あなたと共に在りたいの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
げっ、つぶらや見ろよ。あいつら、うちのクラスの奴だろ。
か〜、休みの日にペアルックのシャツを着て、いちゃいちゃ手を絡めて、顔はニコニコ。黙っているっちゅうのに、このはたから見る、以心伝心感がハンパねえぜ……け〜、け〜け〜、け〜っ! 祝ってやんよ。
ああいう時間の共有、一番つなかりを感じられるよな。でも、ぶっちゃけ目に見えない時間とか気持ちとかって、本当に存在し続けているか、不安にならないか?
俺たちが友達だ、親友だ、恋人だと思っていても、相手はそう思ってないかも知れない。その食い違いが表面化した時には、もはや手遅れ。
そんな恥さらしの笑い者なぞ、俺もお前もまっぴらごめんだろ? だからついつい相手のあら探しをしちまう。その疑いで、思わぬものを掘り起こしちまったケースもあったんだ。そこらで飯でも食いながら話そうぜ。
この話は、俺のねーちゃんのものだ。
ねーちゃんには、大学時代に付き合い始めた彼氏がいた。田舎からこちらに出てきた人らしい。実家には母親を一人残しているんだとか。
人を安心させるのが上手い人で、ここ一番のねーちゃんが辛い時に、頼まれるまでもなく、励ましの電話をくれるらしい。いわく「びびっときた」とのこと。ベタベタしてこないのも、ねーちゃんの性格的に心地よかったらしい。
その分、不安も大きくなる。自分に連絡していない間、他の誰かと連絡していないか、一緒にご飯とか食べていないか、自分にしているようなことをそっくりそのまま他の誰かにもしていないか……浮気の疑惑だ。
早いとこ一緒に暮らして、彼との時間を増やしたいと切望するねーちゃん。けれど結婚するまで同居は許さんというのが、うちの親の方針。彼氏と懐具合を話し合った結果、お互い働き始めてから三年間は、結婚資金を貯めようということに。
おのおの一人暮らしを始めたけれど、彼氏の家は仕事場から帰る途中にある。ねーちゃんは帰りが遅くなると、しばしば彼氏の家に泊めさせてもらったとか。
二人は毎年、誕生日以外にもお付き合いが始まった日も、できる限り都合を合わせて、お祝いをしていたらしい。そして、社会人になってから初めての、彼氏との交際開始記念日。ねーちゃんはペアのマグカップを買った。
表面に猫の顔を描いたもので、カップの輪郭がそのまま猫の輪郭になる。彼氏が黒猫。ねーちゃんが白猫だ。
カップルの証が欲しいというのもあったが、家に行くと、彼氏はいつもくたびれたマグカップでコーヒーを飲んでいた。
これを機に、少しずつ新しいものに取り換えてもらえれば、と思ったらしいんだな。
ねーちゃんが部屋に来ると、連絡を受けている彼氏はいつも、ドア近くのキッチン台に乗っかっているコーヒーメーカーの前にいる。できたてを飲んでほしいとのこと。
その間、いつもねーちゃんは居間でくつろがせてもらっていた。今日は布団をはがされた、こたつ兼テーブルの上に、チョコレートのホールケーキが置かれている。
ねーちゃんは彼氏がマグカップに二個、三個と角砂糖を放り込んでいくところを、まったりしながら眺めている。ねーちゃんはミルク派で、砂糖は全然入れない。
ケーキを楽しみながら談笑する二人。そして、話に一区切りついた時、例のプレゼントを渡したんだ。
大喜びで包み紙を解いて、箱を開いた彼。けれど、その中身を見た瞬間、わずかに顔が曇ったのをねーちゃんは見逃さなかった。
片づけを終えて、二人分の布団を敷き終わると、ねーちゃんは先にお風呂をもらい、早めにあがった。
髪をドライヤーで乾かしながら、彼氏に風呂が空いたことを告げるねーちゃん。ほどなく彼氏は寝間着を片手に、居間から出てきた。
ねーちゃんはドライヤーをキッチンの隅のコンセントにつないでいて、手鏡を見ながらブラシで髪をとかしている。いつも以上に時間をかけながら、彼氏が風呂に入っていくのを鏡越しに確認していたんだ。
彼氏が風呂の中へ消えていくのを見届けると、ドライヤーをつけっぱなしにしたまま、そっとそばにある椅子の上に置くねーちゃん。多少の物音なら、こいつが消してくれることを期待したんだ。
真っ先に調べるのは、つい先ほどまで使っていた、皿やマグカップが入っている洗い籠。ねーちゃんは彼氏愛用のマグカップを手に取る。
すでに口の縁の一部から底にかけて、ひびが入っていた。とても他人に見せられたものじゃない。
それを自分の前で使っているというのは、ある意味で心を許してくれている証拠なのかもしれないが……あの顔を見たら、もう信じきれない。
ねーちゃんは他にもマグカップを探してみたけれど、ねーちゃん用に準備してあるものをのぞけば、一つも存在していなかった。
ほどなく、彼氏が風呂から上がる気配がした。ねーちゃんは捜索を断念し、何食わぬ顔で彼氏と一緒に、その日は寝入った。
一度疑い出しちまうと、もう泥沼だ。ねーちゃんは毎日、毎日気になって、どうにか彼氏の部屋に行く機会を増やす。怪しまれないよう、少しずつだ。それでも調べるたびにねーちゃんの心は悶々としたんだと。
あの顔さえ見ていなければ、どんなに気持ちが楽だっただろう。何も見つからないのはいいことのはずなのに、それがそのまま、自分の追及の甘さを誰かに咎められているような気がするんだ。
でも、もし証が出てきてしまったら、どうする。自分の勘に狂いはなかったと、誇らしげな顔をして彼に別れを告げるのか。ひとときの自己満足のために、彼と過ごす時間を捨て去りたいのか、自分は。
誰かに頼めるなら頼みたい。太鼓判を押してほしい。自分の知らないところで、闇に葬って欲しい。すべて知らんぷりして、目にも耳にも入れないで、彼と溶け合っていたい。そう望むのは、いけないことなの?
けど、もし突き止めたなら、その誰かは知ってしまう。彼の秘密を。何も知らない私を置いて、秘密はその人の手の元へ。何をきっかけに広がるかも分からない。知らない間にしみ込んだそれは、みんなの胸に取り付いて、影で私を笑うかも。そばにいながら、知らない私を。そう考えると息さえ苦しく、詰まりそう……。
堂々巡りのねーちゃんは、結局、自分の手で続けることにしたんだ。「黒」が出る以外、止めることのできないマラソンをな。
マグカップを贈って三カ月。相変わらずドライヤーによる「防音」をしながらの身辺調査は続いていた。
洗い籠の中には、ペアのマグカップが並ぶようになっていた。自分が用意したものを使ってくれていることに、ほっとしたねーちゃん。
けれども、以前に彼氏が使っていたマグカップは処分してしまったのか、家のどこにも見当たらない。
ふと、顔を上げた先に、彼がいつも角砂糖を入れている、ガラス製のシュガーポットが見えた。ふたと胴体のすき間から差した木のスプーンの上には、いくつもある角砂糖のうち、ひとつが乗っかっている。
こうやって私も、数いる女の中から選ばれたのかしらと、自分を慰めつつ、ついシュガーポットのふたをあけると、乗っかっている砂糖をつまんで、ぽいっと口へ放り込んだねーちゃん。
とたん、口いっぱいに広がる、鋭い痛み。
たまらず、ねーちゃんは角砂糖を吐き出す。床をすべったその姿は、ねーちゃんの血で赤く染まりながら、立方体の各面からさびた鉄くぎを思わせる突起を生やしている。手に取った時には、確かにそんなものはなかったのに。
血のしたたる口元を押さえながら後ずさる姉ちゃんは、すぐ後ろで「ガチャガチャ」と洗い籠が揺れる音を聞く。見ると、籠の中央でひっくり返っている彼氏のマグカップが、ガタガタと震えているんだ。
やがて自分だけ地震に遭っているかのように、狭い籠の中を右へ左へ、目にも止まらない速さで行き来するカップ。その勢いたるや、身体をぶつけられた皿が木っ端みじんになってしまうほど。
当然、隣に置いたねーちゃんのマグカップにも危害はおよび、籠の柵を背にしたまま何度も体当たりをかまされて、粉々になってしまう。
「どうした!?」と彼氏がハンドタオルを手に、床が濡れるのも構わず風呂場から飛び出してきた時には、ねーちゃんは尻もちをつき、とても動くことができなかったらしい。
すでに籠の中は陶器の墓場。ほのかに煙さえ立つその惨状の中で、彼氏のカップは激突の影響か、インクがはげていた。その下からのぞくのは、見覚えがある緑色の肌と、口の縁から底にかけて走った長いひび……。
あのカップだ。彼氏がずっと使い続けていたマグカップ。それをペアのマグカップそっくりのデザインに、塗り直して使っていたんだ。あたかもプレゼントを使っているように見せかけて。
「なんで……」と姉ちゃんは震えながら、声を漏らすのが精いっぱい。「信じてもらえないと思ったから、できれば話したくなかったのだけど」と彼氏は姉ちゃんの手を取りながら答える。
あのカップと角砂糖は、全部、実家の母親から受け取ったものだというんだ。母親は定期的に、透明なビニール袋に入った角砂糖を送ってくる。使わないでいると、信じがたいことに砂糖は自分から溶けていき、袋どころか床にも穴を開けるのだとか。
カップも飲み物を飲む時、必ず使わないといけない。そうしないと、今のようにヒステリーを起こしたように暴れてしまう。もらったマグカップも、使った次の日、粉々にされてしまったらしい。
ねーちゃんの疑惑の目にも、彼氏は気づいていた。使わなければ、ますます厳しいまなざしになるだろうことも。だから、カップをカモフラージュした。
「けど、まさか砂糖もアウトだなんて思わなかった。怖がらせて、ごめんね」
優しく声をかけてくれる彼氏だったけど、ねーちゃんは落ち着ききれなかった。その日は外のビジネスホテルに泊まり、翌日、衝動に任せるまま、彼氏に別れを告げたらしい。
離れていても、あそこまで激しく息子を想う母親。その人に認めてもらえる自信が、すっかり失せてしまったんだとさ。