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パラレルワールド繁盛記  作者: ゆきの鳥
前編 ナイス・トゥ・ミート・ユー
11/24

1-9 会議室にて

「わたくしたち――エルフィンの母星は、地球からみて銀河の北極方向、かみのけ座と呼ばれている方角にあります。われわれが最初に地球を発見したのは、この星の時間にして、およそ三百年前のことでした。

 発見したのは、当時の銀河調査隊です。われわれの移民先となる惑星を探し出すことが目的でした。

 三百年前のその隊は、地球に一時上陸したものの、母星から本格的な調査許可が下りませんでした。そこで、位置情報のマーキングのみ行い、再び飛び立ったとされています。その際に、一人の現地人と接触しているとの報告があります」


「三百年前って、日本は何時代だっけ」

 テーブルの上の、お茶菓子らしい半透明の球体をもてあそびながら、龍二が言った。

「江戸時代ですね。宝永と享保の狭間くらいだと思います」

「あー、そうだっけ?」

 日本史が苦手だった龍二は、後藤の回答を聞いても、いまいちピンとこなかった。それでも、ただひとつ言えることがあった。

「それだったら、茅場の幻影城の伝説とも一致しなくもないかな」

「あの民話は、ただの空想じゃなかったのかもしれませんね」

 龍二と後藤はうなずき合った。

「わたくしどもの調査記録が、広瀬店長殿の世界に伝わっているとは光栄なことです」

 フリュカは話を続けた。


「その後、本格的な調査隊として派遣されたのが、わたくし――フリュカ・メイ・ノヴィエが隊長をつとめるチームでした。

 少し複雑なのですが、わたくしたちが着陸したのは、実はあなたがたの暮らす地球世界ではないんです。広瀬店長殿の店から観測すると、四番目に現れる並行世界上に着陸したのです。

 並行世界は……パラレルワールドと呼んだ方がわかりやすいかもしれませんが、時間と空間を共有する、きょうだい同士の世界、とでも言っておきましょう。元々は同じひとつの世界であったものが、あるタイミングで枝分かれして発生します。

 これは、世界そのものが生存本能のようなものを持っていて、分裂による増殖を行っているという説が有力です。増える一方ではなく、ときには、方向を誤ったり、枝分かれし過ぎて減衰し、滅亡する世界もある、といわれています。

 ともかく、わたくしたちは、三百年ぶりに地球に着陸しました。

 わたくしたちが見たものは、前回の報告からは考えられないほど、荒廃し汚染された地球世界でした。

 母星の社会環境学者の予測では、まだ十分に豊かな環境が残されており、産業活動は発展途上にあるはずでした。しかし、今思えばわたくしどもの価値観は狭すぎたのですね。たった三百年で、ここまで破壊力だけが急激に発達する文明があるものか、と驚愕しました。

 ああ、ご気分を害されたのでしたらごめんなさい。

 その第四番世界で暮らす地球人たちは、まさにいまこの時も、絶望の淵で細々と生きています。

 広瀬店長も、防護服姿で、測定器を持って生活する地球人たちをご覧になったでしょう。あれは第三番世界です。第四番世界は、更にひどく汚染が進み、希望も潰えかけ、ディストピアとなり果てていたのです。

 正直に申しますと、わたくしどもの移民先としての魅力は、もはやありませんでした。

 見て見ぬふりをして、調査を切り上げるつもりでした。母星に報告し、返答待ちをする間、この空域にとどまっておりましたが、その間もずっと、地球人たちの声なき嘆きと、わずかな希望にすがろうとする祈りのような声が届いてきて、この耳について離れませんでした。

 そして、母星からの返答は、幸か不幸か、調査内容の変更を伝えるものでした。

『惑星・地球の並行世界を調査し、利用可能な資源が発見された際は、現地人に譲渡返還せよ』と」


 そこまで話して、フリュカは一息ついた。

 おそらくこの先が、龍二たちに直接関係のある話であると予感させた。真剣な表情で話に聞き入っていた後藤は、フリュカに質問をした。

「それはつまり、もっと良い環境が残された並行世界を探すということですか? 見つかったところで、その荒廃した第四番世界の地球人の役に立つのでしょうか?」

 フリュカは少し表情を曇らせて答えた。

「……それが、役に立つのです。仮に、第七番世界というのが新たに発見されて、そこが自然豊かな惑星だったとしましょう。わたくしたちは、時空間トンネルを掘り、並行世界同士をつなぐゲートを建設します。そうすれば、人間や船などが通行することが出来ますから、四番世界の地球人を残らず七番世界へ移送することが可能なのです。

――ただし、それらの技術は、まだ実験段階にすぎません」

 フリュカの言い方に陰を感じた龍二は、不思議に思って言った。

「へーえ。それが本当だとすれば、フリュカさんはどうしてそんな難しい顔をしているのです? 実験段階でもなんでも、地球人にとっては願ってもない救済になるじゃありませんか」

 それまで黙っていた優花は、悲しそうな細い声でつぶやいた。

「もしかしたら、本当に『実験』なのかも」

 龍二と後藤も、冷水を浴びせられたようにはっとした。静寂ののちに、フリュカが口を開いた。

「あなたの言う通りです。母星の上官殿は、滅亡寸前の地球を見限り、実験台にするという決定をしました。時空間トンネル掘削術は、理論上は完成に近いと言われていますが、母星で実施したことは一度もありません。それだけ、不確定要素が多く、周辺の並行世界に及ぼす影響も未知数なのです」


 だんだん、問題の核心に近づいていく気がする。龍二は固唾を飲んだ。


「一部の部下からは反対意見もありましたが、わたくしは命令を遂行する決断をしました。要するに、実験が成功すれば良いわけですから。

 そのためには、新たに自然豊かな世界が発見できないことには始まりません。まずは、時空間に小さなあなを開け、その先の並行世界へ超小型探査機を送り込むつもりでした。しかし――」


 フリュカは一度言葉を切った。地球人三人の顔を順番に見回し、覚悟を決めたように、また話し出した。


「おそらく、三百年前の先遣隊が、無断で掘削実験を行っていたのです。それが、母星からの指示によるものなのか、一個小隊の独断によるものか、それはわかりません。雑に埋め戻されていましたが、付近の時空間は既に脆くなっていたのでしょう。

 わたくしたちは、地球人に気づかれない程度の、ごく小さなあなを通すつもりでいました。掘削時の破壊力の計算も念入りに行い、間違っていないはずでした。

 ところが、時空発破をかけた後に現れたのは、人が楽々通れるほどの大穴だったのです!

 しかもそれは、七つの並行世界にまたがって貫通してしまい、図らずも時空間をつなぐトンネルとして機能し始めました。現時点では、定期的に活動と休眠を繰り返しており、ついにわたくしどもの制御が及ばない振る舞いをはじめてしまったのです」


「ああ、それはつまり――」

 龍二の頭の中で、結論がまとまりかけていた。しかし、そのあとの言葉を引き継いだのは後藤だった。

「つまり、フリュカさんたちが時空的な意味で掘ったトンネルが、偶然、うちの店の入り口とつながってしまったというわけですか」

 心底申し訳なさそうな表情でフリュカは答える。

「ええ……それが、まったくの偶然というわけでもないようです。

 時空間トンネルの挙動はまだ不明な点が多く、人間の意志に大きな影響を受けるらしいとも言われています。サンシャインマートさまの周辺は、この付近でも人々の意識の流れが強い場所だったようで、それに引っ張られて漂流した末に、ちょうど店舗の入口付近で安定してしまったとも考えらます」


 茅場町店は、このへんで一番賑わっている店ということか。

 ある意味で褒め言葉だ、と龍二は思った。しかし、喜んでいる場合ではない。やっと原因がわかりかけたと思ったら、この宇宙人たちにしてみても、制御困難な様子である。これは一筋縄ではいかなさそうだ。

 龍二は腕組みをして唸った。



 場面はふたたび、茅場町店の会議室へ戻る。

「――と、いうわけです。なお、時空間トンネルを制御するか、埋め戻すかするには、少なくとも数か月はかかるという見通しだそうです」

 資料を読みながら、龍二は机を取り囲む面々を見渡した。

 半病人の越後谷は、室内にもかかわらず厚手のダウンジャケットを羽織り、マスクを着用し、ビタミン入りの飲料水をちびちび飲んでいる。薬のためか、彼にしては珍しくぼんやりとしていた。

(お代官には、きょうは難しい要求はするまい……さて、他は)

 皆、会議資料の一ページ目を読みながら、頭をがりがりと掻いたり、うたた寝をしたり、逃避行動の一種なのか、チョコレートの包み紙を細く折りたたんだりしている。

 そんな中、一人だけ目を輝かせて嬉々としている男がいた。水産の柿崎である。

「店長、質問です! 並行世界側からのお客さんは、普通にトンネルを出入りしているのに、こちらから並行世界側へ出られないのは何故ですか? トンネルがつながっているなら、こっちからも行ける気がするんですが」

 横で聞いていた麻衣は、大きなため息をついた。顔には疲れが濃く滲んでいて、それが昼間の納品作業のためなのか、目の前の会議資料のせいなのか、あるいはその両方なのかは分からない。

「柿崎くんは、まるでSF小説でも読んでるみたいに嬉しそうね。まさか、観光気分でトンネルの向こう側へ遊びに行こうってんじゃないでしょうね」

「まあ、正直、それはちょっとありますけど。でも、不思議じゃないッスか?」

 確かに、時空間トンネルは、まるで一方通行だと言わんばかりに道を閉ざしているのだ。そのことについて、フリュカから説明を受けたはずなのだが、龍二にはきちんと思い出せなかった。

 結局、柿崎の質問に答えたのは後藤だった。

「時空間トンネルには、『傾斜』とも言うべき概念があります。トンネルで連結された七つの並行世界のうちで、我々が暮らす世界が一番『低い』位置にあると想像してください。傾斜を逆らって、上側の世界に行くのは困難なのです。

 逆に、上の世界からトンネルに入ってしまった人間は、選択の余地もなく、最下層の世界――つまり、この店に出てしまいます。では、どうやって戻るかという話になりますが、彼らは元の世界とゴム紐のようなもので繋がっていて、引っ張り返されているのです。よって、元々所属していた世界に限り、帰還することができます」

「なるほど! 理解しました!」

 柿崎が明るい声で返事をしたが、他の面々からは、全然わかんねーよという心の声が聞こえてきそうな気がした。当の龍二も、わかったようなわからないような、本当のことを言えば、その部分についてだけは騙されたような気分がしていた。

 司会進行役である龍二は、即座に次の話題に移ったほうがよいと判断した。

「ここまでの話は、完全に理解できなくてもいいです。要するに、宇宙人がトンネル工事に失敗して騒動が起こった、ってことが書いてあるだけです。むしろ、われわれに直接関係するのは、ここから先の話です。皆さん、資料の次のページを……」

 出席者たちがぱらぱらと紙をめくる音が室内に響いた。



 同時刻の本社ビル。ほとんどのフロアからは社員が退出し、真っ暗になっている中で、役員室にはいまだに灯りがともっていた。

「ふぅ、やっと引き下がってくれた……」

 この会社の専務である男――北野啓吾は、受話器を置いて、手元にあったコーヒーを飲み干した。

 電話が始まる前に、女子職員に淹れてもらったものだが、すっかり冷めてしまっている。相手が、それだけしつこかったのだ。時計を見ると、普段であればとっくに帰り支度を始めているような時刻になってしまっている。

 ひとまず、喫煙室にでも行って、一服しようか……と立ち上がったそのとき、また内線の呼び出し音が鳴った。嫌な予感がする。

『北野専務、お電話です。大学の研究室の方からです』

 苛立ちを通り越し、疲れ切った北野は、普段なら絶対に発しないであろう弱々しい声で、その女性職員に嘆願した。

「あの、ねぇ……。さっきから、なんでわたしにばっかり、そういう面倒な電話が回ってくるのかなぁ。他の人に回してくれないかなぁ」

『でも、電話を下さる皆さんがおっしゃるのです。北野専務が担当窓口だと聞いている、と』

「ああ、そう……」

 諦めて、北野専務は外線をつないだ。かれこれ二時間以上も、こういう輩を相手にし続けている。余計な感情は薄らいでいき、受け答えはもはや様式化しつつあった。

「北野です。ああ……これは教授どの。お電話ありがとうございます。……はい、茅場町店を調査したいと? いえいえ、全てお断りしておりまして。……それはただの噂でしょう。店は普通に営業しておりますし、トラブルは収まったと聞いておりますよ。……はい、全て、お断り申し上げております。……え? 科学の発展のためですって? いやぁー、そうおっしゃられましてもねぇ」

 誰のせいで、こんな苦労をしているのか、既に目星はついていた。相手の話を上の空で聞き流しながら、北野は思った。

――広瀬め! 絶対に島流しにしてやる!



「うおっ」

 茅場町店の会議室。資料をめくった途端、奇妙な悪寒が龍二の背中を走り抜けた。

「どうしました、広瀬店長」

「いや、急に寒気みたいなものがね。お代官の風邪がうつったのかな……」

 何とかは風邪をひかないのにとか、周囲からしょっちゅうからかわれてきた龍二だったが、ここでは、店長相手にそういう冗談を言う者はいなかった。

 若干の物足りなさを感じつつ、龍二は会議を進めた。


「店舗入口の異変は、しばらくはあのままです。仮に、壁をぶち抜いて新たな入口を作っても、そちらにトンネルが移動してしまうか、さらに拡大してしまうおそれがあるんだ。……とにかく、当分のあいだ、われわれは並行世界のお客さまを相手に商売をしなくてはいけません。そのためには、並行世界との連結法則と、顧客動向を知らねばなりません」

 会議資料は、『二)六つの並行世界とその特性について』という章になり、現在確認されている六つの別世界についての説明が延々と続いている。

 そのあたりまで来たときに、どうも部下たちの反応が薄いことに龍二は気が付いた。いつもは頼れる越後谷も、体調不良で戦意を喪失しており、すっかり傍観者となり果てていた。

 後藤たちが作ってくれた資料は、本社に提出するための報告書としては良くできていた。しかし、これを丁寧に読んでいると、どうやら皆の眠気を誘うだけのようであった。

 何か良い方法はないか。

 そう思った龍二の目に、事務室の隅にあったホワイドボードが映りこんだ。龍二はそれを引っ張ってきた。黒いマーカーを手に取り文字を書いていく。


「――つまり、現れる並行世界はゼロ番を含むと七つで、接続先は一日ごとに、順番に切り替わっている。明日のこと、明後日のことも、これで予想できるんですよ!」

 疲れて眠そうな顔をしていた麻衣がまず顔を上げた。

 呼応するように、柿崎や盛田、それにバイヤーたちも、興味を示したようにホワイトボードへ視線を向けた。

「さて、柿崎さん答えてください。この店で、月曜日は何の特売日だったかな?」

 龍二に急に指名されて、柿崎は面食らっていた。きょろきょろと周りを見回してから、何かを疑うような顔で答えた。この店に勤める者ならば、一足す一よりも簡単な問題なのだから。

「月曜は……均一価格の日っス」

「そう。百円とか二百円とか、部門を問わずお値ごろなラインナップを売る曜日です。この月曜日は、ゼロ番世界……つまり、われわれが暮らす世界のお客がやってきます」

 龍二はホワイトボードに『月曜……均一の日、いつもの世界』と書き込んだ。それを見ていた何人かの者は、自分のメモ帳に書き写そうとしたが、龍二はそれを制した。

「ああ、すみません。これを書き写すのは少し待って下さい。……さて次。火曜は何の日でしょうか?」

「火曜はお肉の日――畜産部門の売り出しの日よ」

 今度は指名する前に麻衣が答えた。

 ホワイトボードには『火曜……お肉の日、温暖化世界』と書き込まれた。

「火曜に出ていた者なら知っているはずですが、あの日、外の世界は雷雨に見舞われていて、お客さまはやけに薄着でした。火曜の世界は、温暖化が激しく進行していて、春夏秋冬は失われ、日本はもはや常夏です。

 じゃあ、ベテラン主婦の代表者、盛田さんにお聞きしようかな? 盛田さんは、真夏に肉料理をよく作ります?」

 指名された盛田は少し考えてから返答する。

「そりゃあ作りますよ。でも、野菜炒めみたいな、簡単なものが多いかしらね。暑い時には、コンロのそばに張り付いているのもつらいから、揚げ物を作る回数は少なくなりますし、ホットプレートを出して焼き肉だとか、すき焼きだとかも、あまりやりませんね」

 麻衣も盛田の発言に頷いている。

「この日、惣菜部門でトンカツなどの揚げ物がやたら売れた。理由は、世の主婦たちが、自分で調理したくない、と考えたことにある。そのぶん、精肉部門のブロック肉は伸び悩んだ。鍋材料関係は、もちろんちっとも売れなかった。飛ぶように売れたのは、冷たいドリンクとアイスクリームだ」

 そう言いながら、龍二はホワイトボードに書いた『お肉の日』の文字に、大きなバツ印をつけた。

「二階堂さん、おれは火曜日を『冷凍食品とアイスの日』にしたいんだけど、どうでしょう?」

 麻衣は少し悩んだ様子で、返答に迷っていた。横から柿崎が口を挟む。

「火曜日は、黙っててもアイスが売れて、棚が空になってたじゃないッスか。わざわざ安売りすることありませんって」

 それに龍二が反論する。

「いや、おれたちは、季節違いで安く仕入れることが出来るんだから、並行世界のお客さまにもめいっぱいサービスしたいと思ってるんだ」

 不調の越後谷も、さすがに黙っていられず参戦する。

「でも龍さん、それはちょっとフェアじゃないのでは? 少しは手加減しないと、並行世界側の競合店から怒られるんじゃありませんか」

「その点は心配いらない。うちは並行世界に折り込み広告が出せないし、あっち……第一番世界のお客さまたちも、そろそろ異変に気づいて、火曜の来店を敬遠し始める。ただでさえハンデ戦なんだから、そのくらい許してもらわないと割に合わないってことで、フリュカ代表とも話がついてる」

「わたし、それならいいと思うわ」

 麻衣が覚悟を決めたように答える。

「じゃあ決まりだ。次は……水曜日、だな」

 水曜日といえば、真冬みたいな世界から、スノーウェアを着込んだ客がやってきた日である。

 龍二はマーカーで『水曜……氷河期の世界』と書き加えた。

 柿崎が小声で、実は現在も間氷期といって、厳密には氷河期なんッスけどね……と、隣の者に豆知識を披露していた。

「水曜は、世界規模で起こった海流の変化により、氷河期に突入しています。

 本来、水曜日は冷凍食品とアイスの日でしたが……そんな冬の世界の住民相手に、わざわざ凍ったものを売り出す必要はないでしょう」

 そう言いながら龍二は、水曜のところに、『お肉の日』と書き込んだ。これには反対意見もあがらず、畜産担当者も首を縦に振った。

「さて、次は木曜日です。この曜日は、戦争兵器により汚染された世界なのですが……」

 木曜といえば昨日のことであり、小型測定器を手にした客が、生鮮食品を山のように買いあさっていった日である。汚染されていない農水産物自体が、たいへん貴重な世界だ。

 これは記憶に新しく、インパクトも大きかったので、各生鮮担当者にはそれぞれ、言いたいことがあった。

「店長、鮮魚の特売日にしましょうよ!」

 先陣を切って柿崎が発言した途端、各々が勝手に発言を始めた。会議室は途端に騒がしくなった。

「それなら農産だって特売をやりたいです」

「特売なんてやったら、品出しがとても追い付かないだろ。黙っていても売れるんだぞ」

「むしろ高めでも売れるんじゃないですか?」

「ちょっと待て、客の弱みにつけこんでぼったくるなんて卑怯じゃないか」

「大体、安く売ったら午前中で完売しちゃうでしょ。あとから来た客は買えないってのも、不公平じゃないの?」

 それをきっかけに、議論は活発さを増していき、事務室はすっかり賑やかになっていた。むしろ、過熱しすぎる担当者たちを、龍二がなだめる場面さえあったが、皆が積極的に案を出し合ったので、会議は思いのほかスピーディーに進行した。

 そのころには、テーブルの上の菓子類は徐々に消えていき、包み紙の山が出来ていた。コーヒーの缶や、空になったペットボトルが、何本も机に並んでいった。


 やがて、頑張りの甲斐あって、並行世界の出現サイクルに合わせた、一週間ぶんの販売計画が完成した。

 それは、苦心の末に出来上がったと言っても過言ではなかった。各部門で異なる主張もあったが、誰もが言いたいことを言い尽くしたためか、わだかまりのない、すっきりとした表情をしていた。


「ご苦労様でした! この先の一週間は、この計画通りに行こう。皆さん、遅くまでお疲れさまでした!」

 龍二が締めのあいさつをすると、誰かが手を叩きはじめた。皆がそれに続き、事務室は割れんばかりの大きな拍手と、歓声に包まれた。

「やりましょう、店長!」

「明日からは、ただ翻弄されるばかりじゃないぞ!」

 担当者たちは、それぞれがやる気に満ちあふれていた。ただ一人、越後谷だけはダウンジャケットにくるまって、椅子の背もたれに寄りかかっていた。龍二にはそれが唯一の気がかりだった。

 会議が終わり、一人また一人と退室していく中で、龍二と麻衣は、越後谷の体調を気遣い声をかけた。点滴が効いているので大丈夫です、と、越後谷は返事をしていたが、それは強がりに過ぎなかった。


 結局、越後谷は翌日の仕事に出てこなかった。

 この時点での、月間累積売り上げは前年同日比で94%である。龍二の、そしてサンシャインマート茅場町店の本当の戦いは、ここから始まるのであった。


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