1-7 金曜日 (2)
(この女性が本当に宇宙人だとして、目的は何だ? 地球植民地化か、銀河同盟締結か?――だとしたら、何故おれたちが拉致された? いや、もしかしたら、地球人のサンプルとして適当に採取されたとか?)
自分たちは、研究者の気まぐれで選ばれて、たまたまつまみ上げられた、実験用のネズミ同然なのだろうか。最悪、解剖でもされるのか。龍二の背中に冷や汗が流れる。
瞬間的にそこまで考えが及んだとき、龍二は、優花と後藤のことを思った。
(おれなんかは、どうなったって構いやしない。でも、部下の二人だけは、無事に店に帰してやらなくては)
不思議と頭がすっきりしてきた。
どのみち、地球の命運にかかわるような重責は、龍二に背負えるはずがなかった。
幸いというべきか、宇宙人は少なくとも会話に応じている。相手の出方を観察しつつ、部下二人を解放してくれるよう交渉する――それならば、出来ないことはないかもしれない。
まずは、当たり障りのない質問をして、様子を見るか――。
「エルフィン、とは、あなた方の故郷の惑星の名前ですか? それとも、種族の名前?」
背後に二人の部下をかばうようにして、龍二は、平静を装いながら質問した。怯えを見せてはいけないような気がした。
宇宙人の女は答えた。
「種族名であると解釈してくださって構いません。地球の一部の地域では、エルフという精霊族の存在が信じられてきたそうですね。その想像上の姿に外見が似ているらしいので、便宜上ではありますが、エルフィンと名乗っています」
龍二は、フリュカの姿をまじまじと見つめた。
見れば見るほど、疑問が大きくなっていく。後方には、いまだに顔色が悪い優花と、それに付き添っている後藤がいたが、その二人もおそらく、同じ違和感を覚えていたに違いない。
白い防護服から見えるのは、フリュカの顔と頭髪の一部だけだったが、美人でもとくに不細工でもなく、歳相応の印象だ。わずかにのぞく前髪は黒く、パーマなのかウェーブがかかっている。体格は、ややぽっちゃりしているようだが、それも日本人女性の歳相応な程度であり、これといった特徴はない。
つまり、どこから見ても普通のおばさんなのである。エルフのイメージはどこにも見当たらない。
「……ええ、その疑問はごもっともです」
三人のうちの誰も、考えを口に出したりはしていない。龍二たちはお互いに顔を見合わせた。フリュカは、困ったような苦笑いをしながら答えた。
「この外見でなぜエルフなのか、と、あなた方は疑問に思いました。
そして、音にしていない言葉がなぜ聞こえるのか、と、驚きました。そうですね?」
――この宇宙人は、思考を読むのだ。完全にお手上げだ。
一生懸命考えたいたずらを、いとも簡単に見破られた子供のような無力さを、龍二は感じていた。しかし同時に、奇妙な安心感もおぼえていた。自分たちよりも高い次元の存在と出会ってしまったら、誰しもこのような気分になるのかもしれなかった。
「わたくしどもエルフィンは、人の思考の波長をとらえることに長けているのです。この至近距離で、弱音器を装着していませんから、おおまかな思考や感情はわかります。先程から、あなたがたが怯えているのも感じています。
広瀬店長、どうか、ご心配なさらないでください。わたくしどもは、あなたがたに危害を加えるつもりはございません。用事が済んだら、元の場所にお送りいたします」
もしかしたら、フリュカを信頼して良いのではないか。
よく考えてみると、カウンターでクレームをつけてきた時を除き、その言葉遣いは常に礼儀を欠いていないし、高圧的な態度もしていない。
後藤たちに同意を得ようとして、振り返ったとき、フリュカは思いがけないことを告げた。
「女性のお二人も、安心なさってください。広瀬店長殿は優しいリーダーですね。自分の身を挺してでも、あなたがただけは守ろうと考えておられますよ」
「えっ」
後藤と優花は、最初は驚いた様子で二人で目を見合わせていたが、すぐ笑顔になり、龍二に頭を下げて礼をした。龍二は照れくさくなって、すぐに目を逸らしてしまったが、悪くない気分だった。
フリュカはさらに言葉を続けた。
「そして、わたくしのこれは仮の姿です。環境調査や交渉の際に警戒されないよう、なるべく目立たない容姿にしたつもりです。わたくしの、本来の姿をお見せしても良いのですが――その、美意識等々の問題により、わたくしたちの外見が、地球人にどう映るのかという懸念が……」
強い好奇心にかられた龍二たちにとって、もはやフリュカの説明など耳に入ってこない。
『見たい!』
『とにかく見たい!』
『すぐ見たい!』
三人の思考がぴったり一致したらしい。感応力に優れたエルフィンにとって、それはいきなり耳もとで大声を出されたようなものである。
無警戒だったフリュカは、めまいを起こしたようによろめいた。
「……ああ、よくわかりました。でも、びっくりして騒いだりしないで下さいよ」
フリュカが指を動かして何かの合図をすると、彼女の体は、時間が止まったように立ったまま動かなくなってしまった。
同時に、天井から黒い大きな筒が降りてきて、フリュカの体をすっぽりと覆った。それは床に吸い込まれるように消滅し、代わりに、先程までとは異なる姿の、人間に似た生命体が姿を現した。
部屋の壁に、丸い窓が開いた。二つ、三つ……。いくつもの窓から外の光が差し込み、中央に立つ、その者の姿を浮かび上がらせた。
まるで、ルネサンス時代の彫刻――それが、龍二の見た、彼女の第一印象だ。
身長は地球人女性の平均値と比べたら高めで、二メートル弱程度だろうか。顔立ちは人間によく似ていたが、耳だけが細長く尖っており、そこがエルフィンと呼ばれる所以なのだろう。肌は灰色で、長い髪は銀色に見えた。瞳は翡翠のような緑色だ。
彼女の全身を包んでいるのは、光沢あるレザーのような素材のスーツだったが、その上からでも彼女の筋肉が非常に発達しているのがわかった。地球人女性のトップアスリート並みか、あるいはそれ以上かもしれなかった。
年齢は――判断のしようがなかった。しかし、先程までの姿とは違い、生命力にあふれているような気がした。
女の唇が動き、なにか未知の言語が聞こえたすぐあとで、
『これが、わたくしの本当の姿です』
という言葉が、わずかに遅れて聞こえた。自動同時翻訳機のようなものを使っているのだろうか、と龍二は想像した。
やっと宇宙人の実体が見えたが、彼女の目的はまだ分からない。
龍二は次の質問をした。
「確かに、伝説上のエルフに似ているというのは分かりました。では、単なる小売店の従業員である、おれたちに何の御用でしょうか? 我ながら、この地球上の重要人物とは、とても思えないんですが」
フリュカは、優雅な微笑みを浮かべつつ答えた。
「わたくしは、あの建造物――サンシャインマート茅場町店、の最高責任者である、広瀬店長にお話しがあって参りました」
フリュカが手で合図をすると、床の一部がせりあがってきて、アクリルかガラスに似た素材で出来たような、透明感のあるテーブルと、椅子が出現した。
「広瀬店長、それに部下のお二方。立ち話もなんですから、どうぞおかけになってください」
フリュカに促され、龍二はおそるおそる腰かけてみた。
椅子のほうは見た目に反して柔らかく、かといって尻が沈み込むことのない、絶妙な座り心地だった。テーブルは見た目通りの硬質的な手触りだ。触れた途端に、見慣れたペットボトル入りのお茶が忽然と現れた。
優花は落ち着きを取り戻したようで、後藤の支えがなくても椅子に座っていられるようだった。店側の三人が席についたところで、フリュカの説明は、問題の核心に突入していった。
やがて、束の間の会談が終わると、フリュカは三人を店に送り届けると言った。
店から強制連行された時と同じように、三人を光の壁が取り囲んだ。
数秒のノイズを我慢してから目を開けると、いつも通りのサービスカウンターの中に、龍二と、優花と後藤の三人は立っていた。
回りには他の従業員が集まってきていた。
「龍くん! ――それに後藤さん、筒井さん!」
真っ先に駆け寄ってきたのは麻衣だった。
「おお、二階堂さん。真っ青な顔してどうしたんだ」
「どうしたんだ、じゃないわよ! 龍くんたちが、クレーム対応しているうちに光に包まれて消えたっていうから、みんな心配していたのよ!」
麻衣の心配はもっともである。龍二たちが消えてから、小一時間ほど経過していて、何の音沙汰もなかったのだから。
店がこんな状況じゃなかったら、とっくに警察か何かを呼ばれていたかもしれない。水産チーフの柿崎もやってきて、不安と好奇心がないまぜになったような顔でこちらを覗きこんでいる。
当の龍二も、結果的に無事に戻ってこられたとはいえ、さきほどのフリュカとの会談の内容を思い出すと、のんびしている場合ではなかった。
「まあ、とりあえずは、三人ともなんともないから、皆さんは安心してください」
麻衣をはじめ、待っていた従業員たちも、ようやく胸を撫で下ろした。それぞれが持ち場に戻りかけたとき、龍二があせって叫んだ。
「……あー、待ってください! 今日これからの、販売方針なんですが」
皆が足を止め、振り返る。視線が龍二に集まった。大きく息を吸い込み、龍二は言った。
「今日は客が来ません!」
一瞬の静寂。
直後、優花と後藤を除いたその場の全員が大声をあげた。
「えええええええっ!?」
麻衣と柿崎を筆頭に、フロアにいた従業員たちが、龍二のところに押し寄せてきた。
「龍くん、一体どういうこと!?」
「客が来ないって、一人も来ないッスか」
「生鮮部門どうするんです? もう稼働してますよ」
「レジチェッカーはどうしたらいいの?」
嵐のような質問責めに、龍二は両手の平を広げ、「落ち着け」というジェスチャーをした。
「すみません、言い方が悪かったです! この世界では、お客が自分の足でやってこないんです。来るのは、予約注文の品物を取りに来る配送業者だけです。次に来るのが昼の十二時ですから、とりあえず全部門で納品準備にかかりましょう」
麻衣をはじめ、その場の全員が呆然と立ちすくんだ。
「あのォ、店長……納品って言っても、何を準備すればいいんです?」
柿崎が質問すると、龍二はあたふたと自分の上着やズボンのポケットをまさぐり始めた。
「あった、これこれ」
そう言って、龍二は小さく折りたたんだ一枚の紙きれを取り出した。
従業員たちの視線が一斉に集まった。後藤がやってきて、当然のようにそれを受け取ると、サービスカウンター近くのコピー機を稼働させ始めた。
「今日のぶんの注文書の写しをもらってきました。いまコピーを各部門に配りますから、責任者は……」
龍二の悠長な説明が終わらないうちに、各部門のチーフやリーダーたちが、後藤の周りに集結した。そして待ちきれないとばかりに、われ先にとコピーを受け取って、バックヤードへ走って帰っていった。
珍しく出遅れた麻衣が、一番最後にコピーを受け取って、その場で目を通し始めた。
「これ……うちで扱ってない商品も載っているわよ」
麻衣の質問は予想の範囲内だ。龍二は余裕気に答えた。
「類似商品でいいんだ。どう頑張ったって、厳密には注文通りのものは揃わないから。そのへんは、先方と話がついていて、大目にみてもらえるから心配ないよ」
「でも、単価や量目がぜんぜん合わない商品はどうするの? それに、さっきから気になっていたんだけど、これをどこで手に入れたの? 先方って一体誰なの?」
「う、うむ、それは何というか」
龍二が麻衣に問い詰められているとき、水産の柿崎や、惣菜、畜産部門のリーダーたちが、コピーを片手にフロアへ戻ってきた。皆、首を傾げたり、お互いの伝票を見せ合って顔をしかめたりしている。おそらく、麻衣とおなじ疑問にぶつかってしまい、確認にやってきたのだろう。
注文書は、もちろんフリュカから入手したものだ。この世界は、昨日の世界よりもいっそう汚染が進んだ世界であり、定時のバスすら運行していないことも、フリュカから聞いている。
しかし、麻衣をはじめとした従業員に、宇宙人のエルフィンのことを一体どう説明したらいいのか。自分たちですら、すぐには信じられなかったというのに。
龍二は思わず目を閉じて唸った。
「ちょっと、龍くん! きちんと説明してくれなきゃ、誰もわからないじゃない」
「それがなあ……。おれにもうまく説明できる自信がないんだ。とにかく今は時間もないし、この伝票通りの商品を揃えてくれとしか言えん」
「だから、伝票通りのものなんてないから言っているのよ」
麻衣は、各部門のリーダーたちを従えるようにして、なおも龍二に詰め寄っていった。
既に、店内は大混乱をきたしている。
バックヤードからは、白衣にエプロン姿のパート職員たちがフロアに出てきて、指示を仰ぐように龍二たちのほうを見ていた。仕事のなくなったレジチェッカーたちは、一か所に集まって所在なげに佇んでいた。
もしも、カリスマ性のある越後谷だったら、鶴の一声でこの混乱を鎮めたかもしれない。あるいは、チェッカーのリーダー格でもある、大ベテランの盛田真由美でもいてくれたら……。
しかし、その頼れる二人はシフトにより休みである。
(まずい、店長のおれがしっかり指揮をしないと、事態が収まらないぞ……)
こうなったら賭けだ。一か八か、『宇宙人』の話をするしかない。龍二は店内放送用のマイクを握りしめ、スイッチをオンにしようとしたその時だった。
「龍さん! ああ、無事でしたか!」
バックヤードの扉から、一人の男が飛び出してきた。フロア中の視線を一身に集めながら、龍二のもとへ駆け寄ってくるのは、休みのはずの越後谷だった。従業員たちの間でどよめきが起こった。