祭り囃子は轟いて
★★★
ずっと待ち望んでいた光景は、最悪のタイミングで現れた。
赤。青。白。目に焼き付くような眩しい花弁が空に散る。
その輝きは星々の光なぞ置き去りにするほどに強烈で、鮮烈で、エネルギーに満ちあふれていた。それはもう、植物だって目を覚ます程に。
『おかげで、たっぷりと力を蓄えさせて貰ったよ。これで形勢逆転かな?』
「あっ、う、ぐぁ」
本当に、刹那の逆転劇だった。
勢いを取り戻した植物群は私の動体視力を凌駕し、思考が追い着くよりも早く無数の『蔦』で体の自由を奪い取る。おかげで、緑の匂いも濃すぎれば吐き気を催すことを学習できた。
「……私を殺さないの?」
『ボクとしては君を拘束しておくだけでも目的は果たせるからね?』
ギリギリ、と『蔦』が更に強く全身を締め付ける。
肺が圧迫され、思わず変な吐息が漏れた。
「今すぐ、離し、なさい」
『どうして君はそこまで広沢千尋に執着している? そりゃ組織は一枚岩とはいかないだろうけどさ。話を聞く限り、どうやら君は自分の都合で動いているように見える。もしかして、長年の親友同士だったりするのかな?』
そんな他愛のない質問が、小さく喉に引っかかる。
──そうであれば、どれだけ良かったことか。
『その沈黙は否定? であれば尚更納得がいかない。何が君をそこまで駆り立てる? 命を懸けてまで守る必要はどこにもないはずだ』
そうだ。そうなってくるから、深く考えないようにしていたのだ。
だって、理屈で語り始めたら絶対に私の行動は釣り合っていない。
意味がない。価値はない。即物的な利益もない。
深く掘り下げるほどに、理論武装は崩れていく。
だってこの気持ちは、きっと浅ましくて見苦しいものだから。
やがて反応の乏しい私に退屈したのか、『狼』から聞こえる音声は別の切り口を設けてきた。
『もし仮に彼女に対して情があるのだとしても、気にすることはない。数年の時を過ごそうが、「そちらの世界」にとって彼女は不純物。逆もまた同様に、どこまでいっても、広沢千尋にとって「そちらの世界」は自分の居場所ではない。作り笑いを浮かべ他者と同調することで馴染む努力はしただろうが、常に心の中では「理解できないもの」として君達を遠ざけていたに違いないさ。故に、君が彼女の友達だとしても、それは表面上の、仮初めの関係でしかないんだよ』
花火の音と共に聞こえる『狼』の戯れ言。
けれど、どうしても他人事のようには思えなかった。
ああ、そうか。
もしかすると、広沢さんの言葉が妙に胸に響いたのは、近しい悩みを抱えていたからかもしれない。……いや、そんなのはどうだって良いことか。そうでなかったとしても、彼女は持ち前の明るさで私の心の境界線を土足で踏み越えて来ただろう。
無遠慮に距離を詰めてきた知らない女の子。
初めて『友達』と言ってくれた同級生。
一緒に過ごした時間は、決して長いとは言えないけれど。
それでも彼女と出会ってからの夏は、私の人生の中で一番色づいていたように思う。
「……彼女と出会うまで、ずっと、淡々とモノクロの日々が続くのだと諦めていた。このまま大した感動も幸福もなく、自分の人生はセピア色にすらならずに朽ちてくのだと疑わなかった」
『……へぇ、大人だね』
その返答に、ただ首を横に振る。
「それは違う。そんなことはなかった。ただ私が目を閉ざして、最初から手を伸ばす努力をしていなかっただけで、ずっと子供にもなりきれずに大人ぶっていただけだった」
それでも。
これまでの自分が恥ずかしくなるほどに、今は世界が鮮やかに見える。
この感動は、絶対に誰にも理解されない。私だけの驚天動地の大革命。
だから、共感とか同意なんてものは求めていない。
ただ湧き出す感情に従い、自分の想いを加工せずに解き放つ。
「広沢さんは、意味もなく腐っていた私にまで手を差し伸ばしてくれた。彼女にそのつもりはなくても、確かにそれで私は救われた。だから助けたい。もっと一緒に居たい。もっと一緒に、世界を広げてみたい。もっと今を楽しんで、もっと夏を満喫して、明日に胸が躍るような日々を共に歩んでみたい。そんな贅沢を言っても良いのだと、彼女のおかげで、ようやく思えてきたのだから」
口から零れる、陳腐な願い。
当事者にしか分からない、自分本位の動力源。
本音はやっぱり小っ恥ずかしくて、あとで身悶えするかもしれない。
でも。もう私は、広沢さんに関することでだけは、嘘を吐きたくなかった。
それがずっと偽り続けていた私の、せめてもの贖い。
『だから何だと言うんだ。どうせ彼女も本心では君を見下している。己の優しさに酔っているだけだ。所詮は偽りの友達、偽りの繋がり。信じたい気持ちも分かるが、君はただ自己の確立を他者に依存しているに過ぎない。別に相手が広沢千尋でなくても、何の問題もなかったはずだ』
「……それ以上、私の『友達』を悪く言わないでくれる? とても不愉快だわ」
『……』
ギリギリギリギリ。
さらに『蔦』の縛り付けが強くなり、鈍い痛みで言葉を出すのも難しくなる。
最後通告と言わんばかりに、『狼』は簡潔な質問を発する。
『あの少女は君を騙していたんだよ?』
それは、そうなのだろう。
初めて出会った時も、次に出会った時も、何度出会った中でも。
あの明るい笑顔の裏に、彼女はずっと自分の本性を隠し続けていたのだ。
いいや、あの笑顔だって今にして思えば、彼女なりの仮面だったのかもしれない。
でも。
それを哀しいと思うなら、今度が私が同じように歩み寄れば良いだけだ。
難しいことはなにもない。やり方なら、もう充分に教えて貰った。
だから今ここで言うべき言葉は、たった一つに限られる。
呼吸が苦しくてもひねり出せ。この脳みそまで細胞壁で出来たような頑固な頭脳にも分かるように、明瞭簡潔な解答を。
☆☆☆
「──チッ。ここまでですか」
何度も何度も攻防を繰り返し、争った。
見かけによらず戦闘慣れしているのか、見たこともないはずの『魔法』にリアルタイムで対応しながら迫ってくる様は、本当に恐ろしかった。
だけど。ギリギリのところで。
なんとか敵の知力を私の未知が上回る。
空からは大量の水が降り注ぎ続けていた。
花火の音は止んでいないし、雨というわけでもなさそうだ。もしかしたら水道管か何かが破けたのかもしれない。そういった損害のほとんどは、『魔法』ではなくツインテール少女の謎技術に依るものだ。本当、今だって生きた心地がしない。
でも、勝った。
「こちらの武器は軒並み破壊されたかバッテリー切れ。いやあ、やっぱり『魔法』とか卑怯じゃないですかね? 手の平から風とか水とか雷とか出したい放題なんて、チートですよ。さすがは才能の塊ってやつですか」
「別に、これくらい普通だと思うけど」
ツインテール少女に馬乗りになり、その首筋に人差し指を当てる。
あとは僅かな電気を流すだけで、こちらの勝利は確実となるだろう。
……という脅しをしている。実際にそんな物騒なことをする度胸はない。
でもこうでもしなければ、こちらの質問には答えてくれなかっただろう。
「相花さんについて、やっぱり居場所は教えてくれない?」
「言ったところで、どうするってんですか」
「もちろん、すぐに会いに行く」
これまで殺意を剥き出しにしていた獣のような少女は、気づけば穏やかな人間らしい微笑みを浮かべていた。まあ、どっちの顔が素なのかは分からないけど……。
「さすがにアナタも気づいているはずです。相花未来には秘密がある。とてもとても根深くて、それこそ並行世界から来たアナタと同じくらいに誰にも言えない秘密が」
「そうだね」
そんなことは、言われるまでもない。
ずっとずっと、どこか相花さんは遠い場所に居る気がしていた。
最初はただの考え過ぎかとも思ったけれど、この少女が現れたことで疑念は確信に変わった。こんな尋常ではない戦い方をする少女と同じ世界に、相花さんは生きている。
どれだけ遠いのか。どれだけ場違いなのか。
興奮したままの頭では正常な思考なんて不可能だろうけど。
例え、相花さんが宇宙人でも地底人でも、世界を裏から牛耳る秘密組織の幹部だとしても、それは些細な話なのだ。
「それでも友達だってことに変わりはないから」
「脳みそハッピーパークですか。その友達って言葉にだって、もはや意味はないと思いますけど?」
「どういうこと?」
「だって、あの女はアナタに自分の本性を隠し続けているんですよ? この際だから教えてあげますけど、相花未来って名前も偽名なんです。彼女はアナタに、未だ何一つとして自分を開示していない」
髪から滴る雫が、ツインテール少女の頬を伝う。
しかし気にせず、互いに互いの瞳を真っ直ぐに見つめて、
「さてアナタは一体、どこの誰と友達になったんでしょうね?」
前提条件が覆る。
やっと近づけたと思っていた同級生は、まだずっと先に居た。
その事実に息を飲みそうになるが、寸前で留まる。
──いや、絶対に違う。
名前だけが、過去だけが相花さんの全てではない。
「……ここまで言っても、まだ折れませんか」
「全部が全部、嘘なはずがないからね」
冷たくも温かさを感じた不思議な少女。
初めて出会った時から友達になりたいと思った同級生。
少ない時間の中でも、相花さんは笑っていた。話していた。私達の時間の中で確かに生きていた。
その外殻が全て虚実だったとしても、相花さんから貰った喜びは全て本物だ。
それだけは間違いない。間違えない。
「誰が何と言おうが、私は相花さんと確かに繋がってる」
「その関係性も含めて、全てが嘘で出来上がっていたとしてもですか?」
建前。言い訳。見栄っ張り。
私にだって、いくらでも覚えがある。
でもそれは、何も特別なことではないはずだ。
どんな人間にも、誰にも言えない隠し事の一つや二つはあるものだ。
私達の場合、それが人より少し多いだけ。
そしてそんなことは、欠点にも欠陥にもなりはしない。
だってその方が、歩み寄る喜びも、分かり合えた感動も、人一倍大きくなるんだから。
人それぞれに個性があるように。
私達は、私達にしか築けない友達になれば良い。
だから今ここで言うべき言葉は、たった一つに限られる。
息が乱れていても言い放て。頭が良いくせして、そんな初歩で躓いているような小柄な少女にも分かるように、単純明快な解答を。
「もちろん、何の問題もない」
どこか遠くで、誰かの言葉と重なった気がした。




