未来的な視点
例えばクラスの中に宇宙人が紛れていると言われたとして、私はそれに気づくことができるだろうか? 外見を擬態し、話す言語を真似して、文化や慣習にも難なく溶け込んでしまっているのなら、もう何を基準にして探せば良いのか分からない。
そこまでいけば本質的に地球人と何も変わらないのかもしれない。
だけど、そこまでいっても、きっと宇宙人への嫌悪感というものは無くならないような気がした。隣の友人が宇宙人だと分かれば、明日も同じように笑って挨拶ができる自信がなかった。宇宙人は宇宙人で、昨日も今日も何かが変わっているわけではないのに。
異物は異物というだけの理由で好感度を下げていく。
転校生がクラスの皆にモテるような例外はあるかもしれないが、あの質問攻めの囲いだってつまりは理解できないものを恐れる心からきているものだと私は思う。
世の皆が不寛容なのか。
あるいは私の心がひねくれているのか。
どっちにしても私にとっては同じだ。
宇宙人は許容できない。異物は受け入れられない。
であれば、未来人である私も同じことだった。
この時代に生きる人からすれば私は不純物で、私からすればこの時代の全てがノイズでしかなかった。学校をサボっていたのも、つまりはそういうこと。好感も嫌悪も変わらず鬱陶しかったのだ。
1200年も先から来た私からすれば、全てが原始的。
すでに解き明かされた難題に挑む人々。
子供の玩具にも劣る技術でできたハイテク機器。
これも一種の不寛容か。
何もかもが既知で出来上がった世界に、私は退屈していたのかもしれない。
だけど。
あの瞬間だけは強引に心が揺さぶられた。
だって、女の子が空から降ってくるだなんて、12世紀をまたいでもフィクションでしか見たことがない光景だったのだから。
『広沢! 2組で写真部に所属してる! 趣味はサイクリングで好きな食べ物は苺大福!』
想像以上の情報量で、思わず面食らってしまった。
ショートの髪を肩の辺りで丸めた女の子。
頬を紅潮させ、潤んだ瞳はどこを見ているのか。
見たことがある顔だった。
なんで腕を引っ張ったのか、駆け出した足の行方も、私には分からない。
けれど、そんな私にもただ一つ分かることがある。
これまでと変わらず。
この高ぶりも、きっと明日には冷めているのだろう。
☆☆☆
さすがに制服を着たまま店に入るのは気が引けた。
例えセルフレジのカラオケだろうが、人の目はついて回る。
だから、私達は道中にあった公園の女子トイレへと逃げ隠れた。
いくつか並べられた個室の一つへ飛び込み、安堵の息を吐く。
「さすがにここまで追っては来ないはずよ」
呼吸を整え、外の音に集中するが、今のところ人が近づいてくる気配はない。というか男性教師はそもそもここに足を踏み入れることはできないだろう。
僅かに私よりも背の低い広沢さんは見上げるようにして私の顔を見つめてきた。
「でもこれ、ホラー作品とかだと一つ一つ順に開けられていくやつだよね」
「……相手は生きた先生でしょ? それに今は昼間だし」
二人で一つの個室というのは意外と狭い。
自然と先に入った私が便座に座る形となった。
「昼間でも薄暗い場所って不気味じゃない?。何か気配みたいなの勝手に想像しちゃうっていうか」
「そんなの心が勝手に作り出すまやかしよ」
「そうかなー?」
「大体、『気配』とか『不気味』とか全てが曖昧な単語で構成されている時点で全ては心の持ち様よ。こんなのはプラシーボ効果以下の錯覚でしかないわ」
「なんかやけに早口で否定するけど、そういうの苦手なの?」
「……そんなわけないでしょ。呆れてるだけよ」
というか、ああいうホラーパニックものを好む気持ちが理解できない。どうしたって状況に無理があるし、結末も曖昧だし、展開だって型が出来ていて新鮮みに欠ける。1200年後だって幽霊の存在など証明されていないのだ。非科学的な論争に付き合っている暇はないだって私はもう少し高尚な文学とかを好む心の持ち主なんだから。
「ならちょっと上見てみてよ、誰かこの個室覗き込んでないか確かめて」
「はぁ? なんで私がそんなこと」
「だって私怖いしー」
「……アナタ、いきなり馴れ馴れしくなったわね」
腕を摑んだことで単純接触効果でも生まれたのだろうか。
明らかに心の距離を詰められているような気がする。それも悪い方向に。
しかしここで断われば私が幽霊を怖がっていると勘違いされてしまいかねないのも事実だ。そう、勘違いだ。決してそれ以上の意味はない。うん。どうせ今日限りの関係なのだろうし、少しだけ相手のいじわるに付き合ってあげるのも悪くはないだろう。
「別に、何も怖いわけではないのだし構わないわよ」
「本当に? もしかしたら長い髪の女性が見つめているかもしれないよ? あるいは顔の皮が剥げた男性が血まみれで極太の包丁を持っているかもしれないよ?」
「……やけに生々しい想像ね」
「動画で見るんだよねたまに。怖いもの見たさっていうかさ」
なんとも余計なことをしてくれた。
意識してみると、確かに電気の1つも点灯していない公衆トイレは夜の街とはまた違った不気味さに包まれている。
空気が密度を増したかのように首が重たくなる。
大丈夫大丈夫。科学の法則は今後どれだけ技術を発展させても崩れることはなかった。オカルトなんて脳の誤変換が生み出したホログラム。実体のない妄想。シミュラクラ現象などこの時代でも普通に語られているくらいのものでしかない。
浅く呼吸を繰り返し、心を落ち着かせて視線を上げる。
やってみれば何てことはない。
普通の天井が広がっているに決まっているのだから。
「わあ!!!!」
「ふぁっっ!?」
突然の大きな音に思わず変な声を出してしまった。
数瞬送れて認識が追い着く。
目の前では意地の悪い笑みを浮かべる広沢さんの顔。
そして天井には何もなかった。おばけなんかいない。
つまりは、まんまと広沢さんにしてやられたという訳だ。
「……」
「……なんで黙ってるのよ」
広沢さんは視線を逸らし、申し訳なさそうに笑顔を崩した。
「あ、いやぁ。意外と可愛い悲鳴だったもんで沸々と罪悪感が湧いてきたと言うか、なんかごめんなさいと言うか」
「全部忘れなさい」
力なくはにかむ広沢さんを見て、疑念は確信に変わる。
この子は距離の詰め方がおかしい。
驚くほどフレンドリーになったかと思えば、急に波が引くように他人行儀になっていく。まるで磁石のS極とN極がくるくると回っているかのようだった。
いつもまでもそんな気まぐれには付き合っていられない。
小さく息を吐いて立ち上がる。
「そろそろ出ても大丈夫でしょ」
「そうだね。というか昼休憩終わりそうだし」
言いながら個室の扉に手を掛けた時だった。
コツ、と誰かがトイレに足を踏み入れる音がした。
公衆トイレなのだから他の人が来るのは当たり前なのだが、会話の流れからして思わず嫌な想像を働かせてしまう。巨大な出刃包丁を持って迫る血まみれで皮の剥げた男……。
ないない。さすがにない。
分かっていながら私達は息を潜めた。というか二人で個室に入っていることを知られたらあらぬ誤解を招きそうなので、相手が出ていくまで待ちの姿勢に移行したのだ。
だというのに。
足音は一番手前の個室の前で止まると、中を確認するように沈黙した後に隣の個室へと移動した。コツコツと、硬い足音が妙に響く。
「(ゆ、幽霊かな!?)」
広沢さんが耳元で小さく囁く。
「(幽霊なら足音なんてしないでしょ)」
「(な、なら殺人鬼!?)」
「(落ち着きなさい。紙がなかったとか便器が汚れていたとかそんな理由よ)」
だが足音はまたしても個室の前で止まり、沈黙し、次の個室へと向かう。まるで恐怖を炙るようにゆっくりと近づいてくる。ただトイレを利用しようとしている人間にしては明らかに不自然な行動だった。
コツ、コツ、コツと。
狭い公衆トイレでは個室の数も少ない。
今やもうすぐ隣まで足音は迫っていた。
「(~~~っ!)」
先ほどまでの不遜な態度はどこへやら。
広沢さんが扉を背にしてギュッと私の服の裾を摑んでいた。
不安が決壊し、こちらまで伝播してくるようだった。
コツ、コツ、コツ。
ついに私達のいる個室の前で足音は止まる。
というか元々扉が閉じているのはここだけなのだ。今までの確認作業は私達の不安を煽るための前座。メインディッシュはここから。
さてどうする。というかどうなる。相手はどう来る!?
安直に扉を開けられるか。それともやはり天井と扉の隙間からか。意外性を考慮して便器の中からか!?
ゴクリと喉を鳴らし、両手をフリーにする。
呼吸さえ止めて完全な静寂を作り出す。
臨戦態勢。
これでも未来人だ。どんな相手だろうが積み上げてきた人類の叡智をフル動員して返り討ちにしてくれる! 殺人鬼がなんだ、幽霊がなんだ。
おばけなんか怖くない!!!!
時間が止まったかのような濃密な空気の中、直後に相手からの動きがあった。
『あのー、掃除を始めたいんですけど先に床を濡らしてしまっても大丈夫ですかねー?』
☆☆☆
相手は町内会の代表だった。
掃除当番とかいうやつらしい。
強張っていた筋肉から力を抜き、安堵の息と共に外に出る。思わず二人同時に出てしまったが変な噂として広まらないことを祈るばかりだ。
公園の出口で、私と広沢さんは自然と別れる流れとなった。
「相花さんはこれからどうするの?」
「まあ、そのへんを補導されない程度にブラブラするわ」
「そっか。なら私はとりあえず学校に戻ろうかな。なんかもうケーキとかいう気分じゃなくなってきたし……、というか怖い。これから怒られることを考えると胃が痛い」
どうやら彼女は本当に根は真面目な性格をしているらしい。
だとすれば、きっともう私と彼女の道が交わることはないだろう。
嫌だ、とは思わなかった。
所詮は行きずりの関係だ。深い繋がりもない。
「じゃあね。縁があったらまた会いましょう」
「う、うん。今度なんかお礼するよ!」
手を振って背を向ける。
こういうのは何だって呆気ないものだ。
どちらが私にとっての非日常だったのか。
ともかく、私はいつも通りへと戻って行く。宇宙人の日々へ。
底抜けに青い空を見上げながら、明日も学校には行かないだろうという確信があった。大して意味がない。私がこの時代へ来た目的を考えれば学生の身分なんてカモフラージュ以外の何物でもないのだから。
決して一人で居るのが好きというわけでもない。人の温もりから敢えて離れる行為を不健全だと言われれば否定することはできない。でも、誰とも接しない毎日は異物である私にとっては楽だった。
好感もなければ嫌悪もない。
真っ白で平淡な毎日はそれだけで最低限の幸福をくれる。
だから、今日も私は生きやすい方向へと流れていく。
「やっぱり待って!」
とん、という軽い感触が背中を小突く。
振り返ればカードサイズの機器が押し付けられていた。
この時代の主な連絡ツール、スマートフォンだ。
声の主は太陽ののように明るい笑顔を私に向けた。
「連絡先交換しようよ」
「え? あ、うん」
もちろんこの時代に馴染むため私も所持していた。
実際にはあまり利用したことはないのだが……。
コツン、とスマホ同士が軽く触れあう。
SNSに新しい友達が追加される。
「よし、これでバッチリ!」
「……こんなことのために引き返してきたの?」
「うん! あれ、あんまり乗り気ではない? ええと、でもほら、相花さん授業サボってばかりいるみたいだから会おうと思っても探さなくちゃいけないし、繋がっておいた方が良いかなと思ったんだけど。もしかして嫌だった?」
「……嫌ではないわ。少し驚いただけ」
「そう? なら良いんだけど」
繋がり。
言葉にすればなんとも軽くて陳腐。
それでもSNSに登録されたアイコンと数行の自己紹介を気軽に無視しようとは思えなかった。脳が処理不能な感情をばら撒く。交感神経が揺れる。
「あ、そろそろ本当に学校に行かなきゃ! じゃあまたね相花さん!」
「ええ、また」
不思議な感覚だった。
同じ別れの言葉のはずなのに、その色がガラリと変わってしまう。
この時代での関係は、全てが一期一会だと思っていた。
異物の私は排除されるばかりだと考えていた。
そもそも元の時代でも特別に深い繋がりというものに覚えがない。
だから。
ピコンという音と共に広沢さんのアイコンの上に未読の数字が浮かぶ。
『よろしくね』
この5文字の挨拶は、きっとまだ種なのだろう。
ここから先どう成長するかは分からない。もう伸びることはないのかもしれないし、自然に枯れてしまうのかもしれない。もしくは。あるいは。
『よろしく』
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この繋がりはどこに向かうのか。
未来人だって分からないことはある。
だから。今だけは。
この種が良縁になるのを祈るのも、悪くはないのかもしれない。
平淡な毎日に少しばかりのスパイスを求めて。