祭り囃子は吹き飛んで
★★★
『何の問題もない、か。まあ若者らしい浅慮からくる答えだろうが、言い切ったものだ』
「生憎と、頭が痛くなるほど考えたわ。でもやっぱり広沢さんが嘘を吐いていたかどうかなんて、どうでも良いことなのよ」
そう。私だって、ずっと嘘を吐いていた。
であれば、この『嘘』だって彼女との貴重な共通点。そう思えば、むしろ愛おしさすら感じてくるというものだ。
隠すことも秘めることも、決して悪いことではない。
ただ、いつの日か、この『嘘』さえも笑い飛ばせるような絆を育めたら良いなと思うだけ。
『……そうか。何だか気が変わったよ。やっぱり今ここで、君を始末しておこう』
「殺すのが目的ではないと言っていなかったかしら?」
『ボクとの下らない問答で挫けてくれたら、それでも全然良かったんだけどね。でも今の君は例えボクが広沢千尋を連れ去ったとしても決して諦めなさそうだ。どれだけの時間と犠牲を支払ってでも、いつしか必ずボクの喉元に噛み付いてくるだろう。そういう瞳をしている。であれば、想定できる危険分子は早い内に摘み取っておかないとね?』
小さな花弁が咲き乱れる『狼』の大きな口がパックリと開いた。
根を絡めて編まれた筋肉が、私の頸椎を砕くために躍動する。
「最悪の光景ね……」
『花に囲まれて死ねるんだ。むしろロマンチックだと思うけどね』
「申し訳ないけど、今日はもう『花』は間に合ってるのよ」
空に次々と打ち上がっては散っていく火花を見つめる。
まだ終わっていない。まだ間に合う。そうだ、まだ取り返しはつく。
『なら、せめて穏やかに逝け』
『狼』の口元が迫る。体温はないはずなのに、その吐息は心なしか生暖かい気がした。
あとはガブリと噛み付くだけ。それだけで、華奢な少女の体など飴細工のように砕けてしまうだろう。
だから、させない。
「悪いけど、勝たせてもらうわ」
『グローブ』の出力を最大励起。もう被害とか考えるのは後回し。
ただ私の全身に絡み付く『蔦』の全てを燃やし尽くすよう、その両手から炎を噴出させる。
ボォッ! と。
アパートの屋上に巨大な蝋燭のような火が灯る。
最初はアパート全面に広がる敵に照準を合わせずらかったが、わざわざ私の周りに密集してくれるとは有り難い。これなら炎を拡散させずに済む。
ブチ、ブチと『蔦』が焼け落ちる音が聞こえてきた。
もう待ってもいられないので、後は『グローブ』と『スニーカ』の力で一息に全てを捻り切る。ようやく解放された身体は、何だか以前よりも軽く感じられた。
『……なるほど、今までは手加減していた、ということか』
「別に怠けていたわけではないわ。出来ればこんなことはしたくなかった」
だって、せっかくの浴衣がボロボロだ。
焼け焦げてしまった箇所もあれば、端々には穴も空いている。
これでは楽しみにしていた広沢さんに申し訳ない。
『驚嘆だな。あの炎に全身を包まれていながら、火傷の一つもなしか』
まるで本物の獣のように、『狼』は炎から遠ざかるため後ずさりを始めた。
まあ確かに、植物で構成された生き物にとっては、炎なんて最悪の食い合わせでしかないだろう。
「一応、ウチのインテリ共が魂を削って作り出した一品よ。炎の拡散・延焼指定くらいは容易にこなしてくれるわ」
『随分と優秀な仲間が居るらしいな。しかしまだ勝利を確信するには早すぎるのではないかね? 君はまだボクの犬っころに傷一つ付けれていないんだぞ?』
「この間合いまで近づけた時点で勝敗は決しているわ」
その言葉を見せつけるように、私は駆け出す。
『狼』との距離はおよそ5メートルか。だけど、そんなことを考える暇さえ与えない。
だって、一歩だ。
叡智を凝縮させたシューズをもってすれば、数メートルなど『間合い』でも何でもない。一息さえ吐くことを許さずに、私の体は『狼』の眼前に迫る。コンマ数秒もあれば、片が付く。
『……ッ!』
ここでようやく『狼』が大きく口を開いたが、もう何もかもが遅い。
その口が私の喉元を噛み切るよりも早く、その『蔦』が私の全身を絞め殺すよりも早く、そも『花粉』が私の五感を侵すよりもなお早く!
必殺の拳が獣の顔面へと到達する。
その、はずだったのに。
『だが慢心は油断に繋がるよ』
ピシュッ、という炭酸が抜けるような軽い音。
気づけば私の体は大きくバランスを崩し、その場に膝をついていた。
「あっ、か、はぁ。あ……?」
『上手く呼吸が出来ないようだね。そりゃあ無理もない。なんたって、超高速で打ち出した「種子」が確かに君の左肺と心臓を貫いたんだからね』
じんじんと、遅れて左胸が熱を帯び始める。
『狼』にとってもかなり無理のある攻撃だったのか、心なしか植物の躍動が遅くなっているように見えるが、そんなことを冷静に考えられている頭は果たして無事と言えるのか。
とにかく、これで私の行く末は決まったようだ。
『ふむ。これで危険因子は排除できたわけだが、さてここからどうするか。あのツインテールの少女は君の訃報を聞いて憤るタイプの人間かい? だったら厄介だなぁ。できるだけ交渉で終わらせたいというのは本音なんだけどな』
「……」
『もう意識を失ったか。苦しむ少女を見るのが趣味というわけではないし、楽に死ねたのならこちらとしても嬉しいけどね。……ふむ、まあここは最悪を想定して、今のうちにエネルギーを補充しておくかね』
『狼』が眠りにつく。
四肢を構成する枝や茎が意思をもったように蠢き、夜空に光る花火へと葉を向ける。
もう私の動向には、一ミリも意識を割いていないようだ。
完全なる余裕。完全なる勝利宣言。
慢心は油断に繋がると、自分でそう言ったのをもう忘れたのだろうか?
『………………あ?』
『狼』の顔面を、私の右手が鷲摑む。
致命的なまでに思慮外からの攻撃だったのだろう。
断末魔を上げることすら間に合わず、一つの生命が終焉を迎える。
ボウッ、と。
揺らぎ一つまで計算された炎が、『狼』の全身を包み込んだ。
『──な、に!? なぜ、どうしてなぜ動ける! いやなぜ生きてる!? ボクの攻撃は確かに当たっていたはずだ! 胸に鉄板でも巻いていない限り、人間の生肌ごときで防げる攻撃では──!』
浴衣の上前を少し引っ張り、そこに取り付けてあるボタンを操作する。一瞬にして浴衣は小さく収納され、内側に身に着けていた制服が露わとなった。
『それ、は……?』
胸ポケットから、花の形をしたキーホルダーが一つ。
その中央に、潰れて砕けた『種子』が金属にめり込むように埋まっていた。
「せっかく貰ったプレゼントを、よくも壊してくれたわね」
『は、はは。なんたる幸運、なんたる奇跡だ。これだから不確定要素の多すぎるゲリラ戦は苦手なんだ。やっぱりもっと確実な成果を出せる才能のある人間こそが戦場に出るべきだ』
「こんなもの、奇跡でも幸運でもないわ」
そうだ。これはただの副産物に過ぎない。
本当の奇跡は。本当の幸運は。
もっとずっと前に起きている。
あの日。
空から少女が降ってくるという未曾有の大事件。
あの出会いがなければ、今の私の命は無かっただろう。
それだけではない。
その後も私なんかに寄り添い続けてくれた彼女の温かな歩み寄りが、今の私を形作っている。
「これは証明。どれだけ嘘と虚偽で塗れていようとも、私は広沢さんと確かに結びついている。あなたは、あなたが嘲笑ったこの『繋がり』に敗北するのよ」
『何度やっても同じことだ。この程度でボクが諦めるとでも?』
「そっくりそのまま返すわ。何度来ようが、私が諦めることはない」
『……これは、なかなかに骨が折れそうだね』
その会話が最後となった。
声帯を司っていた部分が燃え尽きたのか、スピーカーが故障したのかは分からない。ただジッと、静かに『狼』は燃え上がる炎の中から私を睨む。
その瞳すらも崩れ落ちた時、ようやく私は夜空を見上げた。
まだ花火大会は終わっていない。
「行かなくちゃ」
もう一度だけ、浴衣に着替え直す。
とっくにボロボロになってしまったけれど、『友達』とお祭りに行くなら、やっぱりこっちの方が相応しい。
目立つところだけ迷彩シールで穴を塞ぎ、もうこれ以上は時間をかけていられないと屋上の縁に立つ。こうして見渡してみると、なかなかの絶景だ。空と地を繋ぐように、地平線から花火玉が打ち上げられていく。そういえば、花火に使われる火薬は『星』とも言うんだっけ。地上に根ざす人間が銀河の輝きに憧れて、せめてもの火花を散らす。そう思うと、不思議と勇気が湧いてきた。
星はまだ遠く、その数も掴み切れてはいないけど。
それでも自分なりの星を打ち上げることだって許される。
だったら。今は思うがままに動こう。
色々と遠回りしてしまったけれど、なにも遅いというわけではないのだから。
トンっ、と。
軽い足音と共に、私は屋上から夜空へと飛び跳ねた。
☆☆☆
「とりあえず縛っておくね」
「抵抗できない乙女に放置プレイまで強要とか、加虐趣味の素質があるんじゃないですか?」
そんなことはない。ひとまずの形だけだ。
とりあえず少女の髪を結んでいたヘアゴムを拝借して両手首を後ろに縛ってはみたが、抜けだそうと思えばいつでも出来るだろう。
それでも大人しく捕まったままでいる理由は、実のところ私にもよく分かっていない。もしかして動物の本能みたいに、負けたら服従! という思考回路でも持ち合わせているのだろうか。
「……、本当に行くんですね?」
「もちろん」
「あの子と共に歩む道は、絶対に茨の道になりますよ。想像の100倍以上は苦難が待ち受けていることを保証してあげます」
「逃げ道じゃないなら、何でも良いよ」
未来でどれだけ辛酸を舐めるのかは、今は想像もできない。
涙を流しているかもしれない。悲鳴を上げているかもしれない。
神に祈ってるかもしれない。全てを憎んでいるかもしれない。
だけど、後悔はしてない自信があった。
相花さんに近づけるなら、相花さんの隣に立つためならば、私は全身全霊で茨の道を進んで行きたい。
「まったく、巻き込まれる身にもなってください」
「……よく分からないけど、何かごめんね。今度ジュース奢るよ」
「それじゃ足りないですね。今月末コンビニで新発売されるらしいシェイクで手打ちとしましょう。……、ああ、だから、もう早く行ってください。若者は面倒なゴタゴタなんか考えず、専門家にでも丸投げしてりゃ良いんですよ」
追い払うように少女がシッシッと手を前後に振る。
いきなり喧嘩をふっかけてきたような人だったけど、それでも一応は私のことを案じてくれていたらしい。とりあえず、最低限の感謝くらいは伝えようと思った。
「ありがと」
返事はなかった。期待もしていない。
私は二度と振り返らずに、手のひらから風を発生させて宙を舞う。
依然として相花さんの居場所は分からないけど、とにかく動かなくちゃ始まらない。
あの少女の口ぶりからするに、そんなに遠くではないと思いたいが……。
この闇の中から一人の少女を捜し出すなんて至難の業だろう。
そんなことは承知の上だ。それでもこれくらいの困難、容易にやってのけないと茨の道など歩めない。
だからもう蟻一匹だって見逃さないように、集中力を限界まで引き上げる。
しかしここで、予想外の事態が発生した。
「あっ、うぇ!?」
今まで順調に私の体を飛ばしてくれていた風の制御が、急に効かなくなり始めたのだ。
こんなことは今までなかったが、思い当たる節は色々とある。
「まさか『魔法』の使いすぎ!? ああもう、今までスタミナ切れるまで酷使したことなかったもんなぁ」
呑気に言ってはみるものの、結構な緊急事態だ。
『魔法』が扱えるからといって、私自身の肉体は普通の人間と変わりない。高所から落下すれば普通に痛いし、まじめに死ぬかもしれない。
無理矢理にでも風量を調整してみるも、それが更に事態を悪化させる悪循環。
慣れないことはするべきではないな、と猛反省。
「わ、わ、回る回る回る回るーーーー!!!!」
もう左右も天地も訳が分からなくなっていた。
せめて人の家の上には落ちないように努力してみるも、全ては水の泡。
どっちが夜空でどっちが夜景かも分からなくなってきた頃。
懐かしい香りが鼻孔をくすぐった。
同時。
ふわり、と。
頬の辺りが柔らかい何かに包まれる。
なんだか今となっては落ち着くような、日焼け止めの匂い。
「あなたは、いつも空から落ちてくるわね」
ドキリ、とした。
咄嗟にガバリと顔を上げると、どういう理屈なのかまだ空中。
花火の音はより強く。
花火の光はより近く。
確かにすぐ傍で咲いているはずなのに、今はそちらに目がいかない。
目の前で微笑む彼女に、意識の全てを奪われる。
「相花、さん……?」
「お待たせ」
「……もう集合時間、とっくに過ぎちゃってるよ?」
そう言うと、相花さんは穏やかに微笑んだ。
あれだけ会いたかったはずなのに、いざ彼女を前にすると、特別な言葉は何も出て来なかった。ただいつものように。ただ日常の延長線上に居るかのように。
浴衣がボロボロだ。傷もついている。髪も乱れてるね。
お互いに言うべきことはもっとあっただろうに、やっぱりそれら全てを無視して私達は普段通りの笑顔で言葉を交わす。
「そうだ。内美待たせてるんだ。早く行かないと」
「そうね。でも、もう少しだけ、この特等席で花火を見てみない?」
すぐ隣で、大きく咲き乱れるそれに視線を向ける。
肌と肌がぶつかり、熱が伝わる。
幻ではない。ホログラムではない。人形ではない。
本物だ。
確かめるように、手に触れる。手を握る。指も、ちょっとだけ絡めてみた。
空から見る花火は、やっぱり真ん丸だった。
「綺麗だね」
「ええ」
どん、どん、と花火が河川敷の方から絶え間なく打ち上がる。
その残響が体の中に染みいり、どくんと心臓を揺らした。そういうことにしておく。だってこんなに大きな鼓動、今はまだ、相花さんには知られたたくない。
だから。
何てこともないような表情で、再び彼女の顔を見上げる。
ちょっと赤らんで見えるのは、日焼けか、花火の色か。
赤。青。黄。白。
私の複雑な感情を表すかのように、花火もまた色を変える。
「なんだか祝砲みたい」
たぶん気のせいだけど。絶対に気のせいだけど。
今この時の瞬間は、私達のためだけにある気がした。




