第四夜 月と勾玉と……易者。
ーー楓のその真剣な眼差しを見つめていた葉霧は、ふう。と、息を吐いた。
デスクに椅子を向けた。
木目調の明るい茶色のデスクだ。土台は黒。
そこに開いてあるノートパソコン。
葉霧は、視線を向けた。
「楓の着ていた服装で、思い当たるのは“平安時代”だ、今から1300年程前の時代だ。」
楓はそれを聞くと立ち上がる。
葉霧はノートパソコンを楓に向けた。
画面を向けられた楓は、葉霧の隣に立つ。
「すげぇ、なんだこれ?」
楓はパソコン画面に手を伸ばした。
さわさわ……と、画面を右手で擦る。
「ん? 触れねぇのか?」
「映像だ。」
平安時代の写真が画面に表示されている。服装や建物の絵……現存する平安時代の建造物の写真。それから、京の都の全体図を表示していた。
カチカチ。葉霧はマウスを触れる。
葉霧はその画像の中から京の都の全体模型の写真を表示した。
「見覚えあるか?」
「ああ、都だ。」
楓は画像を見ながらそう答えた。
目を丸くする。
「コレ! 何処にあんだ? ここから遠いのか? オレがよく居た所に似てる!」
興奮した様な声が葉霧の横で聴こえる。
「残念ながらこれは模型図だ。」
「もけいず??」
かちかち。と、マウスを動かしクリックする葉霧。次に画面に出したのは絵だった。
平安時代の貴族の暮らしを描いた絵だ。
「これは平安時代に暮らしていた人達の様子を描いたものだ、つまり……“記録”だ。」
葉霧は楓に視線を向けると
「楓、この時代はもう終わっている、京の都も……今はもう無い、こうして語り継がれているだけだ。」
と、そう言った。
「え? ない??」
「ああ、この後も……色んな時代が流れた、今は“平成”だ。」
葉霧の目は真剣なものだった。
楓を真っ直ぐと見つめ揺らがない。
だからか、楓は目を見開いていた。
「皇子は……?」
「え………?」
呟く様な声だった。
葉霧は聞き取れずに聞き返した。
「螢火の皇子だ……皇子は、どうしたんだ?」
そう言ったその目は何処か遠くを見つめている様だった。葉霧に顔は向けてるし、瞳も向けてはいるが、その瞳を見ている訳ではなかった。
「螢火の皇子……?」
葉霧はそう怪訝そうな顔をした。
「退魔師だ、葉霧と同じ。」
楓はすっ。と、勾玉を掴む。
勾玉を見つめたまま
「コレを奪ってオレを“封印”した奴だ。」
そう言った。
葉霧は少し楓の表情が、曇ったのを知った。翳りがあった。
「鎮音さんから聴いた話と、楓の言う人が同じだとしたら、その人は……俺達“玖硫家”の先祖だ。」
葉霧は淡々と伝えていく。声の強弱はまるで無い。語る様に伝えていた。
「先祖? それって……死んだって事か!?」
「そうだろうね、子孫がこうして生きているんだ。」
楓は目に見えてわかるほど肩を落として落胆していた。
葉霧はその様子を見ながら更に続けた。
「螢火の皇子については、目立った文献などにも記述は無い、ただ、鎮音さんから聴いた話だ、彼は……病で亡くなった、そう聴いてるよ。」
楓は葉霧を見つめた。
その大きな瞳が揺らいだ。
「そ……そうなのか……。」
(やっぱり身体が……。)
哀しそうな顔をしていた。
葉霧はそんな楓を見つめると
「封印されたにしては……“感傷”が強そうだが、退魔師と交流があったのか?」
と、そう聴いた。
「アイツはオレを殺したかっただけだ。それだけだ。」
楓は葉霧を強く睨みつけた。
哀しそうな目などもう消えていた。
(世間一般に出回る文献に、螢火の皇子の名前は無いが、玖硫の文献にならあるかもしれない。)
葉霧はパソコンに視線を向けると
「この時代に出て来た以上は、この時代のルールに従って生活をして貰うしかない。残念ながら、俺には楓をもう一度、封印する力も無い……かと言って殺す事も不可能だ。」
「え? なんで?」
「殺し方がわからない。」
電源を落とした。
楓は葉霧の言葉を聞きながら少し不安そうな表情をした。
「楓」
葉霧は楓を見ると微笑む。
その表情に楓の顔も少し緩んだ。
「心配するな、その姿なら角を隠せば人間に見える。」
楓はそれを聞くと頭の角を触った。
ぴょこんと角は出ている。
「あ……コレさー、言ってなかったんだけど、オレは“月の満ち欠け”で姿も変わるんだ。」
楓は角から手を離した。
「月の満ち欠け?」
「そう、満月に近くなればなるほど鬼になるんだ。逆に……満月から遠くなると角と爪と牙も消える、その分力も消えるから、だからこの“勾玉”を持ってるんだ。」
葉霧は楓の胸元の深蒼の勾玉に手を伸ばした。
勾玉を掴むと眺める。深い蒼い勾玉は、そこにあるだけで光を放っている様に見える。
何とも不思議な石だ。
「これを付けていると月の影響は、受けないのか?」
「いや……“力”だけな、って言っても本領発揮は出来ねぇよ、特に“新月”はやべぇんだ、だからこの勾玉を持ってねぇと“人間”みたいになる、完全な。」
楓は言いづらそうではあったが説明した。
葉霧は勾玉から手を離すと
「それならコレを外せばいいんじゃないか? それなら人の姿を保っていられる、そう言う事だよな?」
と、そう言った。
「いや……角とかはフツーにあるよ、月の力がオレにはすげぇ関係あるみたいだ、姿は鬼みてぇなのに力だけは薄くなるんだ。因みに今が鬼の姿の最大限、ここから月が欠けてくと、この姿も少しずつ変わってく」
「何だか“獣人”みたいだな。」
葉霧はふぅ。と、息を吐いた。
「ん~実際、良くわかってねぇ事もあるんだ、だから皇子が教えてくれたんだ、この勾玉も、皇子がくれたんだ。」
楓はそれを言ってからはっと顔色を変えた。
「あ、コレ……言うなって言われたんだ。オレの秘密だから。」
と、少し失敗した!と言う顔をして葉霧を見つめる。すると、葉霧は
「ご心配なく、例え弱点を知った所で俺にはどうする事も出来ないよ。」
と、苦い顔をしたのだ。
「ああそうか、いいのか言って……。」
楓は勾玉を掴み眺めた。それを見つめる目は何処か嬉しそうでもあった。
(随分と執着していたんだな、その皇子とやらは、それに、この感じだと楓もかなり……“従順”だった。退魔師とヒト喰い鬼、それだけの関係では無さそうだが……封印されてるんだよな、それでも……。)
興味が湧いた様子だった。
葉霧の目は強く煌めく。
「とにかく……少しずつ調べて行くしかないな。」
「え? どうやってだ? 皇子はいねぇんだろ?」
葉霧は椅子の背もたれに寄りかかると
「その為に“蔵”があるんだ、彼処の中を漁れば……何かは出てくるだろう。」
と、そう言った。
楓の顔は一期に明るくなった。
「それならさっさと調べてみよーぜ! 皇子の事も、なんかわかるかもしんねぇじゃん!」
葉霧はデスクの上に置いてある鞄に手を伸ばした。
「悪いけど……これからやる事がある。楓の部屋は隣だ。テレビもあるから好きにしていたらいい、終わったら呼びに行くから。」
鞄を開けながらそう言った。
「え? なにそれ?? やる事??」
「楓……部屋で待っててくれるか?」
葉霧の視線に楓は渋々と部屋をでて行くしかなかった。退場を促された気がした。
ばたん。
部屋を出ると
「ちぇっ! 葉霧のケチ!」
と、そう言うと階段に向かった。
階段を降りる。
足音が響く。
ばたん!
葉霧の部屋のドアが思いっきり開いた。
「楓! 部屋は隣だ!」
直ぐに葉霧の怒鳴り声が響いた。
階段まで。
「……へいへい。」
楓は階段を登る。ぶすっとしながら。
葉霧が部屋の前で仁王立ちしていた。
とても眼は鋭い。それに顔も恐い。
「大人しくしてろ。」
その声はとても低かった。
しかも左隣のドアの方を顎で促す。
(おっかねぇな、鬼よりおっかねぇ。)
葉霧がずっと仁王立ちで見張っているので、楓は部屋のドアを開けて大人しく中に入る。
葉霧はドアが閉まるのを見ると部屋に戻った。
(全く、首輪が必要だ、それに躾だな)
完全なペット化であった。
楓の部屋は葉霧と同じ様な部屋だった。
家具も揃っている。違う所と言えば、カーテンとソファーの色の違いぐらいか。
どちらもネイビーだ。
ベッドの上に寝転ぶ。
「うわ。」
跳ね上がった身体に楓は驚いた。
「わ、なんだこれ? すげーふかふか~~」
何度か座りながら跳ねる。柔らかなスプリングが楓の尻を優しく包む。
身体を倒すとその心地よさが全身に広がった。
(あの女は言ってたな、人間として生活してる様子も無いって、てことはあやかしだと隠して、人間として暮らしてるヤツがいるって事だよな、他にも。)
ごろん。
羽毛布団の上で寝転び横を向く。
頬に当たる感触が心地良い。
(会って話を聞きてぇな、オレは封印されてこの時代にいるが……普通に生き延びた奴等がいるって事だ、この時代まで。)
目を閉じると浮かぶのは森。駆け抜けた森と木々の大佛な世界。そして華やかな都。
(皇子はいつ死んだんだ? あの時はまだ生きてた、オレの記憶の中では見えなくなるまで生きてた。)
浮かび上がるのは優しい眼差しだ。
長い漆黒の髪……優しい手……。
楓はいつしか目を閉じていた。
その面影を辿りながら。
「あ! そうだ!」
目を開けると起き上がる。
「探せばいいんだ! そうすれば会える、ココにいても何もわかんねぇ」
ベッドから降りると楓はドアに向かおうとしたが
(う、葉霧か)
足を止めた。
葉霧の部屋は隣だ。部屋の前を通らないと下には行けない。
楓は白いレースのカーテンの掛かった窓に視線を向けた。ベランダだ。
ベッドの置いてある脇だ。
歩みよりレースのカーテンを開けた。
明るい陽射しが射し込む。
覗くとどうやら葉霧の部屋に繋がっているベランダの様だ。広いベランダだ。
二部屋分繋がっている。
(ここからなら行けそうだ)
ベランダにはサンダルが置いてあった。
スポーツサンダルだ。少し大き目のサイズだが楓は足を通す。
(この格好で裸足はちょっとな、優梨さんにも裸足は言われたしな。)
裸足で出歩く事を注意された。
一緒にお風呂に入りながら。
ついでに伸びた足と手の爪も切られた。
(あと角か、あ、フードでいいか、ん?夜叉丸……。)
ベランダの手摺に捕まり下を覗く。
フードを被った。
(夜叉丸もダメか、まーいいや、新月じゃねぇし。)
刀である。“銃刀法違反”だと、これも注意された。優梨に。その為、下の和室に置いてある。
手摺に軽く飛び乗るとそこから飛び降りた。
外は門の見える境内だった。地面に着地。
母屋の玄関が後ろだ。
楓は大きなサンダルを引っ掛けながら飛び出した。
外へ。
宛など無い。だが、ただ黙ってじっとしてる事が出来ない。
野を越えーー、山を越え、生きて来た鬼娘だ。
楓は、街に向かった。
✢
ーー住宅街を抜けると坂道だ。
優梨と登ってきたこの坂道を下ると街中に出る。一瞬で賑やかなビル群が広がる。
高台にある寺と周辺の住宅地。
そこはひっそりとしていたがここに降りてくると雑踏の波に巻き込まれる。
(商店街……。)
楓が足を向けたのは螢火商店街だった。
さっきよりも人通りが多く活気も増していた。
焼き鳥屋の前を通り人にぶつからない様に通りを歩く。
本当に店ばかりが建ち並ぶ。それもシャッターの閉まる店は殆ど無い。流行っているのがわかる。
(占い、こーゆうのが妖しいんだ。)
易者、占い。と、書かれた看板があったのは雑居ビルの前だった。
楓はそこで立ち止まるとビルを見上げた。
窓のある4階建ての雑居ビルだ。
入口付近にある看板。ピンク色の光を放つ電飾灯でくるくると回っている。
運命、占い、易者、恋愛。と、くるくると回りながら表記していた。三面にそれらが分けて表記されている。
楓は階段に向かった。
壁には【占いの館→3階】
そう書いてある紙が貼ってあった。剥がれない様にガムテープで四方を留めてある。
(絶対、妖しい。)
そう思いながら楓は階段で三階に登ってゆく。手摺りを支える棒は所々錆びている。
狭く急な階段だった。
ピンクのドアが出迎えた。
【占いの館】ドアにはその看板が掛けてある。木製の安易なもの。
ドアを開けると中はとても薄暗い。
狭い通路が続く。
「ほぉ? 珍しいな。」
嗄れた老人の声だった。
(え? ジジィ?? このノリだと厚化粧のおばばかと思ったんだけど。)
奥の赤いサテンの暖簾を避けて、出てきたのは小柄な老人だった。
顎に白い髭の生えた黄色い角隠しの様な帽子を被っていた。全身を金糸雀色で統一されていた。作務衣の様なスタイルで、そこに立っていたのだ。
「こりゃまた……。」
楓の方を見ると喉元を隠す様に生えた髭を手で解く。その口元は緩む。
室内は窓に布地が掛けられていて光は少ししか入らない狭い部屋だった。丸いテーブルと椅子が2つ。部屋の中央に置かれていた。
照明はついているがぼんやりとオレンジ色に光る。奥の方まではよく見えない。
「占って欲しいんだけど」
フォッフォッフォッ……。
楓がそう言うと老人はそう笑う。
嗄れた声で。
椅子を引くと
「お座りなされ。」
そう促した。
自身は引いた椅子に座る。
楓は椅子を引くと腰掛けた。
クッションや座布団も無い硬い木製の椅子だ。だが、やけに背もたれは長い。
楓の首まであった。
「占いとな?」
老人がそう言うと楓はフードを下ろした。
「オレの勘もすげぇな、的中だ。」
老人は楓の頭の上の角を見るとにんまり。と、表情を緩めた。しわくちゃになるほど笑ったのだ。
「鬼か、それも“新参者”。昨日から彷徨いているのはお主だったか。」
老人はそう言うとテーブルの上のキャンドルに炎を灯す。手でキャンドルに翳すと火が灯ったのだ。紅くオレンジと混ざる炎ではない。
蒼白く紫掛かった炎だった。
「そんなに多いのか? ココは。」
「昔から魔都などと呼ばれておったからな、今やあやかしはこの街周辺に屯っている、人間の多い都市だ、隠れ棲むには丁度いい。」
老人は二つ。
キャンドルを灯した。テーブルの端と端で炎は揺れる。
浮かび上がるお互いの顔。
「隠れ棲むってのは人に紛れて暮らしてるって事か?」
「左様、人里離れた土地は過疎化が進み……隠居暮らしをするには、良い所かもしれんがワシらの様な、ヒトの居ない土地で暮らす事の出来ぬ者達は、こうして都心に集まってくるのだ。」
老人は髭を解きながらそう言った。
楓はそれを聞くと
「喰うって事だよな?」
そう言った。
フォッフォッフォッ・・・
老人は高らかに笑う。
「存在意義は個別だ、ワシも喰うが、人間の死んだ魂を喰らう、過疎化の進んだ土地では長生きが多くてな、合わんのだ。」
その目は険しさを滲ませていた。
「それでここに棲んで喰いながら生きてるって事か。」
「そうだ、殺生してる訳ではない、勘違いするなよ。」
老人の嗄れた声は所々で聞き取りづらく楓は顔を顰めた。
「まー、別にオレはそんなの気にしねぇ。」
老人はそれを聞くと目を細めた。
眉間に皺が寄る。目つきが鋭くなった。
「聞いとるぞ、“玖硫一族”の元に居るとな、何の目的だ?」
嗄れた声が低く響く。
楓は、細く見定める様な目元ーー、金色の眼を真っ直ぐと見据えた。
ぼんやりと灯るキャンドルの光の中で、蒼い眼と金色の眼がぶつかる。
「勘違いすんな、別にオレが何をどーしようと思ってるワケじゃねぇよ、ただその玖硫一族について、聞きてぇんだ。」
楓は身を乗り出すと肘をテーブルに置いた。前のめりになり老人に顔を近付ける。
「騙すつもりか?」
「そこまで腐ったか? 老いぼれジジィ。」
お互いにその視線は鋭く絡む。
睨み合いだ。
「まあ良い、何が目的だ?」
老人は背もたれに寄りかかると手を組む。
「退魔師の一族だってのは聴いてる、だが……たいした力は無さそうだ、ジジィみてぇのがこうして、生きてるって事がその理由なんだろうな。」
老人は口角をあげた。
にやり。と。
「繁栄してきた人間の血も何連は滅ぶ。何百年と続いてきた徳川家然り、鬼神を持つとされてきた豊臣然り、玖硫一族も同じじゃ、当主であった鎮音が弱体し……その力は最早、空前の灯火。」
老人は身体を起こすとテーブルの上に手をついた。そこで両手を組むと楓を見据えた。
「表立って人間を殺さなければ奴等は何もして来ない、したくても出来んがな、末裔とされるせがれが、まさかの力無し、玖硫は鎮音の代で“終わった”んだ。」
不敵な笑みを浮かべながら老人はそう言った。余りにも毒々しい眼をしていた。この暗がりの中でもわかる程、鮮明な悪意に、満ちた眼だった。
楓は老人を見据えると
「なるほど、野放し状態って事か。」
と、そう言った。
「言っておろう、無意味な殺生はしておらん。」
老人は笑う。
声をたてて。
(クソ……コイツじゃ螢火の皇子の事は聞けねぇ、余計な事を言いたくねぇな、仕方ねぇ他を当たるか。)
楓はがたっ。
椅子を引くと立ち上がる。
「小娘」
老人が楓を見上げた。
「あ?」
楓は老人を見下ろした。
その鋭い眼光を見下ろしたのだ。
「“余計な事”はするな、これは秩序だ。」
老人はそう言った。