帰り道は線香花火と共に
☆☆☆
どれだけ楽しみにしていた時間にも、終わりはくる。
たくさん居た物見客も三々五々に散っていき、屋台の明かりも気づけば疎ら。
耳に残る花火の余韻だけを土産に、それぞれが日常へと帰って行く。
そんな光景を眺め、ようやく胸に去来したのは、たった一つの事実。
お祭りは終わったのだ。
「ったくよぉー。ようやく来たかと思えば二人とも何かボロボロだし、結局焼きそば買って来てないし、こっちは花火どころじゃなくなったんだからなー」
水を打ったような静寂に、内美の声が響き渡る。
「いやあ、だって焼きそば売り切れてたし。代わりにかき氷買って来たんだから良いじゃん」
「本日2つ目のな! あたしの晩飯氷だけかよ!」
そうは言っても、そもそもこちとら生死をかけた戦いの後なのだ。
地味に口の中は傷だらけ。あまり染みるものは食べたくない。
「ごめんなさいね。私が遅れてしまったばかりに」
「いや本当にな! 一体何があったか説明してもらおうか」
「それは……ええと……」
相花さんが口をモニョモニョさせる。
詳しくは分からないけど、あんまり他言出来ないような内容なのだろう。それは私にしても同じことなのだし、ここは吐き慣れた嘘で誤魔化すことにした。
「実は、なんというか、野犬に襲われてね。なんとか逃げ切ったんだけど爪で引っかかれちゃって」
「一大事じゃねぇか! ならまず病院に行って検査してもらって、役所とかに連絡しておいた方が良いのかな? あとは──」
「と思ったんだけど、それは野犬ではなく四つん這いで歩く不審者だったから安心して」
「安心材料どこだよ! それはただただ変質者だから早めに警察に通報しとけ!」
「大丈夫! 通りすがりの猟友会の皆さんが退治してくれたから!」
「いや死んでねぇか、それ!?」
「まあだから、あんまり心配しないで大丈夫だよ」
勢いに任せて話を打ち切る。
内美はまだ不満そうな表情を浮かべているが、それ以上追求してくることはなかった。
……単純な頭をしてくれているようで助かった。
「下手すぎないかしら?」
相花さんがボソッと私にだけ聞こえるように本音を零す。
ちょっとだけ彼女の爪先を下駄で踏んでやった。
「とりあえず家に帰ったら傷口洗って消毒しとけよ! 浴衣がボロボロなのは素直に怒られろ」
「うへぇ……だよねぇ、これ絶対高いもんねぇ」
「私は別に、自費で買った物だから」
「うあぁ裏切り者! なんとか自分で縫い合わせてバレないように出来ないかな?」
「玉結びでさえ下手な広沢には無理だろ-」
やいのやいの、祭りの尾を引くように騒ぎながらも歩いて行く。
一歩一歩を踏み締めて、別れの時へと自ら近づくように。
「じゃ、あたしはこっちだから!」
岐路が訪れ、内美が片手を挙げてそう告げた。
サヨナラなんて、学校に行っていれば毎日言うセリフのはずなのに。どうしてか、今だけは凄く寂しく思えた。旅行の最終日のような、疲れと心細さが同時にくるような感覚に似ているかもしれない。
けれど、意外にも返事は清々しく出てきた。
「ばいばい」
「おう。また気が向いたら、本当のことを教えてくれよな」
その背中が遠ざかる。街灯の下を通り抜け、薄暗い角を曲がる。
そこまで見送った私は、再び相花さんと顔を合わせた。
「彼女には敵わないわね」
「馬鹿なようでいて、妙に賢いとこあるからね」
他愛もない雑談をしながら、再び歩き始める。
そういえば初めて出会った時も、こんな風に当たり障りもない会話をしていた気がする。だけど今は、もうちょっとだけ踏み込んでみたい気持ちもあった。
どこまでなら許されるかな。
どこまでも許してくれそうで、少し怖い。
考えはするけど言葉にはしなかった。
無理に急ぐ必要はない。言葉にしてしまったら、形にしてしまったら、崩れてしまうものだってきっとあるから。ただでさえ、私達の関係は歪だ。目隠しでトランプタワーを作っているような繊細なバランス。
だから、今はまだ早い。
怖じ気づいたと言われれば、確かにそうなのかもしれない。
それでも今だけは、今日だけは、見逃して欲しい。
だって。
彼女と二人きりで交わす雑談は、どれだけ中身がなくても、こんなにも心が躍るのだから。
──というか、二人きり、か。
夜の住宅街で。周りに人は誰も居なくて。二人きり。
「………………………」
「急に顔が険しくなったけど、どうかしたのかしら?」
「いいいいいやいや、なな何でもないよ!」
一体何を考えてるんだ私は!
相手は同性の同級生の友達だよ! 変な気を起こしてどうする!
一旦深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。
大丈夫大丈夫。非現実的なことが起こりすぎて変なホルモンが分泌されてるだけだ。だからこうして冷静になってしまえば、ほらもう何てことはない。
頬の内側を甘噛みしながら目を瞑り、般若心経を読もうとするもそんなものは暗記していない。とりあえず南無南無と反芻。
そうしていく内に神経が落ち着いていく。
ふぅ、やれやれ。なんとか自制心を取り戻せたようで良かっ──。
「さっきから挙動がおかしいけど、熱でもあるのかしら?」
ピトリ、と。
私の額に相花さんの手のひらが触れる。
「~~~~~~~っ」
くっそーーーーーーーー! 負けてたまるか!!!!
反射的に荒ぶりそうになる呼吸を制御し、ゆっくりと相花さんから遠ざかった。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけ!」
まあその考え事というのは、およそ大丈夫と言えるような内容ではなかったのだが。
相も変わらず、相花さんはキョトンと首を傾げていた。
こ、これが天然物の恐ろしさか。その何気ない行動が一人の乙女心をグチャグチャにしているのを自覚して欲しいものだ。
「まあ、元気なようで良かった。私の知り合いが迷惑かけたみたいだから」
「ああ、あの子ね。そういえば放置したままだけど大丈夫かな?」
「ついさっき、帰宅したと報告があったわ」
そうか。それなら良かった。
本当はツインテ少女との関係性とか聞いてみたかったのだが、相花さんがあまりにも自然と流すものだから質問のタイミングを完全に失ってしまった。
そんな私の機微に勘づいたのか、ただ一言だけ、相花さんは言葉を加える。
「詳しい話は、またいつか、色々と片付いた時にね」
そこで、彼女は立ち止まる。
目の前の道がT字路に分かれていた。
互いに何も言わなかったけれど、自然とそこがゴールなのだと直感する。
相花さんの家がどこにあるのかは知らない。
だけど、別れるなら確かにこのタイミングが適切だろう。
まだ名残惜しさが勝る内に、笑顔で手を振れる。
心苦しさはやっぱりあるけれど、それでも悲しくはない。
なぜなら、
「また会いましょう」
「うん。また今度」
今は何気なく、そんな挨拶を交わせるのだから。
何度か手を振り、振り返ってはてまた手を振る。
そうしている間に相花さんの姿は暗闇に消えていって、ついには見えなくなってしまった。
はぁ、と一息。
自分で思っていた以上に緊張していたらしい。肩や背中が強張っていたことに遅れて気づく。何度繰り返しても、相花さんと話すのは慣れない。だからといって別に、悪い気分ではないのだけれど。
心はポカポカしている。
今が冬ならそれを有効利用出来たかもしれないが、残念なことに熱気が漂う夏の夜ではその恩恵もあまり無さそうだ。帰ってお風呂に入って、全身にからみつく汗を早く流したい。そしてスッキリした体で布団に飛び込み、SNSで二人と今日の感想トークをしよう。
そんな俗っぽくて、だけれど私にとっては最高に幸福な未来を頭に浮かべ、自宅へと歩みを進める。そりゃあまだまだ不安はあるけれど、それ以上に安堵が勝った。
だって。今回は。
相花さんの方から『またね』と言ってくれたのだから。
思い返し、知らず頬を綻ばせる。
周りから見れば不気味に見えたかもしれない。だけれど止められるわけがない。こんなことでも、私にとっては大きな進歩なのだから。
あれだけ賑やかだった空は、もう静まりかえっている。
月も傾き、星は小さく。全て夢だったと言われても信じてしまいそうな寂寥感。
しかしパチパチと、線香花火のように弱々しくはあるけれど。
胸の内では、まだ花火が散っていた。
★★★
「楽しめましたか?」
電柱に寄り添うように立っていた合星さんの第一声。
どういう感情が込められているのかは計りきれなかったので、ここは素直に答えることにした。
「ええ。この上なく」
「そうですか。そりゃあ良かったですよ。では私が居ない間にあの『花束』野郎をブチ殺したことについての弁明は?」
「あなたこそ、証拠不十分のくせに勝手に一般人に襲いかかり、挙げ句の果てには負け犬として帰ってきた言い訳を教えてくれるのよね?」
「……あれを一般人と呼んでいいのかは後で考えることにしましょう。というか、やっぱり『魔法』とかチートではないですかね!? あの女、際限なしに炎やら雷やら打ち放ちやがって! 魔法使いって言ったら一人につき一つの属性が定番でしょうに!!」
何やらおかしな方向にヒートアップを始めたようだ。
まあ、あとでログを見直さなければ分からないが、どうやら広沢さんの『才能』というのは本物らしい。一通りの戦闘訓練を済ませ、実践でも申し分のない働きを見せる合星さんが敗北するレベルというのは、少々予想を飛び越えては来たが。
ひとまず合星さんに近づいた私は、その不正で手に入れた童顔にデコピンをかました。
「……痛い」
「私の友達に傷を付けた罰よ」
ツインテ少女はおでこを抑えながら、尚も反抗的な目を向けてきた。
よほど言いたいことがあったらしいが、気を遣って呑み込んだのだろう。
私としても、自分の軽率さくらいは自覚している。いくら自由に外を闊歩しているとはいえ、これでも私達は職務中なのだ。どれだけ不都合があろうとも、その行動を逐一本部の方に報告する義務がある。
「今のままでは一時しのぎにしかなりませんよ? 『広沢千尋』という重要ワードはしっかりと録音・転送されています。どう足掻こうと、捕縛対象になるのは時間の問題でしょう。まだ上も半信半疑でしょうが、『並行世界』なんて私達の時代でも大発見なんですから」
脅威は一つとは限らない。
魔法。並行世界。未知の生命。
私の友達には、手に入れる価値と理由が多すぎる。
「なら、まずは手を出せるところから始めないとね」
「どういうことです? さすがに録音情報の改竄は無理ですよ? あれ、確かログ形式で何重にもバックアップを取っていたはずですから。一秒前の情報も一秒後の情報も、上書きされずに魚拓を重ねていってる感じですね。時間を遡って確認されてしまえば、すぐにバレちまいます」
「流体力学と量子学を複合化させたコンピューターの成せる技よね」
では、それなら仕方ないと諦めるのか。
いいや、まだやりようはあるだろう。
私の目がまったく死んでいないことを確認したのか、徐々に合星さんの顔から血の気が引いてく。青ざめるとは、こういう状態を表すのだろう。
「まさかとは思いますけど、ええと、本部のデータに直接手を出そうとか思っていませんよね?」
「大元を削除するのが一番手っ取り早いでしょう?」
「い、いやいやいや! 私達のような末端にそんな権限ないですから! 大体、本部のコンピューターに侵入するとか結構な大罪ですよ!?」
「分かっているわ。でも、正攻法が駄目なら邪道で行くしかないわ」
「……正気ですか」
「いたって冷静に出した結論よ。ただし失敗は勘定に入れてないけど」
重たい息を吐く合星さんは、どうやらまだ理解しきれてないらしい。
そう。これは私だけの問題ではないのだ。
「ちなみに、私の失態はパートナーにまで及ぶから」
「…………今なんと?」
「一蓮托生って言ったのよ。そもそも、パートナーで仕事をするというのは、同僚が時代を歪めてしまわないように互いが互いを見張るという意味もあるのだから。きちんと社内規定にも書いてあったわよ?」
「そ、そんな五人組制度みたいな前時代的風習が我が社に!? ち、ちくしょう、あのクソ長い社内規定を面倒臭いからと読まなかった私を恨みたい!」
まあ確かに理不尽な話ではあると思う。
なので一応、ここで合星さんとも一戦交える心構えでいたのだが……。
「なら絶対に失敗は許しませんからね!」
「それは、こちらのセリフだけど」
意外にも、乗り気なようだ。
前々から思っていたのだが、この少女は『正義』の側に立っていない方が活き活きとしている気がする。すぐ仕事をさぼろうとするし、色々と社会に鬱憤でも溜まっているのだろうか。
とにかく、手伝ってくれるならば素直に手を借りよう。
「きちんと作戦は練っているんですよね?」
「任せなさい。即興で最高のアドリブ作戦が頭の中にあるわ」
「まずは話し合うことから始めませんか!?」
こうして。
たった一人の友達を守るためだけに、歴史上最高難易度のセキュリティと言われたコンピューターへ攻撃を仕掛けるという、誰も為し得たことのない偉業が始まった。そこにはもう長編B級映画並のハートフルストーリーがあったのだが、まあそこは割愛しておこう。犯罪自慢なんて、語って聞かせてもつまらないでしょう?




