異世界に召喚されたけど勇者でも聖女でもなく教師ってどゆこと?
ルピアーナ帝国は西の大陸に君臨する巨大な国である。
肥沃な大地と恵まれた気候は農作物に恵みをもたらし、いくつも流れる河川は運河として人々を支えた。
そんなチート級の国にアルディン・フォン・グレデンターナという老師がいる。彼の知恵と知識量は世界一と称されるほどの御仁で、王子と王女の教師にと請われるほどだ。
そんなえらいじじいだが、研究に貪欲で好奇心旺盛なので後進育成に欠片ほどの興味もないし、むしろうっとうしさしか感じていない。
性根はいいのだろうが、好奇心と探求心が旺盛で「知りたい!」と思ったら、解き放たれたイノシシのごとく目的に向かって突進する。むしろそんな性格だからこそ世界一の知恵者になったのかもしれない。そしてそんな彼はこの世界の知識だけでは満足できなくなっていた。
それにはどうしたらいいかと不眠不休で考えた結果、
「そうだ!異世界召喚しよう!」
どこかに旅行するほど軽いノリで彼はひらめいた。
老師のコレクションのなかに召喚グッズがあったのが主人公の運の尽きだろう。老師は弟子が止めるのも聞かず、「鏡よ鏡よ鏡さん。識字率100%近い国から教師を召喚しておくれ!あ、王子の教師にもするから年の近い子がいい」と叫んだ。ちなみに、この世界の識字率は10%であるので、100%近い国というのはまさにチート級。
かなりの無茶ぶりを鏡に課していた。健気で社畜根性が染みついた古代秘宝の鏡は苦難の末に異世界から識字率ほぼ100%の国を探し当てた。
そこが日本である。
女子大生の荒田樹里は眠気を我慢しつつ、教室の後ろで立っていた。別に立たされているわけではなく、母校で教育実習としてきているだけである。
しかし、鏡はそんな事情などまったく知らず「ご主人様の要望通りの王子たちに年齢が近い若い教師だ!」と樹里を取り込んでしまったのである。
鏡は取り込んだ樹里をぺっとアルディンの私室に吐き出した。
「おー!!!思った以上に若い教師が来たのー!!!」
「なんじゃこりゃあああ!!!!!」
樹里の絶叫と老師の歓喜の声がこだました。
■
私は怠惰をこよなく愛する大学生、荒田樹里。
乙女ゲームの転生とか異世界召喚とかファンタジーは大好きだし、なんならゲームも漫画も買いまくってる。
だが、自分がなりたいとは一切思っていなかった。なにしろ私はめんどうなことが大嫌い&ものぐさなので「世界を救ってください」とか言われても過酷なの目に見えてるから絶対嫌だし、「あなたは聖女です。私と結婚してください」とかもゴメン被る。イケメンは好きだがそれはあくまで観賞用で、実際に生活なんてトラブルに巻き込まれそうで嫌だ。泥沼三角は高みの見物だからこそ楽しいんだぞ。
「いやー。古代魔法は使ってみるもんじゃのう。異世界の話はわしが今まで知りえた知識の中でも群を抜いて面白いわい」
私の目の前にいる豪勢な白いひげの老人は子供のような笑顔ではしゃぐ。今、私がいるのは彼の研究室らしく、20畳ほどの部屋の壁一面に書物がずらりと収納されている。所狭しと床に並べられている木箱にはいかにも怪しげな杖や水晶玉が山積みになっている。
「よろこんでもらってよかったですけど、用が済んだのなら日本に帰してもらえません?」
「いやじゃ」
「ふざけんなくそじじい。拗ねて許されるのは美少女と美少年だけだ。さっさと私を返しやがれ」
「お前さん。言葉遣いがわるいのう……?教育はともかく教養がなっとらんのはどうかと思うぞ」
目の前の老人に残念な子を見るような目で見られ、私はさすがにカチンとくる。いやいや私だって上品な対応できますよ?でもね?この状況でそれを貴様が求めんなや!
「いやいやいや。理不尽な目に遭わされても品行方正でいられるほどあたしはお人よしじゃねーんだよ。それにここにいたって私にメリットないんだよ。ギブアンドテイクどころかギブギブなんだぞ?」
「なるほどなー。わかった。それじゃあお前さんにわしの養女の身分をやろう。王族に次いで偉いんじゃぞ」
えへんと威張りながらなでる白いひげは色つやも良く、また着ている服装もセンスはおかしいが、上等に見える。
金持ちの子になるならいいかもしれない。
そうなると気分も高揚してくる。
「おじいさま。わたくし。極度のめんどうくさがりですの。お家に引きこもって暮らしてよろしくて?」
「いきなり口調と態度を変えてきよったな。引きこもりに関しては別に構わんぞ。異世界の話をわしに聞かせてもらうが屋敷から出ろとは言わん」
老人は私の態度に少々呆れていたが、あっさりと許可をくれた。
「うふふ。これからよろしくお願いしますわ。おじいさま」
■
口約束は書面と違って証拠がない。
すなわち簡単に反故にされてしまうのだ。
「屋敷から出なくていいって言ったじゃん!」
「王城にもわしの研究室があるからわしの屋敷の範囲内だとおもうの」
「じじいがぶりっこなんかするんじゃねえ!てかなんで私が王城に行ってガキの面倒見ないといけないんだよ!私は私の面倒見るのもだるいんだよ!」
「セルフネグレクトはいかんぞ。ちゃんとご飯食べて、風呂入って、ジョギングして、王城行って、ゆっくり寝なさい」
「さりげなくルーティンに王城加えるんじゃない!だいたい王家のガキの子守の依頼はじじいに来たんだろうが!私には全く関係がないっ!」
「いやいや。皇后さまからはお前でもいいって。それにあちらは一流のシェフがいるから最高級のお菓子と食事が堪能できるぞ」
老人の言葉に私の腹と舌が反応する。
私はおいしいものが大好きだ。辛いものだろうと甘いものだろうと差別はしない博愛主義者。
「まあ。おじいさま。そういうことは先に仰っていただかないと。オホホホ。もちろん行かせていただきますわ」
「お前さんならそう言うと思った。それじゃあ今日からよろしく!」
「え?今日から!?」
びっくりしているといつのまにか侍女がわらわら出てきてドレスを着せて化粧やらをし始めた。胸に激痛が走り、ようやくコルセットの存在を思い出した。これがあると思う存分食べれないじゃんかよ……。
■ ■ ■
「えー、こちらが第二王子ロディアン様、14歳です。こちらが第一王女エレーナ様、12歳でいらっしゃいます。王子様方。新しい教師のジュリア様です。アルディン様のハトコのイトコの孫でいらっしゃいます。あまりにも優秀なのでアルディン様の養女になられました」
侍従が事務的に王女と王子を紹介する。
ジュリア・フォン・グレデンターナというのがこの国での樹里の名前だ。一文字しか違わないので特に不自由は感じないが、ハトコのイトコってどんな関係だよ。ほぼ他人じゃないか。
なにしろ女官や城勤めの騎士も敬意より珍獣を見る目である。ひどい。
私が女官たちの視線に居心地の悪さを覚えていると、目の前の子供たちが口を開く。
「なんだ、思ったよりブスだな」
「本当ですわ。このあいだの教師の方がまだマシでしたわ。ねえ、ロディ兄上」
お前らには言われたくねえ……。
ちなみに王子はタテとヨコがほぼ同じの大福体型。王女はほっそり……というか真逆で鳥ガラである。厚塗りの化粧のせいで12歳と言っても信じられない。
この時点でジュリアはやる気がなくなった。
教えても話を聞かなそうだし、そもそも教師なんてめんどい。それに皇太子であるワルデガルドは温厚でいい奴だから国が傾くことはないからスペアの第二王子や継承権に関係ない王女なんてボンクラでも構わないだろう。
だが教えている振りくらいはせにゃならんとジュリアは教科書を開こうとした。
「んん?……なんかこの紙すっごくゴワゴワしてる?」
うまくめくれずジュリアがいうと、王子が腹をゆすって笑った。
「ワッハッハ。そういうときは指をなめるんだぞ。そんなことも知らないのか?」
ムカっとジュリアのこめかみに青筋が一本立った。
「皇族なのになんでこんな粗悪な紙しか使えないのが不思議だったのよ。アルディン老の持ってた本は触り心地が良かったから製紙技術がないってわけじゃないし」
時代劇だと毒が本に仕込まれていたというのが定番である。
「もしかして毒でも浸されてるかもねー。あはは……?」
ジュリアが言うと王子と顔が強張り、王女は心配そうに自分の兄を見た。
あからさまな変化にまさかと思って聞いてみる。
「……何。誰かから恨みでも買ってるの?」
小さい声で聴くと王子は小さく頷いた。
「こ、皇后は私を殺したいのだ……」
うつむいた王子は震える声で言う。
「私と兄上は皇后さまの子ではなくて母は皇后さま付きの女官なの。卑しい分際で皇帝をたぶらかしたとお怒りなのよ」
泣きそうな顔で王女は言った。
抱き着いて肩を震わせる二人の姿はあまりにも哀れで、そば仕えたちは目をハンカチで押さえている。
だが、ジュリアは首をかしげるしかない。
皇后と会ったことはあるが、義理の子供にもしっかりと教育を受けさせたいと考える賢母だった。殺したい相手に帝国一の知恵者を教師として打診するだろうか?下手すれば暗殺の仕込みがバレるだろう。
ジュリアは念のため聞いた。
「皇后に殺されそうって母上から聞かされてたわけ?」
「いや。母上はエレーナを生んだ後で亡くなられたのだ。教えてくれたのは母のように私たちを育ててくれた、乳母のリーアだ」
リーアの名前を口にしたとき、王子の顔は綻ぶ。
相当なついているようだが、今の話だと怪しいのは乳母だ。
筋書きとしては皇后に罪を着せて皇太子もろとも失脚させた後、皇太子となったロディアンの傍で権勢をふるう……といったところか。だって皇后にロディアンを殺す利点が全くない。皇太子よりも優れているとかだったらあり得るだろうけど、容姿も性格も学力も武術も平均にも満たないからなー。
基本、余計なことには口を突っ込まないのが信条のジュリアだが、王子に恩を売るのも悪くないと思った。
ジュリアはにこっと微笑みかけ、丁寧な言葉を使った。
「王子。私はアルディンの縁戚です。世界一の知恵であなたを脅威からお守りすることができます。あなたのことはさほど好きじゃないですが、私の言うことを聞くなら救ってあげましょう」
うさんくさいジュリアの言葉だが、根は素直らしいロディアンの顔色は明るくなった。
「ほ、本当か……?リーアはただの乳母で実家にも力がないから私を守れないと言っていたが、お前なら私を守れるのか……?」
「ええ。もちろん。それにエレーナ様もお守りしますよ」
「よろしく頼む!」
「お願いするわ!」
クソガキ二名はまるでジュリアを英雄かなんかのように尊敬のまなざしで仰ぎ見る。
おとなしくなったおガキ様を引き連れ、ジュリアはくそじじいの屋敷に戻った。皇后には「社会勉強のためしばらく外で生活させます」と連絡を送ったところ、たいそう心配していたが、くそじじいの屋敷は好奇心から作った投石器や自動で弓を放つ絡繰りがあるのでそれを伝えると安心したようで「あの子たちを頼みます」と頭を下げられた。この人絶対いい人だ。
なお、アルディンの屋敷は国中の泥棒から「あの屋敷に入ったら生きては帰れない」と警戒されているほどの防御力と攻撃力を誇るので、護衛騎士も快く送り出してくれた。
「さてさて王子王女さまがた。この屋敷で生活しますが食事は自分で作りましょう。まずは市場に買いに行くよ」
ジュリアは極度のめんどくさがりである。屋敷で用意させるにしても使用人は食事に神経を使うだろう。おもてなしするジュリアも疲れるだろうと考えた末、自分でできるようになりゃあいいんじゃね?という観点から、王子と王女に金を持たせて買い物に出かけた。
王子にちゃっかり荷物持ちをさせているあたり、ジュリアはそうとう酷い奴なのだが王子は違った。
「リンゴはこんなにも重かったのだな。果物を持ってくるのが遅いと女官を怒鳴りつけていたが……。改めねば」
「お兄様。私が使っている化粧品。普通の化粧品の10倍はしましたわ。そのお金があれば小麦が一樽ぶん買えるんですの」
しょんぼりと王女は言った。
「ん?化粧品がどうしたって?」
王女の言葉を耳に挟んだジュリアが尋ねた。ジュリアとて女子。コスメの話は興味がある。
エレーナは自分の化粧品について話した。良家の子女ならば使う品であり、今はジュリアも使っている。
「ははあ、なるほどねえ。(いいコスメは高いもんね。やりくりに悩むのわかるわあ)値段が気になるなら普段は安い奴にして式典の時だけ使うとかにすれば……」
ここでふと時代劇を思い出した。
昔の高級化粧品は劇薬の水銀や鉛が使われており、歌舞伎役者や花魁たちが中毒になって亡くなってしまうお話があったようななかったような……。そもそも水銀なんてお肌に悪いところが体に害悪である。
ジュリアは急いで屋敷に入り、火縄銃の研究をしていたアルディンにつめよった。
「おじいさま!あなたが買ってくれた白粉の成分って何!?」
「白粉といえば鉛に水銀と相場は決まっているじゃろうて」
「ふざけるなあああ!!!世界一の知恵者だったらそれがどれだけ身体に悪いか知っているだろーがああ!!」
ジュリアが突っ込むとアルディンはテヘっと舌を出した。可愛くもなんともない上にいら立ちが募った。
「ねえ、……安くて体にいい化粧品作ってよ。でないともう二度と元の世界の話はしてやんないから」
ジュリアがそう言うとアルディンは顔を真っ青にして
「そんな意地悪なことを言わんといてくれ!作るからあ!!!」
と必死なった。
三日後には米粉から作った自然派化粧品ができた。くそじじいはやはり天才なんだろう。
なお、この化粧品はエレーナ王女の御用達と都で評判になり、ルピアーナ帝国の主要な輸出品になった。後世の学者は「賢者ジュリアの白粉」と名前を付け、愛弟子の体を気遣った賢者ジュリアを讃えている。
■
ジュリアブートキャンプ七日目。
王子と王女は手先が器用らしく、このころになると美味いシチューとパンが食べれるようになってきた。
ジュリアの部屋の掃除をし、買い出しに出かけ、食事を作る彼らはまるでジュリアの召使のようである。しかし、彼らは「師匠には何か深い考えがあるからだ」と信じて疑わずにジュリアに尽くした。ちなみにジュリアは何も考えていない。
一か月も経つと日々の運動と健康的な食事のせいか、エレーナはほどよく肉がついた美少女に、ロディアンはすっきりとした細面の美少年になっていた。
「磨けば光る原石ってこういうこと言うんか……」
ジュリアはびっくりしたが、そういえば昔の美容法で「わざと血を抜いて色を白くする」というものがある。初期のエレーナが鳥ガラだったのもそのせいだろう。ロディアンは生活習慣を改善しただけで痩せれた。
美少年となったロディアンは膝を折り、まるで騎士のようにジュリアの前で深々と礼をした。
「ジュリア先生。あなたのおかげで僕は王子として立派になりました。筋肉もつき剣も思うように振れるようになりました。ありがとうございます」
金髪碧眼の麗しい王子様になったロディアンがジュリアの手をとって甲に口づける。
続いて絶世の美少女のエレーナが敬愛を宿した眼差しでジュリアを見つめる。
「ジュリア先生。わたくしたちは今まで皇后さまのことを誤解して、周りをすべて敵だと思い込んでいました。そんなわたくしたちをジュリア先生は諭してくださいました。これからは皇后さまに忠を尽くし、先生の御恩に報います」
エレーナが美しいカーテシーを披露する。
二人のキラキラする視線を受けながら、ジュリアは汗をかいていた。
── やべえ、私、なんもやってねえのに、純粋な眼差しがめちゃめちゃ痛い
この一か月、ジュリアは食っちゃ寝生活である。なにせエレーナとロディアンが身の回りの世話をしてくれるから好きに本を読んだり、鼻歌を歌ったりした。気が向いた時だけアルディンに元の世界の話をしたが、それは二人がいないときである。
二人が立派になったのは彼らが頑張ったからなのだが、王子と王女はジュリアが、民の暮らしを実践で教え、傲慢がいかに恥ずべき事かを諭してくれたと思い込んでいる。感激した彼らは彼女の教育法を一冊の本にまとめあげ、いつしか貴族の子女の必携本となった。
さらに皇后からは『賢者』の称号、皇帝からは伯爵位を賜ってでっかい土地と屋敷まで用意された。
アルディンが「頼むから転居せんでくれー。お前の話が聞きたいんじゃー!」と縋ったため、新居にうつることはしなかった。
するとロディアンがこう言った。
「ではあの屋敷を私塾の学び舎とすればいかがでしょう?先生の偉大な教えは私たちで独占していいわけがありません。先生の知識と知恵を私とエレーナが街の子供たちに伝えます」
と真っすぐな瞳で言い、エレーナも頷いた。
ジュリアはキラキラ攻撃に心が折れそうになりながら、言いたいことは主張させていただいた。なにしろジュリアは物欲の権化である。
「まあ、アンタたちの言いたいことはわかったけどさ、タダってのはどうかと思うんだよね」
ジュリアの主張を、ロディアンとエレーナは「勉強を教えるだけではなく、経済観念も身につけさせろ」と誤解した。
ロディアンとエレーナは学業の傍ら、学生にお菓子を作らせた。名前は「ハバーネ」というジャガイモをトウガラシで味付けしたものである。これはジュリアが「暴君ハバネロ食べたい」と突然言い出し、ジャガイモに赤唐辛子をまぜてオーブンで焼いて食べたものに由来する。
お菓子といえば「甘いもの」が定番だったこの国で「ハバーネ」は味の革命だった。
私塾の子供たちはハバーネを売ってお金を儲け、その半分を授業料としてロディアンとエレーナに払い、それはまるごとジュリアに渡った。
ジュリアは食っちゃ寝しながらでも家賃収入が定期的に入るようになった。
10年後、ある大商人が語る。
「ハバーネを作って売ることで商いに必要なことを学びました。直接教えをいただかずとも、賢者ジュリアは私の師です」
大商人となったロディアンの愛弟子は、もともと札付きの悪ガキだった。暴力にまみれ、スリや盗みを生活の糧とした彼をエレーナが手当てして彼の荒んだ心と根気よく向き合い、ロディアンが丁寧に勉強を教えた。
はじめは反抗していた彼も二人の真摯な気持ちに触れ、やがて人徳にあふれた商人となった。
ここでもまた賢者ジュリアの名声は広がり、かの屋敷の名前は「賢者の館」と呼ばれるようになった。
■
皇太子ワルデガルドとジュリアはあまり関わり合いがない。
何しろ彼は専用の宮殿を持ち、武術から礼儀作法などやることが多すぎで王子や妹たちの住む宮殿に中々来られないのだ。
そんな彼は宰相の娘のガートルードを婚約者にあてがわれており、式典で隣同士で座っているのをよく見かける。
だが、政略結婚なんだなあというのがよくわかるほどすごく仲が悪い。皇太子の名誉のために言うが、彼は一生懸命歩み寄ろうとしているのにも関わらず、ガートルードの性格がすごく悪いのだ。
いずれ破談だなとジュリアは高見の見物を決め込んでいた。
なお、皇太子の家庭教師としてジュリアが請われたこともあったが、めんどくさがりのジュリアがやるはずもなく、古今東西の格言を適当に書いた紙を束にして送り、「この言葉から学んでください」と送った。
ちなみに書いた内容は、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」「塞翁が馬」「泣いて馬謖を切る」、「青田買い」などとジュリアがその時に浮かんだ単語である。
一年後、皇太子は国立学園に通いだした。同い年のガートルードも通っているらしく、色々と騒ぎを起こしているらしい。
そんなの知ったこっちゃないジュリアは相変わらず食っちゃ寝生活を満喫していた。
しかし、あるとき宰相がジュリアを訪ねてきた。
「賢者ジュリア。どうか我が娘をお導き下さい。このままでは皇太子さまから婚約を破棄されてしまいます」
ひれ伏さんばかりに帝国の宰相がジュリアの前で懇願する。隣の夫人も美しい顔を涙でぬらしてジュリアに縋った。
だが、ジュリアはめんどうなことが嫌である。
「これ絶対に騒動になるし、ヤダなー」と思ったジュリアはどう断ろうかと一生懸命考えて、他人に丸投げすることにした。
「宰相閣下。私ではなく皇后さまにおすがりするべきです。私ではガートルード嬢のためになりません」
未来の義母に任せればいいじゃんとジュリアは真面目な顔で切々と説いた。
宰相はジュリアの言葉を大事に抱え、わがまま放題の娘にこう言って聞かせた。
「お前はいずれ皇后になるのだ。宮殿に女官として皇后さまにお仕えし、温厚さと慎ましさを身につけなさい」
ガートルードは不服だったが、皇太子に嫌われたくはないため素直に従った。皇后付きの侍女となった彼女は気が遠くなるような忙しさに目を回した。女官のいさかいを温情と正義で裁き、御婦人方の茶会に出席しては各地方の情報をさぐっては皇帝に知らせる。
いつしかガートルードの傲慢さはなりをひそめ、皇后の片腕として生来の優秀さをいかんなく発揮していた。皇太子との仲もよくなり、談笑する姿を目にすることになった。
ガートルードの改心は皇后の指導によるものだが、その助言はジュリアから齎されたもの。宰相夫婦はもとよりガートルードもジュリアを崇拝し、何かと贈り物が届くようになった。
ところで、ジュリアは杏子が大嫌いである。
小さいときに姉に「杏子を食べ過ぎると顔が黄色くなる」と聞かされて以来、食べられなくなったのだ。ちなみに当の姉はすっかり忘れてるのだから酷い話である。
なお、この国では杏子は遠い東の国から届けられる高価な食べ物である。ガートルードはその貴重な食べ物をジュリアに送っているのだが、そんなことを知らないジュリアは貰った杏子を賢者の館に寄贈した。
たびたび送るのがめんどくさくなったので、直接賢者の館に送ってくれとガートルードに伝えたことで、ガートルードとロディアン、エレーナは友好を深めていった。
■
あいかわらずジュリアは食っちゃ寝食っちゃ寝と堕落した生活を謳歌している。
だが、世間はわりと大変そうである。
ガートルードが平民を突き飛ばしただの、皇太子がガートルードを罵っただの、騎士団長の息子が学園で刃傷事件を起こしただの、騒動づくめであった。
だがジュリアはまったく関わり合いのないことなので食っちゃ寝食っちゃ寝生活を楽しんでいた。
ジュリアが朝起きると使用人の騒ぎ声と騎士の大声が耳に響いた。靴音がジュリアの部屋に近づいたかと思うと、扉をものすごい勢いでけ破られ、数人の騎士がジュリアの部屋に乗り込んできた。
「ジュリア・フォン・グレンターナ。人心を惑わした罪で皇太子の命により捕縛する!」
「はあああああ?!」
「抵抗するなら無理やりにでも連れて行くぞ。俺は女にも容赦はせん」
大剣を携えた若い男がぎろりとジュリアを睨んだ。
彼の顔からはジュリアに対する憎悪が見受けられる。
まったく身に覚えがないが、これは下手に反抗しない方がいいと思ったジュリアは素直に従った。
ぶち込まれた牢は三方を鉄の板ではめ込まれ、鉄格子は手を入れるのがせいぜいの隙間しかない。まるで重罪人用の檻である。
「クソ皇太子め……私が何をしたっていうんだ……。もしかして他勢力のたくらみか?」
ジュリアがぶつくさ言っていると、「先生!」と甲高い声が廊下の奥から聞こえた。駆けてくる音が二人分したかと思うと必死の表情をしたエレーナとロディアンが現れた。
彼らは格子にしがみつくと泣きながら言った。
「先生。我が兄がこのような振る舞いをして申し訳ありません……!兄はフレデリカに会ってから変わってしまったのです」
「先生を捕えた騎士はお兄様の友人で騎士団長の息子ですの。彼もまたフレデリカに……」
おいおい泣くエレーナをなだめながらジュリアは頭の中が真っ白である。
「フレデリカって誰?」
恨みを買った覚えはないぞ。
「フレデリカは平民の娘です。優秀なので特待生として国立学園に入ってきました。生徒会の一員として兄上とも友好を深めていたのですが、いつしか彼女に好意を持ったらしく、騎士団長のゼロイル、法務大臣子息のターナ、裁判長の子息のゲルンもフレデリカとともに寵愛を競うように彼女の機嫌を伺うのです」
情けないと言わんばかりにロディアンは項垂れる。
「お兄様は変わってしまわれました。ロディアン兄さまには『お前は私を陥れて皇位を狙っているのだろう』と罵りますし、私には『フレデリカをいじめるつもりだな』と激昂なさいます」
「へえええ……。フレデリカって娘に入れあげちゃったのね……」
大事な妹と弟をそこまでこき下ろすとは皇太子は正気じゃないのかもしれない。というか疑心暗鬼にさせて互いを敵対させるのって離間策っていうんだっけ。もしかしてなんか裏があるかも?
ジュリアがいろいろ考え込む間も、エレーナとロディアンがグスグス泣く。
「先生。どうか兄をお助け下さい」
「お兄様は誰よりも高潔で優しい方なんです。どうか目を覚まさせて下さいませ」
ロディアンとエレーナが懇願するが、ここまでされて「ハイ助けます」なんて言えるほどジュリアは人間ができていない。
「いいえ許しません。絶対に」
底冷えするようなジュリアの声にロディアンとエレーナは悲しそうに俯いた。優しくて温厚な師がここまで言うのだから、皇太子は取り返しのつかないところまで来ているのだろう。
「先生に従います」
「なんなりとお申し付けください」
従順にかしずいた王子と王女を見てジュリアはすごくビビったが、それよりも皇太子に対する怒りの方が強かった。
どう仕返ししてやろうか。
それにしても気になるのはフレデリカである。高スペック男子を落としまくるなんてどこのサークルクラッシャーだろうか?
あの手の輩は男に権力がなくなったらすぐ捨てるんだよな。フレデリカに振られた方が皇太子は痛手だろうと考え、ジュリアは皇太子の身分をはく奪する方向で動いた。
牢から出れないのでロディアンにしたためた上奏文を皇帝に届けてもらうように頼んだ。中身は「兄弟の師匠を裁判もなく投獄するような皇太子を皇帝につかせるおつもりか」をオブラートに包みまくったものである。
皇帝はロディアンから上奏と嘆願を受けると、すぐさま勅命を出して皇太子を廃嫡した。もちろんジュリアは皇帝直々に謝罪を受け、放免されて堂々と屋敷に戻った。
懐かしの我が部屋に戻り、ふかふかの布団でごろ寝したジュリアは、フレデリカのことを考えていた。実行犯はバカボンだが唆したのはあの女だ。ワルデガルドは廃嫡したが、あの女はいまだにノーダメージである。
断じて許せない。
グツグツと腸煮えくり返っているところに、ロディアンがお菓子と花を持って釈放祝いに駆けつけてくれた。
久しぶりに明るいところでロディアンを見たが、日々鍛えているため体は引き締まり、健康的な食生活のおかげで肌はつやつやの超絶美少年になっていた。顔良し、頭良し、性格良し、さらにワルデガルド廃嫡により皇太子になることが確定している。このスペックならフレデリカも手を出さずにはいられないだろう。
ジュリアは頭の中でほくそえんだ。
しかし、ロディアンには教師然とした落ち着きのある表情を見せる。
「私がこうしてシャバ……釈放できたのはあなたとエレーナのおかげよ。本当にありがとう。立派になってくれて本当にうれしいわ」
「これもすべてジュリア先生のご指導のおかげです。これからも未熟な私をどうかお導き下さい」
「ええ、もちろんよ。では改めてあなたに忠告します。あなたの兄上、ワルデガルド様が廃嫡となった原因のフレデリカは、いずれあなたにすり寄ってくるから気をつけなさい。もし、少しでもフレデリカに心が動かされそうになったら私のところに来なさい。守れるわね?」
ロディアンは「絶対になびいたりしません!」と豪語していたが、一週間後にジュリアのところに来た。想像以上に早くてジュリアは飲んでたコーヒーを吹いた。
ロディアンは真剣な目でジュリアに訴えた。
「先生はフレデリカを誤解しています。兄上が勝手に勘違いして暴走しただけで、フレデリカはジュリア先生を貶める意図はありませんでした。彼女は優しくて健気で本当に素晴らしい女性なんです」
と一生懸命にフレデリカを擁護し、あまつさえフレデリカと結婚するにはどうしたらいいかと相談してきた。
ちょうどエレーナと賢者の館の運営についての話を聞いていたので部屋にはエレーナもいたのだが、彼女は虫けらでも見るような目で自分の兄を見ていた。ジュリアも一瞬そうなりかけたし、ふざけんなと怒鳴りたかったが、障害があるほど恋は燃え上がるものなので強引に言っても反発されるだけである。
ジュリアは怒鳴りたくなる気持ちを抑え、「私は女優」と言い聞かせて聖母のごとき微笑みをロディアンに向けた。
「まあ、フレデリカさんはそんなに素敵な女性だったなんて知らなかったわ。誤解してごめんなさいね」
と返した。
ロディアンの顔は喜びに満ちて、フレデリカとどんな話をしたかとか、どんなに優しくて美しいかをジュリアに話して聞かせた。
コーヒーが冷めきったころ、ロディアンが「すみません。フレデリカと約束があるので」と晴れやかな笑顔で退室した。
エレーナは閉まった扉を睨みながら、
「先生。フレデリカは悪女だと思います。だって……!」
「あなたの言いたいことはわかっているわ。今回は私たちの負けよ。潔く引きましょう」
口ではそう言っているものの、投獄された恨みは未だくすぶっている。ジュリアはどうやって落とし前をつけようか一生懸命考えた。
■
「ねえ、エレーナ。私、フレデリカさんと仲良くしてみようと思うの」
突然のジュリアの言葉にエレーナは真っ青になった。
「そんな……。ジュリア先生まであの女にほだされたんですの?あの女のせいでワルデガルド兄さまは廃嫡、ロディアン兄さまは勉学を放り出して女と遊びまわっていますのにっ!」
エレーナの言葉は悲鳴に近かった。
「落ち着いてエレーナ。敵を知り、己を知れば百戦危うからずよ。フレデリカに近づいてあの女がどんな考え方をしているか調べ、弱点を探して即刻仕留めましょう」
「さすがジュリア先生ですわ!」
エレーナはほれぼれとした目でジュリアを見つめる。
計画の第一段階としてジュリアとエレーナはフレデリカに友好的に接した。めずらしい品や高いものが手に入るとフレデリカに送ったり、まるで未来の皇后に接するようにした。
そうするとフレデリカも気を良くしたのかジュリアとエレーナに表面上は優しくなった。そんな生活が一か月続いたころ、騎士団長の息子がジュリアに謝りに来た。
「ジュリア殿。あなたに無礼を働いてすみませんでした。あなたはフレデリカを大事にしてくれるいい人だ」
「まあ、ゼロイン様。お気になさいませんよう。オホホホ」
にっこり笑顔で対応するが、腹の中は恨みでいっぱいで、「貴様にもいつか復讐してやる。絶対にな!」と思っているが、ここで尻尾を出しては悲願が達成できないのでしかたなく大人の対応に徹した。
ニコニコ笑ってフレデリカをおだて、ロディアンののろけ話を相槌を打って聞き、まるで自分がホステスかキャバ嬢になったような気になる。
だが、苦労のかいもあってフレデリカに一泡吹かせる策を思いついた。
ジュリアは皇帝に謁見を申し出て、涙ながらに語った。
「皇帝陛下。恐れながら申し上げます。すでにお聞き及びでしょうが、第二王子殿下の思い人でいらっしゃるフレデリカ嬢は美しく、交渉ごとにたけている方です。早急に結婚させ、外交を担わせると良いかと」
「ジュリア。賢いそなたにならフレデリカの本性がわかっておろう?あやつはロディアンの地位にしか興味がない醜悪な女だ。なにゆえロディアンと添い遂げろと申すのか」
皇帝はジュリアに尋ねた。
彼女のこれまでの功績から、皇帝はジュリアを稀代の天才だと思い込んでいる。それゆえ。ジュリアがこうまで言うのなら何か理由があるのかもしれないと、ジュリアの話を拒絶できないでいる。
「ジュリア殿!フレデリカ嬢は身分が低く王子殿下のお相手に相応しくありません!何よりあやつは我が娘を愚弄し……!」
宰相は断固として反対を叫んだ。彼の娘はフレデリカにさんざん陥れられたのでこの反応は当然だ。フレデリカを恨みに思うのはジュリアだけではない。
「宰相閣下。お心を乱すような申し出をしたこと、お許しくださいませ。ただ私は王子殿下にフレデリカの本性を知ってほしいのです。結婚してからわかることも多いでしょう。正式な結婚式はなくても構いません。紙の証明書だけでよく、司教様の承認は結構です」
皇帝はジュリアには何が策があるのかと考え、あっさりと許可をした。宰相は渋い顔をしていたが、ジュリアには恩があるので特に何も言わなかった。
こうしてフレデリカとの婚姻を許可されたロディアンは狂喜乱舞してジュリアにお礼を言った。
ゼロインや他の子息は悔しそうに歯を噛んでいたが、相手が王子では引き下がるしかない。フレデリカにも異論はないそうでトントン拍子に結婚は執り行われた。
事件はそこで起こる。
フレデリカは盛大な結婚式ができると張り切ってドレスをロディアンにねだったが、「僕らは式を挙げれないよ」という答えに茫然とした。
「どうして?あなたは皇太子になるのでしょう?次期皇帝が結婚式を挙げないなんておかしいわよ」
「ああ。君と結婚する条件が皇位と挙式をあきらめることだったんだ。でも心配しないで結婚証明書はちゃんと発行されるから僕たちは夫婦だよ」
ロディアンの答えにフレデリカは真っ赤になって激昂した。
「どうしてよ!?あなたが皇帝にならなきゃ誰がなるっていうの?もしかしてあの頭でっかちのエレーナ?王子はあなたなんだから奪い返しなさいよ!」
「お、おちついてよフレデリカ。皇位はエレーナか兄上のどちらかが継ぐことになる。兄上は廃嫡されたが、功を立てればその地位に就くことを許されたんだ」
ロディアンが説明するとフレデリカはぱちくりと瞬きし、さっきまで吊り上げていた眼が元に戻る。
落ち着きを取り戻したフレデリカはにっこりと可憐な笑みをロディアンに向けた。
「ごめんなさい。ロディアン。つい取り乱してしまったわ。ところでワルデガルドは今どこにいるのかしら?」
「……なぜ兄上の居場所を聞くんだ?さんざんいじめられて振り回されたと君は言ったのに」
「酷い人だったけど私が支えてあげないと生きていけない人なのよ。あなたは素晴らしい人だから大丈夫でしょう?」
「……兄上のそばにはガートルード嬢がいる。すでに結婚されてむつまじく暮らしているから君の心配はいらない」
「まあ!ロディアン。ガートルード様がどれだけ酷い方かあなたは知っているでしょう?さんざんいじめられて怪我もさせられたのよ」
「でも兄上に一途だった。廃嫡されて地方に飛ばされた兄上についていったのは彼女だけだったよ」
ロディアンは悲しい顔で言った。
フレデリカの豹変ぶりが恐ろしかったのと、彼女の言葉に疑念を持ち始めていたからだ。
「ねえ、フレデリカ。ジュリア先生を覚えている?」
「え、ええ。とてもよくしてくださってるわ。皇帝の覚えがめでたいあの方ならあなたの立太子も力添えしてくださるのではないかしら?」
「ジュリア先生がね。僕が皇太子にならなければフレデリカは兄上の居場所を聞くだろう。乗り換えようとしているから気を付けて。って……」
泣きそうな顔のロディアンとは対照的にフレデリカの顔は真っ赤だった。
「まさかそんな戯言を信じたわけじゃないですよね?投獄された女の言葉を信じるなんて正気じゃありませんわ」
「……僕は君を信じたいんだ。だから皇位なんて諦めて一緒にパルシャ王国に行こう?交易を再開して国を栄えさせようよ」
「パルシャですって?あんな野蛮な国絶対に嫌よ!もうあなたなんかに頼まないっ!」
フレデリカは屋敷から出奔しゼロインを頼った。彼の手配でワルデガルドのいる山村に行き、自分と結婚してくれと懇願した。本当に愛しているのはあなただけ。ついていけなかったのはガートルード嬢が傍にいたので怖かったからだと泣きながら言った。
フレデリカの嘆き様にワルデガルドは心を打たれ、彼女の申し出を受けてしまい、今度こそガートルードは愛想を尽かせて都に戻ってきた。
傷心のロディアンは一人でパルシャ王国に赴き、フレデリカはワルデガルドが都に呼び戻されるのを今か今かと待っている。
そんな中、皇帝はエレーナを皇太女とした。ルピアーナ帝国初の女帝である。
フレデリカは発狂し、ワルデガルドに謀反をそそのかした。宰相はそれを見越したかのように軍を関所まで動かしており、フレデリカとワルデガルドはすぐに捕まった。
投獄されたフレデリカとワルデガルドだが、二人は対照的だった。
「なんであんたは平気そうな顔なのよ!私がこんな所に閉じ込められているっていうのに良心が痛まないの?!」
「もちろん心が痛むよ。ここは貴賓牢だから十分な設備があるが、ジュリア先生にここよりも過酷な牢で過ごさせていたのだと思うと申し訳なさで心が折れそうさ」
ワルデガルドの言葉の意味をフレデリカは理解するのに時間がかかった。なぜジュリアの名前がここで出てくるのだろう?
フレデリカの背筋に冷たいものが這う。
「もしかしてアンタが密告したの?」
「あっはっは。密告だなんておかしなことを言うね?むしろ筋書き通りさ。ガートルードは愛想をつかしたんじゃなくてフレデリカと合流したことをジュリア先生に伝えに行っただけなんだ。もっとも、愛想をつかされても仕方がないことをやらかしているから、本当にそうかもしれないけどね」
寂しそうに笑いながらワルデガルドは言う。
「それでも廃嫡された私にずっと寄り添い、なれない田舎暮らしをいとわずに側にいてくれた彼女を僕はもう二度と裏切らない」
「あたしをだましたってこと?この卑怯者!」
「僕が卑怯者なら君は性悪女だね。ああ、そうそう。ああ、ゼロインは我々の計画を知らないよ。純粋に君だけを思っているから幸せにしてくれると思うよ」
「ばっかじゃないの!?騎士団長の息子風情であたしが満足するはずないでしょ!」
フレデリカが叫んだとき、廊下の奥で重いものが倒れる音がした。
「……だそうだよ。ゼロイン。お前は最後までフレデリカの無実を訴えていたけど彼女はこういう人なんだ。脱獄させようだなんて馬鹿な真似はやめなさい」
フレデリカが格子越しに廊下を見ると、ゼロインが背に壁を凭れさせてしゃがんでいる。さっきまで立っていたのだろうが、ゼロインの体は力が入らなくなったように動かない。彼の双眸からはとめどなく涙が流れ、フレデリカはダメ押しとばかりに「キモっ!」と叫んだ。
■
フレデリカたちの処罰はジュリアに一任された。
神妙に許しを乞うフレデリカの姿にジュリアは「女に嘘泣きは通用しないよ」と言うと真っ赤な顔でジュリアを睨みつけた。
「あたしをどうするつもりよ!」
「そりゃもう、私はやられたら倍返しが信条だからね。あんたが一番いやなことをやりぬこうと思って」
「ふざっけんな。ってか口調変わってるじゃない。今まで猫かぶってたのね!詐欺師!」
「冤罪生成機に言われたくないなあ。さてさて自分の可愛さに自信満々のフレデリカさんには『真理の器』という古代魔法を使います。これはねー。顔面偏差値が良心偏差値と比例する優れモノなんです。心が醜いフレデリカさんは一体どんな顔になるのかしらねー?」
「は?私の心が醜いはずないでしょ?醜いのはあんたの方でしょーが!」
フレデリカは自分を顧みれない女である。
自分ファーストの女だからこそ、性格が悪いなんて認められない。
「うわあ……。脅しのつもりだったけどあんたにはやっぱり仕置きが必要みたいね。アルディンじいちゃん。やっちまいなー!」
ジュリアの掛け声でアルディンは魔法を作動させた。するとみるみるフレデリカの顔はイボにまみれ、口はカエルのように裂け、鼻はのっぺりとなった。髪の毛は麻のようにゴワゴワし、一見すると男か女かすら判別できない醜悪な姿になった。
フレデリカは鏡を見るまでもなく、自分の手足を見て失神した。そのあとは街に放り出したが、あんななりでは色仕掛けはもう使えないだろう。それに目立つ容姿だから悪さをしてもすぐにわかる。
表向きは『フレデリカさんは勝手に古代魔法を発動させてしまったんです……!』と泣きながら訴えたのでジュリアに疑いの目はかかっていない。フレデリカがジュリアを犯罪者と訴え出るが、ひどいダミ声のせいで何を言っているかわからず、誰にも相手にされなかった。
一連の騒動が終わった後、ジュリアは日本に帰りたいと強く思うようになった。なにしろ数年間休載していた作家の本が来年の冬に出るのだ。一日千秋の思いで発売日を待っていたので、発売の前には絶対に戻りたい。
ジュリアは事情をアルディンに話して鏡を起動してもらい、日本へと戻った。
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ルピアーナ帝国の長い歴史に黄金期と呼ばれる時期がある。
賢帝と名高い女帝エレーナの治世のことを指し、ルピアーナの長い歴史において類まれな傑物が幾人も生まれて国が最も安定した時代である。
女帝は子供の教育に力を入れ、兄のロディアンは各国との交易に力を入れた。長兄のワルデガルドは医師となり妻のガートルードとともに各地を渡り歩いて医術を教えて回った。
そして、彼らを導いた賢者ジュリアの偉功はどの歴史書にも綴られており、王宮前にはジュリア像が建立され、彼女の偉大さを今も伝えている。
なお、賢者ジュリアがどうなったのか歴史書には何も記されていない。一説には老師アルディンとともに鏡の世界に渡ったと書いてある。そのことから、彼女は元々この世界の住人ではなく、神々が遣わされた女神だったとも言われている。