のショッピングモールでの出来事だった。
冷房で冷えた空気を煽るように赤色の布地が突き出される。
「ほらこれ、このツーピース型の水着とかどう? めっちゃ危うい紐で止めるように見えるけどこれは飾りで実は脇の見えにくい場所にファスナーがあってだね」
「いや、ええと」
「いやいやこっちだろー、服の上からでも分かるそのスタイルの良さを存分に発揮するならやっぱりこのワンショルダーで決まり! 肩だしでセクシー勝負だ!」
「というか、あの」
「分かってないね内美、相花さんくらい完成されてたら逆にスタンダードで攻めた方が良いんだよ! 肩だし? へそ出し? 邪道だよ!」
「それ言ったら競泳水着に行き着くだろうがー! いや似合いそうではあるけれど、せっかくの機会なんだからもっと冒険しようぜ! おぅし次はこれだー。一見ただのワンピースに見えるけどめっちゃ穴だらけの肌見せ水着! 隠してんだか隠してないんだかの矛盾で男共の視線を釘付けだぜ!!」
押し付けられる水着はどれも一癖ある代物だった。というか押し付けている彼女達でさえ『いや私は着たくないけれど』と思っているのが丸わかりだ。このままでは体の良い着せ替え人形にされてしまう。
話題を無理にでも変えるため、今度は私が発言権を握る。
場の流れを制しなければ恥辱を受ける。
これはもうそういう戦争だ。
「ほらこれ、これなんか内美さんに似合うのではないかしら?」
適当に摑んだハンガーを突き出す。
水色ワンピースの水着。全身水玉。Sサイズ。
「子供用じゃねえか???」
「あ、いや、これはその」
しまった。隣のハンガーラックは児童用の水着だったか。
冷や汗を流しながらも、今度はきちんと大人用の売り場から水着を取り出す。
「広沢さんにはこれかしら?」
「ぶふっ、マ、マイクロビキニィ!? どんな意図で私にそれを!?」
「い、いや、た、体型の良い広沢さんになら似合うと思って」
「当てつけか!?」
なんという不運。ランダムに選んだとしてももっとマシな商品なんかいくらでもあっただろうに。しかしここで退くと再び主導権が奪われてしまう。未来人としての叡智をフル動員してでもこの場を乗り切らなくては!!
「これは、あれよ。将来性。そう将来性! 広沢さんならいつかこの水着を着こなせるくらいにグラマラスな良い女になれると思ってのチョイスよ」
「言ってることほぼセクハラオヤジじゃねーか。ってかあたしへのワンピースはむしろ退化してるけどどう説明してくれるんだ!?」
「ええと、うん。内美さんなら小学生と混じっても遜色ないくらいの若々しさがあるというか、第一印象から感じていたのよ、この子は足の着くプールが似合うって!」
「100%馬鹿にしてるだけだからなそれ!」
どうやらお気に召さなかったみたいだ。
泣く泣く水着をハンガーラックに戻し、仕返しと言わんばかりに広沢さんと内美さんはド級の変態水着を持ってこようとしていた。
「ふふふ、ほらこれ全身透明水着だよ相花さん! でも大丈夫、隠すべき部分には小さな当て布があって見えないようになってるから!」
「ってかもう布地の必要ある? それならいっそ隣の薬局で絆創膏でも買ってくれば水着として事足りるだろー」
後半は衣服としての最低ラインすら捨てていた。
これが本気なのか冗談なのかいまいち読み切れないが、目は真っ直ぐに純粋だった。とりあえず頭を冷やす時間を与えなければ、勢いで絆創膏ビキニを着せられてしまう。そんな恐怖があった。
「ちょ、ちょっとお手洗い!!」
「あっ逃亡しやがった!」
「逃がさないよ相花さん!」
角を曲がったところでスニーカーのサイドラインが淡く発光する。コンプライアンスが何だ。全力全開で未来の技術を乱用させてもらう。
ダッ、と床を蹴って一息で数十メートルを走りきる。
「はっ、はやー! あれが陸上部の力ぁ?」
見当外れの予測すら聞こえなくなった所で足を止め、辺りを見回す。注目はされていたが、まぁ人より少し速いくらいの速度に留めたので、スマホなどを向けてくる人はいなかった。
ショッピングモールは真ん中が吹き抜けとなっており、ドーナツ状に店が並んでいたのだが、どうやら水着売り場の反対側まで来てしまったようだ。目の前には本当にお手洗いがあり、その隣にはエレベーターが備え付けられていた。
「……あれは」
そんな中。
冷房の風にでも乗ってきたのだろうか、ひっく、ひっくという嗚咽のような声が聞こえた。店内放送や人のざわめきにも負けずに割り込んだその音を辿っていくと、見過ごせない影が一つ。
エレベーターの前だ。
黒い髪を両側でツインテールに結った小さな少女。
小学生くらいだろうか。私の胸くらいの高さのその子は、目元に両手を当てて泣いていた。
えーと。これは、いわゆるアレだろうか。
無視するという選択肢もあったのだが、ここで素通りしてしまう理由も特になかった。だから渋々と足を向けた私は、目線の高さを合わせてこう尋ねる。
「もしかして、迷子かしら?」
本日の予定は、何とも思い通りにいかない。