第五話 融合
ガリア最強の男、テンポリオンが——
防御する間もなく、一瞬で消えた。
異次元国家カ=ゼル大佐ヴォルトレインは
そのままゆっくりと研究塔へ歩き出した。
テンポリオンが爆散した衝撃がまだ大気に残っている。
カナタは息を吸い、震える足でヴォルトレインの前へ立った。
「どけ。」
ヴォルトレインの声は低く、乾いていた。
次の瞬間、カナタは動いた。
地面に触れ、地球の運動エネルギーを使って周囲の破片をロケットのように飛ばし、
マントルの熱を一点に絞り出す。
瓦礫の嵐と炎の槍がヴォルトレインへ飛ぶ。
しかし——その全てが届く前に消えた。
その結果を見る前に肉薄して拳を叩き込む、その瞬間。
ヴォルトレインの視線がわずかに変わった。
その瞬間、世界が裏返るような衝撃が襲う。
カナタの右腕が肩から消えた。
遅れて激痛が脳を焼く。
「……ッァァァ!!」
足がもつれ、膝が落ちる。
――足首から下が消失した。
(は、速すぎる……! 見えねえ……!)
もう一撃あれば死ぬ。
そのとき——
研究塔の最上階から降り注ぐように、白い閃光が空を裂いた。
「カナタァァァァ!!」
御堂新作は全身血まみれで、
制御塔の端末を押し伏せながら兵器の照準を強引に固定する。
塔の砲門が一斉に火線を走らせる。
高エネルギー誘導弾、異次元干渉弾、質量子偏向砲——
ガリアに残された最高峰の武器が全てヴォルトレインに向けられた。
プラズマホールを狙われる危険も、
自分自身が標的になることも新作は理解していた。
それでも、息子を見殺しにはできなかった。
「……無駄だ。」
すべての攻撃は吸い込まれ、砕け、音もなく消滅した。
ヴォルトレインの周囲が光に包まれ、空間が歪む。
——彼の姿が掻き消え、次の瞬間には塔の最上階にいる御堂新作の目の前に立っていた。
喉元に手が伸びる。
「プラズマホールの位置を答えろ。」
新作は血を吐きながらも、歯を食いしばった。
その時——
片腕を失い、片足を引きずり、
片目には血が流れるカナタが、最上階の瓦礫を蹴破って飛び込んだ。
「離れろ……ッ!!」
放たれた拳がヴォルトレインの頬をかすめる。
触れた一瞬だけ、エネルギーの流れが止まった。
生まれた、ほんの一瞬の隙。
新作は迷わず塔の“最終兵器”へ手を伸ばす。
そして——
研究塔の上空が白く爆ぜた。
轟音。雷鳴。炎柱。
塔の上部から、地平線に届くほど巨大な“光の刃”が放たれた。
研究塔最終兵器《次元断絶砲》——起動。
新作の血まみれの手が装置を握り締めていた。
「……息子に……手ぇ出すなよ……化け物が……!!」
光の奔流はヴォルトレインを飲み込んだ。
滅級どころか、あらゆる物質を蒸発させる威力。
だが——
ヴォルトレインは左手を軽く上げただけだった。
光は“吸収された”。
すべて。
塔が揺れ、逆流した巨大エネルギーが
新作の周囲で爆裂する。
「ぐああああああッ!!」
爆風が塔を貫き、
新作の身体は壁を突き破って吹き飛ばされていく。
もう立ち上がれない。命も尽きる寸前だ。
「……くそ……ここまで、か……」
その時。
瓦礫を押しのける音。
這うように歩み寄る影。
——カナタだ。
片腕も両足も失い、片目には血が溜まり、
それでも前へ進む。
「……親父……どけ。」
新作は声すら出せない。
喉で掠れた息が震える。
『やめろ……!
プラズマホールは……制御できる人間が……!』
「知ってるよ。」
カナタは笑った。
血に濡れた歯を見せ、
強がりと覚悟の入り混じった笑みで。
「でも……このままじゃ……全部終わりだ。」
研究塔の中心。
黒い球体が脈動している。
次元八宝 “プラズマホール”。
その隣のガラスの箱に、制御鎧が立てかけられていた。
本来は複数人で支え、医療装置と同期させ、
数時間かけて装着する危険な代物。
カナタは片腕でガラスを割ってそれを引きずり寄せ——
自分の肉体に、無理やり叩きつけた。
ガギィン!!
鎧の金属が骨に突き刺さる。
拘束具が筋肉と神経を締め上げ、皮膚が裂けて血が噴く。
「ぐ……ッああああああァァッ!!!!」
新作が必死に手を伸ばす。
「やめろ! カナタ!!
身体が……持たん……!!」
「持つ必要ねぇよ……
どうせ……死ぬ気でやるしかねぇんだ……!」
制御鎧が肉を裂き、
プラズマホールの光がカナタの全身へ侵入する。
黒い球体が脈打ち、塔が軋み、空気が震える。
新作は絶叫した。
「やめろッ……! カナタァァァ!!」
——融合開始。
全身の骨が折れるような衝撃。
神経が一本ずつ引き抜かれるような痛み。
細胞が煮え、筋肉がねじ切れ、
そのすべてがプラズマホールの光に“組み替えられていく”。
眼球が溶け、再構築される。
骨が砕け、別の形に生え直す。
皮膚が剥がれ、焼け、また形成される。
叫び声は喉で潰れた。
「ッッ……アアアアアアアアアアアアア!!!!」
塔の中心から、巨大な光の柱が空へ伸びた。
天へ突き刺す白光。
塔全体が震え、雲が割れ、空が裂ける。
新作は爆風に吹き飛ばされ、瓦礫に埋もれて意識を失った。
ヴォルトレインがゆっくりと光へ歩く。
「それは……
我々カ=ゼルが求めたもの。
御堂新作……そして御藤カナタ。
何故それを、人間が扱える?」
光の中心で、カナタは苦痛にうめき、
肉体が分解と再構築を無限に繰り返す渦に囚われている。
「我がDPでも吸収できんとは……
まあいい。その鎧と肉体……どちらが先に壊れるか。
私はそれを待つだけだ。」
——光の柱は、その後、一晩中立ち上り続けた。
その間、
カナタは終わりなき苦痛の中にいた。
骨が砕ける音が絶えず響き、
内臓が液状になっては再形成され、
血管が破裂し、神経が千切れ、
それらが一秒ごとに作り替えられていく。
あふれ続けるエネルギーを、何とか自分の体の形へと留める。
脳は何度も焼かれ、
意識は千回以上死にかけ、
それでもプラズマホールは彼の肉体を再び作り直す。
カナタは光の柱の中で、
生と死の境界を、
永遠にも等しい時間を漂い続けた。
それでも、意識だけは手放さずに保ち続けた。
一晩の間、研究塔から立ち上り続けた白い光柱は、
やがて一瞬だけ、夜空を裂くように強く脈動した。
そして、塔の中心で何かが生まれた。
空気が割れる。
重力が沈む。
目に見えない波が広がり、瓦礫が浮き上がって砕けた。
ゆっくりと、光の中心から影が歩み出る。
それはもう、御藤カナタではなかった。
黒い光沢を持つ鎧のような外殻。
だが金属ではない。
未知のエネルギー細胞が結晶化した、異次元の新生命。
筋肉という概念はなく、
骨格も皮膚や血肉も、すでに存在しない。
思考速度は超速で、脳細胞に相当するエネルギー構造が、光を走らせては再構築を繰り返す。
胸部にはプラズマホールの脈動が埋め込まれ、
全身はまるで漆黒の星雲のように蠢いていた。
——それがカナタの姿だった。
ゆっくりと首を上げ、
ヴォルトレインへと視線を向ける。
「行儀よく待っていたのかよ。」
「……動けるか。」
ヴォルトレインの声は、感嘆にも似ていた。
賞賛ではない。ただ、事実としての認識。
「人間が、そこまで到達するとは。」
カナタは答えない。
言葉を紡ぐ必要もなかった。
その代わりに―――
地面を、ひと踏みした。
空間が爆散した。
研究塔の周囲に待機していた滅級異獣三体。
その巨体が、カナタの姿を捉える前に―――
黒光の拳が、すでに貫いていた。
一撃。
ただ一撃。
光速を超えた挙動。
隕石衝突にも匹敵する圧力。
振動と熱を伴わず、純粋な“破壊”だけを残す衝拳。
滅級が四方へ弾け飛ぶ。
その欠片すら、着地する前に蒸発していった。
ヴォルトレインの瞳が細められた。
「……速度。力。
そしてそのDP量……見事だ。」
黒い鎧のカナタが、一歩前へ出た。
カナタの拳が、音速を遥かに置き去りにして迫る。
殴る直前――
ヴォルトレインが静かに手を上げた。
世界が止まる。
拳が止められたのではない。
“運動エネルギー”そのものが、その場から消えた。
カナタの肘から先が、まるで凍りついたように動かない。
だが次の瞬間、黒鎧の体表から光が溢れた。
――DP干渉排除。
空間で凍結していたエネルギーが弾け飛び、拳が再び動く。
ヴォルトレインはそれをいなす。
「お前のDPは強大だ。
しかし、力を届けるための“運動”は私が止める。」
カナタは二撃目を放つ。
三撃目、四撃目――
黒光の連撃が万雷となって襲う。
だがすべての拳が、
届く寸前で止まる。
「優れた肉体だ。
DPの最適化も見事。
だが、技術が追いついていない。」
強大で速すぎる連撃。
しかし届かない。
二人の間には熾烈な均衡が生まれた。
破壊も、吸収も、無効化も。
互いのDPが、絶対の硬度でぶつかり合い、拮抗している。
この拮抗が続けば――
どちらかの心が折れるまで終わらない。
カナタの緑色になった眼孔に、光が灯った。
(……届かないなら……出せばいい。)
肉体が変異した瞬間に刻み込まれた直観。
――召喚。
プラズマホールの核が震え、
空間がひしゃげる。
「……何だ……?」
ヴォルトレインが初めて眉を寄せた。
黒い空間の裂け目から、
それは現れた。
光速で出現。
あらゆるエネルギーを拒絶し、
その場に存在する物質すべてと融合する性質を持つ――
超硬度・超質量の塔“バベル”
巨大な塔が、ヴォルトレインへ重なるように出現した。
出現と同時に融合している。
逃れられない。
「……クッ……!!」
ヴォルトレインの全身が、
黒い塔へ沈みこんでいく。
ただ一箇所。
顔面部だけはDPによる防壁で辛うじて守られ、
彼は意識を保っていた。
黒い塔に飲まれながら、ヴォルトレインは叫ぶ。
「我らカ=ゼルは……終わらん……思考は私と共有され、
無数の次元が……貴様を待っている……!」
カナタは歩み寄った。
拳を握る。
黒光が収束する。
「覚えとく。でも、お前はもう俺を止める力はないだろ」
渾身のストレートが、
ヴォルトレインの顔面へ叩き込まれた。
黒い物体“バベル”が震動し、
光を吸い込みながら閉じていく。
次元を揺らす衝撃が響き
ヴォルトレインは完全に、
バベルと融合した。
静寂。
巨大な塔の横に、黒く光るカナタが立っていた。
「親父…」
強大な敵を倒したはずなのに、達成感は無い。
それよりも、喪失感が大きかった。
「かなた…」
瓦礫の隙間から、かすれるような声が漏れた。
その声を聞いた瞬間、カナタの心臓が跳ね上がる。
無心で瓦礫を払いのけると、
父・御堂新作が横たわっていた。
全身が裂け、皮膚の下の機械部品が剥き出しになっている。
「カナタ、生きていてくれてよかった。」
その微笑みだけは、いつもと同じだった。
「親父!俺のセリフだよ!敵は倒した!もう大丈夫だ!」
叫びながらも、カナタは理解していた。
父の呼吸の浅さ。止まりかけの瞳。
「もう大丈夫」なんて嘘に近い言葉しか言えなかった。
「カナタ。わかるだろう。私はここまでだ。でも、お前が生きているとわかったから、安心して眠れるよ。」
その言葉があまりに静かで、逆に胸を締めつけた。
「諦めるなよ!機械で直せるだろ??そうやって百年以上ピンピンしてたんでしょ!嫌だ!まだ死なないでくれよ!!」
カナタの声が震える。
涙が灰の積もった地面に落ち、黒い染みを作った。
「お前が泣いた顔なんて、いつぶりに見ただろうか。カナタ、ごめんな。平和な世界じゃなくて。一晩中苦しかっただろう?本当にごめんな。」
父の手は震えていた。
触れるたび、その手から熱が失われていくのがわかる。
「なんで父さんが謝るんだよ!!拾ってくれた感謝しかないよ!!苦しくなんかない!俺はまたみんなで笑って過ごせればこんな体でも全く気になんかならない!」
カナタの声は涙に濡れ、言葉が途切れそうになる。
それでも必死に、父に届くように叫び続けた。
「その呼び方も、久しぶりだな。…お前は私の自慢の息子だよ。
本当にありがとう。カナタ、どうか幸せになってくれ。神様…お願いします…。」
父の目はゆっくりと細まり、
祈るように空を見つめていた。
その姿が、カナタの胸を深く裂いた。
「神様になんか祈ったことないのに!父さん!父さん!父さん!!!」
声が枯れるまで呼び続けても、
父のまぶたが開くことはもうなかった。
完全に動かなくなった育ての父の亡骸をそっと地面に寝かせ、
カナタは震える手で涙を拭った。
瓦礫の影で、吹きつける風が一層冷たく感じられた。
町の方角では、巨大な怪物の姿が揺れ、まだ轟音が鳴り響いている。
闇の中で、炎と黒煙が空へ昇っていた。
カナタは小さく息を吸った。
父が遺した温もりを胸に押し込む。
「誰かがまだ戦っている。――行かないと。」
少年は再び、崩れゆくガリアの町へ走り出した。




