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4.決断

冬のボーナスを年内に消化してしまいました。

支出が激しいのか、ボーナスが低いのか。まぁ、どっちもなんでしょう。

外気温も懐も寒いですが、心あったまるようなストーリーにはならなそうです。

どうぞよろしくお願いいたします。


冴木っていくつよ?


 五百万円。


 その数字が、明かりを消した暗い部屋の中で、不気味なネオンサインのように点滅し続けている。

 

 目を閉じても、網膜にはあの冴木の不敵な笑みと、札束の厚みが焼き付いて離れない。


 学費のローンを完済し、残った金で中古のスポーツカーを買ってもお釣りが来る額だ。

 深夜のコンビニで、酔客の理不尽な怒号に耐えながら、時給千円ちょっとのために時間を切り売りする泥臭い生活が、一瞬で過去のものになる。


 だが、その対価は「犯罪への加担」だ。

 それも、国家を揺るがすかもしれない暴挙の片棒を担ぐこと。


 もし失敗すれば、人生のすべてが文字通り灰になる。たとえ成功したとしても、おれは一生、背後に忍び寄る「法の番人」や「組織の影」に怯えて暮らすことになるだろう。そもそも、使い捨ての駒として最後に消される可能性だってゼロじゃない。

 

『お前、退屈してたんだろ?』


 冴木のあの、心の内を見透かすような言葉が、頭の中で何度も凶暴にリフレインする。


 そうだ。おれは飢えていた。

 薔薇色を期待したキャンパスライフが、いざ蓋を開けてみれば驚くほど無味乾燥で、灰色だったことに。おれという人間が、何者でもないまま摩耗していくことに、耐えがたい恐怖を感じていた。

 

 だが、その「退屈」という名の虚無を埋めるための代償が、これほどまでに重く、命を懸けた危ういものだなんて、誰が想像できただろうか。


 翌日からの三日間、おれの世界からは「色彩」が消えた。まるで厚い水層の底を歩いているような、奇妙に鈍化した感覚。


 大学の食堂で友人が語る「就活の不安」や「新作ゲームの攻略法」といった話題が、ひどく幼稚で、何の意味も持たない砂の音のように耳を通り過ぎていく。一週間前までおれもその輪の中にいたはずなのに、今では彼らがガラスの向こう側の住人のように思える。

 

 おれだけが、彼らが一生縁のない「本物の死線」のすぐ隣に立っている。

 その選ばれた人間だけが味わう歪んだ優越感。そして、それ以上に腹の底からせり上がってくる巨大な恐怖。この二つの相反する感情が、やすりのようにおれの神経を少しずつ、着実に削っていった。


 断れば、どうなる?

 冴木が残した『お前の寿命が決まる』という言葉は、決して比喩などではない。知らなくていい国の裏側を覗いてしまった部外者は、生かしておくだけで巨大なリスクになる。あの男なら、呼吸を止めるように平然とおれを排除するだろう。


 受け入れれば、どうなる?

 おれは明確に一線を越える。もう二度と、単位や合宿のことで悩む「普通の大学生」には戻れない。

 


 そして、金曜日。運命の夜が来た。


 窓の外では、今日という平日の終わりを告げるように、サラリーマンたちが駅へと急ぐ乾いた靴音が響いている。彼らにとっての安らぎの週末は、おれにとっての「カウントダウン」の始まりを意味していた。


 おれは暗い部屋の真ん中、唯一の光であるスマホを握りしめていた。ヒビの入った画面には、冴木から送られてきた最後通牒が表示されている。

 

『24:00。返事をくれ』


 時刻は23時58分。

 

 バックライトに照らされたおれの指は、通話ボタンの上で、情けないほど激しく震えていた。


 断って、震えながら明日を待つのか。

 それとも、この奈落の底へ続く物語に、自ら身を投じるのか。


 平和で、退屈で、無価値な明日か。

 危険で、血生臭く、だが剥き出しの鼓動が熱く波打つ火曜か。

 

「……っ」


 おれは肺がはち切れるほど深く息を吸い込み、逃げ場のない決断を、震える指先に込めた。


 

 

 通話の終了ボタンを押した瞬間、心臓が一度だけ大きく跳ね、その後は驚くほど静かに、しかし力強く脈打ち始めた。もう迷う必要はない。退屈な大学生・陽介は、今この瞬間に死んだのだ。


 即座に聞こえた冴木からの返答は、まるでおれがそう答えるのを確信していたかのようだった。


『賢明な判断だ。当日午後八時、あのカフェで待ってる。詳細はその時に。あ、それと明日、お前のアパートのポストに「おもちゃ」を放り込んでおく。火曜日まで、誰にも見られずに大事に持っておけよ』


 翌朝、恐る恐るポストを確認すると、そこには緩衝材で包まれた薄い茶封筒が入っていた。


 部屋に持ち帰り、鍵を閉めてから中身を取り出す。

 出てきたのは、一台のスマートフォンと、見たこともない無線機。そして、ずっしりとした厚みのある封筒。


 中には、冴木が「信用の証」と言っていた残り五十万円の前金が、生々しい万札の束となって収まっていた。

 先日部屋で受け取ったものと合わせて、これで百万円。もう引き返せる額ではない

 

「……本当に、始まっちまったんだ」


 札束独特のインクの匂いが、鼻を突く。

 深夜のバイトで一ヶ月必死に働いて稼ぐ額が、たった一晩の「通話」で手元にある。その異常な現実が、陽介の金銭感覚を、ひいては倫理観を静かに、だが確実に狂わせていった。


 火曜日。 

 その日の大学での時間は、拷問に近いものだった。

 

 教授の言葉は背景ノイズになり、学食のカレーは砂を噛むような味しかしない。周りの学生たちが未来の就職先について語り合っている。

 彼らが「未来」を夢見ている間に、おれは「今夜」をどう生き延びるかだけを考えていた。


 午後七時。

 夕闇が街を飲み込む頃、おれは愛車のセダンに乗り込んだ。


 エンジンの掛かりは、今日に限って快調だった。

 まるでおれの決意を後押しするかのように。街の灯りを背にして、おれは再び北へとハンドルを切った。見覚えのある山道がヘッドライトに照らされ、視界の端へと流れていく。


 おれの日常が壊れ、この奇妙な非日常が産声を上げたあの場所。すべてが始まった場所で、すべてを確定させる。皮肉なほど出来すぎた再会だとおれは思った。


 午後八時。峠の頂にある「コル・ド・ラ・リベルテ」の駐車場には、月明かりを跳ね返す一台の黒い大型バイクが停まっていた。マットブラックの塗装が施されたその無骨な鉄の塊は、まるで夜の闇そのものを具現化したかのようだった。

 その隣には、同じく漆黒の塗装に覆われた、国産のスポーツカー。低い地を這うようなシルエットに、巨大なウィング。親父から譲り受けた実用性だけのセダンとは対照的な、走ることだけを目的に研ぎ澄まされた鉄の塊だ。その威圧感に、隣に停めたおれのセダンが、まるで死を待つ老兵のようにひどく惨めに、小さく見えた。


 店内へ足を踏み入れると、あの時と同じカウベルの音が響く。


 カウンターの角に、冴木がいた。コーヒーを飲むでもなく、ただそこに「存在」しているだけで、店の空気を支配している。

 

「よく来たな。いい面構えになったじゃないか、陽介。外の車は気に入ったか?」


 冴木は軽く片手を上げた。おれは吸い寄せられるようにその隣の椅子に腰を下ろす。マスターは奥で何かの作業をしているのか、姿は見えない。

 

「で、詳細は?」

 

「まず、これを見ろ」


 冴木は使い古されたスマホをデスクの上に滑らせ、地図アプリを表示した。そこには中央高速道路の特定の区間が真っ赤なマーカーで囲まれていた。

 

「今夜、午前二時。中央高速のこのエリアを、ターゲットの軍用トラックが通過する。お前の役割は、この数キロ手前にあるパーキングエリアで待機して、獲物の『正確な現在地』を俺に流すことだ」

 

「監視……。それだけでいいのか?」

 

「ああ。トラックが予定の時刻から一秒でもズレていないか、護衛の車両は何台か、車線はどこを走っているか──。そういう、現場でしか分からない生の情報が必要なんだ」

 

「それだけで、五百万も出すっていうのか?」

 

「ああ、安いもんだ。情報が少しでも狂えば、作戦は水泡に帰し、俺たちは全員お縄か、あるいは墓場行きだ。お前の目と声が、俺たちの命綱なんだよ」


 冴木は冗談めかした口調を捨て、射抜くような真剣な眼差しでおれを凝視した。

 

「陽介、お前が見たものだけを、正確に伝えろ。憶測はいらない。嘘も、誤魔化しも、震えも捨てろ。それだけ守ってくれれば、お前の仕事は完璧だ」

 

「……わかった。やってやる」


 おれの声は、自分でも驚くほど低く、安定していた。

 

「じゃあ、これを。お前の新しい『相棒』だ」


 冴木がカウンターの下から取り出したのは、ポストに入っていた端末と連動する小型無線機、それと車のキー。外に置いてある黒いスポーツカーと同じメーカーのロゴが刻まれている。その質感が、妙に冷たく、重い。

 

「周波数は秘匿回線に合わせてある。午前一時半には現地に入れ。トラックは二時ちょうどに通過するはずだ」


 「それと、」と、冴木は念押しした。

 

「セダンのキーは置いていけ。ここでお前にバックレられちゃ困るし、何より、()()()()()()面倒だろ」


 逃げれるもんならそうしたいが、ここまで来て逃げるつもりも、逃げ切れる自信もない。足がつくことはないに越したことがない。冴木の言い分は最もだ。おれはセダンのキーをテーブルに置いた。

 

「冴木。お前はどうするんだ?」


 冴木はキーを拾い上げると、ちょうど奥から現れたマスターにそのまま渡した。

 

「俺は別の場所で、獲物を仕留める準備をして待ってる。お前からの合図が引き金になる」


 冴木はそれだけ言い残すと、椅子から滑り降りて店を出ていった。

 直後、外で猛獣のような排気音が響き、夜の闇へと消えていく。


 おれは一人、カウンターに取り残された。

 

 手の中にある無線機が、おれの掌の熱でじわじわと温まっていく。その熱は、おれが今まさに犯罪という深淵に足を踏み入れたという、消えない刻印のようだった。


 もう、戻れない。

 おれはコーヒー一杯すら注文せず、無言で席を立った。


 これからおれが行くのは、薔薇色のキャンパスライフでも、灰色の日常でもない。

 血と鉄の匂いがする、真夜中の高速道路だ。 

 

 

いよいよ深夜の高速、ミッドナイトですぞ!

車はZですかねぇ。分かりません。


前書きのこたえ

陽介より1つか2つくらい上だと思います。

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