祭り囃子はまだ遠く
山というには、人の痕跡が強すぎた。
木々は刈り取られ、コンクリートが包み込み、いくつものアパートが軒を連ねる。
耳に響くはテレビの喧騒。鼻につくはカレーの匂い。
そんな。
どこにでもあるような、高台に形成された団地のことであった。
「それで状況は?」
『今のところ、人を襲っている様子は無さそうですねー』
放射熱の籠もった夜風を切り、夜の色と同化したアスファルトに足を着ける。下駄からいつもの『スニーカー』に履き替えたおかげで少し蒸れてしまうのが難点か。
人の気配はそこまで多くない。大方、近隣の住民は花火大会の方へと引き寄せられているのだろう。
誘蛾灯のように眩しい『お祭り』は、こうして影の静けさを強調させる。
まあ、おかげで仕事がやり易くはなるのだけれど。
ポケットから小型の液晶端末を取り出し、マップを開く。
直後、自動的に合星さんが転送してくれた座標が赤い丸で示された。
「今回のターゲット、さっきから全然動いてないようね」
『ええ、本当に何を企てているのか見当もつきません。少しでも変化があれば思考パターンや行動予測もつけられて仕事が楽なんですが。うーん、今のままだと判断材料がなさすぎて何とも言えませんね』
「そういう時は考えられる中で最悪の事態を想定するものよ」
『えー、なら自爆とか?』
「それは確かに、最悪に物騒な花火になりそうね」
無駄口を叩いている間にも目的地に到達する。
アパートとアパートの間にある細い通路……いいや、通路というよりは裏庭か。滅多に人が来ないのか、端々から雑草やら苔やらが覆い茂っている。
幅1メートルもなさそうな小径。
雲の間から姿を現した月光が、その『異形』を映し出す。
「……花束?」
くっきりと、360度の球形であった。
大きさとしてはバレーボールくらい。しかしその表面に浮かんでいるのは青と黄色の鮮やかな模様ではなかった。
大量の花が、種類を問わず咲き誇っている。
向日葵、椿、牡丹、百合、朝顔、紫陽花、桔梗、杏……。
細かい色や種類まで数えたらキリがなさそうだ。
ともかく、一つ一つの花は綺麗でも、ここまで節操なしに密集していれば不気味さが勝る。花屋で売っているような花束を力尽くでボールの全表面に刺さない限り、あんな奇妙なフォルムにはならないだろう。地面に押し潰されている花弁など、もはや恐怖を通り越して不憫だ。
「……確かに外見は歪だけど、そもそも植物なら動かない方が自然なのよね。これ、抵抗しないのであれば今すぐに捕縛してしまっても構わないと思うのだけれど」
『それは同感ですね。石橋を叩いたところで橋の経年劣化を進めるだけです。慎重になりすぎず、ここは若さ故の勢いを利用してチャチャッと仕事を終わらせましょう』
ストン、と。
軽い音がしたかと思えば、すぐ背後にツインテールロリ(偽装)が捕縛用のロープを手にして立っていた。支給品のスニーカーさえあれば、アパートの屋上から飛び降りることなど肝試しにもならないらしい。
「そういえば前回送った『回収品』について、解析班から返答はあったの?」
「ああ、あの謎のノイズを発したカーネーションですか。それなら、ちょっと前に報告が来てましたよ」
合星さんはロープを脇に挟むと、スカートのポケットから小型の液晶端末を取り出した。ポチポチポチッと軽快な操作で未来から送られて来た報告リストを開く。
「あった。えーと、ふむふむ、なるほどなるほど」
「どうかしら? 一応、これまでで一番有益な情報を送ったつもりだけど」
「詳細不明とのことですね!」
「……解析班のインテリ共、現場職員の荒々しさを知らないようね」
「殴り込みは後々面倒ですよ? それに一応、丁寧に捕捉も入ってます」
合星さんは呆れ顔のまま報告書の新たなページを開いてみせた。
「受信していた電波の周波数や波長などは見当が付いているようですが、大元の発生源に不明瞭な部分が大きいみたいですね」
「電波の発生源? そんなもの、解析班ならログを調べればいくらでも追跡できそうなものだけど」
なんといったって科学の粋を集めた知識集団。
電波を受信した『時間』と『場所』さえ分かっていれば、あとはラプラスの悪魔的な再現性でいくらでも送信元を特定できるはずだ。時間にまで干渉できる技術がありながら、こんな原始的な逆探知が不可能とは言わせない。
「それが、既存の技術体系を入力しただけでは説明できない部分が多すぎるらしくて、もしかしたら意外と大事件なのかもしれませんよ、これは」
「よく分からないわね。つまりどういうこと?」
「例えば鉄と砂糖からカレーを作り出すようなもので、『結果は存在するけど過程がまるで分からない!』みたな。要は何もない虚空の分子から突如として人為的な電波が発生していたってのが解析班の最終結論らしいです」
ざっくりとした解答であった。
どうせ色々と考え込んだ結果、『情報不十分』として私達に投げ返してきたのだろう。
「……良いわ。それならもう一度、徹底的に意味の分からない情報を送り付けて、インテリ集団の脳みそをトリップさせてあげましょう」
幸い、未知の塊は目の前にある。
淡く発光するロープを手に、目を細めながら再び花束へと向き直る。
「…………あれ?」
途端。違和感が全身を襲った。
闇に紛れたその異形。しかしシルエットが先程より崩れていないか?
具体的には、そう……なんか蔦みたいな物が伸びているような──。
「やばっ! この期に及んで敵対行動とってきましたよコイツ!」
「でも何で急に。近づいた時には何の反応も示さなかったのに」
いいや。そうではない。
言葉とは相反して、脳の中では自動的にフローチャートが形成されていく。
これまでと今、明らかに違う部分はどこにあるか。
そも。
植物は一体、何をエネルギーにして生きていたか。
敵がどれだけ非常識だとしても、全ての常識を捨てるにはまだ早すぎる。
「まさか、ロープの『光』に釣られて活性化した!?」
「どちらかと言えば深海魚や蛾のような生態系ですが、生物が『光』に誘われるのはそう珍しいことではないでしょう」
急いでロープの電源を切るも、どうやら手遅れか。
既にエネルギーを蓄え終えた『蔦』が、こちらに向かって鞭のように放たれる。
「チィッ! 触手プレイはお呼びじゃねぇんですよ!」
吐き捨てると、合星さんは即座に右手に装着したグローブを起動させ、伸びてきた『蔦』を逆に摑んでみせた。あとは綱引きの容量。明らかに少女の力を超えた出力をもって、敵の体が逆にツインテール少女へと引き寄せられる。
「せいや!!」
空かさずの追加攻撃。
猛烈な勢いで迫る敵影を、私の『スニーカー』が蹴り上げる。
それこそボールのように、小気味よく宙を舞った『花束』は綺麗なアーチを描き、アパートの屋上へと到達した。
「ちょ、どこまで蹴り上げてるんですか!」
「思った以上に弾性があったのよ! ともかくロープから摂取した『光』程度のエネルギーなら、今の一撃で活動限界ではないかしら?」
アパートの外壁を蹴り、忍者のように屋上に到達する。
派手で目立つ花の集合体はすぐに見つかったが、やはり充電が切れたように動かなくなってしまっていた。先程までうねっていた『蔦』も、いまや力なくコンクリートの上に投げ出されている。
「さてと、どうします? ロープを起動させて近づけるとまた活性化しちゃうと思いますけど」
「無理に縛る必要はないわ。要はこいつを『光』に近づけなければ良いだけの話なのだから、適当な暗幕で包むだけでも問題ないはずよ」
「あー、そういや支給カタログの中に暗幕みたいなのありましたねぇ。可視光線を吸収するのではなく、あらゆる波長の光を相殺するとかいう奇天烈なやつ。本来は衆目を遮断するために用いるものなんでしょうけど、ここは現場判断で臨機応変に」
どういう理屈なのか、合星さんが端末を適当に操作するだけで目の前にカーテンサイズの『暗幕』が即座に出現した。ここまで突き詰めれば、もう科学というより魔法の域ではないだろうか。まあ、戦国時代の人にテレビを見せるだけでも同じ感想を抱きそうなものだが。
「この分なら、ギリギリ花火の打ち上げには間に合うかしら」
言いながら、二人がかりで漆黒のカーテンを広げていく。
しかし。そんなに悠長にしている場合ではなかったらしい。
最初の異変は、聞き覚えのあるノイズだった。
『ザ、ザザザジジジザザザザジジザザザバリバリ』
球形の花束が騒音を発する。
それだけなら既知の現象だった。いくら原理が分からないとはいえ、もう解析班には報告をしている情報。後でレポートにまとめておけば済む程度の話だ。
だから、私達が手を止めてしまった原因は、その後にある。
ノイズの音が止まり、うねり、一つの意味ある言語を形成した。
『ザザ……ジー……あー、ザザ、よしよし、ザザ、バリバリ、チューニングはこれくらいが適当か?』
「……おっと。明らかに人語ですけど、これどうします?」
「情報が引き出せる可能性は、大いにあるわね」
夜空の彼方に目を向ける。
どうやら広沢さんとの約束は、守れそうにない。
構わず『花束』は言葉を続けた。
雑音が鎮まり、それが男性の声であると理解する。
『あー、あー、視覚の感度も良好なようだな。こっちの言葉は届いているかね?』
「声質的に40歳前後? 機材があればもう少し精度の高い検証が出来るんですが」
「今は下手に動かないでおきましょう。相手の出方が気になるわ」
『ははは、きちんと意思疎通がとれそうで安心したよ。いやまあ、そんなに警戒しなくても良い。ボクの目的は君達とは全く関係がないからね』
しゃがれた声は、どの視点から投げかけられているのか。
今のところ敵対の意思があるようには感じないが、さてそんな直感にどこまで信用を置いて良いのだろう。
ともかく、言葉が通じるのであれば選択肢は格段に広がる。
遠慮することに意味はなく、単刀直入に核心へと手を伸ばした。
「……第一の質問として、あなた、何が目的なのかしら?」
『何だ、まだその段階なのか。悉くこちらの人工魔獣が打ち倒されていたから、そちらの世界にはよほど優秀な衛士がいるのかと思ったのだがなぁ』
何気ない台詞からでも読み取れる情報は意外と多い。
今の言葉からすると、相手側もこちらの手の内は分かっていないようだ。
「なら無駄に口を滑らせないように気をつけませんとね」
『そこは心配しなくて良い。さっきも言ったが、ボクは君達に興味があるわけではないんだ。今だって、話し合いで穏便に見逃してもらうために、こうしてわざわざ通信を試みているんだからね』
「前置きが長い。さっさと質問に答えなさい」
『はは、すまない。若者とはどうも時間感覚が合わなくてね』
ゴホン、という咳払いが一つ。
それだけで空気が静まりかえり、先程までの軽い雰囲気が拭い取られる。間を使うのが上手いのか、話の緩急が巧みなのか。いずれにせよ、決定的に場の主導権を握られたのは間違いない。
『こちらの目的はただ一つ。とある少女の奪還だ』
ニタリ、と。
顔もないはずなのに、その花弁が確かに笑ったような気がした。
「奪還……? その少女というのは誘拐でもされたのかしら?」
『そこは解釈が難しいなあ。無論、正義はこちらにあると確信はしているけどね?』
「なら今までの『未確認の生命体』は、誘拐された子を連れ戻すための道具だったってこと? そんな回りくどいことをせず、素直に警察にでも頼った方が早いのではないかしら?」
『何分、そちらの世界に干渉できるほどの技術はまだ実用化されていなくてね。警察に頼ろうが門前払いだろうよ』
いまいち要領を得ないが、音声自動レポートは起動させている。
検閲や読解は後回し。今はとにかく少しでも多くの情報を搾り取れ。
だから。
何の躊躇いもなく、私は話題の中心点へと踏み込んだ。
それが底なしの沼だということにも気づかずに。
「その、少女というのは?」
『ああ。君と同い年くらいの平均的な女の子さ。特筆すべきことは何もない。きっと何一つ変らず、そちらの世界に馴染んでいるはずだ』
一旦、そこで言葉は区切られた。
きっと私が本当に欲しがっている情報を知っているのだろう。知っておきながら、勿体ぶっている。比較的重要ではない情報を敢えて先に小出しにすることで、自分の言葉へ相手の意識を釘付けにさせようという魂胆。
分かっているのに、逃れられない。
気づけば、『花束』の言葉を待ち望んでいる私がいた。
やがて。
やがて、夏にしては珍しく冷たい風が頬を撫でたかと思えば、それを合図に電子音が再び声を奏でる。
直後に。あっさりと。こんなものかと驚くほどに。
人生における最大の転換点が襲いくる。
『名前は、ヒラサワ。ヒラサワチヒロだ。万が一にでも覚えがあれば、情報提供を求めたい』
ジリジリ、と。無意識に喉が干上がる。産毛が逆立つ。
灼熱の太陽に照らされたかのように、脳が眩暈を起こす。




