第54話 けじめ②
獣王国が建国されたのは1000年前である。
それから700年後の300年前、王国内で宗教対立による紛争が起きた。
聖教戦争である。
友好関係にあり、獣王国に接する王国の紛争は、獣王国に少なからず影響を及ぼしたのだ。
王国は聖教会との争いに明け暮れ、獣王国への支援の余裕がなくなったのだ。
それは、帝国との戦争時に、王国からの物資の支援の停滞であり、あるいは王国での獣人の活動が制限された事も含まれるのだ。
王国内での紛争であるが、獣王国の経済及び軍事面で暗い影をもたらした。
そこで始まったのが、獣王国武術大会である。
万単位の雇用が生まれ、そして獣王国全土から猛者を集める大会は、経済及び軍事面をもう一度奮い立たせる結果となったのだ。
その時の獣王は獣王国内において、賢獣王として今でも称えられている。
最初は1万人も観客を収容できなかった闘技場である。
5度の改修を経て10万人も収容できる現在に至る。
どれだけ、武術大会が獣人の心をつかんだかが分かるのだ。
毎年のように行いたい獣王武術大会であるが、帝国の侵攻が激しく余裕がないときは開催できなかった。
そして、主催者である獣王家内のお家騒動により開催できなかった年もある。
今ここに、獣王武術大会が始まってから一度も起きていない状況が起きているのだ。
それは獣王国が建国されてからともいえるほどの一大事である。
闘技台の上には2名の獣人が向かい合って立っている。
闘士ではない。
虎の獣人は闘士として参加したが、闘士と呼ぶにははばかられる存在だ。
先獣王の子にして、第一王女である。
その第一王女に相対するのは、第一王女の兄にして現獣王である。
朝9時から定刻通り始まった武術大会だ。
1時間もかけずに勝利したパメラである。
今は10時過ぎなのだ。
決勝戦を見ようと詰め掛けた観客達10万人は誰も帰っていない。
本来であれば、このあと優勝のセレモニーが闘技台で行われる。
その後、闘技台に優勝者が一人跪き、獣王による御言葉をいただくのだ。
それも終わると、パレードが行われ、優勝者は王城に呼ばれる。
中にはそのまま獣王に仕える者もいる。
静まり返る観客達である。
パメラが獣王に戦えと言って、闘技場に設けられた獣王の個室の観覧席から降りてきたのだ。
観客達は皆、どのように見たらいいのか分からず、困惑をしている。
獣王の個室も観客席から高い位置に作られている。
仰ぎ見るべき獣王も、第一王女も、自分らより低い闘技台の上に降りていることに、不自然な感覚を覚えるのだ。
相対する獣王とパメラ。
総司会ゴスティーニ。
5人の審判たち。
けじめの立会のために立つソドンである。
そんな中、パメラが総司会ゴスティーニを見る。
『何でございましょうか?』
総司会ゴスティーニの声が、闘技場全体に響き渡る。
「すまぬが、拡声魔道具の魔石を抜いてくれ。兄上に聞きたいことがあるのだ」
『は!』
観客席に聞かせたくない話がどうやらパメラの中であるようだ。
その返事とともに魔道具のマイクの魔石を外し、声が闘技場に届かないようにするのだ。
「…ずいぶんデカくなったな」
獣王に話しかけようとしたのはパメラであるが、獣王がパメラに話しかけるようだ。
闘技台の上は風が吹いているのか、絢爛豪華でゆったりとした獣王の衣服が風でたなびいている。
名指しで降りてこいと言われて、闘技台の上に降りてきた獣王であるが、その表情はとても穏やかである。
数年ぶりにあった妹を温かく見つめる獣王だ。
「兄上はお変わりがなく」
「そうか、王国で活躍していたのか。喜んで手に入れた魔石は妹が狩っていたものであったとは。なるほど、世の中不思議なものよな」
「いえいえ、世の中には不思議なものは何もありません。あるのは筋と道理のみにてございます。しかし、道理に合わない不思議なことがあるのもしかり。なぜこのような内乱になったのか5年経った今でも分からないのです」
懐かしい兄妹の会話の雰囲気から内乱に話に持っていくパメラである。
パメラにとって、今回の内乱は起こるはずがなかったのだ。
この5年ほど疑問に思っていたことを獣王にぶつける。
「ほう、内乱は起こるはずがなかったと?」
獣王の表情が穏やかな顔から段々険しくなっていく。
「はい、なぜなら私は父上から、王国の第3王子の元に嫁ぐように既に言われていたからです。あの会議は、王国の王族達との顔合わせの意味もあると聞いておりました」
そうなのだ。
パメラは王国の第3王子であるジークフリード殿下の婚約者であるのだ。
婚約し、王国に嫁ぐということは、パメラは獣王になれないのである。
そして、先獣王に子供はパメラと現獣王以外にもいるが、家柄も良く獣王の王位継承権があったのはパメラと現獣王の2人しかいないのだ。
パメラは王位継承権を失うことになっていたのだ。
パメラの中では、獣王になるのは兄しかいなかったのだ。
にもかかわらず起きた内乱である。
兄妹の争いであるのだ。
なぜ争う必要がったのかという話なのだ。
「兄妹で争わなくても、獣王になれたのではないのですか?少しでも早く獣王になりたかったということですか?その答えをお聞かせください」
「獣王になれた?余は獣王になれたから争いは生まれないと?ふ、ふはははは!!!」
爆笑を始める獣王である。
どうやらパメラの話が笑いのツボに入ったようだ。
腹がよじれるようである。
「何がおかしいのですか?兄上」
「ふむ、そうか。まあ、そうだろうな。優秀で賢く、生れてきてからずっとチヤホヤされて育ったパルメリアート殿下には余の気持ちは分からぬであろうな!」
「ん?どういうことですか?私が何か関係がある話であったのですか?」
「あるに決まっておる!父上に『お前でよい』と言われたからに決まっておるであろうが!!」
激怒し、声を荒げる獣王である。
そして、そこから語りだすのだ。
パメラが王国からの帰り道で頃の話だ。
先獣王に呼ばれた第一王子である。
現獣王は、玉座の間に呼ばれたのだ。
そこでの話は、今後の王位についての話であった。
第一王女は優秀で民からの信任が厚い。
しかし、王国との友好的な国交も大事である。
王国の第3王子を獣王国に迎え入れたいと、ガニメアス国王と交渉した先獣王である。
しかし、王国には王国の事情があるのだ。
それはできぬと断られたという話を玉座の間で聞かされた現獣王である。
「父上は!やつは王国との友好が必要であるからと妹は王国に嫁がせる。妹を獣王にできない。仕方ないから次期獣王は『お前でよい』と言われたのだ。余はどうやら、妹よ。お前のお情けで獣王になるようであるぞ!!」
獣王が歯ぎしりしながらパメラを睨みつける。
「そ、それで父上を?」
「ああ、気付いた時には、玉座に座る父上を屠ってしまっておったわ」
「そ、そんなことで、獣王国の多くの民が、兵が亡くなったのですか!」
「そうだ。余は暴君と呼ばれようと、暗君と呼ばれようとかまわぬ。お情けで、仕方なしで王座に座る気は毛頭にない!」
「分かりました。いや、思いは分りませんが、経緯は分りました」
「ほう、どうするのだ?」
「叩きのめして、亡くなった多くの慰霊の前で土下座して謝罪をさせます。父上も母上もレイミスティアもそこにいますので」
「…弱き妹は強く出たものよな」
「はい。内乱のけじめつけさせていただきます」
「おい、ゴスティーニ」
『は、はい。獣王陛下』
「魔道具に魔石を戻し、司会を続けよ。観衆にも、この闘技場において一切の発言は不問である旨伝えるのだ。武術大会であるからな」
話は終わりだという獣王である。
そしていつも通り、総司会ゴスティーニは試合として実況し、観客はどんな発言も、応援も、歓声を上げても良いという獣王であるのだ。
『観客の皆さま、急遽でございますが、これより獣王陛下及びパルメリアート殿下の試合を開催したいと思います。全ての発言は自由に行ってよいということですので、いつものように熱いご声援をお願いします!』
いつもの調子で司会ができない総司会ゴスティーニである。
観客もそんなことを言われてもという反応を示すのだ。
試合することが決まったので、パメラがソドンのところに向かう。
オリハルコンでできたナックルを外すようだ。
ソドンは盾とハルバートを地面に置き、両手でナックルを受け取る。
『なんと?パルメリアート殿下は素手で試合をするようです。防具も全て外しております!!武器無し防具無しで獣王と試合をするとのことです!!』
パメラはダンジョン攻略の際に装備したアダマンタイトの防具を全てソドンに預けるようだ。
段々調子が戻ってきた総司会ゴスティーニである。
「ふんっ」
獣王が膝まである長くゆったりとした上着を脱ぎ、靴を脱ぎ捨てる。
半裸のズボンのみの格好になったのだ。
そして、武器防具を受け取っているソドンに話しかけるのだ。
「ファルマンよ。ファルマン家はお主の帰りを待っておるぞ。いまだに当主は旅に出ているとかぬかして家を誰にも譲らぬぞ」
ソドンはファルマン侯爵家の当主である。
「そのようでございますね」
それはおっさんのタブレットの名前の表示を見て知っていたソドンである。
タブレット上のソドンの表示は、家名がなく貴族ではない『ソドン』ではなかった。
当主ではない『ソドン=ファルマン』という表示でもないのだ。
貴族の当主を示す『ヴァン』の表示のある『ソドン=ヴァン=ファルマン』であるのだ。
もしかしたら5年近く不在にしているのに、当主のままかもしれないと思ったソドンである。
セリムがウガル家の当主になった際に『セルム=フォン=ウガル』に速やかにタブレットの表示が変わったのだ。
そして、ロキが男爵になった際に『フォン』の表示がついたのだ。
ファルマン家が当主をソドンのまま今も変えずにいることを確信するのだ。
獣王家から圧力を受けながらもソドンを当主のまま帰りを待ったファルマン家であるのだ。
そのことをソドンが口にしたことはない。
内乱中も、ダンジョン攻略中もずっとである。
自らの爵位について何かを語ったことすらないのだ。
主のけじめのため、無用なことで邪魔にならないように、パメラやおっさんらに黙っていたソドンである。
パメラが防具を全て外し準備ができたようだ。
獣王とパメラが闘技台の中央に立つのだ。
審判が獣王とパメラの前に立つのだ。
2名は武器も防具もつけていない。
獣王はヴェルム並みに体がでかく、パメラより頭2つ分でかい。
上着を脱いだ、その体は王座に常にいるとは思えないほどの筋肉質である。
パンパンに張った全身の筋肉は躍動をしている。
内乱が終わって3年間、日々の訓練を怠らなかったことが伺える完全な肉体である。
10万人の観客とソドンが見守る中、審判がこの武術大会最後の試合開始の合図をするのである。
『はじめ!』
合図とともに獣王とパメラが闘技台の中央で激突する。
獣王の拳がパメラの顔面を捉える。
パメラの拳が獣王の腹に決まるのだ。
お互いに吹き飛ばされる。
地面に膝をつくことはない。
足で踏ん張り、痛みなど顔に出さず、獣王とパメラの殴り合いが続くのだ。
『一進一退の攻防です!2大会前の獣王武術大会の優勝者と、今大会の優勝者が武器も防具を持たず殴り合っています!!』
まだ、観客の歓声がほとんど起きない中、総司会ゴスティーニが実況を続けるのだ。
それはとても異様な試合であったのだ。
試合が始まってすぐに覚えた違和感である。
この試合の違和感がどこから来るのか必死に試合を見る観客達である。
獣王は獅子の獣人である。
獅子の獣人は完全な力特化の特徴がある。
素早さも防御力もそこまでない、完全な力特化だ。
素早さと力特化の虎の獣人パメラと違うのだ。
全てのステータスを力に託してパメラを殴る獣王である。
「あれ?パルメリアート殿下はあれだけ素早いのに避けないぞ?」
「なんだ?獣王様は防御を一切しないが?」
「完全な殴り合いだぞ?獣王と殿下が殴り合っているぞ」
一切防御も回避を捨てた試合であったのだ。
闘技台の中央で戦う2人は、拳のみを使い、一切避けず、一切防御せずに殴り合っているのだ。
「なんだろう、これはまるで兄妹喧嘩じゃないか?」
観客のだれかが違和感の答えに達したようだ。
まるで幼い兄妹が喧嘩をしているようであったのだ。
獣王とパメラがどちらからそうしようと言わずに、始まった殴り合いであるのだ。
お互い獣王武術大会で優勝するほどの力を手にしたこぶしを振るうのだ。
その度に鮮血が舞うのである。
おっさんと共に千を超えるAランクモンスターを倒したレベル。
鎧の騎士カフヴァンとの訓練で手に入れたパッシブスキル。
武術大会の過程で与えられた獣神リガドの加護。
パメラの拳に宿る力は獣王の耐久力をはるかに上回る。
ステータスのすべてが獣王よりパメラの方が上であるのだ。
とうとう何十発目かの拳が腹に決まり、膝を地面に着き嗚咽する獣王である。
口元の血を拭い、震える足に激を入れ、パメラに立ち向かうのだ。
何度も地に膝を着く獣王である。
遠目で見ても分かるほど力が宿っていない。
もう獣王の拳に力はないのだ。
倒れながらも、パメラに立ち向かい吹き飛ばされるようになる。
それでも、全てをかなぐり捨てるかのように殴り掛かる獣王。
獣王の拳の後にやってくるパメラの何十回目かの拳がわき腹をえぐるのだ。
その場で地面に着いてしまう。
そのまま大の字になってしまう獣王である。
必死に立ち上がろうとするが、もう力が入らないようだ。
「そうか、余は力でも妹に負けるであるか。何も持ってはいなかったのか…」
どこかあきらめのような言葉を口にする獣王である。
静まり返る観客達である。
何度も殴られ横になる獣王に対しても、獣王をボコボコにするパメラに対しても何も言えないようだ。
静寂に包まれる闘技場である。
「兄上…」
「ん?何故泣く?お前も憐みの目で余を見るのか?父上のように」
パメラが獣王との思い出が脳裏に巡る。
それは自分が5歳のころである。
王城の城門に集まる騎士や兵隊たちである。
その先頭に立つのは15歳になり成人したばかりの兄であった。
それを幼いながらも不安そうに見るパメラであった。
それがパメラの最も古い兄との思い出である。
母に抱きかかえられながら、不安そうに出陣する兄に手を振っていたのだ。
父から言われて王国の会議に行ったパメラとは違い、獣王は自らの意思で成人したら、その年に帝国との戦争に参加すると決めていたのだ。
戦果を上げ、何度も戦争に参加する兄である。
パメラから獣王との思い出が溢れてくる。
それは一方的な憧れでもあった。
自分自身にいつも厳しかった兄。
王城ではいつも訓練施設にいる兄。
頼んで仕方ないなと訓練をつけてくれた兄。
獣王武術大会に何度も参加する兄。
6年前の獣王武術大会で初優勝した兄。
それでも先獣王に認められなかった兄。
優勝した際も、玉座の間で父から「そうか」の一言しかもらえなかった時の兄の顔を、パメラは今でも覚えている。
それから1年後に始まった内乱である。
「私はこのようなことはしたくなかった。なぜこのようなことになったのでしょうか?」
「余が獣王にふさわしくなかったからであろう。父上もそれが分かっていたのであろうな」
目をつぶり語る獣王である。
何度も何度も頭によぎったが、口に出すと事実になると飲み込んだ言葉をとうとう口に出したのだ。
「………」
「ああ、そうだな。お前の母上とレイミスティアだがな」
「え?母上とレミリアがどうかしたのですか?」
思いがけないことを言われ驚くパメラである。
その時であった。
ズウウウウウン
闘士が闘技台に入るための扉がある。
パメラがカロンを殴り飛ばすために破壊したため、簡易の木造の扉が取り付けてある。
それが音を立てて破壊されるのだ。
何かが木造の扉を破壊して飛び出てくる。
ヴェルムが破壊された扉の先から吹き飛ばされ、出てくるのであった。