A HoLLy WomaN's TeaRs
ある年世界に不穏の影訪れたり。
陽は隠れ、雲が空を覆い、世は闇に閉じられた。
雨が降らず、水は失われ、故に草木は枯れ、世界は嘆きの時代に変わらん。
幾千の命が失われる中、一人の少女が神に祈りを捧ぐ。
この身と引き換えに世界を救われよ。
神、此れを聞き届け、世界の中心に神殿を建てて後、少女に神殿を与えられる。
少女、神の使いとなり、神が与えた器にて世界に水を落とす。
この後世界には陽が昇り、草木が茂り、光が戻らん。
後の世の者は少女を聖なる人と崇め、奉る。
聖女死す時、神は聖女へ神器を贈られた。
一つは真を映す鏡。
一つはあらゆる者を制する剣。
一つは世を統べる石。
これらが失われぬ限り、世には平穏が続くであろう――
+++
「……ん?」
ふと違和感を覚え、思わず足元を見つめた。
「いかがされました、皇子?」
「いや……何でもない」
俺がそう返すと、家臣はそのまま棺の方に視線を戻した。
……何だったんだろう。妙な胸騒ぎがした。
――地下のほうで、何かが割れたような音がしたと思ったんだが……
しかし今、地下にいる者など恐らく一人もいない。
当たり前だ。
今日は、俺の親父――イデルタ皇国の皇王の、葬儀なのだから。
「皆のもの、静粛に」
壇上で、兄貴――現皇王が棺を前に厳かにそう告げる。
……何だろう。
先ほどからの違和感が消えない。
ここの地下には大したものはない。
親父自身が管理していたのだと思われる開かずの扉があるだけだ。
開かずの扉はその名の通り誰にも開けない。親父が管理していた鍵をもってしても、何故か開かない。――ちなみに親父の管理下にあった鍵を持ち出して扉に試したのは俺だ。親父の部屋にあった鍵束の全部の鍵を試した。その後親父に滅茶苦茶に叱られつつどさくさに紛れて聞いてみると、やはり扉の鍵はあの鍵束の中にあったらしい。そんな訳であの扉が開かないのは織り込み済み。
だが一つ、可能性がないわけじゃない。
あの時の親父の言葉に、引っかかるものがあった。
『あれはわしが死にでもせん限り開かん!』
つまり、親父が崩御した今、あの扉は開くということだろうか。
「……」
「皇子?」
兄貴の話を全く聞かず上の空の俺を変に思ったのだろう、家臣が訝しげに俺の顔を覗き込んできた。
「お加減でも悪いのですか?」
「いや……」
俺が親父の死をあまり嘆いていないのは、周知の事実だった。善政を敷いていた親父の死を色んな者が悲しんだが、その中で俺は全く泣きもしない。
親子であったとはいえ、親父と俺に接点は殆どなかった。
まともに話した記憶は殆どなく、強いて言うのならば例の扉を開けに行った時滅茶苦茶に叱られた程度。
俺は第一皇子である兄貴とは違い、ことあるごとに城を抜け出して城下の悪ガキと悪戯しまわっていた悪たれだ。第一皇子に比べ第二皇子の何と情けないことか――という貴族の評判も聞き慣れたものだ。まぁ大体そんなことを言っている奴には部屋に忍び込んでベッドに蛙の親子を鎮座させたりペットの小鳥を逃がして代わりにそこらで捕まえた烏を鳥篭に突っ込んでやったりしたのだが。
そんな俺だが、親父に悪戯を叱られた記憶は後にも先にもあの時一回ぽっきりだった。
よほど大事なものがあの扉の奥には隠されているのかもしれない――
そこまで考えるといても立ってもいられなくなり、俺はその場から弾かれたように飛び出した。
「皇子!?」
「悪い、誤魔化しといてくれ!」
「ちょっ……」
困惑顔の家臣を視界の端に捉えつつも、俺は構わずそのまま駆け出す。その姿を目にした人々は、やや呆れたように顔を歪めるが気にしない。いつものことだ。
そうして俺は、葬儀の場を去った。
地下への階段は、殆どの者は知らない。俺が知ったのも、偶然親父が地下へ行くところを目にしたからだった。
親父の部屋へ続く廊下に、一枚の貴婦人の大きな絵画が飾られている。それを上へ、左へ、そして下へ動かすと、絵が外れる。そうすると、絵の後ろから高さ1メートルほどの穴が姿をあらわす。
そこへ身体を潜り込ませると、明かり一つない、所々に蜘蛛の巣が張った煤けた階段が下へと続いていくのが判る。
俺はそれを躊躇いなく降りていく。下へ行くにつれてかび臭い臭いが強くなり、顔をしかめた。
やがて階段を下り終えると、開けた場所が目の前に広がった。そうしてその奥に、件の扉が――
とそこで。
俺は思わず、目を疑った。
扉が開いている。
それだけではない。開いた扉の隙間から、うっすらと明かりが漏れているではないか。
「なッ……」
誰もいないはずのここに、何故、明かりが?
いや、違う。当然明かりがついているということは、何者かがあの扉の奥にいるのだ。
俺は慌てて扉へ駆け出した。
そして勢いそのまま、扉を叩き壊すかのように、バタン!!という派手な音と共に扉を開け放ち――
「……!」
俺はそれを、認めた。
まず視界に飛び込んできたのは、一対の翼だ。純白の、輝かんばかりに美しい翼。
それも鳩だとか、白鳥だとかの大きさではない。悠に2メートル近くはある――1枚の長さが、だ。
あまりのことに言葉を失った俺に、それはゆっくりと振り返った。
「――おや」
振り返ったそれは、
「ヒトの子ですか」
謡うように、そう言った。
「だ、誰だよ――アンタ」
それは俺の台詞を聞くとふわりと微笑む。
「さぁ――誰だと思います?」
白磁のようにきめが細かく雪のように白い肌。腰まで届くプラチナブロンドの艶やかな髪。右は妙な仮面のようなもので隠されていたが――夕闇を宿したかのような紫紺の左眼。
華奢な身体つきと中性的な美貌からは性別の判断はつきにくいが、声からすると恐らく男だ。
「…………盗賊、か?」
思いついたことをそのまま言ってみると、男は一瞬固まり――それから「ぷっ」と笑い出した。
「くっくく……100年ほど降りぬ間にヒトはここまで愚かになっていたのですか。嘆かわしい。よりによってこの私を捕まえて、盗賊?」
「な、何だよそれ!? 勝手に人の城に忍び込んで人のことを馬鹿呼ばわりすんな!」
「品のない言葉遣いですね――はぁ。まぁいいでしょう。盗賊といわれてもまぁ、あながち間違いではないのかもしれませんし、ね」
男は俺を真っ直ぐに見据えると、「名は?」と訊ねてきた。
「はん、会ったばかりの奴に何で答えなきゃいけないんだよ」
「ほう――そのくらいの知識は、あるのですか」
何だよこいつ、馬鹿にしてるのか?
「アンタこそ誰だ」
「貴方曰く、盗賊、ですね」
「俺が言った言葉繰り返してないで答えろよ不法侵入者。有翼種ってことは北の出身だな。何の用だ」
有翼種、とはその名の通り、翼を背に持つものたちのことで、北の地に住むといわれている種族だ。天使の末裔とも言われ、大変神聖な種族として崇められることもある。しかし彼らは殆ど自分たちの国を出ることはなく、人目に触れることは滅多にない。
「そう喧々なさらずに。喧嘩をしに来たのではありません。こちらの品を取りに参ったのです」
男は微笑み、背後へ顔を向けた。その視線を辿ると、立派な台の上に、一本の花瓶がある。
花瓶は空のようで、何も生けられている様子はない。まぁ親父に花を生ける趣味があったとは到底思えないから当然といえば当然なのだが。
「……ってかここにはその花瓶以外に何もないのか?」
「それはそうでしょう。ここに他の物を置く必要などありませんからね」
男は花瓶に触れようと手を伸ばし――とそこでその手を止める。視線だけをこちらへ向けて、
「――これは貴方の父が犯した罪の証。このままここに置いておけば、――いずれこの世界は滅ぶでしょう」
そう言った。
「は……? 何だよ、それ」
俺が問うと、男は不適に微笑む。
「伝説を知らぬわけもないでしょう。それとも神への恩も忘れましたか?」
「伝説――って」
「聖女の伝説ですよ」
聖女の伝説、といえば何処の国に行けど一つしかない。
生きとし生けるものが滅びかけたという時代の、聖女の話だ。
ある年、突然陽が隠れ、空を雲が覆い、雨が降らない日が続いた。
人々は作物を作るに作れず、動物も狩り尽くし、飢えに喘いだ。
この時、一人の少女が祈りを捧げて、神から救いを得た、という話である。
「まぁ知らない奴のほうが少ないと思うけど。それが何だよ?」
「この花瓶は、その時神が聖女に与えられたものです」
「…………は?」
突拍子のない言葉に俺が思わず間の抜けた声を零すと、
「……なんて締まりのない顔をしているんです? みっともない」
「いやだっておかしすぎるだろ? なにそれじゃあその花瓶が神器? マジで? あの、聖女が死ぬ時に「よくやったね安らかに眠ってねてへぺろ☆」って神が贈った奴!?」
「ふざけているんですか? くびり殺しますよ」
男は冷めた表情でそう言うと、
「これは貴方がたの言う神器ではありません。聖女が世界に水を落とすために神より賜った器です」
「な、何でそんなものがここに」
「言ったでしょう。これが貴方の父の罪の証だと」
男の瞳が妖しく光る。
罪――?
罪って何だよ、つか意味が判らん。
「これは世界を富ませるため作られたもの。これを中心に世界は豊かになる」
「ってことは――その花瓶のおかげでこの国は平和だった、ってことか?」
「いいえ。――御覧なさい」
男は花瓶を取ると、俺に向けて傾けた。
「……? 水、か?」
花瓶の中には、ほんの僅かに光るものがある――水だろうか。
「聖女の涙と呼ばれる、神の酒です」
「親父がこれで酒を飲んでたってことか?」
「いい加減居眠りは程ほどにされたほうが良いのでは? 現実を見なさい、現実を」
男はやや苛立った様子でそう言うと、花瓶を更に傾けた。
そして嫌な微笑を見せると、
「このまま聖女の涙をすべて零せば――神は怒り、地を荒らして世は滅ぶでしょうね」
「なっ……どういうことだよ!」
「これは人の手には負えないものなのですよ。神殿の外に出れば、聖女の涙はすぐに涸れてしまう」
「で、でもまだ残って――」
「そう。それは貴方の父が慌ててこの場に封印を施したからです」
男は嘲うように言った。
聖女の涙は、神が地を潤すために聖女に与えた酒。この酒を地に垂らせば、たちまちのうちに地は潤い、平穏が訪れる。
しかしそれは、聖女の涙で花瓶が満たされている間の話。
神殿の奥で湧いている泉。それは聖女の涙の泉なのだという。本来であれば、花瓶はその泉にひたされたまま、誰の手にも触れられない筈だった。
そこへ、親父が花瓶の話を聞いて花瓶を盗りにやってきた。
当時まだ親父は若かったらしく、そしてまた、それ故に国は傾いていた。
それを立て直すため、親父はどうやら聖女の涙をとりに行ったらしい。
元々は聖女の涙を泉から掬って持って帰るつもりだったようだが、聖女の涙は泉から掬い上げた途端に涸れてしまう。
故に親父は泉の中にあった花瓶に聖女の涙を入れたまま持って帰ってきた。
「花瓶には、聖女の涙がすぐに涸れてしまわぬよう、神によって封印が施されています。けれどそれも永遠ではない。神殿を離れれば、いずれはやはり涸れます。国に戻った貴方の父はそれに気付いたのでしょう。悪魔を呼び出し、ここに花瓶を封じ込めるよう取引をした。時間ごと封じ込めて、花瓶の中の聖女の涙が涸れぬようにしたのでしょう。もし聖女の涙が瓶の中からすべて失われれば、神は神殿から花瓶を盗んだとして怒ります。それを何とか避けようとしたのですね。ですがそれも無駄なこと。貴方の父は死に、悪魔の封印は途切れた。聖女の涙はいずれ涸れる」
「い、今はまだ、神は怒ってないのかよ?」
「まだ涸れていませんから。聖女の涙が涸れぬうちは、神の許に報告は行きません。しかしそれも時間の問題でしょうね。どの道この城は悪魔の気配がありますし、神が地上に降りれば真っ先に滅ぼしにかかってくるでしょう」
到底信じられそうにない話だった。
――が。滅多に自分の国を出ないといわれる有翼種が現れたのだ。嘘と言うには少々事態がややこしすぎる。
「アンタの……アンタの目的は、何なんだ?」
「私は、これを――そうですね。折角ですし、神に報告でもしに行きましょうか。裏切り者の人間を主と仰ぐ愚かな国がある、と」
「や、やめろ!! そんなことしたら……世界が滅ぶかもしれないだろ……!」
「滅ぶかもしれない? いいえ――必ず、滅ぶんですよ。当然でしょう? 貴方の父はそれだけの罪を犯したのです」
「っていうか、そんなことをしてアンタに何の得があるんだよ!? 天使の末裔とはいえ、神の配下じゃないんだろ? やめてくれよ……!」
俺の問いに、男は答えなかった。ただ、
「……ふ」
俺の言葉に微笑むと、瓶にふっと息をかける。
そして男は、俺が止める間もなく、瓶をひっくり返した。
「や、やめろ!! ……?」
慌てた俺の目の前でひっくり返された瓶。そこから水――聖女の涙が零れることは、なかった。
「な、何をしたんだ?」
「時を止めたのです。ほんの少しの間だけ。――まぁ、1月と保たないでしょうけどね」
神ではありませんし、と男は漏らす。
「世界が滅ぶのを、助けたいですか?」
「あ、当たり前だろ? っていうかそもそも親父以外の人間に罪はないだろ!」
「まぁ、そうですね。ですが神にとって人間などと言う玩具がいくつ壊れようとも関係のない話でしょう。ですから貴方のその言い分では、神は赦しません」
「っ……」
唇を噛んだ俺に、男はゆるりと笑いかけた。
「……返しに行きなさい」
「は……?」
「この器を、神の御許、神殿の泉まで、聖女の涙が涸れぬうちに返しに行くのです。そうすれば神にばれないかもしれませんよ?」
ふふ、と悪戯っぽく笑って男は俺に花瓶を渡してきた。
「返す気があるのなら、今すぐに発たねば時間がもったいないのでは? いずれ私の術も切れる」
「……!」
「貴方に返す気があるのなら。――まぁ、面白そうですし、助けて差し上げないこともありませんよ」
男はそう言って――
何処か楽しげに、やはり微笑んだのだった。