晩夏、二人の少女は屋上にて
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夏には引力があるように思う。
所詮は春夏秋冬の一つ。
そこに意味を見出すのは人間の身勝手なはずなのに、夏というだけで何かに期待してしまう。
一夏の冒険。一夏の出会い。一夏の別れ。
だけれど現実はそこまで都合良く出来ていないから、結局はいつもと変わらぬ日常が繰り返される。
カレンダーをめくり、ちょっと散歩して、やっぱり暑くてすぐに帰る。
そこに特別な充足感は何もない。人生で数える程しかない夏休みを、そうと分かっていながらも無駄に費やす。
けれど。
気づけば、日没の時間が早まっていたことに焦りを感じていた。
何に焦っているのかは、正直自分でも分からない。やりたいことも思いつかないし、やるべきことは何もない。宿題だって終わらせている。思い出だって十分に作った。
なら、もうあとは無為に過ごしたって良いはずだ。
良いはず、なのに──。
「青いなー」
高い空を見る度に、白い雲を見る度に、外へと飛び出したくなる衝動が頭を埋め尽くす。
外に出たって、ただ暑くて不快で疲れるだけだと分かってるのに。
それでもたぶん、夏には引力があるから。
私はずっと、口実だけを探していたんだと思う。
「着信……?」
ヴーヴー、と簡素なバイブ音が机の方から聞こえてきた。
そこに表示されていた名前を確認し、脊髄反射で画面を開く。
そこには。
『今から会える?』
花火大会の後から、ずっとずっと連絡のなかった友達からのメッセージ。
焦って上手くタップできなかったけど、何度か推敲してから返信を送る。
『良いよ。どこにする?』
『なら部室棟の裏で』
まさかの学校であった。
思わずそのまま飛び出そうとしてしまったが、よく考えれば制服の方が良いのかもしれない。クローゼットを開き、懐かしい匂いのする夏服に袖を通す。
外に出ると、やっぱり熱気は凄くて嫌気が差す。
けれども足を止めるなんてことは絶対にしないだろう。
灼けるコンクリートの上を駆け抜けて。
劈くツクツクボウシの声を切り裂いて。
時計が正午を回る頃、私はようやく学校の正門へと辿り着いた。
一旦息を落ち着かせて、ポケットに入れておいたハンカチで汗を拭う。
あくまで優雅に。
余裕の心持ちで来ました感を醸し出しながら校庭を横切り、部室棟へと向かった。
ここに来るのは、いつぶりだろうか。
それでも大した変化はないように感じる。
大きく切り立った木も、その根元に設置されたベンチも、そこで優雅に座っている相花さんも。
「お待たせ」
「随分と早かったわね」
私達の関係性は、ちょっぴり変わったかもしれなけど。
「せっかく良い天気なのだし、もっと見晴らしの良い場所に行きましょうか」
「えーっと、グラウンドとか?」
何も言わず、相花さんは右手で上を指し示した。
その指の延長線上にあったのは、校舎のさらに上。
「まさか、屋上……? でも普通に施錠されてると思うけど」
「あら、そういえば誰かさんはよく空から降ってくるわよね」
……それはつまり、私に『魔法』を使えということなのだろうか。
まあ良いけど。どうせバレているのだろうし。
「でも飛べるのはあくまで私だけだよ?」
「ならこうすれば問題ないわよね?」
がばっ、と。
温かくて柔らかいながらも妙にズッシリとしたモノが背中にのしかかる。
どうやら相花さんが私の背中に飛びついてきたらしい。
「さあ行きましょう」
もう近すぎて、耳に吐息がかかっていた。
「ああもう、分かったよ!」
抱き着くように首に手が回される。
……背中に当たるこの感触は、やっぱり胸なのだろうか。
ともかく周りに人が居ないことを確認してから、手の平から風を発生させる。
二人分となるといつも以上に疲れるけど、今ならなんか出来る気がした。こう、雑念とか煩悩とかをエネルギーに換えて。
ふわりと、スカートだということも忘れて無邪気に宙を舞う。
屋上までの高さなんて一瞬だった。
「なんとも言えない体験だったわね。自分の力で空を飛ぶわけでもなく、かといって科学の力という安定感もないのに、妙に安心出来るというか」
そっと屋上のコンクリートに足を着けながら、相花さんはじっくりと感想を口にしていた。
長年使われていないせいか、あちこちに雑草が生えている。
座る気にもならなかったので、屋上の縁に立って景色を眺めた。
「意外と遠くまで見えるもんだね。さすがに海は無理か」
「でも駅前は見えるわ。この前二人で花火を見たのはあの辺りね」
こうして見ると、私達がいかに小さな世界で生きているのかを実感させられる。だというのに、この小さな街の中ですら知らないことはまだまだ数え切れないときたものだ。
そもそも私は、隣に立っている少女のことだって、よく知らない。
「ねえ、今日まで連絡がなかったのはどうして?」
「ちょっとした野暮用があったの。圏外というわけではなかったのだけれど、連絡とかは出来ない場所でね。本当はもう少し夏休みを満喫してみたかったのだけれど」
「用事は終わったの?」
「なんとか。まあ私の相方は燃え尽きたように寝てるけれど」
「ならもう、勝手に居なくなったりしない?」
「ええ、もちろん」
あっさりと、彼女は言い切ってみせた。
それがどの程度信じるに値する言葉なのかは分からないけれど、どれだけ時間がかかっても相花さんは『またね』という約束を守ってくれた。今はその事実だけで十分だ。
だというのに、相花さんはやや陰った表情で私に視線を向ける。
「ごめんなさい」
「……え?」
一瞬、日照りの強さで耳がおかしくなったのかと思った。
しかしそんな淡い予測を裏切るように、ポニーテールを靡かせた同級生は言葉を繋げる。
「私はずっとアナタを騙していた。悪気があったわけではないけれど、ずっとずっと騙し続けていた。アナタは私と本気で友達になろうとしてくれたのに、私はアナタに真実を語ることすら出来なかった。それは今だって、変わらない。だから、本当ならもっと早く謝るべきだったのに、アナタとの関係性を壊したくなくて、臆病なままズルズルと裏切り続けていた。今日はまず、それを伝えたくて──」
「今さらそんなこと、どうでも良いよ」
「……でも」
「隠し事があるなんて、私も同じだよ。それとも相花さんは、私にも同じように暗い顔をしながら謝って欲しいのかな?」
「……それは違う、けど。でも私の方はもっと深刻なの。だってまだ、私は自分の本名すら明かしていない」
「だから、そんなことはどうだって良いんだよ」
些細なことで落ち込んでいる子供を慰めるように、そっと背中に手を当てた。
その体温を、ちょっとだけ分けて貰う。
「相花さんの名前が何であろうと関係ない。どんな身分だったとしても問題ない。今ここで友達のために涙ぐんでいる一人の同級生と、私はこれからも仲良くしたいんだよ。私は、別に名前や役職で相花さんを好きになったわけではないんだからさ」
「……えーっと、好き、に──?」
「あっ、ええとだからそれは、もちろん」
友達としての好きだよ、っと言おうとして口を塞ぐ。
そんな単純な言葉で纏めてしまうのは、何だか駄目な気がしたのだ。いつもなら顔から火が噴き出して言えないだろうけれど、幸いにも既に顔から火が出る程に辺りは暑い。
今なら、この本音だって伝えられる気がした。
例え後で羞恥に苦しむことになろうとも。
「──もちろん、私は相花さんのことが大好きだよ」
キョトン、とした目で見つめられる。
やがてそのメッセージをどう解釈したのか、優しい笑みを浮かべながら相花さんからの返答が一つ。
「私も好きよ、広沢さんのこと。たぶん、この上なく」
っっっっっっ、やっぱりフェアではない気がする!
内心で狂喜乱舞の私から視線を逸らし、相花さんは再び屋上から見える風景へと目を落とした。
「広沢さんはこの街、好きかしら?」
「……え、ええと、そうだね。最近は、そう思い始めたよ。どれだけの猶予があるのかは分からないけれど、出来る限り、私はこの街で皆と楽しく生きていきたいな」
心なしか、相花さんの表情が緩んだような気がした。
ボソッ、と。たぶん自分に言い聞かせるように彼女は呟く。
「なら、これからも心置きなく戦える」
きっと私だけではない。
互いに迷いや不安は尽きないのだろう。
それでも、一人で押し潰されそうでも、二人居れば何とかなるものだ。
楽観論かもしれない。
短絡的かもしれない。
実際に直面する困難は、もっとずっと神様の悪意が込められているかもしれない。
そんな中でも、やはり一人ではない。
似たような秘密を抱えた友達が居ることは、それだけで心強い。
「これからもよろしくね、相花さん」
「それはこっちのセリフよ。二学期からは学校にも顔を出そうと思うから、会う機会も増えるかもしれないわね」
「それは楽しみ」
目の前にはいくつも見えない壁があって。
きっと問題はまだまだ山積みなのだろう。
それでも。
いつしか二人。
全てを曝け出して、心の底から笑い合う。
そんな蜃気楼のような未来を、異世界を、夏の空の向こうに見た気がした。
夏休み編はこれにて終わりです。ここまで読んでくださり本当にありがとうございます!
やってくる2学期! 一年のど真ん中!
一応、次は『文化祭編』を予定しております。よろしければ、これからもお付き合い下さい。




