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パラレルワールド繁盛記  作者: ゆきの鳥
後編 シー・ユー・アゲイン
20/24

2-8 クリスマス・イブ

 十二月二十四日。

 世間一般的には、クリスマスイブとして認知されている日である。

 小売業界はクリスマス商戦で賑わう一日だ。この後は、年末年始まで息継ぎなしの、年で一番の繁忙期へとなだれ込んでいく。とくに生鮮部門に携わる従業員たちは、万が一にも食中毒などに感染しないように、生牡蠣はもちろん、刺身を食すのさえ自粛するほど、きわめて重要な時季である。

 この日は水曜日。第二番並行世界は、氷河期の世界だ。

 一週間後に控えた大晦日も、おなじ曜日である。気候が違えど、もともとは暦の上でも冬であることから、販売戦略は比較的練りやすいといえた。



「いや、だってさ、おれしか適任がいないっていうからさ」

 朝の事務室で、後藤香織は、目の前に立つ広瀬龍二の姿に驚き、立ちすくんでいた。

 だぼっとした大きめの真っ赤な上着と、おなじく赤いズボンと帽子。襟元や袖口には、白い起毛した布地が使われている。そして、顎には白く長い付け髭を垂らしていた。

 いわゆる、サンタコスチュームだ。

「しかし……よりによって、広瀬店長自らがその扮装をなさらなくても……」

 後藤はそう言って難色を示していたが、客観的に見て似合っていないわけでもなかった。

「うん、おれもさ、水産の柿崎あたりに着させようと思ってたんだけど、よく考えたら衛生管理上無理なんだよね。というわけで、生鮮部門の社員連中は全員ダメで、他の男社陣にも丁重に断られてしまったんだよ」

「はあ、そうでしたか。しかし、別に本社から指示されたわけではないのでしょう? 無理に着なくても……」

 後藤がそう言っている間に、女子更衣室のほうからやってくる者がいた。その姿を見て、後藤はさらに驚愕し、呆気にとられて言葉を失った。


「わあ! 龍くん、やっぱりよく似合っているじゃない!」

 龍二のサンタコスチュームを見て喜んでいるのは、二階堂麻衣だった。しかし、後藤からすれば、麻衣の姿のほうがよほど衝撃的だ。

 上半身は龍二が着ているものと似ていて、赤い生地に白い縁取りが特徴的な、これもサンタクロース風の上着であった。ただし、裾がちょうど腰のあたりまでしかなく、バランスとしては短めである。その下は膝上丈の赤いミニスカート。それに、もこもこした赤いロングブーツ。もちろんナイトキャップ形状の赤い帽子も装着している。これもいわゆるサンタコスチュームであるが、どう見てもミニスカサンタと言わざるを得ない。

 これには龍二もびっくりした。

「おわっ! 二階堂さん、ほんとうにそれで店に出る気か」

「えっ? ……やっぱりダメかしら? 年甲斐もなくミニスカートなんて、さすがにみっともないかしら……」

 麻衣は急に恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめ、落胆した様子で言った。

 たしかに麻衣は三十路を過ぎた子持ちの主婦であったが、美人でスタイルもよく、じゅうぶん若々しい。少なくとも龍二が見るぶんには、何の問題もなかった。むしろ、店に出すのが勿体ないくらいで、バックヤードで個人的に鑑賞していたい。

「い、いや。そういう意味じゃなく。助平おやじが寄って来て、じろじろ見られるかもしれないんだぞ。それに寒くないのか」

「あら。スカートの下は、110デニールの厚手吸湿発熱タイツを履いているから心配無用よ!」

「そ、そこは具体的に言うもんじゃないよ」


 麻衣と龍二がそんな会話をしている間に、更衣室から、もう一人の女性サンタクロースが現れた。事務室に入りたいのだろうが、先客が三人もいるために、扉の外で躊躇している。

 誰かと思って龍二が覗きこんでみれば、筒井優花ゆうかであった。恥ずかしそうにうつむき、顔を真っ赤にしている。

 気が付いた麻衣が、手招きして優花を呼び寄せる。

「筒井さんも、こっちに来るといいわよ。そこは寒いでしょう?」

 龍二は口を半開きにしたまま、目の前にいる二人のサンタ美女を見比べていた。

 清楚で初々しい優花のサンタ姿も、これまた可愛らしい。スカート丈は麻衣が着けているものよりも長く、膝がぎりぎり見えるくらいである。コスプレグッズとしては定番の赤い帽子も、途端にメルヘンチックに見えてくるから不思議だ。

 もしも自分が単なる平社員という立場か、店に訪れたお客だったら嬉しい限りなのだが、いちおうの責任者としては、ちょっぴり心配になってしまう。

 龍二はおそるおそる麻衣にたずねた。


「あ、あの、二階堂さん? ……なんで筒井さんまで?」

「なんでって、可愛いでしょ? それとも、盛田さんに着てもらったほうが良かった?」

「うぐっ……」

 盛田真由美は、確かにお客からの評判がいいし、身なりにも気を使っていて美人とも言える。しかし、五十路を過ぎている彼女には、さすがに荷が重いだろう。いや、それで大喜びする男性客がいないとも言えないのだが。

 うっかり盛田のサンタ姿を想像しかけてしまった龍二だったが、いかんいかん、と頭を振って脳内映像を消去した。

 いまの動きで帽子が簡単にずれてしまうことが判明したので、麻衣から予備のヘアピンを借りて、比較的長さのある前髪に留めることにした。ちょうどいい鏡がなかったので、龍二は近くにいた優花に仕上がりを見てもらった。

「どう? 筒井さん。変じゃないかな?」

「はい、大丈夫です! よくお似合いです」

 優花はにっこりと微笑んでいた。いつもおどおどしていた彼女が、なんだか少しだけ、以前より胸を張っているような気がした。つられて龍二の頬も緩んでしまった。


「おはようございます! 皆さん、気合い入ってるッスね」

 元気のよいあいさつとともに現れたのは、柿崎淳である。彼はサンタクロースの恰好ではなく、先日のマグロ解体ショーのときと同じ、水色のお祭り半纏にたすきを締めた姿である。

「お? 柿崎くんはその衣装なんだ?」

「はいっス! 大晦日のマグロ解体ショーの告知しようと思いまして。きょう宣伝しておかないと、もう機会がないッスからね」

「確かにそうだな」

 龍二はうなずいた。店長の自分が指示したわけでもないのに、さすが柿崎は抜け目がない。

 聞いてみれば、龍二や麻衣たちが着ているサンタクロースの衣装も、柿崎がおぼろげな記憶をもとに、数年ぶりに倉庫から発掘したのだという。彼はおそらく、根っからのイベント好きなのだろう。

「ああ、そうだ。店長に頼まれたやつも、ちゃんと見つけてきたッスよ」

 そう言いつつ、柿崎は大きなダンボール箱を引きずってきた。龍二が中を覗きこんでみると、サンタ帽や、トナカイの角がついたカシューシャなどがたくさん入っていた。

「これなら、みんな身に着けてくれるかな?」

「大丈夫だと思いますよ。開店前に、わたしがフロアスタッフの皆さんに配布しておきますね」

 後藤は、帽子とカチューシャを配るため、箱を持って事務所から出ていった。そして、次には柿崎、麻衣と優花も、それぞれの持ち場へと向かうため、扉の向こうへ消えていった。


 入れ替わるように、大ベテランの事務職員、久保田洋子が出勤してきた。

「おはようございます。――あらまあ、きょうの広瀬店長は、ずいぶんと男前ね」

「ご苦労さまです、久保田さん。今日はよろしくお願いします」

 還暦を過ぎている彼女は、初孫のめんどうをみるために長期休暇をとっていて、実際にはイベントなどの繁忙時くらいしか顔を見せることがなかった。それでも、老眼鏡さえあればパソコンもスマホアプリも立派に使いこなす、ハイテクおばあちゃんである。もっとも、下手な若者よりは頭も足腰もしゃんとしているので、おばあちゃんと言うのは失礼かもしれない。

 そのように頼りになるベテランの久保田に事務所を任せると、サンタクロース姿のこの店のリーダー、広瀬龍二も、満を持して店内へ出陣したのだった。


 ちょうどその頃。小雪がちらつく空の下、サンシャインマート茅場町かやばちょう店の従業員専用口の付近に、一台の黒塗りの高級車が停まった。

 白手袋をした運転手が扉を開けると、この会社の専務である男、北野啓吾が姿を現した。運転手はうやうやしく一礼すると、車を移動するためにふたたび運転席に乗り込んだ。

 北野啓吾は、ややふんぞり返り気味にゆっくりと歩きながら、店内通路へ続く扉へと入っていった。


 クリスマスイブの朝、開店前の店内は、皆が忙しさに追われていた。

 品出し担当者が駆けずり回っている売り場フロアの隅で、まだ電源の入っていない、開かないはずの自動扉が静かに開いた。

 ひとりの地味な中年女性が店内に入ってきた。それは、宇宙人エルフィンのフリュカの仮の姿、古川信江であったが、彼女の侵入にすぐに気づく者は少なかった。サービスカウンターの前を通りかかったところで、ようやく筒井優花が彼女に気づいたのだが、フリュカのことだからきっと店長も承知済みなのだろうと考え、たいして気にも留めなかった。

 古川信江は、周囲をひとまわりしてから戻ってきて、カウンターの前の椅子にちょこんと腰かけた。優花は念のため、彼女に声をかけてみた。

「あの……古川さま? 店長に御用でしたら、お呼び致しますが……」

 古川信江の姿をしたフリュカは、にっこりと笑って答えた。

「いえ、本日は、広瀬店長どのではなくて、北野専務どのに面会するために参りました」


 広瀬龍二は、三十八歳にしてはやたらと貫録のあるサンタクロース姿で、店内の各部門を激励してまわっていた。龍二のサンタコスチュームは、従業員たちの間ではおおむね好評で、あの惣菜タイガースの女傑たちも、手を叩いて大喜びしていた。

 龍二が、バックヤードの通路で麻衣と販売方針を確認し合っていると、従業員通用口のほうから、偉そうにのしのし歩いてやってくる男がいるのに気がついた。北野啓吾である。

 事前連絡はまったく受けていない。

 龍二と麻衣は顔を見合わせた。いぶかしげに首をかしげている麻衣に対し、何も聞いていない龍二は、黙って首を横に振った。

 そうこうしているうちに、北野はすぐ目の前までやってきた。

「専務、おはようございます」

 頭の中に疑問を残したまま、龍二があいさつをすると、北野は足を止めた。

「ん? 広瀬くんだったか。きみたち、その恰好は……」

 そして、ミニスカサンタの姿をしている麻衣の、特に太腿のあたりを、えらく真剣な面持ちでじいっと見つめていた。そして、龍二の腕をぐいと引っ張って麻衣と引き離し、こっそり耳打ちをした。


「広瀬くん。きみの仕事にしちゃ、なかなかやるじゃないか」

「え? ……ああ、お褒めにあずかり光栄です」

 龍二は、自分でも意味不明の返事をしながら、二人してやたら真面目な顔をして麻衣の近くに戻った。不思議がっている麻衣をよそに、おほん、と北野が咳払いをして、話がやっと本題に戻った。

「ところで、あの女はまだ来ていないのかね? エルフィンのフリュカとかいう、諸悪の根源の」

「えっ? 何も聞いておりませんが」

「わたしが直接、約束を取り付けたんだよ。騒動の落とし前をどうつけるつもりなのかと、本社に呼びつけて問いただしてやろうと思ったら、この店の中でしか活動できないとか抜かしおった。だから仕方なく来てやったんだ」

「それでしたら、もしかしたらサービスカウンターにいるかもしれません」

 三人は、龍二を先頭にして、売り場の中にあるサービスカウンターへ向かっていった。


 龍二たちがサービスカウンターに到着したとき、古川信江はちょうど筒井優花と話し込んでいるところだった。

 北野は、本来の目的である古川信江のことはそっちのけで、サンタコスチュームに身を包んだ優花の姿をまじまじと見つめていた。そして、鼻息を荒くしながら龍二を引っ張って、隅のほうへ連れていくと耳打ちをした。

「広瀬、き、きみはいい加減にしたまえよ。実にけしからん。よくやった」

「は、はい、恐れ入ります」

「ところで、きょうはあの、盛田とかいう生意気な女はいないのかね」

「きょうは離れのプレハブに行っています」

「じゃあ、あの子、ちょっとだけ触ってもいいかね?」

「駄目です」

「二階堂くんのほうでもいいんだが」

「箱で殴りますよ」


 がっくりと肩を落として残念がる北野を冷たく無視すると、龍二はすたすたと歩いて古川信江のもとまで戻った。しぶしぶ北野もやってきたところで、龍二がふたりの間に入り簡単な紹介をした。

「ええと、専務。こちらが、いまは人間の姿をしておられますが、宇宙人エルフィンのフリュカ・メイ・ノヴィエ殿です。――フリュカさん、こちらが、会社役員でわたしの上役である、北野啓吾です」

 フリュカのほうは丁寧にお辞儀をしたが、北野はふんぞり返って、仏頂面をしたままである。失礼な態度ではあるのだが、北野にしてみたら彼女のせいで会社が迷惑を被ったのだから、無理もないかもしれない。


「……読んだよ、報告書。きみは宇宙人だと? ふざけたことを抜かしやがって。ただのおばさんじゃないか」

「申し訳ありません。これは仮の姿でして――」

 そう言いながら、古川信江は右手を動かして合図をした。

 途端に、古川信江はその場に膝をつき、倒れこんでしまった。その足元付近から、太めの柱のような、黒い円筒形の物体がせり上がってきて、天井のほうへ突き抜けるようにして上昇し、跡形もなく消失した。

 あとには、地球人女性の標準体型よりはずいぶん長身の、灰色の肌に長い銀髪、尖った耳をした異星人女性が、ひとり忽然とあらわれていた。

 以前、彼女らの船で会ったときと似たような、皮のような素材のぴったりしたスーツを着用している。きょうは、頭から二本の牡鹿の角のようなものを生やしているのが、前回とは違うところだった。

 北野は、下品な笑みを浮かべながら、じろじろと不躾な視線をフリュカに投げつけていた。

「ふん。……ずいぶんな大女がお出ましだな。この体格では、あっちのほうもさぞかし……ぐふっ!」

 言い終わらないうちに、北野は何かに弾かれたようにのけぞり、苦痛の声をあげた。

 フリュカの手元を見ると、教鞭のような金属の棒を手に持っている。時折、先端からは小さな稲光のような光の筋が放散されているのが見える。どうやら電撃棒だ。


「あ、あの、一体何を」

 うろたえた龍二が、フリュカにおそるおそる声をかける。

「この者は、公の場で女性を侮辱する発言をしようとしました。わたくしどもの星では、この者は衆人環視のもとムチ打ちの刑に処されて然るべきです!」

 フリュカは怒りに満ちた鬼神のような表情で、北野を睨みつけている。その手にはまだ、火花を散らす金属棒が握られたままだ。龍二は、これは危ないと思った。

「そ、それは失礼しました。残念ながらわが星では、女性の人権保護の動きは法的にも意識的にも、まだまだ発展途上なのです。わたくしたちも、これから精進いたしますので、どうかお目こぼしを……」

 すっかり逆上していたフリュカであったが、龍二になだめられたことによって、なんとか落ち着きを取り戻した。

「……まあ、広瀬店長どのに免じて、これはしまっておきましょう」

 フリュカは大きく息を吐き、電撃棒を短く縮めると、胸ポケットへ挟んだ。まるでボールペンでも扱うような気軽さだった。

 電撃で怯み、もはや逃げ腰になっている北野であったが、フリュカがだめならと今度は攻撃対象を龍二に変更した。その頃には、騒ぎを聞きつけた麻衣や柿崎もやってきていた。


「だ、大体だな、あの報告書はなんだ! 並行世界? 時空間トンネル? 遅刻した小学生の言い訳か! 問題の解決時期と賠償方法について、ひとつも具体的に書かれていないじゃないか!」

 たしかに、北野の言い分にも一理ある。

 返答に窮して、困り顔で黙ってしまった龍二に、北野はなおも続けて言った。

「それにだ、かみのけ座の方角から来た宇宙人だと? そんな星座、聞いたこともないぞ! さては、わざとだな! わたしへのあてつけかね!?」

 北野は頭髪の乏しい頭から湯気が立ち上りそうな勢いでまくしたてた。


「かみのけ座は存在します。暗い星が多く目立たない星座ですが、それにまつわる神話もちゃんとあります」

 後ろで聞いていた麻衣が言った。

「かみのけ座は存在するッス! 暗くて地味っスけど、それは地球からみて銀河面の北極方向に位置する星座だからッス! 星間物質が少なく宇宙の深淵まで見通せるという意味では、天文学的にも至極重要な位置を占める星座といっても過言ではないッス!」

 柿崎が言ったが、北野と龍二にはほとんど意味がわからなかった。北野はますます逆上し、やぶれかぶれになって怒鳴った。

「お、おまえら馬鹿にしてるのか! とにかくだな、いつこの騒動が収まるのか、どう責任をとるつもりなのか! そこをはっきりしたまえ!」


 水を打ったような一瞬の静寂があり、そのあと口を開いたのはフリュカだった。

「トンネル事故は、まもなく収束いたします。あと十日とかからずに」

 龍二をはじめ、その場にいた従業員たちは、無言のうちに顔を見合わせた。


「そして、損害賠償の用意も整っております。わたくしどもも、少しはこの星の経済について勉強したつもりです。その上で、妥当と思われる賠償額を算出いたしました。これが試算書です。どうか、本社へお戻りになって、じっくりとご確認ください」

 フリュカは、胸元のポケットから、白い封筒を取り出し、北野へ手渡した。

 北野は黙ってそれを受け取ると、さっそく封を切り、中身をあらためた。ざっと目をとおし、何も言うことはないとばかりに、目を丸くしたまま、こくこくと頷いていた。

「ええと、お支払いの方法なのですが……。わたくしどもは金融口座を所持しておりませんので、日本のとある組織名義の口座から振り替えでお支払しますね。ささやかな技術援助の見返りに融通して頂いたもので、もちろん、正当な手続きを踏んでいます。――この名義からですよ」

 フリュカは、試算書の中の一枚の紙に書かれた、ある組織名を指さした。龍二も覗きこんでみたが、政府がらみのある重要機関の名称が記されており、とても口に出せなかった。

 北野と龍二は、青ざめた顔のまま無言でうなずいた。


 すっかり精神を消耗した北野は、試算書も受け取ったことだしもう帰ると言い出した。龍二は、せめて運転手のもとまで送ると申し出たのだが、北野はそれを断ると、白い封筒を握りしめたまま、歩いてフロアを去っていってしまった。


 北野がいなくなったところで、龍二はさっきからずっと気になっていたことを口にした。

「ところでフリュカさん、その頭のツノは、クリスマスのトナカイのコスプレ……じゃありませんよね?」

 よく考えると、数日前の夜景空中散歩のときの違和感は、その角のせいだったのだ。フリュカは、少し気恥ずかしそうにしながら、龍二の質問に答えた。

「……ああ、これですか? わたくしどもエルフィンの女性は、繁殖期が近づくと、こうして角が伸びてくるんですよ。

 この時期、母星では女だらけの相撲大会があちこちで開催されていまして、この角を振り乱しながら取っ組み合って戦うのです。勝った女性は、男性数人で構成された雄ハーレムを総取りできるんですよ。ああ……思い出すと、血沸き肉躍りますね」

 フリュカは遠い目つきをして、何かを想像しているのか、うっとり幸せそうに微笑んでいた。

 恐れをなして、それ以上は声をかけられなくなった龍二と柿崎に代わり、興味を示したのは麻衣だった。

「フリュカさんは、調査隊の隊長をされているくらいですから、大層お強いのでしょう?」

 麻衣がそう聞くと、フリュカは照れくさそうに笑いながら答えた。

「わたくしは……いちおう、国内のけっこう有名な大会で優勝したものですから、十二人の夫を獲得しました。いまの調査隊の部下たちは、全員わたくしの夫たちなのですよ」

 フリュカの武勇伝に目を輝かせていたのは麻衣ひとりだけで、龍二や柿崎をはじめとした男たちは、その話を聞いてげんなりしてしまった。優花は、話の趣旨がよく飲み込めていない様子で、きょとんとしていた。龍二は少しだけ安心した。


 ともかく、サンシャインマート茅場町店のクリスマスイブの朝は、このようにして始まった。

 ミニスカサンタのご利益があったのかどうか知らないが、売り上げは好調だった。店内は第二番並行世界からのお客で賑わっていた。

 売り棚には、豪華なオードブルセットや、一羽丸ごとの鶏肉、ローストビーフなどの、クリスマスイブの食卓を飾るにふさわしい食材が、ぎっしりと並べられていた。お客たちは、おいしそうな商品に目を輝かせたり、または真剣な顔つきで見比べたのちに、次々と手に取り、買い物かごをいっぱいにしていた。

 星野彩が所属する惣菜タイガースは、ここぞとばかりに存分に腕をふるった。柿崎は大晦日のデモンストレーションを兼ねて、売り場内で実演販売を行い、たいそう場を盛り上げていた。繁忙を極めるサービスカウンターを守るのは、可憐なサンタ姿を披露してくれた優花と、照れながらもトナカイ角を装着した後藤香織で、ベテラン盛田の不在を存分にカバーしてくれた。

 龍二も、売り場とバックヤードを駆け回っていた。各部門の指揮をとったり、人員が足りないところには積極的にカバーに入った。サンタクロース姿のせいか、レジで少々の打ち込み間違いを犯しても、ご愛嬌で許していただいた。


 忙しさの中、龍二は従業員たちの働きに感嘆していた。

 これから一週間以上にわたって、ろくな休暇を与えることもできず、年末年始を戦わなくてはいけないのだ。それなのに、誰も手抜きをしたり、だらだら仕事をしている様子がない。むしろ、全速力のスタートダッシュと言っていい。

 これで最後まで持つのか。

 いや、持たせているのだ。長年、この業界で、この会社で働いてきた龍二は知っていた。この店の従業員は、自らの気力体力を顧みず、常に全力で戦っている者ばかりなのだ。もし倒れたら、仲間が穴を埋める。そうしてこの店は、長きにわたり走り続けてきた。

 龍二は、下っ端社員だった頃から、ときどき考えることがあった。

 会社組織ってなんだろう。個人個人をないがしろにして、心を踏み散らかして、それでも進んでいく、会社の実体とはどこにあるのだろう、と。

 今なら答えられるような気がした。会社とは、この店で、または他の店舗や本社で戦っている者たち全員のことだ。龍二ひとりだけを見れば、店長といえどもただの一個の歯車かもしれなかった。彼が脱落しても、北野のような会社幹部が、別の歯車をそこにあてがうだけで、会社はまた動き出す。


――それがどうした。それならおれは、よく回る頑丈な歯車になってやろう。替えが効くから無価値なわけじゃない。唯一のものだけが大切なわけじゃないんだ。


 龍二は、朝からずっと無我夢中で仕事をした。客足が落ち着き、気が付くと夕刻を過ぎていた。


 やっと事務室に戻れたとき、そこにはベテラン事務員の久保田と、サービスカウンターから戻っていた後藤がいて、なにやら興奮気味に話し込んでいた。龍二が入ってきたことに気づくと、後藤が頬を紅潮させて駆け寄ってきた。

「店長! こっちに来て売り上げを見てください。現時点の売り上げ高が、前年同日比で100%を超えたんです! このまま順調にいけば、年内に目標の102%に届くかもしれませんよ!」

「おお……」

 一瞬、頭が真っ白になった。

――目標に届く?

 にわかには信じられないことだった。越後谷を失ってからというもの、この店はずっと、なりふり構わず精いっぱい戦い続けてきたのだ。ここまできたのは、皆のがんばりのおかげだ。龍二は、情けないことに涙腺が緩みそうになるのを感じた。

「そうか……そうか。みんな、頑張ってくれたもんな」

「はい。でも、これからですよ! ……店長、もしかして、泣い……」

 黙って背中を向けてしまった龍二の気持ちを察したのか、後藤はそれ以上、何も言わなかった。そして、隣にいた久保田と顔を見合わせて、微笑みあった。

 そのあと、麻衣や柿崎、それにプレハブに行っていた盛田らが、事務室に戻ってきた。後藤は、誰かが戻ってくるたびに吉報を伝えた。

 特に大喜びをしていたのは麻衣だ。

「龍くん! すごいじゃない! こうなったらもう、勝ったも同然よ!」

 麻衣は目を輝かせ、龍二のところに駆け寄ってきてハグ……と見せかけて、また腹をくすぐろうとしている魂胆が見え見えだった。龍二はマタドールのような身のこなしで彼女の突進をかわし、更には、また誰かに羽交い絞めをされないように注意を払わなくてはならなかった。

 それにしても、麻衣はともかくとして、柿崎や盛田までもが目標数値を意識しているのが、龍二には不思議だった。どうやら、龍二が知らないうちに、売り上げ目標が前年比102%だということが、社員格のスタッフ全員に知れ渡っているらしかった。

 それが不達成になれば左遷されるということも、誰も口に出しはしないが、おそらく皆が知っているのだ。


 しばらくすると、事務室の扉が開くと同時に、歓声と拍手が沸き起こった。

 サンタ姿の麻衣と優花が、ホールケーキと数本の炭酸飲料を抱えて事務室にやってきたのだ。龍二に黙って、有志で金を出し合って購入したようだ。

 麻衣がケーキを切り分けてくれて、皆で頬張った。

 ささやかな宴は、終始和やかな雰囲気だった。しばらくの間、こうしてお祭り気分を味わっていたかったが、年末商戦はまだ始まったばかりで、無理は禁物だ。龍二は、皆を早目に帰宅させると、ひとり残ってケーキの残骸やら空のボトルを片付けた。

 龍二には、もうこれで充分だった。

 左遷されかけた落ちこぼれ社員の自分にしてみれば上出来だ。贅沢を言ってよいのなら、ここに越後谷もいてほしかった。そして、皆が頑張り過ぎて体調を崩しはしないかということが、少し心配なくらいだった。


 事務室の最後のごみ袋を、龍二は廃棄物置き場へ投げ入れた。空が晴れているぶん、大気は冷え切っていた。そして、クリスマスイブの夜は、静かに更けていった。

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