世界にさよならを告げる前日の裏話
世界を救った巫女の報われない裏話。
悲恋、片思い。永遠の別れ。
世界が平和になった日。
宴の主賓でもある世界を救った巫女は、王城の宴の喧騒から隠れるように、物見櫓で静かにたたずんでいた男のもとへとやってきた。
長い黒髪が風でなびく、まるで夜に溶け込むように。
「明日、お前は本当に元の世界に帰るのか?」
しばらくは無言だった男の声を聞いて、この世界では珍しい神秘的な黒目を持つ少女が笑顔で振り向いた。
「うん、そうじゃなかったら……ユーリンが困るもんね」
「………」
「ははっ、馬鹿だと思ってるでしょ? ……でも、いいんだ」
「お前は本当に馬鹿だな」
男は何度この少女に馬鹿だと言っただろうか。
でも、今の馬鹿はまるで囁くように、願いのように……本来の意味とは違った響きがある。
彼は馬鹿だと言わざる得ないほど彼女の事をよく知っていた。
そうよく知っている……彼女が知らない真実までも。
少女はこの国に召喚された巫女だ。
異世界から召喚されるその『役割』は世界の浄化。
世界が汚れた時に、それは魔物となって現れるが、この世界の在人には魔物を倒しても完璧に消滅させる事はできなかった。
まるで雑草を刈り取るだけのように、根からは根絶できない。
しかし、神祇官が他の世界から召喚した異人『巫女』にはそれができる。
召喚された少女は元の世界で孤独の真っただ中にいた。
だからこの世界に召喚されて、初めて見た美しい男に恋され恋し、それがこの世界を救う動機になった。
そして長い旅の末、一番の瘴気を浄化し――世界の理に知らされた真実。
巫女が浄化していたと思っていた汚れは、全て巫女の体の中に入り込んでいたと。
その汚れの、限界はあと一滴であふれるほどに来ていた。
弾ければ混ざり合った汚れは、浄化する前よりもひどく、世界を汚す。
それは世界が終わる日。
巫女の世界には、汚れの概念がなく、巫女にはその耐性かこの世界の人間より比べられないほど高く、元の世界にそれを持ち帰ればその概念は弱まり、本当の意味で汚れは霧散すると。
つまり巫女は――汚れを安全に捨てるための入れ物であり、運び屋だったのだ。
巫女が世界を去るまでが、この世界を救う伝説の本当の終わりで不文律。
それを知ってもなお、巫女が愚痴も言わず粛々と運命を受け入れるのは、ひとえに『愛しい男』のためだ。
勿論、その対象は男ではない。
金髪碧眼の完璧な美貌と体躯をもち、眉目秀麗、頭脳明晰、文武両道、優しく皆から慕われる女性の理想の具現であるこの国の王子、ユーリン。
巫女はその愛しいユーリンの為に、彼の住む世界を離れる決意をしたのだ。
――愛しい、ユーリンか。
そう思うだけで、男は苦虫を噛み潰したように、心が重くなる
それは、罪悪感だけでは無いのは分かっていた。
「そんな顔しないで? 貴方がそんな顔してると調子狂っちゃうよ」
「そんな顔とは?」
「世界が終わるような顔してる」
「……お前のおかげで世界はまだ終わらない、感謝している」
「本当に、らしくない」
神秘的な黒曜石のような少女の瞳が揺らめいた。
そして男をじっと見つめる。
男は心の中を見透かされそうでたまらず、目を伏せた。
「大丈夫、そんなに悪いと思わないで、私全部知ってるから」
一瞬、何を言われたのか男はわからなかった。
そして、その真意が図りかねて、うかつに返事を返せない。
「ユーリンが私を好きじゃないってことぐらい、今ではもうわかってる」
「…………何故、そう思う?」
巫女は相変わらず笑顔だった。
笑顔にはそぐわない、セリフ。
だから男は誤魔化せるかと、質問する。
「だって、好きでずっと見てたから、わかっちゃうよ……ユーリンの本当に好きな人は別にいるって。でも、私、わがままだから見てみないフリした、もしかしたらこのまま一緒にいれば本当に私の事を好きになってくれるかもと、甘い期待をしちゃったんだ」
だから何も知らないで騙されてる愚かな女を演じ続けた……でも。
言いかけて、巫女は言葉を切る。
その後に続く言葉は言わなくても、痛いほど男には見て知っていた。
――ユーリンの気持ちは、長い旅を終えても揺るがなかった。
それを巧妙に隠し、巫女の忠実なる騎士としてユーリンは巫女に恋する男を演じ続けた。
男は巫女が幸せそうにしているのでてっきり知らずに甘い夢を見ていると思っていた……しかし、知っていたのなら、それはなんと残酷なことだっただろう。
「そうか、それは気付かなかった」
「ユーリンは私が伝説の巫女だから、親切にしてくれてただけなんだよね……本当に。だから明日、おとなしく帰るのはお詫びというかお礼というか、そーいうものなの」
お詫びなど不要だと本当の事を言いかけて、男は口を閉ざした。
それは禁じられている事なので、男の一存では口にしてはならないこと。
「実らなくても一生分の恋をした、だから私はこの世界を去っても満足なんだ」
元の世界で両親を失った孤独な少女に、美しく優しい男が付け込むのは容易だっただろう。
しかもそのために、長い年月を掛けて作られてきた『王子』なのだから。
代々の召喚で呼ばれる巫女は女性だった。
そんな違う世界から来た人間に、自分のものではない世界を救う危険を伴う仕事をしろといっても容易に受け取ってもらえるはずもない。
代々の王と神祇官達は理由を作り出そうとした。
代々の古い記録を読み取り、上手くいった例を参考として。
――反吐が出る話だ。
まるで人参をぶら下げて走る馬ではないか。
そうやり口に嫌悪感がこみ上げるが男も王族の一員。目の前のひとりの女の子の人権よりも世界を取った。
王家は代々、巫女を惑わすために美しい子孫を残そうと躍起になっていた。
男もユーリンほどではないが王族の端くれ。銀の髪にアイスブルーの瞳の、まるでこの闇夜に輝く月のように十分に美しい容姿をしている。
召喚の間に、不本意ながらも呼ばれ、王族がで迎える中――巫女は視線をユーリンに合わせた。
それが、ユーリンが本心を隠して、彼女を大事にしなくならなければならなくなった理由。
召喚当初の巫女の世話係はユーリンとなり、ユーリンは不安な巫女の心を確実に捉えた。
嫌がるユーリンを長老と王は彼の想い人を人質にすることと、巫女が無事使命を全うすれば、結婚の許しも与えたのだ。
流石に巫女はそこまでは知らないだろう。
でも、知っても何も変わらないのかもしれない。
それほど静かで穏やかな告白だった。
「わかっててユーリンの優しさにすがってた、本当にヤナ女だよね」
「そうでもない」
本当に嫌な女なら、騙されていると分かっていながら、相手の為に何かできるだろうか。
それは彼女がどれだけユーリンを好きだったかという現れだ。
「それで何故、俺にそんなことを話すんだ」
「え、そうだなぁ。ユーリンにいままで付き合ってくれてごめんねって謝ってくれって伝言、一番いえそうだったのと」
考えるように巫女は首をかしげる。
「この世界で、貴方だけが私に嘘をつかなかった、からかな?」
「……」
その答えに男は絶句した。
「私が巫女だからって持ち上げる世界の中で、貴方だけが有りのままで私のこと嫌いって示してた、でも、いざというときは、なんだかんだ言いながら助けてくれたよね」
「世界を救うのに手を貸すことはこの世界に住む者の義務だ」
――義務。
男は正しい言葉を発しているはずなのに。自分で使った単語に違和感を覚えた。
「ふふ、正直だね。夢のような嘘の中で、貴方だけが本当の事を言ってくれる」
だから信じられるの。
笑う巫女に、「伝言は伝えてやる」と、男はそっけなく言い放つ。
満足そうにじゃあね、と言って巫女はまた夜の闇に消えた。
「……いいや、俺は一番の大嘘つきだな」
消えゆく巫女の背中を見ながら届かない呟きもまた、夜の闇に掻き消える。
いや届かないからこそ、呟ける、男の紛れもない本音。
――お前が好きだ。と言わないのだから。