コンビニ店員と食玩お兄さん
夜から朝にかけてコンビニでバイトをしていると、常連のお客様は覚えてしまうものだ。
例えば、私服だったりスーツだったりするが、必ずおにぎりとお茶、そして食玩をチェックするお兄さんがいる。だいたい朝に来るが、一度だけ夜中なのにスーツだったのが印象深くて、記憶に残っている。若干痩せぎすだが清潔にしていて、目鼻立ちも彫りが深めで、それなりに格好良い。なぜ食玩なんかを買い続けるのか、わからない。そんなもの買うなら、美味しいものを食べてもうちょっと肉を付けるなり、旅行にでも行けばいいのに。
「これください」
「ありがとうございます、七百八十七円です」
かわす会話は、レジを通じてこの程度だ。お兄さんの名前も知らない。こちらは樋口と名札を付けているが、もちろん覚えていないだろう。
ある日、お兄さんが夜中に来た。他にお客様はいないけれど、これまでの態度からもナンパするような人ではない。いらっしゃいませ、と声をかけた後は安心して放置していると、捜し物をするように店内を一周して、レジにいた私に声をかけてきた。
「あの、今日が発売日になっていたクジは、まだ置いてないですか?」
目当てのものは、本日発売のクジらしい。一回数百円でクジを引き、当たりだと大きなフィギュア、外れだとストラップなんかがもらえるタイプのものだ。
「申し訳ないのですが、六時頃に店長が来て、それから設置なんです。その頃にまた来られてはいかがでしょうか」
「うーん、店長さんが早く来たら、もしかしたら早く設置するかもしれないよね。たまたまそのときに他のお客さんが来ていて、買って一等を当てられたら、困るし」
ぶつぶつと何か言っていたかと思うと、レジの前から離れて、おにぎりをいくつか、加えてお茶を手に戻ってくる。会計を済ませると、お兄さんは車に戻った。そのまま帰るのかと思っていたが、おにぎりを食べ終えたらゴミを捨てて、また車に戻る。しばらく経っても、車が動く気配はない。
どうやら居座るつもりらしい。まだ二時にもなっていない。四時間ほど待つって、何を考えているんだろう。平日なのに、明日は仕事じゃないのか。車で寝るのか。私は枕が変わると眠りにくくなるので、何とも羨ましい限りだ。
コンビニの駐車場で夜を明かすのは気の毒に思うが、こんな用件でこんな時間に店長へ連絡するわけにはいかない。もう一人のバイト店員は、やる気なさそうに奥で漫画を読んでいる。私より長い分、実権があるかと思いきや、夜中勤務で人が足りないから仕方がなく雇っていると、前に店長がぼやいていた。私から見ても態度が悪いというか、まじめに仕事しているようには見えない。
別のお客様が複数人で入ってきて、雑誌を適度に散らかしながらもお菓子やお酒、つまみを買って帰っていく。完全に出て行ったのを確認して、整えるために雑誌コーナーに行く。ちょっとだけでも寝顔が見れたらいいなと思ったのは、私だけの秘密だ。
ちらりと車に目を向けると、何やら書類に文字を書き込んでいる。仕事かな、と思って見ていたら、助手席にある凄まじく分厚い辞典のようなものを手に取る。
予想外にも、お仕事している。こんな夜中に、コンビニの前でやることじゃないと思う。どれだけ仕事漬けなんだ。それとも、寝ると起きられないと思っているのかもしれない。寝顔ではなかったが、きりっとした顔を見たので、それなりに満足だ。
「いらっしゃい……ませ」
しばらくして入ってきたのは、茶色のニット帽にグラサン、マスクを付けた男だった。たぶん、中年のおじさん。声かけで少しどもってしまったけど、きっと大丈夫。
男はきょろきょろと店内を見回し、ちらりとカメラの位置も確認している。うわ、これは……
たぶん無駄だけど、休憩室に繋がっている呼び鈴を押しておく。駐車場で仕事しているであろうお兄さん、今は入って来ないでよ、と思いながらレジからほんの僅かに距離を取る。
すぐに男はレジの方に来て、懐から刃物を取りだし、怒鳴り散らした。いわゆるサバイバルナイフというやつだろう、上部がギザギザになっており、刃渡りはおよそ二十三センチといったところか。
「金を出せ!」
はいはい。女が一人でレジに立っていて、他に店員は見あたらない。強盗にとって、非常に都合が良い条件だ。
「は、はい……」
怯えた風にレジをあけると、勝手に取れとばかりに距離を離す。なにやら喚きながら、男がレジに手を伸ばす。万札を数枚つかみ、入り口に向かって走っていく。当然、奥からバイト店員が出てくる気配もない。夜中が一人になってでも、あいつは居ない方が気が楽だと思ってしまう。冷静を装っても、色々と鬱憤は溜まってしまう。やる気もなく役に立たないバイト店員に、心の中で死ねばいいのにと思ったとしても、仕方がない。そう、仕方がないのだ。後で殴るつもりなのも、避けようがない。コンビニ強盗の直後に傷害事件。警察の人ごめんなさい。
意識がそれた。もう逃げたかと思って入り口に顔を向けると、なにやら怒った風のお兄さんが立ちふさがっていた。
男はナイフを持っている。刺さると内蔵まで到達するかもしれない。ちょっとした切り傷では済まないのだ。
「どけ!」
喚く男に対して、長い棒状のものを構える。手元がビラビラしている。えっ、モップ? どこにあったの? 車に積んでいたのかな。
怒鳴る男に対して、やあっと勇ましい気合いを込めて、モップを振るう。すると、ビシッと高い音が鳴り、強盗犯が悲鳴を上げる。カランと乾いた音がして、ナイフが地面に転がった。剣先、というかモップ先が見えないほどの速さだった。
呆気にとられていると、再び気合いの入った声が響き、モップの先が強盗犯の首をとらえた。突きを喰らわせたようだ。わあ、痛そう。
ぐえっとくぐもった声を出して、強盗犯が倒れる。お兄さんはナイフを蹴り飛ばし、強盗犯を後ろ手にして、抵抗できなくしてから、声をかけてきた。
「縛るものある?」
「は、はいっ」
返事をして、梱包用のビニールひもを渡すと、手早く拘束していく。
成人コーナーにあるような妖しい縛り方ではなく、普通に手と足を後ろで縛るだけ。安心。
さっそく警察と店長に連絡を入れる。来るまでの間に、と。
「あの、初めてお越しいただいたのにこんなことになってしまい、申し訳ありません」
「え……いや、構わないですよ。それより、怪我はしていない?」
「大丈夫です。あのえっと、コイツは放っていても大丈夫そうですし、中に入りませんか? お礼に何か温かいもの飲んでください」
少し引き気味のお兄さんを引っ張り、中に入った。強盗犯に聞こえなくなってから、小声でお詫びを入れる。
「ごめんなさい。よくここに来るって言っちゃうと、アイツが逆恨みで狙っても困ると思って」
お兄さんを覚えていますよ、という主張をしておく。食玩のお兄さんという、本人が聞くと名誉なのか不名誉なのかわからない覚え方だったのは伏せておくのが配慮というものだ。今日からは、長物を持つと強い食玩のお兄さん、だ。
しかし、お兄さんが取り押さえてくれて助かった。店員が無茶をして取り押さえようとすると、たとえ上手くいっても、こってり怒られる。調子に乗って同じ行動をしていつか大怪我するかもしれない、という危険性があるかららしい。
私は腕っ節には自信がないので、取り押さえようなんて思ったりはしない。強盗の特徴を似顔絵で表すのが精一杯だ。
「へえ、色々と考えてるんだね。ああいう場合、お金は盗られても追いかけないのが正解だね。武道の心得でもない限り、刃物を持った男には敵わないし」
「そうですね。お金は渡しちゃえって言われてます。ただ、私の場合は美大に通っていて絵が得意なんで、特徴を掴んだ似顔絵くらいは書いちゃいますけど」
お兄さんが話に乗ってくれたのが嬉しくて、つい口が軽くなる。すると、途端にお兄さんの顔が険しくなった。なんだろう、何か地雷を踏んだか?
「個人情報を見知らぬ人に漏らすもんじゃない。俺がストーカーだったらどうする?」
「い、いやいや。おに……お客様が品行方正なのは知ってますから」
危なく、お兄さんなんて言ってしまうところだった。あくまで心の中で言っているだけで、単なるお客様なのだ。
機嫌が悪そうに眉をしかめながらも、それ以上強く怒っていないから大丈夫そうだ。
しばらく待つと、警察と店長がやってきて、事情聴取をされる。状況を説明すると、もう一人のバイト店員が奥にこもっていたくだりで、店長の顔が固まった。もしかすると、もう一緒にバイトしなくていいかもしれない。そうなると嬉しい。
「あれ、藤原先生」
警察官のうち一人が、お兄さんを見て声を上げる。藤原。覚えた。
「ああ、山田警部補。お久しぶりです」
警部補。あまりわからないけど、警部と付くからには、結構偉そう。そんな人と知り合いなんて、お兄さんってば何者だろう?
「店長、あの人、よく食玩を買いに来てくれる人なんですけど、何者なんでしょう?」
「人の事情をおいそれと聞くもんじゃないよ」
気軽に聞いたんじゃないもん。と言っても無駄だし、言うつもりもない。どうやら話が付いたようで、お兄さんが強盗犯と一緒に警察署へ行くらしい。
「そんなわけでこれから署に向かうのですが、ちょっと六時までには戻ってこれないんですよ。お願いがあるのですけど、どうしても欲しいので、クジ引きの予約をお願いできませんか?」
「はい、普段なら無理なんですが、今日は事情が事情ですし、先に承ります。いくつ引かれますか?」
融通の利かない店長が素直に応じている。珍しいが、まあ当然と言えば当然だろう。お兄さんのおかげで、強盗被害を未然に防げたのだ。
クジの箱を持ってこい、という店長に頷くと、お兄さんに止められる。
「いえ、1セットまるまるお願いしたいので、クジは引かなくて構いません」
えー。何考えてるの、この人。何が当たるかわからないクジを引くから、面白いのに。
というか1セットまるまるって。いくらすると思ってんの。私の一ヶ月のバイト代、半分以上は使うだろう。これだから大人ってやつは。
「駄目……でしょうか」
目に見えてしょんぼりしている。やばい、可愛い。店長をちらりと横目で見ると、呆気にはとられていたが、駄目という感じではない。
「構いませんよ。約束は約束ですので。では、1セット、ご予約承りました」
内心でドン引きしていても、笑顔で応対する。さすがは店長だ。こういった積み重ねが、きっと好印象に繋がるのだ。
安心した顔でパトカーに乗るお兄さん。え、自分の車じゃないんだ。っていうか、車置いていくんだ。用件が終わったら、すぐに戻ってきて買って帰るんだろう。
きっとバイトの時間は終わっているだろうが、疲れたからとでも言って、奥の部屋で休ませてもらおう。きっと、彼はすぐに来る。
「フタバちゃん、クジの人来たよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「ふふふ、頑張ってね」
私の後にバイトに入っているおばさんに事情を説明して、クジは全て売れていて、しばらくしたら取りに来ると伝えている。そのときに、あらためて礼を言いたいので来るまで待っているので、呼んで欲しいとお願いしていた。
しかし最後にボソリと付け加えられた。くっ、きっと彼女はお見通しだ。弱みにならないよう気をつけなければ。
「あれ、まだいらっしゃったのですか」
「はい、あらためてお礼を言いたくて。あと、クジの景品を運ぶのお手伝いしますね」
店にあるお菓子から小洒落た物を選りすぐって、自分でプレゼント包装を行った。もちろん、お菓子は自腹で買っている。
クジを全部だと、荷物の量も相当多い。車に積むのを手伝いながら、こっそり荷物に紛れ込ませた。もしかするとこのまま仕事に行くかもしれないので、溶けたりしないものにしている。
積み込みが終わり、ぺこりと頭を下げる。
「強盗犯の撃退、お買い上げ、ありがとうございました」
「うん。ありがとう、フタバちゃん」
え?
「あっ」
慌てて自分の口をふさぐお兄さん。きっと寝不足の頭だからだろう。内心で私をフタバちゃんと呼んでいたに違いない。自分も先ほど同じだったから、間違いない。本名をもじってフタバちゃんと呼ばれているのを聞いて覚えていたのだ。
「フタバちゃん? それ、私のことですよね。覚えていたのですか?」
きっと、このときの私は、猛禽類もかくや、という目をしていたに違いない。