王子様と女庭師の関係。
ある女嫌いの王子様と、身分を隠した女庭師の日常。
「そう、それで貴女は断るというのかしら?」
算術機をチラつかされて、微笑む王妃様ははっきり言って怖い。
その算術機が示している金額は、私の家族が楽に三年ほど食べていける金額を示している。
王妃のその様子では、札束で頬を叩いてきそうだった。
いや、私の回答を聞けば指に大きな宝石をつけた手で、はたかれるかもしれない。
とっても、高価な武器だ。
私の名前はステファニア=コッツラウル。
コッツラウル家は子爵。本来なら私もお嬢様として暮らしているはずなのだが、コッツラウル家は下流貴族の中でも懐事情は底辺も底辺の貴族とは名ばかりで、殆ど庶民の生活をしている。
そんな私は、小さい頃に園丁の仕事を見よう見まねで手伝い、それが転職と思い、本格的に一生を捧げる仕事にした。
昔からうちにお情けで出入りしてくれていた園丁は、実は城へも出入りする凄腕の庭師で。
私は一応なけなしの子爵家の体面というやつで、身分を隠し今はスティンという名前を名乗って……といっても愛称なので嘘は言っていないのだが……城の庭師として働いていた。
そんな私が、お金の力で、王妃様から「お願い」されようとしているのは。
――私の息子を誘惑してくれない?
というとんでもない願いだった。
「私の可愛いセオドリックが、女の事を気にして女の名前を聞くのは初めてなのよ!」
「そ、それは……私の事を女として気にしたわけじゃないんですよ、王妃様!!」
セオドリック殿下。
この国の第一王位継承者で、銀髪紫眼の"水晶細工の王子様"という異名を持つかなりの美形として知られてる。けれど、それと同じほどに彼の有名な噂は……女嫌いだ。
私は、一か月前の出来事を思い出した。
師匠から一区画任された場所に植え、丹精込めて育てた薔薇。
それがつぼみがつき始め、もう少しで咲くんだ! とうきうきしていたところ。どこの誰だか知らない男が荒らしていて怒鳴りつけたら、よく顔を見たら――殿下だったという訳だ。
それほど、私は薔薇しか気にしていなかった。間近でみると、見間違えようもなく白銀に輝く長い銀髪を一つに纏め、深い紫の瞳は彫像のように整った顔にはめ込まれた宝石のようだ。背は高く、すらりとしていて、細すぎず……と美辞麗句が私の頭の中のすべての言葉を使っても追いつかない。というほど、目立つ外見だった。
まあ、訳を聞いたら、苦手なご令嬢を避けるために窓から飛び降りるのに必死で、着地した場所が私の丹精込めた薔薇だったという。何とも痛い話だったのだが。因みに、殿下は分厚いマントで保護されて珠のお肌には傷一つなく無事だった。ああ、可哀そうに私のブルームーン(薔薇の名前だ)
その日から、殿下の視線が痛かった。私を見かけると寄ってきて。
はっきりいって、あの王子が私に寄ってくるのは嫌がらせでからかってくるのだ。
名前も聞かれたけど、名前を知られたら最後、何を調べられるかわかったものじゃない。
私はのらりくらりとかわしてきたが、一か月目の今日。とうとう王妃様に呼び出されて、殿下への不敬でもしかして打ち首獄門の刑に処されるのかも……と思っていたが。
それよりもとんでもない事をいわれて混乱してる。
殿下の女嫌いを治してくれ……だなんて!
「……お断りします、殿下にはもっとふさわしい女性がいらっしゃる筈です」
「こんなにお金を積まれて、うちの息子に言い寄ってもいいって言ってるのに、うちの息子が不満なの!? 不細工の癖に!」
確かに。
私はそんなに器量よしじゃない。
器量よしだったら、玉の輿に乗るというビッグチャンスをものにするために、パーティやら舞踏会やらに出ていただろう。
でも面と向かって言われるのは流石に、傷つく。
「でもお金でそんなことを私が頼まれて近づいたと知ったら、殿下の女嫌いに益々拍車がかかるのではないでしょうか?」
確かにお金はとても魅力的だ。
この算術機に表示されている金額をもらったら、実家の屋敷の雨漏り修理が完璧にできるなと一瞬考えた。けれど。お金でやっていい事とやっていけないことはわかっている。一応、子爵令嬢としてのなけなしのプライドがあった。
どうにかこのバカげた考えを止めさせようと、必死になった私に、王妃はこう畳みかける。
「いいわ、貴女がお金で動かないというのなら。貴女をクビにするようにロバートに命令しますから」
ロバートというのは私の師匠だ。
「それともスティンではなく、ステファニア。貴方の本当の身分を、今日のお茶会の話題に出してもいいのよ?」
その一言で、私は折れた。
一応、ステファニアとしての私は、社交界にドレスやその他諸々かかる費用がなくて出られないのだが。それを隠し、とてつもない大嘘で笑うしかないのだけれど、病弱なので家に籠っているという事になっている。実際の私は、日焼けでそばかすまみれ、そして重い肥料や剪定した樹を運んだりするほど健康体だ。
しかし、そんな嘘がばれれば、うちのなけなしの名誉が地に落ちるだけではなく、また新しい職を探すために苦労しないといけないし、そしてそんな私を好意で雇ってくれた師匠にご迷惑を掛けてしまう。
そして王妃がどこの馬の骨ともわからない女を“公認”で殿下の側に置くわけがない。子爵令嬢という身分がぎりぎりあるから、戯れ相手として許されるということか。
私は、深く深呼吸して考えた。
万が一にも私が女嫌いの殿下を落とせるわけがない……ので万が一にも私が、ふしだらな娘という評判などたたないだろう。
ここは適当な事をいって承諾するのがベストだと思う。適当な時期を見計らって、私には無理でした! といえば、納得されるだろうし。それもちょっと悲しいが。
仕事もあるので自分が出来る範囲で頑張りますので、といってお金をいただくことを辞退して、私は無事王妃の部屋を退出できた。
そのころには冷や汗でびっしょりだった。
‡
「殿下……貴方の母君は一体なんなんですか!!」
私は庭園の草をブチブチとむしりながら、また例のごとく寄ってきた殿下に悪態をついた。
私が苛々しているのを感じ取って、なんだか嬉しそうに殿下はしている。
この男、ドS過ぎる。
「母君が、どうかしたのか?」
「貴方が私に興味を持っているようなそぶりをみせるから! 王妃様に女を教えてくれってお金を積んで頼まれましたよ!」
「それで、お前はなんと答えたんだ?」
にんまりを笑う。いくら美しい姿をしてても、まるで悪魔のようだ。
いや、美しいからこそ、悪魔なんだろうか。
「お断りしたんですが、クビにすると脅されましたんで、適当にはいと答えておきました。その方が殿下にも都合がいいでしょうから、適当なところで私を振ってください」
「そんなに俺にネタばらしをしていいのか? 母上に言いつけるかもしれんぞ?」
「まぁまぁ、そんなにスティンを脅かさないの、セド」
途中で私をかばってくれるのはシーモンド様。
女性にはとても優しくて、殿下とは正反対の外見をしていた。太陽のような明るい黄金の金髪に緑の瞳を持っている。一部の隙もない貴公子ぶりには城の女性にちょっとアレな熱狂的なファンも多い。
しかし――シーモンド様のファーストネームはオクタヴィアナ。
れっきとした女性だ。男装の令嬢というやつだ。しかしシーモンド様がドレスを着ている姿が想像できない。
「本当に、セドの母上は短絡的だね。一番目は私だったけれど」
「えっ!?」
「女らしい女性がダメなら、男性の姿をしている女性は? って事で私が呼ばれたのさ。でも私としては、こんな男より……スティンのような可憐な女性とお近づきになりたいな。前から思っていたんだよ」
「シ、シーモンド様っ!!」
「オヴィー、と。愛称で呼んでほしい」
雑草を抜いている手に、そっと手を重ねられる。
そういえば、午前中の王妃様の一件であまりの動揺ぶりに手袋をするのを忘れていた。シーモンド様の美しい手と比べて自分の荒れ果てた手に恥ずかしくなって、手を組んで胸に引き寄せる。
「その美しく可憐な手が傷だらけで痛々しいね、後でハンドクリームでも届けさせよう」
「そ、そんなとんでもないっ……!」
シーモンド様は礼儀作法も完璧で――私なんか一介の庭師と思っているはずなのに、レディとして対応してくれる。ので、調子が狂うというか、てれてしまうというか、恥ずかしい。相手は女性なのに。
「おい、お前らがいい雰囲気になってどうするんだ?」
「え、あ、すみません。殿下。存在をすっかり忘れていました」
同じく美しい姿をした、殿下ではあるが、シーモンド様のようにドキドキしないのは、残念ながら中身が……。
そんなことを考えているのが、殿下には丸わかりの様で。
「俺にそんなことを言えるのは、お前ぐらいだよ、スティン」
「いえ、だって。今更取り繕ったって……出会いがあれですし、殿下」
「そうだな、今まで女に叱られることも無視されることもなかったから新鮮だったな」
あ、語尾が心なしか怪しい。
殿下のいじめっ子スイッチを入れてしまった。気がする。
「とにかく、私が殿下にお話したと言うことがわかれば第三、第四の刺客が送り込まれてきますので、殿下の方が困ったことになるのでは、それよりも私に適当に引っ掛かったふりをして王妃さまの気をそらし、自由を満喫すればよろしいじゃないですか。そして私も職を失う事なく安泰です」
「……そんなに職を失うのは嫌なのか」
「当たり前ですよ殿下。うちは貧乏なんです。たの兄弟も働いてますが私の稼ぎも入れてかつかつなんです」
「なのに……お前は金はもらわなかったのか?」
「出来もしないことでお金なんて頂けませんよ。それに……少し、殿下が女嫌いになる気持ちが分かりました」
「分かってくれて嬉しいよ、スティン」
殿下は、別に嬉しくもなんともなさそうに、無表情でそう言った。
「でも、こんなに凛々しく素敵なシーモンド様でも駄目だなんて。一体どんな女性ならいいんですか?」
一応、王妃さまの手前基本的な事ぐらいはやっておこうと思うというのが半分。これで好みの女性が聞ければ、その女性とくっつけるようにと王妃さまに言ってしまえば、こんな煩わしい事から手を引けるというのが半分。
って、もう全部の理由が殿下を自分の生活から排除したいという一択になってるけど。
「…………そうだな。今の所俺の中ではお前が一番らしい」
流石に見抜かれていたみたいで、殿下に答えをはぐらかされる。
「ま、まぁこの広い世の中。まだみぬご令嬢は多いはずですから、きっと殿下の気に入るお嬢さんぐらい見つかりますよ、幸いにも殿下は美形ですし、スタートから有利です!」
「そいういう割には、お前はオヴィーの方が好きなんだろう」
「え、そうですけど。あ、そうですね、お会いできたとしても殿下を好きになってくださるという保証はないですね……うーん困ったな」
「一生困っていろ」
やや不機嫌に陛下はマントを翻し去っていこうとする。普通の人間なら芝居がかったその行動も優雅過ぎて見惚れる。流石は王族。それを我に返って私は呼び止めた。
「殿下、それでどうされますか? 王妃様には……」
「わかった。お前に誑かされて、俺はお前にメロメロだとでも申し伝えておく」
「なっ!! 何もそこまではっ……」
「覚悟してろ」
そう言って下働きの人間には通れない、表廊下に去っていった。追い掛けたくても追い掛けられない。私は声にならないうめき声をあげた。
――もし本当に陛下が王妃様にそんなことを言ってしまえば、だ。とてもまずいことになる。
私が本当にただの平民で園丁であるならば、いい。ただの遊びとして同じ人間とは見てもらえず、見て見ぬふりされるだろう。しかし本来の私は一応子爵令嬢だ、それを王妃様は分かっている。無理矢理側室として召し抱えられる事になりかねない。真っ青になっていると、慰めるようにオヴィー様がいった。
「本当に……セドは素直じゃないな」
「そうですか? はっきりしっかりと私に厭味いいながら去って行きましたけど?」
そう。
あの捨てぜりふは厭味だ……嫌みにきまってる。本当に王妃さまに言う訳がない。
「あぁいや。あれでもセドは君に甘えているんだよ」
「え? 殿下が」
殿下は御年19歳。私は16歳……歳下の小娘に厭味というかパワハラ的な嫌がらせしていくのが甘えてる? 嫌がらせ以外何物とも思えないけれど。
甘えるうえでの冗談にしても、もっと平和な話題をだしてほしい。
「何故か君はお喋りにさせるから、セドも気にせず本音で喋り合えるんだろうね」
「いえそれは……それを言うのならシーモンド様……あ、オヴィー様のほうがお話しやすいかと」
家名で呼よぼうとして、シーモンド様に首を振られて愛称で言い直す。何といってもシーモンド様じゃなかったオヴィー様は、女性で唯一と言っていい対等な態度を、殿下に取ってもらっているのだ。
「いや。私とセドはあくまでも……いや、勝手に喋り過ぎたな。彼の居ないところで彼の気持ちを代弁するのも野暮な事だ」
「……」
本当に女性にしておくには惜しい程の見事な紳士ぶりです。
「それにしてもスティンには慕う方は居ないのか? それとも許嫁でも?」
「えっ! 私ですか!? いえっ居ませんよそんな方。うちはとっても貧乏なので、花より団子といった状態です。流石にそろそろ一番上の兄上には結婚して欲しいのですが……うちなんかに来てくださる奇特な方がいないものですから」
「ふーんそうなのか。一度お会いして見たいものだ」
「いえ、オヴィー様にお見せできるような兄ではないのです」
兄上を思い浮かべてみるが、本当にオヴィー様と同じ貴族とは思えない程、領地の小作人達に溶け込みすぎて働いている。
生粋な貴族のオヴィーさまが見たら、さぞ粗野な兄上にびっくりする事だろう。
でもスティンには、大事で大好きな兄上だけれども。
「では私もそろそろ失礼するよ仕事の邪魔をしては悪いのでね」
「いいえ、オヴィー様ならいつでも歓迎いたします。何のお構いも出来ませんが」
雑草を抜く。といった単純作業の時は、むしろ話相手がいる方がうれしい。
オヴィー様はそこのところを弁えてくださるのでいいのだが、殿下は作業の邪魔を度々しては相手をしないと不機嫌になるしで歓迎できない。こっちは仕事中なのに殿下としての役目をサボって息抜きにくる人間の相手なんてしてられない。というか忙しいにも関わらずちょくちょくくるのは、そんなに私をからかって憂さ晴らしをしたいのかと、人格を疑うレベルだ。
私のそんな気持ちと「オヴィー様なら」というセリフからそれを感じとったみたいでオヴィー様は苦笑する。
「本当に君達の未来は多難だね」
殿下が私に飽きて下されば、それだけでお互いの未来はバラ色なのにと、私はため息を吐いた。
――ああ、ダメだ。溜息なんか吐いてると、幸せが逃げてしまう。
幸せなんかとっくの昔に逃げているということには私は目をつぶった。