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1.

どこぞに応募した小説。落選したので公開。


1.


 その日、家に帰ると、ぼくは、夜ご飯を食べたあとで、宿題を終わらせる。

 そのあと、お風呂に入ると、コンピューターを立ち上げ、インターネットにアクセスする。

 常時接続になっているうちのネット回線から、ブックマークをたどって、いくつかのサイトを巡回する。

 そして、最後に、「灰音のぺ~じ」へとアクセスする。

 ネット声優の灰音さんの個人ウェブサイトだ。

 灰音は、「はいね」と発音する。ドイツの詩人を思い出す響き。

 そこから、ボイスブログへと飛び、一週間に一回の、ネットラジオを聴く。

 ネットラジオと言っても、リアルタイムで配信されているわけじゃない。

 いわゆるニコニコ動画とか、Ustreamとか、そういうサービスは使っていない。

 こういう、ちょっとだけ古風なところも好きだ。

 再生ボタンを押すと、灰音さんの、ハスキーボイスが聞こえる。

「はい、みなさん、こんばんは~。灰音です」

 落ち着いた、どことなくしっとりとした雰囲気のある、でも同時にある種の透明感を持った声。

 この声に出会うまで、ぼくは、声に惚れるという現象をバカにしていたようなところがあるけれど、いい声というのは、本当に一瞬で心をつかむことがある。

「みんな、今週は、どうだったかな? わたしは――」

 親しい友だちのあまりいないぼくにとって、このラジオは、生きがい、と言ってしまっても、実はあんまりおかしくないものだった。

 親しい人がまったくいないわけではないけれど、自分の心のうちまではあまり話せないし、なんというか、世間話で皮相的な会話だけに終わっている。

 そういう会話を、悲しいと思うこともあるけれど、ぼくはどこかで少し、あきらめている。

 あきらめているって、何を?

 たぶん、自分を理解してもらうことを。

「今は秋ですねー。わたしは、季節の変化にわりと敏感で、精神も影響を受けちゃうんだよね。なんだかさみしくて、心がきゅーってなっちゃいます」

 その気持ち、すごくわかる!

 と叫びたいのだが、親に聞かれると嫌だし、叫んだところで灰音さんには届かない。

 こういうとき、もどかしいチリチリした気持ちになる。

「なーんか、秋は人肌恋しい気持ちになっちゃうんだよね」

 人肌、という言葉に、どきんとしてしまう。

 あきらかな過剰反応だと思うのだけれど、灰音さんの口から、あの声で、人肌、という言葉がでると、なんだか胸がきゅうんとする。

「さて、実は、このたび、フリーゲームに声を当てさせてもらいまして」

 灰音さんは、ネット声優として活躍しているが、同人ゲームに有料で声の出演をすることが、だんだん増えてきていたので、フリーゲームでの活躍はひさびさだった。

 フリーゲームこそが、ぼくが灰音さんを知ったきっかけだったので、これはなんだかうれしい気持ちだ。

「えーっと、知ってるかな? 『聖なる雨の降る街で』っていうんですけど――」

 クラウド・レディで紹介されていたので知っている。

 クラウド・レディとは、大手フリーゲーム紹介サイトである。

 フリーゲーム界隈の、エイプリルフール行事なんかをまとめたりすることで有名だ。

「それで、わたしの担当するキャラクターはですね、」

 会話を聞きながら、手を動かして、ぼくは『聖なる雨の降る街で』の公式サイトへとアクセスし、さっそくダウンロードをはじめる。

 うーん、フリーゲームをプレイするのは、ひさびさな気がするな。

「さて、今日はちょっとランニングしてきたんですが、やっぱり暑いときより寒いときのほうが、体は動かないですよね」

 灰音さんは、このラジオの中で、日々のランニングの話なんかを、けっこう話題として出してくる。

 ぼくは、あまり運動ができないし、運動ができる性格の悪いやつに何人かあってきているので、あまりスポーツ大好きって人間にいい印象は持っていない。

 けれど、どこにでも、例外は、あるものだ。

 そうしているうちに、今日の分の配信が終わり、ぼくは心残りを感じながら、ブラウザを閉じた。

 灰音さん、もっと声を聞かせてほしいと思うのだけど、毎日、どこかの配信で生放送をしてくれるわけではないし、ツイッターもやっていない。

 あまり「ネットでの露出」が少ない人なのだ。

 そこが、少しさびしい気はする。

 テキストエディタを立ち上げて、今日のラジオの感想を書く。

 毎回、ぼくは、ラジオの感想を書いているのだが、その日のうちには、絶対に書かない。

 ネットというのは、おそろしいツールだ。

 手紙であれば、読み返す時間というものが必然的に生まれる。

 手紙を投函するのには、切手を貼るなどの手間がかかるし、時間帯によっては、投函するのさえ面倒な時に書きあがることだってあるだろう。すると、冷静になる時間というのが絶対に出てきて、なかなか勢いだけで書けなかったりもする。

 少なくとも、メールを書くよりは、勢いはそがれるはずだ。

 いきなりノリと勢いでメールをしたためて、即時に送ってしまい、後から、あんなこと書くんじゃなかった、と後悔したことが何度かあるぼくは、書いて、即、送る、なんてことは、怖くてできない。

 そういうわけで、書いた文字が瞬時にインターネットの海に流れ出てしまう、超簡単お手軽ボトルメールことツイッターは、怖くてできない。

 友人の橘崎は、ツイッターは、ふぁぼとリツイート数をかせぐ遊びとしての、インテリパチンコである、ということを言っていた。

 どうせ、どこかからの受け売りに違いない。

 なんか、あいつ自身もそう言っていた気がするし。

 橘崎は、なんだかいろいろ面白いことを知っているやつだが、思想的にオリジナリティがあるわけではないし、むしろそれを誇りに思っているふしがある。

 積極的に別作品へのオマージュあふれる作品を書いて、これに挿絵をつけろとせまってくる男、それが橘崎である。

 やつの言葉で、印象に残っているのが、オリジナリティなんてのは別の作品のマネをしたって、どうしたってにじみでてくるものだから、積極的に他の作品をリスペクトしていけばいいんだ。という言葉だ。

 基本的に、何かを書くタイプの人は、オリジナリティをとても大事にする印象を、個人的には持っていたので、こういうやつがいるというのは、ちょっとした驚きだった。

 橘崎がいなかったら、ぼくはたぶん、フリーゲーム同好会には入っていなかっただろうし、今でも美術部で、下手な水彩画を描いていただろう。

 はっきり言って、ぼくの絵のレベルは大したことがなく、美大には逆立ちしたって入れないと思うレベルなのだが、なんでぼくの絵に橘崎が目をつけたのか、今でも謎である。

 正直、あの行動力は、尊敬する。

 新聞部でいろいろな部活とつながりがあるのは確かだが、それでも、兼部して、自分で同好会をたちあげるというのは、やっぱりすごい。

 ぼくは、二年の途中で美術部を退部して、フリーゲーム同好会一本にしぼったけれど、それは要するに、まわりとの才能の落差に、ぼくのプライドがついていけなかっただけなので、ぼくも、もしかしたら兼部できたのかもしれない。

 しかし、兼部するくらいだったら、辞めたっていいかな、って思っていたぼくとは違って、ちゃんと最後まで新聞部に所属していた橘崎に、ぼくはやっぱり、尊敬やあこがれや――たぶん、嫉妬を覚えている。

 理性的に考えれば、部活をやめることが、必ずしも悪い選択肢ではない。

 部活を最後まで続けることが、必ずしも良い選択肢とはいえないのと同じことだ。

 それでも、最後まで部活を続けていた橘崎に、そういった感情を持ってしまうのは、なんというか、「途中であきらめてはいけない」式の古き悪しき日本の精神論を、自分の中にとりこんでしまっているようで、なんだか嫌な感じである。

 ぼくが思うに、本当に嫌なことは、さっさとやめたほうがよい。その理由は、だいたい二つある。

 ひとつめは、本当に嫌なことをすると、心も体もつかれてしまう上に、後遺症が残ることもあるので(いわゆるトラウマ)、さっさと離脱したほうが、ダメージが少ない場合も多いということ。

 ふたつめは、実際、今までのぼくの経験からいって、いやなことをやりとげたところで、まったく達成感や満足感を感じられたことはなかったし、さっさとやめておいたほうがよかった、という経験しかないからである。

 そう思っているのに、部活を最後まで続けた橘崎に、こういう気持ちを持つっていうのは、なんだかなあ、と思うのだった。

 ぼくは、感想をエディタで書き終えると、それを保存して、その日は寝た。


「よう、やまちゃん。元気か?」

「元気元気」

 放課後、ぼくのクラスに、橘崎がやってきた。

 ずっしりした体を、学生服で覆っている。

 ぼくは、ものを書く人間というのは、なんとなくやせているという雰囲気があった。

 橘崎は巨漢タイプなので、全然あてはまらない。

 やっぱり、イメージというのは、あてにならない。

「挿絵、どうよ」

 橘崎が、夏休みの間、がんばってシナリオを書いていたフリーゲームの下書きを、ぼくは頼まれているのだ。

「ああ、これ。あと数枚残ってるけど、今週か来週には、できあがると思う」

「おー、ありがと。うちでスキャンさせてもらうわ」

 商業のノベルゲームでは、立ち絵(画面に表示される、キャラクターが立った姿の絵だと思ってほしい)がある場合がほとんどらしいが、ぼくたちが作っているノベルゲームには、立ち絵がない。

 フリーのノベルゲームでは、立ち絵どころか、背景と文字と音楽だけというのも、わりとあるし、それでも素敵なゲームは作れるので、あまり珍しいことではない。

 ぼくが描くように頼まれているものは、イベント絵(背景画像ではないキャラクターが何かをしている様子を描いた画像)だ。

 あと、数枚程度なので、勉強の合間に描けば、問題なくいけるだろう。

「ま、スクリプトもだいたい組んだし、BGMやSEも用意したし、ちょうどいい感じかな。背景の写真がちょっと足りないかもしれないけど、最悪自分で撮ればいいしな」

 BGMはバックグラウンドミュージック、ゲームの後ろで流れる音楽のこと。

 SEはサウンドエフェクト。剣戟の音とか、ずっこけた音とかが、そうだ。

 背景は、商業ゲームだと、イラストレーターの仕事、つまりぼくの担当になるらしいが、写真を使うことになっている。

 フリーゲームだと、写真を背景に使うのは、本当によくあることなのだが、商業ゲームに慣れている人からすると、ちょっと驚く場合もあるらしいし、そもそも背景は写真じゃ絶対にいやで、イラストがいいという人もいるという。

 ぼくとしては、背景は断然写真派なのだが、これはきっと、ぼくがフリーゲームに慣れ親しんでいるからだろう。

 スクリプトというのは、英語でいう台本のことで、要するに、この文章を出しますよ、そのときにこの絵を出して、この音楽を鳴らしてくださいね、というプログラムの命令文だと思ってもらえれば、そう間違いではない。

「そういえばさ」

 ぼくは、ふと思い出して、橘崎に聞いてみることにした。

「なんで、ぼくを選んだわけ?」

「は?」

「いや、だから、あんでイラスト担当者がおれなわけよ」

「あー、なるほど。つーか、お前、俺にだけは、たまに一人称が『おれ』になるのな。前も言ったけど」

「仲がいいってことにしといてくれや」

「はいはい」

 そう、関係のないことを言って、橘崎はうーん、とうなる。

「とりあえず、帰りながら話そうぜ」

 昇降口を出て、途中まで一緒の帰り道を歩きながら、橘崎は話してくれる。

「あー、そうだな。まずは、お前さんが一番、下手っぽかったというか」

「なに?」

 反論がまったくできないことがくやしい。

 はっきりいって、ぼくはこの学校に入ってから美術部に入ったくちであり、まあ、ぶっちゃけた話、素人が絵の練習をはじめました、程度のものなのだ。

「いや、けなしてるわけじゃない。つまりさ、色がついてないっつーか。親しみやすいっていうかさ」

「はあ」

 よく理解できないという声のぼくに、橘崎は説明してくれる。

「俺は、上手い絵って、あまり好きじゃないんだよね」

「いや、ふつう上手い絵が好きだろ、みんな」

「違うだろ、それは」

 やつは、少しびっくりしたような声で言った。

「いや、でも、上手い絵と下手な絵だったら、みんな上手い絵のほうがいいに決まってると思うんだけど」

「それは誤解だなあ。少なくとも、俺は違うぜ」

「じゃあ、下手でも好きな絵って、どういうことだよ」

「うーん、やっぱり、親しみがある絵、ってことなんだよ」

「親しみ……」

「あたたかさとか、熱とか。なんでもいいけど、そういうやつ」

 ぼくの絵には、それがあった、ってことだろうか。

「俺が美術部に取材にいったときにさ、いろんな人の絵を見たんだけど、どれもまあ、うまいんだよね。美術部の連中って、みんなこんなにうまいのか、って思った」

「それは、おれも思ったよ」

 やっぱり小さいときから絵を描いてきたからだろうか。

 なんだか、レベルが違う、と感じた。

 絵を描くにしても、(気のせいかもしれないけれど)デッサンの基礎から学んでいる感じがあったし、絵を描かない人だって、彫刻とか、なんだかよくわからない、でも芸術性だけはビンビンに感じる謎のオブジェとかを作っていた。

 個人的には、なんだかおしゃれな小冊子を作っていた先輩のお姉さんが印象に残っている。ぶっちゃけ、売れると思ったし、文化祭でも評判がよかった。

「でも、違うんだよな。俺のゲームにのせたい絵はこれか? と言われたら、うーん、と思ったのよ。美術館とかで額縁に飾られていたほうがいいような絵が多かった、っていったらわかるか?」

「うーん、ハイソサエティすぎた、ということ?」

「ま、そんな感じかな。悪い絵って言ってるんじゃないぜ、もちろん。ただ、俺の作りたいゲームとの相性の問題」

 確かに、ダヴィンチの絵は、ゲームには合いそうにない。

「でも、上手い人はさ、応用力だってある場合も多くって、注文したら、普通に描いてくれたかもしれないじゃないか」

「あ、それは、実は俺も思った」

 思ったのかよ。

 だったら。

「だったら、なんで、絵の上手い人に頼まなかったんだ」

「そりゃあ、お前の絵を見ちゃったからだなあ」

「なんだそりゃ」

「一番魅力的だったんだよな、俺にとって」

 その言葉は、たぶん、橘崎にとっては、なんてことのない一言だったと思う。

 本当に、単なる感想。

 こいつは、こういうことを、さらっと言えるやつだから。

 人を褒めるときに、こいつは恥ずかしさとか躊躇とかないから。

 でも、だからこそ、心にぐさりとささった。

 もちろん、傷ついたとか、そういう悪い意味じゃなくて。

 ぼくの心を支えるような部分に、ぐっさりとささった。

 もしかしたら、一生抜けないかもしれないくらい、深々と。

「どした?」

 橘崎が、ぼくの顔を見ていた。

 どうやら、少し、ぼーっとしていたらしい。

「悪い、ぼーっとしてた。どこまで話したっけ」

「お前の絵が一番魅力的だった、ってとこまで」

「ありがと」

 お礼は言っておいたほうがいい気がして、でも、なんだか緊張して、短く言った。

「おう」

 返事はあっけなくて、たぶんこいつは、たんなる社交辞令としてのお礼だと思っているんじゃないかと思う。

「どこか一番魅力的だったんだよ」

「うーん、完成されてない感じが、よかった。のびしろがあると思った。それに、味がある絵だと思った。なんか惹かれるものがあるんだよね。あと、なんだかんだで、上手い絵だと思った」

「いやいや、さっき下手とか言ってたじゃんか」

 ちょっとは傷ついたんだからな。

 覚えてるぞ。

「うーん、それは、他の超レベルの高い、美術部のみなさんとくらべて、だからなあ。はっきり言って、やまちゃん自体のレベルは、そんなに低くないと思うぞ?」

「そう、なのかな。そんな風に思ったことは、ないけど」

 ぼくは、今まで自分の絵が上手いと思ったことは一度もない。

 上手い絵を描きたい。

 そう思ったことは何度もある。

 でも、いつでも、思うように描けてこなかった。

「うーん、たぶん、絵を描く人が少ないから、レベル低く思えるんじゃないか? クラスの人間に絵を描かせたら、たぶん上のほうにはいると思うぞ」

「そうかなあ。図工とか美術の成績だって、別によくなかったんだけど。絵画コンクールとかで賞を取ったこともないし」

 ぼくが自信なさげに言うと、

「お前、国語の成績がいいやつが作家になるとでも思ってんのか? おいおい、俺が知ってる、俺の好きな作家で、どっかの作文コンテストとか、そういうやつで賞を取ったやつが作家やってるのって、あんまり知らないぞ」

「言ってないだけじゃないのか?」

「ま、その可能性はあるな。でも、作文は苦手だった、っていう人なら、見たことがあるし、そういう賞とは無縁だった、っていう話も、読んだことある」

 要するに、だ。

 と橘崎は力を込めて言う。

「そういうのはさ、関係ないんだよ。マジで、全然、関係ないの。成績っていうのは、評価基準ってものが与えられてて、それに従ってつけられるんだからさ。しょせんは、他者の評価ってわけよ。コンクールだって、そうだろ? 結局は、審査員に受けのいいものが通るわけじゃないか。そんなものに踊らされるのって、悲しくないか?」

「でも、だれかに認められなきゃ、イラストレーターになれないよ」

「ん? やまちゃん、イラストレーターになりたかったの?」

 ぶわっ、と汗が噴き出た気がした。

 顔、赤くなってないだろか。

 お前のレベルで、そりゃねーよ、って言われないだろうか。

 そもそも、こんなこと考えている時点で、ダメなんじゃ。

 本当にやりたいやつは、そんなこと考えず、つっぱしるんじゃないか?

「え、と。いや、なりたいっていうか。なれたらいいなー、っていうか。まあ、できたらいいなってやつだよ」

 本気でなりたい、っていうほどのものでもなくて。

 なんていうか、あこがれ、みたいな。

 あんまりなれるとも、思ってないんだけど、できたらすっげーうれしいな、くらいの。

 そんな、望み。

「ふーむ。俺はかなり好きなんだが、もうちょっと練習しないと、一般受けはしないかもなあ」

「なっ、なんだよぉ」

 ちょっとだけ、イラッとする。

 イラッとする自分に、ちょっとだけ驚く。

 別に、そこまで思い入れのある望みじゃないだろうに。

「おお、悪い悪い。気を悪くしたらあやまる。でも、マジで望むなら、真面目な話、手が届くんじゃないかと思うぜ。巫女さんとか魔女とかが出てくるシューティングゲームを思い浮かべてみろ。うまいっていうより、味のある絵だろ? ああいうのが俺は好きなんだよなあ。需要はあると思う、マジで」

 ぽんぽん、と、ぼくの肩を叩く橘崎。

「それに、だれかに認められないとイラストレーターになれない、とか言ってたよな? 俺が認めてるのを忘れたのか? 俺のイラストレーターってことだよな、それじゃ?」

「む」

 確かに、ここに一人、ぼくの絵を認めているやつがいる。

 それは、確かだ。

 なんだかそれは――ちょっとやばいくらいの、安心感というか。

 ぼくは他者からの承認欲求を求めてさまよう、承認欲求乞食じゃないんだ、と思うものの、心にあふれでる喜びのようなものは消せない。

 ぼく、ちょろすぎだろ。

 ちょっと認められたくらいで、すぐこれだ。

「ま、さっきも言ったけどさ。完成されているような、うまい絵って、俺はあんまり魅力を感じないんだよね。遊びがあるというか、完成されてない絵がいい。ミロのヴィーナスみたいな。国語の教科書にあったよな、腕がなくて未完成だからミロのヴィーナスはあんなに魅力的なんだ、って。お前の絵は、俺にとってのミロのヴィーナスだ、みたいな?」

 物書きって、こんなに人をのせるのがうまいのか?

 もしそうなら、超こわい職業すぎるだろ。

 まじない師か蛇つかいのような、不思議な妖しさを感じる。

 それでも、橘崎にだったら、踊らされてもいいかな、と思ってしまうあたり、本当に危険である。

「ま、もっとも俺の持論だと、ゲームの面白さを支配するのは、絵じゃなくて文章、イラストじゃなくてシナリオなんだけどな。前も言ったと思うけど、ゲームを公開した後で、シナリオは神でしたけど、イラスト担当は変えた方がいいと思います、とか書かれても、大丈夫なくらいの覚悟はしといてくれよな?」

「あ、ああ」

 そういや、そんなこと言ってたな。

 あー、そんなこと書かれたら、すごくへこみそう。

「つーか、神シナリオになる自信があるのかよ?」

「いや、俺的にはかなり面白い作品であるとは思うけど、万人受けするかは、正直、そんなに自信はないね。つまらないって書かれるかもしれないし、もっと悪いことに、反響がまったくないかもしれない。感想ゼロとか」

 感想ゼロ。

「感想ゼロのほうが、批判や罵倒よりも、俺はいやだな。ひとりよがりだとか叩かれたとしても、それは少なくとも相手に何か伝わって、それが反響してるわけだからさ。それはすごいことだと思うんだよな。まあ、ネガティヴな意味ですごいんだけど」

「ぼくは――」

 叩かれる覚悟なんてないぼくは。

「ぼくは、感想ゼロのほうが、叩かれるよりは、いいな。感想ゼロだったら、また新しいものを作ろうっていう気になるけど、叩かれたら、ぽっきりと心が折れちゃうかも」

「ふーむ。そういうやつもいるかあ」

 そのあと、少し心配そうな声で、

「じゃあ、公開しても、批判的なメールとかは、読ませないようにするか? まあ、フリーゲームを公開してくれるサイトに書きこまれる感想とかまではコントロールできないけど」

「うー、やっぱり気になって見ちゃうと思う」

「こわいものみたさ、的な?」

「的な」

「じゃあ、どうすればいい?」

「愚痴を聞いてくれ」

「愚痴?」

「うわーん、絵がぼろくそに叩かれてつらいよう、って泣きつくから、なぐさめてくれ」

 ぼくがそういうと、橘崎は笑った。

「いいぜ、そうやって弱みを見せられると、つぶれないで済むことも多いしな。でも、ちょっと聞きたいことがあるんだが」

「なに?」

「なぐさめかたを教えてよ」

 どういうことだ、という顔をすると、橘崎は続けた。

「そういうとき、君を、どうやって、なぐさめていいのか、わからない。人によって、欲しいなぐさめって、たぶん違うと思うから」

 その顔は、さっきまでの笑顔ではなく、けっこう真剣な表情だった。

「かわいそうだね、って言ったら、同情するな、って怒る?」

 まるで、真摯にこの問題に向き合っているような。

「自分もつらいことあったよ、って言ったら、つらさを一般化しないで、って悲しい気持ちになる?」

 本当に答えが知りたいような顔だ。

「なぐさめたいけど、どうやれば、なぐさめたことになるのか、わからないんだ。だから、教えてほしい」

 ぼくは、考えて、答えた。

 たぶん、橘崎は、このことを、割と本当に真剣に考えているのだと思ったから。

 もしかしたら、昔、何かあったのかもしれないし、実はやつの人生の中で、これはけっこう大きなウェイトを占める問題の一部なのかもしれない。

 それはわからない。

 でも、たぶん、真剣に答えが知りたがっているのだと思ったから、ぼくも真摯に答えることにする。

「そのときになったら、どういう風になぐさめてほしいのか、わかると思うから。そのときになったら、ちゃんというよ」

 その答えを聞いて、徐々に表情がやわらかくなる。

「そうか」

 こくり、と橘崎は軽く首をたてに振って、同じ言葉を繰り返した。

「そうか」

 橘崎は、足を止める。

「ここで、お別れだな」

 いつもの、帰り道の分かれ道。

 途中まで一緒だった帰り道が、それぞれの家に向かって、分岐するポイント。

「ああ」

「なあ、やまちゃん。でも、俺のシナリオのほうが、叩かれることだって、あるんだぜ?」

「ぼくの絵よりも叩かれるとは思わないけどね」

 これは、ぼくの素直な気持ちだ。

「でも、もし、そうなったらさ。橘崎にふさわしい、なぐさめかたを教えてよ。そうすれば、ちゃんとなぐさめてあげるからさ」

「おう、そのときは頼むわ」

「じゃあね」

「じゃあな。絵、よろしく頼むわ」

 そう言って、ぼくたちは、手を振って別れた。

 家に帰ったら、残ったイラストを描かないとな。


 絵を描くのは、きらいじゃない。

 でも、思い通りにならないから、いやだなと思うことはある。

 それでも、なんとなくでも、絵を描いていると、気持ちが良い。

 最初は、人に見せるなんて、考えもしなかった。

 人に見せるということが事前にわかっていたら、たぶん、絵を描くのは楽しくなかっただろう。絵を描きはじめたころのぼくなら、そういう風に感じていたはずだ。

 いや、描きはじめたころどころか、ついこの間までのぼくなら、人に見せること前提の絵は、とても描いていても楽しめなかっただろうと思う。

 でも、自分なりに絵を描くことに限界を感じてきて、美術部に入ったときは、まあ下手だけどしょうがないかな、という気持ちがあった。

 下手なのをみんなに見られるのは、確かにいやだけど、しょうがない、という、一種のあきらめの境地にいた。

 楽しめなくてもいいや、それよりも技術の習得が今は大切だ、と思っていた。

 描いてうまくなればいいや、とも思っていた。

 もちろん、技術のレベル差があって、美術部に在籍しているだけで、自分程度のものがここにいていいのだろうか、という、尻込みする気持ちや、存在を恥じる気持ちには確かになっていたし、プライドにも地味に傷がついていく日々だったのだけれど。

 でも、部員のみんなは、気のいい人たちだったし、バカにされることもなかったから、それはよかった。

 本当に感謝している。

 恥ずかしいのは自分の心の問題だ。

 もしかしたら、相手はそんなに気にしていないかもしれない。

 それに、相手が自分の絵をどう見るかが重要なんじゃない。

 自分が、他の人よりも下手な絵しか描けなくても、それでも、絵を上手に描こうとか、一人では突破できないある種の壁を突破しようとか、そういうことを考えて、練習していくのが大事なんだ。

 だから、日々は練習だと思って、美術部で絵を描いていた。

 ホント、ぼくにしては珍しく、いい感じに吹っ切れていた時期だったなあ、と思う。

 一種の「熱」があった。

 熱さ、とでもいえばいいのか。

 ぼくは確かに絵が下手だが、練習して、それなりに「見える」ものを描こうという意志があるし、そのためにここにいるのだから、恥ずかしがっている場合じゃないんだ!

 という感じの、熱い想いがあった、のは間違いない。

 思春期の高揚であり、若さゆえの無謀さという人もいるかもしれないが、はっきり言って、このときの選択を後悔したことは、一度たりとてないし、その選択を選んだときも楽しさはあったし、思い出になった今でも、いい思い出だな、と思い出すことができる。

 よい出来事には、やっているときは楽しいが思い出すとそうでもない出来事と、やっているときはふつうだが振り返ってみると楽しい出来事と、やっているときも思い出しているときも幸せな気分になれる出来事の、三種類があると思う。

 美術部での活動は、間違いなく、その最後のものであった。

 それでも、美術部にいたほかの人たちと比べると、やはり劣っていると自分でも思っていたし、むしろ新しく入ってきた年下の部員のほうがすごいぞ、と思うことも何度もあった。

 でも、自分があそこで絵を描いていたせいで、橘崎に見つけてもらえたかと思うと、やっぱりあそこにいてよかったと、過程だけでなく、結果から見てもそう思うのだ。

 橘崎とのゲーム制作についてだが、ぼくは、有料の画像編集ソフトは持っていないし、ペンタブもないので、アナログ絵を、橘崎に直接渡す、という方法をとっている。

 聞く人が聞けば、それがインターネット時代のイラスト担当者のやり方なのか!?とびっくり仰天してしまうかもしれない。

 ぼくも、古いやり方だなあと思う。

 でも、どうもパソコンの画面をずうっと眺めていると、ぼうっとしてしまって、うまく集中できない気がするのだ。

 絵を描いているというよりも、パソコンで作業している感じになってしまうというか。

 なんだか、頭がぼんやりしてしまうので、どうも変な感じがしてしまうのだ。

 最初は物珍しいのでのめり込んだし、間違えたところをすぐに直せるのは、本当に最高だと思うのだが、今はデジタル絵はまず描いていない。

 それに、お金ができたらそういうパソコンで絵が描けるソフトを買えばいいから、今はアナログで技術を高める時間にしよう、と勝手に決めている。

 デジタルにはデジタルのやり方、表現方法があると思うが、それを突き詰めるのは、アナログをもっと探究してからだ、というのが、ぼくの今現在のスタンスである。

 そういうわけで、ぼくは、電子メールで送られてきた、橘崎のシナリオの設定とか、登場人物表と登場人物たちについての説明とか、描くべきシーンの文章を読んで、描くべきもののイメージをかためる。

 とりあえず、適当な、いらないプリントの後ろに、「とりあえず」で描いてみる。

 これが大事なのだ。

 本番だと思ってしまうと、ぼくは緊張して委縮して、筆が止まってしまうことがけっこうある。

 これが、下書きだ、ラフだと思うと、気負いなく描ける。

 その中で「いいな」と思ったものを選べばいいのだ。

 いい加減な気持ちで、「とりあえず」精神を持って、思いつくままに絵を描いてみる。

 ちょっと違うな、と思ったら、消しゴムで消して、鉛筆で訂正する。

 もっと違う風に描いたらどうなるんだろう、と思ったら、別のプリントの裏に描く。

 そして、そうやって、何枚かラフを描く。

 この段階で、とりあえず作業を止める。

 明日、橘崎に見せることで、どの構図の絵を選ぶか、決定してもらうのだ。

 基本的に、ぼくのお気に入りがあれば、それを決定としてもいいのだが、今回描きあげた分においては、自分ではどれがいいか決められないので、橘崎に見てもらうことにする。

 橘崎は、本当にディレクションの才能があると思う。

 リーダーシップがあるというか。

 でも、橘崎とは、昔同じクラスだったことがあるけれど、クラス内でリーダーとか、中心人物とか、そういう立場にはいなかった。

 だから、一緒にゲームを作って、ちょっとびっくりしている。

 そういうことを昔言ったら、橘崎に笑われた。

 自分もリーダーシップがあるとは全然思っていないそうだ。

 結局、自分の作りたいものを作っているだけだし、橘崎以外には、ぼくだけしか制作陣にはいないのだから、リーダーというほどでもないだろう、と。

 でも、やっぱり、橘崎には人をひっぱっていく力があると思う、少なくとも、ぼくの目にはそう見える。

 そういうと、橘崎は、結局それは自分のやりたいことをやっているから、そう見えるだけで、この程度の能力は、たぶん自分の好きな分野で何かをまかされた人間全員が発揮できる能力だと思うよ。

 そんなことを、言った。

 ぼくは、それを聞いて思ったのだ。

 じゃあ、ぼくも、そういう状況になれば、そういう力が得られるのだろうか?

 あんまりリーダーになりたいと思ったことはない。

 無理やり、委員長とかにさせられたことはあったけど、それは、ぼくがおとなしい人間だと思われていて、なおかつ成績もわりとよかったからだと思う。

 一種のスケープゴート、いけにえの山羊であり、みんなのやりたくない仕事をやってくれる真面目で(都合の)いい人、という立場だったんじゃないか、と思っている。

 もちろん、こういう立場は、リーダーシップとは関係がない。

 少なくとも、関係がない、とぼくは思っている。

 みんなの嫌がる仕事を押し付けられる人間が、リーダーというのは、なんだか違和感がある。

 それでも、先生とかに頼まれて、いろいろな仕事をしたりしたので、リーダーっぽい経験は積んでいるのだろう。

 学級会の司会みたいなこともしたことがある。

 でも、リーダーっぽいと多くの人から見られるのは、たとえば体育祭で応援団の団長をやるような人間であって、ぼくのような、推薦で委員長になるような人間ではないのだ、と思う。

 しかし、嫌な仕事を引き受けているわりには、あまり名誉はもらっていないよな、と、ちょっとだけイライラする。

 テキトーに学生生活をサヴァイヴしているような人間が、クラスの注目と承認を集めているのは、なんとなく納得がいかない。

 でも、彼らだって、彼らなりの苦労があるんだろうとは思うけれど。

 しかし、よく考えてみると、ぼくは別に、リーダーになりたいなんて思っちゃいないのだから、それはそれで別にいいのかもしれない。

 いやな仕事を押し付けられるのは嫌だけど、学級委員長の仕事って、別にそんなにいやじゃなかったし。

 先生としゃべれるのも、なかなか悪くない経験だった。

 大人としゃべるのが、ぼくはけっこう好きだから。

 ぼくは、だれかをひっぱるより、自分で自分の好きなことをやる、というほうが、性に合っていると思う。

 それでも、自分でもだれかをひっぱれるかもしれない、そういう人間になれるかもしれない、と思うのは、いったいどういう心理状態なんだろう。

 権力欲とか、承認欲求なんだろうか。

 あるいは、自分の能力を高めたいという向上心?

 それも、あるかもしれない。

 でも、たぶん――――。

 たぶん、なんだけど。

 ぼくも、橘崎みたいに、自分が主導して、何かを作ってみたいと、ゲームを楽しそうに作る橘崎を見て、そう思ってしまったんじゃないか―――。

 そう、思った。

 ぼくが、もし、何かを作るなら、やっぱり灰音さんに声優を担当してもらいたいな、と思う。

 灰音さんは、学業とも両立させているために、たくさん声の仕事を受けることはできないし、価格破壊を起こすとネット声優で食べている人が食べられなくなってしまうから、有料の仕事の場合、それなりに割高の値段設定にしてあるつもり、みたいなことを、以前ブログに書いていた。

 最初はこれでいいのかな、と思ったけれど、安い値段設定にしてある人だと変なトラブルに巻き込まれることもあるみたいだから、高めの価格設定でよかったし、実際、オーバーワークでやばいということもないので楽でいいということも言っていた。

 それでいて、料金体系はサイトに書いてないんだよな。

 時期によって変動があるから、あまり表に出さないということか。

 それとも、自分がネットに価格を出すことで、なにか価格競争的なものを引き起こしかねないと思って、自重しているのか。

 よくわからないのだけど、いったい、灰音さんに声をあててもらうのに、どれくらいの値段がかかるのか、いまいちよくわからないんだよな。

 だいたい、全体として二万円以下の仕事は請け負ってないらしいし、前払いのみ受け付けらしいけど。

 そういうことは、サイトの「お仕事依頼について」というページに書いてあった。

 でも、ゲームの1台詞(つまり「」でくくられた部分)あたりの値段は、表記されてないんだよな。

 しかし、ぼくのように、灰音さんにぜひやってほしい、という場合は、とりあえず二万円用意すれば、あの声でゲームが作れるわけだから、あとはメールで問い合わせたりすればいいだけだ。

 いったい、二万円だと、何台詞言ってもらえるのか気になるけども……。

 そういえば、シナリオができていない作品は受け付けてもらえないそうだから(これは他の有償で仕事を請け負っているネット声優さんもだいたい同じらしいが、台本ができてないのに演じるのはそもそも無理がある)、とりあえずシナリオは書いておかないと。

 でも、だれが書く?

 灰音さんに演じてもらうんだったら、橘崎とかにまかせるんじゃなくて、自分が書きたいなあ。

 うん、やっぱり自分で書くのが一番いい。

 はっ。

 として我に返る。

 ついつい、妄想の世界に入ってしまった。

 うん、でも、こうしてああして、ああなって……って、自分の理想を考えるのは、本当に楽しい。

 正直、こういうことを考えているときの自分の顔は、だれにも見られたくない。

 恋人と歩いているところなんて誰にも見られたくない、という話を聞いたことがある。

 ぼくは、自分が一人でいるときの顔のほうが、だれにも見られたくない。

 なんだか、とっても恥ずかしい感じがする。

 恋人と一緒にいるときの顔は、だれかと一緒にいるときの顔だ。

 だけど、自分一人でいるときの顔は、だれかと一緒にいるときの顔じゃない。

 どちらが無防備か?

 ぼくは、自分一人でいるときだと思う。

 恋人がいて、いちゃいちゃしているのは、恥ずかしいかもしれないけれど、それでも相手のいることだ。

 たった一人でいろいろ空想とかして薄ら笑いを浮かべているぼくの顔のほうが、知られなくないと思う。

 こういうのを、堂々とできる人って、正直、尊敬する。

 無神経なだけだというやつもいるかもしれないが、ぼくはけっこう勇気がある行動だと思うのだ。

 ぼくは、灰音さんのページにアクセスして、灰音さんの声を聞く。

 灰色の音の森、というタイトルがついている、音声作品の過去ログのところへ、クリックして入っていく。

 灰色の音。

 灰音さんの声は、確かにハスキーボイスで、女の人の声なんだけど、かわいいというより、かっこいい感じの声だ。

 甘えた演技とかも聞いたことがあって、それは間違いなくかわいいんだけど、声の質だけで見ると、かっこいいに近いと思う。

 少しかすれたような、透明感のある、どことなく硬質な声。

 その声に、灰色の音、というのは、ぴったりくる形容に思えた。

 あ~、ぴったりな声だなあ、言語センスも最高だよ~。ということを、顔も見たことがない女の人に思ってしまうのは、あきらかに、なにかダメなラインを超えつつあると感じるのだけど、正直、今、一番情熱をかたむけられるのが灰音さんであり、ぼくは灰音さんに恋をしているといっても、過言ではない。

 自分で言って、これは「なにかダメなラインを超えつつある」どころか、とっくの昔に超えてしまっているのでは?

 そんな疑問が浮かんでしまうのだが、それさえも甘い墜落のようで、心地よい。

 音声の過去ログをたどって、「灰音の歌」のところから、かなり古い楽曲を聴く。

 練習したのか、最近の歌は、かなり上手いのだが、ぼくは初期の素人っぽい、あかぬけない歌のほうが好きだ。

 はっ、とする。

 これか?

 これなのか、橘崎が、ぼくをパートナーに選んだ理由は?

 イラスト担当者として、上手いというよりも、素人っぽい、あかぬけない感じを出してもらいたかった、というか、そういう表現が欲しかった、ということだろうか。

 あいつは、フリーゲームには、並々ならぬ(とすくなくともぼくには思える)こだわりを持っているようだから、「プロじぇねえんだから綺麗な絵が欲しいんじゃねえんだ、素人ががんばって描いた感がある絵が欲しいんだよぉ!」みたいなことを言いたかったのかもしれない。

 ありがとう、灰音さん、あなたのおかげで、ぼくは友人の気持ちが、頭でなく心で理解できました。

 心の中で合掌して、ぼくは灰音さんの下手で最高な歌を聴く。

 あまりうまくない歌が、たまらなくぼくの胸をたかならせる。

 ついそこの街角を曲がったら会えるような親しみやすさがある。

 まるで、自分でも手が届くかのような距離感。

 きっと、それは錯覚で、だけど、孤独をいやすには良い距離。

 あまりにもすばらしすぎる技術は、まるで存在階梯の違う人間に思えてしまうから、心の距離を感じてしまってさびしい。

 まるで、その人が階段の上のほうにたっていて、上にのぼっていくのを、ぼくが踊り場から、胸をしめつけられるような気持ちで見ているような、そんなさびしさを感じてしまうから、ぼくは、この頃の、下手な曲が好きなのだ。

 ぼくは、灰音さんのことを、本当に初期のころから知っている。

 だから、この曲だって、サイトにアップロードされたときに、すぐに聞いたし、感想だって送った。灰音さんからメールの返信をもらったことだってあるのだ。

 ぼくは、本当に初期のころから、灰音さんのサイトにアクセスしてきたし、ブログに感想だって書いてきたのだ。

 サイトが出来てから、一年以内どころか、半年以内にブログや掲示板に書きこみをはじめて、それから今までずっと感想を書いてきた。

 なんだか学校で嫌だなあと思うときも、灰音さんの歌を聴いたり、ウェブラジオを聴いたり、灰音さんの出ているゲームをやったりすることで、そういういやな思いから身を守ってきたのだ。

 ぼくの生存に、力を貸してくれたといっても、そう間違いじゃないかもしれない。

 なんだか、こう書いていると、自分がネットストーカーになっているのではないかという気持ちもする。

 ぼくは、本当に、灰音さんのことが好きで、大好きで、会いたいと思うし、会って話したいと思うし、友だちになりたいくらいで、でも、もしかしたら、こんな気持ちを持つこと自体が、迷惑なのかもしれない。

 でも、好きを理性で止められるのか?

 いや、抑えることはできるんだろうけれど。

 そして、もちろん、嫌がることをするつもりなんて、まったくないけれど。

 でも、なんだか、最近、灰音さんとぼくとの距離が開いている気がする。

 距離が開いているもなにも、ネットを通してしか会ったことがないのに、そんなことを言うなんておかしいと思う人もいるだろう。

 その気持ちはわかる。

 ぼくも、もしかして、こう考えるのはおかしいのかな、と思わなくもない。

 でも、実際にそう感じてしまっているのだから、どうしようもない。

 灰音さんは、最近、本当に、人気が出てきているようなのだ。

 それ自体は、よいことだ。間違いなく。疑いようもなく。

 しかし、そのことが、ぼくと灰音さんの距離を開けているような気がする。

 昔は、本当に、小さなコミュニティで、細々とやっていたのだ。

 ブログにコメントなんて、ゼロのときだってざらにあったし、掲示板に数か月くらい、ぼく以外の書きこみがないときだってふつうだったのだ。

 声をアップロードしても、別に反響があるわけじゃなくて、それでもぼくはコメントを書いていて、だから、むこうもぼくのハンドルネームを覚えているはずだ。

 たぶん。

 きっと。

 そうであってほしい。

 そうであってくれるよね?

 それとも、そうであってはくれないのか。

 今は、下手したら、有償の声の同人の仕事で、家賃が稼げるんじゃないか、ってくらいみたいだし、ブログにコメントが、下手したら三桁のレベルでつく。

 歌をアップロードしたら、感想がつくし、ニコニコ動画だったら瞬間的にコメントが画面を見えなくなるくらい覆うことだってある。

 隔世の感がある。

 マジで。

 そして、ぼくは、とてもさびしいのだ。

 ぼくと灰音さんの世界。

 そんなものは、お前の頭の中にしかなかったのだ、という人もいるだろう。

 でも、少なくとも、ぼくの頭の中にはあったのだ。

 今は、ない。

 どう考えても、ぼくだけが知っている、マイナーだけど最高の声の、ぼくだけが彼女の魅力を知っているんだ、みんなにはわからなくてもぼくだけは知っているんだ、という濃密な距離を感じさせてくれたあの世界は、ぼくの頭の中にはない。

 ない。

 頭の外にも、中にもない。

 ぼくは、一種の発狂状態にあるのかもしれない。

 でも、本当に悲しい。

 灰音さんが有名になるのは、ダメなことか?

 いや、そんなことはない。

 むしろ、いいことだ。

 でも、ぼくは、さびしくって、さびしくってしょうがない。

 今が秋だからだろうか。

 本当にさびしい気持ちで、胸がしめつけられる。

 ぼくは、本当に灰音さんが好きだったし、今でも好きだ。

 見たこともない人を好きになるのは、おかしいと笑う人もいるだろうか。

 でも、これは間違いなく恋なのだと思う。

 笑いたければ笑えばいいと思う。

 自分でも笑いたいくらいだ。

 直接、話したことはない。声を聞いたことはある。

 灰音さんの筆跡を知らない。でも、メールや掲示板やブログで筆談した。

 人前でどんな風にふるまうのかは知らない。でも、心の中で何を思っているのか、ぼくは知っている。

 それは、ネット人格なのかもしれない。

 でも、リアルの人間関係じゃ出せない部分もあっただろうと思う。

 ブログとか、ウェブラジオとか、掲示板やブログやメールの返信とか。

 クラスの人間関係と、どっちが深いやり取りなのかって、わからないと思う。

 人によっては、ネットよりも断然、対面のやり取りのほうが深い会話をしているという人だっているだろう。

 でも、絶対、確信を持って言えるけれど、ネットのほうが、みんなに言えないことを、それでも本当は言いたいことを、言えている人はいると思う。

 ぼくのように。

 ゲームのことなら、橘崎と話せる。

 あいつは、ぼくが数少なく、弱みを見せて話すことのできるリアルの人物だ。

 たぶん、ネットという共通の趣味があったからだと思う。

 ぼくが橘崎と出会ったとき、パソコンがある家庭はそこまで多くなかったし、子供にネットを使わせる親も、そこまでたくさんはいなかった。

 だから、あいつとぼくとは、同じにおいがするんだ。

 全然性格の違うやつが、友だちになって、意外な共通点、しかもあまり同じ経験をした人がいないような、そういう共通点を持っていることがあとでわかる、ということがあるらしい。

 それと、少し似ている気がする。

 ぼくと橘崎の場合は、あまり他に同じ経験をしている人がいないような、そういう共通の経験をもっていたのを、お互いに知ったからこそ、仲良くなったのだけど、それでも似たようなにおいが、にじみ出ていた気がする。なんだか、仲間の匂いがした。

 だから、橘崎には、他の人には言えないことも話せる。

 でも、やっぱり言えないこともあって、それは、恥ずかしいからだ。

 自分の弱みを見せるのは、恥ずかしい。

 それに、あいつとは、ゲームを作るということで結束している部分が、特に最近は多いから、それ以外の話は、どうもぼくの方がしたくないことも多い。

 つまり、それは、悩みを話しても聞いてくれないとか、そういうことじゃなくて、あいつとは、ゲームの話をしているときが、一番楽しいということだ。

 楽しくない話を、わざわざしようとは思わない。

 でも、灰音さんには、話せた。

 それは、灰音さんにはじめて会ったとき、それはネット上での付き合いで、最悪の場合、自分からアクセスを遮断すれば、永遠に会わなくていいという気軽さがあったからだろう。

 ネットでの縁は、断ち切りやすい。

 卑怯な精神だ。

 最初は縁が断ち切りやすいから、自分の弱みとか孤独とかを話せたのに、相手のことを好きになって、縁が切れるのを恐れるなんて。

 筋が通っていない。

 だいたい、ぼくは、相手に弱みを見せると、相手に急激に依存するようなところがある。

 基本的に他人が信用できないから、信用できる相手には、とことん弱音を吐き出してしまう。

 でも、それって、人によっては、かなり負担になりかねないんじゃないかとも思う。

 そんなことを言われても重い、というか。

 でも、重いってそんなに悪いことか?

 思いが重いのって、そんなに変なのか?

 発音だって同じじゃないか。

 「思い」も「重い」も、どちらも「おもい」じゃないか。

 重い思いがあってもいいんじゃないかと思う。

 もちろん、相手にも、相手のキャパシティ、許容限界、許容限度というものがある。

 だから、相手に過剰なストレスを与えるようなことはつつしむべきだ。

 それは、もちろんだ。

 でも、それは大前提としたうえで、ぼくは自分の思いを伝えたいと思う。

 それが、重いと言われても。

 重くってかかえきれないなら、そのとき、拒絶してくれればいいから。

 せめて、気持ちを知ってほしいと思う。

 ぼくは、お互いに依存しあうような関係に、あこがれている。

 自立という言葉は、好きじゃない。

 まるで、お互いに関係ないような響きがあるから。

 だれの助けもいらず、ただ孤独に立っているだけのような気がするから。

 それは、なんだか、さみしいイメージだ。

 ぼくは、だれかとつながりたいと思う。

 だれにも捨てられたくない。

 受け入れてほしい。

 ぼくを、ぼくのままで。

 ダメな部分もふくめて。

 それが駄目なら、せめて、ぼくのダメなところを、知ってほしい。

 受け入れなくていいから、ダメな部分も存在することを知ってほしい。

 みんなに受け入れられる部分だけを表出するのは、苦痛だ。

 それは、自分ではない感じがして、みんなに嘘をついている感じがするのも心苦しいし、そもそも、自分が自分ではない感じというのは、純粋に気持ち悪くて不愉快な気持ちだ。

 ぼくは、ぼくを見てほしい。

 みんなに受け入れられるために調節した偽物のぼくじゃなくて。

 みんなに受け入れてもらえるであろうと、ぼくが勝手に想像した、ぼくの嘘の言葉、ぼくの嘘の声じゃなくて、ぼくの本当の声を聞いてほしい。

 灰音さんにも、本当のぼくの声を聞いてほしいけど、それだけじゃなくて、ぼくは、もう世界に嘘をつきたくない。


 ぼくは、登校中や、下校中には、絶対に音楽を聞かない。

 世の中には、イヤホンをつけたまま、道を歩いている人がいる。

 怖くて、そういうことはできない。

 できないし、したくない。

 なんだか、大事な音や声を聞きのがして、大変なことになりそうだからだ。

 心配性すぎる?

 あるいは、そもそも、世界への信頼度が低いのかもしれない。

 でも、今日は、ぼくはイヤホンをつけて、昔に兄からもらった、小型の音楽再生機を使って、音楽を聞いている。

 ここは通学路じゃないから。

 ここは教室だから、問題ない。

 音楽プレイヤーは、持ち込み禁止物にはなっていないから、持ってきている人も、それなりにいる。音楽を聞きながら勉強したりするのだ。

 でも、盗まれるといやだから、体育があるときは、ぼくは絶対に持ってこないけど。本当に、ぼくは世界を信用していない。

 もっとも、受験の近いから、もう体育はなくって、だから持ってきても、盗まれる心配はない。ずっと学生服のポケットにいれて、だれにも奪われないようにしているから。

 今日は、橘崎に、絵のラフを見せて、どれがいいか決めてもらうことになっている。

 そのはずなんだけど、意外と橘崎が遅いので、音楽を聞くことにしたのだ。

 あいつ、約束忘れてるんじゃないだろうな。

 昨日メールで連絡して、ちゃんと返信が来たから大丈夫だと思うが……。

 こういうとき、携帯を持っていないと不便だ、とは思わない。

 たとえ持っていたとしても、こういう局面では、絶対に使わないだろうから。

 だいたい、橘崎が今、どんな状況にあるのかわからない。

 先生に呼び出されているときに、ポケットで電源を切り忘れた携帯が、ぶーっ、ぶーっ、と無様なマナー音を鳴らす、なんて局面を友人に用意したくはない。

 そういう可能性がある行動は、つつしみたいと思っている。

 だから、こういうときに、携帯を使ったりはしない。

 あとで、あいつのクラスにでも行けばいいことだ。

 ぼくの教室には、数人しかいない。

 あまり音楽を聞いているところを人に見られたくないから、好都合だ。

 ぼくの席は後ろだし、あまり見られるとも思えない。

 この音楽再生装置は、兄のおさがりで、兄が仕入れた楽曲が、たくさん入っている。

 ぼくは、そこに入っている音楽の中で、いいな、と思ったものを選び出して、自分なりのアルバムにしている。

 だから、何を聞いてるの、と言われて、自分のアルバムを見られたら、自分の心の中を見られるようで、恥ずかしい。

 何を聞いてるの、と聞かれて、どう答えようかということも事前に予想してある。

 内緒、と答えようかと思っている。

 プライベートだからいや。

 恥ずかしいからいや。

 いやなものはいや。

 でも、それでもしつこいやつはいるかもしれないから、なるべく、音楽を聞いていることさえ悟られないようにしたいのだ。

 それにしても、どんな本を読んでいるの、というのは、あまり恥ずかしくないのに、どうして音楽はそうでもないんだろう。やっぱり自分なりにアルバムを作ったからかな。

 ぼくとお兄ちゃんの音楽の趣味は、あまり合わない。

 だけど、それでも自分にも合う曲はあるし、お兄ちゃんは、わりと手あたり次第に曲をプレイヤーにぶちこんでいたようだから、それでアルバム、つまり、自分なりの再生リストをつくって、自分の好みの音楽が流れるようにしたのだ。

 マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield)のムーンライト・シャドウが、今、流れている。

 吉本ばななの、キッチンという単行本の中に、死んだ人と出会うような話だったと思うが、なかなかぐっとくる話があって、それがムーンライトシャドウというタイトルだった。

 この音楽から、題名を取ったらしい。

 ぼくは、死んだ人と再会する話とか、幽霊と交流する話とかが、かなり好きだ。

 なんでかは知らない。

 曲が、The SundaysのLeave This Cityになり、Boys like GirlsのThe Great Escapeと続いて、Silver ScreenのReally No Wonderになったあたりで、橘崎がやってきた。

「悪い、先生にわからないところを聞いてたら、ちょっと思ってたより時間がかかっちまってさ。でも、やまちゃんなら待っていてくれると思って。悪い!」

 そう言って、手を頭の上で合わせて、おじきをする。

「いや、別にいいよ」

「じゃ、歩きながら話す? ここにする? それとも、俺の教室行く?」

 そう言って、親指で後ろを指さす。

 要するに、教室を出るかどうするか、って話だろう。

 ぼくは、橘崎の何も持っていない手を見る。

「あー、寒くなってきたしな。中庭で話すのもきつい季節だし、橘崎の教室に行って、一緒に帰ろうよ。荷物、持ってないみたいだし」

「待たせると悪いと思ってな。全速力で来た」

「ゆっくりくればよかったのに。ちゃんと待ってるから」

「次からそうする」

 教室を出たら、橘崎は、思い出したように聞いてきた。

「そういえばさ、さっきは、何を聞いてたんだ?」

 人が、ぼくたち以外にはいないところで、こんな質問をするのが、考えてやっていることなのか、そうでもないのか、ぼくには判断がつかない。

 わかっているのは、橘崎の、こういう距離感がとても心地よいということだ。

 もし、これが橘崎の「ふつう」なんだとしたら、それは、ぼくの「ふつう」と、とても相性がよいのだろう。

「あー、シルバースクリーンの、リアリーノーワンダー」

「洋楽か?」

「ああ」

「ぜんっぜんわかんねえな。聞いたことない」

「おだやかで優しい曲だよ」

「ほかには?」

「ボーイズライクガールズで、ザ・グレートエスケープ」

「そのバンド名ってさ、男の子は女の子が好きって意味? それとも、女の子たちみたいな男の子って意味?」

 ライクを、動詞として取るか、前置詞として取るか、という問題か。

 最初がボーイズじゃなくて、ボーイだったら、英語は三単現(三人称単数現在形)のときに動詞の形が変わるという文法規則があるから、どっちの意味か確定できたんだけどな。

 動詞の意味で使っているなら、ライクス(likes)になるはずだから、ライクスかライクで、どっちの意味か判別できたはずだ。

「それ、ぼくも考えたけど、わかんない」

「ネットで検索かければわかるんじゃ?」

「そこまで手間をかけたくないし、実は、そのどっちだかわからない状態がお洒落じゃないかと思ってるので、調べたくない」

 そう言って、ぼくはにやっと笑った。

「意味を確定させないのがあいまいでカッコいいってか? まあ、気持ちはわからなくもない」

 橘崎も、にやっと笑う。

「あとは、ザ・サンデイズのリーヴ・ディス・シティと、マイク・オールドフィールドのムーンライト・シャドウ」

「うおー、どっちも知らないなあ」

「ぼくも、たまたま知っただけだからね。でも、ムーンライトシャドウは、吉本ばななのキッチンに収録されている同名の短編にインスピレーションを与えたんじゃなかったかな。タイトルはそこから取った、ってあとがきに書いてあったような」

「マジで? 俺、キッチン読んだけど、全然覚えてないな。もう一度読み返してみようかな。本棚は外に置けという信念だから、図書館で借りてこなきゃだけど。つーか、帰りに借りていくか」

 うちの近くには、図書館があるので、帰りによることもできるのだ。

「橘崎は、洋楽は聞かない?」

「あんまり聞かないな。あ、でも、最近いいなって思ったのはある」

「へえ、なんてバンド? 曲?」

「ヴィア・ジント・ヘルデンとか、シガーロスとか、アライツ・エタ・マイデルとか」

「それ、英語じゃないよね、たぶん?」

「よくわかるな」

 ぴょこん、と眉をあげて、橘崎が感嘆した顔をする。

「シガーロスだけ微妙だったけど、明らかに他の二つは英語の発音じゃないと思うよ。なんか、響きが違うじゃん」

「まあ、言いたいことはわかる」

「どこの国?」

「あー、詳しくは覚えてないんだけど、ヴィア・ジント・ヘルデンがドイツで、シガーロスが北欧あたりのどこかだった気がする。アライツ・エタ・マイデルは、バスク語」

「バスク語? あの、ヨーロッパの言語の中で系統不明と言われていて、ヨーロッパの土着の言葉なんじゃないかと言われている、スペインで独立運動もある、あのバスクの人たちが使っている言語の、バスク語?」

 系統不明というかっこよすぎる属性の外国語、一度名前を聞いたことがあるが、印象が強くって、しっかりと心に残っていた。

「お、おう。それそれ。何言ってるのか全然わかんないけど、いい曲だと思う」

 ぼくの言葉の勢いに、若干押されながら、橘崎は答えた。

「全部外国の音楽だけど、橘崎、けっこう好きなの?」

「いや。俺はスピッツとスネオヘアーが好き。基本的に聞くのは邦楽だよ。今言ったのは、たまたま友だちが教えてくれただけ」

 音楽について教えてくれる友達がいる橘崎に、ちょっとだけ嫉妬する。

 ぼくには、そういう友だちはいないもんなあ。

 こいつは、なんだかんだで、顔が広いんだよな。

 新聞部にいたから、自然とそうなるんだって言ってたけど、たぶん、うちの学年で橘崎を知らない人は、ほとんどいないし、先輩や後輩にも知り合いがいたことを、ぼくは知っている。

 廊下を普通に歩いているだけで、ぼくの知らない人から挨拶される橘崎を見て、いろんな人とつながっている感じがして、正直、うらやましいと思ったことも何度かある。

 そんな話をしているうちに教室について、橘崎の机の上に、ラフを何枚か載せる。

 ぱらぱらっと見て、すぐに、これとこれとこれで描いてくれ、と指示されるから、選ばれたラフを、クリアファイルに別とじにする。

 今までのところ、絵を選ぶときの橘崎は、両極端だ。

 すごく悩むか、今日みたいにさっくりと決めるか。

 たぶん、基本的には即断できるからこそ、決められない時は、本当に時間がかかってしまうのだろう。

 そう思う証拠に、今まで長考したのは、片手で数えられるほどだ。

 ふつうは即座に決めてくれる。

「あのさ」

「ん?」

 没になったラフを、クリアファイルに入れているぼくに、橘崎が声をかけた。

「その没ラフって、どうしてる? 捨ててる?」

「いや、いちおう、自分の成果だから、一年後とか二年後に比較してみようと思って、とっておいてあるけど?」

 それがどうかしたのか?

「あ、いや、ちょっと、歩きながら話そう」

 橘崎にしては、歯切れの悪い言い回しで、そんなことを言うと、橘崎も、帰り支度を始める。

 二人並んで帰りながら、昇降口を出て、まわりに生徒がいなくなると、橘崎は口を開いた。

「いや、気の早い話、捕らぬ狸の皮算用、来年のことを言えば鬼が笑う、なのかもしれないんだけどさあ」

「うん」

「フリーゲームで公開するじゃない?」

「するね」

「ひょっとしたら――ひょっとしたらだぜ、人気でるかもしれない、よね?」

「ありえない話じゃ、ないね」

「人気が出なくても、機会があったら、イベントに出てみようかと思っているわけ。もう、まったく構想の段階だよ、出るって決定してるわけじゃないし」

「ああ。わかるよ。イベントって、コミティアとかコミケット的なやつのこと?」

「そうそう、そういう感じの」

「そこで、ラフ画を売る、とか?」

「いや、さすがにラフ画を売るのは……いや、それもありなのか?」

 うーん、と考え込んだあとで、ぶるぶる、と橘崎は頭を振った。

「いや、それはたしかにありかもしれないんだが、設定資料集とか売れるかもしれないな、条件によってはね、と思ってさ」

「なるほど。大事な設定資料の一部なわけだ。没案とか、おれも読んでて楽しいもんね」

「そうそう。失われた設定とか、燃えるよな」

 それで、取っておいて欲しいって言いたかったわけだ、ふと思いついたからさ。

 そう、少しだけ恥ずかしそうに言った。

 珍しいな。こいつがこんな顔をするなんて。

 ガンガン行動していって、あまり恥ずかしいとか思わないのかと思っていた。

「でも、それなら、色をつけちゃ駄目なのか?」

「え?」

「あ、いや、本番に取り掛かる前に、色がどんなふうになるか見るためとか、他にも暇つぶしのためにも、色を塗ったこととかもあるからさ、今までの没絵で」

「あ、あー」

 なるほど、と言うように、小刻みにあごを上下させる。

「うーん、まあ、そんなに変になってなけりゃ、いいんじゃないか? っていうか、言われてみれば、本番の前に色のチェックをかけるのは、ありそうだよな」

「まあ、試行錯誤のやつだから、そんなにかっこよくしあがってないのもあるかも」

「ま、それはいいんじゃないか? 逆にそれがいいって人もいるかも」

「そっか」

 そうしているうちに、分かれ道に来る。

「じゃ、絵、よろしく頼むな」

「ああ、まかせてくれ」

 ぼくたちは、お互いに手を振って別れた。


 絵に色をつけるときは、ちょっと緊張する。

 いちおう水彩画で描いているのだが、描きなおしができないから、ちょっと怖い。

 だけど、この怖さは、デジタルでは味わえない緊張感だ。

 これは正直、少しばかりくせになってきている。

 一回こっきりを大事にするというのは、それはそれで悪くない。

 ちょっと失敗したかな、と思っても、そのまま続けるしかないし、それがまた味になるといえなくもない、とぼくは思っている。

 試行錯誤に限界があるからこそ、唯一無二の、再現不可能な絵ができる。

 それでも、どうしても納得がいかないものができてしまったときのために、ぼくは、指定された絵の模写を始める。

 正直、自分の絵の模写は、あまり好きではない。

 完全に似せようとすると、不思議なことに、かえって変な風になってしまうので、あまり似せることは考えずに、自分の頭の中にある登場人物のイメージを、模写する絵に描かれているポーズ、構図で再現することに集中する。

 それが終わると、やっと色づけだが、すぐに本番には入らない。

 ラフにだいたいこんな感じかな、という色付けをしてから、本番の紙に描く。

 すでに最初の段階で仕上げておいた、色見本を見る。

 色見本という言い方が正しいのかわからないが、このキャラの髪の色はこれで、この服のいろはこうで、瞳の色はこう、という色の設定資料だ。

 本職の人なら、登場人物設定資料に組み込んであるのかもしれないし、パソコンの中にファイルとして置いてあるのかもしれない。パソコンだったら、そこにある色を吸い上げたりするだけで色を取り出すことができるので、便利だろうなあと思う。

 ぼくの場合は、目視で、だいたい同じような色を作る。

 髪が赤っぽい場合は、だいたいこういう風に色を混ぜたかな、というのを思い出しつつ、実際に作っていく。

 いちおう、メモ書き程度に、赤に茶色を少し混ぜる……とかは書いてあるが、わりとおおざっぱである。

 さすがに赤色の髪が青色になることはないが、赤の表現が、それなりにぶれて見えるのは、間違いないと思う。

 橘崎は、そのぶれがあまりパソコンゲームでは見ない感じだからよい、と言ってくれているが、正直、これでいいのかなあと思ったりもする。

 今日は、筆がのって、ラフだけでなく、一枚、橘崎に提出する絵を描き上げることができた。筆がのらないときもあるので、今日は運が良かった。

 ラフのほうには、何枚か適当に色づけしたものがあるので、たぶん、明日には、出すべき絵が全部完成するだろう。

 今日はリズムよく描けたが、いつもそうだというわけではない。本当は、そういうリズムのよしあしではなく、継続的に一定の速度で描けるのがよいのだろうと思う。

 少なくとも、最低速度で描いても、まあ遅いよね、くらいのレベルになっておかなくてはと思うのだが、今のぼくでは、描けない時は、まったく描けない。

 ゼロでは、ちょっと話にならない。

 こういうとき、橘崎のようなもの書きはいいなあ、と思ったりもする。

 小説家なんかは、自分の企画とか、アイデアとか、短編とか、場合によっては長編なんかを、調子のいい時に書き溜めておいて、やばいときに放出するという手が使いやすいように思うのだ。

 昔、龍膽寺雄という小説家の全集を、ぱらぱらと読んだことがある。

 今はあまり書いていないけれど、昔書きためたものがあるので、それを出す、みたいな話があって、こんなことができるのか、と思ったものだ。

 ちなみに、この龍胆寺という小説家、かなり古い時代の人で、川端康成などの代作スキャンダル(たとえば弟子が書いたものを川端が書いたとして売る、など)を書いたり、官能小説を書いたりしていて、なかなか面白い。

 あと、ネットで検索して出てくる奥さんがめちゃくちゃ美人で驚いた。ボブカットで、お洒落というか、瀟洒というか、都会的なあか抜けた感じの美人だ。

 現代の基準でも、間違いなく美人の部類に入るだろう。

 名前も、魔子というらしいが、めちゃくちゃインパクトある。

 そもそも、龍胆寺という名前も、すごく印象に残る感じだ。

 龍胆寺魔子、なんて、字面からして魔女か何かじゃないか、と思わせる、圧倒的な迫力を感じざるをえない。

 ちなみに、作家本人は別段かっこいい感じではない。

 ぼくは作家ではないから、そういう書き溜めはできないし、そもそも今抱えている作業があるから、のれるうちにそいつをできるだけ片づけてしまいたい。

 つまり、調子のよいときは、できるだけ作業を続けようと思うので、ちょっとその日は遅くまで起きて、自分のよい調子に、のれるだけのってみた。

 忘れないうちに、簡単に、髪とか服とかに色をのっけてみる。

 でも、さすがに、残りの絵を全部完成させるなんてことはできそうになかったので、集中力の糸が切れる前に、ぼくは寝ることにした。

 今日は、灰音さんのウェブサイトにはアクセスしなかったな。

 ちょっと残念だな、という気持ちと、それくらい絵に集中した達成感の中で、ぼくは眠りに落ちていく。

 やっぱり、好きなことをすると、それだけで達成感や満足感を感じられて素敵だ。


「背景とか描けばいい、って話を聞いたことあるけど」

 次の日の放課後、完成させた一枚を持って、橘崎のクラスに行って、そのついでに、もの書きは、作品のストックができていいよな、という話をしたあとの、橘崎の反論がこれである。

「背景?」

「立ち絵とかでもいいけどさ。背景って、意外と役に立つらしいぜ~。ゲームにも使えるし、漫画なんかにも使えるし。背景のストックを作っておいて、それをパソコンとかに保存して、必要なときにイラストとか漫画とかの背景に使うといいらしい。ほら、パソコンで、以前の背景を取り込んだりできるからさ。つまり、絵描きは絵描きで、ストックができないこともない、というわけだ」

 なるほど。

 確かに、自分のタッチだし、商業の背景などを使うよりも、なじみやすそうだ。

 ただ、ぼくの場合は――

「ま、おれの場合、そういう画像編集ソフトを持ってないんですけどね」

「あー、なるほど。でも、練習にはなりそうだよな、背景」

「確かにね」

 ただ、ぼくはどちらかというと、風景よりも人間のほうに興味があるのではないか、と自分では思っている。

 一方、そういう傾向のために、あまり背景の練習とかをしていないので、もっと背景の練習をやるべきなのではないか、という考えも、実はある。

 正直、今回のゲームのイベント絵でも、背景はそんなにかっこよく描けなかった感じがあるし。

 人物はそれなりに満足に描けても、後ろの風景がどうもいまひとつしまらない、ということが、自分の目から見て、あった。

 たぶん、今日中に、頼まれた分の絵は全部描けるわけだから、そのあと、ストレス発散に、背景の練習をしてもいいかな、と思った。

「そういやさ、やまちゃんって、イラスト系ソーシャルネットワーキングサービスのアカウントは持ってないの?」

「持ってないね」

 即答した。

「正確にいうと、持っていたけど、消した」

「なんで?」

 その質問がくることは、天才じゃなくても予想できる。

 予想できるし、ちゃんとぼくは答えを明確に発言できる形で持っている。

「落ち込むから」

「落ち込む?」

 すうっ、とぼくは息を吸い込んだ。

「だってさぁ、ぼくより若い人で、すっげー絵を描く人だっているし、ぼくと同い年くらいですごい絵を描くひともいるし、年上だけど死ぬまでこういう絵は描けないんじゃないかと思わせる絵を描く人もいるし、どんどんガンガン自尊心が下がるから、もう見るのはやめたんだ」

「あー、なるほど。わかる気はする」

 逆にぼくは聞いてみたくなる。

「あんまり知らないんだけど、小説系で、そういうのあるわけ?」

「小説系で……? うーん、あんまりメンバー同士で交流しているような、そういうサイトはないけど、あれがそうかな、みたいなものもないことはない。ただ、小説系の場合、個人サイトを検索エンジンに登録している人もいるし、ソーシャルネットワーキングサービスというよりも、投稿サイトがわりとメジャーかも」

「なるほど」

「だから、自分からわざわざ見に行かないと、他人の作品は見れないことも多いかもしれないなあ。あんまりメンバー同士のしがらみとか付き合いみたいなものはないと思うし」

「でも、他人の作品見て、落ち込んだりはしない?」

 そういうと、にやーり、と橘崎は笑った。

「自分でも、こんなこと言うと、ちょっとあれだと思うんだけどさ」

「なに?」

 思わず、少し身を乗り出してしまう。

「俺、投稿小説で、本当に面白いと思えたもの、ない」

「ふむ」

「さらに言うと、これなら俺が書いたほうが面白いはずだ、くらいのことはけっこう思ってしまう」

 漫画とか映画とかなら、ひゅーっ、と口笛を吹きたくなるような場面だった。

「その自信をわけてほしいよ、ホントのところ」

「いや、でも、それは俺が勝手にそう思う、そう感じるってだけでね。実際に俺よりも他者からの評価が高い人はたくさんいるよ」

「うーん、それじゃあ、落ち込むんじゃないの?」

「いや、そうじゃない。俺の考えはこうだ。『あー、みんな見る目がないなあ。俺のほうが断然面白いと思うんですけど? ちょっと生まれてくる時代が早かったかな? でも、俺だけは俺の作品の価値をわかってる』ってね」

 ぽかーん、と一瞬、ぼうぜんとしたあとで、思わず、拍手してしまった。

「いや、最高だな」

「自己愛が強すぎるのかもしれないけどね」

「いや、結局、創作物に上下関係って本質的にはないと思う。金銭的な成功の差っていうのはあるけど、それは本質的な差じゃない。だから、だれかの作品に、そんなに確信を持って面白いって言うのは、すばらしいことだと思うよ。少なくとも、ぼくはそう思う」

 他人の評価に振り回されがちなぼくとしては、泰然自若として周りからの評価を気にせず、自分のいいと思うものを作り続けているというその姿勢には、素直に称賛を送りたい気持ちである。

「うーん、俺は逆に、やまちゃんの自信のなさをほめたい気持ちがあるんだけどね」

「えー、どこが?」

 自信がないと、けっこう自分の内面的にはつらいぞ。

「なんか、自信がない人って、一人コツコツやっているイメージがある。向上心があるというか」

「ふむ」

「あと、これはまあ、いい場合も悪い場合もあるんだろうけど、アドバイスを柔軟に聞けるとか」

「あー、でも、下手なアドバイスも聞いちゃって迷走しちゃうこともありそうじゃない」

「ま、でも、少なくとも、俺が駄目になる環境では逆にうまくやれそうだよね」

「ということは、ぼくが駄目になりそうな環境では、橘崎のほうがうまくやれるってことだ」

「だな」

 そう言って、橘崎は、ぼくが完成させた一枚を、ファイルにとじ込んだ。

「うーん、やっぱりこの、水彩画っていうのがいいよな。これも、やまちゃんをイラスト担当にした理由だ」

 そう言いながら、橘崎は帰り支度をする。

「やっぱさ、普通はゲームってデジタルの塗りなんだよな。そして、それは『ふつう』というかスタンダードな表現方法だから、違和感がある人は少ないだろうし、『安全』だよね。でも、フリーゲーム作るんだから、冒険してみたくってさ。水彩の絵って、あんまり見ないし、実はけっこう好きなんだ」

「金がなかっただけだよ」

 ちょっと照れくさくて、ぼくはそう言った。

「金?」

 きょとん、とした顔で、橘崎はこっちを見る。

「油絵は、やっぱりお金がかかるから。キャンバスとかに描くし」

「ああ、なるほど」

「紙と色鉛筆とか、紙と水彩絵の具、っていうのが、わりと安上がり」

「そういえば、この絵も、色鉛筆も使ってるんだっけ」

「そうだよ。若干ね」

 絵を丁寧にかばんの中にいれると、橘崎は立ち上がる。

「じゃ、帰るか」


 調子のよいとき、というのは、一週間程度くらい、持続することがあるもので、おかげさまで、その日のうちに、頼まれていたイラストは、完成させることができた。

「うーん、終わったー」

 大きくのびをして、体をほぐす。

 それなりに悪くない出来だ、と思う。

 その一方で、やっぱりあまり上手じゃないな、とも思う。

 橘崎に、メールで、頼まれていたものを完成させたことと、明日持っていくこと、ラフも持っていくことをメールして、「灰音のぺ~じ」にアクセスする。

 すると、ちょうどリアルタイム配信がやっていた。

 ラジオは一週間に一回だけ。

 そのかわり、ボイスブログにログが残る。

 でも、それ以外に、一種の練習として、リアルタイムでいろいろしゃべるコーナーが、完全なランダムで出てくることがある。

 これは、いつ出てくるかわからないもので、何度か平日の昼間に配信されたこともあったらしい。

 このゲリラ配信は、ログは一切残らないし、このことについてコメントしても、返信はされない。このサイトのプロフィール欄に、そういうことはちゃんと書いてあるし、配信の最初と最後にも、ちゃんと説明はしてあるのだが、ちゃんと読まない人もいるようで、なんで返信くれないんですか、的なコメントがブログに書きこまれたことも、ぼくの知る限り、一度だけあった。

 これは昔からそうだろうけど、参加する人が増えると、いろんな人が出てきて、きちんとウェブサイトを見ることなしに、つまりそのサイトのローカルルールをちゃんと知ることなしに、つっこんで批判的なことを言う人が出てくる。

 それを防ぐために、このゲリララジオは、そういう注意書きが書いてあるプロフィールのページのところに、アクセスページが置かれるようになったので、それからは、ぼくの知る限りでは、こういう問題は起きていない。

 人が増えると、トラブルも増える。

 きちんと情報収集をして、そのサイトのことを知って交流するのではなく、いきなり飛び込んでくる人もでてくる。

 場合によっては、きちんと情報収集するという文化を持っていない人もいるようだ。

 ぼくは、それはちょっとどうなんだ、と思う。

 思うし、ぼくの昔から知っていたこのページでそういうことをやられると、昔からの温かい空気が壊されるようで嫌だ。

 でも、逆の方から見たら、閉鎖的で保守的な古参ファンが、新参ものにいちゃもんをつけている、と見えるのかもしれない。

 しかし、ぼくは、サイトで何か書きこみをするときは、きちんとそのサイトを見て、どういうところなのかを見てからの方が安全だし、礼儀にもかなっていると思っている。

 ともかく、現状では、このゲリララジオは、双方向のやりとりのものではなく、軽い練習のようなものとして存在している。

 そういう、一方通行なものとして、このゲリララジオはあるのだ。

 ぼくがアクセスすると、すでに話の途中だった。

「……のは気持ちよくって、最近はまっているのが朝のランニングですねー」

 どうやら、ランニングの話らしい。

 灰音さんは、陸上部だ、ということを、前にどこかで話していた。

 100回分以上あるウェブラジオの過去ログを全部聞いたぼくが言うんだ、間違いない。

 個人の特定を避けるためだろう、基本的に個人情報は出してこないが、それでも、ぽろりぽろりとしゃべることはあって、好きな食べ物とか嫌いな食べ物とか、こういうものを食べたとか、好きなこととか、嫌いなこととか、こういう男の子の仕草にどきっとしたとか、こいうやつは好きじゃないとか、怒りを感じたニュース、悲しみを感じたニュース、こういう風な世の中になればいいのにという理想や、ある種の政治思想、彼女なりの哲学、自分なりの世界観といったものを、しゃべってくれる。

 どちらかといえば抽象的な、価値的な要素をしゃべってくれることも多く、それはたぶん、個人情報を特定されることがないようなトピックだからなのだが、おかげで、ぼくは灰音さんの内面をけっこう知ることができているし、価値観はかなり合うんじゃないかと思っている。

 こういう、価値観に関する話は、ぼくはかなり好きだし、話したいと思うのだが、あまり話せる相手がいない。

 それは、個人情報がみんなに知れ渡っているような環境では、こういう内面的なことをしゃべるよりも、個人情報に関わるような外面的なこと(昨日の部活でこんなことがあった、友だちのだれだれがなになにをした)をしゃべっていたほうが、受けがよかったり、無用な論戦を戦わせることがなかったりして安全するからなのかな、と思っていた。

 でも、ある日、同じクラスになった友だちが、こういう価値についての話を、女の子たちと車座になって話していて、めちゃくちゃうらやましかった。

 男が一人、女が複数だったので、めちゃくちゃうらやましかったわけではない。

 そういうことじゃなくて、そういうことを話せる人間が、こんなにたくさんいるということに、嫉妬したのだ。

 たくさんいる、というか、「ふつう」に話せているということに嫉妬したのだ。

 ああ、こんな風に、こんな会話が、「ふつう」として取り扱われる環境があるんだ、と。

 ぼくも、話に参加すればよかったのかもしれない。

 現に、飛び入りで話に参加した人もいた。

 でも、ぼくは、なんだか怖くてできなかった。

 こういう意気地のなさを、本当に恥じている。

 本当に、ぼくは、人目を気にしすぎているのかもしれない。

 別に、飛び入りで参加したって、変な目で見られるとは限らないのに。

 変な目で見られたって、言いたいことを、ちょっとだけでもいいから、大丈夫だと思える範囲で、言えばよかったのに。

「朝は空気がきれいで、走っていても気持ちがいいんですよ」

 ぼくも、朝は好きだ。

「夜明け前って、すごく神聖な感じがします」

 わかる。

「なんだか、特別な時間、って感じがしませんか?」

 します、します。

 逢魔が時は夕暮れで、昼と夜の境界だから、特別な時間らしいけど、朝と夜の境界も、特別な時間のような気がする。

「わたし、夕暮れも好きなんですが、こういう、境界って、なんかゾクゾクしませんか? いい意味で」

 同じことを思っていたことに、うれしくなる。

「他にも、境界系のものって、わたしけっこう好きなんですよ。階段とか、川とか」

 川はちょっとわからないが、ぼくは、階段は、かなり好きだ。

 絵で描くと、なかなか難しいのだが。

「そうそう、この前、本を読みました。ファンタジーで、十三都物語っていうやつです。ファンタジーはけっこう好なんです。モモみたいなファンタジーも好きなんですが、この十三都物語は、指輪物語とかナルニアの方に近いかな? 村山早紀さんの異世界ファンタジーみたいなものを思い浮かべてみるといいかも」

 灰音さんに、親しみを覚える部分のひとつは、本を読むことだ。

 ぼくは、あまりまわりと、本の話をしない。

 橘崎とは、微妙に本の趣味が合わないし、そもそもゲームや絵の話をすることが圧倒的に多いので、そういうことを話す機会自体も少ない。

 灰音さんが読む本は、ぼくも知っていたり、読んでいたり、好きになれそうな本が多いから、話を聞いていて、とても楽しい。

「十三の都を旅して、秘宝を集めるって感じの話なんですね。王道なんですけど、実はその秘宝がただの秘宝じゃなくって……と、ここから先は、自分で読んでみてくださいね」

 あんまり読んだことがない本だったから、これを機会に読んでみようかな、と思う。

 自分と本の趣味が合う人を見つけると、その人から、自分の知らない面白い本を教えてもらえるので、とてもよい。

 ただ、自分と本の趣味が合う人を見つけるのが、なかなか難しいのだが。

「面白かったのが、なんていうのかな、所属する生き方? みたいなものがあるところなんですよ。塔とか風とか。塔の魔法使いは、研究所とかを持っていて、風の魔法使いは、自由に世界を旅する、みたいな」

 生き方で所属するところが違う、というのは、「魔法使いが落ちてきた夏」みたいな感じだろうか。

 そういえば、最近、本を読んでなかった。

 ずっと、絵に集中していた。

 気が向いたら読んでみよう。

 ぼくは、基本的に、他人から本をすすめられるのが、あまり好きじゃない。

 読んで、って言われると、なんで、って思う。

 ぼくは自分が読みたいと思った本は、読みたいときに読みたいし、その気持ちに変に干渉されたくないのだ。

 読む気がこないと読みたくない。

 それでも、世の中には、けっこう強引に本を押し付ける人もいて、読まなくていいから、というものだから、たいてい読まずに返す。

 でも、何か汚しちゃったら、と思うと、ちょっと怖くて、あまり気持ちのいいものではない。

 気持ちはありがたいのだけど。

 あと、本を読んだあとで、面白かったでしょ、と言ってくるのもいやだ。

 つまらないかもしれないのに、同意を強要されている感じがする。

 昔は、お愛想でまあまあ面白かった、とか口をにごしていたが、最近は、つまらなかった、合わなかったみたいだ、と言えるようになってきた。

 これは、進歩だと思う。

「あ、それと、前に教えてもらった歌、聞いてみました~、ってこれはラジオでも言うつもりだったけど。えーっと、シルバースクリーンの歌ね、ありがとねー、ヤマトくん」

 どくり。

 ぼくの名前が呼ばれて、心臓が瞬間的に跳ねた。

「えっと、なかなか好みに合う曲でした……」

 必死で、灰音さんの言葉を追う。

 この前のラジオの感想を送ったときに、よかった曲を書いたのだ。

 あー、聞いてくれたのか、よかったぁ!

 前に感想メールを出したら、それを読み上げてくれたときもあったし、こういうときに、ある種の「つながり」を感じて、とってもうれしくなる。

 そのつながりは、錯覚かもしれない、とも頭のすみで思うけど、それでもなんだかつながることができたようで、うれしい。

「……そういえば、この前、推理小説を読んだんですけど……」

 そのあとのラジオは、うきうきしながら、聞くことができた。


 昨日、眠る前にメールをチェックしたら、橘崎から返信が来ていた。

「よかったら、食堂で絵の受け渡ししない? それと、もしよかったらだけど、今までのお礼に、昼飯くらいおごらせてよー」みたいなメールだった。

 それに了承の返事をして、朝見ると、待ち合わせ場所が指定されていた。

 というわけで、食堂で橘崎と一緒にご飯を食べている。

「ありがとなー、きっちりイベント絵、いただきました」

 そう言って、ぱちりと手を合わせて、合掌する。

「どういたしまして」

 安いものでいいと言ったのに、から揚げ定食が出てきて、こいつは割と高い部類に入るものだから、正直ぼくは恐縮している。

「素うどんでよかったのに」

「いや、はっきり言って、やまちゃんがいなかったら、ゲームは完成してなかったかもしれないし」

 ぼくは思わず笑ってしまう。

「それだけはねーよ、橘崎の能力なら、ぼくがいなくても、普通にゲームは作れただろ。ぶっちゃけ、イベント絵がない、背景と音楽とシナリオだけのノベルゲームなんて、フリーじゃ珍しくもない」

 スクリプトとシナリオを担当している橘崎だが、フリーゲームに使うための背景素材や音楽素材は、無料で公開しているところがそこそこあるので、そういう素材には困らないはずだ。

 はっきり言って、フリーゲームを作ろうと思ったら、スクリプター(スクリプト担当者)とシナリオライター(文章担当者)がいれば、ゲームは完成するし、そのふたつの役割を橘崎のように兼ね備える人も(商業や同人の世界はよく知らないけど)、フリーゲームの世界ではふつうにいる。

 だから、今回の橘崎のようなポジションにいるなら、本人があきらめないかぎり、必ずゲームは完成する。それ以外の素材は、フリーで使えるものがけっこうあるからだ。

 嫌がる人もいるが、立ち絵でさえフリーで使えるものがいくつかある。

 だから、だれでも使えるフリー素材が存在しないのは、イベント絵と台詞に使う声だけだろう。これはゲームによって変わる部分だから、みんなの共用として用意できないのは、考えてみれば当然だが。

「いや、モチベーションの問題っていうのかなあ。正直、やまちゃんの絵を見るまでは、正直開発凍結しようかな、と思ってた」

「マジで?」

 そんな話、聞いたことないぞ。

「やまちゃんに会ってからは、そういう風な状態に陥らなかったからな」

「そっか」

 案外役に立っていたのだろうか。

 から揚げを頬張りながら、そう考える。

「やっぱり、絵があるとモチベーションが上がるんだなって思ってた。それに、よくある感じの絵じゃなくて、個性的なやつがよかったし、ぴったりだったんだよなー、ぶっちゃけた話。だいたい、6ルートも作ろうと思ったのは浅はかだったとしかいいようがないな、と今になって思うよ、マジで。おかげで大幅に削って、他のルートに使っていたイベントを統合することで、2ルートに収めることができたわけだし」

 6ルートとか、どんな大作だよ、おい。

 それも初耳だ。

「いやー、2ルートに統合すると決めてからは、わりと早かったよね。シナリオが完成してからじゃないと、怖くて絵を頼めなかったから、早めに完成できてよかった」

「まあ、描いた絵をやっぱ使いません、じゃきついからな」

「そうそう。それで、絵を頼んでいる間、音楽用意して、スクリプト書いて、デバッグして……とやっていたから、まあ、あとは絵を入れ込むだけで終わり」

 デバッグとは、変な動作などをしていないか確認するテストプレイのことだと思ってもらえればよい。

「感慨深いな」

「おう。たぶん、一、二週間以内に完成する。いちおう、デバッグはそっちも頼んでいいか?」

「わかった。ぼくもやりたいしね」

 シナリオは読んだことあるけど、実際にノベルゲームの形になったものを、プレイしたことはないんだよな。

 楽しみだ。

「ま、本当に感謝してる、ということで」

「ぼくも感謝してるよ。楽しかった」

「まだ終わってないけどな」

「だな」

 そう言って、ぼくたちは、どちらからともなく握手をかわす。

「あ、でも、バックアップはちゃんと取っておいてあるんだろうな?」

 念のため、そう聞く。

「ああ、大丈夫。大事なものは別のパソコンにバックアップとってある。昨日入れたばっかりだぜ」

「それなら安心だ」

 これで――、これで、ある種、ひとくぎり、か。

 達成感を感じるには、早すぎるかもしれない。

 でも、満足した気持ちで、ぼくは橘崎のおごりのから揚げ定食を食べた。

自分では割と嫌いじゃない作品。

ネットで創作をやっている人間が出てくる話は、けっこう好きなのかも。

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