祭り囃子は置き去りに
☆☆☆
こちらの世界が、特別安全というわけではない。
不審者の情報は時折出回るし、駅前や路地裏には不良だって居る。
女子高生一人にとって、それは十分すぎる脅威だ。
だけど、こちらの世界には『魔獣』という生き物が存在しない。森に炎を吐く熊は居ない。空に雷を放つ鳥は見ない。闇に溶ける猫は屋根の上を歩かない。
その点だけで言えば、『こちらの世界』は幾分か住みやすいのだろう。
魔獣。魔法を扱う獣。世界が変われば、やはり生態系も変わるのか。
頻繁に出くわしていたあの獣達には、もう何年も出会っていない。
だから、目の前の少女から放たれる殺気に、どこか懐かしさを覚える。
ああ、そうだ。自然に生きる野獣は、確かにこんな目をしていた。
「楽しくおしゃべり、という雰囲気ではなさそうだね」
「別にアナタにとっても悪い話ではないはずです。探し人も見つかるし、もしかすると故郷に帰れるかもしれませんよ?」
「……あなた、どこまで私のことを知ってるの?」
「そういう反応をするってことは、ビンゴってことですかね?」
口は災いの元とは言うけれど、この場合は沈黙すらも判断材料になってしまう気がした。
そもそも、私はこういう時に駆け引きをするのが得意ではない。ポーカーだって勝った試しがないのに下手に頭を使っても墓穴を掘るだけ。
ならば、今はもう形振り構わず口を開けよう。
未来とか過去の話ではない。今一番、絶対に叶えなければならないことは何だろう。
「そこに行けば、相花さんと花火を見られるの?」
「…………保証は出来ません」
「なら行かない」
自分でも驚く程の即答だった。
相手の危険度もまだ計れていないのに、何を口走っているんだろう私は。
目の前の少女も、やや意外そうな表情を浮かべている。
当然だ。そんな理由で会話を打ち切る人間は、たぶん世界中を探し回っても私くらいしか居ない。
「長い目で見れば、こちらに着いて来た方が得だと思いますけど」
「……生憎と、私は目の前のことしか考えられないんだよ。だから私に言えることはただ一つ。今すぐに相花さんをここに連れてきて。出来ないのなら、ここを通してもらう」
「何と言うか、想像以上に我が儘な人ですね。あの子が気に入るのも分かるような気がします」
何と言われようが、ここだけは譲れない。
もちろん『元居た世界』がどうでも良いわけではない。今だって、ずっと脳裏の片隅にこびり付いている。私の本当の居場所は『この世界』のどこにも無くて、どれだけ馴染もうと、所詮は異物でしかない。
だけど、同じくらいにここで交わした約束だって私にとっては大切なもの。
相花さんと約束した。一緒に花火を見ると。
内美と約束した。絶対に相花さんを連れて帰ると。
なら、今はそちらを優先しよう。
思春期らしく、愚かにもライブ感に決断を委ねよう。その方が、ずっと私らしい。
「さて、と。口で言っても分からないようであれば、やっぱり実力行使で誘拐する必要がありそうですね。あまり手荒にはしたくないんで、大人しくそこを動かないでくださいよー?」
そう言いながら、街灯に照らされたツインテ少女は準備運動のような動きを始める。屈伸、前屈、手足をパタパタ。一通り終わったのか、最期ピョンと一度跳ねた後、静かにこちらを見据えた。
「せめて一瞬で終わらせてあげます」
「……? それはどういう──」
質問をする暇なんて与えられなかった。
瞬く間に。本当に、瞬く間のことだ。
少女がコンクリートを軽く蹴った直後、その姿が視界から消える。
いいや、あまりの速さにこちらの焦点が追い着かなかったのだ。
理解も認識も、全てを置き去りにして結末のみが到来する。
「あ、え?」
どしん、と。
鈍い痛みが脇腹から発せられたかと思えば、私の体は近くにあった塀へと打ち付けられていた。
そこまできて、ようやく蹴られたのだと実感する。
「あっ、あぐっ!! が、あ、何、したの……?」
「あちゃー、今の一撃で脱力までは行くと思ったんですがね。やっぱり殺さないとなると加減が難しいですね。ほんと、無駄に苦しめちゃって申し訳ない」
答えになっていなかった。
ただ分かることは、彼女の一撃が常識外だったということだけ。
「まさか、あなたも『魔法』が使えるの……?」
「なるほど『魔法』ですか。これであのお花畑野郎の言葉に信憑性が出てきましたねぇ」
咄嗟に口を紡ぐが、もう遅いか。
相手がどこまで何の情報を知っているのか、いまいち掴めない。けれど今はそんなことを気にしていられる状況ではなさそうだ。
思いの外、頭はクールな状態を保てている。
幸いにも荒唐無稽な事態には経験があるからだろう。
突然知らない世界に飛ばされる一般女子が居るのだ。超高速で移動出来る小学生が居たって、なにも不思議ではない。
…………いや、さすがに心臓はバクバク鳴っているが。
「手荒いですけど、次は側頭部を狙うとしましょうかね」
「……年頃の女の子の体をボコスカ蹴らないで欲しいよ」
「そこは安心してください。私達の持ちうる限りのテクノロジーで元の状態に戻してあげますよ。なんなら、スキンケアもオプションで付けてやりましょうか?」
「あんまり化学薬品には頼りたいんだけどな」
「そういう偏見は早い内に捨てましょう」
またしても少女の姿が視界から消失する。
避けるとか受けるとか、それ以前の問題だ。対応なんて出来るわけがない。
けれど。
それならそれで、考える手間が省ける。
「おりゃ!」
手の平から、最大出力。
発生した風に身を任せ、私の体は上空数メートルまで一瞬にして吹き飛ぶ。
遙か下方から、石が砕けるような音がした。
状況から察するに少女の一撃で塀が崩れたのだろう。……いや、ちょっと威力おかしくないか? 普通に当たっていたら気絶どころか頭部が吹き飛んでいたのではないだろうか。
「うーむ、やっぱりまだ調整がピーキーですね」
「普通に考え無しか! うぎゃ」
クルクルクルクル。空中を回転していた私の体は、どうやらどこかの家のアンテナにぶつかったらしい。着物が破けるような音と共に、瓦屋根の上へと倒れ込む。
「それにしても、こちらの世界でも『魔法』は使えるみたいですね。あのクソ『花束』が嘘を吐いたのか、あるいは才能の片鱗というやつですか?」
「……何の事を言ってるの?」
「答え合わせですよ。あなたには関係ありませんので気にしないでください」
姿勢を正して、不安定ながら両足で立つ。
遙か下方から見上げる少女は全く動じていない。ただその手の平をそっとこちらに向けると、
「それと一応、射程範囲内です」
ボッッッッ!! と。
少女が装着していた『グローブ』を中心に柱状の炎が噴出する。頭で考えていれば、たぶん私は丸焼けにされていたかもしれない。
防衛本能とやらが正常に動いているようで助かった。
無意識に全身から『水』を発生させると、それを球状に展開して全身を包み込む。
「わ、わ、わわわわわ!!」
それでも熱と光は強烈で、呼吸も出来ないのに思わず口を開けてしまう。
フライパンに油を落としたような音がしたかと思えば、炎が虚空に消え、水の膜も水蒸気となって夏の夜空に溶けていった。
少しでも水量が足りなければ、一体どうなっていたことか。
考えるだけでも背筋が冷たくなる。
「風、水。何のテクノロジーも使ってねぇくせに、何ともお手軽に人智を超えてきやがりますね」
「…………お互い様じゃない?」
無理矢理にでも、不敵な笑みを作ってみせる。
未だに状況は呑み込めない。意味不明。理解不能。油断すれば怖さで涙がこぼれ落ちるかもしれない。
だけど、ここが踏ん張りどころだ広沢千尋。
あの少女は相花さんへと繋がっている。おそらく、私なんかよりもずっと深いところで。でも少女の言葉に従っているだけでは約束を果たすことは出来ない。
「何でそこまで意地になってるんですか。元居た場所に帰りたいと、一度くらいは思ったことがあるでしょう」
「……あなたの言葉には、何一つ確証がない」
「それはそうですけどねぇ。でもさすがに証拠なんて出しようがないですし」
「それに、今はもっと大切なことがあるんだよ」
仮に『元居た世界』に戻ったとして、それで全てが満たされるのか。
たぶんそんなことはない。
そりゃあ、いくらかの悩みの種は解消されるだろう。けど、それだけだ。
胸の内に燻るこの感情は、絶対に消えてなくならない。
良い加減、自分の心の中に耳を傾けてみよう。
ずっと押し殺していた想いは、気づかない間に大きくなってしまった。
それはもう、口から零れてしまうくらいに。
「こっちの世界にしか、ないものもあるんだよ」
「…………」
「例え『そこ』が私の生まれた故郷だとしても、全てを受け入れてくれる温かな世界だとしても、きっと『そこ』に私の友達は居ない。内美が居て、相花さんが居るこの世界こそが、今私が本当に『生きたい』居場所なの! だから! 皆との約束を守ること以外、今はどうだって良い!」
きっぱりと。
世界に爪痕を残すように叫ぶ。
その声を聞き届け、ツインテール少女は初めて表情を歪めた。
これまでの薄ら笑いが、わずかに苦渋に染まる。
「……やっぱり私が来て良かったですよ。こういう損な役目は、年長者が担当しませんとね」
「私はただ相花さんと一緒にお祭りに参加したいだけだよ」
「……悪ぃですが、こちとら、仕事優先ですので」
夜空の月を間に挟み、未知の少女は私の高さまで飛び跳ねる。
どういう理屈かは、もう考えない。
「一緒に花火が見たい? お祭りに参加したい? そんなちっぽけな事にムキになる必要あるんですか?」
「そんなちっぽけな事も達成できなきゃ、たぶん相花さんは私の傍から離れていく」
「……よく分かってるじゃねぇですか」
わずかに聞こえた舌打ちの音。
図らずとも、それが再戦の合図となった。
★★★
甲高く、空気が引き裂かれるような音がした。
球状に広がる『花束』から蛸の足のように揺れる『蔦』。
表面に微細な棘でもあるのか、掠っただけでも血が滲む。
『どうした? 守っていてばかりだと普通に死ぬぞ?』
遠隔操作でもしているのか、攻撃の一つ一つが計算高く先回りをしてくる。いつものように『グローブ』の炎を用いれば用意に焼き払えるのだろうが、さすがにここでは被害が大きくなり過ぎる。
そう思った矢先、背後の夜景に火柱が立ち上る。
「……あのツインテール、まさか住宅街であの規模の攻撃を!?」
敵対しているのは、誰か。
やめろ。分からないことを考え続けても物事は好転しない。一刻も早く広沢さんを助けたければ、今は目の前の敵の倒し方だけを考えろ。
幸いにも攻撃の音は止まっていない。
誰かが丸焼けにされた、ということは無いと思いたいが……。
『そちら側にも色々と事情があるらしいが、配慮をしてやる義理はない。こちらは何の影響も考えずに派手にさせてもらうよ?』
『蔦』からまた別の『蔦』が生え、葉がつき花が咲く。
それを幾重にも、幾重にも繰り返して形を崩し、もはや植物というよりは動物の域に近くなる。
最後に、いくつもの分厚い新緑の茎を乱雑に絡ませて構成された四つ足が、地面を噛んだ。
気づけば敵は『狼』のようなシルエットを象り、両目の部分に咲いてる椿がこちらを睨む。
ここに来て、新たな一手。
しかし恐れる必要はない。所詮は植物。あれだけ急速で無理な変形をするには、相当なエネルギーが必要なはずだ。
「そろそろ夜空の光だけでは限界なはず」
『わざわざ種明かしをすると思うか?』
そんな音声を垂れ流しながらも、『狼』は薔薇の棘を肥大化させたような牙を剥き、急ぐように私へと覆い被さってきた。だがいくら殺傷能力を上げたところで、機動力ならまだこちらの方が上だ。
『……ふん。素早いな』
「敢えて冷静な口調を保っているのは、追い詰められている証拠じゃなくて?」
このまま上手く進めば、間違いなく勝てるだろう。
やはり限界が近いのか、敵の動きは時間が過ぎるごとに遅くなっている。活動限界まで待つ必要はない。このまま行けば、すぐにでも『狼』の手数を私の素早さが上回る。
今はただ、その時のために体力を温存しておけば──。
「……いえ、そうじゃない。一刻も早くアナタを倒して広沢さんの所まで行かしてもらう!」
『させないと言っているだろ』
『狼』の全身から放たれる20本近くの『蔦』。
あるいは弾丸のように口から射出された無数の『球根』。
または背中から散布された視界を妨げる『花粉』。
どれにどんな効果があるのかは分からない。
一つ手を誤るだけで致命的な事態に陥るかもしれない。
けど。
だからどうした。
「はっ、あああぁぁぁあああああああああああ!!!!」
『ほう。真正面から全てに対処するか。もしや自分の命を軽く見るタイプの兵士か?』
『狼』は見透かしたような声で、見当違いの言葉を吐く。
そんなわけがあるか。
私は自己犠牲の精神とかいう高尚なものは持ち合わせていない。
だって、これは敵に勝つための最善の一手ではないのだから。
すぐにでも『友達』を助けに行くための、最短の一手なのだから。
生き抜くことしか、勘定には入れていない。
『……強烈な執念。思わず身震いしそうだ』
不規則な動きを見せる『蔦』を見分け、選別する。全部を避けることは不可能だ。棘のないものは避けずに受け流せ。妙な光沢のある『蔦』も何かしら危ない匂いがするので極力触れるな。『球根』は受け流した『蔦』をぶつけることで出来るだけ弾かせろ。それでも飛んで来たやつは『グローブ』を用いて受け止めろ。弾幕が大きかろうが、自分の体にぶつかる脅威にのみに意識を鋭敏化させろ。『花粉』は目に入れるのも鼻に入れるのも絶対に止めておけ。『蔦』を受け流した際の拳圧を利用して吹き飛ばせ。
脳で考えた命令を、ただこなすだけの機械と化す。
大丈夫。このまま行けば私が競り勝つ。
たぶん一気に力を使いすぎたせいだろう、相手の消耗が想像以上に早い。
「こ、れで、私の勝ちよ!!」
ついに『狼』の懐にまで接近する。
今のこいつの反応速度では対処は不可能。
勝利条件は全て満たした。ここから覆ることは、あり得ない。
だというのに。
『ふむ、しかし残念賞だ。どうやら勝利の女神はボクに微笑んだようだよ?』
負け惜しみにしては、自信に溢れた声音。
その意味を理解するより早く、夜空に変化が訪れる。
ボッ、と。
川辺の辺りが眩しく輝いたかと思えば、蛇のように細長い光が空へと這い上がる。
笛のような音を伴い、星々の中へと吸い込まれていくように。
「まさか」
そして。
煌めく夏の月夜に。
一輪の花火が、咲き誇る。




