ライオン・ハート
ファンタジー世界の転生によるTSラブコメ?・病弱な美少女が生まれ変わったのは・・・・。
――あの頃の私は、いつもいつも窓の外を見ていた。
私の前世の名前はリオーネ=ローズヴェルト。
名門貴族ローズヴェルト家の深窓の令嬢だった。
両親はその国でも名高い美男美女で、その二人から生まれた娘である私は、国内外にも響き渡る程の美しさになるのは必然だった。
春の陽を集めたように輝く金髪。
長いまつげに彩られた、夢見るようなすみれ色の瞳。
スラリとのびた長い手足に、月に照らされたような白磁の肌。ふっくらとした、薄紅色の唇。
華奢で儚い外見は、見るものをまるで、この世のものとは思えない妖精の絵画を見ているような気分にさせる。
でもそんな私にも、ひとつだけ完璧からは程遠い欠点があった。
病弱、だったのだ。
一日のほとんどをベッドの上で過ごし、出会う人間といえばお医者様だけ。
時折、奇跡的に体調の良い日は、夜会は無理でも園遊会などに出席するも、途中で気分が悪くなり退出してしまうという有様だ。
――強く、なりたい。
私はそんな一心でどんな治療も、薬も耐えた。
けれど状況は芳しくなく、そのことごとくが無駄になった。
そんな焦りを抱える私の元に、ますます心を煩わす出来事が舞い降りた。
私が唯一行ける社交の場、園遊会で私を垣間見た男性たちからの求婚。
私の病状をよく知らないせいか――病弱という断り文句も、方便と捉えられて、条件のいい夫を選り好みするために出し惜しみしているなどと、妙齢のご令嬢たちからは陰口を叩かれることになった。
一見華やかだが薄氷の下では浅ましい人間関係が渦巻く社交にうんざりして、楽しみだった外出も、憂鬱なものになり、すっかり行こうとする気が失せてしまう。
人の口には戸は立てられない。
幻のように美しいが、その噂は本当なのだろうかと好奇心と、難攻不落な令嬢という噂は征服欲に火をつけたのか、屋敷に侵入する最低下劣な人間も出る始末。後を立たなかった。
その中でも特に熱心で、それゆえにリオーネの毛嫌いする男。
ラヴィード=エア=ドワーフロップ伯爵公子。
社交界を賑わせる美しく優雅で気品あるその青年は、一見、人あたりの良い爽やかな人間に見えた。
初の顔合わせが、友人達と共に不法侵入した……私の寝室でなければ。
彼は本当に……執念深かった。
一度見ただけの私に毎日のように送られる、恋文と花。
手紙は送られた端から読まずに捨てた。
花は罪はないので召使に下げ渡す。
普通の求婚者なら、私が全くの無反応を示せば、諦めるか、逆に怒りをぶつけて私の悪い評判を流すのに。
彼はそれを数年間に渡り、継続し続けた。
その間にも、私の病気はどんどん悪化していく。
私の病状のことで、心が乱れて現実を直視できずに享楽にふけるようになった両親。
そして一席のカードで負った名誉の借財が、全てを奪った時。
親切ごかして救いの手を差し伸べてきたのはラヴィード。
救う対価は、私との婚姻。
選択肢はあるようで、ない。
私の家の全てを救ったと言いながら、数年ぶりの再会。
私と結婚できると、夢のようだと熱に浮かされたように語るラヴィードに浮かぶ表情は、取ってつけたような笑顔。
その瞳は私の全てを不躾に舐め回すような視線。
出会いも最悪であれば、再会も蛇に睨まれた蛙のような気にさせる最悪さだった。
――私が幸運だったのは、その日を待たずして鬼籍に入れたことだろう。
苦しみの果てに、私が次に目を覚ましたのは、白い光の中。
私はどこに寝ているのだろう? 一体どうなってしまったのかと、動くことも話すこともままならないうちに、眩しい視界が開ける。見知らぬ人間たちが、次々と私の顔を見て破顔していく。
まるで本で読んだ巨人の国に迷い込んだ……小人のような気持ちになっていると、見知らぬ女性が微笑んでいった。
「ああ、こんにちは。私の愛しい、わが子」
――それが第二の人生の幕が開けた合図だった。
レオン=トラッファルガー。
それが、生まれ変わった私の名前だ。
そう。
生まれ変わった性別は男。
質実剛健な騎士団団長、レオニード=トラッファルガーの四番目の末息子。
前世の繊細な美しい姿とは雲泥の差の容貌で、存在感のある肉厚で鍛え抜かれた、鋼のように硬い肉体。
手は剣の訓練で何度も皮がむけ、血豆が潰れてボロボロになり、節も太く岩のようにゴツゴツとしている。
女性にはモテるどころか、怯えさせてしまうほどの鷹のように鋭い眼光。
更に頬に走る傷は、暴れ馬から子供を助けた時に受けた勲章だ。まぁ、その時逆に子供を襲っているという誤解をされたのは些細なことだ。
似合いの服は、洒落て気取った夜会服より、無骨で飾り気のない粗野な騎士団服に鎧と剣。
日に焼けた金の髪は、まるで獅子の鬣のようになびく。
暴漢からの背後からの攻撃を防ぐ目的で、髪は長いのがこの国の武人の特徴だ。
平和な国といえど、剣を振るう軍人の家系に生まれ落ちた私だったが、初めからそのような姿だったわけではない。
子供の頃の私は、前世のように病弱だった。
ところが、幸運にも深刻な病というわけではなく、虚弱体質……成長によって体質も変わればなんてこともない、枷だった。
一番の問題は性別が変わったこと。
初めの頃は戸惑ったものだが、数年も赤ん坊からやり直して見ると、慣れた。
それ以上に、自尊心のある結婚もできる女性だった私が、意識のあるまま赤ん坊としてやり直す方が……いや、病気のために医者や使用人に体を見せるのが当たり前だったといえど、かなり堪えた。
しかし病弱・性別の変化・子供からのやり直しを上回る以上に、私はこの生を感謝した。
子供の頃に憧れた、夢が全て叶うというのだ。
普通の子供ができる事が全て新鮮だった。
走る、走る、青空の下ひたすら大地を蹴る。
疲れ果てたら、草の上に寝転がって、空を見上げる。
それだけで、幸せだった。
やればやるだけ、頑丈になる体。
目に見えて効果が出る、健康法。
食べるものが、美味しく思える幸福。
第三者から見ると、ただただ体をいじめ抜いていたように見えただろう。
新しい父と母も心配して、無理をするなと諌めてくれた。
度が過ぎて熱を出して寝込んだ時も、優しく付き添ってくれた。
言えなかったけれど、前の父や母を思い出して、泣いた。
ただ自分は、どこまでできるのか試したかったのだ。
前世では努力してもそれは先も見えず、実らなかったものが実になる手応え。
手応えを知ってしまうと、妥協はできなかった。
その結果。
幼い頃はひょろりとしたモヤシっ子と言われ、家族以外の人間からはトラファルガー家のお荷物になるだろうと思われていた私は、現在は騎士団有望株の筋肉ダルマの猛者へと成長した。
二の腕には青筋が入っているのが、お気に入りだったりする。
自分の上腕二頭筋の発達を見て、内心ニヤけてしまうのは……前世からのこの違いが嬉しすぎてということで、変な趣味ではないということを断じて言っておかなければならない。鏡に映る姿にポージングすることもだ!
そんな私だったが、既に齢二十も超え、兄達が結婚し子供も授かり、叔父さんと呼ばれれている。
甥っ子や姪っ子は可愛い。
前世では得られなかった、体験が、感情が、段々と増えていく。
この子達を見ていると子供もいいなと思うことはあったが。
やはり恋愛はすることはできなかった。
男になって、その……乙女だった頃の私には、口にできない男性のもろもろを知ったが、気の置けない男の友人の存在や、尊敬できる男性もいると知ると、前世のトラウマも薄らいで来る。
心は前世の記憶を未だに引きずり女に近いが、体は男なのだ。
だからはっきり言って、男に恋することはできない。
かと言って、これまた前世の記憶で女性にも恋することもできない。
心は中途半端なままだ。
ありがたいことに、この無駄に厳しい容姿のお蔭で、色恋沙汰に巻き込まれることがなかったのが幸いと言えるだろう。そんな余裕はない。
気楽な末息子という立場上。
このまま所帯を持たないで、お気楽に一人で暮らすままでもいいかなどと軽く考えていた頃。
宮廷から急使をうける。
内容は伯爵令嬢の護衛。
その令嬢の名前はコニーリ=オリクトラグス。
会ったことはないが有名なので名前は知っていた。
王女のお気に入りの宮廷の至宝。生きる宝石とも言われていた。銀の髪に、柘榴の瞳の儚げな少女。その色合いと姿のために、あこがれと羨望の眼差しで「白兎の君」という愛称で呼ばれている。
――美を賛辞される、華奢で守ってあげたい美しい少女。
私はその境遇に、普通の男が持ちうるべきではない同情を送る。
前世で、自分が男達に向けられたトラウマを重ねてしまった。
他の騎士に要請するよりも、自分なら紳士的に、彼女を守れると思う自負がある。
この姿が、怖がらなければいいがという問題は残るが。
なぜ自分に護衛の白羽の矢が立ったのか理由は不明だが、急いで王宮へと馬を飛ばすとそこに待っていたのは……噂ごときでは実物の彼女の美しさ、儚さを伝えきれていなかったと断言できるほどの魅力的な少女だった。
前世の私と同じ程、いやそれ以上に、その可憐さ、優雅な動きに、夢を見ているかの如く空気が霞む。
些細な衝撃でもすぐにでも倒れそうな彼女は、普通の女子供なら気後れしてしまう私の姿を見て、天使さえも魅了しそうな満面の笑みを浮かべて、駆け寄ってきた。
背は私の胸にあるかないかの、低さ。
その塊が、思いっきり私に突進してくる、そんな事は予想外で衝撃に備えるのを一瞬忘れた。が、衝撃を受けながらも硬い壁の様に、私は微動だにしない。訓練の賜物だ。
また、彼女も気にせずに私の胸に顔を押し付けて、抱きついてくる。
妙齢のご令嬢……しかも美少女が自分のような男にする行動だろうか、しかも私のような幼児が顔を見て泣くような強面に。
私が通常の男性ならば、この抱擁。感涙にむせび泣く程の行幸で楽園のごとき心地よさだろう。
しかし、元女性として理性が働いている私には、ただただ疑問が先に立つ。混乱している私をよそに、周りはいつの間にか人払いを終えていて、違和感を感じた。
至近距離で見上げてくる、柘榴の瞳。
その輝きに――私は武人としての勘で、嫌な予感が走る。
強敵を前にしての、凄み、威圧感とも言えるオーラが。
――この、華奢な少女から、何故だ?
呆然と、少女の顔を見つめる。
夢のように美しい唇が動き、私の名前を甘く紡ぐ。
「リオーネ」
よりによって、前世の。
「……やっと、やっと君に会えた。私の愛しい人」
目の前の美少女が、そう艶やかに笑った。
その誰もが魅了されるであろう笑顔に、私の背筋にはおぞましさが這い上がる。
彼女……いや彼、と言ったほうがいいだろうか? の本質を見抜けたのは、第六感というものか。
「ラ、ラヴィード……なの、か?」
私は思い切り、底知れない目の前の人物を突き放した。それは簡単に引き離せたが、床に転がってもおかしくない力で押されたはずなのに、何事もなかったかのように軽やかに体勢を立て直し立っている。それがまた恐怖を駆り立てる。さらに私は、身構え腰の剣に手をかけた。何時でも抜剣できる状態。
相手の外見はこの際おいておこう、中身がアレだ、アレならこの対応をしてしまった自分の態度は至極真っ当であり仕方ない事だ。
私が、第二の生を受けたのだから、他に前世の記憶持ちで生きている人間がいてもおかしくない。
だからといって、なぜまたよりにもよって、この人間と会わなければいけないのか。もっと、もっといるであろう前世の知り合いを思い浮かべようとして、そうはいないことに気がついた。
「そうだよ、僕だよリオーネ。だからそう警戒しないでくれないか? まぁ君の剣の錆になるのなら悪くはないけれどね」
お前だからこそ、ここまで警戒するのだ。
声は可憐な音、であるが、口調とセリフは紛れも無く、あの男ラヴィードのもの。
目に光る怪しい輝きも、間違いない、あの……。
「何故、私を呼んだ?」
「何故?」
「何故って、私は今はあの頃の私じゃないのに!!」
儚く美しい妖精のようだったリオーネ。
今の私は丸太のようにゴツゴツとした筋肉だるまに、厳しい顔に傷もあり、年齢も二十代とは思えない程の貫禄がある。
――正しく、オジサンだ。
目の前の美しい、彼が好んで連絡を取りたいとは露も思えない。
「変わらないよ」
本気で言っているのだろうか。
目の医者にかかったほうがいいのじゃないだろうか。
でもラヴィードの顔は、冗談を言っているようには見えなかった。
優雅に微笑んでいるが、真剣な瞳だ。
私はその顔を、遠慮なく胡散臭げに見つめる。
「僕がなんで君を好きになったのか、前世では散々手紙に書いたのだけど」
「そんなもの、読まずに捨てました」
「そういえば……直接は話してなかったね」
君は僕に会うのは避けてたし、会話もしてくれなかったからね。と、寂しそうな雰囲気を漂わせて言うが、そんなセリフでも態度でも私の心はほぐれない。ほだされてはいけない、この人はどこかおかしい。
「君を初めて見たのは、友人に無理やり付き合わされた、垣間見だった。
僕は女性には苦労しないタイプだったし、別に噂の美姫を見に行くつもりなんてこれっぽっちもなかったんだよ」
よくわからない。
彼が嫌いだったから、遠ざけて交流は殆どなかった。
彼が私を好きになる理由は、前世の美しい姿だけに惹かれるぐらいしか理由がない。
その外見に「興味がない」と言い放つような台詞。
「だったら、何故?」
私が問いかけるたびに、ラヴィードは本当に嬉しそうに目を細める。
それが底知れない。
わからなくて、怖い。
いくら体を鍛え、それに伴い心も成長しても、昔のトラウマは私を無力にする。
「嬉しいね、君と会話してる」
「……答えて」
「で、君を勝手に見たということは
君は僕の存在に気づかずに、ありのままの姿を見せてくれた
……病気と戦ってる姿を。
驚いたよ。
君の外見はそれほど重要じゃない、あの諦めない不屈の精神その強さだ。
君を知るたびに僕は好きになっていった」
「……」
「だから生まれ変わって、見つけたときはすぐわかったよ
変わらずに美しくも気高く、ストイックに過ごす姿に、僕の心はまた虜になった」
「!!」
ラヴィードが、無防備に近づいてくる。
そして、剣にかけた手を握った。
傷だらけで、武骨で美しいとは程遠い、だけど自分の今までの努力を刻んでいる、私自身の生き方を表している手。
それを宝物を握るように、愛しくてたまらない表情で、包み込む。
「だって、僕の好きだったのは。
君の強くも美しい、#獅子の心__ ライオン・ハート__#だったから」
これ以上もない愛の告白。
そう言い切った、ラヴィードの瞳。
逃がさないよ? と、暗に言っていた。
そこに浮かぶのは、あの取ってつけたようなあの笑顔。
外見は変わったが、微笑み方は変わらない。
私の姿は獅子に変わったが、心は獅子に狙われた兎のような心持ちになった。
――はたしてこの目の前の兎の皮を被った怪物から、私は逃げきる事ができるのか。
その件については、ラヴィードが宮廷の上層部を私的なことで動かせる事が出来た事からも。「無理だ」という結論しか出てこない事に、その時の私には考えも及びつかない事だった。
数日後。
「レオン=トラッファルガー様に、私の一番大事なものを奪われたのです」
そう、ラヴィードが宮廷内で物憂げな顔をしてただ囁いただけで。
私の平穏でささやかな幸せは、幕を閉じたのだ。