祭り囃子を振り解き
☆☆☆
「おーい、そろそろ行かないと花火始まっちゃうぞー?」
人の喧騒に埋もれないよう、必死になって叫ぶ内美の声が聞こえた。
けれど、私の視線は彼女へと向かない。
「……」
「相花、まだ連絡つかないのか」
スマホの電源をつけ、見慣れたSNSを開く。
もう何度も同じ行動を繰り返しているが、結果は変らない。
着信なし。未読なし。こちらから送ったメッセージにも既読なし。
ただ、数分前に簡潔な報告だけは来ていた。
『少し遅れるかもしれないわ』
それから、もうどれだけの時間が経ったか。
約束を破られた、とは思わない。相花さんは意味もなく身勝手な行いをするような人ではない。短い付き合いだけど、それくらいの事は知っている。なら、少なくともこのメッセージを送った時には、一緒に花火を見ようと思ってくれていたはずなのだ。
たぶん、私の知らないところで何かがあった。
それがただの取り越し苦労であれば良いが……何だか嫌な胸騒ぎがする。
「おい、聞いてんのかよ広沢」
がしっと。唐突に肩を掴まる。
顔を上げれば、不機嫌そうな表情をした内美がこちらを睨んでいた。
「ああ、うん。ごめん。やっぱりまだ相花さんとは連絡つきそうにないや。うーん、交通事故とかに遭ってなければ良いんだけどね。まあ相花さんならそんな心配は要らないかもしれないけど」
あはは、と。歪な笑顔で明るく振る舞う。
そうだ。きっと、こんなのは何てことのない私の杞憂だ。考えすぎても始まらない。せっかくの花火大会、親友の思い出にまで迷惑をかけてどうする。
そう自分の心を落ち着かせ、暗い気持ちを押し込めながら、いつもの日常に戻るようにスマホをポケットの中へと片付けた。
「心配なのは分かるけど、もう場所取りに行かないと花火には間に合わないからなー」
「だね。打ち上げまでもう20分もないし。相花さんにはメッセージを入れておいて、私達は先に──」
「だからさ、あたしは先に行っておくよ」
ぱしん、と背中を叩かれる。
一瞬、何を言われたのか呑み込めなかった。その意味を咀嚼する暇すら与えず、すぐ隣に立った内美は、まるで当たり前のことのように言い放つ。
「お前は早く相花を探しに行ってこい」
真っ直ぐな瞳が、私を見上げる。
ウジウジとした気持ちを、いっそ嘲笑うかのように。
「いや、でも、それは」
「三人分のスペース確保くらい任せろ。お前は適当に相花と合流でもして、何か食べ物でも買って帰って来い。ああ、もちろん定番の焼きそばは忘れるなよ」
「………………うん」
そんな、素直ではない友人の言葉に、素直に甘えることにした。
本当は内美だって、一人になりたいわけではないはずだ。こう見えて寂しがり屋な性格なのは知っている。敢えて一人で花火を見たいなんて、まず思わないだろう。
でも、せっかく背中を押してくれたんだ。
ここで足を止めるほど、私は恩知らずな人間ではない。
「……なら、また後で!」
「おう。入れ違いになったら連絡するよ」
カランカラン。下駄は走りにくく、ちょっとだけ後悔した。
しかし迷いはない。後ろめたさもない。目的地だって、今はないけれど。
祭りに背を向け、花火を遠ざけ、夜の住宅街へと帰っていく。
そうだ。最初からこうしていれば良かったのだと、走り始めて気づく。
何も今日だけの話ではない。
元々、相花さんはどこか私とは違う世界に住んでいる人間だった。清楚なのに不良で、同級生なのに実生活も掴めない。いつの間にか消えてしまっていそうな不安定な存在。
たぶん、百回世界をやり直したとしても、彼女と友達になれるのは今この世界だけだろう。なら、何があっても手放すわけにはいかない。失敗とか遠慮とか考えずに、もっと自分から彼女の手を握りに行けば良かったのだ。それが例え、私の独りよがりだとしても。
「待ってるだけじゃ、駄目だよね」
闇夜に、強く呟く。
今できるのは、ただ走ることだけ。
近づいているのか遠ざかっているのかすらも分からない。
それでも。
「絶対に、一緒に花火を見てやる」
その声は、きっと届いていないだろうけれど。
★★★
高台ということもあってか、そこはとにかく風が強かった。
打ち付ける風の音が、なんとか私の意識を現実へと引き留める。
気づけばオウムのように、同じ言葉を繰り返していた。
「ひら、さわ……?」
『ああ、きっと同姓同名であるとは思うのだがね。茶色がかった髪をした比較的小柄な女の子だ』
震える目で隣の少女を見やる。
言われるまでもなく、既に情報精査を始めているようだった。
直後、耳元のイヤホンを通して合星さんの言葉が脳髄に響き渡った。
『当たりですね。広沢千尋。アナタが仲良くしているあの少女と合致します』
情報漏れを危惧して通信機の『内緒話モード』を介して報告をしたのだろうが、電子で編まれた音声はより一層その声を冷たく感じさせた。
「……」
ギリッと奥歯を噛み締める。
本当に悪い冗談だった。
広沢さんが事件に関与していることも、こんな形で下の名前を知ってしまったことも、全て嘘であって欲しかった。
だけど。
それが事実であるのならば、足踏みしているわけにはいかない。
まだ気持ちの整理はついていないけれど、挫けるには情報があまりにも足りない。
「……次の質問に移らせてもらうわ。あなたは、なぜその少女を取り戻そうとしているの? そんなに価値があるのかしら」
『当たり前だ。まだ己の力に無自覚なようだが、その才能は遺伝子にまで刻まれている。これを利用しない手はないだろう』
「才能……? スポーツ選手にでも育てるつもり?」
『はっ、馬鹿な。もっと実用的で万能的な才能だよ』
ひらひらと揺れる花弁が、私を嘲笑う。
その沈黙は『思考』だったのだろう。世界の常識を何も知らない幼子に、どこから説明すれば良いのか悩む時間。
けれど出てきた単語は、それでも私の常識をぶち壊すに足る威力をもっていた。
『魔法の才能、と言えば君達でもイメージしやすいかな?』
魔法。もちろん知っている。
お伽噺とかに出てくるアレだ。あるいは未開の科学。もしくは自然が魅せる人智を超えた力。未来人らしく『らしい』仮説を並べてみたものの、相手が言おうとしているのは、もっと違うニュアンスのような気がした。
そう。例えば。
本当の本当に、人の手で万能の奇跡を起こせる手段があるような……。
『否定したところで始まらない。ボクはそことよく似た『別の世界』から通信を投げかけているんだ。まあ信じるかどうかは、家に帰ってシャワーを浴びて、スッキリとした頭脳で考えてくれたまえ』
「並行世界ってやつですか。別に完全否定するつもりは無いですけど、眉唾ですねぇ」
合星さんが不審そうな目つきで腕を組む。
その反応も仕方がないだろう。私が生まれた未来でさえ、『別の世界』なんてものは思考実験の域を出ていないのだ。それだというのに、あろうことか『向こう側』から干渉してきた……?
不毛な考えだとは分かりつつも、プライドが邪魔をする。
だって、全て本当だと言うのであれば、テクノロジーを極めに極めた私達よりも、相手の世界の方が上のステージに立っていることになってしまう。
それでも、無駄に考えることに慣れてしまった私達は、自動的に頭の中で一つの仮説を組み上げていく。
「つまり、そちらの世界には私達の知らない技術体系……魔法があると?」
『はは、これは理解が早くて助かる。そうだ、君達が想像しているのとは少し違うかもしれないが、確かにボクの住む世界には『魔法』がある。なんなら義務教育のシラバスにも当然のように記載されているよ』
「で、例の広沢って少女にはその魔法に関する才能があるって感じですか。そこまで追い求めるってことは並の能力ではないんでしょう。まさかとは思いますけど、軍事利用でもする気です?」
『まあ、いずれはな』
あまりにも突飛なその言葉に思わず笑ってしまいそうになる。
だけどおかげで、思考を簡略化することは出来た。
全て真実として受け入れるか、全て虚言として突き飛ばすか、もう考えるのはその一点のみだ。
『だがまだ才能は覚醒していない。まずはじっくりと育てるところから始める必要があるだろうね。大抵、こういうのは根気と気力の勝負だよ』
「まだ開花していない才能を、どうしてアナタは知っているの?」
当然の疑問をぶつける。
こいつの説明は未だ穴だらけ。判断材料として用いるためには、もっと深掘りして濃度の高い情報を引き出さなければならない。それでボロが出れば反撃できるし、理詰めされてしまえば一考するための資料が増えるだけ。
どちらにせよ損はない。
そんな甘い考えがまだ私の内に残っていたのは、あまりの事態に正常性バイアスでも働いていたからだろうか。
だから身構えている暇もなかった。
世界の悪意というやつは、なんとも不意打ちが好きらしい。
『何も難しく考える必要はない。例の少女は、強大な魔法の才能を発現させられるよう、父親に設計されたデザイナーベビーだったというだけの話さ』
がつん、と。
鉄筋コンクリートで思考を殴られたかのような衝撃。
明滅。溶解。意識が白濁化する。
「…………は?」
『個人的な研究ってやつでね。父親本人は自分の我が子にただ『才能』を与えたかっただけなんだろうけど、それを野放しにするのは人類としてあまりに勿体ないだろう? だから目を付けたボクが有効利用してあげようと画策しているんだけどね』
自動録音機を起動させておいて良かったと、心から思う。
相手の言葉がまともに記憶野に入っていく気がしなかった。
反面、合星さんは冷静さを保ったまま新たな質問を口にする。
「その少女はどうして、こちらの世界に居るんです?」
『ボクが彼女の才能を利用しようとしているのが父親にバレてねぇ。さすがは魔法と科学の粋を極めた天才研究者。絶対に手の届かない場所として娘を並行世界に飛ばしやがった。いや、交換したと言った方が正しいのかな? ともあれ、「ボクの居る世界」に入れ替わりでやってきた広沢千尋は魔法の基礎すら知らない憐れな子鹿だったよ。まったく、これでは利用のしがいもない。上手くやったものだ』
聞いているだけで反吐の出るような話。
こいつの理念も父親の愛情も、どこか基礎的な部分が歪んでいる。
いいや、今はそんなこと、どうでも良い。
私の知りたい問題は、もっと他にある。
「そのことを、広沢千尋は知っているの?」
『……いいや、彼女はきっと何も知らないだろうね。自分の中に眠る才能も、親の愛情も、こちらの世界に送られて来た理由も。滑稽なことに、自身を何の変哲も無い女子高生と信じているはずだ』
その答えを聞き届け、小さく息を吐き出した。
──広沢さんは、私を騙しているわけではなかった。
そんな風に一瞬でも疑ってしまった自分に吐き気を催す。
それでも、あの笑顔が偽りでなかったと知れたのは、今日一番の収穫でもあった。
もちろん、嘘しか吐いていない私が言えた義理ではないのだけれど。
穏やかになる私の表情とは反対に、ツインテ少女はその目つきを吊り上げていく。
「総合するに、あなたの目的は広沢千尋ただ一人ってことですか。仮にその少女を引き渡せば素直にこちらの世界への干渉は終わりにすると?」
『もちろんだとも。魔獣を送り届けなければ魔法すら使えないこんな世界、ボクは一ミリも興味が湧かないからね』
「ふむ、なるほど」
その目が、まるで星のようにキラリと光る。
嫌な事に、それだけで彼女が何を考えているのかはすぐに察することが出来た。
「合星さん、あなたまさか……」
「いやぁ、状況的に一考の余地はあるでしょう。これからどう行動するにせよ、あの子はこちらで保護しておいた方が動きやすいはずです。交渉の意味も兼ねてね」
「本部への確認もなしに、そんな勝手なことを!」
「一秒ごとに状況が変化する現場ではアドリブも求められます。それに、あなたが私を止めたいのは徹頭徹尾、完璧な私情でしょう? どちらが身勝手な判断をしているかは明らかだと思いますけど」
これまで協力的であったから忘れていたけど、合星さんは決して私の味方というわけではない。ただの仕事上のパートナー。どちらかが少しでも職務の邪魔になると判断すれば、迷わず牙を向き合う関係。
だから、いとも簡単に対立した私達は、もう互いの意見に聞く耳は持たない。
「この話は妄想の域を出ていない。そんなことで一般人に手を出すというの……?」
「もし間違っていれば記憶処置でどうにでもなります。ここで後手に回ってしまう方が愚策だと思いますけど?」
「広沢さんは関係ない」
「それこそ妄想じゃねぇですか?」
既に情報漏洩などに構っていられる余裕はなくなっていた。
目の前の動かない『花束』よりも、明確な脅威が月光に照らされる。
「私は行きます。気にくわなければ、後でレポートに愚痴でも撒き散らしておいてください」
「っ、させると思うの?」
意見をすり合わせるだけの時間などない。
きっと、本当に合星さんは仕事のためなら何だってやるだろう。多少の倫理観くらいはあるかもしれないが、『未来の技術で治るレベル』の傷なら迷わず負わせる。
それを知っているからこそ、認めるわけにはいかない。
力尽くでも止める必要があった。
だというのに。
パシン、と。
合星さんの肩を掴もうとした私の腕を払ったのは、一本の分厚い『蔦』であった。
「…………まだ、動けたのね」
『どうやら話を総合するに、君達はボクのターゲットの居場所を知っているらしい。であれば素直に連れてきて貰おう。交渉にだって応じるさ。そのための通信機能なのだからね』
対立軸が、深まる。
刹那、合星さんは戸惑うような表情を見せたが、すぐにアパートの屋上から飛び降りてしまった。私がこの『花束』を消耗させれば一石二鳥だとでも考えたのだろう。効率化された脳みそは、そんな冷たい判断を一瞬でやってのける。
仕事上は、それが正しい。
私は間違っている。ずっと分かっていたことだ。
「私を止めるつもり?」
『どちらの意見がボクにとって有益か判断したまでだ』
『スニーカー』の調子を確かめるようにコンクリートの地面を軽く蹴る。
それを臨戦態勢と判断したのか、敵も『蔦』の数を幾重にも増やしていった。
もしかしたら、夜空の星々の光を長時間集めれば動くことも可能なのかもしれない。であれば、長話は悪手だったか。いや、今更そんなことはどうだって良い。やるべきことは定まっている。
そうだ。
この行動が愚かで間抜けで馬鹿な間違いだとしても。
「ならあなたを倒して、すぐに広沢さんを助けに行くわ」
あの温かな『友人』の日常を守るためなら、どんな罪だって受け入れてみせる。
☆☆☆
そして。
そして、どれだけ走ったことだろう。
息も乱れ、体温が高まり、思考も覚束なくなってきた。
そこまでしたのに、最期は何とも皮肉な結果。
あからさまな異常は、向こうの方からやって来た。
「よー、相花の『友達』ちゃん。ちょっと着いて来て貰いましょうか」
てく、てくと。
小柄な少女が住宅街の闇を縫って現れる。
その大きなツインテールが、街灯の白さを強調させた。
「……どこかで、会ったことある?」
「つまらない自己紹介は省略しましょう。こちとら一応、これから誘拐犯になる予定ですからね」
既視感の正体は掴めぬまま、少女はくすりと笑う。
危ない。進むな。踏み込むな。
そんな危険信号が全身から発せられるが、それら全てから耳を塞ぐ。
通常であればまず選ばない選択肢。
だけど。だけど今この瞬間だけは逃げ出すことは不可能だった。
だって、絶対に無視できない名前が聞こえてきたのだから。
「……今、相花さんって言ったよね?」
「この状況でそこを気にしますか。似たもの同士ですねぇ」
鼻では笑うが、その目つきから油断が現れることはなかった。
まだ人の息づかいが聞こえる住宅街。
疎らな光に照らされた小さな道路の最中にて。
対立軸が、もう一つ。




