1-8 金曜日 (3)
「お代官……! 休みじゃなかったのか」
驚く龍二に、肩で息をしながら越後谷は言った。
「……光の中に消えてしまったって言うから、急いで飛んできたんですけど……。後藤さん、それに筒井さんも、無事だったんですね。……ああ、良かった」
誰かが、非番の越後谷に連絡していたのだろう。
おそらく麻衣あたりか。龍二が彼女のほうを見ると、『だって……』とでも言いたげな、少しばつの悪そうな顔をしていた。まあ、下手に警察なんぞに連絡されるよりは、余程よい判断だったかもしれない。
「おかげさまで、三人とも無事だよ。……でも、店がこの状態じゃ、何事もなかったとは言えないけどな」
龍二が、どこか他人事のように深いため息をついたのを見て、越後谷は事態の深刻さを感じてとっていた。さきほどは龍二たちの安否が心配で余裕がなかったが、よく店内を見回してみると、誰も仕事をしていない。明らかに指示待ち待機の状態で、苛立った雰囲気が漂っている。
麻衣に至っては、まるで喧嘩中の猫みたいに興奮しており、うっかり近づいたら髪の毛を逆立てて噛みついてきそうだ。おそらく不安の裏返しであろう。肝心の龍二はといえば、おろおろとうろたえるばかりだ。
まだ呼吸も整わない越後谷は、フロアの隅に手招きで龍二を呼び寄せた。
「一体何があったんです」
「実はな……うん、お代官になら何故だか話せそうだ」
龍二は、宇宙人の代表者と遭遇した件について、そしてその後の店内の混乱について、ごく手短に説明した。
越後谷は頭を抱えてうずくまってしまった。
「ええ、何ですって、宇宙人が……。ああ、なんか頭痛と寒気と動悸が。すみません、誰か……水を」
龍二はお茶のペットボトルを取り出して渡した。越後谷が一気に半分くらい飲み干す様子を眺めながら、龍二は、それがフリュカのところから余分に持ち帰ったものだ、とは言うまいと思った。
「とりあえず、宇宙人のことはまだ言わない方がいいですね。そこはこう説明したらどうでしょうか? 要するに、騒動の責任者ということですから……」
「ふむふむ」
越後谷の案を聞くと、龍二はフロアの人々を集め、マイクを持って説明を始めた。
『――従業員の皆さま。本日の作業について説明します。
本日、店舗にお客様はいらっしゃいません。全て、配送業者へお渡しする形での納品となります。バックヤードの各部門は、注文伝票に従い、至急品物の用意に取り掛かってください。
なお、ラインナップに存在しない商品が書いてあった場合、各部門のリーダーの判断のもと、類似商品で対応してください。量目、売価があまりにも違う場合、可能な範囲で小分けなどをして調整すること。扱い品目の多い、グロッサリー部門の小分け用の包装は、慣れた生鮮部門が協力してやって下さい。
その上で、どうしても用意できない商品がある場合は、わたくし広瀬に報告してください。
レジチェッカー担当の方は、グロッサリーの手伝いに入ってください。シフトはあとで調整します。
まずは、十二時の納品に向けて、みんなでがんばりましょう! 以上』
そう言い終えると、龍二はまず越後谷の顔を見た。顔色が悪かったが、小さくしっかりとうなずいていた。先程まで混乱していたパート従業員たちは、落ち着きを取り戻し、整然と担当部署へ戻って行った。
そして、なおも各部門のリーダーが龍二の周囲に残った。無論、麻衣もである。
「確認するわ。多少のことは、わたしたちが独自に判断していいのね」
麻衣はまだ苛立っているようだったが、先程よりは冷静さが戻っていた。
龍二は、自分を落ち着かせるように深呼吸をすると、皆の顔を見回しながら答えた。
「そう。各リーダーに、それだけの権限はある。――柿崎さんや、それに皆さんも聞いてください。いまは納品を優先するから、細かい説明は後にしますが、ここ数日の混乱には、きちんと理由があったんです。
わたしは先ほど、一連の騒動の原因を作った張本人と話してきました。
あちら様は、充分な誠意を持った人物です。今回の件について、全責任を負うとも言っています。
わたしは彼らを信用しようと思います。今日の急な納品のことも、あちら様が間に入ってくれますので、多少の不備があってもクレームはまず来ません。来たとしても、それはわたしの責任です。
みなさんは、日頃から一生懸命に、店のため地域のために仕事をして下さっている。並行世界のお客さまも、同じ時間、同じ土地に暮らす、われわれのお客さまです! 今こそ自分の感覚を信じて、今日を乗り切ってほしいと思います」
龍二を見つめる従業員たちの目が、徐々に輝きを取り戻していくのを、龍二は喋りながら感じ取っていた。なぜだか鳥肌が立つ。こんな感覚は初めてだ。他人の思考を読むというフリュカに、もしかしたら影響されているのかもしれない。
「それでは、十二時目指して、みなさんで頑張りましょう。十一時半になったら、各リーダーは状況報告に来るように。納品は、そのほかに午後二回あります。以上です」
「はいっ!」
みんなが、いい表情になった――龍二はそう思った。
なんだか嬉しくて、自分も爽やかな気分になってしまった。バックヤードへ散っていく彼らを見送ってから、龍二は越後谷に礼を言った。
「ふう、参ったよ。お代官の助言がなかったら、今ごろ大パニックだった」
「僕がアイデアを出したのは、ほんのちょっとだけです。後半は龍さんが自分の言葉でしゃべっていたじゃないですか。みんな、すっかりやる気になったみたいですね」
越後谷は弱々しく微笑んだ。まだ顔色が悪かった。
「お代官、体調が良くないんだろう」
「ああ、これは……ちょっと風邪気味で。寝てれば治ると思ったんですがね」
越後谷を電話で呼び出したのは龍二ではなかったが、自分のせいで、いらぬ心労をかけてしまったのには違いない。
「それは悪かった。病院にかかるか、すぐ家に戻って休んだほうがいいと思うぞ」
「いいえ!……店がこんなことになっていると知ったら、休んでいたって休まりませんよ! 龍さん、さっきのエルフィンとかいう宇宙人の話、もっと詳しく聞かせてくれませんか? 早急に今後の方針を決めるべきです」
「ああ、うむ、そうしたいのは山々なんだけど、さっき話を聞いたばかりで、おれの頭の中もまだごちゃごちゃで……」
正直なところ、龍二は越後谷に何もかも相談して、彼の見解を聞きたくてたまらなかった。
しかし、見るからに無理を押して出社している越後谷に、さらに負担をかけるべきではないと思われた。彼の健康も無論心配であるが、頑張りすぎて倒れられては店長としても困ってしまう。
それに、越後谷がこうも無理をするのは、龍二が店長として頼りないからであろう。それを思うと悔しくて、情けなくもあった。
どうしたら、越後谷を休ませることが出来るのだろうか……困り果てている龍二に、思いがけない助け舟がやってきた。事務員の後藤である。
「――あの、越後谷フロア長。宇宙人の方との会談には、わたしたちも同席していたんです。店長は全体指揮でお忙しいでしょうから、わたしが店長に代わって、会談内容の報告書を作成しようと思います。夕方までにはなんとか形にしますから、最終の納品が済んでからでも、全体ミーティングを行ってはいかがでしょう?」
後藤の申し出は願ってもないものだった。報告書を作ってもらえるなら、そのほうがいい。少なくとも、龍二が口頭だけで説明するよりは余程よいだろう。
「よし、それがいいな。後藤さんは、さっそく報告書にかかってくれ。今日は客が来ないし、サービスカウンターは無人で構わない。
お代官、聞いてのとおりだ。きょう一日は、とにかく全力で納品をする。夕方のミーティングに出たいというなら、せめて医者に診てもらってからにしてくれよ」
越後谷は不服そうだったが、少し考えて、首を縦に振った。
「はい、わかりました。素直に病院に行きます」
龍二は、名残り惜しそうに帰宅する越後谷を見送った。できれば、ミーティングになど出席しないで、ゆっくり休んでいて欲しいのだが。
(――お代官の性格上、それはないだろう。きっとあいつは夕方にやってくる)
龍二がそんなことを考えていると、優花が何か言いたげにこっちを見ていることに気が付いた。しかし、目が合っても下を向いてしまうだけで、何も言ってこない。
こんなとき、フリュカだったら心の声が聞こえるのだろうか、と龍二は思った。
「うーん……。筒井さんも気分が悪そうだし、聞いてのとおり、今日は客が来ないんだ。無理せず帰宅してもいいよ」
「あ、あの、違うんです」
優花は何か思いつめたような目をしている。そして、おずおずと遠慮気味に言った。
「わたし、さっきの話を店長たちと一緒に聞いていましたし、よかったら、その、後藤さんのお手伝いをしたいのですが。パソコンの文書ソフトなら、いちおう少しは使えます。あっ……そのぶんの時給は、無くてもいいので」
言ったあとで、優花は恥ずかしそうに俯いた。
もしも積極的な人間なら、それは何でもない申し出だったのかもしれない。しかし、いつも誰かのあとをついてきたような、おとなしい彼女にしてみれば、今の発言にどれだけの勇気が必要だったことだろう。
それを想像して、龍二は優花のことを拍手をもって称えたい気持ちになった。
「よく言ってくれた。筒井さんは、後藤さんと一緒に報告書を作成してくれ。時給は普通に付くから、余計な心配はいらないぞ」
「は、はい。すみません」
優花は恐縮しているのか、肩をすくめて返事をした。何も悪いことなどしていないのに、謝らなくてもいいのにな、と龍二は思った。
「筒井さん、そうと決まったらすぐ始めましょう」
優花は、後藤に先導されながら事務室に向かった。彼女は後藤に対しても、何か言いながらしきりに頭を下げていた。その後ろ姿を見ながら龍二は、まるで、若い頃の自分を見ているようだと思った。
龍二は時計を見た。午前の納品予定時刻までは、あまり余裕がない。
フロアを後にしてバックヤードに入ると、皆が忙しそうに注文の品を箱詰めしていた。よく見ると、担当以外の従業員たちも協力し合って作業している。急で慣れない仕事のはずなのに、文句を言っている者は誰もいなかった。
このぶんなら、十二時の納品は間に合いそうだ。龍二は心の中で、従業員たちに感謝した。
ようやく一息ついて、龍二が事務室に戻ったときだった。
「店長、お電話です。国立研究所の方だそうです」
資料を作りながら電話番をしていた後藤が言った。
「うぇー。今度は研究所か……。どうせ、店内調査の申し込みだろうな。一体どこから情報が流れているのやら」
「今朝から、もう三回目の電話です。お断りするなら、はっきり言ったほうがよろしいかと」
「うーん、どうするかなぁ」
そういった類の電話は、昨日あたりから入るようになった。サンシャインマートの異変の噂を聞きつけ、まずは、地元の新聞社やテレビ局が、取材と撮影の申し込みの連絡をしてきた。今日になってからは、有名大学の研究室からの問い合わせも来ている。
営業に差し支えるから、または、衛生管理上の問題で……など、苦しい言い訳をつけて、龍二は部外者の立ち入りを先延ばしにし続けていたが、いつまでも誤魔化していられないことは分かっていた。
受話器を保留にしたまま、いっこうに電話に出ようとしない龍二に、後藤はしびれを切らして言った。
「なにも、広瀬店長ご自身が悩むこと、ないと思いますけど」
「え? ……あ、そうだな!」
さすがの龍二も気が付いた。
「こういう問題は、やっぱり、本社が担当するべきだよな! 後藤さん、今度そういう電話が来たら、本社の電話番号を教えてやってくれる? そうそう、ついでに……」
龍二は、後藤に補足の指示を伝えた。これで、うっとうしい電話攻撃から、晴れておさらばできそうだった。
夕方の事務室。秋の日没は早く、窓の外には夜の帳が降りていた。
リーダーたちや、従業員たちの頑張りの甲斐あって、一日に三回の納品作業は、無事に終了した。ミーティングに集まった面々は、すっかり疲れ切った様子だ。
机を囲んでいるのは、各部門のリーダー格の従業員と、バイヤーたちである。
麻衣と柿崎の姿はもちろんのこと、今日休みであったはずの盛田真由美や、病院で点滴を打ってもらって一応復活したという越後谷も参加していた。店長の龍二が進行役で、フリュカとの会談に立ち会った後藤と、優花もその場にいた。
茅場町店の事務室は、長机を三台並べても余裕があるほどに広い。それで、会議室も兼ねているのだ。
机の中央には、英気を養うためのドリンク剤、缶コーヒー、糖分補給用のキャンディーやチョコレート菓子などがたくさん置かれていて、各々が自由に飲んだり食べたりしてよいことになっていた。
各出席者の目の前には、会議資料として、ホチキスで綴じられた報告書が置かれていた。後藤と優花が、午前中の会談内容を大急ぎでまとめあげたものだった。
時間を少し遡る。
龍二たちは、フリュカに拉致同然に招かれて、第四番並行世界上に存在する宇宙人の浮舟の中にいた。
宇宙人製の応接セットに腰かけ、これまた宇宙人にしては気の利いた、ペットボトル入りのお茶を飲みつつ、龍二はすっかりリラックスしていた。
いまだ完全に緊張が解けず、お茶の蓋すらも開けられずにいた後藤にしてみれば、それは豪胆と表現すべきか、並外れた楽天家と言うべきか悩ましいところだった。優花は借りてきた猫のように、座ったまま固まって動かなくなっていた。
龍二たちがいる小さな円形の部屋は、どうやら浮舟の中の応接室にあたるらしい。部屋の壁面と床と天井は、フルスクリーン仕様になっている。
フリュカはそれを、疑似全面ウィンドウ、と呼んでいた。各並行世界へ送り込んだ小型探査機から、リアルタイムで映像を受信しており、それを全方向へ映し出すことによって、疑似的な空中散歩が楽しめるという趣向になっているのだ。
龍二たちが最初にこのフロアに到着したときは、何の予備知識もなかったために、いきなり空中に浮いているような錯覚をおぼえたというわけだ。
フリュカにしてみれば、最初のインパクトで宇宙人の存在を信じてもらう目論見だったのだが、余計に混乱をあおってしまう結果になった。これについては深く反省しているようだった。
彼女は既に、他の六つの並行世界の店長には、挨拶まわりを済ませているらしい。
しかし、ごく一部の世界を除き、まず自分が宇宙人だと名乗った時点で、相手が聞く耳を持たなくなってしまったり、大騒動になったりして、まずは冷静な話し合いの席につかせることが困難だった。
彼女は、自分を取り押さえようとする人間たちを電撃棒で威嚇したり、瞬間移動術を披露しつつ身をかわしたりといった手間をかけされられ、平均してそれぞれ半日程度の時間を要し、さらにその後、状況説明と賠償方法の選定について、午後一杯を費やすという日々を繰り返してきたのだという。
その試行錯誤の末が、さきほどの強制連行劇だとすると、彼女にも同情するにふさわしい事情があったと言えるだろう。
とにかく、理屈がわかって安心した龍二は、再び空中散歩モードにしてほしいとリクエストしたのだが、女性部下二人から大ブーイングを食らってしまった。そこで、フリュカが折衷案を出し、足元の円形の床だけを残して、壁と天井だけに空中映像が映し出されていた。
それでも、平たい皿に乗っかって高い空に浮いているような爽快感はある。龍二は満足だった。
「では、話の本題に入ります。まずは、このたびの混乱を引き起こしたことについて、広瀬店長には深くお詫び申し上げます」
宇宙人フリュカは、日本人の慣習に従い、深く頭を下げた。
フリュカの尖ったエルフ耳には、角ばったピアスのような、小型同時翻訳機が装着されている。おかげで、会話はまったく不自由なく成立している。
「……あっ、失礼しました。この場合は、『ドゲザ』するべきでしたね」
椅子から立ちあがって、床に座り込もうとするフリュカを、龍二は慌てて止めた。
「い、いや、そういうのは結構です。とにかく、この状況――なぜ、われわれの店がおかしなことになって、あなたがた宇宙人が謝罪しているのか、それを教えて頂けませんか」
「あ、はい。そうでした」
この数日間の混乱の原因が、フリュカの口からようやく明かされることになるのだった。




